悟史君から繋がった管の先には、何を計測しているのか知る由もない様々な機材があり、乱れることのない一定の波をモニターに映し出している。
いつか返事が返ってくる。そう信じながら話し続けた。今夜のパーティーのこと、沙都子は相変わらず元気にしていること等々…
今ならばいつの日か必ず返事が返ってくると信じられたが、記憶とはどこか違う、どこで意識に紛れ込んだかもよく分からない夢の様な朧げな世界では、悟史を帰ってくることを信じきれずに全てを疑い、そして全て壊し尽くし深い後悔をした気がした。
あまりにも生々しい感覚に怖くなり魅音にだけそんな夢の様な話を打ち明けたが、意外なことに茶化すこともなく真顔で耳を傾けてくれた。今の詩音は絶対にそんなことをしないよ、と優しく抱きしめてくれた。
私達姉妹が入れ替わってから色々なことがあった。時には恨むこともあった気がする。
でも、魅音にこの話をしたあの時、姉の優しさに包まれたあの時、心の中でささくれていた何かが解けたような気がした。
そこに始めて素直に受け入れられた自分がいた。“魅音”へのさよなら。そして、今の私は“詩音”であると。
悟史君が目を覚ましたらもう一度、私達姉妹だけの秘密を教えてあげるからね。
静かに眠り続ける悟史の顔を見つめながら、密かな約束を交わしていると背後から響く小さなノックの音で意識が現実に戻されてしまった。
「……はい、どうぞ」
返事をしながら腕時計に目をやると、刻まれた時刻は思っていた以上の数字を示していた。
「……申し訳ございません、詩音さん。そろそろよろしいですか?」
悟史君との面会は時の流れるのを忘れてしまうのもいつものことだったが、こうして監督が済まなそうに声を掛けてくるのもいつものことだった。
「いいえ監督、こちらこそすいませんでした。…時間、過ぎていたんじゃないですか?」
「この程度なら問題ありません。楽しそうにされているのを見て、声が掛けるタイミングを逃していただけです」
「お気遣いありがとうございます。…悟史君、具合はどうですか?」
「……先週から特に変化はありません。ですが、先日お話した通り病状は格段と良くなっています」
「…そうですか、……ですよね、まだ一週間しか経っていませんし。監督、引き続き悟史君のことよろしくお願いしますね」
予想していた答えとはいえ、改めて監督の口から告げられるとやはりがっかりしてしまう。
――駄目だ詩音、私が悄気てると監督もきっと落ち込んじゃう。
気を取り直して、沈んでしまいそうになる声を無理矢理明るくさせたが、やはり監督の目には侘びを乞うような悔悟の光が宿っていた。
私はあの光の源が悟史の件だけではないのを知っているので、その度に目を逸らして気が付かないふりをしていた。
――……駄目だ、駄目だ。これは監督には何の責任もないことなんだ。
小さな息を吐き、一呼吸置くと声の張りを普段よりも少し強めにして切り出した。
「お時間取らせました、監督。それじゃあ行きましょうか」
「…はい、それでは出ましょうか」
過剰演技だったのだろう。思っていた以上に弾みすぎた私の声に戸惑ったのか一瞬、言葉を詰まらせた監督だったが表情はいつもの穏やかな物に戻っていた。
「おやすみなさい、悟史君」
監督には聞き取れない程の小声で別れの挨拶をかける。
部屋を出て部屋にロックを掛けると、照明が自動で落ち再び暗闇が彼を包んでいく。
もう何度も見た光景だったが、暗闇に解けていく悟史の姿がどこか不吉なことを連想させるので、後ろ髪を引かれる思いはあったが完全に消灯してしまう前にはどうしても部屋から目を逸らしてしまっていた。
部屋の照明が完全に消えたらしく、立ち竦んでいる私の影は薄くなり足元がだいぶ暗くなった。
そんな中、計器が一定のリズムで鳴らす無機質な音の中に僅かながら異音が混じっているのに気が付いた。
「……詩音さん、どうされました?」
地上に出ようとしたが立ち尽くしたままの私に監督が気付くと怪訝そうな声を掛けてきた。
聞き間違えなんかじゃない、確かに何か聞こえた。今のは一体、何の音…?
この異音の発生源はどこだと集中していた私は監督を無視してしまった。
だが、無視したことはともかく無意識のうちに触っていた箇所がまずかった。
「……詩音さん、耳の調子が?」
遅かった。監督に再び声を掛けられ気付いた時にはもう遅かった。振り返ると、心配そうに見つめている監督がそこにはいた。
“あの事件”は奇跡的にも大きな怪我人を出すこともなく終わったとされていた。
だが、正確には半年経った今でも一人だけ癒えぬ傷を負っていた者がいた。……その一人とは私だ。
園崎本家の地下室で繰り広げられた銃撃戦。その際に私の近くで爆発が起こり、左耳を傷めてしまったのだ。
当初は一時的な物だろうと思っていたが事件後、しばらく経っても聴力の戻りが思ったより悪かったので、悟史の面会ついでに監督に診てもらったところ音響外傷による難聴と診断されてしまった。
幸いにも傷の程度も重くはないらしく投薬だけで治療は可能だそうだが、診てもらうまで受傷から少し時間が経ったために回復するまで時間がかかりそうなこと、それと元の聴力に全快するのは極めて難しいとのことだった。
私としては治療中の今でも日常生活を過ごすのに何の支障をきたしていないので特に気にしてはいなかったが、監督は私が受傷したことを知りながら私が診てもらうまで診察しなかったことを気の毒になるくらい後悔していた。
恐らく傷を負った原因は自分たちにあるとすら思いつめているのだろう。
表向きは気丈に振舞ってくれるが、どんなに言葉を掛けても監督の私を見つめる目には悲しい色が見え隠れしてしまっていた。
「……監督、いつも言っていますけどこれは監督が責任を感じるようなことじゃありません。第一、あの頃は事件の後始末で普通の診療する時間なんて監督にはなかったじゃないですか。それに、本当に調子が悪かったら他の病院にすぐに行けば良かっただけの話です」
監督の気持ちは分かってはいたが、そう大した傷でもないのに同情的な目で見られるのも本人としては気持ち良い物ではない。
それに、わかったと返事をするだけで一向に態度を改めてくれない苛つきもあって、つい少し強い口調でまくしたててしまった。
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