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『名言と愚行に関するウィキ』用掲示板
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無題 投稿者:ほりえ 投稿日:2008/08/19(Tue) 01:10 No.1430  
mixiの面白さをおしえろください。
2ちゃんより釣れるとか。


Re: 無題 とつげき東北 - 2008/08/23(Sat) 17:45 No.1431(管理者)  

かわいい子と友達になれるというのみ←
匿名性が相対的に低いため、2ちゃんよりも「釣り」的な点で面白いということはない。
バカが全力でバカさを発揮してくれる場所は、やはり匿名でなければ。


Re: 無題 ちゃちゃ - 2008/08/24(Sun) 00:15 No.1433  

ホームページより簡単なブログよりもさらに簡単に自分のページが持てるのでお手軽に妄言を垂れ流せる。
さらに反応も得やすく、足跡を辿ることによって可愛い子と友達に。


Re: 無題 ほりえ - 2008/08/24(Sun) 02:06 No.1434  

とつげき東北が別のIDを入手して本人のアイデンティティーから切り離された完全に消費されるだけの、大衆を愚弄するだけための日記を書くのには役立ちませんか?
たまに、「ニュースから来ました」みたいな赤の他人のコメントも見られますし。

かわいいこと友達になるのは結構困難で、それよりもこのサイトの鋭い部分をよりどぎつく追求できる点で、匿名性が相対的に低いというのは利点になりませんか。


Re: 無題 とつげき東北 - 2008/08/24(Sun) 11:50 No.1435(管理者)  

>ほりえ氏

なるほど。
既にミクシのとつげき東北アカウントは持っているから、「別人」のキャラを作るわけですな。
しかしどうだろうか。
大衆愚弄をやるにしても、そこにある種の分析やら真実が含まれていないと「単なるバカにしー」になってしまう。
そういうキャラで行くのはある程度面白いだろうが、「先」がない。
イザ!の誰だったか、日本人うんこ!韓国人最強!という趣旨(根拠や分析は基本的にナシ)のブログは、当初すげーHIT数をたたき出して、恐らくアドセンス収入などで月5〜10万くらいにはなってただろうけど、さすがに現在は頭打ちのようだし、金になるわけでもない。

「単に愚弄」ではなくて、しっかり根拠となる分析や真実を付け加えて書き始めると、それは本家の名言ウィキ側に載せるべきものになるしなぁ。
今ちょうど、とある出版社関係筋のツテで、名言ウィキを「大衆向け」に作り変えつつ出版できないかねぇ、という話がフラッと出てきているので、愚弄ページ作成にかかる時間とリターンは私にとって相当少ない。

誰かがやってくれるなら応援するが、自分でやるのはちょっと。


Re: 無題 ほりえ - 2008/08/24(Sun) 22:16 No.1436  

愚弄はコメント欄で死ぬほどできるでしょう。
本質は明かさずに、小手先で大衆をバカにし続けるのがとつさんのやりかたじゃないですか?

つまり、なによりもビックリしたことがあります。
「先」を考慮する存在でいいんですか?とつげき東北とか、このサイトって。なぜ「単なるバカにしー」で満足しないのですか?理想主義者とみなしていいですか。
とつさんは啓蒙主義者として無類に優しい人だなあとはかねがね思ってましたけど、そういう理解で差し支えないでしょうか。


Re: 無題 とつげき東北 - 2008/08/25(Mon) 02:37 No.1437(管理者)  

えーと質問の意図ははかりかねますが。

大学時代からやってる試みの続きですからなぁ。
若いときはヒマもあるし面白さのみで突っ走れるけれども、私程度に歳を食うと、先を考えてやりますよ。このウィキでも何度か言ったような気がしますが、半分くらいは「いつか書籍にするため」に書いてますからね。
理想主義?というのがその文脈で何を表しているか謎ですが、現実的な何かリターンをどこかに期待しているのは確かです。むろんそのリターンは「遠い未来」ではなくて、相対的に差し迫ったものとしてですよ。

ちなみに、一部のバカがバカでなくなったところで世の中はまったく変わりませんし、ましてや議論・愚弄・啓蒙・哲学・政治学などによって政治が動くわけでもありません。政治の行方はそういったところで決定されるわけではない。たとえば、とある省のとある課長やら、マスメディア向けの政治家の気分によって動くのが真の日本の政治です。

というわけで、徹底して個人の問題ですねぇ。
やさしいというのはよく言われます(笑)


Re: 無題 とつげき東北 - 2008/08/25(Mon) 03:01 No.1438(管理者)  

このサイトを運営していて良いことは、いい人材にたくさん出会え、交流できることですね。色々な方面の。
麻雀関係ではあいにくほとんど出会えない逸材とたくさん知り合えます。

・大学教授、医者、法曹関係者、一流企業労働者等のいわゆる勝ち組諸氏
・編集者、出版関係者諸氏
・作家
・起業家
・面白いことをしてくれそうな優秀な学生
などですね。

たとえば東浩紀といえば超有名な方ですが、氏と飲み友達のヒモ生活従事者(笑)などとも仲良くなれるわけです。ツテで、今度お会いしてみたいと思ってます。他にも色々と書籍出版の話にはつながります。
そんな大層な話ではなくとも、優秀な学生諸氏と一緒にオンラインゲームをやってみると、皆が当該ゲームを分析し、ある人は統計的手法によって最適な成長方法を発見したり、別の人はCGIから吐き出されるHTMLをリアルタイムに書き換えて他人が3ヶ月かかってできることを10分でやってみせたり(これはいわゆるチートですけど)と、刺激的なわけですね。

これらは恐らく、「大衆愚弄ミクシ」をやっていて出会えるような人材ではない。
どうしてそういった人が集まるかというと、やはりコンテンツの方向性でしょうね。
公務をしている中から見える実情、昔から物事を現実的に「考えて」きた結果としての記述、それから反大衆的でありながらも大衆受けするかもしれない作法、それらの結果としてついてくるものだと思っています。例えば300世帯氏が「とつげき東北と議論」をしたからといって、こういった交流が得られるわけではない(と思われる)のです。

「意味」と「強度」は、対置すれば間逆の何かかもしれませんが、私にとってこのウィキは、強度を求めるものであると同時に充分な意味をもたらしてくれるものです。意味もまた強度の一部になっているのですね。
その中で、徹底的に意味を排除して強度に特化した「愚弄ミクシ」をわざわざ新規に作ることによるメリットはわからない、ということです。もちろんやってみたらそれはそれで楽しいのかもしれませんけどね。


Re: 無題 ・・・・・ - 2008/08/25(Mon) 22:16 No.1439  

強度の耐性化の個人差とか考察すると面白いかもなぁ。
耐性化しにくい人は同じ意味(前提・型)で常に同等の強度が得られるため、既存の先入観などから抜け出しにくく、
耐性化しやすい人ほど新たな刺激を求めて意味(前提・型)を破壊/生成する必要性が生じる、とか。


Re: 無題 ほりえ - 2008/08/25(Mon) 23:07 No.1440  

とつげき東北さんは、やはり、なにか一本芯の通った生き方をする人なんですね。絶対主義者ですね。どこかを突かれたらムカつくような、ココロの余裕のない人ですね。
思いつきでコロコロ理解不能になるほどなほどかぶきものではないと。

独善主義者として理解不能なまでの唯我独尊者だと思ってましたが、意外と大衆の一部に過ぎませんね。
そして、やさしいです。公務員に向いてますよ。


Re: 無題 とつげき東北 - 2008/08/26(Tue) 00:27 No.1441(管理者)  

>・・・氏
そのようになるともっと強度を詳細化して実験、ということになるのでしょうなぁ。
でも考える分には面白いね。
オナニーのオカズの持続性みたいな話でよく差異を見出して驚きます(笑)
どうやら私は意味をもって強度に変えるタイプのオナニストらしい(笑)

>ほりえ氏
その予想は、半分くらいあってます。


Re: 無題 ほりえ - 2008/08/26(Tue) 00:58 No.1442  

どの半分かぜひ教えてください。


Re: 無題 とつげき東北 - 2008/08/26(Tue) 22:13 No.1443(管理者)  

自分のどの分析が正しいか予想してみよう!


Re: 無題 ほりえ - 2008/08/27(Wed) 01:48 No.1444  

わからん。おまんこ!
どの半分かさっさと教えろや。おまえどうでもいいとこで細かいのが弱さの証明やねん。もっと堂々としろ。なにがあっても動じるな。


Re: 無題 とつげき東北 - 2008/08/27(Wed) 03:00 No.1445(管理者)  

ではご提案に基づき、動じずにほりえ氏の予想を待ちます←意地悪
ちゃんと分析してから文章を書こうな。


ミクシの良さについては単なる「話題に入るための前ふり」「ちょっとした思い付き」でしかなかったかね?
それとも本格的に何かやれば面白いものができそうという感触が?
もし後者なら、ここにいる私以外のヒマな連中に詳細をつめて提案してみよう。


Re: 無題 ぷりっぷりのおしり - 2008/08/27(Wed) 08:49 No.1446   HomePage

ヒマな連中です
今日は待ちに待ったボンバーマンオンライン公開ですね
忙しくなりそうです


Re: 無題 ほりえ - 2008/08/27(Wed) 09:01 No.1447  

とつげき東北さんの肛門に吸い付いてうんこゴクゴクしたいよおー。


Re: 無題 ちゃちゃ - 2008/08/27(Wed) 19:41 No.1448  

くにおくんオンラインも捨てがたい。


Re: 無題 ・・・・・ - 2008/08/27(Wed) 21:30 No.1449  

>とつげき
>オナニーのオカズの持続性
>どうやら私は意味をもって強度に変えるタイプのオナニストらしい(笑)

小中高校生時代は両親不在のときに、バレたらまずいと冷や汗かきつつ、親父の隠しエロ本(半裸が多い)を見て興奮してたけど、今はネットでエロ動画見放題なので、普通の内容の動画や普通の女性に興奮しなくなってきた。
幼女とかなら規制されてきたので、冷や汗かきつつ興奮できそう。
まあ、自分で絵を描くっていう手もあるけど、むずいなぁ。
権力のある者(と自分が認めて/信じている者)から規制が掛けられると、規制の意図とは逆に逸脱時の強度が高まるみたい。
revinが前に書いていた話に関連するけど、逆に犯罪とかは増えそう。
軽いケースからどんどん重度のジャンキー的性犯罪者に発展していくケースが多くなりそう。
というのも、いきなり重度の犯罪行動ができる輩は規制とか関係ないんだよね(元々、素質として閾値が低い)。
そのような人種は規制前後において、一定割合で変わらず存在するから。
また、仮に幼女の裸画像所持ぐらい(これぐらい別にいいじゃないかと思い、つい魔が差してやってしまう「軽い」レベルの人間は自分を含めてかなりいそう)で、社会的制裁を受けた場合、
社会的地位を失う恐怖による抑制がなくなってしまうため、やはり、エスカレートする方向にいってしまうし。
自分なんかは一度社会から犯罪者認定されたら、それ以後逸脱しまくりで、ある意味楽しい人生送れそうだなぁ(^^)


Re: 無題 とつげき東北 - 2008/08/29(Fri) 01:21 No.1450(管理者)  

>・・・氏
「逸脱」はセクシュアリチーあるいは性的な意味における記号的強度の基本ですからねえ。
へそ出し、とりわけ水着ではなくて普段着におけるへそ出しが性の記号であるのは、「へそは出すべきではない」という文化的な前提があってこそで。
SMも肉体的なものを除けば、かなり似た構造を抽出可能です。ああSMについて語りだすと長いのではしょります。

後段、確かに性的な側面において「規制」がかかることは色々と不安がありますね。何の科学的根拠もなく規制されるというのに非常に反発を覚えますが、逆に規制されないことによる影響についてもあまり研究されていないように思います。

日本は米国と並び、先進国の中でもっとも性的に遅れている国の一つと言えますが(米国は神がかった国なのでもうしょうがないのでしょうが)、他方で2次元エロ等の最先端国でもある。どれだけ日本のエロ2次元画像が世界中で流通していることか。
なんだか不思議ですね。

単純保有うんぬんの法的な話になるとこれはやっかいで、ようするに権力の届く範囲をものすごく伸ばせるわけですよね。人権擁護法案と同様に。役人や法律用語でもっとも用いられる文字として「等」というのがあるんですが、「●●等」を禁止した際には、●●だけでなくて●●に近いと思われる何かを見つけたらただちに権力を行使できる、みたいな状態を作ることが可能なんですよ。
なんかこいつ気にくわねー、と思った瞬間、いわばそうした意味で「別件逮捕」できちゃう。で、PCのインターネットのキャッシュを探せば、たまたま広告に出ていた幼女エロっぽい画像が見つかる、そしたら逮捕、とコンボできる。運用一つで何でもできるようにするのが権力側の目論見です。
今のところ日本が急にそれを悪用するかと言えばそれはないでしょうが、実際にそういった分野で「最先端を行く」アメリカなんかでは罪のない人をいきなりテロ容疑でしょっぴいて、結果的に半年拘束して拷問かけて「容疑は認められなかった」で釈放したうえで「対テロの捜査は国家機密である」で終わり、何の保障もなし、といったことが起きてますね。もちろん権力の監視役、第四の権力だとかいうマスコミに期待などできようはずもないですしね。記者クラブを解散しない限りは。

まあ色々ありますが、・・・氏のような、きわめてまともな神経を持った人間、現実を直視できる人間が適当な数だけ周囲にいて、今のように幸せに暮らせればいいなーと願う次第ですわ。まずは本府省手当てを。。。


Re: 無題 ・・・・・ - 2008/08/31(Sun) 19:06 No.1451  

>とつげき
>逆に規制されないことによる影響についてもあまり研究されていないように思います。
>運用一つで何でもできるようにするのが権力側の目論見です。

規制されないことによる影響があまり考えられていない背景には
目の前の「安心」という強度に対する意味の癒着が激しい人、
つまり、単純な「規制→犯罪減少」という意味(論理)とその規制の現実における実行(施行)により得られる
「安心/安全を感じる」強度の強さが常に変化しない(耐性化しにくい)人が多い、
ということがあるのかな。
例えば、
「規制がされていなかった(弱かった)から、今回のような犯罪が起こった。仮に規制されていれば今回の犯罪が防げた」という特定の話から
「規制をすれば(強めれば)全体的に犯罪を減らせる」という全体の一般論へ
飛躍していても、「安心」という強度を得るのに十分という人が多い。
客観的な(信頼性の高い)結果ではなく、
思い込みが常に強度に結びついているから、
ワンパターンな「規制」が行われる(繰り返し求められる)んじゃないか、という感じはある。
そして、その思い込みへ誘導しているのはマスコミ、な感じもある。
マスコミとしては「恐怖」を煽る(栄養を送る)ことで世間一般人の「安心」に対する強度を
保持(管理)していけば、食いっぱぐれることはないだろうし。

「道徳」についても似たような構造があるのかな。
「道徳があれば、今回のような犯罪は起こらなかった」で
とりあえず道徳教育制度をしいておけば、
常に同じだけの「安心」が得られるみたいな構造が。


Re: 無題 ペレルマン - 2008/09/01(Mon) 23:48 No.1452  

>・・・・

お前バカだろ?そもそもそのとつげき東北の文章が間違ってんのに、それに媚び売る形で返信しようとし、なおかつ自分の主観を正当化させることしか考えてないから、そんな評論としてどころか日本語としても狂った文章になるんだろ。

まず、とつげき東北の「逆に規制されないことによる影響」の「逆に」ってのがおかしい。規制されないことによるデメリット(例えば強い逸脱性向が形成される)を研究することが、それすなわち規制することの科学的根拠(性犯罪の抑止)に繋がるんだろ。

だからお前の書き込み→「規制されてなかったので事件が起こったという【特定の話】から、規制をすれば犯罪を減らせるという【一般論】へ飛躍しても、安心という強度を得るには十分な人が多い」ってのは意味不明のクソ下痢ションベン文章。
少なくともとつげき東北は【特定の話】と【一般論】なんて分けて考えてないから。両方合わせて研究されてないって言ってるんだろ。まぁ本当は研究されてるからお前ら二人ともバカってだけの話だがな。

あとお前、規制からの逸脱に興奮するなら規制はむしろ厳しく、たくさんあった方が今よりももっと興奮できるんじゃねえの?(笑)

さっさと「生という規制」から逸脱して死ねよゴミ虫が。


Re: 無題 とつげき東北 - 2008/09/02(Tue) 02:06 No.1453(管理者)  

>・・・氏
人々を不安にかられさせておいて「変化」を求めさせるのは為政者及び日本的ジャーナリズム(笑)の宿命だからしょうがない。

>ペレルマン氏
確かに・・・氏の説には諸手をあげて賛同はできないけれど、まあ面白いんじゃないかね。
特定の話と一般論がどのように違うかと言えば、自分と自分以外の他者との差異という観点ではこれはもう圧倒的に違う。
犯罪が少々増えようが自分が巻き込まれる可能性はさして変わらないが、全般にかかる規制は自分に思いっきりかかってくるでしょ。

で、研究されてないってのは、少なくとも実証的に研究されていてそれがその世界での共通理解になっていない、さらには実証主義的な実験的方法によってはほとんどされていないということ。もっと言えば政策に反映されるような材料としてではなく大衆扇動のための権威づけ程度にしか機能しない水準でしかされていないってこと(学問としてというより事実として)。

精神医学における「箱庭療法」レベルと大差ないが、箱庭療法はまだしもプラシーボ効果くらいには役立ったであろう。


Re: 無題 ・・・・・ - 2008/09/02(Tue) 23:17 No.1454  

規制されないと強い逸脱性向が「形成」される、というのは単なる妄想だなぁ。
元々ある行動に対しての規制がなかった場合、特定の行動にでやすい(その行動の閾値を越えやすい)か否かには個人の遺伝的素因と先入観的因子(遺伝的素因の影響あり)が影響するのに、何が「形成」されるんだよ?
しかも、規制(環境的因子)による個人の先入観的因子への影響も無視していいの?

>さっさと「生という規制」から逸脱して死ねよゴミ虫が。

残念ながら、「生」に対してはあんまり規制を感じてないんだよ。
ストレス(環境的因子)もあまり感じてないし。
今の所「死」の閾値を越えられん(必然性がない)のよ。
もしかしたら、ペレルマンが理に適った質の高い文章書いたら越えられるかもしれん(^^)


Re: 無題 ペレルマン - 2008/09/03(Wed) 02:52 No.1455  

>とつげき東北さん

いや、ですから「レイプもののアダルトビデオは強姦事件を助長する」という研究結果が、例えば統計的事実として、万が一はっきりしたとすれば、レイプもののアダルトビデオに規制をかけざるべからずという話になりますよね。
その時の規制をかけないデメリット(強姦事件の増加)と規制をかけるメリット(強姦事件の減少)は表裏一体でしょう。
それにその「規制が自分に直接関わる」というのは、レイプもののアダルトビデオを鑑賞する習慣のあるゴキブリ人間だけが気にする話であって、つまり【一般的人間】じゃなくて【特定の人間】の話ですよね。

>・・・・さんへ

あなたはとつげき東北さんの「逆に規制をかけなかった時の影響も研究されていない」という発言を真に受けて、規制をかけるorかけないの研究がそれぞれ別個であると考えてしまったことがそもそもの間違いであった、というのが私の指摘したことです。
もしかするとあなたは性犯罪の原因究明が何か物凄い脳神経医学や遺伝子工学などの高度な学問で解明されると信じているのかも知れませんが、現実的には性犯罪者の当該性商品所有に関する統計的なサンプルデータを参考にするしかありませんから、性犯罪と性文化との因果関係の研究はもともと(特定のゴキブリの)【一般論】として語られるものなわけです。

・・・・さんのように遺伝的素因だけを持ち出すのは悪しき血統主義を助長し兼ねないバカげた決定論に過ぎません。
喫煙と肺癌の因果関係は(癌は遺伝的素因も影響しますが)ニコチンやタールなどの発癌性物質が環境因子として遺伝子を狂わせて悪性腫瘍を「形成」するというのが定説です。アトピー性皮膚炎もそうですしハゲもそうで、遺伝と環境が両方関係しています。
もちろんそれは飽くまでも仮説であって学者の中には養老猛のように「喫煙と癌に因果関係があるとは言い切れない」と主張する人も(圧倒的少数ですが)存在します。
しかし、そこはとつげき東北さんの麻雀論のように【一般論】として「平場の平和のみは立直」をするのにみられるが如く、喫煙と肺癌の因果関係は(統計的に)有りとみなして禁煙運動を展開するのが科学的な態度というものです。(肺癌=絶対悪の場合)

というかそんな細かい話はともかくですね、私が言いたかったのは結局、規制をかけないことによる影響が研究されていない理由が「安心という強度を得るのに十分だから」とか「それはマスコミが煽動している」とかいうのは全く意味が不明だということですよ。

・・・・さんはこれを読んだら論破されたストレスを環境因子にさっさと死んでください。


Re: 無題 六7 - 2008/09/03(Wed) 06:42 No.1456  

>規制をかけるorかけないの研究がそれぞれ別個であると考えてしまったことがそもそもの間違い

ここで言われている「研究」ってのは「報道」と読み替えたほうが誤解がないように思う。
「規制をかけるためorかけないための報道」なら別個であると捉えなきゃ間違いになる。
はぁ?そんなら軽々しく研究とか言うんじゃねーよそういう腐った言葉遣いがうんたらかんたらえんどれす。代わりに言っといた。

まー国民にとってマスコミの影響はとてつもなく大きいのはみんな知ってるし、「国民が○○な傾向はマスコミの影響だ」ってのは反則のような感じはするけども。


Re: 無題 とつげき東北 - 2008/09/03(Wed) 21:24 No.1457(管理者)  

>ペレルマン氏

>規制をかけないデメリット(強姦事件の増加)と規制をかけるメリット(強姦事件の減少)は表裏一体

何の話をしているんですか?
メリットとデメリットの比較をする際に、「Xの増加」と「Xの減少」を比較することしかできないなら、視野が狭すぎですよ。

例えばクモが部屋に何匹もいる。
(1)巣を張るし、邪魔だし、気持ち悪い。つまりクモの存在はデメリットとしてある。だからクモを退治した。
(2)しかし実はクモは、普段気にとめていない害虫を捕食してくれていた。クモを殺したことによって、害虫が大量発生してしまった。

極端な例ですが、(1)部分が「クモを規制しないことによるデメリット(クモの増加)」だけを考えた例で、(2)が「クモを規制しないことによるメリット」を強調したものです。

あなたは「強姦事件の増加の研究と減少の研究」の表裏一体性を論じていますが、それはこの話で言えば「クモの増加による、クモ被害(1)の増加の研究と減少の研究」のみの表裏一体性を示したものでしかなく、「クモの増加・減少に付随して起こる、他の被害(2)の増加・減少」についてまったく検討されていません。そして(1)の研究をする者と(2)の研究をする者は、多くの場合別人であり、対立関係にあります。環境問題に関する研究を見てください。

これはそのまま「アダルトビデオ規制に付随して起こる、他の被害や損失等の増加・減少」のアナロジーです。具体的には単純に経済効果でもいいし、もっと細かい犯罪の発生等とのかねあいでもかまいません。
レイプを年間50件減らすために国家予算1兆円使いますか?
それだけあれば殺人事件を100件くらい減らせるでしょうし、もっと良い使い道があるでしょうね。
でもあなたは「レイプを減らすためにはどうすればよいか」しか見ていなかったから、研究を「表裏一体のもの」と見誤ってしまった。

私の最初の記述が「間違った文章」に見えたのは、あなたの分析力ないし読解力に起因するものです。


>六7

相手が勝手に置いてくる変な仮定に乗ってしまって話を進めないよう練習を。


Re: 無題 ・・・・・ - 2008/09/03(Wed) 23:24 No.1458  

>ペレルマン

300臭がしてメンドイなぁw
さっさとお得意の論文盗用する作業に戻れよ(^^)

>あなたはとつげき東北さんの「逆に規制をかけなかった時の影響も研究されていない」という発言を真に受けて、規制をかけるorかけないの研究がそれぞれ別個であると考えてしまったことがそもそもの間違いであった、というのが私の指摘したことです。

真に受けようが受けまいが、んなもん関係なく、自分が「面白くなる」と思って分けたんだよ。
あんたは「・・・・・がとつげきに媚びている」という前提に立ってるからそういう変態な解釈になるんだよ。

>もしかするとあなたは性犯罪の原因究明が何か物凄い脳神経医学や遺伝子工学などの高度な学問で解明されると信じているのかも知れませんが、現実的には性犯罪者の当該性商品所有に関する統計的なサンプルデータを参考にするしかありませんから、性犯罪と性文化との因果関係の研究はもともと(特定のゴキブリの)【一般論】として語られるものなわけです。

もちろん、神経生理学的な分析により性犯罪者に共通して見られる抽象的性質は解明されるだろうし、そういった性質を統合したモデルを確立していくことによって、より現実に近い統計学的予測も可能になる(精度が高まっていく)と信じている。
当たり前だな。

>・・・・さんのように遺伝的素因だけを持ち出すのは悪しき血統主義を助長し兼ねないバカげた決定論に過ぎません。
喫煙と肺癌の因果関係は(癌は遺伝的素因も影響しますが)ニコチンやタールなどの発癌性物質が環境因子として遺伝子を狂わせて悪性腫瘍を「形成」するというのが定説です。アトピー性皮膚炎もそうですしハゲもそうで、遺伝と環境が両方関係しています。

誰が遺伝的素因「だけ」を持ち出して(一般化して)るんだよw
しかもそれを利用して恣意的に当て嵌めるなw
まぁ、もしも、それを前提にした場合、
俺の質問への文脈に沿った適切な反論の例としては
規制されないこと(彼によると環境的因子?らしい)による遺伝子への影響とそれによって何が「形成」されるのかを無理してでもSFっぽく語るべきだったな。

>・・・・さんはこれを読んだら論破されたストレスを環境因子にさっさと死んでください。

逆にストレス解消になっちゃった。


Re: 無題 六7 - 2008/09/04(Thu) 07:02 No.1459  

>とつ
おれ変な仮定に乗ってないよ?
ペレルマンが誤解(誤読)してるから修正してみようとしただけ。
もっと言うなら彼の揚げ足取りを空振りさせてみようとしただけ。

でも、彼以外への配慮が足りなかったのは確かだね。
でしゃばるべきじゃなかったかな。


Re: 無題 ペレルマン - 2008/09/04(Thu) 14:39 No.1460  

>・・・・さん

(^^)←これは窮地にたたされた時の赤信号ですね。わかります。外的な勝ちを確信したのでもう何も言うことはありません。

>とつげき東北さん

私の国語の偏差値は駿台模試で常に70オーバーでしたが、あなたの当該文章はどう考えてもヘンテコですよ。まず以下を見てください。

【蜘蛛を殺すメリット】(殺さない時のデメリットから導出)
蜘蛛の減少
【蜘蛛を殺すデメリット】(殺さない時のメリットから導出)
蜘蛛の餌である害虫の増加

【性を規制するメリット】(※規制しない時のデメリットから導出)
☆性犯罪者の減少 ☆’貯蓄できる(新たな有効需要の可能性)
【性を規制するデメリット】(※規制しない時のメリットから導出)
★性文化の衰退 ★’消費が滞る(デフレ要因)

@>何の科学的根拠もなく規制されるのに反発を覚えるが、
A>逆に規制されないことによる影響も研究されていない


いいですか、まず@−Aの間には「が」という接続詞がありますのでこれは《逆接》の関係ですね。性の規制に関して@では反発を覚えているので、Aではその反発と《逆接》するような、この場合では「反発を抑制する感情」がニュアンスとして含まれると考えられます。しかし「性が規制されないことによる影響(※)が研究されていない」ことは、あなたの反発を抑制する感情に直結しないので、私はAの文章が間違っていると言っていたんです。

次に、あなたが@で「何の科学的根拠もない規制」に反発したのは「★’の存在が考慮されていない」という意味じゃなくて「(※)→☆の因果関係がまだ研究途中だ」という意味に受け取られるわけです。なぜなら★’の存在を考慮するorしないは規制する時の「科学的根拠」とは言いませんからね。規制の「根拠」はあくまでも(※)です。ちなみに★と☆の関係は次元は違えどどこかで繋がっている可能性のある関係ですかね。

まぁ今回の蜘蛛の話から推測すると★や★’について考えられていない、という反発だったようでもありますが、それならば「規制した時のデメリットについて考えられていない」と言うべきで、やはりAの「規制されない時の影響」という言葉遣いがおかしいですね。
「規制されない時のメリット」つまり「(※)→★の根拠」と言えばまだ良かったんですが「影響」には功罪がありますからね。規制されない影響=「メリットのみ」と考えてしまうのは、よほど性を規制されると困ることがあるんでしょう(笑)
もちろん「規制されない時のメリット」と言っていたとしても「逆に」という言葉の遣い方がおかしいことに変わりはありませんから、どちらにしても文章力の欠如が露わになります。

とどのつまりですね、(※)から各メリットを導出する時の論理に不満があるのか、☆や★の数が十分に提出されていないことに反発しているのか、世間は次元の違う☆と★の因果関係を持ち出していると批判しているのか、その辺りのことをあなたはきちんと考えていなかったからダメなんですよ。

テキトーな文章を書いておいて後付けであれこれ言う「霞が関文学」は私には通用しませんよ。


Re: 無題 robert - 2008/09/04(Thu) 21:49 No.1461  

もはや「イチャモン」だな


Re: 無題 とつげき東北 - 2008/09/05(Fri) 00:07 No.1462(管理者)  

>ペレルマン氏

(1)仮に私の文章が言葉遣いにおいて間違っている場合
 →それでもなお、私の意図した意味において・・・氏は語っている。
 →つまり、両者の間で「意味が通じて」いる。
 →あなたの、
  >そもそもそのとつげき東北の文章が間違ってんのに、それに媚び売る形で
  >返信しようとし、なおかつ自分の主観を正当化させることしか考えてない
  >から、そんな評論としてどころか日本語としても狂った文章になる
  が誤り。
  彼にとっては私の文章は誤りではなく、私の意図したとおりの意味で解釈した。
  つまり、私と・・・氏の間では「文章が間違っ」たやりとりは形成されておらず、
  単に言葉遣いフェチなバカのみがついてこれていない状況が生じた。

(2)仮に私の文章が言葉遣いにおいて間違っていない場合
 →ペレルマン氏の指摘全てが誤り

あのね、当該会話までにおいて、私と・・・氏は、駿台の模擬試験の国語(全国なのかどうかも気になるけど)で点数を取るためのやりとりはしてないわけ。局所的に意思疎通ができていれば充分なの。
私と・・・が「あれって最悪よね」とかいう会話をしていて、お互い「あれ」が何を指すかをわかっているのに、後から出てきた誰かが「あれという指示語はそこでは不明瞭である。いいですか、『それ』が正しいわけです」とか勝手に騒いでいるだけなの。いいですかじゃねーよ。お前のみよくねーよ。
私たちの会話において、ペレルマン氏固有の美学=「言葉遣いの模試的正しさ」に従う必要はまったくなかったの。

んで、私は、
>私の最初の記述が「間違った文章」に見えたのは、あなたの【分析力ないし読解力】に起因するものです。
と書いたね。
それに対してあなたは、「読解力の点」だけで、何やらまるでバカのようにフォローしまくってるけど、もう遅いの。なんとならば、分析力に起因する可能性に論及してないから。むろん文脈を把握した上での読解力もないと私は判断するけどね。

クモ退治の話をしていて、クモを退治したことに付随する影響をまったく想定さえできていない時点で、この文脈における会話では分析力的に完全にアウトなのね。分析力ゼロ、うんこofうんこforうんこです。
・・・氏も六7氏もちゃんとついてきてたのに、あなただけがあなたの独善的美学によってついてこれていない。あなたは、あたかもここが駿台模試的記述が必須である場所であるかのように誤解して、自らの分析の大失敗を相手のせいにしている。


当たり前のことですが、本来「真に共同体のために」判断するには、クモがいることのメリデメ、クモがいないことに付随して生ずるであろうメリデメ、色々研究しなければならないし、研究結果を政治家が悪用して好き勝手に運用する現状について何がしか疑義を唱えなければならない。
それをあなたはこともあろうに「クモの増加と減少に関する研究は表裏一体である( ̄ー ̄)」で終わってしまった。
そのうえで、自らの善悪観への信念や「言葉遣いへの愛」及び「とにかくクモがいることのデメリットはこうだ!」というヒステリー症状、時勢への迎合等によって、やれクモ好きなやつはゴキブリだの何だのと騒ぎ立てるやり方が、「善悪」を悪用した典型的な暴力性なわけですよ。
「真に共同体のために」ならない、むしろ逆行するかもしれない愚行を信念の体系で塗り固め、「共同体のために」的な言説によって偽り、自らの善悪、つまり「クモ嫌い」を無自覚に正当化するような手法。その手法に身をゆだねる行為のうちにある真のゴキブリ性について、私は本ウィキで述べているんです。当該手法は、相手の現実的な分析を「駿台模試的な手法」に基づき、後付けで無効化するような手法ですよ。


ところで300世帯さん、レイプもののアダルトビデオを見たい個人に対して「ゴキブリ」という言葉を投げつけることの正当性は、どのような「権威ある辞書」の用法において認められているわけですか?
辞書的な・権威ある「言葉遣い」に固執しているくせに、言葉遣いがうまくできていない(これこそが自家撞着)。
駿台模試的な「言葉遣い」に固執しすぎて、参加者皆ができている程度の分析における「仕分け」が、全然できていない。
そしてそれらの愚かさによってのみ、相手に反論してみせる。
また、共同体大事とか言いながら、2ちゃんねるで数スレッドにもわたってスレ違いの(共同体的ルール違反の)書き込みを続ける傍らで、自らは何の新しい分析も提示できていない。今でもあなたがここに何かを書き込むと、不思議と数分後には2ちゃんねるにおいて、あなたの書き込みを周知したり賞賛するレスがついています。

あなたは何になりたいのかな?


Re: 無題 ペレルマン - 2008/09/05(Fri) 05:55 No.1463  

まず、私は今ペレルマンなのですから、積年の恨みを晴らすかのような書き方はせずに、今回の件に限定した記述を心掛けてもらいたいですね。さもなくば話が発散していまいますから。
もう一つ気になるのは、以前あなたが小児愛を口にし、ロリコンの疑いがかけられた時もそうだったのですが、何か御自身の性癖について指摘されると、自覚的にせよ無自覚的にせよ語気が強まる傾向があるようですね。もしや性に関して何か物凄いコンプレックスのようなものをお持ちなのかと邪推してしまいます。
あと2ちゃんねる云々は言い掛かりに過ぎません。

さて、その(1)と(2)につきましては、あなたは私の指摘に対して直接的には何の反論もしていないので、(1)として話を進めます。
そうしますと・・・・さんと六7さんはあなたと話が通じているということですが、果たして本当にそうでしょうかね。・・・・さんは「真に受けるとか受けないではなく、自分が面白いと思うことを書いただけ」と言っていますし、六7さんに至っては「相手の前提に乗ったか否か」でさっそくそちらで誤解が生じていますよね。
何より実際問題として・・・・さんのマスコミ陰謀論は完全に論拠薄弱であり、そんな迷妄を喚起したのはほかでもない、あなたのあの件(くだり)だったわけですよ。
マスコミを擁護するわけではありませんが、特定の立場の人間が誤った論法で非難されているのを目にすれば、発話者の認識の根本まで含めて批判しなければならないでしょう。
ましてやそれが公の場で行われているのに「我々の中では話は通じている」なんて言語道断です。

いいですか、そもそも性の規制に関する是非を問う議論は、どんな性を、どんな理由で、どのように規制するかについて、全てがとりわけ多岐に渡りがちなんです。それは人間の原始的な欲求に関わる話ですから議論の歴史も長く、例えば拳銃を規制すべきかどうかという問題に比べれば、多種多様な方法論で千差万別の見解が述べられることになるのは当然です。
そこで私は今回私見を述べるのを極力控えたんですね。私が本気で話し出したら長大な論文になってしまいますので。
ですからあなたの批判「君は蜘蛛の増減に関してしか考えていない」というのは私からすれば当然であって、分析力がないのではなく、自らをわきまえていたということです。その証拠に規制すべきかどうかについての持論を私は一切述べていません。
逆にあなた達は何の勉強もしていないくせに、たまさかの思いつきや気分や雰囲気だけで性の規制について喋々しようなんて、おこがましいにも程があるという話なんですよ。
「合成の誤謬」も知らずに経済効果(笑)なんて臆面もなく言ってしまうことに、その傲慢さがよく現れていますね。

そして最後に、レイプもののAVを鑑賞するのがゴキブリかどうかという話で思い出しましたが、よくよく考えてもみればゴキブリはレイプしませんよね。一部の霊長類や魚類を除いて、ほとんどの動物は強姦をしないと言われています。
それはメスが有能なオスを選抜することによる「淘汰」の一類型である、進化の法則が崩れてしまうからでしょう。つまり他のオスよりも力が弱くて不恰好で醜いオスが、メスを無理矢理に強姦して子供を作ってしまえば、子孫が退化してしまう危険があるということですね。
いわば共同体存続のために、強姦は動物界でもおおよそタブーとされているということです。

ここで人間に話を移せばレイプもののAVを鑑賞する人間の醜さが容易に浮かび上がってきます。
女性が無理矢理犯される所を見て下半身を逞しくしてしまう、それはおそらく、何の魅力もない男、また、そこから抜け出そうという才覚も信念も度量も何も持たない男が、一寸の努力もなしに、何とか子孫を繁栄させるために生み出した、究極的かつ最低の性癖と言えるんじゃないでしょうか。
恐ろしいことにそうして営々と受け継がれてきてしまった、ある特定の血筋というものが確かに存在するんでしょうね。日本人はアジアの他の国に比べると概ねそういう傾向が少ないんですけどね。まだなかなか根絶できないでいるところなんですね。

話をまとめると、その種の人間はゴキブリというよりもゴキブリ以下と言った方が適切でしたね。


Re: 無題 とつげき東北 - 2008/09/05(Fri) 20:44 No.1464(管理者)  

>私は今ペレルマンなのですから、積年の恨みを晴らすかのような書き方はせずに、
>今回の件に限定した記述を心掛けてもらいたいですね

嫌ですね。
あなたの中の人は、「300世帯」と呼ばれる、自家撞着して現実離れした思想を繰り返す属性をお持ちの方である。
どうしてそれをチャラにせにゃいかんのですか、もったいない。
言葉遣いの大事さをあれほど主張しておきながら自らの言葉遣いの不適切さが露呈し続けつつあるため、そしてあなたの主張と独立に、言葉遣いの正確さと分析の適切さとの無相関性が露になりつつあるため、身動き取れないのはわかりますがね。
そのかわり、お望みどおり拡散させないために今回のあなたの私への攻撃に対して書きますよ。


決して駿台国語模試的ではない場所で、

>何の科学的根拠もなく規制されるというのに非常に反発を覚えますが、
>逆に規制されないことによる影響についてもあまり研究されていない

という発言とそれに続く発言とを読んで、

>とつげき東北の「逆に規制されないことによる影響」の「逆に」ってのがおかしい。
>規制されないことによるデメリット(例えば強い逸脱性向が形成される)を研究する
>ことが、それすなわち規制することの科学的根拠(性犯罪の抑止)に繋がるんだろ

な〜んて考えて、それを論拠に

>そもそもそのとつげき東北の文章が間違ってんの

とか言えてしまうアホさ加減を笑ってるんですよ。

しかもそれを後から「駿台模試国語の場合」でフォローするとか(しかも偏差値の保証つき! キャァ)、正直ありえないです(笑)。
他に「実は六7と会話が通じていなかったのではないか」といってみるとか。
まじカンベンっす。
はいはい、仮に私と・・・氏や六7氏の認識にずれがあったとしましょう。
ですがどう考えてもそれは私が「逆に」という「間違った」接続詞を使ったからというわけではない。
そして、どっちにせよあなたの分析及び読解力が致命的であったことに揺るぎはない。

そうなった原因はホラ、あなたの「言葉遣い至上主義」によるものなんですよ。
言葉遣いが大事大事大事と言いながら、自分自身が発した、

>規制をかけないデメリット(強姦事件の増加)と規制をかけるメリット(強姦事件の減少)は表裏一体

みたいなコトバに踊らされて、現実を見失ったのですよ。
間違いなくね。

ところがその指摘を受けたら今度は、

>いいですか、そもそも性の規制に関する是非を問う議論は、どんな性を、どんな
>理由で、どのように規制するかについて、全てがとりわけ多岐に渡りがちなんです。

とかね。
どんだけ逃げるんだと。
「当然わかっていた」、というわけですよね。
そうでしょうとも。

でも、私の「規制をかけるべき理屈を考える研究、逆にかけないべき理屈を考える研究両方やらにゃーね」という旨の発言(多様性に留意した発言)に対して、あなたは「(研究は)表裏一体」などと、あたかも当該研究が単純であり、多岐に渡らない単独のものであるかのごとく言い返してましたよね。

なんでですかね。
いまさら「いいですか、」とかまとめちゃっても遅いんですよ。
あなたが今タイムマシーンを手に入れたら、真っ先にこのスレッドの書き込みを消すべきですね。とても恥ずかしいからですね。


あと適当にレスっときますね。


>性に関して何か物凄いコンプレックスのようなものをお持ちなのか

いわゆる「劣等コンプレックス」という意味であれば、推測は誤りです。
分析力を鍛えましょうね。
言葉遣い至上主義者なのですから、言葉遣いにも気をつけたほうがいいですよ。
ついでにあなたの発言「ゴミ虫」も、権威ある辞書に、他人を貶すための用法として載っていませんから至急訂正したほうがよろしい。


>2ちゃんねる云々は言い掛かりに過ぎません。

誰が真の「言いがかり家」かというツッコミはいいとして。
えと、事実としてあなたは3スレッドに渡り連日書き込みを行い、百以上もの書き込みで埋めた。で、何か「投票」とかをやった時以来、ピタリと「あなたの書き込み」が止まったと記憶しています(リアルタイムで見ていませんし、本格的にも見ていませんので事実誤認があれば指摘を)。
それでもなぜだかわかりませんが、「外的に負け」とか、「ゴキブリ」といったような、普段2ちゃんねるを巡っていても、そうそう目にしない、「あなた特有のしみったれた表現」が相変わらず反芻されているわけですね。
もちろんこれをあなたの書き込みとは断定いたしませんし、事実、最低でも「全てがあなたによるものではない」と確信しています。しかし、あなたでないにせよ、いやあなたでなければこそ、あなたにはすべきことが残されています。
つまり、少なくとも「ゴキブリ」という言葉遣いはあなたも認めたとおり不適切なわけで、明らかにあなたの影響によってそのような誤用がまかりとおるようになったのですから、早急に、「とつげき東北をけなす場合、『ゴキブリw』と書くかわりに、『私がゴキブリを見て感じる時と似た負のイメージを与えさせる存在だなw』あるいは『……イメージ又はそれ以下のイメージを与えさせる存在だなwwwww』と書くようにしましょう」と周知した方が共同体のためになるに違いありません。
というのも、あなたの珍説によると、そうしなければ言葉遣いが乱れ、結果として精神が腐敗してしまいますからね(笑)
あなたは謎の共同体主義者のくせに、へたくそな分析・思想を示したりすることとあわせて、たいへん共同体に悪影響を与えています。可及的速やかに改善を。
私とて、正しい言葉遣いによって「ゴキブリのようなイメージを与えられる存在」である旨伝えられたら、それはもうすがすがしいですよ。


>「合成の誤謬」も知らずに

どうしてあなたはよくそういう嘘をつくんですか?
お得意の「低劣分析・爆裂ハリケーン!」の発動で、「わかっていない、間違った主張をしている相手」の虚像を作って叩く手法ですか?
合成の誤謬といえば、まさにあなたが、以前の議論で「みんながそんな考えを持ったら」的名言を使用し、「誤謬が起きた後の世界」のみを陳列して悪用していたから、私に何度も何度も何度も(合成自体が起きないのだ、と)注意されていたじゃないですか。
※「低劣分析・爆裂ハリケーン」は、どこかの国の権威ある辞書に、たぶん載っていると思います。


>レイプうんぬんと進化の話

ヒトはホモ・デメンスですよ。恐らくあなたの好きな話。
せいぜい種のため共同体のため、言葉遣いを上手にしてください。
でもその前に、ちゃんと物事を現実的に分析できるよう努力してください。
言葉遣いごときが少々狂っても、「駿台国語」によって自分のクソ分析をごまかすような輩にならなければ大丈夫です!
これ、共同体のためにみんなに教えてあげたほうがいい。オススメです。


>女性が無理矢理犯される所を見て下半身を逞しくしてしまう、それはおそらく、
>何の魅力もない男、また、そこから抜け出そうという才覚も信念も度量も何も持
>たない男が、一寸の努力もなしに、何とか子孫を繁栄させるために生み出した、
>究極的かつ最低の性癖と言えるんじゃないでしょうか。

でーたー! バカ分析決めうちスマッシュ! 攻撃力120%!!

