ありがとう
ペンネーム:ゴンベ
□
-昭和58.6.12‐
こうして筆をとったのは、どのくらいぶりのことだろうか。
ただ言えることは、これが私にできる精一杯のこと。
これ以上の奇跡は望まない。
これ以上の苦痛も望まない。
私達はこの手で必ず未来を掴む。
全てを終わらせて、そして全てを始める。
そのための記録。
□
夜の帳の下りた山間の村。
その一角、古手神社にある防災倉庫の二階。
そこでは今日も、梨花と羽入の、観客の居ないコントが繰り広げられていた。
「……って、いい加減にとっと始めやがれなのです。この下郎!」
有角の少女が、黒髪の少女を怒鳴りつける。
座卓の上には、食事を終えた食器が乱雑に並べられていた。
茶碗に残ったご飯粒が乾燥し、陶器にこびりついている。
「うっさいわね……あとでちゃんとやるわよ〜」
梨花は、左手で頬杖をついて寝そべっていた。
羽入に背を向け、テレビから垂れ流される野球中継をだらだらと眺めている。
「……やるから、お茶碗シンクにつけといてくんない?……ご飯粒おちないのよね〜」
そう言いながら、右足のつま先で器用に左足の膝のあたりをばりぼりと掻く。
羽入を顧みる素振りさえ見えない。
その様子を眺めていた羽入は、深い溜め息をひとつ吐いた。
「なんですかそのだらしなさは。あの夏を迎えた瞬間の凛々しさはどこへ行ったんですか!
……洗い物を当番制にしようと決めたのは梨花なのですよ?後回しにしないで、とっとと…」
「あ〜も〜!うっさいってば!」
梨花は苛立ったように起き上がり、羽入を睨みつける。
「山狗もいない、症候群の研究も順調!
こんなに平和なんだから、だらだらするのはむしろ子供の仕事よ!」
その時、テレビから一際大きな喝采が上がった。
慌てて画面に視線を戻す梨花。
画面には、逆転の一打を放った選手が、笑顔でダイヤモンドを回るシーンが映し出されていた。
「うっそ……」
再び画面に釘づけになる梨花。
そんな少女を見つめ、羽入は独り諦め顔で呟く。
「……もしボクが居なくなったら、梨花は独りでやっていけるのですか?」
数瞬うな垂れたあと、一段声を大きくさせた。
「ボクはちょっと出かけてきます。……ちゃんとやっておくのですよ!」
扉が閉まる音に、梨花が注意を払うことはなかった。
□
-昭和58.6.19-
永かった。
本当に永かった。
ただ、うれしい。
ありがとう。みんな。
ありがとう。梨花。
ありがとう。
□
海江田が鳴らす振鈴の音が、木造の校舎に響く。
どこなのんきで眠たげなその音は、昼の楽しい一時の始まりを知らせていた。
「きりーつ!」
卒業した魅音の後を襲う形で、委員長に就任した圭一。
授業の終わりを告げる彼の号令もそこそこに、教室では弁当箱という名の色とりどりの花が咲いていた。
「それ!くっつけろー!!」
圭一の掛声とともに、いつもの面々は机を並べ、お弁当を広げる。
……その中に生じる、ちょっとした違和感。
「梨花ちゃん……なんか今日のお弁当……あれだな……」
「みぃ、……黙りやがれこん畜生なのです]
普段の梨花は、とても年端の行かない少女の自作とは思えない、鮮やかなお弁当を披露する。
だがこの日に限って、彼女の目の前にあるそれは実に質素であった。
白米に申し訳程度のちりめんじゃこが散らされている。
傍らにはきんぴらごぼうと、真っ二つに切っただけのゆで卵。
つぶれた梅干しが、不格好に弁当箱のふたに張り付いていた。
それは、正に手抜きのお手本。
語る口を持たずして
『残り物かき集めて大急ぎでお弁当作ってみたらこうなりました』
