前回のバス紀行から4ヶ月たった6月初旬、私が主宰している旅行サークルの一員の、お馴染みのFさんからメールを受け取った。6月の下旬に、今秋閉鎖されるという、三浦半島の先端にある、城ヶ島のユースホステルに宿泊してみようと思い立ったので、ついでに「通り矢」に行ってみませんか?という話である。通り矢は、三崎口駅から三崎港を経由して、城ヶ島へと続く、城ヶ島大橋の下をくぐってしばらく行った場所にあり、私は以前、Fさんにこの連載で行ってみたい場所として話していた。ちょうど良かった、と思いつつも、私もユースホステルに泊まったほうがいいのかしらん、しかし、泊まるとなるとちょっと…と「宿泊はご遠慮します」と返信すると、私の早とちりで、バスだけ付き合っていただければ良い、とのことで、既にFさん1人で予約を済ませたそうである。
その後、またメールが届き、「三浦海岸から剱崎(つるぎさき)経由の三崎東岡行きも候補にあがってきました。」という内容である。この路線、まだ私は乗ったことがない。乗ったことはなくとも、以前、このバスルートを車で通ったことがあり、細い道を通ることは知っていたが、なかなか面白そうである。おまけに、6月10日発売の雑誌「旅」の中で、コラムニストの泉麻人氏(実はバスマニアとしても有名)が、逗子から葉山を回りながらバスに乗り、三浦海岸へと抜けてこの路線へと乗車しており、気になっていた。通り矢行きのバスは三崎口が始発点で、三崎口から三崎港までは幾度となく乗っているし、景色もさほど面白くない。そこで、始発点から乗る、という方針を立てていたのに反してしまうが、三浦海岸から三崎東岡へと向かい、そこで乗り継ぐことにしたほうが面白そうである。乗り継ぎがうまくいかなくても、三崎東岡から通り矢の近くまで路線が重複しているので、タイミングを見計らってどこかで乗り継げばよい。
というわけで、Fさんに電話で連絡。
「剱崎経由、面白そうですね」
「うん。あっちは景色もいいからねぇ…そうしますか」
「そうしたいところですが…時間は大丈夫ですかね」
「ええっと、久里浜15時36分の快特に乗るとして、三浦海岸16時2分ってのがありますね…で、1時間くらいかかるでしょうから…三崎東岡17時14分の通り矢行きがあります」
「そうしましょう…で、終わったらついでにどこかで一杯」
Fさんは酒豪である。久々に会うのだから、乗り終わってから三崎港あたりで一献しようかと思ったのだが、
「いや、実はね、なるべく早く宿に入ってくれ、ってことなんですよ…だから一杯やる時間は…」
「あらら」
「バスの中で一杯は無理?」
「さすがに路線バスは無理ですよ」
私は苦笑いしながらそう云った。
三浦海岸駅。ここが始発点 |
前置きが随分長くなったが、6月27日の午後3時過ぎ、私は京急久里浜駅へとたどり着いた。
乗る予定としている列車は15:36発の快特で、まだ時間がある。Fさんはまだ来ていない。ヒマなので、駅の売店を覗くと、「冷えた牛乳あります」という張り紙につられ、ついついビン入りコーヒー牛乳を飲む。京急の売店にはこういう懐かしいビン入りの牛乳やコーヒー牛乳が置いてあったりする。第二回の森50に乗ったの帰り道にもついつい京急蒲田の駅ホームで、ビン入りマミーなぞ飲んでしまった。ここは森永の白い牛乳とコーヒー牛乳しかないようだが、買うとおばちゃんがキリのような器具でフタを開けてくれる。ミルクスタンドのようだ。一気に飲み干してしまい、ビンを片付けても、まだ時間がある。券売機の前にあった、ATMでお金をおろし、準備万端、といったところでFさんを待つ。
約束は15時半であったが、その時間を過ぎてもFさんはやってこない。連絡の行き違いかな…と少々不安になっていると、34分頃になって、
「いやいやどうも」
と姿を現した。もう36分発まで時間が無い。挨拶もそこそこに改札を抜け、下りホームの階段を駆け上がり、36分の電車へとギリギリで乗り込んだ。
出発を待つ3台のバス |
色々としゃべっているうちに、あっという間に三浦海岸へと到着。閉鎖された臨時用の改札口が侘しい。改札を抜けると、駅前には一杯飲み屋がある。看板の文字に誘われてしまう。
