ガツン、ガツン――
木刀と木刀がぶつかり合い音。
一人の男が一組の男女に剣術の稽古をつけているようだ。
女は園崎お魎。男は公由喜一郎。
そして、二人の相手をしている男は、馬曳辰政(まひき たつまさ)。
園崎の一族に連なるが、園崎の姓を冠しない珍しい家系の人間である。
鬼ケ淵御三家の次代の頭首となるお魎や喜一郎よりも少し年上であり、二人の教育係的な立場として、文武に亘り指導に携わっていた。
「ほら、喜一郎! 息が上がっているぞ!」
辰政が腰を落として一気に踏み込み、一瞬のうちに喜一郎の木刀を弾き飛ばしていた。
「うわぁっ!!」
木刀を弾かれた勢いで、後ろに尻餅を付いて倒れてしまう喜一郎。
だが、喜一郎を倒した一瞬、辰政はお魎に対して背を晒す体勢になってしまっている。
その隙を見逃すお魎では無かった。
先刻の辰政の如く、否、辰政を僅かながらも凌駕する速度で踏み込み、辰政の背に向けて木刀を振り下ろす。
一撃必倒の威力を持った、その時点においてのお魎に可能な最高の一撃だった。
だが、お魎の木刀は空を切り、強く地面を打っていた。
「――ッ?!」
両手に伝わる痺れを堪え咄嗟に左右を見回したお魎の背後から、
「小町ちゃんは相変わらず攻め一辺倒、一撃で倒す事しか考えなさ過ぎ。 全力の一撃は読まれやすいし後に大きな隙を生んでしまうって事を覚えなきゃ」
辰政の声がして、振り返った目前に木刀の切っ先が突きつけられていた。
「はあ、やっぱり辰さんには敵わないか」
「まったく! その呼び方はやめておくれって何度も言ってるじゃないか!」
口々にぼやきながら立ち上がる二人に、
「あははは。そうでもないぞ、喜一郎も小町ちゃんも剣術の腕は確実に俺よりも上だよ。ただ喜一郎、お前が使う『鬼の剣術』は普通とは動きが違うから、体に掛かる負担も大きいんだ。だから早く息が上がってしまう。身体そのものをもっと鍛えて体力と持久力を付けたら、もう俺なんか追い越しているよ」
「それなら体力を付ける為に、毎朝の走り込みの距離をもっと伸ばそうかな?」
「うん、それは良いかもしれない。その時に三貫(約11キログラム)程の砂を詰めた袋を背負っておいたら、もっと効果があるね」
「あはははは! そんな事したら倒れちまうよ」
辰政の言葉を冗談だと思った喜一郎は笑うが、
「うん? 俺は毎日五貫(約17キログラム)を背負って五里(約20キロメートル)程走ってるし、小町ちゃんだって三貫背負って鍛錬してるよ」
と、真顔で返されては、
「は、はぁ………」
絶句する以外に出来る無かった。
「それで小町ちゃんはいつも言ってるけど、駆け引きってものを考えなきゃ。技の威力、鋭さ、速度、全部上回っているのに、それでも俺から一本も取れないのは、いつでも全力で一撃で相手を倒す事しか考えていないからだよ。幾ら技術や力が有ったって動きを読まれたら簡単に返されてしまうんだからね」
「はぁ。ホントに毎回聞かされてるんだけどさ、そんなの私にゃ似合わないよ。動きを読まれてるっていうんなら、読まれてても相手が対処出来ないくらいに速度を上げて攻められるように技量を磨けば良いだけじゃないか?
大体さ、政(まつりごと)じゃあるまいし、剣術の試合で駆け引きだのなんだのって、一体何をやるってんだい?
試合にしても話し合いにしても、技量と技量のぶつかり合いだろ? 何にしたって技量が上のほうが勝つのさ」
「そんな事は無いよ。戦いっていうのは開戦前から既に始まっている、って言うだろう? 相手に全力を出させないようにする事だって立派な戦い方さ。
どんな達人だって回りに一切味方がいないっていう状況に立たされたら、本来の力の半分程度しか出せなくなるものだしね。そういう状況を作り出すのも立派な戦法だよ。
例えば、剣術の大会をするにしたって、自分の道場の門下生たちを呼んで、道場の中をいっぱいにして、相手にとっての『敵地』を、自分にとっての『地元の有利』を作り出す事も出来るんだ。『地の利』ってのは、何も地形を利用した戦術に限ったものじゃないのさ。
特に鬼ヶ淵は独特の方言が強い地域だからね。会場中を方言で包み込んでしまえば更に効果は高くなるよ。方言というのは聞き慣れた人間には安堵感を与えるものだけど、聞きなれない人間にはある種の『異郷の念』、孤立感みたいなものを感じさせる事も出来るから。
中央政府のお役人が地方の住民たちの言葉に萎縮してしまう事が多いって言われるのも、方言の力が少なからずあると思うよ」
全てにおいて相手を真正面から全力で圧倒する事を最善と考えるお魎は、辰政の教えを『揚げ足取り』のように感じて聞き入れようとはしていなかった。
「だから、そんなのは小細工だって言ってんだよ。小細工ってのは弱者のやる事さ! 私ゃいつだって真っ向勝負で相手を捻じ伏せたいんだよ!
それと、だ。『小町』って呼ぶのはやめてくれって言ってるだろ?!」
「えー? そんな勿体ない。せっかく世界三大美女って言われる小野小町にあやかって、鹿骨一番の美人って事で『鹿骨小町』なんてあだ名されてるんだから良いじゃないか?
そう呼んで欲しくても呼んでもらえない人だってたくさんいるんだよ?」
辰政はあくまでもとぼけた態度を崩さない。
そして、その態度はますますお魎をむきにさせる。
「私は呼ばれたくも無いのに呼ばれてる女なんだよ!!」
怒鳴りながら木刀で殴りかかるお魎だが、辰政は軽く体を反らして回避して、
「ははは。ダメだよ、そんな乱暴な言葉を使ったら。せっかくの『鹿骨小町』の異名が台無しになってるよ、小町ちゃん?」
そう言ってからかうような仕種を見せて走り出す。
「まだ言うか! 辰ぅっ!!」
木刀を振り回しながら追い掛け回すお魎と、お魎を更にからかいながら逃げ続ける辰政。
二人とも全力疾走に近い速度で動いているのに、まったく疲れた素振りさえ見せてはいない。
そんな二人を見て、喜一郎はまだ回復していない乱れた呼吸を整えながら思っていた。
「やっぱり持久力をつけないとダメだな……」と。
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