そんなうんこ推察なら逆でもアリですよ。
共同体を征服し支配し、あるいは周囲よりも力を保ち、他者を蹂躙することが可能になった「有能」な男こそがレイプをする権利を持ったと。まぁ昔は武力が力でしたからそれはそれでアリでしょう。どこぞの王は自らの領地内の全員の処女を奪ったそうな(出典忘れた)。
今の日本なら、さしずめ都道府県知事は当該都道府県内の、市区町村首長は当該市区町村内の女性を好きにしてよい並のやり方ですな。ですが首長というのは当然現代における成功者の一人、「民主主義的な無限遡及によって」(無限遠方で)選ばれる「はずの」知性ある人間ですから、共同体のためにはその方がいいんじゃないでしょうか?(笑) あ、「それはレイプと違うし現実の日本では起きない。共同体の伝統がうんぬん」の話はおなかいっぱいです。
少なくとも日本は他のアジア諸国に比して、そうした優れた人物の遺伝子が営々と受け継がれてこなかったのでしょうね(笑)
一応書いておかないと、駿台全国判定模試で国語偏差値60切る恐れがあるので断りますが、上記は冗談ですよ。

まあ、あなたの場合、極力自分で考えないことです。
教科書的解説も自分でブログなりWebサイト作ってやれば、バックグラウンドがあれば書籍になりますよ。
駿台国語的観点でアラさがしして「自家撞着! 自家撞着!」やってるだけでは、共同体のためにもあなたのためにもなりませんぜ。


Re: 無題 ペレルマン - 2008/09/06(Sat) 06:02 No.1465  

何を感情的になっているんですか。ほとんど恨みつらみの情念の吐露に終始しているじゃないですか。
しかも一度文章を投稿してから、後でちょくちょく書き換えるのは凄くダサイですよ。きちんと推敲してから投稿してくれないと、こっちまであなたの加筆修正に付き合う羽目になるんですよ。あなたが魯鈍であるがばっかりになぜ私まで書き直さねばならないんですか。

で、自分が2ちゃんねるでゴキブリ呼ばわりされて困ってるとか、(こっちはユング的な複合型感情という意味で使っているのに)自分には劣等感情はないとか、この辺は要するに自業自得の変質者の戯言に過ぎませんからどうでもいいでしょう。敢えて言えばコンプレックスについての「分析力(笑)」がないですね。いや、ロリコンの「コン」を劣等感情だと解釈してしまうんですから根本的な知力がないと言うべきでしたね。

あれ?とすると、とつげき東北さんの愛してやまない「分析力(笑)」とは一体何なんでしょう。
そうです、相手を上手く批判できない時に投げる「石つぶて」のことです。上手く言えないけどとりあえず腹が立つから「分析できていない!」と喚いているのです。みなさん、そんな時は軽く交わしてやるか、先ほど私がデモンストレーションしたように投げ返してやりましょう(笑)

さて、本題です。

>何の科学的根拠もなく規制されるのには反発を覚えるが、逆に規制されないことによる影響も研究されていない

>「性に規制をかけるべき理屈を考える研究、逆に規制をかけないべき理屈を考える研究、両方やらにゃー」という旨

いやー恥ずかしいですね〜(笑)もしくは不甲斐ないです。あるいは情けないですし、よしんばやるせないで済んだとしてももはや生きてる意味はないでしょう。
なぜって、上の文章は先だって誤りが証明されているのに、それを性懲りもなくフォローして辻褄を合わせようとするもんだから、またまた変な文章になってしまってもう取り返し不可能になってしまいましたから(笑)

まず、性の規制(社会学方面)の話からいつの間に「理屈を考える研究(なにこれ?)」に移行したんでしょうか(笑) 科学者が呪術に嵌って行くような「愚昧」の形成過程を垣間見ている気分です。あのニュートンが晩年、古代シュメール人が蘇ったかのように錬金術の習得に明け暮れたという話を思い出したりもしました。
あっ話し出すとキリがないので次行きますよ。以下を見てください。

@性犯罪に関する功罪
【規制するメリット】
性犯罪の減少
〔規制しないデメリット〕
性犯罪の増加

A性産業に関する功罪
[規制しないメリット]
需要拡大
【規制するデメリット】
需要縮小

 【規制する】 ⇔ [規制しない]
@【メリット】←〔デメリット〕
A【デメリット】→〔メリット〕
      (←or→)=理屈


いいですか、あなたの文章は横の関係しか見ていないんです。それは理屈という言葉を1度に2度用いていることから推測されます。
しかし「規制する(しない)べき理屈」というのは本来@とAの縦の関係において両メリットを比べた時の優劣の差のことですよ。具体的には性犯罪の減少と経済効果を比べた時にどちらを選ぶかの「価値判断の基準」のことです。
意味わかりますか?規制すべきか否かの理屈は、規制是か非かの結論の最後に1つだけ提出されるものなんですよ。こうも言えますよ。「両方を研究せにゃ」と言いつつ「多様性」ともあなたは言っていますが、これは研究の対象が@、Aそれぞれの中身でありながら、@やAの種類であることも指すという、言わば「入れ子(ネスティング)」のような定義矛盾を抱えた記述なんです。

理解できますか?できないなら模範解答を提示します。
「規制した時のメリットだけでなくデメリットについても考えるべき」←こう書けばよかったんですよ。
「>規制すべき理屈」←これが曖昧過ぎて何を言ってるか判然としないからいけないんですよ。

最後に、こちらは経済学の「合成の誤謬」(ケインズ)の話をしているのに、あなたはまた完全にマイ定義で反論してますよね。「みんながやるわけない」っていうのがあなたの「合成の誤謬」なんですか?それは「合成の誤謬」とは言いませんよ。単に「あなたの誤謬」です。私はあなたが「俺がレイプAV買わないと消費が滞って日本経済が停滞する」みたいなことを言うから、その分貯金できるから新たな有効需要が生まれますよ、と言ったんです。
しかもアダルトヴィデオの売上は暴力団や朝鮮系マフィアの資金源になってるという話ですけどそれについてはどう釈明するんですか?

ちなみに私は東京大学出版から既に数冊上梓していますから余計なお世話です。


Re: 無題 とつげき東北 - 2008/09/06(Sat) 09:26 No.1466(管理者)  

土曜は朝から楽しめますね。

まず訂正です。
2ちゃんねるへのあなたの連投ぶりに関して、今ローカル保存していた過去ログをチラ見してきましたが、「百以上」という表現は適切とは言いがたかったですね。
あなたはとある1日(6/26木)には、50以上ものレスをしていました。次の日(6/27金)も30近く。6/25水は10ちょっとですけど。
そういった水準の頻度を保ちつつ連日書き込みを行い、見事3スレ消費です。
平日の朝から晩まで職務専念義務規定等に違反せずにこれをこなし続けたとは、さすが、東京又は東京近郊の
>超一流私立
を卒業し、東大院を経て最難関企業に就職されただけあると感服せざるをえません。
(ただ、早稲田、慶応などの一流私立大は知ってますが、最近できたらしい「超一流私立」とやらを存じ上げないのが残念です。ちなみにこれは形而上の話ではなく、現実に存在する大学という認識でよろしいでしょうか?)

発言について、
>後でちょくちょく書き換えるのは凄くダサイですよ
とあなた書いてますが、そうですね、大意が変わらない範囲でちょこちょこと書き直す・加えることがあります。といっても(ギャグの追加などを除いて)せいぜい数十分以内に。そういえばあなたは前回も、書いてたった15分くらいで書き加えたのを見抜きましたね。
ものすごいですよね、色々。


さて、

>@性犯罪に関する功罪
>【規制するメリット】
>性犯罪の減少
>〔規制しないデメリット〕
>性犯罪の増加

>A性産業に関する功罪
>[規制しないメリット]
>需要拡大
>【規制するデメリット】
>需要縮小

なんかこんなの書いてありますね。
そうです、私は明らかに@だけでなくたとえばAだとか、その他種々の影響の存在について検討しなきゃーいかんだろ(※)ってことを、

>何の科学的根拠もなく規制されるというのに非常に反発を覚えますが、逆に規制され
>ないことによる影響についてもあまり研究されていない

という表現で示唆しました。
しかし、驚くべきことに@しか見えていなかったとある蒙昧な人が「文章がおかしい」とつっかかってきたため、いやいやいや文章とか以前に@しか見えないのはダメよ、という旨書いたのでした。

そこから壮大な「添削」が始まりました。必要ないのに。
なにこの不要な赤ペン先生。
私が示したことは「@しか考えられなかった時点で最強のうんこ」ということであって、それを示す「文章」が当該蒙昧な人の採点において「正しい」かどうかはどうでもいいのです。それは当該蒙昧な人のみが勝手にこだわっているだけの事柄ですし、実際に「正しくない」文章であるにもかかわらず、当該蒙昧な人はAの存在に遅ればせながら気づきましたし、私にとっては当該蒙昧な人が@しか見えていなかったという致命的事実を読者及び当該蒙昧な人に伝えられれば充分だからです。

だから、

>上の文章は先だって誤りが証明されているのに、それを性懲りもなくフォローして
>辻褄を合わせようとするもんだから

といったような食い下がり方こそ、徹底的な後付けなのです。
性懲りもなく? 辻褄?
いやいや。あなた@しか見えてなかったうんこだから。
それだけが示されれば充分だから。


それから、「コンプレックス」の話。
後付けで
>こっちはユング的な複合型感情という意味で使っているのに
とか言うのなしで。
一般的に、現代日本で「コンプレックス」という語は、「劣等コンプレックス」の意味で流通しているという歴史的(笑)共同体的(笑)事実を鑑みれば、「コンプレックスのようなものをお持ちなのか」という言葉遣いで、「ユング的な意味におけるコンプレックス的なものを持ちあわせているかどうか」を問うのは言語としての日本語の用法として極めて不適切です。
まあ、もし仮に、そこで私がユング的な意味に忠実な(笑)回答を返していたとしても、あなたは「コンプレックス的」という風に最初からぼかして書いているから「そういう意味ではないんです。いいですか、コンプレックス的なものには多様なものがあるんです。つまりですね、……」とつながるに決まっていますけど。防衛線張りすぎですし、即突破されてますよ。

次。合成の誤謬の話。
後付けで
>こちらは経済学の「合成の誤謬」(ケインズ)の話をしているのに
とか言うのなしで。
いや、実際には後付けになってないのですが。
ミクロレベルでの主体の合理的な意思決定が「合成」された際に、マクロレベルでは合理的でなくなるという意味、つまり「合成の誤謬」という言葉が日本語として流通している(情報学系の学会においてもこの意味で普通に通用する)現状を鑑みれば、何らそれ自体誤りではない私の解釈の範疇において、私の指摘は完全にあてはまっていますよね。あなたは当該意味における合成の誤謬を悪用し乱用していた。間違いありません。
もしもあなたの「合成の誤謬の真の意味」がそうでないとすれば、あなたの中にあるあなた独特の用法を説明抜きで勝手に使っていることになりますから、言語としての日本語の用法として極めて不適切です。

ですので、「自分は違う意味で使っていたのに」論法はもうやめてくださいね。
後付け、後付け、とあなたは繰り返していますが、はっきりつっこみますよ。

君 の み 後 付 け 。 (しかもヤクハイのみの)


ああいっこだけ、真面目に書いておきますか。

>「規制する(しない)べき理屈」というのは本来@とAの縦の関係において両メリット
>を比べた時の優劣の差のことですよ

「本来」という言葉にあなたの全てが集約されてますな。
「規制する(しない)べき理屈」が、@とAの縦の関係において両メリットを比べた時の優劣の差を一意に意味するなんて、現実ともっとも程遠い理想論にしか過ぎません。
郵政民営化すべきか、せざるべきか、の時の有識者会議もそうでした。
民営化賛成派(そのほとんどは、民営化によるメリットを中心に研究・強調し、デメリットにはほぼ触れていませんでした)が多数を占めるようあらかじめ構成され、反対派(こちらもまぁ、デメリット部分ばかりを研究・強調するタイプですね)は会議出席者になれもしませんでした。
「本来」は、どの有識者も、メリデメ両方を丹念に研究して結論を出す「べき」でしょうけど、現実はそうじゃないし、研究者も「誰から・どこから」研究費を引っ張ってくるか、もっと俗に言えばどっち派につけば自分の著書が売れるか、とか色々あるので、片方の派についてそっちばっかり研究することが多いんです。
これは理系であっても一緒でしょ。「本来」ヒルベルトは数学の完全性の証明のために動くだけではなく、不完全性の証明のためにも動く「べき」だったのかもしれない。しかしそうじゃなかったでしょ。
あなたの言う「本来」はね、あなた特有の形而上の世界にしかないんですよ。
だからゴミのような理想主義者に堕して、全ての言葉から現実味が失われるんです。
何度も言いましたね、現実を見ろと。
しかもこの場合、あなたの後付けの理屈でもありますよ。
「本当はこうあるべきなのだから、とつげきの発言はおかしい」という形式になっていますが、「本来」は未来永劫訪れない理想世界、とまで言えば言いすぎかもしれませんが現実的にほとんどあり得ないことなのですから、私の発言はおかしくもなんともない現実的なものなのです。
(※)部分の補記。これは「デメリットを研究する人が『政治的意向』や『大衆的熱狂』と無関係にちゃんといないとダメ」(ゲーム脳みたいなことになっちゃイヤン)という意味であって、上の記述と矛盾しません。つっこまれるとうざいんでかいとく。


ついでに、あなたの日本語には、あなたの言っていた「権威ある辞書の用法」とは途方もなく異なる用法が数多く見られます(何度も実際に指摘しました)。
あなたの珍説によれば、辞書的用法を大事にすることはものすごく重要であり、それなしでは共同体の事実上の破滅にさえつながりかねないんでしたよね。
にもかかわらずあなた自身が用法を誤り、なおかつ他人にまで当該誤用による悪影響を与えてしまっている。あなたは、自らが至上のものとする共同体をつぶそうとしている。
あなたには理想がある。だがいつもいつも現実を見ないどころか、自分の理想にさえ反している。
この種のあなたの挙動について、何らか説明してくださいよ。
もちろん、無理やりの後付けでけっこうですよ?


>ちなみに私は東京大学出版から既に数冊上梓していますから余計なお世話です。

これはこれは失礼しました。
そちらの本はまともであることを願ってやみません。


Re: 無題 我打麻将 - 2008/09/06(Sat) 13:10 No.1467   HomePage

こっちは久ーしぶりに来ましたがまだやってるんですねw
性犯罪の規制と性産業の規制ってどんな関係があるんですか? ペレルマンさん講義頼みます><


Re: 無題 ペレルマン - 2008/09/06(Sat) 17:25 No.1468  

後付けはあなたの方でしょうが(怒)だって話が途中で逆転してるじゃないですか。
あなたは、性の規制に関して「権力者の利権が絡むべきでない」と言いつつ「規制すべき理屈」(健全な政治家側)と「規制しないべき理屈」(暴力団側)を両方出すべきとして、無理矢理に理屈を拮抗させようとせんばかりじゃないですか。
でも「規制すべきか否か」は国家の決定としては一意に決まるわけでしょうが。そうしたらその理屈には例えばですが「経済面のデメリットもあるがそれを越えて性犯罪の減少というメリットの方が大きい」という風に、功罪をともに包含した健全な理屈として1つに決まるはずですよ。
それを真に健全な結論にすべく「規制した時のメリットだけでなくデメリットも研究せねばならない」とだけ言えばよかったのに、あなたは

>「性に規制をかけるべき理屈を考える研究、逆に規制をかけないべき理屈を考える研究、両方やらにゃー」

などという噴飯物の後付けをやってしまった。「理屈を考える研究(笑)」って何なんですか。哲学ですか?「理屈とは何か」から始めるんですか?そんなことをやろうとするから立場を守るだけの屁理屈が生まれるわけですし、あなたもその背景には政治イデオロギーが必然的に介在しているということを嘆いていたんじゃないんですか?完全に自家撞着してますね。

あとコンプレックスについてはその前に「あなたはロリコンと疑われてましたが」と書いてますよね。ロリータ・コンプレックスは少女への劣等感情なんですか?ファザコンは父親への劣等感情なんですか?
あなたの周りが誤用してるだけなのに公の場で私の文章を誤読しないでくださいよ。しかもあなたはそれにかこつけて私のことを「分析力(笑)がない」とまで言ってる。
私が書いた私の文章、しかもそれはあなたのように文法的な誤りを含んでいない、にもかかわらず分析力がないってどういうことですか。
あなたの周りでウンコをぶつけ合う習わしがあったとしても私にウンコを投げるのは辞めるべきですね。ばっちいです。

「合成の誤謬」もとい「あなたの誤謬」に関しては、広義にはその定義でいいでしょうけど、あなたは私の「みんなが道徳を守らなかったら」という文脈に対して「合成の誤謬」を持ち出したと言いましたよね?
だとしたらそれはその定義でも誤用じゃないですか。経済では「貯金をすると個人は金持ちになるが、みんながそれを行うと全体の経済活動が停滞する」ということが誤謬でありますけども、「各個人が道徳を守らずエゴイスティックに振る舞ったら、全体で捉えた時の国民は逆に道徳的になる」のですか?意味不明ですね。完全に頭おかしいです。

あと大まかな内容に関しては加筆修正していないとおっしゃってますけど、NO.1462において最後の2ちゃんねるの件が加筆と訂正されたようですが、それは瑣末なことなのですか?その割にはいつまでも引き摺ってますよねぇ。まぁ加筆されたものなので無視しますけどね。

とにかくまぁ、こうもヘンテコな文章を書いておいて「後付け」で、定義もさだからぬ「分析力(笑)」を喋々していれば土曜の朝から楽しめるんですからあなたも幸せですねぇ。レイプもののAVの方は土曜の午後から楽しむんですか?(笑)


Re: 無題 とつげき東北 - 2008/09/06(Sat) 22:40 No.1469(管理者)  

じゃあ解説を入れます。
最初の部分、繰り返しになりますが、まとめですのでご容赦を。


300氏は、

>規制をかけないデメリット(強姦事件の増加)と規制をかけるメリット(強姦事件の減少)は表裏一体

というたった一文において、
・メリット=強姦事件の減少
・デメリット=強姦事件の増加
という悲しいほど明瞭な図式で、規制に関する研究について、

>あたかも当該研究が単純であり、多岐に渡らない単独のものであるかのごとく

論じてしまいました。
そこで私は直後に、

>何の話をしているんですか?
>メリットとデメリットの比較をする際に、「Xの増加」と「Xの減少」を比較する
>ことしかできないなら、視野が狭すぎですよ。

と書きました。
メリデメにはXだけでなくYやZもあるんだよ、と鮮明に伝わりますよね。
こう書いた以上、普通、XやYやZを勘案して物事を判断しないとダメなのにね、という私の意図も伝わるのではないでしょうか。
あれ、伝わらないですか? だとすればコンテクスト(文章が書かれた前後関係あるいは、もっと言えば私の普段の発言)を把握して読解する力が足りないだけですね。
ええ。伝わりますよね。
ついでに、私はYの具体例として経済効果を挙げておきました。

時系列的に最初に配置されているこのやり取りで、全てが終わっているのです。


ところが300氏は先を続けようとします。
何を思ったか、@とA(XとY)を縦に並べ、各々横方向にメリデメを並べて、

>あなたの文章は横の関係しか見ていないんです(略)
>「規制する(しない)べき理屈」というのは本来@とAの縦の関係において両メリット
>を比べた時の優劣の差のことですよ

などと私を攻撃しはじめました。
今さらXとYの両方のメリデメを総合判断すべき、とか指摘する勇気だけでも感動ものですが、面白いのは、

>あなたの文章は

という表現ですね。
彼お得意の「添削」により、なんとか失態を取り戻そうとしているのです。

普通の人は、私がXやYをそれぞれ単体でしか判断できていないなどと信じたりしません。麻雀においてリーチをかけるべきかどうかの判断で、「アガりにくくなることによるデメリット」「点数が高くなることによるメリット」「振り込む場合のデメリット」等を数式に組み込む私が、まさか「アガった場合の点数的メリットの増減」しか見ないタイプの人間であるわけがないですからね。
そして、実際には300氏さえ、それを知っているはずなのです。
知っていてもなお、「文章に」いちゃもんをつけなければならなかったのですね。
まあ、ここで「文章は」と律儀に書くところは300氏の美学として、なかなかイケてます。

で、彼は先ほどの「縦に並べたやつ」についての解説を加えつつ、

>いいですか
>わかりますか?
>理解できますか?

などと盛り上げることで、まるで彼の指摘こそが斬新かつ適切であり、私にはそれは想像もつかなかったものであるかのように装います。麻雀議論で言えば、「ま、まさか! リーチすべきかどうかの判断には、アガりにくくなることによるデメリットも考慮に入れた、総合判断が必要だったのかぁ! おれの負けだぁ!!」と、私がひれ伏す情景。彼はそういったイメージを繰り返し演出してゆきます(ちなみにこの書き込みの直後、2ちゃんねるにおいて、300氏の分析の明確さが、誰かの手によってアピールされています)。

ここでこの論法の秘密に迫りましょう。

「いいですか」「わかりますか」――これらがホラ、なんだったか、そうそう「低劣分析・爆裂ハリケーン!」を成功させる魔法のセリフなのですね、わかります。
「相手は気づいていない/知らない/わからないのだ」という嘘を作り、当該嘘に基づいて相手を叩くのです。このイメージを確固たるものとするためには、「いいですか」といったような言葉を何度も何度も浴びせかける必要がある。相手がいかにわかっていないか。実際、前回の議論と今回の議論をあわせて、彼は合計12回も「いいですか」と連呼しているのです。「ぜんぜんよくねーよハゲ」と感じることがしょっちゅうありますが、書いてしまえばいいわけだから手軽です。

そして文章や単語の用法のあらを探すのです。
仮に普通になら通用する程度の書き間違いや表現のゆれであってもかまわないから、とにかく見つけ出す。彼には、私が何かを書いて15分後に加筆等をしたら気づく水準の、また2ちゃんねるに平日に50以上レスをする水準の時間的余力がありますから、書くときは推敲を重ね、読むときは熟読しているのでしょうな。それ自体はいいことです。もっとも、

>「性に規制をかけるべき理屈を考える研究、逆に規制をかけないべき理屈を考える
>研究、両方やらにゃー」

と、私がわざわざかぎ括弧までつけ、「やらにゃー」という書き方で、適当感(はい、ちゃんと言えば当該文章が「文章としての乱雑性」を多分に含んでいること)をアピールしている文章にまで「採点」を入れるのはやりすぎでしょうけどね。

で、ミスを見つけた後が問題です。
「相手の文章がおかしい」ことを証明できるだけであるはずなのに、彼はその実「相手の理解がおかしい」という風にもイメージ的に結び付けていきます。ここは彼の珍説「言葉遣いが辞書的でなければ精神もダメ」的な教えに従えば彼の中では正しいことなのでしょうが、それを前提として「解説」を繰り返して話を進めるため、しばしば非現実的な結果を迎えます。
直近では、合成の誤謬の件でもありましたね(※下で解説します)。

こういった方法を繰り返しながら、「文章のミス」を探しまくれば、おのずと「相手が理解していなかった」がゆえに「相手は後付けで性懲りもなくフォローして辻褄を合わせようとする」と認識可能になります。
実際には相手がとっくに、一番最初の発言の時点で理解していることであっても。
このようにして、非現実性がどんどん蓄積されていき、話がかみ合わなくなるのでしょう。

以上が、およそ彼の手口の全貌となるでしょうか。
前回は「歴史長文」を使われましたが、今回は自重してくれたようです。
ちなみにこの手口、確かに知識の幅が広い彼のことだから、実際に相手がわかっていない事柄の場合にも使えます(その場合はもう少し正当な使い方になるやもしれません)。ただ、そのせいで、相手がわかっていることでさえも「わかっていない」と信じて話を進めてしまうこともあるのですね。今回の議論がまさにそれです。
1発目の発言でオワリと私が言ったのは、そうだからです。
「読解力がある状態」とは、「厳密に文字通りの意味しか理解できない」状態を必ずしも意味しないことに留意してください。



さて。ちょっと現実的なお話でもいれましょうか。
彼とのからみも入れつつですけども。

私は、「本来」は、XやYやZ……総合的に判断して正しい結論を導かなければならないのは当然だけども、実情はXのみ、Yのみ、あるいはXとYのみ、等に偏った、あらかじめ方向付けられた研究者が多く、時の政権の望む方向で研究している人が有識者会議に呼ばれて何事かが決まるのだという具体例(郵政民営化)を出しました。
ミクロにおけるその「理由」も、ちょこっと述べました。
さらには、300氏の文章にある「本来」という文字こそが、氏の「非現実性」の証左に他ならないのだとも指摘しました。
「本来政策はこうやって決定すべき」の「本来」は、永久に訪れないからです。
根拠をお探しなら、パブリックコメントを募集している施策案でもご覧なさい。超適当な思いつきの、XやYどころか、メリデメなど一切考慮していないかに見える施策が、どれほど平気でまかり通っているか。有識者会議とやらの出席者の、平素の主義主張をご覧なさい。どれだけ当該会議を開く側にとって有利な、方向付けられた人々が不透明に選ばれているか。もっとも端的には、官僚やってる友達に実情を聞いてごらんなさい。
それらのクソ施策の多くは、現実を見れない人々(どこかの課の課長や課長補佐、時には係長、あるいは政治家などなど)によって「思いつかれた」だけのものなのですが、最後にはめでたく「政府決定」だとか「○○(事務次官やら官房長)連絡会議決定」とあいなります。廃案になることはそうそうない。思いついちゃったんだもん。しかもこういうことやりたがる人って、往々にして「自分が施策を作ったんだ! 国を動かしているんだ!」「自分のこの施策によって共同体がうまくいく!」みたいな高揚感が欲しいだけなんですね。そういう現実味の薄い人こそが、「思いつき」やすい傾向を持つのは理の当然です。

「ゆとり教育」、みなさん覚えていますね。ああいうのもそういったパターンの典型例かと思います。
「本来」は、「ゆとり教育」を実施することによる各種の観点からのメリデメが広く検討され、結果として総合判断において決定されていなければならなかった。最低でも、「学力が向上するかどうか」「創造的活動力が本当に上がるかどうか」くらいは判断されていなければならなかった。
でも、「世論」やらメディアが「思いつい」ちゃったんですね。「ひょっとして詰め込み教育ってよくなくない? キレる少年増えてる理由、それじゃない?」みたいな。世論が一定以上に声をでかくすると、政治家が国民のご機嫌とりのためにそういう方向性を作って(具体的には「キレる少年について全てわかっている」かに振舞うどこぞのバカ研究者の途方もない意見を引っ張り出してきて、なんちゃら会議とか勉強会とかでバカ談義した結果)官僚に指示を出す。官僚は官僚で上司がうるさいというわけで、文科省が適当にだましだまし動いて、結局あのザマです。普段決して「間違い」を認められないはずの政府機関でさえ、あの施策がミスだったと半ば認めているのだから驚きです。
で、ああいうのの(案)といいますか、たたき台つまり骨格は、ほとんどの場合、1係長程度(国家T種なら、大学卒業後3年目くらい以降ですね)の職務権限において作成されるのです。
とあるクソ政策があって、もしも仮にそのクソさをちゃんとした研究で理解している研究者集団がいたとして、彼らがパブリックコメントを寄せたとしても、はなくそをほじりながら「ご指摘を踏まえて検討する」とだけ返事して(案)を通してしまえば仕事は終了ですからね。

この種の政策決定の現場ないし現状を見る限り、300氏の言う「民主主義的な無限遡及」などといったものは、観念上を除いて、残念ながらどこにも存在しません。

以上で今回の私の講義(笑)は終了です。



>300世帯氏

あなたはもう「今回の」話につっこむべきではない。
理由は、さすがに外的に(笑)何かもうアレですし、もはや私も今回のネタで読者を笑わせられるギャグが枯渇してきた。
私のアンチ読者でさえ、「言葉遣い採点」には飽きてきてるでしょう。
それから、疲れた。時間もったいない。ループしそう。

コンプレックスをユング(笑)の定義として「コンプレックス【のような】ものをお持ちなのか」聞くというのは随分と意地悪であり、これについては「持ってんじゃねーの、心理学者が決めることだから、運のみだろうけど」と答えておきますが、確かにここについては「後付け」でなさそうなので、当該部分に関する私の反論は誤りでしたね。失礼。

それより私がずっと興味がある話、300世帯氏がずっと避け続けている話があるので、ぜひそこだけ最後に弁明を聞かせていただきたい。

私の指摘。何度もしたやつ。

>あなたの日本語には、あなたの言っていた「権威ある辞書の用法」とは途方もなく
>異なる用法が数多く見られます(何度も実際に指摘しました)。
>あなたの珍説によれば、辞書的用法を大事にすることはものすごく重要であり、そ
>れなしでは共同体の事実上の破滅にさえつながりかねないんでしたよね。
>にもかかわらずあなた自身が用法を誤り、なおかつ他人にまで当該誤用による悪影
>響を与えてしまっている。あなたは、自らが至上のものとする共同体をつぶそうと
>している。
>この種のあなたの挙動について、何らか説明してくださいよ。

これです。
300世帯氏が前回の議論において中心課題とした「言葉遣いと共同体」の問題です。
あなたは今回の議論においても執拗に相手の「言葉遣い」をとらまえている。
それはきっとあなたの美学でしょう。
現実的判断をおろそかにしてまで追求すべきもの、となっているのかもしれません。
だが、それではなぜ、あなた自身が、共同体主義のくせに、(あなたの非現実的な奇説によれば)共同体を滅ぼすはずの言葉遣いを平気でするのか。

ついでに、300世帯氏の出られた「超一流私立」とやらも教えてくれればより幸いですが(笑)

※おっと、私は投稿してから文章見直すので、レスは30分くらい経ってから考え始めた方がいいですよ。



(※)「合成の誤謬」の、道徳等の話題における既出事項の解説 (マジメ)

経済学における合成の誤謬という現象は、他の領域にも一般化できます。
たとえばゲーム理論で出てきますよね。個々のプレイヤーが自らにとって合理的に動くとした場合、全体として損になってしまうナッシュ均衡がありますよね(道路Aが少し混雑していて、道路Bが空いているとき、全員が道路Bにつめかけると全員が損するとかいろんな事例でこの現象を見ることができます)。
これは道徳の話においても、まったくピッタリ当てはまります。
道徳に対して合理的に振舞うという意思決定は、個々人(プレイヤー)にとって有利な選択です(これがミクロ)。ところが、もしプレイヤー全員がそのような合理的意思決定をしてしまうと、確かに合成の誤謬に陥ることが想定されます(全員が道徳を無視してしまうと、共同体が成り立たなくなる。マクロ)。

しかし現実的には「合成」という過程が起きないのだ、だから道徳に対して個別の主体(つまりたとえば、「私」)が合理的に振舞うことによっては「共同体の崩壊」は導かれないのだ、というのが私の主張です。たとえばいくら麻雀で「この場面ではオリた方が得だ」という理屈が正しくて、数学的にも統計学的にもほぼ明らかになっていたとしても、決して世の中の麻雀打ち全員がオリたりしないじゃないですか。むしろ数学やらに頼らないこと、流れを感じて打つことを潔しとする人の方が圧倒的に多いくらいで。また、科学する麻雀でいくら流れを批判したところで、そして多くの読者が共感したところで、決して「キンマ」から流れを扱った優れた漫画が消えたりはしない。

ところが300氏は、「多くの人が道徳に対して合理的に振舞う」という状況、決して訪れることのないマクロにおける「共同体の崩壊」を無限遠方に垣間見て(つまりは妄想して)、ミクロにおける私の意思決定があたかも誤っているかのごとく、私をゴキブリ呼ばわりしたのでした。
ですが、ミクロにおいて合理的な判断は定義上明らかに私側にあるのです。ゴキブリとは人間と比べて相対的に「合理性(笑)」の少ない生物だとすれば、ゴキブリは私以外、すなわちあの場において、むしろ300氏だったのです。

何度指摘しても無限遠方に思いを馳せ、現実を見なかったせいで、300氏は「ゴキブリ」という言葉のイメージによってエゴイズム(ここで言えば……「ミクロにおける合理的行動中心主義」とでも言いましょうか)を批判していたのです。ミクロにおける合理的行動が、マクロにおいても合成の誤謬による破綻をきたさない範囲で運用されている限りにおいて、当該行為はやはり合理的です。ですが、「合理」を「合理的に批判」することはできないので「ゴキブリ」などというイメージ論法に頼ったのですね。ひどい話ではありませんか。
一方の私は、ゴキブリたちには「共通理解としての(幻想の)道徳」をたらふく食わせておけば充分じゃなかと、マクロにおいても破綻しないための処方箋まで書いているのに。
ちなみに、ちゃんと噛み砕いて説明可能な私が、初歩的入門書にも載っている「経済学における合成の誤謬」を「知らない」と判断することができたのは、300氏の「低劣分析・爆裂ハリケーン」の発動によるものに他なりません。


Re: 無題 ペレルマン - 2008/09/07(Sun) 02:24 No.1470  

まぁ文章の誤りについては証明できましたし、納得もしてもらっているみたいですね。
で、性を規制するメリット・デメリットについては、よくも勝手に自分で文章を間違えておいて、私がその存在に気付いていなかった、ということを捏造する気になりましたねぇ。

それにちなんで敢えて言うと、私は物事にメリット・デメリットがあるのは概念としては知っていましたが(そりゃ当たり前ですね)、今でも性を規制する社会的なデメリットなんてないと思ってますよ。
せいぜいあなたみたいなゴキブリ人間の変態趣味がなくなるくらいのもので、それはデメリットに値しませんし、経済的にも、先ほどもいいましたが暴力団や朝鮮マフィアにとってのデメリットになるだけですね。
だいたい、彼らの喧伝するメリットこそ、表現の自由などというイデオロギーによってしか担保され得ないような、内容空疎なメリットでしょう。

これはWMさんへの回答にもなりますが、とつげき東北さんは「君はXの増加とXの減少しか考えていない、それは視野が狭い」とか何とかほざいてますけど、問題はそれ1つとっても研究が難しいことなんですよ。
まずそもそも「性商品を規制した時に性犯罪が減るか」という話だったら「Xの増加とXの減少を調べるだけ」じゃないですしね。「XとYがどのように相関するか」という非常に複雑な話です。
例えばレイプもののAVを規制している州とそうでない州の性犯罪件数を比較して、何かしらの結果が得られたとしても、それが「性商品を規制したから犯罪が減った」のか「性商品を規制するような地域性(国民性)だからもともと性犯罪が少ない」のかハッキリしませんし、1つの地域で比べるには十分な時間が経っていなかったり、その他の社会情勢も影響するんで因果関係がわからない。
ゲーム脳もそうですよね。かりそめにもゲームしてる人間の脳に欠陥があるとわかっても、それがゲームしたからバカになったのか、バカだからゲームしてたのかわかりません。研究の歴史が長い健康と喫煙の因果関係においてすら、あれこれ意見が分かれている始末です。

これらのことを踏まえたら、つまり「とつげき東北さんの文章力の欠如」と「性を規制するデメリットの少なさ」と「1つの研究の難しさ」を理解したら、総合的に誤っていたのはあなただったと気付くんじゃないでしょうか。


では次に「合成の誤謬」について。
「合成の誤謬」:個人が合理的に振る舞っても社会としては好ましくない結果が起きること。

【解説】個人の合理とは社会全体(マクロ)のことを考えない時の、(ミクロの)メリットのことです。いわばエゴイズムですね。

一般的な例) 個人が支出を減らすとミクロ経済的には貯蓄が増えるが、マクロ経済的には(企業の収益が減るため)社会全体の経済活動が停滞しがちとなる。(引いては自分に跳ね返ってくる)

【解説】つまりこの場合、ミクロのメリットと社会のメリットが合致していないということです。個人の合理が重なり合わさって「合成」された時には、(個人をも含む)全体の合理として「誤謬」が生じている。ゲーム的に言えば個人がそれぞれ「+1」になれば10人の社会全体では「+10」となるはずですが、この場合そうはならないので「誤謬」と呼ばれるんですね。

あなたの例) 自分が道徳に対して合理的に振る舞っても(道徳を蔑ろにしても)共同体は崩壊しない。

【解説】これって「合成の誤謬」に照らすとおかしいですよね?つまり「合成の誤謬も知らずに」という私の批判は正しいじゃないですか。でもそこであなたは

>しかし現実的には合成という過程が起きないのだ

なんですかこれ?明らかにその前の文章(>確かに共同体に悪影響を及ぼす可能性がある)との間で論理が飛躍してるんですけど。


■しかも、い い で す か、それは「合成の誤謬を知っていた」という人間のする反論じゃないです。■
■「合成の誤謬」が言わんとしていることと無関係ですから。                    ■


ということは、もしや、あなた今必死でフォローしてますけど、本当はずーっと「合成の誤謬」を「合成が本当は起きないにもかかわらず起きると思っちゃう錯覚」という意味に捉えていたんじゃないですか?
だとしたら本当に大バカですし、二度と思想を語る資格はありませんね。

で、さっさと個人個人が道徳を疎んじていても「合成の誤謬」が起きない理由を論理的に述べてくださいよ。
どこかの国ではエゴイズムの思想が蔓延していて、日本と比べてレイプが10倍以上起きているところもあるそうですよ。

まさかあなたの反論が「他の奴は真面目にやるやろ?」というゴキブリ的発想でないことを願います。



※とつげき東北さんは今回もまたかなり加筆修正されているようですので、この文章には既に彼が反論している部分も含まれるかも知れません。


Re: 無題 六7 - 2008/09/07(Sun) 03:25 No.1471  

300さん質問質問。

>「とつげき東北さんの文章力の欠如」
これはつまり、どんな人にも、例えばとつげき東北のことを全く知らないような人に対しても、言わんとすることが常に明確に伝わるような文章を書かなきゃダメってこと?