「1杯やりますかな」
「どうしましょうか…飲みたいですが…」
「入りますか?」
「時間もないですし、一気飲みに近い状態になりますよ」
「残念。やめておきますか」
三浦海岸駅バス停 |
まだ待機中… |
16:04、2分遅れでバスは動き出した。乗客は15人くらい。回りの乗客は学生や老人など、ほとんど地元客だが、我々の他に1組、白人の男性と日本人の女性のカップルらしき乗客がいる。動きやすそうな格好とリュック。しかし、スーパーのビニール袋をぶら下げており、地元客かどうかの判断はついていない。バスはノンビリ走り、次の上宮田へと着く。ここで1人乗車。この先には134号線を挟んで海が見える。目の前は引橋方面・久里浜方面・駅方面と、そして剱崎方面への交差点である。
「昔、久里浜から三浦海岸行きのバスがあってねぇ…よく利用しましたよ」
とFさん。私も子供の頃、京急久里浜の駅前で「三浦海岸駅」という行き先表示を出したバスを見かけたことがある。久里浜からずっと国道134号線を走っていたようだが、通しの利用客は電車利用がほとんどで、地域密着といっても、渋滞の影響もあり、いつしか廃止されてしまっていた。そういえば、三浦海岸から衣笠へ向かう路線も以前は横須賀駅始発であり、いつの間にか路線が短縮されていた。路線の短縮化、そして廃止…最近は特にその傾向が強いような気もする。
海岸にはもう海の家が… |
バスは右折して海沿いの道路をノンビリと走る。速度にして20〜30Km/hくらいであろうか。とにかくゆっくりである。特に停留所付近で減速し、降車客もいないのに停車し、後ろから来る車をやり過ごす。夏場の渋滞対策かも知れないが、このあたりにゆとりを持たせているのだろう。しかも、2〜300mくらいごとに停留所があり、通過か降車、というパターンがほとんどであったが、降りる客もいないのに停車、ということもあったりする。
海岸にはすでに海の家が出来ている。粗末なバラックのようでもあるが、夏であるし、こういうほうが風通しも良く、しかも、海水浴の出来る夏場だけの営業であるからこれで十分なのだろう。海の家を眺めながらバスは海岸を行く。海開きはしていないはずであるが、海岸にはちらほらと人影があったりする。泳げるわけもないから、海の家の開業準備か何かであろうか。
海の家と別れを告げ、バスは相変わらずノンビリとしたスピードで走って行く。高抜(たかぬけ)というバス停でまた時間調整をし、役場下という、どこに役場があるのか判らぬ停留所で1人を下ろした。バスは台地のふち、海岸線に沿って走って行く。道も片側1車線の比較的狭い道で、カーブも多いのだが、小さめのバスなので難なく走って行く。三浦海岸から剱崎へと向かうバスは大型のバスを使うので、運転手にとってはきついかも知れない。先ほど剱崎からやってきた大型バスとすれ違ったのだが、違法駐車もあったりするから、なかなかすれ違うのも大変であった。
バスは「京急かねだ荘」停留所へと到着。
「かねだ荘ってもうないんですよ。あったのは、あそこのコンクリートの塀のところ」
と、Fさんが斜め後ろを指差しながら云った。そこにあったのは、確かに何か建物のあったような塀があり、そこは雑草で覆われており、ここに京急グループ直営の旅館があったとは信じがたい。
「何にもないですね」
「名前だけ残っているという停留所ですよ。さしづめ東横線の学芸大学…」
「都立大学みたいなものですな」
都立大学にしても、学芸大学にしても、どちらも駅の付近にそのような施設が今はない。この停留所も同じことだ。しかし、主要停留所であるらしく、ここで4人が降りてゆき、車内はだいぶ空いてきた。
松輪停留所。この横に泉氏が立っていた |
16:17、小さな漁港のある岩浦、という停留所を過ぎると、坂を登り始め、海岸線から台地へと右へカーブして登って行く。スイカ畑の中を走ってゆくと、松輪である。ここは、先述の「旅」の中で泉氏がバスを待っている写真が大きく掲載されていた。その写真は、あたり一面畑のような写真であったが、バス停の先には建物があったりする。一方、三浦海岸方向には一面の畑。いい風景だけを狙ったな、と思う。ここで1人が降りた。
