鷹野三四はこう考えた事があった。
古手家の第一子が八代続いて女児であった場合、オヤシロさまが生まれ変わる。
結果として、オヤシロさまの生まれ変わりだと言われているのが、古手梨花だ。
だが、本当にそうなのだろうか?
第一子に女児が八代続いて生まれる確率。それは奇跡と呼ぶ程に可能性の低いものではない。遺伝的要素などを排除して単純に男児が女児のどちらかが生まれると言う、二分の一が八回繰り返されるのだと計算すれば、サイコロを三つ振って全て同じ目が出るのと大差の無い確率だと言えるだろう。
だからと言って、それが現実味のある数値だと言える訳ではない。
オヤシロさまの生まれ変わりと言われている古手梨花の誕生には、何らかの人的要素が関与しているのではないだろうか?
人的要素といっても、百年以上も前に男女の産み分けなどという技術が確立されていたとは到底考えられない。
ならば、逆に考えるしかないだろう。
つまり、第一子として生まれた男児は、全て『産まれてこなかった』事にされたのだ、と。
そして、その鷹野の推理は正解だった。
古い時代の鬼ヶ淵は、度々飢饉に見舞われては多くの命が失われる、貧しく厳しい土地だった。
そんな生活の中で人々は村の守り神であるオヤシロさまを信仰する事で、何時か村が救われるのだと信じていた。
だが、中々改善されない生活が何十年、何百年と続くうちに、人々はオヤシロさまを信仰するだけではなく、オヤシロさまそのものに現れてもらわなければならないのだと、考えるようになった。
オヤシロさまそのものではないが、オヤシロさまの生まれ変わりが誕生する条件は、遥か昔から伝えられている。
オヤシロさまの直径の一族だとされる古手の家に生まれる長子が、八代続けて女子であった場合、八代目にはオヤシロさまの生まれ変わりが誕生するのだという言い伝えが。
代が入れ替わるには、最低でも二十年ほど、遅ければ三十年、四十年掛かる事もあるだろう。
だが、何百年にも亘る苦難の歴史を歩んできた鬼ヶ淵の人々は、それに縋った。
二百年近く掛かるかもしれない遠大な救済を求めた。
その任は、古手を中心とした、園崎、公由の御三家が請け負う事となり、ある取り決めがなされていた。
内容を要約すると、オヤシロさまの生まれ変わりを誕生させるべく、古手家頭首の家で第一子の妊娠が判明した時点で、妊婦は出産を終えるまで村の人々から姿を隠し、女児が産まれた場合はそれを村中に盛大に発表するが、男児であった場合は、その事実そのものを無かった事として、産まれた男児を『間引く』べし。
他にも家を分かつ原因ともなるとして、長子の双子に対する間引きや、食糧難の際の口減らしなど、間引くという行為に対しての様々な取り決めがなされていった。
そして、もっともオヤシロさまの血を濃く受け継ぐと言われている古手家のものを『間引く』役は、もっとも鬼の血を濃く受け継ぐと言われる園崎家が請け負うべし、という取り決めがなされた。
更に、園崎家にも取り決めが設けられていた。
いくら鬼の血を濃く受け継ぐと言われている園崎家でも、同じ御三家に数えられ、しかもオヤシロさまの血を受け継いでいると言われる古手家のものを手に掛けるという行為には難色を示し、園崎一族の末席のある一族にその任を与え、更にはその一族には園崎の姓を名乗らせないようにする、という結論に落ち着いていた。
オヤシロさまを生まれ変わらせる為に、オヤシロさまの血を引くものを『間引く』という任を化せられた一族は、その任と同じ読み方となる『馬曳(まびき)』の姓を名乗る事となった。
明治維新後、鬼ヶ淵を取り巻く情勢は緩やかに、しかし、良い方に変わった。
それまでは閉鎖されていた故に気付かれなかったが、鬼ヶ淵周辺の自然には世界的にも珍しい動植物が多く生息している事が分かり、研究者たちから飢饉でも死者が出ない程度の援助は受けられるようになった。
それまでは困窮した際には食していた野草や、何気なく捕まえて食料にしていた川魚なども、実は貴重な生物だったからだ。
食うに困ったといって貴重な研究資料を食われては堪らないと考えた学者、研究者たちが、代わりの食糧援助などを約束したのだった。
