水の伝説、略して水伝
一応EBM(Evidence-Based Medicine)とかEBN(Evidence-Based Nursing)とかいう、根拠に基づいた医療を提供する身である。この場合の「根拠」とは、とりもなおさず「科学的根拠」である。ただそれには「現時点で最良最善の」という但書きがつく。

例えば褥瘡治療。わたしが最初に医療系の学校に足を踏み入れた約20年前は「とにかく乾かせ」なんて言われていて、オムツ交換のときに付き添い婦さんとかが患者のオシリにドライヤーをごんごんあてていたもんである。それが回り道して看護学校に再入学した約10年前には「肉芽形成のために湿潤環境を保ちましょう」なんてことになっていて。褥瘡の原因も「圧迫よりも摩擦とずれ」なんて言われるようになっていた。同じ根っこにあるところで、創傷ケアについても「完全な無菌操作、毎日消毒とガーゼ交換が感染予防と創部の回復によい」なんて言われてたのが、ほんのここ数年でこういう創傷ケアがスタンダードになりつつある。とにかく今この時点の「科学的根拠」の上に胡坐はかいていられない。ただでさえ後出しジャンケン後医は名医がまかり通るご時勢なわけで、たとえその時の最善を尽くしたとて、後から何を言われるかわかりゃしない。

そして医療に関して言えば相手は常に生身の人間、不確定要素高すぎ。いろんなデータから導き出された「科学的根拠」はもちろん大事だけど、たとえ「ありえねー!」みたいな一例報告でも、一度聞くようなことがあれば常に頭の片隅に「ありうる可能性」として置いておくもんである。

さて、首をつって、一度は心肺停止になって蘇生した場合、ずっと発見されたときの、ぶら下がっていたそのときの顔のままで止まってしまうらしい。これは別に根拠のある話ではないのだが、わたし達の病棟ではそう語り継がれている。そうかもしれない。今まで見てきた「首吊り」は5人、そのうち3人はすでに冷えるだけ冷え切った遺体として対面。そして二人は今、わたし達の病棟で「生きて」いる。ああみんなそういえば同じような顔になってるな、と思う。他に蘇生後脳症で入院している患者も多い。一度心拍が止まってもまた再開するぐらいだからみんな心臓にもともと力があって・・・というか実際に若い人ばかりで、だいたいが20代から40代である。原因は様々、溺水や地下作業中の窒息や原因不明の突然のCPAとかそんな感じ、でも彼らは「首吊り」の人のような顔にはなっていない。

「フランスの・・・なんていうところでしたっけ?奇跡の泉で有名なところがありましたよね」

と、ある日面会に来ていたその「首吊り」の蘇生後脳症患者の夫に聞かれた。彼女は40代の半ばで、夫もまたそれぐらいだろうか。休みの日の午後は必ず面会に来て、しばらくベッドの横に座って変わり果てた姿の、痛み刺激にも全く反応せず、ほとんど自発呼吸もなく、人工呼吸器頼りの換気を続けている妻の手を握って、日が暮れる頃に帰っていく。それを彼女が自殺を図ってからもう数年、ずっと続けている。

ああ、それってルルドのことじゃないですか?確かスペイン国境近くのキリスト教巡礼地で。と、わたしが彼女の高カロリー輸液のバッグを交換して、痰の吸引をしながらそう答えると

「息子が教えてくれたんですけど、1週間ほど休暇をもらって、そこに行って水を汲んでこようかなあ、って思ってるんです」

その水を汲んできて、彼がどう使いたいのかは聞けなかった。いや、わかっている。彼とてわたし達と同じぐらいには「科学的根拠」を必要とする仕事をしている人間なのだから。自分の妻がどういう状態で、予後がどうかなんてことはとっくに知っている。もちろんその水が単なる湧き水だってことぐらい。

ねえ「科学的根拠」とやらがそんなにスバラシくって、その根拠に基づかない話を信じている人を「批判する」行為が正当なものであると思っているのなら

妻の手をとって撫でながら、そして今でも時々ひっそりと泣いていることもある彼に

言ってやってよ。

階段の手すりにぶら下がっていた母親を最初に発見した、当時まだ小学生だったという息子にも

言ってやってよ。

そんな「科学的根拠」もない、ただの水に奇跡が起こせるわけなんてないだろ、って。

罵倒とか中傷みたいな下品なことはしない人達は「科学的根拠」に基づいて「論理的」に「冷静」に説得できるんでしょ?
終始一貫した、毅然とした態度がそんなに立派なものならば、これぐらい平気で言えるでしょ?
そんな迷信まで信じるようになるなんて、貧すれば鈍す、ですかぁ?なんて言葉も、差別表現じゃないし、あくまで個人に対して言うのであって、そのカテゴリー全体を罵倒するわけじゃないのなら、大丈夫なんでしょ?

