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神隠し編(かみかくしへん)



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aksk
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遠野江河
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惑居狼
夕輝秋葉
藤本和明

 入江が恐れていた言葉が、遂に富竹の口から発せられる。ようやく封印されたはずの忌まわしい記憶が、堰を切ったように入江の脳裏に溢れ出してきた。
 バランスを崩した時に見せた、驚愕する鷹野の表情。床に打ち付けた背中の痛み。微動だにしない、鷹野の体を見下ろしながら感じた恐怖心。決して忘れる事が出来なかった事が、昨日の事のように鮮明に思い出される。
「あれは……」
 私が殺したんだ。喉元まで出掛かった言葉を、入江が辛うじて飲み込んだ。富竹は、鷹野が死んだ後の事を知らない。鷹野の存在が、この世から居なくなった後の世界は、入江にとってどれほど幸福であったか。決して、入江は鷹野の死を望んでいた訳ではない。しかし、鷹野の死は入江の周囲に存在する人々にとってどれほど好影響を及ぼした事か。
「あれは、事故だったんです」
 きっぱりと、決意を持って入江は断言した。富竹の鋭い眼光に負けじと睨み返す。視線の先が富竹のものにぶつかり、見えない火花が散る。ふぅ、と諦めたようなため息を富竹はつくと、入江の顔から自分の顔を離した。
「入江所長なら、本当の事を教えてくれると思ったんですが。とても残念です」
 富竹は、少し落胆したような表情で小さく呟いた。
本当の事だと? 彼に本当の事を話せば、どういう反応が返ってくるだろうか。
鷹野が死んだお陰で、悟史の命が救われた事。
 鷹野が死んだお陰で、研究の成果が上がり沙都子を救う事が出来た事。
鷹野が死んだお陰で、入江機関の雰囲気が明るくなった事。
全てをぶちまけてやりたい気持ちに駆られたが、その衝撃を辛うじて抑制する。それが富竹を傷つけるには充分すぎる程の威力を持っている事を、入江は充分に承知している。最愛の人を失った者に対して、残酷な現実を突きつけられる程、彼は人の心を失っていなかった。
「鷹野さんの事は、残念に思っています。しかし、あれは仕方の無い事故だったんですよ、富竹さん」
 声を絞り出すように、入江は告げる。俯いていた富竹は、ゆっくりと入江の方を見た。視線が絡み合った所で、入江は力強く続ける。
「富竹さんも、早く鷹野さんの事は忘れた方がいい。その為には、鷹野さんとの思い出が残る雛見沢から離れた方がいいですよ」
 入江は、精一杯の優しさを持って、富竹に対する言葉を紡いだ。わかりました、と富竹が頷くのを見て少し安堵する。
しかし、入江の優しさは富竹の次の言葉によって無残にも引き裂かれる事となった。
「よく、わかりました。入江所長の今の言葉を聞いて、疑惑が確信に変りました。やはり、鷹野さんの死には何かが隠されている」
 富竹の目は、またも鋭い光を宿していた。
「おかしいと思ったんです。鷹野さんの不審な死とそれに続く東京の政変。そして、それの調査を主張した僕の監査役の解任。鷹野さんの死を巡って、何かが隠されている。全てが一つの糸で繋がっていると考えれば辻褄が合う事なんだ」
 富竹の言葉に、入江は頭を殴られた様な衝撃を受けた。入江の言葉が届かない所か、既に富竹は悪夢の中に囚われていたのだ。最愛の人を失った悲しみが、彼の心を散り散りに引き裂き、有りもしない陰謀論へと駆り立てている。まるで、鷹野がこの世に残した未練の涙が、富竹を暴走へと導いているかのように。
強い決意を持って入江を睨みつける富竹に対して、入江はかける言葉を見失い、ただ呆然と彼の姿を見つめていた。
その膠着を破るかのように、遠くから車のクラクションが甲高い音を響かせた。音の方を見やると、白いワンボックスがこちらの方に向かって来ているのが見えた。道路の真ん中で、富竹と二人で立っているから警告音を鳴らしたのだろう。
富竹は、車が近づいてくるのを見ると慌てて近くに停めてある自転車に飛び乗った。近づいてくるワゴンの様子を窺いながら、呆然と立っている入江を一瞥する。
「入江所長。僕は、必ず鷹野さんの死に隠された陰謀を暴いてみせる。必ずだ」
 そう言うと、富竹は猛然と自転車を漕ぎ出した。あっという間に二人の距離は離れていき、富竹の姿は徐々に小さくなっていく。再会の衝撃から立ち直る事の出来ない入江は、小さくなっていく富竹の姿をただ見つめる事しか出来なかった。呆然とする入江の横に、白いワゴン車が急停止する。
「大丈夫ですか!! 入江所長」
 ワゴン車から降りてきたのは、小此木を始めとする山狗の隊員達だった。
「ようし、奴は自転車で逃走中だ。鶯と雲雀の両班は、車両で富竹を追跡しろ。白鷺は移動本部での連絡部隊だ。鳳は診療所で待機、富竹を発見次第、捕獲班として動けるようにしておけ」
 何事が起こったのか判らない入江を尻目に、小此木はテキパキと無線で指示を飛ばす。その指示を受けて、山狗の隊員達も慌しく動き出した。
「富竹さんの追跡? それに捕獲って一体どうしたんですか!!」
 ようやく精神を回復した入江は、今度は小此木に詰め寄った。小此木は厳しい表情を崩さないまま入江に答える。
「先程、調査部に潜り込ませてある諜報員から連絡がありました。富竹二尉は自衛隊を離職、そのまま行方を晦ませたとの事です」
「自衛隊を辞めたんですって。だからと言って捕まえる必要などどこにあるんですか」
「富竹は、離職前に鷹野三佐の事件を探っていたようなんですよ。どうやら奴さん、三佐の転落事故を何かの陰謀だと勘違いしているらしい」
 小此木の言葉に、入江は富竹の言葉を思い出した。入江が一年間、ここ雛見沢でささやかな幸せを満喫していた時に、富竹は有りもしない陰謀の尻尾を捕まえるべく調査をしていたのだろうか。たった一人で孤独に打ち震えながら、最愛の人の命を奪った殺人鬼に対する復讐の想いを胸に秘めて。
想像した入江は、体の芯から込み上げてくる悪寒を振り払う為に小さく身震いした。一年に渡る調査の結果、彼は何を見つけたのだろうか。いや、疑心暗鬼に駆られる彼を納得させられるような事実は何も見つかるまい。あれは事故であり、その後の一連の流れも鷹野の転落死とは無関係に起こった出来事なのだから。しかし、それらの事実は富竹を納得させる事は出来なかったのであろう。工作による事実の隠蔽と誤解し、更なる妄想に包まれながら自衛隊を離れ、ここ雛見沢で入江の前に姿を現した事は容易に推測できた。
「入江所長。今の奴を放置しておけば村の連中に有る事無い事吹き込む可能性が高いです。秘密保持の為にも、早急に富竹の身柄を拘束しますがよろしいですかい? 」


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