と強烈に自己主張していた。
そして、もう一つ。
いつもは仲良く並ぶ梨花と羽入が、間に沙都子をはさんで着席していた。
……この日、二人は揃って遅刻してきた。
そして、登校した時から、二人の間には黒く濁ったなんともいえない重苦しい空気が漂っていた。
ふざけあいながら登校してくることが常であっただけに、
誰一人として二人に事情を問いただすことができないまま、昼食時間となってしまっていたのである。
その羽入のお弁当も、内容的には梨花と変わらない。
「……沙都子、昨日なんかあったのか?」
肌で感じる剣呑な空気。
圭一は、二人に挟まれてなんとなく居心地が悪そうにしている少女に話しかけた。
「わ、私は昨日ねーねーの所にお泊りで、そのまま直接学校に来ましたので……ちょっと解りかねますわ」
突然話題を振られ、困惑しながらも答えるもう一人の同居人。
圭一の疑問に、当人である有角の少女が答えた。
「単に今朝梨花が寝坊しやがっただけなのです。それから、そういうことは僕達の居ないとこで聞くべきなのですよ。
……魅音から委員長だけじゃなく、そんなとこも引き継いだのですか?」
いつになく毒を含んだその言葉が、圭一を抉る。
そんな彼を尻目に、名指しされた少女が声を荒げた。
「なによ、私のせいにするわけ?羽入が起こしてくれなかったんじゃない」
「梨花が自分で起きられないのは僕のせいじゃないのです。そもそも最近梨花はだらけすぎなのです。みっともねぇのです」
売り言葉に買い言葉。
梨花の方に視線を向けることなく、澄まし顔できんぴらごぼうをつつきながら、
羽入は辛辣な言葉で梨花を殴り返した。
「っ!またその話!?大体ねぇ……」
「スト〜ップ!そこまでだよ?だよ?」
それまで困った顔をしながら成り行きを見守っていたレナが、二人の間に割って入る。
「喧嘩はあと。せっかくのごはんがまずくなるよ?それに、私たちには私たちの、こういう時の解決方法があるでしょ?」
やさしく諭しているようではあるが、レナの言葉の意味するものは重い。
部活で白黒を付ける。
強者こそが正義。勝者こそが絶対。
その意味をよく知る一同は、一瞬箸を止める。
表情をにこやかに崩し、レナは続けた。
「だから、今は仲良くお昼御飯たべるの。ほら、梨花ちゃん。レナのミートボールとゆで卵半分、交換しよ?」
梨花は不敵な表情を浮かべると、すぐに天使の微笑みを取り戻す。
「よろこんで交換するのですよ☆にぱ〜♪」
レナは、続けて羽入に視線を移す。
それに気づいた少女も、にたりと口角を歪ませる。
そして、おもむろに箸を伸ばした。
「そうと決まれば、腹が空いては戦はできねぇのですよ。あぅあぅ☆」
「あ〜!羽入!てめぇ俺の唐揚げ!」
穏やかで騒がしい、普段どおりの昼食が帰ってくる。
レナはそれを、微笑ましそうに眺めていた。
□
-昭和58.8.5-
今日、梨花が目覚めた。
事故が起きた事は偶然。
彼女が乗り越えた試練は必然。
我ながら、意地の悪いことをしたと思う。
でも、これは彼女にとって必要なことだった。
そう。必要なことだった。
彼女に与えられた罰は、私も共に背負っていこう。
でも今は、素直に彼女の帰還を喜ぼう。
□
「……で、結局足引っ張りあって、レナに全部おいしいとこ持ってかれた、と」
人の悪そうな笑みを見せる、ポニーテールの少女。
興ノ宮にある、魅音のバイト先。
大通りから一本奥に入った路地に、その喫茶店はあった。
窓からは、西に傾きかけた日の光が差し込み、茶色を基調とした静かな店内を明るく照らしていた。