>「性を規制するデメリットの少なさ」
これは300さんの「研究」の成果?

>「1つの研究の難しさ」
ほらやっぱり、「研究ってものはなあ、うんたらかんたらうんたらかんたら」になるんじゃん。
そこに持ってくしかないもんね。
で、研究は難しいものなんだから、研究とはなんたるかをわかってない人間がごちゃごちゃ言うなよって解釈でおk?


Re: 無題 300世帯(ペレルマン) - 2008/09/07(Sun) 03:29 No.1472  

今見直したら「合成の誤謬」に関してやたらと加筆修正されているので、書くのを辞めようと思っていたのですが、私も加筆することにします。


以下は今回「合成の誤謬」に関して初めて発言したNO.1464におけるとつげき東北さんの文章です。

(合成の誤謬も知らないくせに、に対する反論として)
>合成の誤謬と言えば、まさにあなたが、以前の議論で「みんながそんな考えを持ったら」的名言を使用し、【「誤謬が起きた後の世界」のみを陳列して悪用していたから】私に何度も何度も何度も(合成自体が起きないのだ、と)注意されていたじゃないですか。


ログを保存していたので間違いありませんが【】←ここはその後の私の反論を受けてから加筆されています。
そこが無いとどうなるでしょうか。要約するとこうです。


>合成の誤謬と言えば、以前あなたが「みんながそんな考えをしたら」と発言し
>私が何度も(合成自体が起きないのだ、と)注意した


これが「合成の誤謬なら知っているぞ!」と言いたかったとつげき東北さんの文章です。
そしてこれが「合成の誤謬」を知っていたことの根拠になるためには、


「合成の誤謬」とは、「みんながそんな考えを持っていたら」と考えても、合成は実際に起こらないことである


という本当の「合成の誤謬」とはかけ離れた意味の解釈が必要になります。
つまり、彼は完全に 「 合 成 の 誤 謬 」 を 知 ら な か っ た わけです。
そして私に指摘されて少し気になったとつげき東北さんが取った行動とは!


グーグルで検索(笑)→やべぇ間違って覚えとった((((゜д゜;))))→何とか知ってたことにしないと…


で、彼は【誤謬が起きた後の世界】という文章を途中に差し込むことで、
「誤謬とは、実際にそれが合成されないことである」という誤った解釈から
「合成された時、誤謬が発生してしまう」という正しい解釈に仕立て上げ、
それをさもファーストアタックの段階(NO.1464)から知っていたかのように捏造したのでした。


とつげき東北さん、あまり他人の分析力とやらを舐めないようにしましょう。



※今回の話は、私の今までの全思想・全文章・全誇りにかけて、事実です。


笑いを支える人々 投稿者:亡国 投稿日:2008/08/04(Mon) 00:05 No.1429  
先日、友人3人とローカルハンバーガーチェーンに行った。
今月のおすすめ「チーズバーガーと飲み物で飲み物サービス」
ということで、全員それを注文した。
ただ私はチーズが苦手なので
「ひとつだけチーズ抜きにしてください」
と頼んだところ、40代の小太りのパートらしきおばさんは
「チーズバーガーでないと飲み物サービスできません!!」
と、きっぱりと断られた。
両者2、3秒の沈黙のあと、私は
「わかりました」
と、チーズ入りを決断した。
オープンキッチンで作業が目視でき、予想とたがわず、4つのハンバーガーにそれぞれチーズをのっけていた。

友人3人の結論は「おばさんが正しい」に落ち着いた。

溶けたチーズを取り去る作業は飲み物代以上に高くついた。



Re: 笑いを支える人々 とつげき東北 - 2008/08/23(Sat) 17:46 No.1432(管理者)  

おばさんの理屈は正しいが、なぜ怒りにも似た反応をしたのだろうか(笑)
これも共同体のためか……


Unknown 投稿者:balabo2_wc 投稿日:2008/08/02(Sat) 12:33 No.1428   HomePage
<a href= ></a>
[@map/map_4g5_mordy.txt||5||p-1||1|| @]


無題 投稿者:通りすがり 投稿日:2008/07/15(Tue) 23:28 No.1377  
結局ループしていて凸氏にスルーされるのは目に見えてますね。という訳で、適当に突っ込んでみます。



>私は社会における絶対的な事実を挙げたのですから
相対的事実、絶対的事実ってなんですか?それぞれ具体例挙げてくれますか?

>分析能力が失われるなんて言ってませんよ。
「色を差異化する能力を徐々に失っていく」のではなかったのですか?

>どこかにあったマネさんの「疑うなら最後まで疑え」という感想
どこですか?

>とつげき東北さんの論証が成立するためには※「芸術の対象=善」という前提が必要
善悪の概念と芸術の概念を混同してますね。凸氏は「残虐行為が善悪ではなく芸術として捉えられることがある」と言ったのでしょう。

>自分なりにどこに美を感じたかを抜き出して芸術論を展開するなりしないと話になりませんよね。
いえ別に話しになってるでしょう。

>残虐行為の芸術性が「悪性の表現」以外のどこにあるのかということ
単にデッサン的な美しさでも良いでしょう。芸術性など無限に想定できますよ。

>その論じ方に徳があるんでしょうが
徳があったとして、それが何なのでしょうか。

>あなたの希求する自由なんて空理空論ですからね。
あなたの国家主義こそ空理空論でしょう。



その他の記述は全て議論と直接関係無いですね。


Re: 無題 300世帯 - 2008/07/16(Wed) 18:33 No.1381  

これはさすがに無視してもいいレベルでしょうが、敢えて愚直なまでに反論しますので、小児病染みた口喧嘩はやめて、本当に正しいことを言い合いましょう。

>相対的事実、絶対的事実って何ですか?それぞれ具体例挙げてくれますか?

CASE1
【相対的な事実】
「太陽は右から登って左に沈む」
【絶対的な事実】
「太陽は東から登って西に沈む」

CASE2
【相対的な事実】
「大量殺人等残虐行為に憧れる」
【絶対的な事実】
「無差別・無目的殺人は悪」

これを踏まえて厳密に言い直しましょうか。相対的な事実を覆すには、違う相対的な事実をぶつけて絶対的な事実に彫琢すればよく、絶対的な事実を覆すには、違う絶対的な事実をぶつけて(結果的に)相対的な事実に落とせばよい。
テーゼにアンチテーゼをぶつけてジンテーゼに昇華させることによって真理に近付こうとするヘーゲルの弁証法ですね。

CASE1
【テーゼ】
「太陽は右から登って左に沈む」
【アンチテーゼ】
「ちょwww私から見たら左から登ってるんですけどwwwwww」
【ジンテーゼ】
「太陽は東から登って西に沈む」

CASE2
【テーゼ】
「大量殺人等残虐行為に憧れる」
【アンチテーゼ】
「ちょwwwそれきちんと区別してからやらないと破滅行為なんですけどwwwwww」
【ジンテーゼ】
「無差別・無目的殺人は悪である」

もちろん【ジンテーゼ】がまた一つの【テーゼ】となって【アンチテーゼ】をぶつけられる対象となるのですが、とつげき東北さんは私の提示した【ジンテーゼ】を最後まで覆せなかったんです。だから今のところ「無差別・無目的殺人は悪」が【ジンテーゼ】として有効ですから、この「悪」が「絶対悪」となるわけですね。社会科学的に言えば、反証されていないので、前提として有効と見なされるわけです。とりあえず善悪の観念論は以上です。

そして今は、惹かれたとしてもそれは「絶対悪」なのだから、公の場で称揚するのは止めましょう、と私が彼に注意している段階ですね。つまり

【テーゼ】
「絶対悪でもネットで称揚するのは表現の自由」
【アンチテーゼ】
「絶対悪だから公の場では称揚禁止」

という感じになっていて、あなた達の言葉では「無限ループ」、私の言葉では「闊達な議論」が行われている状態です。

ちなみに現状をCASE1にたとえると
【テーゼ】
「太陽が右から登ると言うのは個人の自由」
【アンチテーゼ】
「言葉遣いとして東に統一すべき」
という感じですかね。


ここで新しい論点です。とつげき東北さんは私の善悪論のジンテーゼを認めながらも、自分の自由を貫きたいわけですから、そのための新たな弁証法を試みましょう。

【テーゼ】(←観念論のジンテーゼを借用して政策論のテーゼに)
「無差別・無目的殺人は絶対悪」
【アンチテーゼ】
「大量殺人等残虐行為に憧れる」
【ジンテーゼ】
「原爆を落とされた仕返しに、日本とアメリカを区別して、アメリカ人に対して大量殺人等残虐行為を行う」

どうでしょうか。これならば少なくとも「絶対悪」とは言えませんし、とつげき東北さんの自由も貫けそうです。法律には反していますが、道徳に反しているとは言えないので、道徳的には許されます。この道徳心こそが、ダイナミックな刺激を精神に与え、法律をも揺るがす意志と活力の源になるのです。

そうえば一つの価値にだけ従っておけばよいと考える人を指してニーチェは「鎖に繋がれて踊る猿」と言ったのでしたね。キリストはさておき、私の道徳論が鎖に繋がれているように見えますか?法律の範囲内でしか動けないあなた達の方がよっぽどニーチェに嘲られて然るべきです。

>「色を差異化する能力を徐々に失っていく」のではなかったのですか?

私のNo.1321の発言ですね。その直後に「しようと思えばできるのでしょうが、しようとはしなくなりますね」と書いてますよね。一文だけ抜き出す癖は、ディベート小児病の始まりですから気をつけましょう。きちんと要約できる力がないと、マネさんみたいに失態を晒してしまいますよ。

>(マネさんの「疑うなら最後まで疑え」という感想は)どこですか?

こういう質問は議論のルール違反にしましょうよ。私はあなたと違って多種多様な話をしてますからね。毎回毎回「どこですか?」「なぜですか?」「ソースありますか?」とやられてしまうと、それだけで疲弊してしまいますよ。基本的には「これは完全に嘘」といえることは何一つ言ってないと自負しておりますから、自分で調べたり勉強したりする良い癖を付けてくれればと願います。

と、言ってソースを示さないのもまた紳士協定に反するので一応言うと、単語検索で調べれば出てきます。


>善悪の概念と芸術の概念を混同してますね。>凸氏は「残虐行為が善悪ではなく、芸術として捉えられることがある」と言ったのでしょう

私は常に「真・善・美」を意識して議論していますから「認識相対主義」と「価値相対主義」や「善悪相対主義」と「審美相対主義」を混同したことはありませんよ。何年も前から「相対主義」とだけ一括りにしてきたのはこのウィキの方で、私は2ちゃんねるでの書き込みからずっと仕分けして論じてきました。
私たちはずっと善悪について議論していたのに「残虐行為が芸術として捉えられたことがある」なんて言い出すことこそ、きちんと概念を仕分けできていない証拠じゃないですか。芸術かどうかなんてどうでもいいんですよ。善悪を問題にしていたわけでしょうが。だから私はマネさんの「(芸術論への移行すら厭わない)論理的に潰す肢」などという発言を批判したんです。
ただしエッシャーの『天使と悪魔』のように「善悪」をテーマとする芸術作品もございますので、その時は両面から論じる必要があるでしょう。

>いえ別に話になってるでしょう

いや、芸術論はとつげき東北さんも避けてますから話になってないじゃないですか。次にその程度のヤジしか入れられなければ「じゃああなたにとっての話の定義は何ですか?」と問いますよ。話になっているのではなく、私が話しているだけです。続けて話します。

おそらくとつげき東北さんは「残虐行為の芸術性」を喧伝することで「残虐行為に憧れる」ことを正当化しようとしたんだと思いますが、彼の言葉でいうところの「>善悪をかなぐり捨ててまで遂行して見せる事項に対する強い意志」「>そこにわれわれが読み取る複雑な感情」「>機能美、強度」「>殺人鬼怖い、うわあぁという戦慄と同時に到来する何らかの感動」というのは、別にホラー映画でも見ていれば事足りるものです。何も「無差別・無目的殺人」に極めて近い宅間などの大量殺人に憧れる必要はないですし、ましてや公の場で発言する必要などさらにないわけです。ですから残るは必然的に「悪ゆえに憧れた」ということになるんですね。
そうではなく、リアリティにこだわったのならば、私が先ほど提案した通り、義勇兵となってイラクなどの戦地に赴くことが一番でしょうが、彼にそんな勇気がないことは明々白々です。

>単にデッサン的な美しさでもいいでしょう

デッサンは輪郭線や影によって対象の視覚的特徴を掴むことを目的としているんですよ。大まかなデッサンをスケッチと言いますが、いずれにせよそれらの芸術性(この場合はテクネーが語源の技術という意味で良いでしょう)と大量殺人等残虐行為の芸術性(こちらはあるとすればデューイの経験でしょうか)は仕分けして論じるべきですよ。そうしないから「宅間はモテるし」などという追記がなされ、残虐行為と全く関係ないにも関わらず、それが彼の憧れを無駄に助長してしまうんですよ。
だったら最初から「宅間の顔に憧れる」とだけ言っておけばよかったんです。まぁそれはそれでおかしな話ですが(笑)

>徳があったとしてそれがなんなのでしょうか
>あなたの国家主義こそ空理空論です
>他は議論に直接関係ないですよね

まとめて論じますよ。間接的に関係あれば話すのが私のやり方です。まずシェイクスピアの作品は『ヘンリーW世』でした。だいぶ昔に読んだもので『リチャードV世』と混同してしまいました、すみません。今読み返したらフォルスタッフという登場人物の科白で、もう一度説明すると「自由も言葉もそれ自体はただの身体の律動であり、空気の振動に過ぎない」ということです。全くその通りで、とつげき東北さんが虚無主義の泥沼に嵌っているのはそういう理由からなんですね。
ほかに有名なことわざで「絵画の本質は額縁にあり」というのがあります。つまり絵を書こうとしてもサイズが決まっていなければ、どのように書き出していいかすらわからないという意味です。小学校の頃、美術の時間に「自由に書いていいわよ」と言われて、かえって何も書けなかったことがありませんかね。
また、『ビュリダンのロバ』という寓話もありますね。二つの餌のどちらがおいしそうか迷っているうちに、どちらも食べずに餓死してしまった哀れなロバのお話です。

あっ知識の羅列をしているわけじゃありませんよ(笑)私の経験になぞらえていいますと、例えば88個の鍵盤を前にして自由に作曲することは不可能でした。自由に鍵盤を叩いて出てくる音といえば、聞くに耐えない不協和音ばかりなんですね。ですからピタゴラスの時代から続く音数比研究の英知としての「平均律」と、バッハやモーツァルトらが何とか仕分けした音の組合せとしての「機能的和声」や「対位法」がどうしても必要になってくるんです。
そうえば増4度音程は「悪魔の音」と言われています。C(ド)とFis(ファ#)を同時に鳴らしてみましょう。これを聞けば、人によっては不快に感じないかも知れない、なんていう認識相対主義は吹っ飛びますよ。ちなみにニーチェが愛したワーグナーは『トリスタンとイゾルテ』において、わざとこの悪魔の音を使ったんですね。しかしこれは後に長三和音に解決されるのですから、悪が芸術たりえるのはやはり悪ゆえのことと言えるわけです。
そうえばプログレ(前衛的・革新的音楽)と呼ばれるジャンルにおいて、ピンクフロイドやキングクリムゾンらがやったことが、クラシックへの回帰だったことはとても頷けますし、見た目や思想が粗暴なパンクというジャンルに至っては、その態度とは裏腹に、スリーコードの連続で、極めて古典的和声に忠実であることが、私には滑稽にすら映るのです。
「ビートルズはコード進行が斬新だ」とか何とかいって持て囃すロッカーたちは、斬新を求め過ぎたポストモダニストらの音楽をどう聞くのでしょう。「音楽もケージが相対化しとる」と無教養を頬張るとつげき東北さんが、YouTubeでクセナキスやメシアンを聴いた後、ド素人のくせに、同じ科白を言えるはずがありません。

話を戻して、これらから言えることは、自由が空理空論に放縦しないためには、社会における道徳なり秩序なり、芸術における規則なり法則なりの、価値の基準が絶対的に必要だということです。とつげき東北さんの問題は、親がバカであったがために、あつものに懲りてなますを吹くが如く、価値の基準に対してアレルギー反応を示してしまうことなんですね。「地球を大切に」と言われて「自分だけを大切に」してしまうのもそういう理由なんでしょう。

しかし、私の国家主義が空理空論でないのは、国家の内面ばかりに捕らわれるのをやめて、国家の外面を見れば明らかです。近い将来にアメリカによる一極化が終焉して、世界は多極化の時代に移行します。そして食糧危機や金融危機、資源危機や環境危機(←これは疑わしいですが)が目前に迫っているのも事実なのですから、日本は日本としてまとまって立ち位置を決める必要があるんですね。別にこれは預言でも脅しでもなくて、アメリカの大手シンクタンクの発表であったり、世界的な優良ジャーナル誌からの情報であったりするわけです。
もちろんこれらを全て無視したところで日本人が殲滅するわけではありませんが、1日自分を愛したら、もう1日は世界を見渡してみる、というくらいの平衡感覚は持つべきです。

それが真に知的な振る舞いというものでしょう。


Re: 無題 ちゃちゃ - 2008/07/16(Wed) 22:15 No.1382  

うわぁっち。

さて、300世帯氏の発言(結構前)ですが。

>認識っていうのは確かにもともと主観だから相対的だなw
でもそれで話を終えるなら個人は黙って暮らせばいいww
全て相対的に決まるのなら互いの仮説の優劣を定めようがないからなww
でも協力して社会を作った方が自分にとっても得だから
やがて人類は言葉を操るようになり、認識を互いに確認し合うようになったわけwww
(中略)
だから善悪は言葉の中でも最も根元的であると同時に公共的な概念であり、
そうである以上仮定としても「絶対」を置く必要があるわけなんだよwwwwww

てことで共同体を脅かすものを悪とするわけですね。
これで多くの人間は人を殺さないし便利です。そして便利というのは共同体にとって得ということなので善ですね。

さて、このWIKIの人たちは人を殺すでしょうか。違いますよね。おそらく道徳的に振舞うことはお手のもので、実に公共性が高い。ただ公共の利益のために打ち立てられた、上の前提(すなわち道徳)のたねあかしをしているのであり、それが善悪の相対化なわけです。多くの人が道徳を妄信しているのは、表現の規制など鬱陶しい側面もありますが、我々にとっても便利です。殺されないから。それをわかった上で、でもホントはこうだよね、大衆死ぬべきだよね、琢磨も原理的に悪いわけじゃないよねって言ってるわけです。ネットはこれができるからすばらしい。

この立場を理解しているならシニシズムなんて言葉は出てこない(シニシストは凸さんの言うDに近い)と思うし、前半の少なくない言葉が無意味ですよね。「国家の秩序を乱す琢磨は、国家の秩序を乱すことを絶対悪と定義するので絶対悪だ」ってそんなの当たり前でしょう。それでこのWIKIの趣旨が途中でわかってきたのか、「国家を崩壊させるからネットもこんなこと言っちゃダメ」ですからね。この辺の華麗なる後退をはじめ、いろんなところで「そうは言っていない」ばかりではないですか。(中には300世帯氏の言うように誤読もあるとして)このグニャグニャな主張でもって鎖に繋がれてなさの根拠とするのは少々あれですよ、あれ。

さて、ネットも道徳的に振舞わなければならないか。我々がネットで不道徳に振舞うと国家が崩壊するか。300世帯氏の話では崩壊といっても別に日本がなくなるわけではないそうで、判定が実に困難です。なので「このWIKIが殺人を助長するか」に絞って考えてみると、たぶんそんなことはない。快楽殺人をにあこがれるといった通常語られない感覚を共有しているのを見て、「人を殺してもいい」と誤読、しかも実際に人を殺すやつなんていないでしょう。「人を殺してもいい」とストレートに書いたとしても、それまで殺人はダメだと思ってたやつがそれを見て考えが変わる(そして実際に殺人に及ぶ)とは考えにくい。道徳的に反発するのが通例だからです。Dの背中を押すことも一応ありえるかもしれませんが、(2ちゃんに比べて)硬い文章で書かれているので、敷居は高くしてあると言えるでしょう。それでも可能性が少しでもあるからダメだというのなら、、うーん、どうしましょうね。

あと順番が前後して申し訳ないですが、残虐行為等への憧れについて。私の感覚では、逸脱の感じ、通常ではありえない感じがそうさせます。たとえば決して怒られているわけではなく、人の話を聞いているときに、そしてその相手がお偉いさんであればあるほど、相づちを打つ代わりに顔面パンチをお見舞いしたら相手はどんな顔をするだろう……などと考えてワクワクしています。実行はしませんが。逸脱を悪とするのなら、悪ゆえにあこがれていることになりますが、それは便宜上決めたわけですから、悪ゆえにあこがれているわけではないですね。


Re: 無題 亡国 - 2008/07/16(Wed) 23:42 No.1383  

>>No.1382  ちゃちゃ

>相手がお偉いさんであればあるほど、相づちを打つ代わりに顔面パンチをお見舞いしたら相手はどんな顔をするだろう……などと考えてワクワクしています

荘厳な儀式(葬式、結婚式など)はその手の妄想の宝庫だわな。


Re: 無題 ちゃちゃ - 2008/07/17(Thu) 21:02 No.1388  

最近ですと、とりわけ面接がやばかったです。


Re: 無題 とつげき東北 - 2008/07/17(Thu) 23:04 No.1390(管理者)  

最初の書き込みから「共同体の維持・発展が全て」という姿勢で読むと、なるほどある程度の一貫性はあるんだよ。

だからこそ私らにとって残念なんだがね。
「この会社マンセー! 伝統ある。歴史ある! 会社の維持と発展が大事だ。なぜなら君は会社がつぶれて失業したら困るだろうがw 会社の秘密情報を無差別にばらすのは会社として絶対悪だろうが(※)。会社のためには個人の生活や意見は無視してもしょうがない。1日定時に帰ったら1日はサービス残業で深夜まで残ろう。社員全員がそういう意識を持つべき! 労働組合とかは最悪で殴ってもよい」
という意見にきわめて近い。
(※)別に会社の維持・発展のみを目的とすれば他にもいくらでも絶対悪は作れる

ようするに現在の会社の規則等に反してでも会社を個人の「理想」とする場にしようとする試みであり、実際の社員のほとんどがそんなことを真に受けるわけもないのに、悪質かつ理想主義的な「善意の加害」をしてみせる感じ。

そうではなく会社にはいろんな人がいるのが当然であり、国家もしかり。細かい「色の識別」などを行って活力が養われるとか言うのであれば、全員が道徳(=共同体の幻想)に染まることなく相反する思想を表現できる国家のほうが、よほど思想的な活力や意志が生まれると思うんだがねぇ。


Re: 無題 300世帯 - 2008/07/21(Mon) 04:27 No.1399  

>この会社マンセー!伝統ある。歴史ある!
>会社のためには個人の生活や意見は無視してもしょうがない

何言いよっとるかwwwそんな会社は定義矛盾やけんねwwwwwwww個人を完全に無視する会社は歴史も伝統もないまま倒産するっちゃwwwwwwwwバランスの問題やけんwwwwwwww日本だって昔から農民が一揆とか起こしちょったろうがwwwwwwwwwwww国家には「個人の自由がどこまで認められるか」も含まれとるっちゃwwww


>労働組合とかは最悪で殴ってもよい

そんなこと誰が言ったってwwwwwwww労働組合も日本的経営の特徴に入っとろうがwwwwwwww

>全員が道徳に染まることなく相反する思想を表現できる国家

だからルールの範囲内で遊ばんとゲームにならんやろてwwwwwwwwドッジボールは顔面禁止wwwwwwwwお前は全部覆そうとするからゲームが始まらんのやってwwwwwwwwせめて何か一つでも絶対的な心棒を持ってるかのように振る舞わんかいwwwwwwwwwwww


Re: 無題 とつげき東北 - 2008/07/21(Mon) 19:23 No.1404(管理者)  

全部何回も説明した。


Re: 無題 亡国 - 2008/08/01(Fri) 20:00 No.1427  

>相手がお偉いさんであればあるほど、相づちを打つ代わりに顔面パンチをお見舞いしたら相手はどんな顔をするだろう……などと考えてワクワクしています

終戦直後にはこんなのがありましたね。

ttp://jp.youtube.com/watch?v=DiXcg36Oa-M

この場合、相手の権威が失墜してて「お偉いさん」でなくなってたからさほどインパクトはなかったろうけど

ttp://www.asahi-net.or.jp/~uu3s-situ/00/50nen17.html

こっちはまさに当時の狂信的な国粋主義者達への強烈な顔面パンチであったであろうね。


今更なんだけど 投稿者:2ちゃん 投稿日:2008/07/08(Tue) 00:03 No.1330  
『タバコは健康に悪い』の項目を今読んでて、『殺人鬼は美しい』というマネ氏の言葉や凸の『コンクリ殺人にはゾクゾク』したなどの、擁護的発言を見て胸がムカムカしてきた。これは私が【道徳】に縛られてる
からなのかもしれwないが・・・・このウィキでは、このような【道徳】に反することを知的であると、考え、目指してるのか?
私の受け取り方が悪かったのなら素直に謝るが。


Re: 今更なんだけど とつげき東北 - 2008/07/08(Tue) 00:46 No.1331(管理者)  

当ウィキの文脈で言えば「道徳病」だよね。

凶悪な犯罪は怖い、巻き込まれたくない、それは普通のよくある感情。
世間一般の社会が成り立つためには、そういった感覚が多くの人によって保たれている必要があるよな、というのもある程度現実的に正しい判断。

でも「そんなことに美しさや憧れを持ったらダメだ!」というのは道徳の教え、つまりまやかし。
「そんなことに美しさや憧れを持つのは異常だ!」というのは近代に特有の病(フーコー『狂気の誕生』など参照。ちなみにこれがまさに「国家共同体主義」にも通じる考え)。

優れた文化を持っていた西欧諸国や、あらゆる戦時下においては、拷問は常に行われる大衆娯楽であったし今後ともあり続けるだろうし、場合によっては芸術だったわけだし。

道徳から1歩身を引いて見たとき(冷徹な、当ウィキで言うところの知的な観点から見たとき)、例えば殺人鬼が一切の「観念的な善悪」をかなぐり捨ててまで遂行して見せる事項に対する強い意志だとか、そこにわれわれが「読み取る」複雑な感情だとか、機能美、強度といったものは、これもまた「本来」人間が持っているはずの審美眼から見て何かただならぬものの一つのはず。
「殺人鬼怖い、うわあぁ」という戦慄と同時に到来する何らかの感動があってもよい。

あなたは日本の特攻隊だとか(きけわだつみの声でも読めばよろしいか)、死ぬとわかっていてやりとげようとする何がしかとかに感動せんかな?
原爆を開発して広島に落とした元凶だろうフォン・ノイマンの生涯についてウィキペディアなりで参照して、「この人は思いやりのないダメな人だ!」と思うくちかな?


Re: 今更なんだけど 2ちゃん - 2008/07/08(Tue) 06:12 No.1332  

仕事で時間があまりないので、上段部分に対する意見も言いたいのだが、それは後回しにしておく。後半部分について、枝葉部分になるのはわかってるが、これだけは言わせてもらいたい。『殺人鬼に対する感動(そんなものが、あるとしてだが)と特攻隊を比べるなよ』
きけわだつみの声とか数冊の関連本読んだか知らないが、自分で把握してないことを例えに出すのは、凸のいう【知的でない行為】に当たるのでは?だいたい何か(家族という私的なものであり、国という公的なもの、又は自分の信念)を守る為に命を賭ける行為と、自分個人の欲望・
欲求の為にする行為を同列で論じられる神経に疑問を持つが。
特攻に関していうなら、せめて【振武寮】位は知った上でそういうことを述べてくれ。俺は感動とかそういう安易な言葉で表現できない。
でフォン・ノイマンに関しては、ノーベルと同じで開発したこと自体には、別に非難はしない。使用したという行為は許せないものであるが、
どういう内部状況・事情だったかは把握してないのでコメントできない。凸は原爆の使用についても、ある種の感動を感じるの?


Re: 今更なんだけど hidehitox - 2008/07/08(Tue) 10:38 No.1333  

横レス失礼します。

>だいたい何か(家族という私的なものであり、国という公的なもの、又は自分の信念)を守る為に命を賭ける行為と、自分個人の欲望・欲求の為にする行為を同列で論じられる神経に疑問を持つが

まさにこの部分が善悪という主観的な観念に捉われているということではないでしょうか。
命を懸ける行為=善 個人の欲望=悪

凸さんらは、そういった観念を抜きにして、行為そのものの程度の甚だしさに圧倒されたという意味で「美しい」やら「ゾクゾクする」といった言葉を用いたのではないでしょうか。

ウルトラマン(善)もゴジラ(悪)も、強大な力を振るうという点では同じで、善悪は関係なくその「凄さ」に子ども達は憧れるわけです。

アメリカという国は私は嫌いですが、アメリカ社会のスケールにはたびたび驚嘆します。犯罪例なんかでいうと、エド・ゲイン(ttp://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A8%E3%83%89%E3%83%BB%E3%82%B2%E3%82%A4%E3%83%B3)の人の皮でドレス作ったり、骨で食器作ったりする行為は社会的には極めて悪ですが、その行為自体は誰もマネできない凄いことだとは思いますし、テッド・バンディ(ttp://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%86%E3%83%83%E3%83%89%E3%83%BB%E3%83%90%E3%83%B3%E3%83%87%E3%82%A3)も自分の殺人事件の起訴で、弁護士を雇わず自分で弁護するというその行為は極めて知的で、憧れの対象となり得ます。


便乗して横レス 通りすがり - 2008/07/08(Tue) 11:28 No.1334  

>2ちゃん

善悪を相対化できない人の典型的な思考回路ですね(念のため、常識を相対化するというのは非常識人間になるいう意味ではないですからね)。
善悪を基準にすれば、そりゃあ他人のための行動(特攻)と自分のための行動(殺人)を同列にしてはならない。そんなことは誰でも分かってますよ?
でも善悪という基準を無くし、その行動のあらゆる意味での困難さを基準にすれば、特攻隊も殺人鬼も同列に「凄い」訳です。
これは羽生やイチローの技術が凄いと感じるのと同じです(精神的困難さについてはレベルが違うでしょうが)。

そしてここが重要なのですが、
「羽生やイチローの技術は凄い」と簡潔に述べてもあまりに一般的で面白くも何ともありませんが、
「宅間は凄い」と述べることはエンターテイメントになります。

要するに、あなたは釣られている訳ですw


Re: 今更なんだけど 通りすがり - 2008/07/08(Tue) 11:47 No.1335  

追記。

もちろん「宅間は凄い」と言える俺スゲェ、的な思考をしている者がいれば、それは愚昧と呼んで差し支えないでしょう。
そうしたwikiにおける「知性」を相対化できない者の手によって、
例えばあの原田氏が弾圧されたのだと考えています。


Re: 今更なんだけど Revin - 2008/07/08(Tue) 12:50 No.1336   HomePage

俺がたびたび援用する東浩紀の言葉だが(家マークのリンクはその言説の一部)、俺らが住む社会では、本当は欲望は裁けないことになっている。
レイプにせよ(無差別)殺人にせよ原爆投下にせよ、いくら反社会的な欲望でもそれを望み憧れてしまうこと(「行為」じゃないよ)自体は、正当に責められるものじゃない。
だからこういう欲望そのものが叩かれる時、発言する者は常に感情的だし、根拠は大抵「キモい」に過ぎなくて、「キモい」というならキモくていいけど、なぜキモいのかの説明がここでは必要になる。
さらに、このような反社会的な欲望の一つも持っていない方が不自然であり、なぜならば例えば人に性欲はあり女性は道を歩いているのを見ればああヤリタイ無理やりでも別にいいと思うのは必然ではないが自然であり、日常生活にこんな風に思うことになる落とし穴はたくさんあるはずだが、欲望の段階で即座にブレーキを踏んで「やっちゃいけない」と欲望自体を自制し、さらには他人のそういう欲望までもを非難するのは「道徳病」に罹患しているせいだろということだ。
「殺人鬼は美しい」とか「コンクリ殺人にはゾクゾク」というような発言を両氏が実際にしたのかは分からんが、したとしてもそれは彼らに露悪趣味があったか煽っているだけか先述のような論理を確認しているだけであって、それ以上ではない。さらにこの場はそうした欲望を肯定はしなくてもいいが否定する根拠もないし存在は認めることになるのであって、肯定するような発言がされても「知的」でなくはない。勢いあまって実現してしまいハミ出た者にしても法とかが裁いてくれるのであって、傍観している俺らには、その原因となった欲望しか扱わんでいい文脈が多いから言及する上で大差ない。行為と欲望を取り違えた非難や嫌悪は最近の長い議論でも見受けられた。この取り違えや道徳病がエスカレートすると、はてなで話題になったヨドバシカメラ事件における大衆になってしまう。興味があったら参照してください。
ttp://d.hatena.ne.jp/asami81/20080702/p1
ttp://b.hatena.ne.jp/entry/ttp://d.hatena.ne.jp/asami81/20080702/p1
(下のURLは先頭以外にも「ttp://」があるので置き換えてね)


Re: 今更なんだけど 300世帯 - 2008/07/08(Tue) 16:33 No.1337  

全体的にイラっと来る発言ばかりなので論駁します。
まず個人の「願望」と「善」の観念は全く違うと何回言わせるんですかね。やりたいことが何でも「善」なら、やり終わった後に後悔した時は、さっきまでの「善」は何と呼ぶんですか。
宗教嫌いに宗教の話するのもなんですが、キリストは人間が原罪を背負っていると言ったし、釈迦は欲望から解脱せよと言いました。つまり個人の「願望」は往々にして「悪」なんですよ。
逆に言えば私は人間が「悪」に惹かれる要素を持っていることは認めてますよ。
悪魔に関する芸術は音楽の方面ではシューベルトの『魔王』、タルティーニの『悪魔のトリル』、絵画の方面ではヴルーベリの『座せる悪魔』、ゴヤの『我が子を食らうサトゥルヌス』なんかが浮かびます。911テロを芸術と称して非難されてた評論家もいましたよね。
しかし「悪」が芸術になり得るのは「悪」ゆえのことなんです。平和ボケした生活を送っていれば「悪」の持つ強度に脳を刺激されるなんてことは十分考えられますからね。
そしてそうならばそれは「絶対的な悪」の方が「絶対的」に美しいんじゃないですか?あなたたちが自家撞着してるのは「絶対」も「善悪」も「無い」と断言しながら、結局は単なるレジスタンスを絶対的な「善」のように崇めているに過ぎないということなんですよ。
だから私はそれならそれで破滅主義思想を堂々と唱えてみてはどうですかと言ったのです。

そしてとつげき東北さんに至っては未だに言語の何たるかを理解していないようなのでもう一度説明します。あなたが先日私に対する反論として用意したのは、17世紀末のフランス語の純化が現在のフランス人の機微を損ねてはいないというものでした。
それについて図書館で調べて参りました。参考文献は『フランス語の形成と構造』という本です。

今日のフランス語はローマ帝国の公用語であったラテン語を語源とするロマンス語の一つです。
中世のフランスでは移民が多く、ケルト人のケルト語やスペインのガリシア語やカタルーニャ語、ドイツ語や英語などの影響を多分に受けて方言化が進んでおりました。
その証拠にフランス語の純化当時は人口2800万人中、きちんとした仏語を話せる人は300万人に満たなかったそうです。
そこでアカデミー・フランセーズがフランス語を規則的で誰にでも理解可能なものにする純化・統制を行うため、1694年に辞書の編纂を手掛けたのです。
これによって古典語以外の外国語からの借用を規制したんですね。ちなみにアカデミー・フランセーズは今のフランスでも最も権威のあるアカデミー機関です。

どういうことかわかりますか?フランス語を純化したにも関わらずフランス人が伝統を失わなかったのではなくて、フランスの伝統を守るためにフランス語を純化したんですよ。あなたは全く逆の捉え方をしていたんです。
今で言えば、例えばあなたがそこに書いたような「>道徳病」という下らない造語を規制して正しい日本語を守ることを純化と呼ぶわけです。

そしてあなたの、純化をしても何かがそれを補完するという反論は私への反論としては不適切です。
私が言ったのはただ単語を規制しろというのではなくて、言葉の遣い方に気を付けろ、ということです。
いいですか、言葉の意味というのは定義ですけど、その定義すらも(メタ言語を除けば)また違う日常言語で示すしかないのであれば、言葉の意味は定義というよりも、単語と単語がアメーバーのようにくっ付いては離れる、その時の連関性といった感じなんです。
だから辞書の編纂も、具体的な作業としては、古典からその単語が含まれる例文を取り出すことであり、実質的な役割は、その使用法を示唆することに留まるわけです。
純化すべきは単語というよりもこの使用法、つまり言葉遣いなわけです。

