▼ひぐらしのなく頃に〜誤報
滝のように流れる汗は、夏だからというだけではないだろう。
見上げると、長く急な石段はまだまだ終わってくれそうにない。
ポケットから取り出したハンカチはすでに充分湿っていて、大して汗を吸ってはくれなかった。
「これは……少し痩せたほうがいいかもしれませんね……」
誰にともなく独語する。
最近……ではないが、確かに腹が出てきたのは否めない。ベルトが締まらなくなったのでサスペンダーに変えたのが、この腹をここまで成長させた原因だろう。人間、ある程度の拘束や自覚がないと駄目らしい。
息も絶え絶えに石段を登りきり、大きな鳥居をくぐる。
神社の境内には、祭りの準備に勤しむ人々の姿があった。
「刑事さん、もう見回りかい?」
「毎年ご苦労さんだねえ。当日は無理だろうから、今から一杯やってくかい?」
毎年顔を出しているおかげで、村の住人たちも気軽に接してくれる。刑事という肩書きを抜きにして、村の一員のように迎えてくれているのがとても嬉しかった。
「お誘いは嬉しいですけど、今も一応勤務中ですからね。またの機会にお呼ばれしますよ」
赤い顔で署に戻ると上司にどやされますから、と冗談めかして言うと、既に酒の入った場がどっと沸く。こういった何気ないやり取りもまた、自分が彼らに受け入れられている事が実感できて好きだ。
早々と酒盛りをしている連中に挨拶をし、見回りを再開する。
予め署に提出されていた出店配置図と見比べながら、違反している屋台がないかどうかチェックして回る。
境内の見回りが終わり、神社の裏手に足を運ぶと、懐かしい男性の姿があった。
「おや、富竹さん」
富竹は声に振り向くと、人懐っこい笑顔を返してきた。
「これは大石さん。お久しぶりです」
「今年はいつもより早いですね。やっぱりお目当ては――」
「ええ。今年は綿流しの祭りを、数日前からドキュメント形式で撮影しようと思って」
「ほ〜、それはそれは」
フリーのカメラマンだと自称する富竹は、毎年この時期になると雛見沢を訪れる。こんな田舎祭りの写真を撮って何が面白いのかは判らないが、村の連中は彼の事を「毎年祭りを見に来る人」という感じで容認している。
大石は、彼が不審な行動をとらない限り深くは追求しないが、内心では胡散臭い人物だという印象を持っていた。
「それで、こんな人気の無い所で何か面白い物が撮れるんですか?」
軽く含みを持たせた質問をする。盗撮など、何か良からぬ事をしていないかという意味だ。
富竹はそれに気づいたのかそうでないのか、普段から笑っているような顔をますます笑顔にする。
「撮れますよ。とてもレアな物が」
「レア……ですか」
「ええ。何せ綿流しの祭りで奉納する舞の練習風景ですから。これは祭具殿の中の次くらいにレアですよ」
そう言って富竹は、肩越しに後ろを振り返る。その視線の先を追ってみると、巫女装束の少女――古手梨花《ふるでりか》が懸命に舞を舞っていた。
◆
梨花は小さな体には不釣合いな、大きな鍬を振っている。
祭具として使用される鍬は農具とは形状が違い、あちこちが装飾されている。刃先も金色に塗装され、見た目は豪華だがいかにも重そうだ。それを持って舞うとなると、大人でも少々辛いだろう。それが小柄な少女ともなると尚更だ。
梨花の手には、滑り止めなのか手にマメを作らないためなのか、衣装に不似合いな軍手がはめられていた。
それでも額に玉のような汗をいくつも浮かべ、一心不乱に舞い続ける姿はまさに巫女が神に捧げるに相応しく、無粋な軍手を差し引いても神々しさを感じさせた。
梨花の動きが、見得を切るようにぴたりと止まる。ゆっくりと気をつけの態勢に戻ると、それまで真剣だった表情が、瞬く間に笑顔に変わった。
「これでおしまいなのです」
愛くるしい笑顔でそう告げる梨花に、ぱちぱちと拍手が贈られる。
どうやら見物していたのは自分たちだけではなかったようだ。少女の前には、彼女の学友たちが勢揃いしていた。
「はう〜、梨花ちゃんすっごくかわいかった〜。これはもう、お持ち帰りするっきゃないって感じだよね? よね?」
「おいおいレナ、顔が逮捕モノだぞ……。けどすっげえ良かったよ、梨花ちゃん」
「うんうん。おじさんからも、惜しみ無い拍手を贈らせてもらうよ」
「お〜ほっほっほっ。梨花の実力をもってすれば、観客総立ちのスタンディングオベーションくらい当然の事ですわ」
まるで自分の事のように自慢する沙都子に、圭一が「どうしてお前が偉そうなんだよ?」とツッコミを入れると、レナと魅音が笑い出す。
「みんなありがとうなのです。これならボクも、自信をもって本番に臨めます」
「本番も絶対見に行くからね。はう〜、今から楽しみだよ〜」
みんなの賞賛に、梨花は満面の笑顔で応える。
楽しそうな笑い声。子供が仲良く戯れている姿は、いつ見ても微笑ましいものだ。
そんな彼らを見つめる大石の隣では、富竹が熱心にシャッターを切っていた。
たしかに、今は絶好のシャッターチャンスだ。神秘的に舞う巫女の姿も良いが、今の子供らしい純粋な笑顔の方が、多くの人の目を引きつけるであろう。
無心で写真を撮っている富竹には声をかけず、大石は静かにその場を去った。
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