これを「共感派」と呼ぶのならそれも結構。でもわたしの仕事から「共感」を取ってしまえば何が残る?確かに「共感はしても同調はしない」という器用なことをするトレーニングは受けてきたけどね。

ええ、こういうときだけは「医療従事者」という属性に逃げ込ませていただきますとも。

ただ、わたしは毎日毎日命むき出しでやりとりする場所で生きてますから。常に見ているのは何にも持たない、裸の、そこにいるただの人間だけ。

その裸のあなたや、あなたや、あなたを、もう見ているのはイヤだと思う。黙っていればよかったことかもしれないけれど。
by valencienne | 2008-09-03 05:50 | 日常業務 | Trackback(2) | Comments(35)
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Tracked from アルゴン探検隊の極西紀行 at 2008-09-04 00:08
タイトル : 9月22日。11日目。奇跡のルルド。
いま、9月27日午後3時前、オロロン・サント・マリー(Orolon Ste Marie)という街にいます。オルレアンを出た後、インターネット接続はおろか、せっかくフランス、スペイン全土を網羅しているというので電話会社を変更してまで持ってきた携帯電話も圏外になったままでした。こんな街にはあるはずもないだろうと探すことさえ諦めていたインターネット・カフェが、見つかりました。でも営業時間は14時から18時まで、なぜかきのう(水曜日)は休みでした。実はある事情でこの街にあと1週間ほど滞在することになりました。......more
Tracked from HERIKUTSUなる日.. at 2008-09-07 11:30
タイトル : たんぽぽ氏謝罪コメント削除疑惑=死ぬのはやつらだ氏虚偽コ..
2008年9月7日追補しました。 (ライブドアのシステムエラーのためか、トラックバックが通らないので、再送します)...more
Commented by あねさん at 2008-09-03 07:08 x
いつも拝見してます。重症心身障害児対象の仕事をしています。よろしく。で、泉の水なんですが わざわざ行くことに意義または効能があるんだとは思います(日頃の信仰も神様からチェックされそうなw)。が、実は国内でも手に入ります。私は鎌倉の某カトリック教会の売店で、目薬程度からポリ容器まで各種の大きさのものが売られているのを見ました。わらにもすがりたい人への安心価格っぽかったような。信じる者は救われるんでしょうか?むしろ「平等に救われない」ことに神の公平さがあると思ってしまう私ですが、さすがに自分がガン宣告を受けた直後にはあの水を買いに行くことも考えました(苦笑)。
Commented by 人生アウト at 2008-09-03 09:36 x
少々弁護を。

色々な方が「同調圧力」「批判を封じるな」といったことを言われているように、皆さん、自分の口を封じる者の姿を、相手の中に認めてきた。それが勘違いであったかどうかは問題ではなく、とにかくそう受け止めた。
口が封じられたと感じることは、多くの人にとって、追い詰められる経験です。呼吸困難に陥る。
追い詰められた人は、必ず手近なものに反撃します。窮鼠猫をかむような、必死の猛反撃。それは弱者の悲鳴です。

弱いのです、みんな。だから挑発的なことを書いたり、怒りを言葉にする。
それは、今の追い詰められた感を脱するための、藁をつかむようなことだから、無我夢中で言葉を繰り出す。論理は一つ、「私の口を塞ぐな」。
それ以外は感情の迸りだから、論理といえるものはないけれど、なぜか皆、喧嘩ではなく議論をやろうとする。喧嘩をやっているのに、議論のつもりになる。