そのくらいの言語学の基礎も知らず、また、フランスの歴史も真剣に訪ねずに、生半可な知識で「フランス語って昔規制したらしいけどフランスは今もあるやろ?(´□`)」とか言ってるからそれは知的欺瞞だと言ってるわけですよ。
そりゃ教育課程から国語を取り除こうが、代わりに殺人の授業を取り入れようが、日本自体は残るでしょう。でもそれはバラバラに瓦解した国民とも言えぬ人民が孤独と絶望の中で命からがら暮らすような悲惨な社会になるわけですね。
中東やアフリカの方では共同体の価値体系が崩れて事実上崩壊してる国なんてたくさんありますから。

ちなみに日本における言葉遣いというのは「無差別殺人等残虐行為に憧れる」と公の場で言ってはいけないことはもちろん、敬語にもその美風が含まれているのでしょう。
とつげき東北さんは「日本の企業も国のために働いていたわけではなく〜」というようなことを言っていましたが、それはそうだとしても日本的経営の良さには敬語の必要性も含まれているんですよ。

日本的経営は長期安定雇用と年功序列が主な特徴として挙げられますよね?これによって日本の若者は一つの企業に骨を埋める覚悟を持ってきたのです。
そして年配から新米へ、一朝一夕には身に付かない「技術」が長い年月を掛けて伝えられていくのであって、その際には敬語でもって上司を敬う態度が重要なわけです。

そろそろ自己のドグマで日本の美風を破壊するのはやめて下さい。


Re 虚弱パンダ - 2008/07/08(Tue) 18:53 No.1338  

2つほど感想を書きます。

まず第一点。
あらゆる価値語には「記述的」部分と「評価的」部分があります。
例えば、「久本マサミ(漢字は忘れた)はブスである」という命題に関してAとBが同意したとしましょう。ある対象が「ブス」であるというのは、たいていの人にとっては否定的評価の対象でしょう。とはいえ世間には「ブス専」と呼ばれる一群の人たちが存在します。Bがもしその種の人だった場合、ある命題の事実的・記述的判断部分についてはAと一致しつつも、その評価的判断部分については一致しない、ということがおこり得ます。その違いは、行為においてより一層顕在化してくるでしょう。(例えばBは久本に求婚するが、Aは毛嫌いするとか)
同様のことは、「ブス」より包括的・一般的な価値語である「善」「悪」についても当てはまります。
仮に「宅間の殺人は悪である」という判断の記述的部分について共同体の全成員が同意、
すなわち宅間の殺人が「悪」という性質を持つ集合に外延的に含まれることに同意したとしても、
そしてその同意が、300氏の言うように言語そのものの存立にとって欠くべからざるものであったと仮定しても、
その評価的部分については同意せず「それでもそれは『本当に』悪いことなのか?」などと発言のオーダーを一階上に上げて問うことが出来ます。そう問うことは、「言語の規約上、文法上」可能なのです。所謂「open question問題」というヤツです。
そしてそのことは「善」「悪」の判断の「ある種の」主観性を傍証しているのではないでしょうか。

次に・・・
300氏にとって、共同体の存在がかくも重視されるべきであるのはなぜでしょうか。
私も、そしておそらく凸氏も、共同体の存在は必要不可欠だと思っています。人間は全く孤立していてはそもそも物理的に生きていけず、また著しい無政府状態では生存そのものが極めて困難になります。それを防ぐためには、一定の秩序と規範の体系を持った安定した共同体(典型的には国家)が必要です。しかしそれは、個人の生存や幸福追求のためには共同体(やその中に含まれる既成道徳)が「有用」だからです。前者が目的で後者が手段です。そのベクトルが逆を向くことはありません。
翻って、300氏は、共同体が崩壊すれば言語が崩壊するから大変なことになる、という趣旨のことを繰り返し述べています。これが正確にどういうことを意味しているのか、浅学非才の私には理解しきれなかったのだが、とりあえずそれは置いておいて・・・
ここで仮に誰かがさらに「ではなぜ言語=共同体が崩壊してはならないのか」と問うたとします。そのとき300氏が例えば「共同体が崩壊すればわれわれは生きていけないからだ」などと答えたとすれば、ある意味で「共同体」の存在を「個人」の(有意義な)生の手段とみなすことになり、その場合には300氏の倫理学説も個人主義的、社会契約説的、功利主義的倫理学説、そして私や、おそらくは凸氏の考え方に究極的には包摂されたことになるように思われます。その場合、両者の間には原理的なレヴェルでの差異はなくなり、以降の議論は一種の政策論に終始することになるでしょう。
もし300氏が逆に「共同体はとにもかくにも一番大事であるから絶対に守らねばならないのだ」とトートロジカルに主張するならば、議論の余地はなくなりincommensurabilityの実例をまた一つ加えることになるだけでしょう。
凸氏も「300氏は共同体全体の視点でしか語らない時点でそもそも自分とは立ち位置が違う」といったことを何度か述べています。

むろん、共同体最重視説も個人最重視説も、一つの「価値観」「世界観」として見た場合には一種のドグマに過ぎません。とはいえ、私たちの生きる現代社会は、個人主義的世界観が覇権を握った世界であるといえるでしょう。そして、私自身もそれを追認しています。
原理的なレヴェルで、「個体」ではなく「関係」や「全体」こそが何らかの意味で「真に存在するもの」であることが説得的に論証されるか、
社会的なレヴェルで、「個人」の成立そのものにとって「共同体」(この場合には、ある特定の共同体)の存在が「統制的にではなく構成的に」関与していることが決定的に論証されれば、
考えを変えるかもしれませんが・・・





Re: 今更なんだけど Revin - 2008/07/08(Tue) 19:35 No.1339  

発祥が別の議論は専用にスレ立てろ。
俺はNo.1330への回答をしている。


Re: 今更なんだけど 2ちゃん - 2008/07/08(Tue) 22:42 No.1340  

>>hide
命を賭ける行為=善。『そんな薄っぺらい知識で特攻を語るな』ということだよ。例えが気にくわなかった。アメリカの犯罪例ーの部分を読む
と君らの言う【知的】の定義が、わからんくなってきた。ウィキに書いてるのか?
>>通りすがり
善悪の相対化もよくわからん。ウィキで見てみるが。【知的】になる為
には、それをすることが必要なのか?
善悪の相対化=宅間凄い=俺、知的=愚昧?
>>rebin
欲望が叩かれるわけではない。(ある種の)欲望を公言することがだ。
日本には古来から言霊思想が根付いていた為、それに基付く【倫理観・道徳】がある。出来た過程や意味を知らず否定することが、あんたらの
いう【知的】な行動なのか?
これからは、あなたの言う感情的発言になるので、突っ込み所はたくさんあるだろうが。
もし仮に俺の身内がコンクリ殺人のような目にあったら、犯人はもちろん相手の家族全員、皆殺しにしてやりたいと感じる。また『ゾクゾクする』と発言するような奴も同じようにしてやりたいと思うし、また深く
傷付くだろう。他の項目では○○な人を傷付けたくないからーのような
発言をしておきながら、一方で無自覚にこのような発言をすることが
【知的】なのか?
最後に、これに関しては今回の質問とは異なるが。
例えば、凸が1−10の主張をしたとしよう。全部間違ってるとか言う
のはただのヒネクレ者かもしれないが、通常であれば『3以外は同意だが3のみ意見が異なる』とかなるのが自然の流れではないかと思うが
、ここの常連は全て同じ考え方に思えるのだが。


Re: 今更なんだけど 六7 - 2008/07/08(Tue) 23:28 No.1341  

>ここの常連は全て同じ考え方に思えるのだが。

印象のみで先走りすぎだよ。
そんなこと言えちゃうほど、このサイトを読んでないでしょ?
結構面白いから、色々目を通してみるといいよ。


Re: 2ちゃんさんへ 虚弱パンダ - 2008/07/08(Tue) 23:35 No.1342  

通りすがり氏の言う「善悪の相対化」とは、「何かについての(道徳的)善悪に関する判断そのものを相対化する」という意味ではなく(そのことも結果的に含みうるとはいえ)「何かについて(道徳的)善悪という視点、視座から語ることを相対化する」という意味だと思いますが。その相対化は、善悪とは別の視点、視座から語ることにより行われます。
通りすがり氏が特攻隊と殺人鬼について行っていることはその種のことでしょう。

で、この意味での「相対化」が知的に有益であることは自明でしょう。複眼的視点を獲得することは、認識活動を、ひいては人生そのものをより豊かにするものです。
麻雀で言えば、常に「あがるかあがらないか」ということのみにこだわって手を進めていた初心者が、別の視点、例えば打点だったり放銃回避技術だったり手役だったりを考慮して打てるようになれば、その人の麻雀人生はより豊かになる。道徳的視点とは別の視点を持つことが有益なのもこのことと同じです。
そしてそれは、「元の道徳的判断を捨て去る」とか「道徳的観点をどうでもよいものとみなす」ということとはとりあえず独立です。例えば、道徳についての系譜学的探求の結果、やはり元の道徳を信奉している、それどころかその道徳的信念がさらに強化される、というようなことも「原理的には」可能です。


Re: 今更なんだけど hidehitox - 2008/07/09(Wed) 00:30 No.1343  

>命を賭ける行為=善。『そんな薄っぺらい知識で特攻を語るな』ということだよ。例えが気にくわなかった。

「特攻隊」に関する文献・物語等は何冊も読みました。その上で結論として「ある種の人間には善と感じられる」と結論しただけです。それとも、もっと微細な知識を上乗せしなければ「特攻」を例としてはいけませんか?

そして、これが肝心なのですが、「真理」に近づくには知識の量が最も大事なのですか?そうではありませんよね?「真理」に近づくための「論理」を組み立てるために適切な知識を「選択」するのが大事なのではないでしょうか。まあ、適切な選択をするためにはある程度の量の知識はなくてはならないものですが。
あなたの「薄っぺらい」が知識量を指しているのでなければ、何を指しているのか具体的に教えてくださいな。


>欲望が叩かれるわけではない。(ある種の)欲望を公言することがだ。
>他の項目では○○な人を傷付けたくないからーのような
発言をしておきながら、一方で無自覚にこのような発言をすることが【知的】なのか?

確かに、社会の秩序を守るための職業などについている人物(政治家・教師etc)や世間一般に大きな影響を与えるメディア(新聞・テレビ)が公的な場で不適切な欲望などを発言すべきではないとは思いますが、ネットの掲示板のような私的な場所でそのような欲望を語ることが不適切であるとは思えません。事実、2chはそういう場所じゃないですか。
あと、上でも六7さんが指摘していますが、wikiをもっと精読することをオススメします。私がwikiを読んだ判断では、彼らはそれらを充分自覚的に発言しているように思われます。

>例えば、凸が1−10の主張をしたとしよう。全部間違ってるとか言うのはただのヒネクレ者かもしれないが、通常であれば『3以外は同意だが3のみ意見が異なる』とかなるのが自然の流れではないかと思うが

私はとつげき東北という人物をリアルではまったく知りません。つまり、彼のネットでの姿をごく一部知っているだけです。そのごく一部の中のさらに一部に共感を示すだけです。これでは、彼の全てに賛同しているとは言えないでしょう?まあ、彼の行う様々なことや発言がとても興味深いので(言い方が悪いですが)観察させてもらってますよ。観察させてもらえる「ネット」という環境がありますから。

最後に
>もし仮に俺の身内がコンクリ殺人のような目にあったら、犯人はもちろん相手の家族全員、皆殺しにしてやりたいと感じる。また『ゾクゾクする』と発言するような奴も同じようにしてやりたいと思うし、また深く傷付くだろう。

あなたのこうした心情は別段おかしなものではありませんし、社会的には極めて「正常」な感覚なのでしょう。私だってコンクリ事件の詳細を読んだ時は嫌な気分になりました。しかし、心情で論理を無くしてしまうほどには至りません。そのようなスタイルも人間としては「アリ」なのでしょうが、この場所においては、心情で論理を見失ってしまえば【知的】とはみなされないのです。それだけのことです。心情を語りたいのであれば、それにふさわしい場所がどこかにあるのではないでしょうか。




Re: 今更なんだけど とつげき東北 - 2008/07/09(Wed) 02:38 No.1344(管理者)  

>300世帯氏

勉強熱心なのはすばらしいですが、教科書的知識があまり役立っていませんね。
教科書の解説を1歩離れたとたんに真実味が色あせ、自己流の分析や主張が混入したとたんに急激に蒙昧さが露呈しますな。
あなた流に言えば、語彙(知識)の低下よりも、用法(知識の組み合わせ方)のミスが危険なのでしょう。

【主張A】
>ある民族では「赤」と「薄紅色」をまとめて「red」と呼んでいたとしましょう。
>そうするとその民族は認識までもが色を差異化する能力を徐々に失っていくのです。
>しようと思えば出来るのでしょうが、しようとはしなくなりますね。これは活力・
>意志の減退を招きます。

とあなたは言いました。
明らかに語彙量のお話ですよね。
そこで私がフランスにおける言語純化の事例(事実としての語彙の貧困化)及びフランスにおける「活力・意志の減退」が特段生じていないという事実を示したところ、

【主張B】
>フランス語を純化したにも関わらずフランス人が伝統を失わなかったのではなくて、
>フランスの伝統を守るためにフランス語を純化したんですよ。あなたは全く逆の捉え
>方をしていたんです。

ときた。

あなたが古き良きソシュールの言説を「現実の出来事」として捉え、「差異化する能力の減退」などといった事柄にまで展開したものだから反例を突きつけたところ、早々に「伝統を失わなかった」だの「フランス語の純化によって伝統をむしろ守った」だのと言い出したわけです。
わかりますか。
【主張A】と【主張B】は明らかに排他的であることが。
あなたのちょっとした「勉強」によって、【主張A】が無意味に消え去ったことが。

ではいったい、フランスは、あなたの言うとおり、
>フランスの伝統を守るためにフランス語を純化した
のでしょうか。
いいえ、まさか。

いみじくもあなたが、

>その証拠にフランス語の純化当時は人口2800万人中、きちんとした仏語を話せる
>人は300万人に満たなかったそうです。

>アカデミー・フランセーズは【今のフランスで】も最も権威のあるアカデミー機関

と調べてきたように。
残り2500万人はあなたの言う「フランスの伝統」とやらとは明らかに異質な共同体を維持していたのではなかったか。言語領域における「フランスの伝統」とは、「今のフランス」から見た、とってつけた「伝統」でしかなく、決して当時のアルザス人やらブルターニュ人にとっての「伝統」ではない。だから彼らの「真の母国語」は完全に抑圧され、失われてしまったのです。フランス語の歴史とは、そのまま国家政治的な意味合いにおける地方語への抑圧の歴史でもあるのです。
「今日の日本語論の多くがどこか胡散臭いのは、その裏に(中略)善意の加害者性が透けてみえるからではなかろうか。」(前掲書P218-219)

ここで国家主義的「共同体」論の問題へと立ち戻りましょう。
あなたは「共同体」として<国家>を選別してみせました。
しかしながら「共同性」とは、選別した瞬間に他の、あるいは内部の共同性を排除せざるを得ない抽象的な概念でしかないと私は論じました。
まさにそのとおりのことが上述の議論からわからないでしょうか。
国際社会における「日本国」を称揚した瞬間、秋田県は捨て去られる。秋田県を称揚すれば、家族という共同性は空虚になる。ある特定の共同性を選別することは、何よりも別の共同性や個人性を完全に排除することに他ならないのです。
逆に言えば、個人性から出発せざるを得ないわれわれの思惟が、いかにして「共同性」なる抽象にたどり着けるのか。もっと言えば、日本国民のほとんど全員に「日本を愛せ」などと夢見させることができるのか。
そんなことはできはしないし、今まで一度として達成されたこともない。達成される必要すらまったくない。それが国粋主義者によって「美しい日本」などと言いふらされる共同体の現実の姿でしょう。


>そしてあなたの、純化をしても何かがそれを補完するという反論は私への反論として
>は不適切です。
>私が言ったのはただ単語を規制しろというのではなくて、言葉の遣い方に気を付けろ、
>ということです。
(中略)
>純化すべきは単語というよりもこの使用法、つまり言葉遣いなわけです。
>そのくらいの言語学の基礎も知らず、また、フランスの歴史も真剣に訪ねずに、生半
>可な知識で「フランス語って昔規制したらしいけどフランスは今もあるやろ?(´□`)」
>とか言ってるからそれは知的欺瞞だと言ってるわけですよ。

「言葉遣いを純化しろ」というのが現代言語学の基礎の主張だのということはまったくの初耳ですね。驚愕の主張、世紀の珍説。これで何度目でしょうか。
それとも、権威的な言説にくるみこみながら、密やかに自分の主張を混ぜておけばだませるとでも思ったのでしょうか? 偽装牛肉のように?

言語における伝統とは、その歴史の流れを脈々と細部に秘めつつ、分化し、変形しつつ再形成されて蓄積されてゆくのでしょう。決してそのうちの断片を切り出して固定化したり、一色に塗り固められて止まるものが伝統などではない。戦後アメリカに半分かぶれ、抽象的な「正しい日本語」とやらが失われ、「うざい」だの「萌え」だのといった言葉が混入し、個人ごと、地方ごとに細部の用法・語法等が入り乱れた生きた日本語という言語こそが「伝統ある日本語」の正当な継承者たるべきです。
それに対して一部の死にかけの懐古主義者や国粋主義者が述べる「正しい日本語」――今日、これほど笑われるべき概念もないでしょう。

今の日本で「昭和40年代生まれの人が用いる標準語の語法・用法のみが正しい日本語である」として、方言だの若者語(「萌え」とか「微妙」とか各種の和製英語とか「ら抜き表現」とか)といった単語・語法などを全て廃止するようなことが行われたとすれば「正しい日本語」になりますか? 伝統とやらが守れますか?
ありえませんよね。
いふかひなしです(伝統的!)。

明治時代には「日本語は貧弱な言語」だと言われていたと聞きます。固有語のみで高級語彙をまかなえず、日常語しか表せないとか。古い日本語、伝統的な日本語ってかっこ悪いですねぇ。語彙の少なさに比例するかのように、ソシュールの指摘したとおり、日本人は精神が薄弱だったのでしょうかね。
あなた自身が熱弁していたじゃないですか。「萌え」という単語の発明がいかにすばらしいかを。どう見ても「萌え」など、何ら正しい日本語でもないし伝統的な単語でもないのに。「萌え」は良いが「微妙」とか「ちげーよ」はダメですか? それはやはりご都合主義的な伝統主義と言わざるをえません。

いつの時代も「最近の若者の言葉は乱れておる」ということが言われ続けてきました。世界的には言語ナショナリズムだとか純化といったことが確かに何度か起こってます。
しかし言語というのは細部において儚い明滅を繰り返しながら生きて体験される構造なんですよ。変化を繰り返すからこそ生き続け、その変化の断片や残骸が伝統となって付着してゆくんでしょう。
どこか一時を切り取って「当言語においては、これが・この用法が正しい」などと固定したなら、言語における伝統などというものはプツリと途絶えます。変化を許容しないならコトバは死にます。

わざわざこの程度の当たり前の説で何か引用してこいというなら、適当にググりますよ。
>民族的なアイデンティティーと結びつくだけに、人は言葉の問題となるとエキセント
>リックになりがちだが、繰り返し起こる言語の「純化」の動きはほとんど成功した
>試しがない。「言語は石ではなく、スポンジである。(中略)吸収力があるからこそ、
>言語に優れた創造性・適応性・実用性が生まれる」
言語学者でクレタ島やイースター島に残る未解読文字研究の第一人者スティーヴン・ロジャー・フィッシャー著、鈴木晶訳「ことばの歴史」に関する日経新聞の書評の一部っぽいです。
言語学にこれから入る方向けの本のようですね。
あなたが言語について何をどこで習ったのか存じませんが、頭が岩のように堅いクソジジイから学んだのですか?


まぁ、なんというか、教科書流儀の知識を書き連ねるのは、それはそれとして楽しめるからけっこうですけれども、その権威性の群の中に自分の突拍子もない主張をすべりこませようとするやり方はやめて欲しいですね。
誠実に理屈を重ねて欲しいものです。
本当に私どもが、
>自己のドグマで日本の美風を破壊するのはやめ
よう! と思えるくらいきれいなロジックを考えてくださいよ。
あなたの発言からは「日本好き!」しか伝わってきませんし、わざわざ暴きたてようとはしませんでしたが、あなたの論理展開は常時行き詰っている。
そこを意識してみてください。
あと、虚弱パンダ氏らの意見もご参考に。

――――――――――――

余談として、私も教科書的なことを書いておきます。
キリスト的な善悪観に基づく善とは、「キリスト教的禁欲主義」そのものですね。
それをルサンチマンの集大成、「奴隷道徳」、いわば「バカ道徳」だと激しくワロタのがニーチェでした。従来の歴史的・伝統的な「美しい」道徳(善悪)は、他人や捏造物たる「神」だのから与えられた、押し付けの、外的な善悪的価値基準でしかありません。ニーチェは、そのようなものに従わされるのは心の弱い者であり、一種の精神病的な者であり、デカダンス(腐敗)だと徹底的に貶します。
かわりにニーチェは、自らが価値を作り出す力、権力への意志こそが優れたもの(いわば、善)とみなし、貴族道徳として考えました。むろん、貴族道徳とやらもニーチェ自身の美学にしか過ぎませんが、これにより、キリスト教に長年毒され続けドグマ化してきたヨーロッパ的な精神性(善悪観)のあり方の一側面が暴かれたのです。ちなみに当然、ニーチェは拷問や苛烈な侵略戦争(ナポレオン)の芸術性や強度にもふれ、強い理解を示しました。いうまでもなく、その流れはフーコーらに受け継がれることになるでしょう。フーコーは『監獄の誕生』において、1ページ目から激烈な拷問の場面を緻密に描きあげながら、「正しい/正しくない」「正常/異常」といった分類がどれほど恣意的に、社会的に形成されてゆくものかを系譜学的に突き詰めました。そういえばフーコーはゲイでしたね。キリスト教的な意味合いでの「善」「正しい」性欲とは無縁の人材です。

ご存知のとおり、20世紀には、書かれたもの(記号)に対する音声の優位(音声=善、記号=悪)性という幻想も打ち砕かれました(レヴィ=ストロースでさえ『悲しき熱帯』においてロゴス中心主義を脱しきれておらず、後にデリダによって批判されたわけですが)。
そのほかにも西洋哲学において、様々な西洋的・歴史的・伝統的な概念がズタボロにされてきたのは説明するまでもないでしょう。

うーん、教科書の棒読み的な解説は、やっぱりつまらんなぁ。


Re: 今更なんだけど Revin - 2008/07/09(Wed) 06:48 No.1345  

>2ちゃん
欲望を持つことと欲望を公言することは確かに全く意味が違うが、欲望を持ってしまうような人が居るし、本当は「みんな」持ってるよ、ということを確認、ついでに揶揄することがここの目的なんだよ。これは道徳が隠蔽していること、もっといえば道徳の嘘だから。その成り立ちにどんな経緯があろうと、嘘だよ。

他人じゃなくて自分の身内とか自分が悲惨な目に遭ったら、対応が変わるのは当たり前じゃないか。ただし、自分が巻き込まれたら巻き込んだやつを殺したいと表明することは正しくて、単に殺したいは間違いだというのは、(論理的に)おかしいよ実は、ってことを明らかにしていっているのがこのウィキであり、「(解説)現代的な病」などがその記事。この辺はhidehitoxが既に言っているな。

必ずしもこのサイトの理念に準拠する必要はないわけですよ、これも当たり前だけど。
ある特定の人らの思考が一致していると感じるのは、前提やセンスがちゃんと共有されているからじゃないですか。違いがある方が自然だ、ってのは無茶ですよ(笑)。試験の回答を友人と照らし合わせて「全問同じだ、おかしい」という判断はしないでしょう。
ただまあ、例えばとつらは別スレで続きをやるべきだと思うし、あの手合いに安易に負けを宣言したことなどは誤りであったと思いますけどね。


Re: 今更なんだけど 300世帯 - 2008/07/09(Wed) 17:29 No.1346  

>とつげき東北

何を言ってるんですか。私の実例に対するあなたの反論が的を射ていなかっただけの話じゃないですか。
この話はもともとあなたが「律儀」=「立派」としても問題ないと発言したことから始まったんですよ。それに対して私は「赤」と「薄紅色」を仕分けしないと認識力が低下すると言いました。

問題は次のあなたです。フランス語は語彙を減らしても問題なかったと言い出した。しかしフランス語の純化は、移民によって分裂した言葉を、誰にでも理解できる言語に統制するためのものだった。

どう考えてもおかしいのはあなたの反論でしょうが。純化とは、あなたみたいに「茶色」のことを「ウンコ色」と言って遊び出すゴキブリを排除することなんですよ。
「赤」と「薄紅色」を統一することとは全然違うじゃないですか。これは本当に頭悪過ぎますよ。

そして地方語が弾圧されたとか何とか、また権力を批判したいだけの大衆みたいなこと言ってますけど、それは仕方ないと言ってるでしょう。
今の日本だって標準語教育をしてるじゃないですか。それは秋田県民を弾圧することなんかじゃありませんよ。
秋田県の人でも上京した時に都会の人と会話ができるように、あるいは東京から出張で来たビジネスマンが秋田でも営業できるように、お互いのための標準語化じゃないですか。
逆に国家は国際社会を意識して英語教育もしていますが、それは日本を抑圧することとは違います。

あなたは完全にエゴイズムの病理に苛まれていますよ。いいですか、国家というのは権力構造的には、強い者の横暴から弱い者を守るための最高権力機関です。
あなたみたいな非力な方は無政府状態ではすぐにカツアゲされてしまうんです。だから国家権力という最強の力に身の安全を守ってもらう。その代わりにあなたは税金を納める。そういう利害関係調節の場なんですね。
そこで「税金払いたくねぇ〜」とか「国家うぜぇ〜」とか言ってるのがあなたなんです。
まぁ上記の文脈は国家契約説的な解説になってしまって私の思想とは若干違いますが、あなたの大衆臭さを明るみにするにはちょうどいいでしょう。

私としては「個人の思惟」なんてものは尊厳に値しないと考えています。
いつだったかオオカミに育てられた少女がいましたよね?結局それは言葉も理解できず半狂乱のまま死んでいきました。
あれは人間でしたか?「社会的動物」(アリストテレス)、「考える葦」(パスカル)、「満足しない動物」(ミル)、「記憶力の高い動物」(ニーチェ)、「階級的動物」(マルクス)など、哲学界のどんなお歴々の「人間の定義」にも合致しない動物のまま死んでいったじゃないですか。

つまりあなたがそんな屁理屈をこねられるのも言語のお蔭であり、社会のお蔭であり、歴史のお蔭なんです。
だから極微の存在である私やあなたに社会や歴史や共同体を否定して自己に耽る自由などないんですよ。


あとあなた蓮實だけしか読んでないでしょ(笑)世界的にはフランス現代思想は衒学趣味の「終わってる」人文学と言ってる学者の方が多いんですよ。まぁフーコーは残るかも知れませんが。
で、そのフーコーとデリダに関して、教科書的ではない話をしましょうか。
『エクリチュールと差異』において、デリダは『狂気の歴史』についてのフーコーの方法論が、デカルトのコギト的明証性自体の狂気を無視していることを暴き出し、その転倒した理性を徹底的に叩いたんですね。

これってまさに私が繰り返し指摘してるあなたの自家撞着に繋がりませんか?意味わかりますかね。
ニーチェやフーコーの相対主義思想ないし構造主義的観点に被れて自己の病理的な性癖(ロリコン?残虐行為?)を正当化しようとする。そのあなたの理性自体が腐っている可能性については懐疑を抱かないのかという指摘です。だから私はあなたにカントの純理を薦めたんですよ。
理性の前提をどこに持ってくるべきか。私はそれを歴史的に醸成され、広く承認されてもいる絶対的な悪の是認に置き、あなたはただ自己のあてどもない性衝動に任せるとする。

そんなものは決して知的なんかじゃない。


Re: 今更なんだけど 2ちゃん - 2008/07/09(Wed) 21:05 No.1347  

うぉー凸長文だなー。読み飛ばしたが・・・
>虚弱パンダ
サンキュ。なんとなく言いたいことがわかってきたような気がする。
もうちょい教えてもらいたいんだが。善悪・道徳とは別の視点・視座からという点に」ついてだが。食事中の人は汚い話になってすまんが
性癖につういて変態な人で、ウンコ食うのが好きな人がいたとする。
【知的】観点から観る人は『あの人は、普通の人では出来ないことをする。凄いな』とか思うのか?そういうのを凄いと表現しても、ただの馬鹿に見えるんだが。
>HIDE
薄っぺらは知識を指してるよ。少なくとも『適切な選択をする為のある程度の量の知識』の水準までいってないように感じたからね。特攻に関してだよ。そういうのであれば、貴方の発言に関しては謝ります。
>ネットの掲示板ではー不適切な発言は無いという意見だが。
これは私見になるが、2CHでは、あなたの言うように、そのような発言が多々ある。2CHでいいからここでも良いというのは、論理のすり替え
である。芸能人がブログで不適切な発言をすると叩かれるようにネット
ではというのは言い訳にすぎない。匿名かそうでないか(ペンネーム・
芸名等も含んで)なども関係してくる思う。そしてここは凸がどこかで
言ってたようだが2万位のアクセスがあるというが、それならもっと自覚的な発言をするべきだということだ。そしてあなたは、みんな自覚的
発言をしてると感じるというが、(ネットでなら不適切発言は良いと、本当に思ってるなら、そもそも、この擁護部分自体、不要であるが)
それならそれで良い。ただ自覚的と思われなかった分に対して意見を言ったまでのことです。
>例えば凸が1−10の
以下の答えに関しては、予想の範疇でしたんで。答えてくれてありがと。
>Revin
上段について。ありがと。かなり理解を深めるのに役にたった。
中段ー>自分が巻き込まれたら、巻き込んだ奴を殺したいと思うのは正しくて⇒違う。間違ってると思うが、間違いと思いつつ、そう考え、実行するだろうということ。
下段ーふーんーそんなもんかなーというような感想かな。
>300
初めの発言はよく意味わかんなかったが、今度のはわかりやすい。
この言葉を君に送ろう
『ブラボー』


Re: 今更なんだけど 通りすがり - 2008/07/09(Wed) 22:06 No.1348  

凄いカオスなスレになってますねw

>2ちゃん

「ウンコ食った奴は問答無用で死刑」なら凄いですね。
後、Revin氏への返答の中段部ですが、「巻き込んだ奴を殺したいと思うのは正しい」に対して「違う」と言った理由が「(社会了解における)間違いを自覚しつつ実行する」ですか?意味不明です・・・何がどう「違う」のか説明してくれませんか?


Re: 今更なんだけど とつげき東北 - 2008/07/09(Wed) 22:10 No.1349(管理者)  

>300世帯氏

うわあ……。

【主張1】
>この話はもともとあなたが「律儀」=「立派」としても問題ないと発言したことから
>始まったんですよ。それに対して私は「赤」と「薄紅色」を仕分けしないと認識力が
>低下すると言いました。

そうですね。

【主張2】
>問題は次のあなたです。フランス語は語彙を減らしても問題なかったと言い出した。
>しかしフランス語の純化は、移民によって分裂した言葉を、誰にでも理解できる言語
>に統制するためのものだった。

はい、そうですね、政治的言説によれば。言語ナショナリズムなんて、いつだってそうじゃないですか。
語彙が減る=仕分け能力が減る【主張1】、というのがあなたの当初主張でしょ。
語彙が減ったフランスにおいて仕分け能力が減るはずなのは自明ですが、そうならなかったことをあなたは「国による、国のための言語の純化」だったからだ、として無理やり説明してみせた【主張2】。
語彙が減ったら活力が減退するのにもかかわらず、フランスの場合に限っては語彙が減ってもよかった、なぜなら国のためだったから、という「国家至上主義者」による空虚な御託です。

それだけならまだしも、驚いたことにあなたは、次のようにまくしたてるのです。

【主張3】
>世界的にはフランス現代思想は衒学趣味の「終わってる」人文学と言ってる学者の方
>が多いんですよ。

そんな事実は知ってますよ。
文系畑だけではない。理系でもドイツやアメリカに比べて飛びぬけた人がめっきり見当たらない。
じゃあ、フランスにおいて起きた一連の事態を見てくださいよ。
語彙の低下政策は、「統制するために、国のために」やったことだったから【主張2】、本来語彙が減れば失われるはずの活力が【主張1】例外的に損なわれなかったのだが、でもやはり結果的には世界的なフランスの低迷を招いた【主張3】と。
あなたのようなその場しのぎの国家主義は、いくら国家のためを思ってやっても迷走する、という歴史的事実が改めて示されたということでいいのですか。

そりゃこんな後付けベタベタの「国家主義」を見てたら、「うんこ論法」といった概念がいよいよ現実味を帯びてわれわれの鼻腔を刺激しますわ。
論理など一切無視、自分の分析を積み重ねることはせずに、教科書からキリバリした程度の権威を美学と独断に塗りたくるだけ。

もちろんあなたの「国家主義」は人間の視点(エゴイズム)を完全に切り捨てているから、常に抽象的であり、いかなる現実味も帯びない。
国家成員の多様性を認めず、老人は死ねと言う。
危険思想を発言した者は、法に反していないレベルであっても殴ってよいと言う。
個人の意志など知ったものか、伝統ある美風ある国家に尽くせと命ずる。
地方が抑圧されることは「しょうがない、国のためだ」の一言で片付ける。

あなたは「歴史ある伝統的な」現代の日本法や文化の一切を踏みにじってでも「国家のためになれ」と言う。それはなぜか。歴史や伝統のためだと。それはなぜか。国家のためだと。地方の歴史や伝統はどうでもよいのか。どこに伝統が残り歴史が残るのか。しょうがない国家のためだと。それはなぜか。あなたが国フェチだからなだけでしょうが。
しかも「共同性」という概念にまつわる自己否定性には一切反論もできない。それはなぜか。国家のためだから国家を時々批判するとつげき東北の主張だから無視してよいと処理されたのでしょう。ばかばかしい。

あなた以外のいったい誰がそんな妄言を守るのですか。
そんなもんはあなた個人の脆弱な美学にしか過ぎない。
さして知的でもない観念、教科書に載っていた概念に身を売った奴隷。
それゆえに対話など成り立たない、と私が言明したとおりじゃないですか。

あなたのような輩に言わせればこうだろう。
『科学する麻雀』? 国のためにならないから無駄だ。
名言ウィキ? あんなものは破滅主義だ。
文化の多様性よりも国民の統一性だ。
漫画は伝統ある日本の文学を学ぶために邪魔になるからダメだ。
活字本を読みなさい(戦後には、小説や文学に溺れる若者はダメと罵られていたわけだが、それは無視する)。

そう呟きながらあなたがする行為はこうだ。
伝統的でも文化的でも、さらに言えば日本の世論という共同性さえ持ち得ない「はずの」2ちゃんねるに四六時中張り付いて反動的な欲求からとつげき東北なる「叩いたところで何ら国のためになりはしない人物」を延々と叩き続けること。自称国のためになること。

自家撞着? あなたでしょう。

以上でこれに関する議論は終わりです。
最後にこちらが反論して終わるのはずるいから、300世帯はあと1度だけ反論をして良い。


―――――――――――――――


さて、
(名言的作品紹介)http://toturev.sakura.ne.jp/totutohoku/index.php?%A1%CA%CC%BE%B8%C0%C5%AA%BA%EE%C9%CA%BE%D2%B2%F0%A1%CB
において私が言及しているとおり、善悪という障害のせいで、「表現」が極めて抑圧されつつあります。

漫才師が「死ね!」とテレビで発言するのは今のところ認められているかに見えますが、ちょっとでも「逸脱」するとすぐ「不謹慎だ!」という大合唱が起きる。


「国のために命を投げ出して生きる」なんてアホ人間のみがやっておけばよいことです。
私どもはまっとうに生を送ればよい。つまり、映画や漫画、漫才などをもっともっと楽しんで良いはずだ。
2次元萌えなどということは、伝統的・歴史的な日本にとってあってはならないことだった。
しかし日本は偉大だった。「萌え」という概念、アニメという非歴史的な文化は世界中に今広まりつつある。

その中において、こうした表現や現代的文化を破壊する邪悪な力として働く「善悪」という概念、国の文化の「変化」の一切を阻害しようとするあらゆる国粋主義者のとち狂った自己中心的な妨害工作。まっとうに生きてよいはずのわれわれには、彼らの古臭い説教に付き合う義務などまったくない。アジテートしてよい。無視してよい。蔑んでよい。それは歴史的・伝統的・文化的に醸成された現代日本法及び日本国憲法によってわれわれに認められた当然の権利であるからだ。


Re: 今更なんだけど ・・ - 2008/07/09(Wed) 23:37 No.1350  

>とつげき

自分が用いる「抽象」の意味は、とつげきの用いる意味とは異なるけど結局、300の言う「絶対善悪」は物理法則などの実験/数式によって再現される抽象的(一元的)法則ではないため、対話の為の前提にはなり得ない、ということかな。
つまり、300の「絶対」は単に事例を集めて「絶対」の名前をつけただけであり、
後から恣意的にその集合に都合の良い事例を付け加える
or相手の示す事例を不適切とみなすことができるため、
300自身が自分で嫌悪している前提無き(抽象性のない多元解釈可能な)「相対」主義に陥っている、ということかね。
とつげきは「絶対」も「相対」も両方上手く使いわけるという立場だと思うけど、多分この人はいつまでも「とつげき」=「前提無き相対主義者」と決め付けるだろうな。

自分は「相対」は理論を成長(進化)させるために「絶対」と同様に必要、という考えを前提にしているから、とつげきと「対話」できると思うが、
300の「絶対的にのみ扱うべき」という考え方は集合(データ)が恣意的になる(抽象性がなくなる)ことが多いため、「対話」の前提(それこそ「絶対」)にはなり得えない。


Re: 今更なんだけど // - 2008/07/10(Thu) 00:00 No.1351  

理論に動的な性質を付与する為に「相対」は必要ということ。


Re: 今更なんだけど ・・ - 2008/07/10(Thu) 00:02 No.1352  


間違えた。
言い換えれば、理論に動的な性質を付与する為に「相対」は必要ということ、ね。


Re: 今更なんだけど hidehitox - 2008/07/10(Thu) 02:10 No.1353  

>2CHでは、あなたの言うように、そのような発言が多々ある。2CHでいいからここでも良いというのは、論理のすり替えである。

「2CHでいいからここでも良い」こそ私の主張を恣意的にすり替えてませんか?私は、「『ネット言論空間(掲示板等)=私的な空間』であり、社会的正しさが求められる場所、つまり、公的な場所ではないので、そうした発言を禁止されはしない」と述べたつもりでした。気の合う仲間が数人集まった時、冗談交じりに不道徳なことを言った人を目くじらたてて感情的に指摘するのは、極めて「道徳的に」育てられた人か、冗談の分からない人(=愚昧)です。
また、2chとここのアクセス数を比較したら、2chの方が圧倒的に多いでしょう。不適切な発言による悪影響が、ここと2chではどちらが大きいでしょうか?自明ですよね。そうすると、あなたが先ほど述べたことの逆をどう説明しますか?すなわち「2chではいいのにここではなぜ悪い?」2chに比べたら、ここで発言されたことなど社会に影響を及ぼしているとは思えませんが。

>芸能人がブログで不適切な発言をすると叩かれるようにネットではというのは言い訳にすぎない。匿名かそうでないか(ペンネーム・芸名等も含んで)なども関係してくる思う。

2chには「コテハン」という制度がありますよね。「とつげき東北」というのも一種の「コテハン」です。では、これと名無しとの差はなんでしょう?「コテハン」が付いた時点で発言に社会的正しさが求められるようになるのですか?

