一年後
「喜一郎! 今だよ!!」
「よしっ!!」
お魎が怒涛の攻めを見せ、辰政を防御一辺倒の状態に追い込んでいた。
以前からお魎自身が言っていたように、駆け引きなど全く無い、ただ単なる、だが相手に反撃の機会を与えない、烈火の如き攻めだ。
お魎の攻めを捌くのが精一杯の辰政には、更に攻撃に加わった喜一郎に対応する事は困難を極めた。
「うりゃあぁぁっ!!」
気合とともに喜一郎の繰り出した逆胴の一撃が、見事に辰政の脇腹に命中していた。
「痛ぅ!! 参った、降参だ! 俺の負け!!」
打たれた脇腹を押さえながら、顔を顰めて辰政が負けを宣言する。
その時点では、お魎、喜一郎が二人同時に掛かれば、辰政との稽古でも十回に八回は勝てるようになっていた。
ただその時の二人には、相手を攻め立てて怯ませる役割がお魎で、着実に相手にとどめを刺すのが喜一郎という、以降何十年にも渡って続けられる事になる『影の実力者』と『公の立場での長』という二人の役割の土壌が作り上げられている事には気付いてはいなかった。
「ああ、もう二人一緒にだと稽古なのか、俺でうさばらししているのか分からんようになったな。次からは一人ずつ稽古を付けるようにしよう」
脇腹と額(脇腹への一撃に怯んだ隙にお魎が素手で殴った)をさすりながら辰政が言い、翌日からはその通りの稽古が行われる事になった。
お魎と喜一郎が、一対一でも辰政に勝てるようになったのは、それから更に一年後の事だった。
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更に月日は流れた。
その日は、お魎と宗平の祝言だった。
御三家として喜一郎も、そしてお魎の教育係的な存在であり、姓は違うが園崎の一族でもある辰政も参加して、村の伝統に則り、古手神社において、厳かに祝言は行われた。
祝言を終えての夜、園崎の屋敷では一族や御三家、村の有力者たちが集まってのお祝いの宴会が開かれていたが、そこに辰政と喜一郎の姿は無かった。
「こんな所にいたのかい、辰さん?」
鬼ヶ淵村から少し離れた町(昭和58年においては興宮の『エンジェルモート』がある辺り)の小さな居酒屋で、一人手酌酒をしている辰政を発見した喜一郎が声を掛けた。
「お前だって『こんな所』に来てるじゃないか。小町ちゃんのお祝いはしなくて良いのか、喜一郎?」
少し酒で顔色を赤くしているが、口調や仕種には全く酔った素振りを見せていない辰政が振り返って答えながら、自分の隣に座るように喜一郎を手招きする。
喜一郎は無言でそれに従い、熱燗を一杯頼んだ。
「で、なんでお祝いに出ないんだい?」
喜一郎の問い掛けに、無言のまま銚子に一杯の酒を飲み干してから、辰政が答えた。
「俺は園崎の一族だが園崎を名乗っていない。敢えて園崎から離れた一族、馬曳家の人間。それも最後の一人だ。俺達がなんで園崎を名乗らないか、喜一郎だって知っているだろう?
他に年齢の近いものがいなかったから、仕方なく俺にお前達の世話係がまわってきただけで、本来なら俺達は公に園崎とは係わっちゃいけないんだ」
そこで辰政はもう一度酒で口を湿らせた。
辰政のいう意味は、喜一郎にも分かっていた。
彼ら一族は、御三家のある『遠大な計画』を実行する為に、百年以上も前に園崎の家から分家したのだ。
その任務は、表立って園崎や公由の家から依頼出来る類のものではない。
必要な事態が発生した際に、誰に言われずとも『気を利かせて』行動するのが彼らの一族の役割だった。
「だから、お魎さんの祝いの席にいちゃいけないっていうのかい?」
空になった辰政の銚子に喜一郎が酒を注ぎながら言う。
「ああ、園崎家次期頭首様の祝いの席に俺なんかがいちゃあ、親類連中から小町ちゃんが悪くみられてしまうからな」
辰政はそう言いながら注がれた酒を飲み干して「ふぅ」と息を吐きながら、
「っていう言い訳が出来る立場で良かったよ………」
と、聞き取れないような声でポツリと漏らした。
喜一郎は聞こえていたが、敢えて深く追求はしなかった。
「私も似たようなものだよ」
追求する代わりに喜一郎が言う。
「辰さんを探してくる、って口実があって良かったよ。分かってはいたんだけどね。私は公由の次期頭首で、お魎さんは園崎の次期頭首。家柄やら何やらの柵で、絶対に届くはずの無い気持ちだっていう事は。分かってはいたんだけど、やっぱりあの席にいるのは辛かったよ。好きな女が、他の男と一緒になるのを祝わなきゃいけない席にいなきゃいけない、ってのは、ね」
辰政は一言、「そうか」と呟いて少しの間黙りこみ、口を開いた。
「まったく。俺は教育係失格だよな。教え子に惚れちまうなんて、無様なもんだよ。これでも気にしないように努力したんだぜ。わざと『小町ちゃん』なんて本人の嫌がっているあだ名で呼んで子ども扱いしてみたりして、あくまでも相手は教え子なんだって、何度も自分に言い聞かせたよ。けど、惚れちまったらもう駄目だな。宗平の事も知っているし、とんでもなく頼れる男だってのも分かっちゃいるんだが、俺以外の男と幸せそうにしているのを見るのは、辛いわ……」
そう言って酒を飲もうとしたが、既に空になっていた。
「すみません。この店で一番良い酒、一升頼みますよ」
それは喜一郎の言葉だった。
「辰さん。今日は私のおごりだよ。一緒に飲み明かそう」
「ははは。同じ女に惚れて振られた男同士で酒盛りか。まったく、色っぽさの欠片もありゃしねえな」
自嘲気味に笑いながらも、辰政は席を立とうとはせずに、喜一郎に注がれた新しい酒を飲み干した。
「ふぅ。今夜は幾ら飲んでも、酔えそうにも無いな………」
「まあ良いじゃないか。パっと行こうよ、辰さん」
そう答えながらも、喜一郎は辰政が相当酔っている事に気付いていた。
酔ってでもいなければ、お魎への想いを口にしたりするような男ではないと知っていたからだ。
「私も辰さんも、家柄やら立場やら色んな柵(しがらみ)が多いねえ。そんなものが無い村を作りたいよねえ」
「ああ。そんな村を、見てみたかったよ………」
相手に想いを告げる事も出来なかった男二人の酒宴は、翌朝まで続いていた………。
この日を境に、辰政は鬼ヶ淵に姿を見せなくなった。
数年後、ある事件が起こるまでは………。
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