飛び交う言葉に、何の意味もありません。追い詰められた人が発する「私の話を聞いてほしい」という信号だから。
その気持ちを汲むことができなかったのは、私の力不足からですが。
Commented at 2008-09-03 09:43 x
ブログの持ち主だけに見える非公開コメントです。
Commented by valencienne at 2008-09-03 13:36
>あねさん さん
あっ、どもよろしく。最初ルルドの話が出たときに考えたのが、あそこって車椅子やストレッチャーでも行けるようにしているし、優先的に案内してもらえるらしい、ってのは知っていたので、患者を連れて行くんだろうかと。その場合この人の自発呼吸のなさに対応できるモードのあるポータブルの人工呼吸器ってあったっけなあ、最小でどれぐらいのサイズになるかなあ、間違いなく医者同伴だろうし、まず飛行機乗せられるのかなあってことでした。(現実的問題)

確かに水を汲みに行くことそれ自体に意味があるんだと思うんですよ、お遍路さんみたいに。で、近場で買うっていう行為にも「信じる」という意味がある。たぶん「平等に救われない」ってことは、信仰のある人達にはすでに織り込み済みなんじゃないかなあ、って思うんです。最近一緒に遊ぶのがカトリシスモの影響の強い国出身の人達が多いせいかもしれないですけど、彼らの頭の中にはそういうのがあるみたいですね。
Commented by valencienne at 2008-09-03 14:15
>人生アウトさん
ええ、ケンカですよね。まさに「ウンコの投げ合い」みたいな。自分が掴んで投げているのがウンコじゃなくてすげえ高性能な爆弾だと信じてるんですかね、議論しているつもりの人は。

だからやつらださんの合目的からはるかに遠いあの行為は「どんだけおキレイな言葉使っていようが、お前らのやってることはこれと同じだぞ、わかってんのか?」っていうことだとわたしは思ったんですよ。実際ハタから見てりゃそうだし。だとすりゃ、自分が掴んで投げているのが他ならないウンコだと自覚している方になんぼか理がありますよね。

まあそういうわけでー、「最近カッコ悪いですねえ」って言葉も、「『見殺し』かな(中略)どちらにしても『けっ』」って言葉も。あらあ、あなたたちを見ていてわたしが思ったことがなぜおわかりになるのかすぃら?ってことです。
Commented by valencienne at 2008-09-03 14:20
>鍵コメさん
どちらにしても結構。でもまあ、不妊に悩んで悩んで、代理母出産まで考えるほど悩み続けた人に対して「科学的根拠」とやらを持ち出して責め立てて追い込んだことがあっても「わたしは何にも間違ったことしてませんが」とケロっとしてる人なら平気で言えるでしょうね。
Commented by 死ぬのはやつらだ at 2008-09-03 19:13 x
胸のつかえがスットしました。

これで仕事に専念できる。昨日はあやうく、指を切断するところだったので。

ありがとう♪
Commented by あねさん at 2008-09-03 20:50 x
す、すみません2度目です。自分とこのURLを間違えてましたので、一応(汗)。では。

Commented at 2008-09-03 22:31 x
ブログの持ち主だけに見える非公開コメントです。
Commented at 2008-09-03 22:32 x
ブログの持ち主だけに見える非公開コメントです。
Commented by うんころもち at 2008-09-03 23:00 x
はじめまして。えぼりさんの切り口、目線、文章が好きで2年ほど愛読してきた者です。いわゆる「水伝騒動」なるものも1月からずっと周辺を(かなり広範囲にわたり)ROMし続けてきました。
人生アウトさんへのレスで「ウンコの投げ合い」というフレーズが出てきましたので、思い切ってひとことだけ書かせてください。
「うんこ投げの真の勝者は、相手に向かって多くのうんこを投げた者ではなく、最も手の汚れていない者だ」(スティーヴン・キング)
借り物の言葉ですみません。

>もう見ているのはイヤだと思う
えぼりさんの言葉に唱和します。私は死ぬのはやつらださんもgegengaさんも好きなのです。(ROM専ですが)
やつらださん、お仕事気をつけてください。

えぼりさん、こちらのエントリーには大変感銘を受けました。どうかうんこ投げ大会に巻き込まれませんように。
Commented by argon at 2008-09-04 01:02 x
>1週間ほど休暇をもらって、そこに行って水を汲んでこようかなあ