芸能人の不適切発言についてですが、これはまた別の問題のような気がします。芸能人はテレビなどのメディアに出ます。これはネットの「コテハン」と違って、現実と大きな関わりがあります。芸能人は、その存在自体が「商品」であるので、現実世界でもネット世界でもイメージを損なう行動をすると、商品価値が下がり、その結果本人だけでなく、マネジメントをしている人たちにも不都合(主に経済的な)が起こります。だからこそ、彼らは発言を削除したり、謝罪したりするでしょう。この構造は、決して芸能人が「公的な存在」であることを示してはいません。ネットの「コテハン」がいくらたたかれようと、たたかれた本人の心情以外には何も不都合が起こるとは思えません。つまり、この芸能人云々の例は不適切です。


>そしてここは凸がどこかで言ってたようだが2万位のアクセスがあるというが、それならもっと自覚的な発言をするべきだということだ。

先述の通り、社会的に不適切な発言を許さないのは「道徳家」か「愚昧」です。学校の教壇や国会といった公的な場ではそのような発言はされなくていいのでしょう。
しかし、このサイトにおいては、様々な角度からの分析・観察をするには、そういった「道徳的」理由で発言を封じることは、分析・観察の進捗を遅くしてしまったり、範囲を狭めたりしてしまいます。だから、「このwikiでは」そういった制限を無くし、社会的に悪と思われるような不適切な発言を許可しているのでしょう。
まとめると、「このwikiの趣旨(分析など)の為に、ここでは、そういった不道徳な発言も許している。したがって、道徳心や倫理的理由により、ここを許せないものは、ここに立ち入るべきではない」ということです。
ただし、「愚昧」はここに迷い込んだ時、オモチャにされてしまいますけどね(笑)




Re: 今更なんだけど とつげき東北 - 2008/07/10(Thu) 08:19 No.1354(管理者)  

そういやうちの両親は変な宗教にはまっていて「地球のため」という視点からしか語ることができなくなってましたなぁ。

真に「地球のため」などという観点に立てるのなら、エネルギー・資源を死ぬほど消費している日本が集団自殺するか、少なくとも日本においてエアコンを毎日使ってる人が自決せねばなるまい。
彼らとはやはり対話が成立しない。

個別の成員の意志を離れ、個人のエゴイズムさえも「悪しきもの」として否定する「共同体のため」という言説は、珍妙と言うほかない。
個人の意思やエゴイズムを「超えて」どこからか生ずる言説など、今時誰も信じることはできない。


Re: 今更なんだけど 我打麻将 - 2008/07/10(Thu) 14:58 No.1355   HomePage



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Re: 今更なんだけど 2ちゃん - 2008/07/10(Thu) 18:48 No.1356  

>>revin
お勧めの東浩紀のブログ見てみたが。まだ数ページしか見てないので
Rの言ってる部分や主張がどのあたりに書いてるのかよくわからん。ただ結構まともなこと言ってるなーと感じたが。
『コンクリ殺人にゾクゾク』『無差別殺人に憧れる・凄いと感じる』
これらの発言は当然、共感だと受け取ったのだが、Rのいう東の秋葉原
に対するコメントは
【ネットの1部では共感の声が現れてるが、それこそ幼稚と言うべきだ。しかし共感の声を不謹慎と斬り捨てることなく、彼等の負の感情に
正面から向き合うしかない。】⇒300に向き合ってもらいなさい。
>通りすがり
違うに関しては、あなたの言うとおり。
結局あれかな?例えば、1つの円がありその中心点から行動を起こすと
しよう。円の上半分が正・善・+という認識で下が負・悪・−と認識した場合、俺は(道徳病?)円の上半分にベクトルが向いてないと認めないが、知的であれば360度、どの向きであってもベクトルの大きさの
みで判断する。て感じ?
>Hide
ラジャー
wのは意味わからん


Re: 今更なんだけど 300世帯 - 2008/07/10(Thu) 19:24 No.1357  

>とつげき東北

尾崎豊染みた自由の叫び、確かに私の心に響きました、虚しく。
議論は閉幕ですか。せっかく乗ってきたのに残念です。あなたは頭は悪いですけど、最後まで律儀でした。24時間体制で反論してくるバイタリティには素直に驚きました。
なので私も最後まできちんと反論して誠意に応えます。


私は(正規の)語彙を減らすと認識力が減退すると言ったんですよ。17世紀末の仏語純化は(非正規)言語の統制でした。
正規・非正規はこの場合辞書に依拠します。あなたはフランスの歴史的背景も踏まえずに、生半可な知識で反論するから、正規・非正規を混同してしまって誤謬を晒したんです。
言葉をきちんと仕分けしないから、自分の吐いた言語の汚濁に思考そのものが巻き込まれて脳髄に徒花が咲き誇ることの典型例です。
まぁ最初に仕分けしなかったのは私ですが、あなたがまさかそんな的外れな反論をしてくるとは夢にも思いませんからね。
結果的に言えばこの話はあなたが反論のための反論をしたが、真実によって却下された、といったところでしょう。

そして今のフランスが混迷を極めているという話ですが、17世紀末の仏語純化から何年経ってると思ってるんですか(笑)
既に300年以上も閲してるんですよ。
しかもその300年間とはいかにと問うてみれば、その旗幟がたちどころにギロチンの血によって塗りたくられる始末となったフランス革命。その後に続いたナポレオン戦争においても大量殺戮が行われ、19世紀に入っても、30年の7月革命、48年の2月革命、そして71年のパリ・コミューンに至るいくつもの革命騒ぎが起きてるんです。
ちなみにフランス革命が掲げたものが「自由(笑)・平等・博愛」だったわけで、これが今でも三色旗(国旗)として高々と掲げられてます。自由を謳った革命が却って自由を奪う顛末となった皮肉を、あのニーチェですら批判しているということを、あなたは知らないのでしょう。

そうえばイラク戦争において、先制武力攻撃をしようとするアメリカの肩を率先して押したのもフランスでしたね。
そのくらいの一般常識を踏まえてくれなければ、文化も学問も論じる資格はありません。


次に、リクエストにお応えして共同体を重視することによる自己否定に関して反論しましょうか。

そうえばあなたが話に出した文化人類学者のレヴィ=ストロースによると、家族制度とはもともと近親相姦を防ぐための女子交換制度だったというんですね。
つまり親子間(父と娘)や兄弟間(兄と妹)においての近親相姦を防ぐため、自分の娘を他の家族に出して、他の娘を嫁にもらうということです。
こんなものは証明のしようがないでしょうが面白い話ですよね。
あなたは家族のような規則の緩い共同体を望んでいましたが、あなたが理想とする家族間では頻繁に近親相姦が横行するんじゃないですか(笑)
それを「より大きな共同体」が断固として潰さねばならないことは、少々医学の知識があればわかるはずです。
家族という共同体の中の規則(近親相姦OK)に口を出すな!と言ってもそうはいかないんですね。

だから私も民主主義が嫌いなのは、ある範囲の多数決制を許すと、あなたみたいな人々が群れをなして独立する可能性があるからなんです。
その小さな共同体の中では民主主義的な合意が得られちゃいますもんね。5人家族ならば3人が手を挙げれば過半数ですから。

でもそんなものは永続的な価値を持っているわけがないから国家としては断固として潰さねばならないわけです。
共同体の範囲を拡縮させることをデモクラシー・コントロールとかいうんですけど、そのコントロールが時に大事なのは認めますが、その運営方法はとなると、最後は国家に委ねざるを得ないんですよ。
そこで無理矢理国家の壁を無くしたって社会から壁が消えることはありえません。だって同じ価値観を共有しているはずのこのチンケなウィキ内でさえ、タバコを吸って良いとか悪いとか、挙げ句の果てには分煙だとか言って、最後は結局壁を作っていたじゃないですか。
そうして何千何百年という間の壁の消滅と創造の果てに、現在の日本国家が残ったのです。

これを踏まえて言えるのは、中国が(ここは中国の一部だと言って)台湾に侵攻することを我々が反対できる理由は、中国が一党独裁体制で台湾が民主主義体制だから、というのではなく、既に台湾には台湾の歴史が存在しているから、ということになります。
ここをきちんと押さえていないインテリが後を絶たない。戦後の知識人は言葉を杜撰に使い過ぎるからです。


さて、次は自己についてです。あなたの大好きな「自分」とは一体なんでしょう。
「自分」とは社会における「自らの分限」だと弁えておくことが必要です。
あなたのような個人主義者の群れが、個性だとかオリジナルだとか叫び続けて早幾年たちますが、オリジナルというのはもともと原文という意味なんですね。今までの話になぞらえて言えば「正規の言葉遣い」をオリジナルと呼ぶのです。
しかしあなたのやっていることと言えば「茶色」を「ウンコ色」と呼んだり、「道徳」を「道徳病」と呼んだり、「残虐行為への憧れ」を「まっとう」と表現したりする、いわばパロディ(もじり)に過ぎません。パロディでもいいと言ったって、オリジナル(原文)があってのパロディ(もじり)のはずです。

そうえば70年代から80年代にかけて、ポストモダニストたちが「積分的思考ではなく微分的思考を」と唱えました。微分というのは、時間(t)の微小変化(dt)におけるある事象(x)の微小変化(dx)のこと、すなわち(dx/dt)のことですね。この微分の種類の多さや、その数値の大きさが独創性の現れとされたのです。
しかし微分係数を求めるためには、その前に曲線がなければなりません。そして曲線は何かというと、過去にあった様々な変化を累積したもの、つまり積分値のことです。積分と微分は表裏一体であって、だからこそ数学に微積分という分野があるというのが一般的な解釈です。
その曲線がなければ、あるいはその曲線が大きく屈折したり分断されているところでは、微分係数は無数にあるということになってしまう。それで構わないといっても、どの微分係数を選ぶべきかは微分的思考によっては定まらないのです。
要するにオリジナルという積分があってはじめてパロディという微分が成り立つのです。

言語学的に言うと、それは社会的で潜在的なラング(言語構造)と個人的で顕在的なパロール(言語行為)の関係ですね。
パロディといい、パロールといい、つねに複数の可能性の中からの選択ではあります。その意味では、歴史的積分の現在値は単一の点ではなく、ある解釈の幅を持っています。
つまりそこでの選択については価値判断が必要です。しかし価値判断の歴史というのもあるのですから、そこでも価値判断のオリジナルにいかなるパロディを加えるかということになり、結論を言えば、過去への遡及なしには未来への変化もありえないということになるのです。


あなたの背徳のポエムが人の心を打たないのは、物事の論じ方から結論の何となくに至るまで、おおよその全体像が目に見えているからです。
オリジナルへの遡及もなければ、パロディのやり方も単一的で、レラティヴィズムかその派生形としてのニヒリズム、そこに飽きたらヘドニズムをぶちまけるか、それに尾ヒレを付けて笑えれば良しとする。

それが新奇な発言をしていることになると勘違いしているのが、何より痛々しい。
人類の歴史にはシニシズムという形で、ギリシャの昔からあなたみたいな人の態度が史実としてきちんと残されているんですよ。
シニシズム派の人間は残飯を漁ったり、人前で自慰行為をしたり、野良犬のような生活をしたので、日本では犬儒主義と訳されます。
善悪も道徳もないわけですから、法律に反しない限り、何を言ってもいいし、何をやってもいいという。それどころかやがて徳を重んじる人には冷笑を差し向け出すわけです。

ネットで宅間に憧れたり、虚無思想を吹聴して悦に入っても、法律に反していないんだからいいじゃないか、と宣うあなたは、昔では野良犬、現在ではゴキブリと罵られて当然なわけで、あなたのそれは決して新しい思想でもなければ面白い振る舞いでも何でもないんです。


はっきり言って、道徳の方がよっぽど面白いですよ。道徳は主観的で相対的というよりも、荒馬を御する時の平衡感覚のように、時にダイナミックで、ややもすれば刺激的です。
いいですか、法律に従えばあなたを殴ることすら許されませんが、道徳に聴従すればあなたを殺すことだって出来るんですよ。
無論、今の日本にはそういった國士と呼ぶべき人間はいなくなってしまいましたし、私もしませんが。

個人の自由を標榜する国と言えばアメリカが代表格ですが、そのアメリカが徳を軽んじた結果、19世紀に何をやったか。
ほんの一例ですが、サンドウィッチマンという人間を産み出してしまったんです。日本の漫才師じゃないですよ。
サンドウィッチマン・アドバタイジングとは、広告で体をサンドした人間を、街頭に四六時中突っ立たせるという、非人間的な広告宣伝の一種です。
繁華街の広告費が莫大になった都市部で、経費を削減するために企業がとったマーケティング戦略なんですね。
その影響を受けて日本でも「60分9千円〜」などと掛かれた看板を体に挟んだ、ちっちゃくて小汚いジジイどもが、突如として風俗街に現れたのでした。
日本の場合は広告費削減ではなく、条例で看板を立てることを(通行の邪魔なので)禁止しているからですが、いずれにせよこれは、道徳の軽視と合理礼賛が生んだ、社会的な絶対悪といって差し支えないでしょう。
見ている人間も不愉快ですし、見られてる本人も本望ではないはずです。機会があれば幸せかどうか尋ねてみればわかりますね。

あなたみたいな考えを貫けば、電車の中で唾を吐いてもいいし、タンポンを取り替えてもいいことになります。
それを法律で規制しても唾がガムに代わり、タンポンがナプキンに代わるだけなのは一目にして瞭然です。


さて、いいですか、重んじるべきはスタティックな法律じゃない、その下層部にあるダイナミックな、道徳心という平衡感覚なのです。
平衡とかバランスとかが名言と思われるのは、観念を認識相対主義で否定することからくる、初歩的な誤謬だということは前に説明しました。
しかし、ということは「漫画を読むな」「ゲームをやるな」という言説に対してもまた、「平衡感覚の喪失ではないか」と反駁する余地があるということになりますし、私はそれを認めております。

ただし、それには「平衡感覚の中心」が「在る」ということが前提となりますし、お互いが共有できる「絶対悪」が「在る」ということにしなければ、結局は相対主義の泥沼で、双方溺死すること必然になるのです。

私が今回「無差別・無目的殺人=絶対悪」というのを公理として示したのはそういう理由からなんですね。
これをスピノザの『エチカ』(エチカは倫理という意味で、スピノザは公理から数々の命題を、アリストテレス的三段論法で次々と打ち出して行く)に喩えて私を批評する、というような本当の意味での「知的」な人間は最後まで現れませんでしたね。


ところで、もしここに公理があるとすれば、それは「大衆≠知的」といったところでしょうか。
あなたの好きなオルテガが大衆をどんな差異の形態として表現したかはご存知ですよね。しかし、恐らくあなたは歴史的背景をわかっていない。

「マス(大衆)」という非難語を最初に示したのはトックヴィルですが、彼はアメリカを視察した時に見た「宗教的感覚に乏しく、リーガル・マインドも曖昧で、己の束の間の欲望に惑溺してしまう人々」を大衆と呼んだんですね。
しかしトックヴィルは貴族階級の出身でしたので、「教養と財産を持たぬ者」が大衆に堕落すると考えたんです。
ショーペンハウアーもブルクハルトもニーチェも、並べて「貴族に対する大衆」が文明を没落させると警鐘を鳴らしていたわけです。


続き 300世帯 - 2008/07/10(Thu) 19:28 No.1358  

しかし20世紀に入ると、社会主義運動や労働組合運動が展開され、貴族主義的特権は次第に葬り去られてゆき、また貴族階級の側も社会のリーダーとしての責任を放棄し、その力量が十分でなかったことが判明しました。
それに代わって「全体主義に対する批判」として、ムッソリーニやスターリンやヒットラーを産み出した「政治階級としての大衆」を揶揄するということが行われ出したのです。

これらを踏まえて、あるいはパラレルに、1930年代、あくまで人格論として大衆批判を展開したのがオルテガでした。彼は「人間的階級としての大衆」という言い方をしたんですね。
つまり教養や財産の有無に関わらず、あるいは政治的地位として、指導者であるか追随者であるかに関わりなく、その人の精神に堕落・腐敗現象が起きていれば、それをマスマンと呼ぼうということです。

そして、オルテガを保守の系譜に入れることがあるのは、歴史の産物に他ならない「徳」を重んじる「精神の貴族」という概念をマスマンと対置して提出したからなんですね。

これらを総括して、現象面だけで見ればあなたの大衆性はいくらでも挙がりますよ。
「個人主義的」「快楽主義的」「専門主義的」「権威批判」「歴史破壊性向」「道徳軽視」「無宗教」「科学礼賛」「大衆娯楽好き」などなど。
ちなみに専門主義や科学主義が何故大衆的かは、今までの文脈からは読み取れないでしょうが、オルテガは確かにそう言っているのは知ってますよね。


つまりあなたが大衆的でないのは「少数派」というだけの、オルテガどころか、トックヴィル以前の「数量的な差異化」でしかないんですよ。
だから自家撞着しているのはあなただと言ってるんです。


とりあえず反論は以上ですが、2ちゃん民主主義が嫌で、エリート民主主義的に勝ち負けを決めるならば、それはそれでいつでも受けて立ちます。
私はもう興味ありませんが信者さんたちが納得行かなければ、それも一つの手でしょう。


Re: 今更なんだけど . - 2008/07/10(Thu) 21:53 No.1359  

>永続的な価値を持っているわけがないから国家としては断固として潰さねばならない

なんと恐ろしい…


Re: 今更なんだけど とつげき東北 - 2008/07/10(Thu) 23:18 No.1360(管理者)  

>300世帯氏

2度目の言葉になりますが、ありがとうございました。
色々といいたいことはありますが、閉幕は閉幕ですね。

個別に言い争っても無駄だ、ということにあなたも気づいているかと思います。
「国家という視点」(その概念自体が私には不思議でしょうがないのですが)に立つか、「個人という視点」に立つかが違えば、そりゃ結論は得られない。
行政の中枢で仕事をしつつ「なんで国の施策ってこんな国のためにならんことばっかなんですかね」と上司ともども共感しあい、「またあの政治家の/課長のわけわからん思いつきで税金超無駄遣いしはじめたなぁ」などと日々感じ、いかに「国家の施策」などといったものが国民の投票とか国のためとかいったお題目と無関係に立案されているかを体験している私の立場を差し置いて、「国家という視点」になぜあなたが立っているかは存じませんが、ともかくあなたはまさに「国家の視点/個人の視点」の対立が必然的にもたらすであろう共約不可能性とでもいうべき状況を今まさに体現しており、所詮それらの視線同士は永久に相容れない性質のものだろう、という得心が、ここで再認識されたに過ぎません。
それがあなたにとっていかに醜かろうと、私にとっていかに現実離れしていて「非-知的」であろうと、もはや対話は成立しますまい。

ただ一つ、「共同体を重視することによる自己否定に関して」私が望んだような回答が得られなかったのは残念です。

「国家的な」「持続する(あなたは永続と言いましたがここは持続で)」価値がないのだ、だから福祉国家的主張に基づく抑圧を「国家によって断固として否定されなければならない」のだ、と取り繕う主張はそのまままっすぐ(いや表現は決してまっすぐではないですが)現代の国粋主義者たちの言い方です。

それの何が私と相容れないか。
最終的にそれが「個人」の視点に落とし込まれることがないからです。
「国家があるから、共同体があるから個人がある」といわれても、ほとんどの人間はそんなものと無関係に生きているというのが実情です。

個人の感情があるからこそ、「国のやり方」に常に反発する、とある地方の都道府県担当者のオバチャンが存在する。オバチャンは決して国のために動いているのでもなければ「○○県」のために動いているのでもない。単に自分の仕事が国によって増やされることに反発しているだけかに見える。このような「反乱分子」の存在によって、国の事務負担・施策の実現に対する障害は圧倒的に増大する。
しかしやはりオバチャンの言い分こそ正論であって、このような事務はどこかの誰かが税金の無駄遣い(自分の部局・課室の予算を全額執行することによって次年度以降の予算を確保すること、つまり役人として最高の仕事をすること)を目指した一つの歴史的な、日本的な、伝統的な官僚主導性国家体制の歪んだ一側面でしかあり得ない(1990年代以降、徐々に官邸主導に切り替わりつつありますが、根本的な変化は未だありません)。

あのオバチャンこそ真理ではないのか。
たまたま何らかの個人的な事情で○○県庁に入庁し、たかが夜9時程度までの残業で「こっちは毎日忙しくてね!! やってらんないのよ!!」と叫ぶ姿。あれが普通の人間の姿ではないのか。
「国は毎日深夜まで残っているんだ! あなたも国のために頑張りなさい!」
などという空虚な叫びのどこにリアリティがあるのか。
それが私どもが300世帯氏の発言を聞いて思いつく最大限の言い分であり、やはりわれわれから見て不自然としか形容しようのない「国家的視点」を獲得しなかった人々にとっての思いだと感じます。

さて私は、あなたもよくご存知であろう「学士会」会報(東大出身なら入会していますか? 私は「共同体」嫌いなので?w入っていませんが)の取材対応に係る案件があります。また、とある麻雀関係の単行本に付記すべき10ページ前後の仕事が残っていますし、月刊誌連載の締め切りも間際です。人工知能学会からの論文掲載依頼にも対応を検討しなければなりません。いずれも麻雀研究関係の、「国のために」ならない仕事であり、あなたがもっとも侮蔑するであろう仕事であると同時に、私が本業とあわせてもっとも重視している仕事の一つです。こればかりはいかにあなたが「国のためにやめろ」と主張しても私はやめません。そしてあなたも私と同様、さぞやお忙しいことでしょう。
互いに互いの得意分野での「知性」を活かして今後とも活躍できるよう祈りつつ、今夜はこれにて失礼します。



>・・氏

ん〜〜と、私が彼に言った「抽象性」というのは、そのまんま「具体性=身体性」という概念との対置であって、上に述べたとおりです。
特段数学的な意味における「抽象化=一般化」のような意味は持たせておりません。


Re: 今更なんだけど 見学者 - 2008/07/11(Fri) 14:47 No.1362  

>凸氏

「具体性=身体性」の意味は辞書の意味で捉えていいですか?
追いついてなくてすみません


Re: 今更なんだけど Revin - 2008/07/11(Fri) 18:18 No.1363  

>2ちゃん
『ぼくたちの社会では、欲望は裁けないことになっているからだ。殺人の欲望と殺人の行為のあいだには無限の距離がある。』
『繰り返すが、ぼくたちは欲望を禁止することはできない。その欲望が、いくら反社会的であったとしても。』
↑これこれ(「東浩紀の渦状言論: 児童ポルノの単純所持禁止問題」より)


Re: 今更なんだけど 2ちゃん - 2008/07/12(Sat) 16:46 No.1364  

>Revin
ありがと。読んでみたよ。でもこの人の考えは
@欲望を持つことは裁かれないし禁止されない(反社会的でも)
A欲望を公言しても裁かれないが非難されることはある。
⇒本人が幼稚と発言してることからみてもそう思えるが
B行為を行ったときのみ裁かれる
じゃないの?
【以下の質問と質問に対する答えに対しては絶対に300と凸は答えないでくれ】長文入るとウザイし
Revinは今回の議論はどっちが勝った思う?言い方悪ければ、どっちに
理があったか?俺は今回は300が圧倒的だったと思うんだが


Re: 今更なんだけど 六7 - 2008/07/12(Sat) 21:46 No.1365  

長文ウザイとか言ってる人の判断として真摯に受け止めるしかないですね。


Re: 今更なんだけど 2ちゃん - 2008/07/12(Sat) 23:46 No.1366  

・・・・・アホなのか?
別に受け止める必要はないし・・受け止めてくれとも言ってないし・・
多数の意見・見方が出てから後だしのような形で言うのは卑怯だと思っただけだ。あんたは自分の考えは言ってないがな。
また長文という言葉は今回の答えに掛かってるのも理解できないか?
前回も同質問したが、あの時は凸と300釣るのが目的だったが、今回
は違うから、あんな文になったんだ。
嫌味書く暇あるなら内容に触れろよ。今日は機嫌の悪い道徳家より


Re: 今更なんだけど ・・ - 2008/07/13(Sun) 12:39 No.1367  

>とつげき
>特段数学的な意味における「抽象化=一般化」のような意味は持たせておりません。

ええ、それはわかる(リアリティがない、という点で攻めている)けれど、
一つ一つの事例に対してリアリティがない、と指摘しても
300は常に「いついつの時代にはどこどこの国でうんぬんかんぬん」と言うので、

(300の意味する)どの時点の共同体(国家)でも
共通する「絶対善悪(無差別、非人間的)」の具体例を予測できない、ということが利用され、
(抽象的=一般的に)共同体を保つためにはリアリティがない(orある)と指摘されたとしても、
恣意的に都合の良い時代の価値観を持ち出して、
「この時代の特定の共同体では通用していた(orしない)」
「この時代で通用していたので、いつの時代でも通用する"絶対(善悪)"だ」
という論法が為されている
(前提が共有できないという意味で300の言う相対主義、破滅主義との区別がつかない)、

という感じのことが言いたかった。
要するに、各個撃破をしていく気力と時間がないので、
自分は300の論法自体についての(抽象的=一般的な)分析を語りたかったということ。

ちなみに色の仕分けをする言葉が無くなるだけで、色の仕分けをする分析能力(認識力)も失われていく、
とか説得力(抽象性=一般性)がない。
構造を作るために言葉が必要だっただけで、分析のために言葉が必要になるわけじゃない。
つまり、色の違いを標識として使ったり、画家として多彩な色を使いこなして作品をつくる等のために
新しく言葉を作る必要があるのであり、使う必要が無くなった場合に、
言葉が消失しても何ら分析(認識)には影響がない。
必要になったらセンスのある人(特定の分野などで分析/構造の感覚が優れている人)が新しい言葉を作り、
作られた構造を理解する為にセンスのある他者がその言葉を前提(「絶対」)として採用するだけ。
ただし、ある種の文脈に対する「ショートカット(or置き換え)」として言葉が作られることが大半だと思うけど、
これも同様に消失しても分析能力に影響はない。
その「ある種の文脈」自体が他国に無ければ、自国独自の言葉(or感覚)として扱われる。
これが自国の「求心力」として利用されることはあっても、
消失しすることで「崩壊」に結びつく程強く作用しない。
そんなもの(「ショートカット(or置き換え)」)より、
「求心力」としては「自国で作られた構造体(芸術的/文化的/科学的/作品)」の方が遥かに強く働く。
結論としては、300個人の集めた「絶対善悪」などという仕分け(「ショートカット(or置き換え)」)がなくなっても
個人の分析能力には何ら影響を与えないし、国家の「崩壊」に結びつく事もない。
また、とつげきが「ショートカット(or置き換え)」的な言葉を作ろうとも、
300が指摘する程の共同体的影響も無い。


Re: 今更なんだけど Revin - 2008/07/13(Sun) 19:12 No.1368  

>2ちゃん

>A欲望を公言しても裁かれないが非難されることはある

 全くその通りだけど、例えば2chで「人殺してぇ」と書き込んだりするタイプの吐露は、その欲望を外に出したい、人に見てもらいたい、というアピールでしかないのに対して、ここでは、とつらが言ったなら(具体的にどこで言ったのか見つけてないんだけど)「しっかり物を考えられる俺でさえそういう欲望はある」というような意味が発生しているはずなのだよね。ウィキ的理論と現実の間を整合するための確認というか。センスの共有という意味で、アピールした意味もあったと思うけど、それを不快に思ってしまうのは、このウィキ的には「センスがない」と判断されるかもしれないけども、だからってどうでもいいといえばどうでもいい。ただ、道徳終わってるな理論で成り立っている明らかに系の違うここに殴り込んだからには、その思想的背景ぐらいは、とつの(解説)記事に目を通して汲まなくてはならんでしょ、と思う。

とつvs300は、友人とも話していたんだけど、主義として成り立つぐらいの立場で対立しているから、内容自体には踏み込みにくいというのが正直な感想だ。長いからウザいというのは俺も全く同意する(笑)。
ただ明確な誤りや勘違い、前提変更、論理性のない記述や振る舞いが多いのはやっぱり300だと思う。共同体最高→国家最高のシフトとか、国家が大事なのに国家の構成員の多数になろうとしている老人は殺してもいいとか、造語の否定とか、そういうところも含めて恣意的な彼の理想を全体のためだということにしているとか、不平等な投票を行なったとか。だから勝ち負けをどうしてもいうのならとつなんだろうと思うよ。


Re: 今更なんだけど マネ - 2008/07/13(Sun) 20:12 No.1369  

俺も内容について感想を。

■とつの思想の自家撞着について

・人間は悪に惹かれる要素を持っている
・しかし、悪が芸術たりうるのは悪ゆえのことである
・つまり、悪を称揚すること自体が実は善悪を前提してしまっている
・ゆえに、絶対的な善悪を否定しながら悪を持ち上げるのは自家撞着

「悪が芸術たりうるのは悪ゆえのことである」と断言できる理由が全くわからない。
悪ゆえに惹かれることも確かにあるだろう。でも「別の理由で惹かれたものがたまたま悪だった」ってこともあるだろう。後者のケースがありえないことがきちんと説明されないと、とつの思想がどう自家撞着してるのかも全然伝わってこない。
こういう論理的に当然潰すべき肢を放置して「悪の芸術」の具体例を無駄に並べたりするのは(悪ゆえに芸術たりうる例が存在することなど誰も否定しないし、そんなところが争点になるはずもない)、「よくわからないからとりあえずあんまり関係ない論証で埋めてみた」系の数学答案の匂いがしてちょっと恥ずかしいね。

それはともかく、自分の信念を前提に批判してるだけに見えたし、どこが自家撞着なのかさっぱりわかんなかった。

■「言葉遣いに気をつけるべき」について

・正規の語彙が減ると認識力が減退する(正規/非正規は辞書に依拠する)
・日本的文脈においては、敬語の美風も守るべき言葉遣いに含まれる
・というのは、日本的経営において敬語の美風が重要な役割を果たしたから
・非正規的な造語、用法を排撃して正規の用法を守るべき

正規/非正規は辞書に依拠するらしいが、どの時代の辞書をどんな理由で選ぶんだろう。
例えば、現代の国語辞典Aを選んだとする。国語辞典Aだって古い語彙を削除したり新たな語彙を追加したりはするだろう。「正規の語彙が減ったり非正規的な造語を用いれば、認識力が減退する」が正しいとするならば、新版が出た未来の人々の認識力は現代よりも減退していることになる。国語辞典Aの旧版と比べても、現代より「正規の語彙が少なく、非正規的な語彙が多い」のだから、過去の人々の認識力は現代よりも劣っていたことになる。

ふむ、これはどの時代の辞書を選んでも言えることだから、一番認識力が高かった時代をピンポイントで見つけ出さないと大変な間違いを犯すことになるな。どの時代の辞書をどんな理由で選ぶんだろう。やっぱ「敬語の美風によって日本的経営が上手く機能していた」時代の辞書なんだろうか・・・。300世帯がどの辞書を参照して「言葉遣いに気をつけて」いるのか非常に気になるところだ。


Re: 今更なんだけど 2ちゃん - 2008/07/14(Mon) 01:49 No.1370  

>Revin
AはRの言った『欲望は公言しても非難されない』を否定する為に言ったんだから、認めるならそれで。以降の文に関しては、言いたいことは
わかるが、前提の否定をするなら、もっと早くなほうが。ただ他のにも
目を通すようにするよ。ただRevinは色々、親切に教えてくれてありがたく思ってるよ。
ただ、今回の最初の俺の質問が何故、立場(価値観)の違いというとこ
までいくのか少し不明なとこあったんだが。最後の凸の書き方は『強敵
が現れたときに価値観の違いで終わらせる』という議論テク(ウィキに
書いてある)のような印象を受け少し残念に思った。
>マネ
はっきり言って残念だ。今回は、元元の俺の構想ではマネも議論の場に
出てきてもらう予定だったんだが、終わって300が反論来ない状態
でそういうことを言うとは。
マラソンで集団の先頭を走る者は、風を受けて不利になる。そしてこれだけ長文書いてたらいくつかは、突っ込まれるところもあるだろう。


それでも先頭を走るもの(凸や300)には俺は敬意を表する。しかし
先頭を行くものに風よけしてもらい、体力温存して最後に・・てのは。
マラソンでならいいんだろうがな。あと300に突っ込めるとこがあるように凸にも突っ込めるところが何箇所かあった。横槍になりそうなので引っ込んでたが。俺でも思う位だから当然マネなら気付いてたと思う
がそこをスルーして300のみに突っ込むやり方に疑問を感じるし残念
だと思う。


Re: 今更なんだけど . - 2008/07/14(Mon) 08:13 No.1371  

>AはRの言った『欲望は公言しても非難されない』を否定する為に
そんなことどこで言ったんだ?

>議論テク(ウィキに書いてある)のような印象を受け少し残念に思った。
そのような印象を受けたことがひたすら残念だ。

>元元の俺の構想ではマネも議論の場に出てきてもらう予定
構想?予定?何様?

>俺は敬意を表する。
君の敬意など誰も欲しがっちゃいまい。

>凸にも突っ込めるところが何箇所かあった。
詳しくお願い。

>300のみに突っ込むやり方に疑問を感じるし残念だと思う。
君の日本語の拙さに疑問を感じるし残念だと思う。


Re: 今更なんだけど とつげき東北 - 2008/07/14(Mon) 22:07 No.1372(管理者)  

>見学者氏

辞書的な意味でいいよ。
現実的、という程度の意味で考えていいよ。


>・・氏

なるほど。

300の論法は単純に言えば「自分の主張を権威主義に隠す論法」「相手の主張をわざと曲解して叩く論法」だよね。
(これは何度も指摘した)

いくら国家の伝統、歴史を並べても、最後に出てくるのが、
・方言などの地方語は「純化」されてしょうがない
・老人は死ぬべき
・国家という共同体に反するような言論の自由は認めない
・絶対悪を擁護した者は、法に反していないレベルであっても殴ってよい
・もっと国家のためを思わなければならない
・「正しい日本語」を使用すべきである
など、現代の国家や国民的生活感覚によって承認又は共有されていない個人の主張なら、それはどう頑張っても「個人的見解」でしかなく、当然エゴイズムでしかない。むろん彼が最初の方に言ってた、
・人は誰しも殺されることをマイナスと捉える。
・それをマイナスではなくプラスにすることは考えられない。
・どんな社会設計を考えるにしても、共同体内の人間を殺す(殺される)ことを
 プラスと設定し、人々にそれを志向させることは出来ない。
などとも完全に矛盾する。
人々の意見はすべてエゴイズムというのは常識なのだが、それを「これが国家的・公共的見解だ、とつげきはエゴイズムだ、情けない」で通すなら話は続かんね、ってことで終わったわけだね。

おれの「善悪という言葉が表現を抑圧する」という見解は事実だろうし、もしおれがあくまでも「国の文化を守り、活力を維持するために言ってるんだ!」と言い張れば「国家的視点から見た主張」と言えなくもない。そこに表現の自由に関する闘争の歴史的知識を塗りたくれば、300のような書き込みができあがる。
だがそんな書き込み合いは言葉の真の意味で(辞書的な意味で!)不毛、ってことですな。
もとは言葉による概念の「仕分け」をもっとも大事にする300の仕分け不足によって始まった論争だしな(「大量殺人等残虐行為」を「無差別殺人」に仕分け損ねたのは彼で、それは彼も認めたところ)。

(もし300が上記の、おれが既に何度もリピートした主張にさらに「新しい」異論があるなら反論してよいが、リピートが続くなら無視する)


>2ちゃん氏

一言だけ、言わせてくれ。
マネは「わかってる人」だ。
先頭を走ってもあらぬ方向に走っていく人よりは絶対ましだよ。
それが君から見て、おれであれ300であれ。


Re: 今更なんだけど 2ちゃん - 2008/07/14(Mon) 23:50 No.1374  

>・
『人に質問する時はきちんと名前を出しなさい』て、ばっちゃが言ってたよ。質問に順に@上でAうるさいB俺様だCお前にすることは無いから安心しろよDE君の読解力の無さが残念だ。
>凸
なるほどね。正直読み込み足りないところもあるし、前言は撤回するよ。ただそれでも先頭走る人を尊敬するがな。いくつか読んで的確なこと言ってるとは思うが。マネが誰かと討論してる項目とか無いの?
鷹爪で少ししてたような気もするが。あと凸VSマネの項目とか無いの?