16:22、剱崎へと到着。
「さて、ケンザキですな…地元民はこうもいいますけど、正確にはツルギサキですけどね」
とFさん。私も、
「よくケンザキって云ってましたよ」
と云った。正しいのはツルギサキだが、地元民にはケンザキでも通用してしまうところが謎である。ただ読み方が似ている、ということであろうが。
かつてはここから剱崎灯台へと向かうバスもあったらしいが、その話をFさんにすると、
「いつの話よ」
と笑いながら云う。
「2〜30年前くらいらしいですけどね」
「でも、あんな狭い道、どうやって走っていたのかな」
剱崎バス停。ここが終点のはず…? |
剱崎を過ぎると、また下り。片側1車線の道であるが、
「以前は、この狭い脇道を通ってたんですよ」
とFさんが云う。その道はかなり狭い道で、小さなバスでもかなりきつそうである。下り坂を降り終えると、入り江にそって道は続いていたが、下り坂を降り終えるかのところで、ガイドF氏が云う。
「ここでこの道と合流するんです」
江奈湾 |
江奈という停留所の横も入り江になっていたのだが、入り江というよりも、水辺には草が生え、湖沼の湿地帯のようでもある。
「毘沙門バイパスが出来たんですけど、このバスは旧道に入りますよ。バイパスよりも集落…人の住んでいるところをまめに回って…」
「そうなんですか?」
後々考えてみれば、この辺りは車で何度か通っていたことを思いだした。
バスは毘沙門トンネルを目前にして右折し、坂を登ってゆく。また台地の上をしばらく走るようだ。坂を登りきったところで、毘沙門天入口停留所なのだが、道が一段と狭くなっている。と、そこへ対向の三浦海岸行きのバスがやってきた。このバスと同じサイズだが、バス同士すれ違うのも一苦労である。道のど真ん中ではすれ違いができない。結局、こちらのバスが道を譲って三浦海岸行きが走り去っていった。
「もっと先のほうだったら大変でしたよ。ここから道が狭くなるし」
とFさんはいう。私はどんなところを通るのかと、期待がふくらんでいった。
バスは畑のなかから一転、集落の中をゆく。メインの通りのようでもあるが、どう見てもバスが通るような道ではない。どちらかといえば県道から一本はずれた、小集落の道、といった感じでもある。そうして、毘沙門停留所へと到着。三浦海岸から乗っているのは我々だけとなったが、代わりにオッサンが一人、我々だけの貸切になるかと思ったら、そうもうまくいかないようである。もっとも、こういうバスの場合、もっと乗ってくれないと存廃の危機にもかかわることなので、区間利用が多いほうがいいのだが。
畑の向こうには風力発電のプロペラが… |
三崎東岡停留所。屋根が駅のホームのよう。 |
さて、三崎東岡へとたどり着いた。意外に早く到着してしまったため、時間を持て余す。今度の通り矢行きは17:14発予定で、30分近く時間がある。少し歩いて、道路の反対側にあったターミナルへと移動する。
「なんだか屋根が私鉄の廃止駅を利用したような感じですな」
とFさん。よくよく見てみれば、ホームのようで、柱はレールである。自動販売機やトイレ、小さな案内所もあり、ここから引橋経由の三浦海岸行きや横須賀行きのバスが出発するようである。現に今、三浦海岸行きのバスが出発を待っている。
「三浦海岸まで290円ですよ」
これを聞いて私は苦笑いしてしまった。
「差がありすぎますね」
「それにしても、早く着きすぎちゃいましたな…どっか飲めそうなところは…無さそうですね…折角だから、三崎港までぶらぶらして、そこで飲みますか?」
いいアイデアで、大した距離ではないが、三崎港まで歩いて、店に入ったあたりでバスが行ってしまいそうな気がした。
「ここで待ちましょう」
と私は云った。
通り矢の文字がある |
バス停には、案内と誘導係を兼ねた制服姿のおばさんが、孫だと思われる赤ん坊を抱っこしたおばさんと立ち話をしている。乗客はほとんどいない。そして、Fさんは、
「ちょっとそこのスーパーへ行ってきます」
と云って消えてしまった。しばらくして、Fさんがビニール袋をぶら下げて戻ってきた。
「そこのスーパー、酒置いてないんですね」
「あれ?ユースホステルって飲酒禁止じゃありませんでしたっけ?」