実際に昨年、私はこれを実行しました。一週間ではなく、とんでもないことに私の場合は3ヶ月でしたが。
3年前に長女がひどい交通事故に遭い、妻と次女共々、長期間にわたる心痛と緊張で困憊し、かといって深く眠ったままの娘に父親として何もしてやれず、このままでは自分が先に破滅してしまうと感じ、何か夢中で打ち込めるものをとサンチャゴ巡礼を思い立ちました。娘がようやく危機から脱して平衡状態を保ち始めていたからということもありますが。
ならばと奇跡が起きるという水を汲み、それを最後まで持ち歩こうとルルドに立ち寄ったのでした。そんなことを許してくれた妻と次女、そして肉親たちの援助による経済的事情という条件が与えられていたことが、まず何よりの奇跡でした。
Commented by argon at 2008-09-04 01:03 x
奇跡とはもちろん比喩です。物語です。そもそも私は理系出身の人間です。でもこんなその場仕立ての物語にでもすがらねばどうにもならず、すがるべき物語を無意識の裡に探していたのだろうと思います。
紀行ブログを現地から家族や知人に向けて発信すべく、ノートパソコンや一眼レフのデジタルカメラまで持参し、ただでさえ人より随分重くなっていた荷物を、奇跡の水を満たした水筒でさらに重くし、なおかつもともと弱点だった踵をひどく痛めながら、およそ千キロの道のりを歩き通したのでした。その自分で思い描いた物語を、心の片隅で馬鹿馬鹿しい限りだと冷笑しながらも最後まで演じ通し、結局、大阪に持ち帰ったその水筒は、一度も栓を開かれないまま、いまもリュックに入ったままです。
帰国してから水伝騒動のことを知りました。自分の恥部をそのまま見るような気もし、できるだけ触れずにきました。後からきた者などとても立ち入ることのできないようないがみ合いが生じていたように思います。
Commented by argon at 2008-09-04 01:03 x
でも客観的事実として馬鹿馬鹿しい限りのことを自分はしてきたのだという思いよりは、切実な物語を生きたのだというリアリティの方が、いまも自分の中に強く残っています。むろん、水伝騒動の渦中にいた人たちも、あの騒動が生み出した切実なリアリティの物語をそれぞれに生きていたのでしょうが。

くどくどとした長文、失礼しました。
(ルルドでの日記をトラックバックさせていただきました。)
Commented by 非国民 at 2008-09-04 02:55 x
ルルドの泉を迷信だと一蹴するのなら、実は横に座って手を握ることだって科学的には意味のないことだと言えるわけですが、それを迷信だと嗤う人は(あまり)いない。不思議と言えば不思議ですね。

もっとも、それが美談として喧伝され過ぎることによって「ルルドにも行かない奴は人でなし」みたいな風潮になるのも考えものです。もちろんvalencienneさんやargonさんにそんな意図が毛頭無いことは分かってますが、その辺りが難しいなあとは思います。
Commented at 2008-09-04 10:12 x
ブログの持ち主だけに見える非公開コメントです。
Commented by すてはん at 2008-09-05 02:19 x
A : 金儲けが悪いことか?
B : 方法が問題なんだよ。

こんなやり取りを思い出した。
たいていの場合、問題になるのは『やり方』なんですよね。
Commented by valencienne at 2008-09-05 02:21
>死ぬのはやつらださん
ちょっと待った、わたしはウンコ投げを全面肯定してるわけやないです。ひとつ言うておきたいのは

なにも汚れついでやからって、向こうと一緒になって素手でウンコ掴むことはないやろ。

ってこと。まだ続ける気やったら早よ手え洗うてから、こういうの(http://ansell.jp/swf_content1.html)使てください。わたしは普段ラテックスのパウダーフリーだよっ。

>あねさん さん
了解。あれぇ?って思ったんですよぅ。
Commented by taka at 2008-09-05 03:55 x
>「共感」を取ってしまえば何が残る?