Re: 今更なんだけど 300世帯 - 2008/07/15(Tue) 17:30 No.1375  

とつげき東北さんとの議論が閉幕した後、(彼が外的に負けたことの)リ・アクション、つまり「反動」として、私に対する批判めいた感想が噴出することは、決して後付けではなく、誰にでも予想がついていたこと(2ちゃんねるでも「絶対に凸信者が言い訳するんだろうな」等の書き込みあり)でありますが、閉幕宣言をしたはずの当人が書き込みを再開するならば、私が更なる反駁を企てることも許されるでしょう。
いや、レベルの低い感想やまとめを指して「釣り」と呼ぶのでしょうから、反論して差し上げることこそが、まさに今私に求められていることなのだと思うに至り、少しだけ書くことにします。

・・・さんへ

>恣意的に都合の良い時代の価値観を持ち出して〜

絶対主義を覆すには相対的事実を一つ挙げればよく、相対主義を覆すには絶対的事実を一つ挙げればよいわけです。私は社会における絶対的な事実を挙げたのですから、反論したければ「無差別・無目的殺人」を悪としなかった時代なり共同体なりの具体例を、あなたたちの方が、仮に恣意的だとしても反証として提出すべきでしたね。
フーコー言うところの「狂人」は19世紀以前の西欧では、時に精霊のように扱われていた可能性があるとか、俗世的な実践知を有するインテレクチュアルに対して、厭世的なインテリゲンチャは村人から変人扱いを受けながらもその存在価値が認められていたとか、恣意的にもそんな話一つ出せなかったのは、いやしくもあなたたちの方だったわけです。

>色を仕分けする言葉が無くなるだけで、色の仕分けをする分析能力(認識力)も失われていく、とか説得力(抽象性=一般性)ない

分析能力が失われるなんて言ってませんよ。活力の減退に繋がると言ったんです。意志のメカニズムや方向性が言葉を通じて伝えられないから、無気力症候群に陥って、それを認識しようとさえしなくなるということですよ。
なぜあなたは何度も説明しているのに、真理に関する認識相対主義と善悪にまつわる価値相対主義を混同してしまうんでしょうか。

いいですか、人間が赤とピンクを認識できなくなることはないんでしょう。例えばパプアニューギニアかどこかのある民族は色に関する言葉が2種類しかないにも関わらず、実験では様々な色を識別することができたそうです。
しかし、白と黒という言葉しかなければ「真っ赤な口紅」と書いて妖艶な女性を表現したりは出来ません。あるいは朝焼けを見て「空が赤く燃えている」と形容することもないでしょう。裏を返せば赤い唇に色気を感じず、暁に心動かされることもないから、たとえ認識はできたとしても言語を創造(差異化)しなかったとも言えるわけです。

で、この話は「律儀」と「立派」を差異化しなくても問題ないとする発言への反論だったわけですから、単純に色の識別の話にとどめるのはお互いやめましょう。私が問題にしたのは「日本に特有の価値の観念」をなくして、どうやって日本のドラマトゥルギーを伝えるのかという話です。

例えば日本人が沙羅双樹の花の色に盛者必衰の理を垣間見たり、祇園精舎の鐘の声に諸行無常の響きを感じ取ったりしたのは、儒教でいうところの「諦念」にも似た「無常観」の表出だったわけで、それが我々日本人の心にどんな平衡感覚をもたらしてきたのかを考えることから国民の第一歩が始まるのです。
いつの時代にも理想と現実のギャップに苛まれし者達がいたはずで、彼らがその葛藤をどう乗り越えてきたかが、文章のそれであれ、身振り手振りのボディランゲージであれ、言葉遣いとして、価値的にしたためられていると考えられるわけです。
(余談ですが、私の尊敬する岡潔が芭蕉の句を読み耽ることで数学に対する熱情を高めたというのは、さもありなんと思います。)

今私が国家のドラマと言ったのは、人生というのが演劇であり、物語であるからなんですね。文脈によっては虚構と言ってもいいでしょう。虚構といっても例えば貨幣は、国民がその価値を信じ、また、国家が断固それを保証することで初めて、物やサービスを交換するためのツールとして、本当の利用価値が出るわけです。
つまり、ただの紙切れが、虚構であるにも関わらず、信じることによって価値を持つわけですね。恋愛だって出産だって、あんなものはほとんど虚構というかオカルトですからね。でもそれを原動力の一つとして生き、そして死んでゆく。そのドラマを過去から受け継ぎ、未来へ手渡す立役者が人間なのではないでしょうか。

言葉も貨幣と似ていて、デカルトは「疑ってる自分」を、あるいはその言語の背景にある神を、「信じる」ことで理性を回転させていったんですね。合理を突き詰めようとしても、どこかで必ず証明できないことが出てくる、その時は信じるほかない。それを「不合理ゆえにわれ信ず」というギリシャのことわざが示しています。
ですからどこかにあったマネさんの「疑うなら最後まで疑え」という感想は、デカルトの理解が足りない、とっても恥ずかしい発言だったのです。

そのマネさんへ

>「悪が芸術たりえるのは悪ゆえのことである」の理由が全くわからない
>たまたま惹かれたものが悪だったということもあるだろう

あなたは頭が悪過ぎます。どういう文脈で議論していたかが全く理解できていませんね。

・残虐行為が芸術だったこともある
・だから「残虐行為(≒無差別殺人)=悪」とは言い切れない

このとつげき東北さんの論証が成立するためには※「芸術の対象=善」という前提が必要です。要するにとつげき東北さんは、一般的に悪と見なされているものが、認識相対主義的には善に見えるかも知れないから、「残虐行為=悪」とは言い切れないと主張したようなものなんですね。その具体例が、中世における残虐行為の芸術だったと彼はいうわけですよ。
ですから私は、善悪論に認識相対主義を用いるその浅はかな論法を排除すべく、悪が芸術たり得たのは、それが人によって善に見えたからというのではなく、「悪の芸術」がきちんと(作品の対象における)悪として認識されたからである、と言える事例を挙げただけです。
この辺りはプラグマティズムの大家であるデューイが、芸術を経験と定義したことを勉強しましょう。もしわかりにくければ別の例を、作品の羅列ではなく、理論的に説明します。

そしてあなたが言うように、惹かれたものがたまたま悪だっただけならば、それはそれとして抽出して作品にするなり、自分なりにどこに美を感じたかを抜き出して芸術論を展開するなりしないと話になりませんよね。
この場合、残虐行為の芸術性が「悪性の表現」以外のどこにあるのかということですね。しかしそれをやる責任は、彼にはあるとしても、私にはございません。だって私はそもそも残虐行為の芸術性など半信半疑ですからね。まず、惹かれることと芸術とは同義でありませんし、残虐行為が芸術であったとしても、それは悪性の表現ではないかと言うに留めるのは芸術論への移行を食い止めるためには当然です。
これより先の芸術論は議論の本旨から外れるので、とつげき東北さんもやる気はないでしょうから、結局残るのは、あなたの感想に見せ掛けた下手くそな批評が、やはり単なる感想に過ぎなかったという哀愁感だけですね。

※「¬悪=善」は違いますがわかりやすいように書きました。

とつげき東北さんへ

>相手の主張をわざと曲解して叩く論法

だとしたらあなたは低能だから誤解して叩いてしまう失態ですかね。
まず、そこの文章は私の発言を恣意的に抜き出して、矛盾してるかのように見せ掛けたり、国粋主義者のように見せ掛けたりしているだけですね。
例えば「老人は死ぬべき」とだけ抜き出してますけど、それがどんな時代におけるどんな老人かを私は書いたはずですよ。むしろその論じ方に徳があるんでしょうが。

>そこに表現の自由に関する闘争の歴史的知識を塗りたくれば、300のような書き込みができあがる

あなたには無理です。もし頑張ってあなたの自由論が完成しても、私の道徳論と闘わせてあなたが外的に、エリート民主主義的に、勝つことはありえません。あなたの希求する自由なんて空理空論ですからね。
シェイクスピアの『ヘンリーV世』に出てくる言葉で「自由とはなんだ、言葉だ。言葉とはなんだ、空気の振動だ。」という科白があります。自由なんて規則がなければ「無」に等しいということです。
もし東大生に好かれる自由論を書きたかったらハイエク辺りから勉強することをお薦めしますが、恐らくハイエクにとっての自由はあなたにとっての抑圧に映るでしょう。そのくらいあなたの自由は放埒しているんですよ。

>人々の意見は全てエゴイズムというのは常識だが〜

エゴイズムというより、あなたは自己中心的過ぎるんです。例えば私は妻子が川で溺れていたら、自分の命も顧みずに助けますが、あなたは見てみぬ振りをして家でネット麻雀をしますよね。
そこであなたが私に対して「その正義感もエゴイズムと言えばエゴイズムやろ」というのは、もはや言語的小児病です。「全部主観やろ」と同じでその発言こそ不毛なんですよ。
これもまたデューイによれば「自我」は自分一人では生まれないんです。他者がいて初めて自分があるんですよ。
他愛を遂行することで何とか自愛もできる、というのが社会と自分が幸せになることの必要条件です。自愛だけで社会を成り立たせるには自己がよっぽど立派でなければなりませんが、立派とは何かと問われれば、その時はどこかで他者性が関わってきます。

ちなみにここで「私は結婚しないから妻子は川で溺れんやろ」とか言うならもう反論しないでください。そもそも勝手に議論を閉幕させておいて私がいなくなってからフォローしてる時点であなた終わってますし。

あなたのように現実の倫理や現前の道徳に目を背けながら漫画やゲームに耽ることが、自家撞着の感を否めないのは、ほとんどの漫画やゲームには、道徳的な勇気のドラマや倫理的な他愛のドラマが盛り込まれているからです。
現実では無能公務員で、誇れる男らしさもないから、普段は道徳なんてないとうそぶいてはおくが、仮想空間ではどっぷりと道徳や愛のドラマに浸るというのは、あなたの深層心理に道徳心や倫理観が存在するからではないんですか。
そうでないならやはり、普段の公僕生活で溜めたストレスを、ネットで御託を並べることで発散させているに過ぎない。

どちらにしてもしょうもない人間です。あっ反論しなくて結構ですからね。


Re: 今更なんだけど ちゃちゃ - 2008/07/15(Tue) 19:02 No.1376  

外野の仕事「細かいところに突っ込む」でも遂行しますか。

>ほとんどの漫画やゲームには、道徳的な勇気のドラマや倫理的な他愛のドラマが盛り込まれているからです。

凸さんはそれをぼろくそに叩いてます。

>さて、
(名言的作品紹介)ttp://toturev.sakura.ne.jp/totutohoku/index.php?%A1%CA%CC%BE%B8%C0%C5%AA%BA%EE%C9%CA%BE%D2%B2%F0%A1%CB
において私が言及しているとおり、善悪という障害のせいで、「表現」が極めて抑圧されつつあります。

なので深層心理云々は間違いでしょう。



Re: 今更なんだけど ・・ - 2008/07/15(Tue) 23:37 No.1379  

>絶対主義を覆すには相対的事実を一つ挙げればよく、
相対主義を覆すには絶対的事実を一つ挙げればよいわけです。

ええ、だから、自分は
あなたが「極めて信頼性が高い」とされる抽象的(絶対的)事実を示せていない
、と言っている。
従って、全ての共同体に共通する抽象的事実を示せていない以上、
あなたは具体的に全ての共同体の一つ一つの史実から(あらぬ限りの信頼性の高い情報を用いて!)、
この共同体は「無差別・無目的殺人」を「悪」として扱っている、
ということを無理をしてでもこじつけていかなければならない。
それが「完成」できなければ、最低限の「前提」としては扱えない。

>反論したければ「無差別・無目的殺人」を悪としなかった時代なり共同体なりの具体例を、
あなたたちの方が、仮に恣意的だとしても反証として提出すべきでしたね。

これはとつげきの指摘する「相手の主張をわざと曲解して叩く論法」に値すると思う。

>分析能力が失われるなんて言ってませんよ。
>活力の減退に繋がると言ったんです。意志のメカニズムや方向性が言葉を通じて伝えられないから、
無気力症候群に陥って、それを認識しようとさえしなくなるということですよ。

ああ、「悪」の認識ができても、それに分類される行為に対する抑制ができなくなり、
結果として共同体の崩壊に繋がる、ということね。失礼。
何度も指摘されているように300の「悪」が前提となり得ない(意味不明な)ので、
この話には乗れない、と言いたいが、
自分は既存の物(構造)が失われて「求心力」が無くなることが国家の崩壊に繋がると思っており、
300の論理が、「悪」の認識の基準が文化(構造;法/習慣/科学/宗教...etc)の破壊にあり、
それに分類される行為に対する抑制ができなくなるため、
共同体が壊れる、ということなら納得できる。
但し、とつげきが文化を破壊しているor破壊する集団を育成しているため、
共同体が壊れる、という主張は同意できない。
逆に共同体を維持する、ということを目的(基準)とするなら、このwikiは全体としてはプラスだろう。
このwikiから宅間等の破壊行為を単純な肯定と受け取り、同様に「実行」してしまう人間は、とつげきとは関係なく、
生まれつき破壊に対する「閾値」の低いor「閾値」を低くする「論理」を組み立てやすい人間(例えば、統合失調症気質など)であり、
このwikiを破壊集団の育成と受け取るのは、恣意的に木を見て森を見ていないと思う。

>言葉も貨幣と似ていて、デカルトは「疑ってる自分」を、あるいはその言語の背景にある神を、「信じる」ことで理性を回転させていったんですね。
合理を突き詰めようとしても、どこかで必ず証明できないことが出てくる、その時は信じるほかない。
それを「不合理ゆえにわれ信ず」というギリシャのことわざが示しています。

デカルト(or300)のその考えは正しいが、正しくない。
つまり、先があり、それを動的に推し進めず、
デカルトを絶対化(極度に信頼性が高いと)して語るのは破滅主義的だろう。


Re: 今更なんだけど 2ちゃん - 2008/07/16(Wed) 07:05 No.1380  

>・・
>全ての共同体に共通する抽象的事実を示せてない以上、あなたは
【具体的に】【全ての】共同体・・・・
300は『無差別・無目的殺人を悪としなかった時代・共同体は無い』
と主張してる。それに対して、『ある』という主張なら具体例を出すのは当たり前じゃないの?『無い』という主張に対して、具体的に・全て
の『無い』という例を出せというのは、やからじゃん。


Re: 今更なんだけど ・・ - 2008/07/16(Wed) 23:58 No.1384  

>『ある』という主張なら具体例を出すのは当たり前じゃないの?

『ある』なんて主張してないよ。
『ある』と主張した時点で300のいう、「悪」(でも無意味)を前提として認めた、と扱われるしね。
「主張」する以前の問題ということ。
要するに自分の主張は
主張内部の「悪(or無差別)」の仕分け方が粗雑であり、結局300は何も主張できていない、
となる。
仮に自分が無理矢理『ある』の例を出しても抽象性が無いから、300が「悪(無差別)」とするか否かが予測できない
(300の意志一つで決定されてしまう)。
例えば、幻聴/妄想/不安による疑心暗鬼で共同体成員を殺すタイプと
無理矢理「論理」を組み立てて殺すタイプ等がいる場合、
これら(論理形成)には程度(レベル)があり、連続的に分布すると思うんだけど、
どうやって「無差別」か否かを仕分けするの?
例えば、自分のイラツキを一時的に抑える為に何十人も殺したレベルの人とか、旦那がナチスの暗殺者かつ自分がCIAだと思い込み、
子供を守るために旦那を殺した人、地震によって人類が滅亡するのを防ぐ為に(思い込みね)何十人も殺した人、
などもいるけど、どうやって無差別か分けるの?
もしかして、加害者と被害者に面識が無い場合は「無差別」とする、という基準?
「加害者と被害者に面識が無い」かどうかに関して信頼性の低い情報しか集まらない場合は
どうするの?どこぞの共同体が決めてくれるの?
歴史的に占いや祈願などで成員を生贄にしていた(ルールとして採用していた)共同体もあると思うけど、
それはどうするの?、となる。

300は真理に関する認識相対主義と善悪にまつわる価値相対主義を無関係(独立)として
「絶対的」な仕分けをしているため、
「対話の為には善悪にまつわる価値を論じる(用いる)前にその価値の信頼性を高める必要がある」、
という認識相対主義の真理(抽象性)を認識できていない。
例えば、先の例の連続的分布も信頼性(抽象性)の高い基準
(神経伝達物質の量とその特異的受容体の感受性/分布の違いや、神経の投射の仕方など)
によって分析する事で初めてアカデミックな価値が出る
(スペクトルに関する抽象的構造を動的に説明できる)。
これが明らかになることにより、
脳のどの領域を薬物のターゲットにするか?
レベルに応じてどの程度、薬物の量を調節するか?
、などの(社会的現実的)治療に関しての意義も生じる。
無理矢理「仕分ける」ことは知的ではない。


Re: 今更なんだけど マネ - 2008/07/17(Thu) 00:37 No.1385  

例によって端的に。

>300世帯

・A(悪と認識されたがゆえの芸術)をいくつ並べても、B(たまたま悪であったに過ぎない芸術)の存在は否定されない。「Bもありえるかもしれない」と認めただけで「悪が芸術たりうるのは悪ゆえである」が偽になってしまい、とつ思想の自家撞着も導けなくなってしまうため、Bがありえないことを示すべきところでAの例示をしてしまったのは、論証として不適。数学なら0点。

・とつ思想の自家撞着を導くには、「とつ思想の前提に立つとこんなおかしな結論が出る」と言わなければならない。とつが前提としていない定義や信念を混入させてしまえば、おかしな結論が出てきても「それはとつの前提のどこかがおかしかったからだ」と言えなくなるからだ。

・つまり「芸術」のような言葉についても、とつの用法に沿った形で用いなければ「自家撞着」は導けない。とつの用法に沿った上でBがありえないことを示す必要があるにも関わらず、全く関係がないデューイの定義(あるいは自分自身の「芸術」解釈)を持ち出そうとしたのは不適かつ姑息。数学なr

・「君はいつの時代の辞書をどんな理由で選んでいるのか」という質問は、実はこの思想的対立において最も重大なテーマの一つ。「公を重んじる」精神が共同体的に「善」だとしても、「公を重んじるとはどういうことか」という方向性が権威権力によって恣意的に規定されてしまうことで、結果的に「善」が「悪」に堕することがあるという問題にどのような回答を用意するか。非常に重要であり、共同体主義者が無視してよい質問ではない。


Re: 今更なんだけど hidehitox - 2008/07/17(Thu) 01:15 No.1386  

とつ氏の発言。

>道徳から1歩身を引いて見たとき(冷徹な、当ウィキで言うところの知的な観点から見たとき)、例えば殺人鬼が一切の「観念的な善悪」をかなぐり捨ててまで遂行して見せる事項に対する強い意志だとか、そこにわれわれが「読み取る」複雑な感情だとか、機能美、強度といったものは、これもまた「本来」人間が持っているはずの審美眼から見て何かただならぬものの一つのはず。「殺人鬼怖い、うわあぁ」という戦慄と同時に到来する何らかの感動があってもよい。

これに対する300氏の発言。

>まず個人の「願望」と「善」の観念は全く違うと何回言わせるんですかね。やりたいことが何でも「善」なら、やり終わった後に後悔した時は、さっきまでの「善」は何と呼ぶんですか。(中略)あなたたちが自家撞着してるのは「絶対」も「善悪」も「無い」と断言しながら、結局は単なるレジスタンスを絶対的な「善」のように崇めているに過ぎないということなんですよ。

「やりたいことが何でも善」とか「善悪なんか無いと断言しながらレジスタンスを善のように崇めている」とか、とつ氏の発言からはどうやっても読み取れません(もちろん過去の書き込みからも)…これが何人かの人が指摘していた「曲解」でしょうか。以前の書き込みに書いたとおり「(善か悪かは別として)凄いもの・逸脱したもの」への驚嘆を表している(驚嘆は感動の一つの形式ですよね?)だけで、「無差別殺人こそ善だ!」「悪こそ我々の崇めるべき対象だ!」などとは主張してはいないように思われますが。これじゃあ泥仕合になってしまうのも無理が無いような。


このwikiは、「善悪」の観念から離れて物事を分析・観察しようというもので、「善悪なんか無い」となんか言ってはいない。そして、別トピックでちゃちゃ氏が指摘していたように、このwikiの目的はあくまで「様々な事柄を分析・観察して知的エンターテイメントを作り出す」ことであって、別に世の中から道徳を無くそうとかいう趣旨ではないでしょう。

むしろ、世の中に「善悪」はあるのでしょう。300氏の言う共同体の秩序を守るための権力として。公的な場所(具体的には私の別の書き込み参照)ではそれが働き、個人の気儘で不謹慎な願望を抑制させます。

では、このwikiは公的な場所といえるのか?
2chの書き込みで「とつげき東北は公人なのだから発言に自重うんぬん」といった書き込みを目にしました。麻雀研究者として本を出版したり講演したりして多少有名になったら「公人」とやらになるのでしょうか?しかも、本名ではなくハンドルネームで。そして、「公人」とやらが作ったサイトは公的な場所となるのでしょうか?その趣旨のために閲覧する人間をかなり限定してしまうようなサイトですが?

…私はこのwikiを公的な場所だとは思えません。街中や学校などとは違って、公的権力によって秩序を保つべき場所ではありませんし、ここから発信されることによって世間様とやらに壊滅的な影響を与える場所でも無いからです。


まとめます。
・このwikiは、道徳やら善悪を相対化して愚劣なものやワンパターンなものを分析・観察し「笑う(知的エンターテイメント化する)」ことが目的であり、世間の秩序を守ったり社会に適応する態度を教えたりするような公的な性質を持つ場ではなく、(世間全体と比べて)少数が私的趣味のための来る場である。

したがって、「とつげき不道徳なこと言うな!」という300氏の主張は、空虚なもののように思えます。流石にわかっているとは思いますが、まさかとつ氏らが現実生活の中であたり構わず「無差別殺人おk!」なんて主張をあたり構わずやっているなんて思ってはいませんよね(笑)















Re: 今更なんだけど 300世帯 - 2008/07/17(Thu) 02:55 No.1387  

マネさんへ

ゲーデルの不完全性定理ないしはノイマンの不完全性定理を勉強しましょう。私は勝手なマイルールで、自分の専門の話をすることを禁じ手としているのですが、もしマネさんが数学がお好きならそちらの話で一騎打ちしますか?(笑)

その他の指摘についてはこの質問にきちんと答えてもらってからにします。

自分の方がよっぽど姑息なことわかってるくせに(笑)


Re: 今更なんだけど マネ - 2008/07/17(Thu) 22:05 No.1389  

>300世帯
ん。その質問に答える必要を俺は全く感じないから普通に無視するよ。
君も俺の指摘に答える必要がないと思うなら答えなくてよい。

「知識量ぶん回し系のバカ」は期待されてる間が華。君はとっくに呆れられている。


Re: 今更なんだけど とつげき東北 - 2008/07/17(Thu) 23:36 No.1391(管理者)  

>300

事実確認を。

>エゴイズムというより、あなたは自己中心的過ぎるんです。
>例えば私は妻子が川で溺れていたら、自分の命も顧みずに助け
>ますが、あなたは見てみぬ振りをして家でネット麻雀をしますよね。

ねーよ(笑)
そういうのが曲解と言ってるの。
あなたの叩いているのは、あなたが「悪」として作り上げ、「『悪』であるがゆえに憎悪の対象とすべきであり、曲解に基づいてでも攻撃してよい」と判断された、架空の「とつげき東北」。

ちなみに毎年、麻雀関係で大学生の研究家やら学会、その他団体に、合計で寄付20万以上してるよ。後々何かに役立つ(麻雀界が面白くなる)かもしれないし別に役立たないかもしれないって程度の気分でね。なぜ思想的に「自己中すぎる」私がそのような行為をするかわかるでしょう? わかっていながらそこを無視して「曲解」して叩いているからハゲだ。あるいは、本当にわからないから真の(形而上の)ハゲだ。

つまり国民のほとんどは、私より自己中ですよ。寄付してないから。いくら思想上「共同体のため」を思っていても、行動しなきゃ無駄なんで。
国民を今すぐ叩いて回った方が賢明ですな。

「共同体の共通了解としての善」を前面に押し出す話はもう終わったでしょってこと。
自己中すぎたら何がダメなの。寄付の額という意味で、ダメなやつらが国民の80%以上でしょ。わずか1万円でも納税額が増えたらビックリするほど猛反発するのが、事実として存在する国民でしょうが。

「少数者」(実は「国家のためだ! がんばれ! 1万円寄付しろ!」などと言われて寄付するバカの方が少数者なのだが)の視点、彼らに語りかけるべき言葉あるいは「言語の意味体系」を完全に放棄してしまい、「とにかく日本のために頑張るんだ」という非常に格好悪い、少数派の、私が言うところの「国粋主義」的な言動のリピートになっているのが今の君の姿。
そりゃ社会了解的、公共的言説的、あるいは道徳の授業的にはそっちが「正しい」と「される」に違いない。「共同体(この場合国に限定する)の維持」とかいうわけわからん視点に立てばね。
だけどほとんど誰もそんな妄言を信じないし追随もしない。
ましてやこのウィキにそれを信じる阿呆はいない。
そこが非現実的と指摘しているところよ。


Re: 今更なんだけど マネ - 2008/07/19(Sat) 23:26 No.1393  

300世帯が共同体主義的な立場から「老人は死ぬべき」と断言したのは評価する。
これを言うと普通は反発されるが、言わないと一貫性が失われるからね。

さて、300世帯は私の指摘に反論する必要なしと判断したようだし、おさらいがてら全体を俯瞰する。

■個人主義(エゴイズム)に対する共同体主義側からの批判

パターンはさまざまだが、基本的な論理は以下のようなもの。

・共同体は個人の自由と安全を保障するためにあるとする(「個人>共同体」と仮定)
・しかし放縦な個人主義を認めれば、共同体の機能が損なわれ、個人主義の前提が崩れてしまう
・ゆえに、個人主義それ自体が一定の限界を必要としている(「共同体>個人」を導出)

なるほど、教科書的で一定の理があるように見える。が、われわれの立場は「抽象的な(一般的な)個人」を称揚するするものではない。「この私がよければよい(自分>その他)」を前提とするエゴイズムである。

「放縦な個人主義は共同体を滅ぼす」と言いたがる共同体主義者が何を見落としているか。それは、共同体のメンバーが権力的に対等ではないという現実である。
メンバーが対等ならばそれぞれの自由がぶつかりあって、結果的に共同体の機能が損なわれることもイメージできるだろう。しかし、われわれのほとんどは、上司や顧客、配偶者や友人の機嫌を損ねることで不利益を被ることを恐れ、現実に自由奔放に振舞うことはできない。権力的に対等でないために、「エゴイスティックな要請によって」、エゴイズムの放縦な発露が防がれるという現象が起こっている。
すなわち、「自分>その他」という前提の中から「その他>自分」となる行動が引き出される(メンバー全員がエゴイストであるという仮定を崩さずに、メンバーAが「公共福祉的な」行動をすることを自然に説明できる)。つまり、「エゴイズムは共同体の機能を損なう」とは言えず、自家撞着を導くこともできない。

また、ごく日常的に見ても、権力的な強者(金持ちやワンマン社長など)は実際にかなりエゴイスティックに振舞うことが多い。しかし、そのことによって共同体の機能が損なわれているのだろうか。彼らがいなくなればもっと日本は上手くいくのだろうか。明らかに関係ないだろう。
多くの共同体はメンバーのエゴイズムを前提にし、取り込んで前進する仕組みを備えているものだ。日本という共同体のメンバーの一部が「宅間、最高です!」と公言しようがしまいが、それを叩く人々がいようがいまいが、司法権力とメンバーのエゴイズムが健在である限り、日本がただちに自滅することなどありえない。(逆に、エゴイスティックではないメンバーが多数を占める場合、司法権力が健在であってもその共同体は自滅しうる。)

もちろん「他や公に尽くすあり方自体が美しい」と感じる人々は多数存在するし、そのような“善人たち”のおかげで共同体が上手く機能するという部分もあるだろう。彼らはエゴイストであることを公言する者たちを不快に感じるに違いない。
しかし、彼らの美学に反していようが、エゴイズムを前提とする思想は「論理的に強い」。首尾一貫しており、わかりやすく、現実的・歴史的な説得力を持ち、有効な反論がない。われわれがこの立場を選ぶのは、300世帯が憶測するように自らの汚らしい欲望を肯定できるからではなく、単に思想として「強い」からである。


Re: 今更なんだけど マネ - 2008/07/19(Sat) 23:31 No.1394  

■共同体主義に対する、個人主義(エゴイズム)側からの批判

基本的な論理は以下のようなもの(とつによるものも同型)。

・共同体的な利益(善)を個人的な利益より優先すべきであるとする
・とすれば、「何が共同体の利益であるか」「守られるべき共同体とは何か」いう方向性が重大な問題になる
・ところで共産主義圏の独裁者やファシストを見ると、「共同体的な利益」という曖昧な方向性を明確化するために絶対的な権威が要請され、いつの間にかその絶対的な権威とその周辺の人々にとっての「個人的な利益」が「共同体的な利益」と同一視されてしまうという悲喜劇が起こっている
・つまり、特定個人の利益よりも共同体的な利益をあくまで優先しようとするなら、権威権力に拠らずに「何が共同体にとっての利益(善)であるか」を定める必要があるが、その方法はまだ知られていない
・「共同体的な利益」を定める方法が分からなければ、それを個人的な利益より優先すべきと言っても空論に過ぎない

共同体主義の立場で考えてみると、この手垢のついた批判に反論するのが非常に難しいことが分かる。「善とは何か」というギリシャ時代からの哲学的問題に答えを出すか、主張の意味内容が空虚になるかの二択を迫られてしまうからだ。

われわれの立場(認識相対主義)なら、「善悪とは、個々人の好き嫌い(美醜判断)が権威・権力的に認められるようになったものである」という具合に、共同体的な利益と個人的な利益の本質的な差異を消去することでこの難問を回避できるが、「絶対的な善悪」を前提にする立場ではそうはいかない。
私の力量ではとてもこちらの立場を支えきれないが、認識相対主義を「浅はか」と断じる300世帯はおそらく違うのだろう。「正規/非正規の判断基準たる辞書を(権威以外の)どんな根拠で選ぶのか」(「善とは何か」の変奏)にも答えを用意しているに違いない。

さて、共同体主義の立場から私が無理やり批判にこたえるなら、

・「善とは何か」はよく分からないが、「絶対的な善悪は存在する」という前提を共有した者同士の対話の中からより確かな「善」や「悪」の姿が見えてくるはずである
・言い換えれば、「共同体的な利益」を権威に拠らずに判断しようとする理性的な人々同士の対話の中で、その方向性も定まってくるはずである
・だから「絶対的な善悪」「共同体の利益を優先すべき」を信じないおまえらはゴキブリ

などと、理想的な信念に基づいて言い返すぐらいしか手がない。
が、愚かなミスの繰り返しとしか表現しようがない人類の歴史を見るに、人々の理性を信じろという方が難しいだろう。熱狂的に権威を祭り上げて、自分たちの欲望を「共同体的な利益(善)」にくるんで発散するようなバカ騒ぎが多過ぎる。
この信念の説得力を高められるような歴史的事例をばしっと挙げられれば、「善とは何か」に直接答えず反論することも一応できるが、残念ながらちょっと思いつかない。というか、そんな事例はたぶんないだろう。

ちなみに300世帯の場合は、

・「萌え」を持ち上げつつ、辞書によって「正規/非正規」を判断する
・貨幣や人生がそうであるように、国家もまた「信じられる」ことによって成立するドラマ(虚構)である≒「守られるべき日本(語)」という表象が権威的に選別(排除)されてしまっているのではないか、と冷静に疑おうとする姿勢自体の否定

といった直感的な主張を幾度もやらかしてしまっているため、こっちの方向にはもう逃げられない。「守られるべき日本(語)とは何か」「善とは何か」に真っ向勝負しつつ、これらの発言との矛盾をつつかれないようにしなければならなくなっている。
論理的整合性を気にする私などには厳しいとしか思えないが、彼の脳内ではどうにかなっているのであろう。


Re: 今更なんだけど 2ちゃん - 2008/07/20(Sun) 08:44 No.1395  

うーん 確かに300の『川で溺れてる妻子』の話しは極端すぎだな。
そんなん全員、助けるだろ?見知らぬ人で、危険があっても普通、助けるやろーし。
>マネ
わかりやすかった。ただ(エゴではないー自滅しうる)がどういうことを想定してるのかが、よくわからん。説明頼む。
俺はマネのいう●個人>共同体●放埓な個人主義はNG●個人主義に一定
の限界が必要 と考える個人主義のタイプなんだが。
その個人主義への一定の限界が、強制力のある法律であり、強制力の無い道徳であると思う。
そして道徳は日本の長い歴史により作られたものであり日本の美風である。フィリピン(だったかな?)ではタバコのポイ捨ては罰金刑で、日本も近年そうなりつつあるが元元はそういう法律・条令は無かった。
根底にそういう細かいことまで決めなくても個々の道徳により必要無かった為だ。しかし道徳意識の薄れに伴いこういう強制力のある条例が必要になってくるのではないか?
道徳=美風と言ったのは、長い歴史により【ゆるやかな】道徳観念が醸成されている為、例えば仏教・キリスト教が入ってきても排他的なものは【道徳観念】が許さないから日本では【ゆるやか】になる。例としては神仏習合でありキリスト教原理主義的なイデオロギーを曲げての布教である。こうして【道徳】は日本や日本人の土台となってるものであり
・・・・・ただの観念論になってしまったな。あーそうだよ。どーせ俺には論理的とか向かねーよ。
エゴのとこの説明は頼む>マネ




Re: 今更なんだけど マネ - 2008/07/20(Sun) 14:45 No.1396  

>2ちゃん
長文嫌いなのによく読んだなw

>エゴイスティックではないメンバーが多数を占める場合、司法権力が健在であってもその共同体は自滅しうる

どんな国家の司法警察権力も国内の治安を守るには数が少な過ぎるんだ、まともに考えれば。たとえば、国民の5割がアジテーターに乗せられて「アジア人労働者を受け入れている今の政府首脳は売国奴である!伝統ある日本の美風を守るために、われわれは自らの死など厭わない!」と一斉蜂起したら現状の兵力では絶対抑え付けられない。でも現実の人々のほとんどは「自分だけはかわいい」から抑止力が働いてなかなかそうはならないわけでしょ。
つまり、「刑罰による抑止力」という考え方自体が「普通の人間なら自分がかわいいはずである」を前提にしており、「自分よりも共同体が大事」と本気で考えられる奴らに対しては抑止力なんかきかないから「司法権力が健在であっても」自滅がありうるわけ。
「みんながエゴを捨てて同じ方向(共同体)を向く」って表現次第でいくらでも美しい印象を持たせられるけど、歴史的には危険な兆候なんだよ。国家レベルに限らず、ファナティックな自滅をした共同体は多い。


Re: 今更なんだけど マネ - 2008/07/20(Sun) 14:51 No.1397  

>根底にそういう細かいことまで決めなくても個々の道徳により必要無かった為だ。しかし道徳意識の薄れに伴いこういう強制力のある条例が必要になってくるのではないか?

「個人主義」と「エゴイズム」の区別はもう説明したと思うが、もう一つ知っておくと便利な区分けを解説する。「社会」と「共同体」ね。

「共同体」・・・個人(individual)から成る集合。メンバー間に一定の仲間意識(共通項)が存在し、その内部においては「暗黙の了解」が通用する。
「社会」・・・個人間、共同体間で言語・貨幣・商品が交換される(市場)空間を指す。共同体や個人の「集合」ではなく、従って共通項も存在しない(「暗黙の了解」が通用しない)。

辞書的には明確に区別されていないと思うが、ともかく全く違う概念だと思ってくれ。

さて、個々の道徳観念やマナー観念がある程度共通している「共同体」の内部であれば、“村八分”的なものでも十分機能する。ところが「社会」においてはそうはいかない。道徳や常識が全く異なるやつらがウヨウヨしており、白い目で見るぐらいじゃ全然効果がないわけだ。そこで必要になってくるのが「明文化されたルール」。
道徳やマナーが「こうすべし/すべからず」と指示するのに対し、ルールは何も指示しない。誰の目にも明らかな基準によって「あなたがこうしたらこうなります」と権力的に宣言するだけ。常識や道徳が通じないやつら同士が交流する「社会」を安定させるためにあるのがルールであり、「共同体」の秩序を保つためにあるのが道徳やマナーなわけだ。

「共同体/社会」の区分けを導入して考えれば、「道徳意識の薄れに伴い→ルールが必要になった」という論理がいかに共同体主義的で、他者に不寛容な発想であるかが見えてくるだろう。「自分たちは道徳(善)を知っているが、あいつらは知らない」を暗に前提しなければこうした発想は出てこない。
だが、われわれの見方は違う。「現代日本は道徳意識が通用しなくなるほどに社会化されてしまったためにルールが重要になってきた」と見るし、今さら「古き良き日本」の表象や「道徳意識の薄れ」を喧伝するのは「共同体への危険な逆行」につながりかねないと考える。

もちろん美しい日本を愛するだけなら危険ではないし、批判にも値しない。だが、300世帯のように「共同体」を守るために何かを排除しろと言いはじめるならば、「社会的な」作法に則って論理を要求する。


Re: 今更なんだけど 六7 - 2008/07/20(Sun) 23:24 No.1398  

>泥沼を泳ぎきる勢いで暴れたおかげで

このフレーズを思い出したのはおれだけじゃないはず。
背筋が凍るコンボ。
散々たたかうを選択し続け、それから斬鉄剣。
しびれた。


Re: 今更なんだけど 300世帯 - 2008/07/21(Mon) 04:59 No.1400  

マネさんへ

賢明なるマネさんに、私の「老人は死ぬべき」発言を評価していただき、百万の兵を味方に付けた思いでおります。つきましては、前回のご発言も含めて、いくつか反論を試みたいと思います。

>知識量ぶん回し系のバカ

論理にまつわる数多のエピソードや、特異点とでも呼ぶべき論理の限界性を勉強しておりますと、形式的な論理よりも幅広い知識(というよりその周辺の知恵?)の方が大切に思われてくる今日この頃です。
知識が大切なのは、論理の前提を置く時には、必ず(知識の蓄積に支えられたものとしての)イメージ(というよりそれを生み出す想像力)が必要となるからです。
例えばN次方程式の解(根)は必ず存在するということがガウスによって証明されていますが、その後、5次以上の方程式の解(根)はわからない、ということもまた、アーベルによって証明されております。(WMさん、代数に限った話ですので、楕円関数及びガロア理論に関しては質問しないように(笑))
つまり私は「答えが必ず存在するのに、答えが絶対にわからないこともある」という知識を持つことによって、善悪がわからないからといって善悪が存在しないと言い張る人に対して、無教養ゆえのニヒリストというイメージが湧いて来るんです。

ここであなたから「それだとツチノコの存在(実在するかどうか)すら否定できない」等の詭弁が聞こえてきそうですが、それは今の場合、こういう違いです。

・「正しい言葉遣いは存在するが、それ(正しい言葉遣いが何か)はわからない」
・「ツチノコは実在するが、それ(ツチノコが実在するか)はわからない」

上の命題は「完全」という概念を肯定しつつもそれが簡単には明記できないことを示す私の持論で、下の命題は「絶対」を信じつつも矛盾している妄言ですね。もちろん下の文章はこう捉え直せば大丈夫です。

「ツチノコという架空の動物は、概念として存在するが、(完全な)ツチノコというのが何かはわからない」

ちなみに「三角形の内角の和は180゜である」というのも、実在に関する「絶対」ではなく、三角形の存在(イデア)に関する「完全」のお話です。(WMさん、ユークリッド幾何学に限った話ですので、位相幾何学に関する質問はしないように(笑))


で、結局私は今回、人間は(ツチノコでも三角形でもなく)言葉遣いの「完全」を求めるべきだ、という提案をしただけでして、辞書がどうとかいう相対主義的な反論は、「実在の絶対」を否定するには有効としても、「存在の完全」を否定するには無効だということをまず言っておきます。というより、そもそも言葉遣いとは科学的な実在に関する話ではありませんので、言い換えますと、マネさんは「完成された絶対的な言葉遣い(正しい辞書の存在)」を否定することはできても「完全なる言葉遣いの存在(辞書それ自体)」は否定できないということです。ちなみに私の言う正しい辞書とは歴史と言い換えてもいいかも知れませんね。

で、言葉遣いを正すには、言葉による言葉への無限遡及が必要になるわけですから、存在はしますが、それを明記することは困難なのですね。逆にいうと、「言葉遣い」はツチノコや三角形の「完全」を議論することよりも、遥かに奥が深くて有意義と思われるのです。有意義というのは、議論をしている間にも、また新たな言葉遣いの歴史が生まれるという理由で、無限ループを免れることが出来るという意味です。無限ループとは私の使い方では、ほぼ同じ言葉のやり取りをさすわけですが、歴史を訪ね続ける限りにおいては、同じ言葉のやり取りは免れます。なぜならとつげき東北さんが言ったように、自由を求める人類の歴史というのも存在するからです。ですからアメリカのヒッピー文化がどうなったかとか、ドイツの何ちゃらポゴ党が今どうなっているとか、そういった議論こそ、終わりはないが、無限ループでもない、有意義な人間活動と言えるわけです。

ちなみに、科学的な対象ではないものに、何か凝り固まったイデオロギーのようなものを絶対的に見出し、信仰することは宗教にほかなりませんが、「正しい言葉遣い」を求めることは、センター試験に国語があったり、思いを寄せる異性に手紙を書いたり、実際にここで皆さんが何かを求めるように書き込んだりしていることを考えれば、おおよそ全ての人間に納得してもらえることのはずです。
そして「正しい言葉遣い」を掲げることは、逆に、すぐに「ウンコ」や「クソ」という言葉を使うことにおいても「言葉遣いとして正しい」と言い張ることを、論理的には認めるということになります。しかし、それにどんな歴史的な権威なり、数学的な論理なりをまぶすことができるのかが、私にはいささかならず疑わしいと言っているわけです。


>「この私がよければよい(自分>その他)」を前提とするエゴイズム
>共同体のメンバーが権力的に対等ではないという現実
>現実に自由奔放に振る舞うことはできない

あなたのエゴイズムの定義は、現実社会における制限や権力を考慮した上で「この私がよければよい」と思う概念、ということですか?だとしたら、あなたはエゴイズム自体に集団性が含まれていることをいみじくも言い表していますよね。でもとつげき東北さんは、過剰に抑圧されたエゴイズムはどうすればよいのか、ということを問題にしていたんですよ。マネさんは私からすると言葉の仕分けが杜撰過ぎますので、私が訂正させていただきます。

人間には、公人性と私人性、集団性と個人性という2つの対比軸からなる意識の空間があります。公人性とは、人々の集まりの中に、あからさまに立ち現れて、そこで自分の存在を顕在化することをさします。具体的には、職場や社交場において、自分のアピアランスを示すことです。これに対して私人性というのは人々から隠された次元にあります。言語活動における潜在性によって特徴づけられ、それゆえそこにあっては感情的な要素が強いということになります。公人性が人々を前にして論理を組み立てなければならないのに対して、私人性は感情的で、悪い場合では、密かに嫉妬や怨恨を感じ、良い場合では、密かに愛情や好意を寄せたりします。
次に個人性というのは、他者との差異性によって特徴づけられるもので、自分が他者とのつながりから離れて孤立して存在しているという意識のことをさします。これをオルテガは「虫歯は私一人が痛い」と言いました。確かに自分の身体は、脳のことも含めて、ほかの誰のものでもなく、自分一人のものです。それに基づいて、人間を人間たらしめている言葉の意味も解釈も、言葉の使い方も受け取り方も、常に自分の個人性を伴います。その意味での個人主義は、疑いようもなく自分の性格の一面であり続けます。それに対して集団性というのは、他者との同一性によって特徴づけられるもので、自分が他者とつながっていると意識することをさします。自分(あるいは他者)の言葉が何ほどか他者(あるいは自分)に伝わるのは、彼我の間に同一性の地平が開かれているからです。単語、文章、修辞、音韻などのあらゆる面で、自己と他者たちとが同一の前提なり枠組みなり方向なりを持っているからこそ、意志疎通が多少なりとも可能になるのです。そこから、自分は集団の中にいるのだという意識が生まれるわけです。
まとめていうと、自分の個人性をとってみるなら、そこには公人性と私人性の両面があるとわかります。つまり、孤立・独立した自分は公人性の場では「人格性」を露わにして振る舞い、私人性の場では「利己心」の感情を逞しくします。自分の集団性についていうと、集団に関わっている自分は、公人性の場では、集団の「規律性」にあからさまに従って振る舞い、私人性の場では、集団への「帰属心」感じるのです。
この「人格性」「利己心」「規律性」「帰属心」という四元マトリクスで自分を捉え、「利己心」の部分を私はエゴイズムと呼んでいます。そしてエゴイズムが肥大化した人間をゴキブリと呼んだり、「規律性」が実存の全てを覆うような人間を国粋主義者と呼んだりするわけです。

>金持ちやワンマン社長などは実際かなりエゴイスティックに振る舞うことが多い
>しかしそのことによって共同体の機能が損なわれているだろうか
>彼らがいなくなれば日本はもっとうまくいくだろうか

いつだったか経団連の大幹部が公の場で「法人税を引き上げたら海外へ移転する」と平然と抜かしておりました。グッドウィルの二重派遣も、NOVAの受講料着服も、日経新聞社のインサイダー取引も、ライブドアの粉飾決算も、全て経済倫理の欠如が原因です。ルール違反だからNGなのではなく「タダ乗り」が道徳違反だからNGなんですよ。法律の下層部には道徳があることを忘れていやしませんか?