生活が改善に向かって数十年も過ぎると、村人の中からは、オヤシロさまの生まれ変わりを誕生させようという意識は希薄になり、やがて消滅に近い状態になっていた。
だが、御三家は違っていた。
百年以上の長きに亘り、行ってきた数々の『間引き』の歴史を正当化する為にも、オヤシロさまの生まれ変わりを誕生させねばならないのだという意識を、深く、強く、持ち続けていた……。
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お魎と宗平が一緒になり、数年の歳月が流れ、古手家の頭首の妻が第一子を身篭っていた。
その時点において、古手家は六代続いて第一子が女児だった。
それまでに『間引き』が行われたという記録はどこにも残っていない。
ただ口伝によれば「古手家頭首の妻の姿が見えなくなった」という噂が村に流れた数が六回以上はあったようだ。
やがて出産の日が来た。
当然のように『間引く』ものとして、辰政にも召集が掛かっていた。
辰政が小屋の外で待つ事数時間、産声が辺りに鳴り響いてきた。
その数分後、何人かの園崎家、公由家の人間が、沈んだ顔で小屋から出てきた。
その内の一人が、こっそりと辰政に耳打ちするように、告げた。
「男の子だったよ」と。
遂に来るべき時が来てしまったのか、と、辰政は思った。
そこへ、
「辰さん、久しぶりだねぇ。私の祝言の時以来じゃないか」
お魎が声を掛けたのだった。
「少し歩かないかい?」
お魎に誘われて、辰政は夜道を歩いていた。
お魎が話しかけるばかりで、辰政は曖昧な相槌を繰り返していた。
これから行われるであろう『間引き』について、少しでも考えないようにしようとしていたお魎だったのだが、誤魔化しきれないと諦めたのか「ふぅ」と大きな溜め息を吐いた。
「園崎の頭首としての私がこんな事を言っちゃいけないんだろうけどさ、何の罪も無い男の子を『間引き』してまで、どこの誰だか分からないオヤシロさまなんて神様を生まれ変わらせなきゃならないのかねえ?」
「あなたは、『間引く』事に反対なのですか?」
昔とは変わった、あくまでも仕えるものとしての口調だったが、辰政はようやく口を開いた。
「頭首としちゃあ、今まで受け継いできて後二代にまでになった、オヤシロさまの生まれ変わりを生み出す事を考えなきゃいけないんだろうけどね、今の私個人としたら、どうあっても賛成は出来ないよ……」
お魎はそう言って、自らの腹を撫でた。
その仕種を見て、辰政にも分かった事が有った。
「ひょっとして、身篭っていらっしゃるので……?」
「あははは、そうらしいんだよ。さっき来た産婆さんに診てもらって分かったばっかりなんだけどね。多分二月(ふたつき)だってさ。ただね、こうなると思うんだよ。お腹の中の子が、男でも女でもどっちでも良い。元気に産まれてくれさえすれば、って。きっとね、古手の奥方だってこんな思いだと思うんだよね。それを考えるとどうしても『間引いておくれ』とは言い難くてねえ」
そこで会話が再び途切れた。
幾らかの時間が過ぎた後、徐に辰政が踵を返し、もと来た道を引き返し始めた。
「ちょいと、急にどこへいくんだい? 辰さん?!」
「………任を、果たして来ます。例え何があろうとも、頭首はお気になさらぬように………」
振り返る事無く、お魎に背を向けたままで答える辰政。
「そうかい……。止める訳には、いかないよねえ……」
お魎の諦めに満ちた言葉を背に受け、辰政は歩き始める。
「子どもの頃は『小町ちゃん』で、今は『頭首』か。辰さん、結局私の事を『お魎』とは呼んでくれなかったねえ………」
何気なく呟いた、お魎の少し寂しげな言葉。
それは、お魎には何の悪気も無い言葉だったが、辰政には堪えた。
『小町ちゃん』と呼んでいたのは、あくまでも教え子であるのだと自分に言い聞かせる為に敢えて子ども扱いしていた為。
『頭首』と呼ぶのは、園崎に仕える一族の立場を弁える為。
『お魎』と呼ばなかったのは、お魎を一個人として見ないようにしようとしていた、虚しい努力。
そしてそれが、お魎が見た辰政の最後の姿となった………。
<続く>
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