このあたりが、看護学や診察の視点から重視されることと、医療技術の発展や根本治療の視点から重視されることの違いになるのかなと思います。

奇跡にすがることを一律に否定することはできないと思いますが、極限状態の人に奇跡を提供することを口実に、詐欺的商売で奇跡を切実に必要としない人たちを食い物にするシステムを維持しようとするのはやはり問題が大きいと思います。
水伝はこの範疇に入るものと思いますし、教会が万能薬としてルルドの水を売り出せばここに仲間入りすると思います。

騒動が「水伝は間違い」という論点から個人の名誉の問題にシフトしてしまったのは残念なことではあるのですが、水伝批判の善し悪しを感情論や陰謀論で判断するのは間違っていると思います。共感派の論者は水の奇跡が必要な極限状態にいたわけではないのですから。

やつらだ氏については「お前たちの行くコンサートに俺も行く」と具体的なフィジカルコンタクトについて発言しているのでgegengaさんが攻撃的になるのは仕方ないと思います。やつらだ氏の発言は口げんかの域を超えて脅しの域に達してしまったと思います。
Commented by kuroku at 2008-09-05 23:22 x
>とにかく今この時点の「科学的根拠」の上に胡坐はかいていられない

この一文にしびれました。近親者に科学者(医者など)おりますが科学的正しさは常に変化ありと理解し、勉強をおこたらいないようにしているようです。(たぶんww)

自分が責任をもって実験と検証もしてない方が、我の言う科学は正しきことなり!といえる方がいることのほうが不思議です。
え?水伝?信じかけた人に対し、ものの数分内で ありがとう の言葉だけで水の結晶が変わるほど物質の性質変化が単純なものでないと、過去お話して理解いただけなような。

ともかくお仕事お疲れさまです。
いつも興味引かれるエントリありがとうございます。
Commented by valencienne at 2008-09-06 05:05
>鍵コメさん
そういえば何度か、あちらでは拝見しておりました、はじめまして。
こんなに近い職種の方とは気づきませんでした。確かに働く側も利用する側にも価値観の多様さはありますし、なんというか「これが絶対正解!」ってのもないですよね、この業界。

だからなんというか・・・こう・・・はっきり言い切れないんですけど、あれってきっと「擬似正義」なんじゃないかと(笑)

>うんころもちさん
わはは、とりあえずやつらださんにはラテックスお勧めしておきました。大ウンコ祭りはリアルだけで十分です(笑)でもそれもわたし達にとっては大切な業務なもんで(きちんと管理しないと出すぎてかぶれたり褥瘡できたり、詰まり過ぎて今度はイレウスゲロ祭りに移行したりする)毎日頑張ってます。
Commented by valencienne at 2008-09-06 05:33
>argonさん
実はこれ、argonさんのことを意識しつつ書いたんですよ。サンチャゴ・デ・コンポステーラの病院でICU医をしている知人がいますが、患者や家族の中に最後の最後、意識のなくなる、呼吸の上がるその瞬間まで決して消えない「Algo milagro(何らかの奇跡)」を待つ心の話をした覚えがあります。でもそれは決して「極限状態」にある「一部」の人達の話ではないんです。第一、その「極限状態」なんてもの、誰にでもいつかは訪れる可能性のある・・・というよりは予定されたものなんですから、という話。

水にまつわる話、を批判している人達の中にも、argonさんの背景を知っている人もいるだろうに、なんて思うとちょっとどう表現していいかわからない気持ちになったもので。ちょっとノツノツ(これって古い大阪弁ですね)しつつ書きました。

>切実な物語を生きたのだというリアリティ
これに強く「共感」します。
Commented by valencienne at 2008-09-06 05:54
(続き)
毎日のように、いろんな人々の「切実な物語」と関わります。何も答えない植物状態の人達の中にもそれは厳然としてあります。いちいち思いをはせていたら身がもたないし仕事も回らない、でも決して忘れないようにしてはいます。

だからかもしれませんが、こういう話に対してまるで明後日の方向の反応なんてしている人を見ると「ああ、人の姿はしているけど・・・犬でもないな、なんだろ?」と思えてくるんですよね。まあその反応もその人の「切実な物語」なのかもしれないとは思いますが。
Commented by valencienne at 2008-09-06 06:06
>非国民さん
>「ルルドにも行かない奴は人でなし」
宗教カルトみたいな感じですな。でもってそういう宗教カルトを批判する側の方がいつの間にかカルト臭さにターボがかかってきちゃうことも往々にしてあったりして・・・ホンマに難しいです。

タッチングに関しては看護研究とかで科学的検証をされてるみたいですけどー、わたし抄録すらよく読んでません。
Commented by valencienne at 2008-09-06 06:22
>鍵コメさん
実際に行かれたことがおありですか、わたしは確かあしべゆうほの漫画「悪魔の花嫁」で読んで知ったんですよね、ルルドの話って。