>「社会」…個人間・共同体間で言語・貨幣・商品が交換される(市場)空間を指す

「共同体」と「社会」を区分して、前者には相対的な道徳が、後者には(道徳ではなく)明確な法律が必要ということですか。無教養過ぎます(笑)あなたのいう「社会」は通常は「マーケット(市場)」と呼ばれる、経済的な概念ですよ。それを「社会」とするのは、アメリカ・シカゴ学派仕込みの市場原理主義です。

市場原理主義とは要するに、諸個人の欲望の間の社会的調節を、すべて市場に委ねようということです。合理的諸個人による合理的契約を社会的に調整するのが市場であり、市場に任せておけば社会が全体として効率的になる、という考え方は経済学においても深刻に疑われてきました。その証拠にどんな経済学の教科書にも「マーケット・フェイリュア(市場の失敗)」という章節がおかれています。

19世紀半ばのイギリスや20世紀のアメリカが経済の自由主義もしくはレッセフェール(自由放任)をかざしたといっても、それは諸外国に市場開放を求めて、自国の商品を売りさばきたいという政治的要求があったからです。実際に経済的自由主義から植民帝国や金融帝国がもたらされもしました。そして今や、市場原理主義を生み出した当のアメリカでさえ、ドル危機を迎え、IT産業を国家的戦略として、どうナビゲーション(あるいはオリエンテーション)していくかが問題となってるわけです。

ちなみにアメリカはもともと、メキシコからノルウェーに至るまで、言葉も通じぬ連中がキャプテンを決めるところからコミュニティーの歴史が始まったのですから、確かに向こうの「社会」とは経済的な利害関係調節の場でしかなかったのですが、日本は何千年も昔から農耕民族として協調性を持って営々と発展してきたわけですので、ソサイアティを社会と和訳して、社会をマーケットと解釈するような、めちゃくちゃアホな言葉遣いはやめてください。ソサイアティを「人間交際」と訳した福澤諭吉はやはり偉大です。共同体は社会の構成員であり、社会は人間交際の場であり、人間交際には道徳と、それに基づく法律が必要です。
あなたみたいにルールさえ守っていれば道徳は違反してもよいと考える連中がアメリカには多いから、契約には膨大な量の書類を要し、不毛な解釈、不徳な脱法行為の嵐で訴訟社会になってるんです。

>守られるべき日本語が権威的に選別
>権威以外のどんな根拠で選ぶのか

あなた「権威」を悪いものとして捉えるザ・大衆ですね。私は週に一度、最高学府で教鞭を取っておりますが、確かに「権力」は虚しいと感じます。しかし、実は「権力」が虚しいのではなくて、「権威」が虚しくさせられただけなんです、大衆に。
私の叔父は警察庁の実質ナンバー3でして『踊る大捜査官』という映画を評価していたので見てみたのですが、パート1の名言は「事件は現場で起きている」という、確かに権威批判的なものだったのですが、パート2は「リーダーが優秀なら組織も悪くない」という権威を迎え入れるものでした。パート2の方が興業収入は良かったらしいです。まともな国民は妥当な権威を必要としているということです。そこで私はマックス・ウェーバーの「支配」の三形態に、「言葉遣いによる支配」を加えるべきだと言ってるわけです。

権威を権威というだけで批判する大衆が何を望んでいるか。「パンとサーカス」に過ぎません。


Re: 今更なんだけど 300世帯 - 2008/07/21(Mon) 05:14 No.1401  

とつげき東北さんへ

普段のあなたが道徳的なのは何となくわかります。でもそれをこのウィキ内で言ったらダメでしょう(笑)それなら私は普段、かなり不道徳な生き方をしてますからね(笑)

私が唯一マネさんを賢明だと思うのは、このウィキ内では一貫して、不気味とすら言いたくなるほどのカウンターストラテジーを組み続けていることです。(論理や知識や想像力は今回の書き込みで、取るに足らないレベルと判断しましたが。)


さて、善悪は、国家間において外的に相対的というよりも、個人において内的に混在しているものです。私は今回、外的に絶対的な悪を定め、それを全個人に理解させることを説きましたが、それとは別にこういう案はどうでしょうか。

善と悪や喜びと悲しみ、安堵と不安や光と影など、人間の二面性は、誰が何をしても覆しようがないものでありますから、現実とネットは今まで以上にとことん仕分けをして、現実で晴らせぬ自分の片側に関しては、叶わぬ分だけ徹底的にネットで表現して行きます。それによって二面性のある自己の完全なる実現と、その幸福な個人を支える社会の一層の安定を目指します。この場合の問題点は、個人が自己の二面性を仕分け損ねることで、ネットの表現を現実で行ったり、現実の価値観をネットでも押し付けてしまうことです。

普段は不道徳な私がこうしてネットで道徳を説き、現実で道徳的なとつげき東北さんが仮想世界で不徳を極めるというこのウィキは、今の提案に即して考えれば、見事に成功していると言えるでしょう。成功とは具体的に言えば、とつげき東北さんが現在犯罪者ではないことと、私が現実でやった背徳行為(学生論文の盗用)が浄化された気分になったということです。



※ちなみにこの書き込みは冗談半分ですので真面目な反論は受け付けません。


Re: 今更なんだけど とつげき東北 - 2008/07/21(Mon) 13:30 No.1402(管理者)  

>300

おはよう。
真面目に言って、何をどう勘違いされたか謎だ。

このウィキで「自己中であれ=第一次欲求又はそれに準ずる欲求のとおり動け(例:好きなときに好きなだけレイプしろ)」という主張を(文脈上)しているはずがない。そのように勘違いする人々に対して「ぉぃぉぃ」と突っ込んでいる記述も提示可能。

「自己中であれ=(よく考えて)保身のために時に道徳的に振る舞い、その必要がない場合は道徳という『自分個人』に必要のないものに縛られずに『放縦に』振る舞えば得だよ」という、真理であるとともに、ひどく一貫した姿勢で書かれている。

麻雀関係等の寄付の例は、先行投資であったり、えこひいきであったり、関係者とのつながり・コミュニケーションの円滑化のために自分にとって「損」と思えない程度のはした金の範囲内で行う。真に気分のみで行うこともある。
それらは断じて「利他性を重視」してなされる行為ではなく、徹底して利己性を追求した行動であるが、結果的には「利他性」を謳う多くの者の行為よりも明らかに利他的な行為として表れ、他人の目にもそう映る。
利己性を極限まで突き詰めればこそ、共同体(あるいは他者)に寄与する振る舞いが生まれてくる。

したがって、

(1)

>あなたは自己中心的過ぎるんです。例えば私は妻子が川で
>溺れていたら、自分の命も顧みずに助けますが、あなたは
>見てみぬ振りをして家でネット麻雀をしますよね。

という発言は「ちゃんと現実を見た利己主義」を全く理解していないでもない限り決して出てこないはずの発想である。現実的想像力不足に起因する深刻な理解の欠如、又は恣意的な曲解に起因する『卑劣な=自己中心的すぎる』批判である。
それは300の立場・主張と少なくとも矛盾する。

(2)
利他性を重視する300が、私が自己中心的であることを批判する根拠がない。
なぜならば私が自己中心的に行為すればするほど、実際に私は(ほとんどの人間よりも)利他的な行為を行うからである。300による私への人間性批判は幾度も繰り返されたが、現実と乖離している。

(3)
社会生物学のESS理論なんかを思い出してみるに、利己的な個体(又は行動)と利他的な個体(同)が「バランスよく」共同体に混在していることが、実は共同体全体にとってプラスになるであろう(少なくともなる場合がある)ことが充分に推測できる(何も「それは遺伝子で決定される」といった、社会生物学お得意の相当怪しい話に持っていく気はないが)。
そして実際に、何度も繰り返したように、現代の日本やら企業やらはそういった現状にある。つまり大半は、たいてい利己的に振る舞いながら、気が向いたら感動や道徳に浸りつつ利他的に振舞う者の集合体。
その中には、私のようにより強烈に利己性を重視する者もいれば、「利他サイコー(日本のためを思え! 会社のためにはサービス残業など当たり前だ!)」とか吹聴しながら寄付さえしない・無駄な業務を増やすだけのうさんくさい連中もいる)にあるだろう。
300の私に対する「あなたの利己的な思想は共同体を自滅に導く」といった旨の指摘は、嘘であり、非現実的である。

(4)
「仕分け大事。超大事」という思い込みはわかったが、私のような利己性に貫かれた思想を共同体内で発言する者がいなくなると、思想の単純化を招き、「仕分け能力」が低下して共同体の(思想的)活力やらなにやらが低下すると想定される。細かい「権威ある辞書」に基づく単語の仕分けを国民の多くに強制するといった夢物語を実現しなければと危惧するよりも、単純に思想が扁平化されることによる活力低下をよほど心配すべきではないのか。
ついでにこれは嫌味だが、この議論の発端は、300の仕分けミスによって発生したものだ。


このへんが(これに類するあらゆる事柄が、だが)、私が指摘してきたこと。
総じて言えば「300の話には、なんでこんなに現実味がないんだろう」という感触をわれわれは持っていると思う。そして「う〜〜ん、リピート!」と感じている者が多いはず。

300が思想と行動を一貫させていないからハハ、共同体マンセーは一つの冗談だったんです、やはり非現実的でしたね、というならそれで終了だけど、こっちは一貫性を放棄していないよ。


Re: 今更なんだけど ・・ - 2008/07/21(Mon) 15:06 No.1403  

>300
>例えばN次方程式の解(根)は必ず存在するということがガウスによって証明されていますが、
 その後、5次以上の方程式の解(根)はわからない、ということもまた、アーベルによって証明されております。
>「答えが必ず存在するのに、答えが絶対にわからないこともある」

ガウスは「N次方程式の解(根)は(複素数の範囲内で)必ず存在する」
アーベルは「5次以上の方程式の解(根)は(実数の範囲内で)存在しない」
例になっていない。

>「ツチノコという架空の動物は、概念として存在するが、(完全な)ツチノコというのが何かはわからない」

だから、何度も言っているように「ツチノコ」でも「善悪」、「正しい言葉遣い」でも
現実に通用する(信頼性の高い前提から始まる)ような抽象概念の論理的構造を示してください。
それとも、「鬼」「人魚」とかの御伽噺や怪しい宗教でも始めるつもりですか。

>科学的な対象ではないものに、何か凝り固まったイデオロギーのようなものを絶対的に見出し、
 信仰することは宗教にほかなりません
>「正しい言葉遣い」を求めることは、センター試験に国語があったり、
 思いを寄せる異性に手紙を書いたり、
 実際にここで皆さんが何かを求めるように書き込んだりしていることを考えれば、
 おおよそ全ての人間に納得してもらえることのはずです。
>そして「正しい言葉遣い」を掲げることは、逆に、
 すぐに「ウンコ」や「クソ」という言葉を使うことにおいても「言葉遣いとして正しい」と言い張ることを、
 論理的には認めるということになります。

あなたにとっては、
個々の言葉遣いについては「正しい言葉遣い」かどうかなんてわからないんじゃなかったの?
なんて破滅的なんだろう。

>私が現実でやった背徳行為(学生論文の盗用)

ここだけ妙にリアリティあるね。


Re: 今更なんだけど ロン - 2008/07/21(Mon) 22:55 No.1405  

ちょっとよくわからないんだけど、
要約すると「ツチノコは善だ」ってことなんだよね。


Re: 今更なんだけど 300世帯 - 2008/07/22(Tue) 01:34 No.1406  

・・・さんへ

>例になってない

実数と複素数って(笑)何を適当なこと言って感情的に反論しているんですか。それを言うなら超越的関数でしょうが。私が言ったのは代数的に表す(四則演算と冪根を有限回用いる)ことのできない代数的数が存在するということですよ。

こういう例でもいいでしょう。定規とコンパスで角の三等分線を書くことはできませんが、角の三等分線は確かにあります。ただし、二等分線を無限回引いて三等分線に近付けることならできますよね。言葉遣いを正すのもそんなイメージです。


>ツチノコでも善悪でも正しい言葉遣いでもいいけど〜

よくありませんよ。なぜその3つを対等に並べるんですか。「言葉遣い」というものは一般的に確かにあるでしょうが。文章の構造だけ見てるからそうなるんですよ。あなたもアスペルガー症候群の感がありますね。

>信頼性の高い前提から始まる抽象概念の論理的構造

じゃあヤコブソンの言語学やパースの記号論くらいは最低勉強してください。例えば「信念」についてパースは何と言ってますか?信頼性なんて曖昧な言葉を使っておいてよく言えますね。文科省が国民に「国語が大事」と言う時に、いちいち構造主義言語学から説明する必要なんてないでしょうが。あなたみたいに読解力がなくて、変な言葉遣いをする人を見れば、言葉遣いの乱れが焦眉の急であるのは自明です(余談ですが科学言語においても学際研究として、いわば言葉遣いをまとめることが科哲の一つの目的です)。あなたの読解力がないのは前にこのスレッドの上の方で反論した時に明らかにしましたし、言葉遣いが変なのは、例えばその「破滅的」っていうのがおかしいですね。あと「抽象的」っていうのもとつげき東北さんと食い違ってましたよね。TPOに応じて「抽象的」という(ややもすると伝えたい内容が反転する)言葉を使えないと、それはEQ障害なりアスペルガー症候群なりに認識されるんですよ。

>信仰することは宗教にほかなりません

「信仰」の言葉遣いがおかしいですね。言葉をきちんと使うことは一般的に「信仰」とは呼びませんから。貨幣を使うことは宗教ではないでしょうが。


とつげき東北さんへ

>ESS理論

私はそういう進化論的な言説を批判してるんですよ。いや、生物学においてはまだいいんですが、進化論にも2種類あって、社会科学方面の、個人を自由に振る舞わせておけば、後は勝手に社会が前進してくれるだろうと見込む考え方は、所詮夢物語であると言いたいわけです。フーコーは「人間の終焉」を夜明けの喩えのように用いましたが、シュペングラーは「人間の終焉」を「文明の没落」と考えて警鐘を鳴らしたんですね。

私がソーシャル・ダーウィニズム(社会進化論)の典型である、マネさんの市場原理主義的な社会観に対して、市場の失敗や政治と経済の関係性を挙げて批判したのもそういうことです。神を殺すまでは許しますけど、ケインズを殺すことは許されません。

まぁこれは「確信の危機」(ケインズ)が原因かは知りませんが、マネさんの政治感覚及び社会感覚は完全に狂ってますよ。例えば

>どんな国家の司法警察権力も国内の治安を守るには兵力が少な過ぎるんだ
>たとえば、国民の5割がアジテーターに乗せられて
>「アジア人労働者を受け入れている今の政府首脳は売国奴である〜」
>と一斉蜂起したら現状の兵力では絶対に抑えられない
>自分よりも共同体が大事と本気で考えられる奴らに対しては抑止力なんかきかないから
>司法権力が健在であっても自滅がありえるわけ


これが噂の「論理」です(笑) Lonlyの間違いじゃないかと下手な洒落でも言いたくなりますね(笑)

いいですか、まず日本は現在、民主主義国家なのですから、国民の5割が反対していることならば、代議士を選出して、議会を通じて法案を通せばいいでしょうが。

なぜそれが実際には出来ないか。一つに、国民が相対主義及び虚無主義に首まで浸かっているせいで、(善悪を仕分けする知性、及びそれに付随する)政治的な力を持てなくなっているということです。つまり、政治に無関心だから投票に行かない(あるいは世論に流される人だけが行きます)。二つに、それが例えば天下りのように、政治家や役人の利権が絡んでくる場合、国民に選ばれたはずの代議士自身が、国民を裏切って既得権益に走るという「不徳」を犯すことが間々あるからです。

で、その二つめの「不徳」による政治の腐敗に限っては、当然その政治家を道徳的に暗殺する必要が出て来ます。マネさんの知性が完全に腐り切っているのは、とりあえずは憲法なり法律なりに従っておけばいいというオポチュニズム、つまり日和見主義に偏っているところですよ。これはとつげき東北さんのソーシャル・ダーウィニズムにも言えることですね。「自分がかわいいから」「逮捕されたくないから」「善悪は相対的だし」という理由で、暗殺どころかデモの一つも起こせない。その情けない(戦後)日本人の国民性を私は批判してるんですよ(怒) 腐った政治家を殺すことの何が「危険」なんですか。何でそれが自滅になるんですか。生かしておくことの方がよっぽど「危険」でしょうが。


ちなみに話を「そもそも論」に戻すと、私はそもそも、あなた達を含む、無教養且つ愚昧極まりない大衆には、投票権なんて与えるべきではないと考えております。善悪を相対化して、どちらが正しいとも言えないという大衆Aは選挙に行かず、権力批判の大好きな大衆Bが(メディアの権力批判に煽動されつつ)日本の政治を実質的に掌握することで、デモクラシー(民衆政治)がどんどんとオクロクラシー(衆愚政治)に落ちていくのです。衆愚というか、大衆Aは大衆Bをバカにし、大衆Bは自分たちの選出した政治家を日夜批判しているわけですから、もはやこれはコメディですね。


「エゴイズムの思想は論理的に強い」などと、大いなる謬見を吐き続けるゴミ屑マネさんがずっと勘違いしてきたのは、その「強い」の意味が「自己満足の強さ」に過ぎないということです。マネさんが共同体を重視する姿勢を「危険」と見たように、逆に言えば、エゴイズムの思想などというのは、所詮は自分の「安全」を守るために逃げ回るだけの思想です。

本来ならばそんな腰抜けには(共感はしても)誰も協力しませんから、論理的(笑)に自己満足する強さはあっても、政治的なパワーが強いはずがありません。がしかし、そのエゴイズムの思想が殊民主主義国家においては徒花だか腐れ花のように咲き誇ってしまいます。なぜなら半数以上の人間が、弱くて情けないエゴイストだからです。いや、確率論的にどんな人間でも半分以上の確率で堕落してしまう場合がある、と言った方がいいでしょうか。ですから、エゴイズム(利己心)なんて私的なものを、絞め殺そうとしないどころか、包み隠すことすらせず、思想として、堂々と公の場で称揚するような人間には、さっさと選挙権を放棄してもらうか、安楽死でもしてもらって、正しい言葉遣いを心掛ける「精神の貴族」が政治を支配すべきなんですね。精神の貴族ならば、「無差別殺人等残虐行為に憧れる」とネットで書き込んではいけないということを、法律にしたためてくれるでしょう。


一応申しておきますと、外国人労働者でも「正しい言葉遣い」を覚えようとしていれば、あなた達よりはずっと日本にふさわしいですから、私は「国家主義」に基づいて、存分に彼らを受け入れます。そして私は国粋主義者ではありませんから、4日目の生理ナプキンのような国旗は廃止してくれて結構ですし、暗くて湿っぽい国歌も唾棄してもらって構いません。ただし、フランスは日の丸を素晴らしいと言って200億円で買おうとしていたとか、国歌は弦楽の入れ方が音楽理論的に素晴らしいとか、そういう議論はきちんと踏襲してからにしてもらいたいですね。何にせよ物事の「論じ方(広い意味での言葉遣い)」に徳が宿るわけですからね。
あと皇室は「正しい言葉遣い」の見本として残しておいてもいいでしょう。英国の貴族院の連中は、知識と教養を存分に駆使して、下院議員をも唸らせるほどの演説をしてみせますし、日本の皇室がそうしてくれるならば、それに越したことはありませんからね。まぁ天皇なんて私より偏差値低いですし、ヴァイオリンも下手ですし、どれほどの「徳」が有るのかは知りませんが、少なくとも「知的」を自称する愚民に比べれば幾分ましでしょう。


さぁ、愚民・大衆のあなた達は「パンとサーカス」改め「エゴとマージャン」でも続けてください(笑) 公の場で思想を語るならば、目に余る場合は注意させてもらいますけどね(笑)


Re: 今更なんだけど ・・ - 2008/07/22(Tue) 22:58 No.1407  

突っ込んでみて良くわかったけど
(対話が不可能ということはとつげきが実証済みだが)、
これは意図的に曲解しているのではなく、
認識能力が欠損している、という感じ。

>何を適当なこと言って感情的に反論しているんですか。

反論?感情的?この「部分」は例になっていようがいまいが、どうでもいいんですよ(^^)
数学の抽象概念とあなたの概念は同じ構造ではないからね。
だから、もしもあなたが、数学の抽象概念があなたの概念の適切な例と言い張るためには
「信頼性の高い前提から始まる(300の)概念の論理的構造」を示す必要がある(これが全体構造)、
とあなたに言ったんです。
「論理的に」正しく言葉を遣ってくださいね。

>よくありませんよ。なぜその3つを対等に並べるんですか。
「言葉遣い」というものは一般的に確かにあるでしょうが。
文章の構造だけ見てるからそうなるんですよ。
>言葉遣いが変なのは、例えばその「破滅的」っていうのがおかしいですね。
>「抽象的」っていうのもとつげき東北さんと食い違ってましたよね。
>「信仰」の言葉遣いがおかしいですね。

さっきもそうだけど、
300は文脈(抽象構造)じゃなくて単語(部分)レベルの個人的先入観で「言葉遣い」が正しいか否かを
判断しているね。
だから、遣われる言葉の意味が300の個人的先入観に適合してなければ、
「信仰(信頼性)」「破滅的」「抽象」の遣い方がおかしいと言われる。
したがって、300は「正しい言葉遣い」は一般的に確かにある、と「建前上」言っているが、
仮にその通りでも、現実的に言葉遣いを校正する基準が無い(具体的に文脈を提出できない)為、
「正しい言葉遣い」は発散してしまう。
そして、彼が「実際」には自身の個人的先入観で言葉遣いを校正させていくことにより、
「正しい言葉遣い」というガチガチに彼に固められた極限点は
彼のエゴに収束する、というわけね。
やっぱり、語れば語るほど破滅的(「建前」と「実際」の自己撞着)となるね。


Re: 今更なんだけど ・・ - 2008/07/22(Tue) 23:06 No.1408  

訂正
×に収束する
○となる


Re: 今更なんだけど マネ - 2008/07/23(Wed) 00:45 No.1409  

300世帯が皇室について自ら述べたことも高く評価する。
ここも避けては通れない問題だということをよく認識している。


■エゴイズムについて

>「人格性」「利己心」「規律性」「帰属心」という四元マトリクスで自分を捉え、「利己心」の部分を私はエゴイズムと呼んでいます。

君は「とつ思想の自家撞着」を何度も主張している。つまり、「とつの仕分け」に従って矛盾を導かなければならない。「君がどう仕分けているか」というおしゃべりは、自家撞着をきちんと導いた上で「とつの仕分けはここに不備があったのだ。こう仕分ければOK」という形をとらなければ、議論上何の意味も持たない。
悪でもエゴイズムでもいいから、まず「どう自家撞着しているのか」をきちんと説明して。もしくは「自家撞着は導けません。不適切でした」と認めて。

同じ指摘を三度した。次無視したら「自家撞着は導けません」を認めたものとする。

■「守られるべき日本語」について

>マネさんは「完成された絶対的な言葉遣い(正しい辞書の存在)」を否定することはできても「完全なる言葉遣いの存在(辞書それ自体)」は否定できない

認める。滑稽に感じる人は多いだろうが、「守られるべき完全な日本語が存在する」と信じるのはそれはそれで一つの立場。

>結局私は今回、人間は(略)言葉遣いの「完全」を求めるべきだ、という提案をしただけ

いいや。君は提案に留まらず、なんらかの基準によってある言葉遣いを「腐っている」と断罪することまでしている。そこまですれば「どんな基準で判断したのか」を問われるのは当然。

>(完全な言葉遣いは)存在はしますが、それを明記することは困難なのですね。

つまり、明記できないなんらかの基準(基準は「辞書」ではなかったらしい)によって君は「萌え」をOKとし、「ウンコ」はダメだと判断したわけだ。明らかにされていない基準で判断するなら、それは単に君が気分や好みで判断しているのと外的に区別がつかない。そんな状態で「言葉遣いに気をつけろ」とか言われても、君の好みにあってそうな言葉を選ぶとか、君のご機嫌を損ねないようにするぐらいしかこっちとしては対処のしようがない。

>あなた「権威」を悪いものとして捉えるザ・大衆ですね。
(略)
>まともな国民は妥当な権威を必要としているということです。

結局基準を明らかにするのは困難だから、権威的に決めればよいと。権威的であって何が悪いのかと。
そんなことまでいちいち説明させるの?

権威的な判断(基準を明らかにしないままの断罪)を認めれば、周囲はその権威の好みにあわせるしかなくなる。300世帯のような識者が「正規/非正規は辞書に依拠します」とか言ってるから、「ウンコ」はどの辞書にも載ってるからまぁ大丈夫だろうと思って用いれば「歴史的な権威なり数学的な論理なりをまぶせるのか、私には疑わしい」とか変な理由をつけられて叩かれ、ただの流行り言葉ですぐ廃れるだろうと思ってたらまたなんのかんのと理由をつけて「萌え」は素晴らしいとか言いはじめる。
このように、基準があらかじめ明示されていなければ、権威を握っている側はどんな結論でも後付けの理屈で正当化することができる。出された結論を合理化するように基準を変化させることができるし、そうされても権威を持たない側にはそれを批判する方法が存在しない。

だからダメなの。権威的な断罪を許せば、権威はほぼ確実に腐敗する。そして、「完全な日本語を求めよう」という理想も空しいものとなる。それは歴史が証明している。

「完全な日本語は存在する」には同意しよう。だが、それを求める方法については同意しない。「“妥当な”権威に拠ればいいじゃない」などと言われて一体誰が納得できるのか。


Re: 今更なんだけど マネ - 2008/07/23(Wed) 00:51 No.1410  

■おまけ(「社会」と「共同体」)

私は2ちゃんの「道徳意識が薄れたためにルールが必要になってきた」という見解に対して、「社会が多様化したためにルールが重要になってきたのだ」という別見解を提示した。つまり、ルールがクローズアップされてきた現実をどのように解釈するか、という話をしたわけだ。それに対して彼はどう反応したか。

>それを「社会」とするのは、アメリカ・シカゴ学派仕込みの市場原理主義です。
>市場原理主義とは要するに、諸個人の欲望の間の社会的調節を、すべて市場に委ねようということです。
>あなたみたいにルールさえ守っていれば道徳は違反してもよいと考える連中がアメリカには多いから、契約には膨大な量の書類を要し、不毛な解釈、不徳な脱法行為の嵐で訴訟社会になってるんです。

実際に訴訟社会化が進みつつある日本の現実への一解釈に対して、「アメリカみたいな訴訟社会になるからダメ」とはこれいかに。ダメでもなんでも今のところそういう方向に進んでるだろーがw(こちらの文脈で言えば、日本を共同体とみなすなら「道徳の復活」で対処でき、社会とみなすなら別の対応策が必要になるというだけのこと。)

ところで「市場原理主義」とは、「政府はいちいち法律作って干渉してくるな。最低限は決める必要あるけど、後はほっときゃ上手くいくんだから」という考え方であって、「曖昧な道徳やマナーではもう通用しないから、きちんと明文化されたルールが必要である」という今の話とは全く関係ない。まぁ関係がない無駄知識でもかまわず披露しまくることで自らの権威性を高め、権威をありがたがる「まともな国民」にアピールするのが彼のやり口だからこれはこれで一貫してるがね。

ともかく私は、現実の日本社会は「一つの共同体」とみなすにはあまりに多様だと感じるし、そうみなそうとする思考自体に無理を感じる(したがって「道徳の復活」によって上手くいくと考えるのも夢物語だと判断する)
そのためにどれだけの「他なるもの」を殺さねばならないだろうか。「萌え」という言葉を「守るべき日本語」に含めるべきかどうかですら大紛糾するのが目に見えているのではないだろうか。「ウンコ」を守りたがる感性を持ったやつらを権威的に抹殺することで「完全な日本語を求めよう」運動を成功させたとして、それで後世から見て「誇れる日本」が本当にできるのだろうか。「またバカやった。」と評価されるのがオチだろう。


Re: 今更なんだけど 300世帯 - 2008/07/23(Wed) 09:50 No.1411  

・・・さんへ

>これは意図的に曲解しているのではなく、認識能力が欠損している、という感じ

いや、あなたは完全に変だから今回は適当に答えました。前回、私があなたの質問にきちんと回答したらあなたが黙ったように、まともに回答したら、論理的に黙らせられますよ。

>この「部分」は例になっていようがいまいがどうでもいい

例えばこれは完全に間違ってますね。「林檎」という果物を説明するのに、例1「ポストのように赤く」、例2「野球ボールのように丸い」と部分的に説明して行くことは何らおかしくありません。ヤコブソンが「類似性」を言語の一機能としたのはそういうことです。そして認知科学的に味覚や食感、経済学的に価格や生産量、地理的に生産地やその気候を論じていくことが「学問」なのです。「言葉遣い」に関しては言語学、論理学、形而上学、心理学、文化人類学などから論じる必要があり、私はその内のいくつかを論じつつ、まとめて「歴史」と定義しました。

>正しい言葉遣いは発散してしまう

歴史を軽んじるからそんな発想になるんですよ。文法やおおよその定義は確立されているんですから、「ラングとパロール」(微積分になぞらえて先述しました)を仕分けすれば、言葉遣いを守りながら会話を楽しんでも発散などしません。「おおよそ」が「完全」になり得ないことと、それが「存在しない」ことは別だということをそろそろ理解してください。

>正しい言葉遣いという彼にガチガチに固められた極限点

パロールは認めているのですからこれも誤りですね。

>「信仰(信頼性)」〜の遣い方がおかしいと言われる。
>信頼性の高い前提から始まる論理的構造

「信頼性の高い前提」などという曖昧なものを要求しておきながら、私が部分的に説明して行けば途中で「信仰」というレッテルを貼るのは自家撞着です。だからマネさんにもゲーデルないしはノイマンの不完全性定理について話しませんか?と言ったんです。WMさんにペアノの公理についてクリプキの指摘を説明したのも同じですね。

ちなみにブレンターノという哲学者が『道徳的認識の源泉について』という著作の中で、価値の公理について、「A+B>A」とか「(−C)+(−D)<(−C)」などとやって、後にフッサールに受け継がれつつも、シェーラーには批判されています。それは「麻雀界に寄付した」という【徳A】と「麻雀界に貢献出来たことの誇り」という【徳B】を足した後に、「報われなかった時は金返せ」という【不徳】(一言でいえば怨恨)が生まれる可能性があるからです。また「殺人」という【不徳C】と「殺人」という【不徳D】が、C「レイプ殺人」とD「死刑」であれば、後者は【徳】になり得ることがあって、ブレンターノの公理自体が無意味になるということがあります。これを私は概念や観念の仕分け不足として受け継ごうとしているわけです。ハイデガーが「ヘーゲルに始まるドイツ観念論について、ニーチェが真剣に取り組まなかったことが残念だ」と言ったのはそういうことです。

結局あなたは無教養過ぎるんですよ。哲学を知らない。現象学を知らない。だから認識相対主義的な批判しかできない。フッサールの※「相互主観性」について勉強してください。「他者とは何か」「自我とは何か」を学ばないからそんな反論しかできないんです。あなたが無知だから対話不能なんですよ。カントは無知を2つに仕分けしましたが、あなたは「知」そのものを知らない方の(つまりゴキブリの方の)無知です。マネさんやとつげき東北さんの方がまだ(最後は無限ループとなろうとも)ギリギリのところで話が通じています。名無しさんは指でも加えて見学に徹しているべきですね。パースによると「沈黙」も一つの言語なんですね。あなたは「沈黙」という「言葉遣い」を覚えた方がいいです。


マネさんへ

>とつの仕分けに従って自家撞着を導かなければならない

まず、自家撞着には2種類あって認識の曖昧性からくる「錯誤」と推理過程で生じる「誤謬」があります。これはハイデガーの仕分け(及び定義)です。極めて単純な算術でもない限り、推理過程でも認識的な「錯誤」が起こり得て、完全に分離できないことも間々ありますので、一般的には括って自家撞着と呼ぶことが多いわけです。そしてその一般的な定義とは「自分の発言や言動が前後で食い違うこと」くらいでいいでしょう。

とつげき東北さんの自家撞着は「自分が大衆なのに大衆を批判している」ことがまず絶対的な例として挙げられます。最近では私の思想に対して「共同体を重んじる方が少数者」とか「ほとんど誰も追随しない」と言って批判しておりましたが、この逆の「ほとんどが追随する個人主義的多数派」というのは、とつげき東北さんの仕分けでも「大衆」でしょう。個人主義は現在の日本では国家主義よりも「凡庸」ですしね。で、前に、そもそもオルテガの言った「凡庸人」が何を意味していたかを、私は歴史的な背景を踏まえて説明したわけです。

次に「エゴイズムの思想」に関してですが、あなた達自身の「錯誤」によって自家撞着が起きているわけですから、私の「利己心」と定義が違うならば、それはまずそちらできちんと体系化してくださいよ。マネさんは「芸術」に関しても同じように「とつの芸術の仕分けを用いないと自家撞着はつつけない」と言ってましたよね。でもそれは、とつげき東北さん自身が「芸術」という言葉を適宜、適当に変質させて用いることが出来るからでしょうが。そうならば「錯誤」と、それが途中に生じることに基づく「誤謬」を繰り返すのは、まさに論理的必然なのであって、しかし、私はあなた達の真似をしてチンケなディベートをしたくないので、私なりに斟酌して「芸術」を「デューイの経験」と「古代ギリシャのテクネー」に仕分けして提示したんですよ。とつげき東北さんはどちらを選んでもいいし、それを否定して3つ目の定義を構築してもいいわけですから、こちらはかなり親切な議論の進め方をしてきたつもりなんですよ。でも芸術論はとつげき東北さんも興味がないようなので終わりまして、現在はエゴイズム思想に話が移っているという次第です。私を批判(クリティカル=見分ける)するならば、こういう議論の流れをきちんと仕分けして、繋げて鳥瞰してくれなければ話になりませんよ。

つまり、あなた達は自分らの「仕分け」を示さないことによって、常に逃げ道を確保しておき、相手がボロを出すのを待っているに過ぎないんです。それ一つ取っただけでも「定義のすり替え」を名言としておきながら「仕分けと定義を明確にしない」という自家撞着だと言えるわけですよ。すなわち現段階での「エゴイズム思想に関する自家撞着」と言われれば、エゴイズムを仕分け出来ていないことを棚上げして、それ以外の思想を批判していることが一つありますね。

次に、とつげき東北さんの言うような、「利己的でも周りから見て道徳的に映ればOKやろ」というのが一つの「エゴイズム思想」の定義(及び現実的な行動形態の基準)ならば、それ自体が自己のエゴイズムを傷つける可能性があるということを言ってるんです。「とりあえず上手く行ってるからええやん」的な進歩主義史観は、思考実験としても、現実的政策の末路としても間違っています。(市場原理主義の失敗は教科書的なので割愛しますが、ここで反論があればケインズとオルテガを引用して詳説します。)


>結局基準を明らかにするのは困難だから、権威的に決めればよいと
>権威的な断罪を許せば権威はほぼ確実に腐敗する

何を言ってるんですか(怒) 権威をそれだけで悪とする根拠はどこにもないどころか、社会には必ずと言っていいほど、政治的な権力や文化的な価値観や道徳的な慣習が必要とされてきたんです。いいですか、あなたのその権威批判的なイデオロギーが、「権力はあまねく広く均霑せねばならい」として近現代に「平等主義」を生み、そしてその派生形として「自由民主主義」が誕生したんです。しかしそこで歴史を訪ねてみれば、古代ギリシャでデモクラシーが腐敗を呈し始めた頃に、これじゃまずいということになって、プラトンの『国家』が著され、そこからポリティクス(政治学)が始まったということがわかったり、古代ローマ帝国が滅んだのもデモクラシーの腐敗による戦力不足が大きな原因だということがわかったりするわけです。ですから問題はサブリンパワー(主権)にどんな妥当なオーソリティー(権威)を付与すべきかという話になるはずで、それをまず「言葉遣い」に着目することで、悪しき国粋主義も、非道な排外主義も、(利己主義から生まれし政治イデオロギーとしての)無政府主義も民主主義も、なべて堂々と首尾良く踏破すべし、と私は言っているわけです。

>曖昧な道徳やマナーではもう通用しないから、きちんとした明文化されたルールが必要である

【ここ、大事だから良く読んで下さいよ】

法律が大事でないとは言ってません。私は道徳の方がより重要だと言っているのです。ルールというのはおおよそ二重構造になっていて、上層部には確かに明文化された、成文法としての法律がありますが、その下層部には、あえて明文化されてはいないが、その共同体の中で暗黙の内に了解されているであろうはずの、不文法としての道徳律があるんです。法律的な善悪と道徳的な善悪で四元マトリクスを組めばこういうことです。

【法律的にも道徳的にもOK】
募金、社会奉仕
【法律的にはOKだが道徳的にはNG】
悪徳商法、不倫、合法ドラッグ、赤ちゃんポスト
【法律的にはNGだが道徳的にはOK】
スピード違反、娯楽賭博、復讐殺人、政治テロ
【法律的にも道徳的にもNG】
援助交際、覚醒剤

あなたは悪徳商法で金を稼ぎながら不倫にほうけ、合法ドラッグに浸かりながら赤ちゃんを捨てる人民が溢れかえった社会に自由を感じますか?私ならば、娯楽の範囲内で賭博を楽しみ、状況に応じて法定速度を破りつつ、殺された家族の復讐に燃えながら売国奴の暗殺を目論む者を国民と呼びます。もちろん道徳は、娯楽の範囲とはどこまでかとか、法定速度を破っていい状況とはどんな時かなど、曖昧ではあります。しかし、それが存在するからこそ、法律が成立するのだということを忘れてはいけません。道徳が、時代に合わせて必要な法律を作ったり、あるいは逆に、不要な法律を壊したりするんです。道徳をないがしろにして法律だけを重んじていれば、時代錯誤の法律はやがて因襲と化しますし、背徳のエゴイズムは法の網をかいくぐることだけを考えた悪行を次々と開発するでしょう。