店員は魅音一人。
カウンターには、少女が二人と少年が一人、客として取りついていた。
背の高いスツールに浅く腰かけた少女達は、所在なげに足をぶらぶらとさせている。
「みぃ……うっさいのです」
コースターに置かれたガラスのコップ。
蛍光の緑色をしたクリームソーダで両手を冷やしながら、幾分気落ち気味に梨花は答えた。
「それにしても昨日は、梨花と羽入、二人そろってドベなんてらしくありませんことよ?」
カウンターに頬杖をつき、どことなくくたびれた様子で横やりを入れる少女。
沙都子は、梨花の隣に座り、スプーンをつまんでぐるぐるとココアをかき回していた。
「勝負はお昼で決まってたんだろうねぇ」
唯一の店員は、私服に茶色いエプロンを身に着け、カウンターに両肘をついてにやにやと小さなお客さん達の会話を聞いていた。
ストローを咥え、クリームソーダをぶくぶくと泡だてて梨花は遺憾の意を示す。
「で、なんで梨花ちゃんと沙都子はわざわざ興ノ宮まで出てきてるんだ?」
梨花の横から、それまで黙って話を聞いていた圭一が問いかける。
沙都子は、ため息で答える。
「……それはですね……」
□
部活の後、梨花と羽入が罰ゲームを終えて沙都子の待つ自宅へ帰ってきたのは、
夕日が村を赤く染める頃になってからだった。
「……ただいま」
血の気の引いた顔で、脂汗を全身に掻きながら、肩で息をする梨花。
ワンピースの肩紐が、僅かにずれ落ちている。
その言葉には、『もうしばらくなにも考えたくない』というようななげやりな感情が含まれていた。
「……ただいまです」
精も根も尽きはててぐったりとした羽入。
明後日の方を向きながら、彼女は機械音声のようなトーンで帰宅を告げた。
玄関に立ちつくす二人を見て、出迎えた少女は言葉を失った。
数瞬の静寂が防災倉庫の2階に広がる。
しばらくして自分を取り戻した沙都子は、取り繕うように挨拶を返した。
「……お、おかえりなさいませ」
部活の結果は惨々たるものだった。
レナの巧みな誘導に踊らされて頭に血の上った古手コンビは、勝負の最後、無理な博打に出た。
そして虎視眈眈と勝機をうかがっていたレナに優勝を攫われ、かわりに罰ゲームとして二人がレナに攫われ……
もといお持ち帰りされたのである。
「我ながら、よく逃げてこられたと思うわ……」
「あぅあぅ……同感なのです」
苦虫を噛み潰したような表情をしながら、互いの生還を確かめあう帰還兵二人。
幾分落ち着きを取り戻し、3人の少女は居間に移動する。
鉈姫の魔手から逃れるために協力を余儀なくされた羽入と梨花。
いつの間にかわだかまりが解けていることに二人は気付いていない。
「最近、レナのパパさんが再就職したから、レナも少し寂しいのかもしれないわね」
「それをボクたちで解消するのは勘弁願いたいのですよ」
そんな二人の様子をまじまじと眺めていた沙都子は、レナの本当の狙いに気づきつつ、噛み殺した笑いに肩を震わせていた。
「……ちょっと、さっきからなによ?沙都子」
おかしそうに笑いを堪える同居人に疑問符を投げつける梨花。
「なんでもありませんわ」
やはりおかしそうに、それに答える沙都子。
どこか釈然としていない古手コンビを労いながら、彼女は台所に立ち、夕食の仕上げに取り掛かる。
葱を刻みながら、沙都子は肩越しに友人たちに呼びかけた。
「そういえば、明日はどうします?圭一さんはなにか用事があるとか仰ってましたけど」
部屋に満ちる、包丁がまな板を叩く心地よい音と、出汁が沸騰するいい香り。
そんな平穏に包まれ、梨花は目を細める。