そんな感じで信者が何かを求めて集まる場所、ローマでもイェルサレムでもバラナシでも、きっと同じようなエネルギーでむんむんなんだと思います。ルルドも「水を汲みに行く」という目的とともにそういう「エネルギー」浴をしに行くって目的があるのかもしれませんね。

>すてはんさん
そうそう(笑)「やり方」が・・・って話はもう相当前に書いたはずなんですけどねえ。ま、いっか。
Commented by valencienne at 2008-09-06 06:37
>ぼこぼ・・・失礼しました。takaさん
まあ「極限状態」についてはargonさんへのコメントに書いたとおりの認識をわたしはしておるんですが。

騒動がそういう方向にシフトしちゃった、ってのは確かに残念な話ですけど、シフトしかかった時点で方向修整するヲトナっていなかったんですかね?わたしその頃ちょうど席をはずしておりましたんで。

ところで、ぼこぼ・・・じゃなくてtakaさんはお詳しいようなんで聞いてみたいんですけど「コンサートに行く」とか言うのと、mixiで検索して個人情報探っちゃうのと、脅迫度合いじゃどっちが高いもんなんでしょうか?
Commented by valencienne at 2008-09-06 06:45
>kurokuさん
わたしは研究する側ではないので「科学的根拠」を見出す立場ではなくて、日常業務を通じて他人の出した成果の「批判的吟味」をするんだな、と思って仕事してますんで。まあ実際フィードバックできるかどうかはともかく。
Commented by taka at 2008-09-06 20:59 x
認識の問題というよりその時点での状況に対してどんな対処法が妥当なのかという問題だと思います。例えば、同じ借金でもガン治療のための借金なのかガン保険のための借金なのかで意味合いが変わるというようなことだと思います。

ヲトナな人も少数いたんですが、煽るブロガー、コメンターが多すぎて収集がつかない状態に…
脳細胞の異常興奮による細胞死の連鎖反応をくい止めるのにも全身に対して低体温法が必要になるでしょう?

脅しについてはどちらもリアルに対して具体的な害を及ぼすのでどっちもどっちだと思います。ただ対処の難しさから言えば個人情報を入手されてしまうと後々手がかかることになると思います。
Commented by ちょちょんまげ at 2008-09-07 05:23 x
valencienne様

はじめまして。ちょちょんまげと申します。
貴エントリを拝見し、いくつもの疑問が生じました。

まず、

>ねえ「科学的根拠」とやらがそんなにスバラシくって~

このくだりは、典型的な「藁人形論法」では、ありませんか。

valencienne様が上記の文章をもっていったいどちらの方(々)を揶揄なさっているのかはっきりいたしませんが、
仮にご批判なさりたい対象が、

>「科学的根拠」とやらがそんなにスバラシくって、その根拠に基づかない話を信じている人を「批判する」行為が正当なものであると思っている人

一般ということであるならば、少なくとも私は、追い詰められた極限(あるいはそれに近い)状況にある人を不用意に攻撃する上記引用タイプの人を知りません。
ようするにご提示のような状況で、「神社でお守りを買ってくる」ような行為を(不用意に)いちいち批判する人はいないのじゃないかということです。
もし、valencienne様が具体的にそういう例をご存知でしたら、ぜひお示しくださいませ。
Commented by ちょちょんまげ at 2008-09-07 05:24 x
それから、「そんなに~なら(無理やり拡大した前提を持ってくる)」、「こうしてみろ(極端な要求を持ってくる)」という口げんか等で散見される論法を使っていらっしゃると思うのですが、いかがですか。
>罵倒とか中傷みたいな下品なことはしない人達は「科学的根拠」に基づいて「論理的」に「冷静」に説得できるんでしょ?
これも、上記と似たような論法に思えます。