私はユースホステルに泊まったことがないが、飲酒するのはご法度、といううろ憶えの知識があったからである。
「いや、ユースホステルによってですけどね、本当にダメなところもあれば、黙認するところもあるし、ビールの自動販売機があるところもありますよ」
とのことである。
時折、バスが通過してゆく。三崎港ゆきのバスや、城ヶ島行き、そして、三浦海岸行きが折り返して発車してゆく。バスのバラエティも豊富で、マイクロバスなみの大きさのバスもあれば、我々がさっき乗ったバスと同じサイズ、そして大型バスなど様々である。車両によっては行き先が電光掲示のものもある。
「あれ?今行った三崎港行きって…時刻表にないですよ?」
と私は云った。Fさんが時刻表を覗き込む。
「何なんでしょうね」
臨時バスなのであろうか。
「そういえば、横須賀駅行きって健在なんですね…相当な長距離じゃないですか…通しで乗る人なんているんですかねぇ」
ここから、三崎口駅を通って、横須賀線の衣笠駅の近くを経由し、横須賀中央駅を通って、横須賀駅まで行くバスのことである。さっきFさんと時刻表を見たら、1時間に1本は運転されている。
「ほとんどが区間利用だと思いますよ。運賃も電車を使って乗り継いだ方が安いですしね」
「なるほど…」
とFさんが案内所にあった運賃表を見ながらうなづく。
三崎東岡へとやって来た通り矢行き |
17:14、通過予定時刻になったが、バスはやって来ない。先ほどやって来た城ヶ島行きも5分ほど遅れていた。しかも、横須賀あたりから帰ってきたとおぼしき地元客で満杯の様相である。
「三浦は道が狭いですし、多分5分くらい遅れてきますよ。しかも、結構混んでいるでしょうね」
となかなかバスがやって来ないことに痺れを切らせていたFさんに云う。かく云う私もそういう予測ができていながら、なかなか来ないな、と心中でやきもきしていた。
17:18、4分遅れで通り矢行きバスはやって来た。しかも、車内はいっぱいで混んでいる。私は後輪の上という条件の悪い座席を見つけて座ったが、Fさんは立っている。バスは来た道を戻り、下り坂を下って行く。2分でロータリーのような三崎港停留所へと到着。ここで一気にほとんどの乗客が下車。Fさんは運転席脇の上席へと座る。私は中ほど、外のよく見える座席へと移動。
このバスは椿の御所まで同じ道をたどる。停留所ごとに乗客を降ろし、入り江の一番奥まったところに位置する、北條停留所で我々だけとなった。このバスはもう少し先の終点へ行くだけだし、乗ってくる乗客なぞ皆無である。先ほど下ってきた坂道を横目で見て、城ヶ島大橋の下をくぐる。道も一層狭くなった。城ヶ島大橋をくぐったとたん、道がクランクのように左へ曲がり、すぐさま右へと曲がっている。このバスは大型バスで、この場所の運転には気を遣うだろう。そして、17:30ごろ、終点通り矢に到着。
「理科の教科書に出てきそうな」崖 |
我々が降りると、バスはすぐに走り去り、その先で右折した。
「あそこから曲がって、岸壁に出るんでしょうかね」
「いや、どうでしょう」
通り矢停留所は、2階建ての市営アパートに挟まれ、左側は日本石油の昔のロゴの文字で「三崎石油」という会社名の入った石油タンク、そして崖、右側は少し歩けば岸壁。観光客に無縁の世界がそこにあった。
「こんな所だったんですね」
と私は云った。
「あの崖、理科の教科書に出てきそうですね」
とFさんは云う。
通り矢停留所 |
それにしても、この雰囲気。市営アパートといっても、建ってから相当年数が経っており、補修もあきらめたような雰囲気が漂っている。住んでいる人には申し訳ないが、まるで廃墟のようでもある。Fさんは、岸壁のほうへとぶらぶら歩いていってしまった。今度のバスは17:37。発車まであまり時間はないが、こんな所に長居しても、かえって不審がられるだけである。しばらくして、Fさんが岸壁から戻ってきた。
「どうでした?」
「いやぁ、釣り人がいてねぇ。あんまり釣れてないようでしたよ」
「なるほど…そういえば、バスは岸壁にいました?」
「いや、いませんでしたよ」
とのことである。
折返しの三崎口駅行き |