頬を緩めながら、彼女は答えた。
「魅音はバイトって言ってたわね。レナとは今日十分遊んだし……週に1度の休みだから、3人でゆっくりしましょうか」
そんな梨花に、申し訳なさそうに羽入が水を差す。
「……ボクも、明日はちょっと用事があるので出かけますのですよ」
その言葉を受けて、梨花はうんざりしたように大きく鼻から息を吐き出した。
「羽入、あなた最近付き合い悪くない?帰りも遅いし……一体何してるのよ?」
それまで台所に居た沙都子も、お盆を持って居間にやってきた。
3人分の配膳をてきぱきとこなしながら、梨花に加勢する。
「そうですわね。私も気になっていたところですわ。結局、昨日だって梨花が寝た後に帰っていらしたのでしょう?」
少女二人に問い詰められ、茶化してごまかそうとするオヤシロ様。
「あぅあぅ、な、内緒なのです♪
大人のレディーには、秘密があるものなのですよ♪」
「い、い、か、ら!早く教えなさい!!」
羽入に組み付く梨花。楽しそうにはしゃぎながら逃げる羽入。
平穏な夜が過ぎて行く。
……翌朝、梨花と沙都子が起きた時、既に羽入の姿はなかった。
□
梨花は話終わると、ストローで残り少なくなったクリームソーダを啜った。
グラスの氷が反響する音が、耳障りで、それでいてどこか心地よい音を響かせる。
「で、興ノ宮まで探しに来た、と」
ずずっ
魅音の問いに、黒髪の少女は再びグラスを啜って肯定の意を表す。
目的が達せられていないことは、疲れてご機嫌斜めになっている沙都子を見れば明らかだった。
うららかな午後の陽気が漂う店内を、どこかぐったりとした空気が澱む。
年少者達の疲れた表情に、少年はすこし困ったように店員を見る。店員である少女は、それに苦笑いを返した。
そんな二人の様子を見て、沙都子はじとりと隣に座る少年を睨みつける。
「そんなことより…」
突然向けられる、『ご機嫌斜め』の矛先。
その切っ先に、圭一はうろたえる。
「圭一さんこそ、何故ここにいらっしゃるんですの?今日は用事があるって仰っていませんでした?」
少年は、うっ、と言葉に詰まって身を引いた。
「な、なははは。いや、べつに、……え〜っと……
そ、そうそう!用事!用事だよ!用事が終わったから、ついでに魅音の店に寄っただけだよ!
……なぁ、魅音!」
自分に向けられた矛先をいなして、店員に話を振る少年。
急に水を向けられた少女は、狼狽しながら頬を赤らめ、あたふたと忙しそうに手元を動かす。
そんな様子をうんざりしたように眺めて、梨花はため息交じりに吐き出した。
「はぁ……いろいろとゴチソウサマ」
「あれ、もう行く?」
梨花はスツールから飛び降りると、魅音の問いかけに頷いて答える。
彼女が沙都子に手を差し伸べると、沙都子もそれに答えて席を立った。
「これ以上邪魔しちゃ悪いのです☆
……お会計してもらってもいいかしら?」
皮肉めいて猫を被り、それを脱ぎ捨てると、梨花はポシェットに手を伸ばす。
「ここ紹介してくれたの梨花ちゃんだし、今日は私の奢りでいいよ」
にぱ〜☆
満面の笑みで、梨花は店員の好意に答えた。
「助かるのです。ウチの家計もそうそう楽じゃないのですよ♪」
挨拶を交わし、扉に手をかける沙都子。
扉についたベルが放つ、澄んだ硬質な音に見送られながら、少女二人は店を後にした。
□
-昭和58.11.25-
夏の終わり以降、どうも体が重い。
100年に渡って無理をしてきたせいか、
無茶な力の使い方をしたせいか。
きっと両方だろう。
なんとなく理由はわかる。
対処を考えないと。
<続く> |