そして、以下は、

>自分の妻がどういう状態で、予後がどうかなんてことはとっくに知っている。もちろんその水が単なる湧き水だってことぐらい。

という前提で書きますけれども、「ルルド」に行かれるのはこの場合明らかに「夫」が御自分のために行きたいとおっしゃっているわけですよね。
考える条件は、「ケアする人のためのケア」であるわけです。(上に書き込みをなさっているargonさんは、それをよく承知なさっていると私は読みました)
Commented by ちょちょんまげ at 2008-09-07 05:24 x
そうした場合(ケアする人のためのケアを前提に明らかに治療対象の人に対する効果が望めない行為をするべきかどうか、或いは単にどうするべきか)、相談された人(相談された、という前提で)がどう答えるかは、ケースバイケースだと考えます。(一般化は無理だと思います)
「ルルドに行く」というコストを考えた場合に(はっきり幾らかかるのか私は知りませんけれど)
そのコストが、例えば一般の方が近所の神社でお守りを買うぐらいの負担にしか感じないような経済力を持つ方で、その方のメンタルヘルス上プラスになるならば(あるいは、単純に本人がそうしたいのならば)、あえて何も言う必要も無いのでしょう。
しかし、そのコストがこれから生活していくことの足を強く引っ張ってしまうような場合は、やはり一度は止めるべきではないかと考えます。(むろん、それでも行く行かないを決めるのは本人の意思しかありえませんが)
そして、その止める理由の中の大きな一つが、「ただの水に奇跡が起こせるわけなんてないだろ」じゃありませんか?(効果的な言い方は別にあるかも知れませんが、要約すればそういうことですよね)
Commented by ちょちょんまげ at 2008-09-07 05:34 x
さらに、「夫」が望んでいる(?)行為が「ルルド」でなく、
(以下、生活に影響があるような「大金」がかかるようなケースとしてお読みいただけますか)
韓国の統一協会本部に行き文鮮明お父様のスペシャルパワーが入ったツボを買うことだったり、
どこかの霊能者かなんかが、「私に○まる万円払いなさい、そうすれば・・」だったり、
麻原ショウコウの風呂の残り湯を買うことだったり、
南米やアフリカまで行って、ウイッチドクターの鼻くそを丸めた「秘薬」を買うことだったり、
パンダの生き胆を中国まで行って買ってくることだったり、
したら、読者の印象もずいぶんと違ってくるように思いますが。
(上記の例は少なくとも私にとっては、「ルルド」と等価です。まぁ、どの「ストーリー」がどのように魅力的かというのは、人それぞれだと思いますけれど)
大変長文になってしまいました。申し訳ありません。
Commented by ごん at 2008-09-07 08:20 x
なんか、すごく、べとべとしてきましたね。

最後のなんか、韓国、南米やアフリカ、中国、で印象がどのように違うというのでしょうか?
< どちらにせよこんなコメントをここにしてくるとは相当のアレだよ、この人は >

アサハラと同列にならべてることに意味はあるのかな。それに鼻くそ、パンダの生き肝・・・って、なんでこんなものだしてくるんだろ。とにかくセンスないよね。こんなにせつないエントリに。
< 狙ってやってるとしたら「一般的に」「荒らし」以外の何ものでもないにゃ >

この人たちは、何かがはみ出てるのか、それとも足りないのか。

ちなみにあたしのふるさとでは、犬が長寿の薬だと言われていたんだけど、そういうことを「信じて」いた人々を否定(してバカに)しようとしているのかな。

・・・まさかそうじゃないよね。


とりあえず、この人(たち)の文が無駄に長かったりするのは、懸命に差別意識を隠して「(俺とお前は違うんだよ)差別」をしようとしている、そのせいだから、その点に留意してお読みください。だよ。

じゃないと、こころ、をやられちゃう。お気をつけくださいな。

Commented by ごん at 2008-09-07 08:25 x
あんら、あたしも無駄に長くなっちゃった。ごめんあそばせ。でも、お目汚しついでにもうひとつだけ。

差別意識なんてのは誰のこころにもあるのよ。問題はそれを自覚してるかどうか。見てて恥ずかしいから、せめて人前に出るときには、十分留意してお隠し遊ばせ、ってことなんじゃないかな。管理人さんが(あなた方に)伝えたいことは。

勘違いかもしれないけど(笑)
Commented by 死ぬのはやつらだ at 2008-09-07 11:19 x
どうやら、ウンコまみれに素手で投げたかも。

ゴム手は仕事で使わないからなぁ。

長文コメントできる人って、たいていは否定文。
うっぷん溜まっているんだろうな。

オレなら、もっと楽しいことするけどね。
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