日本がアメリカナイズされていることに何の憂慮も感じないあなたは愚民そのものですよ。アメリカ国内でのアンケート調査においてすら「自国が悪い方向に進んでいると感じる」と回答する人が、つねに過半数を上回るという現実を知りましょう。世界広しといえども、ここまで安穏と平和ボケし、堕落・腐敗現象を起こしているのは日本人において他にないです。宮台真司とかいうブルセラ学者にかぶれて「日本の犯罪件数は減っとるし」の一点張りでは、国民の幸せを論じるのに何の説得力もありません。



※「相互主観性」についても説明したいんですが、素人に教えるには字数が足りません。例えば現象学において「意識」とはこうです。

「知覚を越えて高まったとき、意識は現象という媒語を通じて超感覚的なものと推理的に連結したものとして現われてきて、現象という媒語を通じて[超感覚的なものという]この背景(後ろの根拠)を観じている。」
金子武蔵訳、岩波書店『ヘーゲル精神現象学』上p166

これでほんの一部説明できているくらいで、和訳によってもかなり違います。認識相対主義を根底から批判するには「カント→ヘーゲル→フッサール→ハイデガー」の現象学の系譜を地道且つ概括的に説明しないといけないので、(オオカミに育てられた少女の事例を挙げるなどして自我の他者性を挙げつつ)割愛せざるを得ないんですね。興味があれば、もう少し分かりやすいものとして、プラグマティズム(デューイやパース)を薦めます。あとデリダの『精神とは何か』も比較的わかり易いです。


Re: 今更なんだけど ・・ - 2008/07/23(Wed) 23:05 No.1412  

これはますます意図的に曲解しているのではなく、
認識能力が欠損している、という説の信頼性が高まってきました。

>「信頼性の高い前提」などという曖昧なもの

ええ、あなたに明確に「信頼性」の抽象概念が認識されてしまったら、
(300が前提を共有できてしまい、対話が実現されてしまうため)、
私の「300認識能力欠損説」とそれに基づく「300自己破滅説」の信頼性が下がってしまうので
むしろ良い傾向ですよ(^^)
あなたが私の言っている事が理解できず、バラバラの不連続体に見える、
ということは非常に喜ばしい事です。

>私を批判(クリティカル=見分ける)するならば、こういう議論の流れをきちんと仕分けして、
 繋げて鳥瞰してくれなければ話になりませんよ。
>マネさんやとつげき東北さんの方がまだ(最後は無限ループとなろうとも)ギリギリのところで話が通じています。

私の目的はあなたと対話(批判/反論/同意)することではありません。
ここからして的外れですね。
私の目的はあなたの行動原理(抽象構造)を解明する事です。
そして、その抽象構造の「信頼性」の基準は「再現性」があること、
つまり、あなたの具体的行動(言動/論法)が抽象構造に反していない、
ということです。
今の所、非常に「再現性」が良く、仮に私が沈黙したとしても、
あなたが語れば語るほど私の説の信頼性(精度)が高まるように理論構成できている(自動性を付与できた)ので、
満足しております。

と書いてもあなたには何のことやらわからない(分析できない)、ということも予測の範疇に入っています。


Re: 今更なんだけど マネ - 2008/07/24(Thu) 02:45 No.1413  

>「自分が大衆なのに大衆を批判している」ことがまず絶対的な例として挙げられます。

そういえば君はオルテガに拠ってとつの大衆性を指摘していたな。だが、とつが定義する「大衆」とオルテガによる「大衆」は別に同一ではない。「大衆Aでありながら、大衆Bを批判している」ことはなんら自家撞着ではないし、前後で食い違っているわけでもない。
君は両者を見下ろす立場からとつを馬鹿にしただけであり、その場合に「自家撞着」や「矛盾」という言葉を用いるのは「絶対的に」「辞書的に」不適切。

>個人主義は現在の日本では国家主義よりも「凡庸」ですしね。

この観点は正しい。私もかつて指摘したことだが、「凡庸」という言葉に着目すれば、このウィキの論理的な陥穽を導くことができる。なんでもかんでも自家撞着って言うから「数うちゃ当たる」な気もするが、まぁ正しいものは正しい。

>現段階での「エゴイズム思想に関する自家撞着」と言われれば、エゴイズムを仕分け出来ていないことを棚上げして、それ以外の思想を批判していることが一つありますね。

「ある言葉についての仕分けが少ない状態で別の思想を批判すること」が自家撞着に該当するならば、あらゆる人間が自家撞着していることになる。ただ、「君はクイックルワイパーについての仕分けが十分できていないにも関わらず、私の掃除方法を批判した。自家撞着している」などと言われても何がどう「前後で食い違っている」のかさっぱりわからないがね(笑)

>私はあなた達の真似をしてチンケなディベートをしたくないので、私なりに斟酌して「芸術」を「デューイの経験」と「古代ギリシャのテクネー」に仕分けして提示した
>とつげき東北さんはどちらを選んでもいいし、それを否定して3つ目の定義を構築してもいいわけですから、こちらはかなり親切な議論の進め方をしてきたつもりなんですよ

ああ、ここを読んで完全に分かった。つまり君にとっては、とつが本当に自家撞着しているかどうかなど心からどうでもよかったわけだ。
勝手に意味を「斟酌する」ことが許されるならどんな発言でも批判できるし、自家撞着でもなんでも導ける。明確さに基づいて「正しさ」で勝負しようとするわれわれからすれば最悪の禁じ手でも、君には当然のように許される。なぜなら君にとってそこは入り口に過ぎず、その後「どれだけ権威的に語れるか」という部分で勝負しようとしていたのだから。

そう考えれば君は(君が語る思想内容と照らし合わせても)非常に一貫しているね。いや、ほんとにびっくりするほど一貫している。

>権威をそれだけで悪とする根拠はどこにもないどころか、社会には必ずと言っていいほど、政治的な権力や文化的な価値観や道徳的な慣習が必要とされてきたんです。

「判断基準を明示しない断罪は、権威の腐敗を招くからダメ(判断基準を明示して腐敗を防ごうとする権威ならばよい)」という指摘に対して、こんな意味不明な反論をしてしまうこともよく理解できる。この部分は「枕詞」に過ぎず、その後に続く歴史談義をすることこそがメインだったわけだ。
ついでに言えば、「完全な日本語は存在する」という理想がどうなるとかそんなことはどうでもよく、「完全な日本語を守ろう」ムーブメントをおこして権威による支配がされることが大事だと。ははー、なるほど。

「道徳とルール」論点も同じですな。

・「道徳が通用しなくなったから、明文化されたルールが重要になってきた」という解釈と「ルールによる干渉を減らし、市場に任せておけばそのうち上手くいく」とする市場原理主義は全く関係ない
・「道徳とルールのどちらが大切か」など知らんが、現実の日本社会で「道徳復活」を図っても無駄だろう

という私の指摘に対して、

・ルールの下部構造に道徳があるのであり、だから道徳の方が大切(大切だとしてももはや無効だから別の手を考えたほうがいい、と言われてることを理解しようともしていない)
・ルールさえ守っていればOKというのは誤り(もはや誰を殴っているのか読者にも理解不能)
・日本がアメリカナイズされていることに何の憂慮も感じないあなたは愚民そのもの(上に同じ)

などと答えてしまう謎もすっきり理解できる。

君には、相手の主張に反論する必要がそもそもなかったわけだ。


Re: 今更なんだけど 300世帯 - 2008/07/24(Thu) 22:21 No.1414  

マネさんへ

>とつが定義する大衆と、オルテガが定義する大衆は別に同一ではない

そんな単純な話じゃありませんよ。私は彼の定義矛盾を指摘しているんです。厳密に言えば、定義付け間の錯誤による、時効的な自家撞着ですね。時効的というのは事後的と言ってもいいですけど、要するに、複数の命題の推論(論理)を重ねる際、各テクスト間における生成としての意味が、後々他者(ということはこの場合自己)に必然的倒錯を与えるということです。

いいですか、彼は「凡庸」の対義語として「知的」を打ち出し、その外延的定義として「政治家になって悪いことをする」「マリオ極める」「金持ちニート」などを挙げています。そして他の文章で(例えばですが)「金持ちニート最高」「マリオ上手い奴こそが正しい」「悪い政治家を批判する奴はバカ」などと記していきます。これによって当初は「知的」でしかなかったはずの行為が、ベクトルとして(言語の表面的現象として)「善(もはやZEN)」の方向に向かう(客体的認識)わけです。しかし、彼(主体)は暗黙裏に(一般的な定義としての)「善」を知ってしまっていますから、「それは悪だ」(そちらのZENを指す)と言われると、「偽りの彼」にとっては賛同されているだけなのに、ついつい批判されていると思って反論してしまうということです。

違う例を出しましょう。彼は「一般的な青」を「赤」と定義し、「一般的な黄」を「青」と定義します。そこで「一般的な青」と「一般的な黄」が足されたものとしての「一般的な緑」を見せられた時、「偽りの彼」はそれを「紫(もはやMURASAKI)」と定義するはずなのに、いざ「青と赤を足したなら紫だよね」と言われると、「いや、緑だ」と反論してしまうのです。

つまり健常者の認識は、認識に嘘を付けないにも関わらず、健常者である自分の認識をもってして言葉を欺瞞の道具として用いるから、後々になって言動としての自家撞着が起こってしまうわけです。さらに言えば、彼は狂気を演じているからこそ私に反論するのであって、本当の狂人ならば私に懐くはずだということです。(この場合の狂人は、完全なる認識の錯誤が起きる人のこと)

そしてその最たるものが「無差別殺人等残虐行為に憧れるのはまっとう」という発言だったんですよ。本来ならば、彼の定義を受け入れるとしても「無差別殺人等残虐行為に憧れるのは知的」としか言えないはずなんです。ここでの「知的」を「まっとう」と言い切るには、「まっとうとは知的なことである」という定義を新たに設けなくてはなりません。ですから私は、意味は定義というよりも連関性だと言っていたんですよ。つまりあなた達が無謬でいられるためには観念的な「善」に向かって、「知的」と同様に「ZEN」「まっとう」「正しい」「素晴らしい」「憧れる」などに関する辞書を作らねばならないんです。そして一般社会に対しては「ソチラノ善はコチラノAKUで、ソチラノ悪はコチラノZENトナリマス」と言わねばなりません。それが社会と社会を結ぶ「国際社会」のルールです。それができないならば「国際の場(公の場)」で発言はしてはいけません。

>勝手に意味を斟酌する

それは「勝手に意味を解釈」でしょうが。私はとつげき東北さんの「立場を斟酌」したんですよ。そうじゃなければ「芸術とは何ですか?」「美しいとは何ですか?」「エゴイズムとは何ですか?」という、議論にふさわしくない愚問のオンパレードになりますよ。というか、仕方なく「芸術の定義」や「エゴイズム思想の定義」を聞いても、あなた達はまともに回答できていないじゃないですか。さっさと誤謬なき「エゴイズム思想」を論じてみてくださいよ。その時はどんどん突っ込ませてもらいますから。

>判断基準を明示して腐敗を防ごうとする権威ならばよい

なに突っ込まれて後退してるんですか。だから私はずっと「言葉遣い」の説明をしてきたんでしょうが。今回の話も全部それに関わっています。言葉遣いはまず、完全に間違っているものなら簡単に挙げられるんじゃないですか?ここの「知的」とか、先ほど説明した通り自家撞着してますからね。

>道徳とルールのどちらが大切かなど知らん

なんですかこれは。完全に後退しましたね。重要な場面で明言を避けるのは「逃げ」ですよ。ルールを形成するには道徳が無ければならないでしょうが。

>現実の日本社会では道徳復活を図っても無駄だろう

ペシミズム的予言に過ぎませんね。ショーペンハウアーの『意志と表彰としての世界』は読んだのですか?ニーチェ思想の源流なんですが。もしかしてあなたニーチェすらまともに読んでいないんじゃないですか?だってあなたのは消極的ニヒリズムじゃないですか。自分のワガママを通すのに権威批判をするため、権威的にニーチェリアンを気取るのは自家撞着ですよ。小学校の算数みたいなロンリで自家撞着捏造ごっこをするのはそろそろ辞めて、知識と教養を身に付けた上で論理を用い、より正しいと思われる言説を積極的に述べるられるように心掛けましょう。


Re: 今更なんだけど 六7 - 2008/07/25(Fri) 06:55 No.1416  

>それができないならば「国際の場(公の場)」で発言はしてはいけません。

今こそ、忘れかけていたこの言葉を………ぷげらっちょ!!

まぁたまにはね、こういうのも挿んでおかないと。


Re: 今更なんだけど 2ちゃん - 2008/07/25(Fri) 08:21 No.1417  

忙しくて1週間ぶりに覗いたら、なんか、えらい進んでるな。
>マネ 長文嫌いなのに・・・て嫌味か?(笑)うーん読んでて思った
が長文でもマネやRevinのは理解しやすいが、凸と300のはわかりにくいから途中で読みたくなくなるんよね。(じゃ読むなて言われるのは十分わかった上で言っとくが)論点がわかりにくいし。
で、まずマネが1396であげた例は不適切な気がするが。『アジア人労働者ー自分だけは、可愛いから』の部分に関しては、そう(一斉蜂起)ならないのは法の抑止力とか、自分が可愛いからとかいう理由では
なく、現実的に考えて単なる『売国奴政策』とは言えないからじゃないの?農産物輸入問題に関してもそうだが、政治家が『自分にリベート入るから日本なんか知ったことじゃない』という考えでやってるなら売国奴政策と言えるだろうが。また仮に売国奴政策であったとしても合法的に反対するだろうから一斉蜂起とかは、ならないだろうしね。
で『自分よりも共同体が大事と本気で』の部分に関しては、まず何に対してそう思うのか?共同体の外部(ある場合では敵)に対してそう思うのではないの?そういうケースは歴史的には危険な兆候で自滅した共同体も多いというが、俺は逆ではないか?と思うが。
例えば、歴史を見ると、国家の軍隊は負けても庶民のレジスタンスにより侵略側が負けた、あるいは断念した例も多い(秀吉の朝鮮出兵のように)。あるいは『自分さえよければ』という考えが多く国が滅んだ例も多い(これは中国の歴史を見ればわかるだろう)。ということで『エゴではないー自滅しうる』には賛成でき8ないが。


Re: 今更なんだけど 2ちゃん - 2008/07/25(Fri) 08:44 No.1418  

>マネ
1397に関してなんだが個人主義とエゴイズムの違いてどこで説明したの?番号頼む。個人主義(エゴイズム)て書いてたから同じ定義してると思ってた。
でマネの『社会』の定義自体がクールすぎるように思うが。常識も道徳
も通用しない=これこそ、自分等は道徳(善)」


Re: 今更なんだけど 2ちゃん - 2008/07/25(Fri) 08:46 No.1419  

>マネ
1397に関してなんだが個人主義とエゴイズムの違いてどこで説明したの?番号頼む。個人主義(エゴイズム)て書いてたから同じ定義してると思ってた。
でマネの『社会』の定義自体がクールすぎるように思うが。常識も道徳
も通用しない=これこそ、自分等は道徳(善)を知ってるがあいつらは知らない という考え方じゃないの?


Re: 今更なんだけど 名無し - 2008/07/26(Sat) 00:14 No.1420  

「アナルセックスは男とやっても気持ちいいから相対的だな 」
だって。
誰が書いたかは知らん


Re: 今更なんだけど ・・ - 2008/07/26(Sat) 00:47 No.1421  

分析続けるかな。

>「林檎」という果物を説明するのに、例1「ポストのように赤く」、
 例2「野球ボールのように丸い」と部分的に説明して行くことは何らおかしくありません。
 ヤコブソンが「類似性」を言語の一機能としたのはそういうことです。

私の意味する「部分的(全体の論理として組み込まれる事が無く、孤立している。
要するに無関係な物を並べて集合化しているだけ))」
の意味を「部分的(だから、類似として説明することがおかしい)」と解釈したのね。
あなたはある意味体系に属する問いを別の意味体系で答えようとする人種だと思う。
例えば、数学の前提で持って答えられる問い(数学の中で生じた問い)を
法律や言語学、社会学などの別の前提で成り立っている学問(構造概念)で
説明しようとしてしまう人。
結果として、概念の(論理的)構造ではなく、概念の集合のみが残る。
これは、「前提の信頼性」が理解できない為、
意味体系同士の区別(分析)ができないのだと思われる。
どうやら、「類似性」による抽象概念を単に並べた集合が
「学問」だと思っているらしい。

>そして認知科学的に味覚や食感、
 経済学的に価格や生産量、
 地理的に生産地やその気候を論じていくことが「学問」なのです。

あなたの意味する「認知科学的/経済学的/地理的」という「言葉遣い」には
「前提の信頼性」に対する構造(文脈)が組み込まれていないため、
何も説明できないし、単なる集合に過ぎない。
その抽象概念全ての条件を満たす具象
(実験できる信頼性の高いもの→実在の「物」とは限らない。抽象概念も道具とみなせる)が
示せないなら、無意味。
数学から数式(具象としても扱われる抽象概念)を奪ってしまうような行為だね。

>「言葉遣い」に関しては言語学、論理学、形而上学、心理学、文化人類学などから論じる必要があり、
 私はその内のいくつかを論じつつ、まとめて「歴史」と定義しました。

あなたは自己の先入観の寄せ集めを正当化するために
必然的に「学問とは概念を集める事であり、抽象概念全ての条件を満たす具象などなくてよい」
という前提を採用(信仰)しているんですね。


Re: 今更なんだけど ・・ - 2008/07/26(Sat) 02:08 No.1422  

そして、他者の主張も単なる概念の集まりとしか認識できず
(つまり、無理矢理自己の先入観を押し付ける事が可能となる)、
自分が集めた概念を前提とすることで
「対話(批判/反論/同意)」している気になっている、という仕組みです。


Re: 今更なんだけど 300世帯 - 2008/07/27(Sun) 11:31 No.1423  

・・・さんへ

つまり、私が「言葉遣い(論じ方)」を重視しているから、あなたはその私の「言葉遣い(論じ方)」が一体どうなっているのかを、ここでの私の書き込みから分析していたというわけですか?そして幾度も「>抽象概念全てを満たす具象を示せていない」とおっしゃる。

なぜマネさんといい、あなたといい、そんなに低学歴者みたいなことしか言えないんですかね。あなたはカントの比喩した「理性の地平」に対して「地平の先が見えないなら地平について言及するのは無意味」と言ってるようなものですよ。そんなものお笑い草でしょうが。秩序は混沌に勝りますから、きちんと勉強して、然る後に私の「学問に対する姿勢(知性の構造)」を別個に質問してください。


で、今そういう質問が来たとして、それを簡単に説明すると、まず、人間のプラグマ(行為)はなべてアブダクション(仮説形成)における記号的仕組みに支えられています。まとめると、第一に、行為は全て(科学的認識のことも含めて)価値に率いられ、規範に枠づけられます。第二に、行為を可能にするのが人間の記号化能力であり、その能力の発揮は、言葉という記号にあっては、価値・規範による秩序化がなければ不可能です。第三に、人間の行為とは、記号・言葉の(価値・規範にもとづく)仕組みを絶えず形成し、そうすることによって自らの行為を説明し、そしてその説明を解釈していくことにほかなりません。第四に、それに対して仮説形成とは、人間の、とりわけ自分自身の(行為の連続としての)「ライフ(生)」を直視し、そしてそのライフの意味をできるだけ一般的、普遍的そして抽象的に考察していきます。第五に、その発見において、自分の意識の枠組みが、自分を越えた何者かによってあたかもアブダクト(誘拐)されるかのように、(特殊な事例にもこれまで以上に広く適用されうる)一般性へ、(個別の経験にもこれまで以上にうまく対応し得る)普遍性へ、そして(具体的な状況をこれまで以上に深く貫徹する)抽象性へといわば飛躍していきます。

私があなたに「最低限パースの記号論くらい学べ」と言ったのは、パースが認識の大前提(アキシオム=公理、ポスチュレート=準公理、及びベーシック・アサンプション=基礎的仮定)を、通常の科学主義のディダクション(演繹)のように直観に委ねるのではなく、既存の大前提となっていた古き認識枠組みが人間のアクチュアル(現存的)な行為の中で、いかに改変されていくかを明らかにしようとしたからです。確かに、仮説とはハイポサシスで、ハイポ(基礎的)なシーシス(見方)ですから、認識のおおもとを問うのでなければ仮説とは言えないわけですね。言い換えればそれは、(特殊な事例から一般的な命題を導こうとする、(首尾一貫し得ぬ)通常のインダクション(帰納)の中に、いわば価値記号の発達論という形での(首尾一貫し得る)ディダクション(演繹)を持ち込んだということです。だからそれは、演繹法とも帰納法とも区別されてアブダクション(形成法)と呼ばれるんですね。そして仮説形成において進化(恐らく活力としての意志)が起こるのは、人間の認識が常にフォリビリティ(可謬性)を免れ得ないからであるとパースは言いまして、ということは、私はプラグマティズムの使徒でありますから、信仰によって前提を採用しているわけではないということになりますね。


で、今回の全体の議論は、善悪という言葉の認識における、マックス・ウェーバー言うところの「意識を意識することによる意識の失血状態」が起きること必然でありましたから、それをあなたみたいな低学歴者が分析しても詮ないことで、また、ウィトゲンシュタインが「語り得ぬ」と言った範囲のことをあなたが分析できるはずがないとも言えますから、それでも「抽象性ある論理構造を示せ」と言うならば、「言語ゲーム(意思疎通のコミュニケーション)はユーセイジ(使用法)によって方法論が定まるのだから、既存の規則を重んじよ」の一言で私は返答し、あとはあなたが書店で文法書でも辞書でも漁って、日本の言葉遣いを分析していれば事足りるんじゃないでしょうか。


あなたは前に、私の「無差別・無目的殺人=絶対悪」発言に対して「悪魔の証明」を強いた時点で終わってますから。


Re: 今更なんだけど ・・ - 2008/07/27(Sun) 15:36 No.1424  

>秩序は混沌に勝りますから、きちんと勉強して、
 然る後に私の「学問に対する姿勢(知性の構造)」を別個に質問してください。

あなたは常に「秩序」が「絶対」、なんですよ。
「秩序」の「(前提の信頼性/抽象構造の)変化」を考察する気が一切ない。
そんなものは所詮「沈黙」せざるを得ない。
ウィトゲンシュタインが「論考」で証明しています。

>「言語ゲーム(意思疎通のコミュニケーション)はユーセイジ(使用法)によって方法論が定まるのだから、
 既存の規則を重んじよ」

既存の規則をあなたのように扱ったら、再び「論考」の結論に達してしまいます(^^;
その「論考」の結論を避けるために
「哲学探究(言語ゲーム/アスペクト)」や「確実性の問題(前提の信頼性)」に向かったんですよ。
「論考」の知識を使いこなせていないから、あなたはその「意味」を理解していない(抽象的に認識能力に難がある/知識はあるが浅学である)、
とみなされるんです(「言語ゲーム」の使用)。

>あなたは前に、私の「無差別・無目的殺人=絶対悪」発言に対して
 「悪魔の証明」を強いた時点で終わってますから。

強いていません。「指摘」したんです。
「抽象概念全てを満たす具象(一段上の抽象性)を示せない」から、
個別にこじつけでも何でも用いて煙に巻きながら示していく(信頼性を高める)しかない、といったんです。


Re: 今更なんだけど ・・ - 2008/07/27(Sun) 16:00 No.1425  

自分で掘った穴に自分で落ちて、なおかつ、落ちた事に気がついていない、といった感じですね。


Re: 今更なんだけど 300世帯 - 2008/07/27(Sun) 18:00 No.1426  

>あなたは常に秩序が絶対なんですよ

何ですかこれ。あなたちょっと頭おかしいんじゃないですか?(笑)
秩序が必要なのは絶対ですけど、私は時代によって法律を変えなきゃいけないとも言ってますし、パースを引用してフォリビリティについても言及してますよね?

>再び論考の結論に達してしまいます

バカですか?『論理哲学論考』に結論なんてありませんよ。私はむしろその『確実性の問題』の先の話をしているんですけど。


「ドアの開閉を望むならば蝶つがいは固定されていなければならない」
「岩盤に突き当たれば体が反り返り、それを繰り返すだけ」
「私がこのペンを手に刺せば絶対に痛い」
(ウィトゲンシュタイン『確実性の問題』より)

いいですか、彼は言語ゲームの前提を「コンヴェンション(慣例としての規約)」に置いたんです。疑うというゲーム自体が、あるいは対話というゲーム自体が、常に確実性を前提していると彼はわかっていたわけです。そして晩年は宗教や伝統への強烈な関心を示していったんですね。

第一ウィトゲンシュタインが哲学を殺したといっても、カントとヘーゲルなり、フッサールとハイデガーなりの間では、形而上学としての言語ゲームが成立していたわけですし、ドイツ観念論は現在でも生き続けていますから、ウィトゲンシュタインは自分でも言っている通り、結局哲学的には(というか何的にも)何もやっていないわけですよ。よくよく考えれてもみれば、ニーチェだってキリストを殺すことはできなかったわけですし、最終的にはその詩的に過激な表現から権威批判のために引用されるだけの俗物と化してますよね(笑)

で、ウィトゲンシュタインは語り得ることの範囲に科学を挙げてますから、人文科学としての心理学や社会科学としての政治学ならば語れることになります。そうならば、ユングのやった元型とペルソナ(パーソナリティの語源、仮面としての自己)の仕分け(私は4つに仕分けしたのでユングの上をいきますが)や、「無差別・無目的殺人」が善とされた社会の事例がないことなどは、語り得る範囲として有効になるわけですよ。

だからごちゃごちゃ抜かしてないで、あなたもさっさと語り得る範囲で反論してみなさいよ低学歴のくせに(笑)


官僚ですよね? 投稿者:加藤智大 投稿日:2008/07/24(Thu) 22:40 No.1415  
とつさんにおねがいです。

20歳になったときに安楽死を受けられる権利を認める法律を国会に提出してください。

生きることを選ぶことにもなりますし、まさに合理的な成人だけが生きることになります。

どうかよろしくおねがいします。


無題 投稿者:通りすがり 投稿日:2008/07/15(Tue) 23:30 No.1378  
あ、間違えてスレ立ててしまった。すんません。300氏へのレスです。


Re: 無題 とつげき東北 - 2008/07/18(Fri) 00:05 No.1392(管理者)  

自虐とも言うべきうんこめいた行為、立派であった。


無題 投稿者:我打麻将 投稿日:2008/07/11(Fri) 10:17 No.1361   HomePage
神奈川県の禁煙条例についてどう考えますか。
(条例案) ttp://www.pref.kanagawa.jp/press/0804/031/0415shiryo.pdf
(関連ニュース) ttp://news.google.com/news?hl=ja&rlz=1I7GGLJ&um=1&tab=wn&q=%E7%A6%81%E7%85%99+%E6%9D%A1%E4%BE%8B+%E7%A5%9E%E5%A5%88%E5%B7%9D&btnG=%E3%83%8B%E3%83%A5%E3%83%BC%E3%82%B9%E6%A4%9C%E7%B4%A2

私は煙に弱いので、個人的には禁煙が広がるに越したことはないです。公共的には…わかりませんw


Re: 無題 とつげき東北 - 2008/07/14(Mon) 22:10 No.1373(管理者)  

なぜより大きな公害となる自家用車(業務用を除く)を規制せんのか、と問われればきっと「時代の流れ」の一言で返すんだろうな。
独立行政法人の非特定化の意義を質問されてしどろもどろで「いや、そういう流れですから」と答えてしまったどこかの大臣のように。


凸さんへ 投稿者:2ちゃん 投稿日:2008/07/05(Sat) 03:05 No.1302  
下の300世帯との議論についての見解を聞かせてもらいたい。長文多いし面倒なため、読んでないとこもあるんで最終的な見解を聞きたいのだが、余計な言葉を入れずYESかNOでお願いしたい。
@議論に負けたことは認めるAまだ議論の余地がある。B私の勝ちである。
あとREVIN?さんとかの見解もできたら聞きたい。


Re: 凸さんへ クワエテンタランチンコ - 2008/07/05(Sat) 10:02 No.1304  

自分が勝ったと思ってるかどうかを聞いても意味無いでしょうに・・・


Re: 凸さんへ まとめ(400字以内) - 2008/07/05(Sat) 11:33 No.1305  

「5人殺せば大犯罪者だが、1万人殺せば英雄」なのです。

1万人殺せるほどの力を持った者の殺人はもはや「無差別」とはみなされません。スターリンの粛清もその共同体内部においては、「反革命」「スパイ」を共同体から排除する「共同体の秩序維持のために必要な行為」とみなされうるわけです。

「無差別殺人は絶対悪」などと言ってみたところで、「無差別殺人であるか否か」が権力関係で規定されてしまう以上、「認められない殺人は認められない」以上の意味はありません。正しいですが、空虚です。

議論としては、凸が最初にここをつき、相手が答えられていない時点ですでに終わっています。


Re: 凸さんへ 2ちゃん - 2008/07/05(Sat) 12:19 No.1306  

>クワエテン
300は勝利宣言して、自分が勝ったと思ってる。これで凸が認めるなら終わりだろうし認めないなら、議論読み直そう思って。俺は、凸有利
な気がしてたんだが
>まとめさんの意見に関しては、突っ込み所たくさんだが、突っ込むと
また長文入りそうなんで他の人もスルーお願いします。


Re: 凸さんへ とつげき東北 - 2008/07/05(Sat) 12:22 No.1307(管理者)  

おや、先日初めて覗いたにしては深いところまで読み込んでいらっしゃるようで、なによりです。

――――――――――――――――――

質問に答えると、当方の言葉の意味体系(笑)から言えば、「勝った」にあたる。
先方は教義主義者なので、先方からすれば先方が「勝った」のであろう。
最初から彼は勝ち勝ち勝ち勝ち論破論破論破論破と言っていたわけで(ここには必ずしも転載されていないが)、その時点で彼の中ではもう勝っていて、それは何があろうとも「絶対に」覆ることはない(だからこその早々の敗北宣言)。

以上が当方の見解。

見解を知りたいだけならば、以下は読まなくて良い。

――――――――――――――――――

前段に関して補足すると、以下のとおり。

・彼が著しく事実と乖離した命題に基づいて善悪に関する形而上学を語っていることが示された。

 説明:彼の基づく命題は、
  ・人は誰しも殺されることをマイナスと捉える。
  ・それをマイナスではなくプラスにすることは考えられない。
  ・どんな社会設計を考えるにしても、共同体内の人間を殺す(殺される)ことを
   プラスと設定し、人々にそれを志向させることは出来ない。
  ・もしそうすると、共同体はたちどころに自らを殲滅する。
 という、どの1文をとっても歴史的・思考実験的に非現実的なもの。


・彼の言う「共同体」とやらがいかに抽象的な概念、恣意的な概念に過ぎないかについて相当数の書き込みを行ったが、彼の反論はない(「それは認識論的な相対主義だろ」といった反論の一点張り)。

 説明:例えば現代では富裕層による貧困層からの富の一方的搾取等が共同体内外問わ
    ず行われているが、彼の言う「共同体」とか「人間が抑制すべきだと感じるも
    のが悪」いうおおらかな認識に基づく善悪判断では、当該行為の善悪さえ判別
    不可能であり、単なる常識的な善悪主義と大差ない。


・「大量殺人等残虐行為」とわざわざ私が「等」をつけて含みを持たせたにもかかわらず、彼は当該表現を「無差別殺人」にまで定義を狭めて一面的に解釈し、「凸=無差別殺人犯擁護者=絶対悪」と誤読してしまった。それが本議論のすべての始まりであったとともに、すべての誤りであったことが示された。しかも、何度それを例示等で示唆しても彼には理解できなかった。

 説明:もし私が無差別殺人犯を擁護したと仮定しても、それによって現代日本の
    「共同体が殲滅」などするはずもないのだが、彼は「もしもみんながそん
    な考えを持ったら共同体はどうなるか」的な問題に思いを馳せ、「とつげ
    きを殴っても良い」という結論を導いた。
    彼の恐るべき非現実的判断がここにも表れている。
    彼の善悪の「公理」等からは、無差別殺人とその擁護者についてしか語る
    ことができず、得られる結論は彼の言う「人間が抑制すべきだと感じるも
    の」とさえ大幅に乖離する。


・彼は「哲学は対話」と述べたが、「『常識で考えて〜〜だろ』と断言する」等の行為により、対話を「多数決」的な粗雑な手法によって自ら閉ざす側面が強いことが示された。
 説明:彼自身は本掲示板での対話を頑なに拒み続けた。善意ある第三者(音頭氏)の
    判断によって彼が負けと認識され、書き込みが転載されなかった際には「デキ
    レースだ」だのとわめき散らした。また、彼の発言の大半は虚偽や誇張や想像
    に基づく中傷等であり、対話の体を成していなかった。他方で、2ちゃんねる
    において彼が実施した「多数決判断」によって、彼が「多数決的に勝った」と
    認識するや否や、対話を閉ざした。


・彼は「とつげきは1+1=2の自明性も認められない相対主義者」「絶対はないということを絶対と考えている矛盾」といった要領を得ない批判を繰り返していたが、それらとは独立に、彼自身が誤謬に基づいている点を認めなかった。

 説明:彼の誤謬は上述したとおり。
    さらに、私は自明の事実を認めないスカスカ相対主義者ではない。
    哲学が対話であるとして、対話とはいわば投機であろう。
    必ずしも言葉の意味体系が相互に完全に結束・共有されなければ対話は不可能
    なのだ、と考えるのは論外である。さらに彼は成立している対話において自ら
    の立脚点の不毛さを指摘された際、対話を「多数決によって外的に」終わらせ
    たのである。


――――――――――――――――――

「議論」とかいうものは一概に勝ったとか負けたとか、ハイ論破した、とかいうつまらないものではなくて、どの程度「潜在的だったものを言語によって顕在化できるか」という観点から個別論点で優秀さや面白さ等が判断されるべきものだと考えているが(だから「ロンパ、ロンパ」と口にするのは私の美学に反する)、主要な論点(と当方が考えている)部分について以上のとおりの結果となったため、あえて「勝ち?負け?」を聞かれるなら「勝ち」と答える。

彼にはそれなりの知識があったが、上述のとおり、対話をする力(正確な読解力、相手の意図を把握する能力、相手にとって何が問題とされているか整理する技術、そして何より現実的判断力)が不足しているとみる。知識が台無しである。
特に、相手の意図等に関する彼の把握力の低さ(もっと言うと、悪意でもって解釈し、あるいは勝手に意図を捏造し、それを叩くというダメなやり方)が辛い。
昨今私が大規模に「議論」した相手2名にもまったく同じことが当てはまるが、ようは人の気持ち(相手の意志・意図、相手がしているだろう解釈等)を上手に読めない又は無視する人間には、議論や対話は向かない。

付け加えになって恐縮だが、彼はそれでも彼の「正義論」をしっかりとブチたててみるべきである。それに基づいて現代的諸問題がバッサバッサと爽快に切り崩せるのならば、少々前提に不可思議な部分があってもそれを当方は「美しい倫理体系」と認めるだろう。だから彼にはそれを推奨した。


Re: 凸さんへ 300世帯 - 2008/07/05(Sat) 14:23 No.1308  

お前は外的に負けたし、こっちはお前のボロを見逃してやってんのに、まだそうやって勘違いしてんなら反論するわ。まず、

教条主義:状況や現実を無視して特定の原理原則に固執する考えや態度

ちょwそれwwこれwwwオ・マ・エwwwwww
相対主義に固執してるし、「刺されたら痛い」っていう現実を無視してんだろ。
「絞首刑=気持ちいい」っていう考えも現実を見てない。
俺は今自分で首締めてみたけど苦しかったしな。この科学的検証も認識相対主義の前では脆くも崩れ去るか?
それなら柔道の締めと市販のロープとじゃ首に対する負荷のかかり方が全然違う現実はどう説明すんだ。「俺からしたら気持ちええかも知れんやろ?」なのか。だったら何でわざわざ安楽死施設の建設を夢想したんだよwwwwwwwwwそれは特定の薬物で自死しないと断末魔の恐怖を完全には拭い去れないからだろ。

そもそもここ(書き込み)の現象面だけで見れば「無差別殺人に憧れる=まっとう」とかいう、いわば表現の自由というイデオロギーによってしか担保され得ないようなお前のドグマとそれに対して、
「無差別殺人を間接的に擁護してんじゃね?無差別殺人は絶対的な悪だから憧れるのは自分にとっても自殺行為なんじゃね?」と感じてそれに少々学術的な色付けを加えてみせた俺の主張が、単に相克として現れてるに過ぎないというのは、互いの認識として同意するところのはずだな。
だったらお前はレイプの話にすり替えて、それと「無差別殺人」との差異で誤謬をかき消すような真似はやめて、堂々と真っ向から「無差別殺人」の素晴らしさを説いてみろよ。少なくとも自分が「憧れ」に至るまでの内的側面や、実存が二律背反的に歪んでいった概括的経緯くらい分析してみせろ。それで初めていっぱしの無差別殺人理想主義者になれるんだろ。

お前が理解できなかったところを解説してやると、レイプ願望は先天的・持続的に自己に付きまとって片時も離れないという類のものではないわな。
それは青年期に見られる性的欲求不満という内的要因、秘境的領域における相対的過密性などの外的要因を始めとして、様々な条件を付した上で湧き起こる「可能性がある」確率論的な衝動だろ。
「性交したい」と「強姦したい」も違うしな。ましてや無差別殺人の願望がどう自明なんだっつの。次「自明」を適当に使ったら定義wを説明させるから気を付けろや。

つまりな、お前みたいに宅間のような事件が起きないようにする政策論を喋々する前に、「それに憧れを抱く」ことをワンオブゼムとして含む犯罪心理分析が必要だということだ。
そして「政策論の前の分析」、そのさらに前に俺は「無差別殺人」という実在する概念や「善悪」という実在する観念が一体何なのかを教えてやったの。
それは単なる定義の問題じゃないわけ。お前は観念論全般を否定してるみたいだけど、それならそれでデジダル的に日常言語を、無限の二項対立の束と規定してみろよ。
どこかで必ず「どちらがプラスでどちらがマイナスか」の善悪論的モデルを措定せざるを得んから。それを認識相対主義だけでもって批判するのは知性の欠如した人間のやること。
秩序(善悪の基準)が無ければどんな共同体もどんな日常言語も立ちどころに瓦解するのは間違いない。お前はただのスタティックな情報システム論者。
つまりお前が最初に言った「絶対悪の幻想が常に必要とは言えない」っていうのは大いなる誤り。お前こ愚問には答えさせておいてこういう指摘をスルーすんなよ。
第一俺は一辺倒に「殺すなかれ」と言ったことなんて一度もないし、レッテル貼って誤魔化してんのはお前の方だよな。


で、共同体の定義を恣意的且つ便宜的にすり替えてるのはお前の方だよね?共同体内の成員を殺した云々はお前が共同体の定義をコロコロ変えるからだろ。お前の反論は大衆論法の派生形。
一般的な共同体は(距離的には)家族を中心に、親族・友人、地域社会、国家、国際社会という風に同心円上に広がる集団形態の総称であり、この中でどう優先順位を置くのかは最終的に認識的な相対性があるものの、
認識をすらが言語によって象られているからには、好むと好まざるとに関わらず言語を中心としてまとまる「国家」を重んじるしかない。
だから一番最初から俺は「共同体」の定義を「独自の言語を持つ集団」って書いてたわけ。
んでお前の「間引き」の例は恣意的共同体の絶対を持ち出すことに起因する「意図的差別殺人」の一種だと、そう言いたいわけだよな?
だったら?それで俺に反論したつもりか?じゃあ共同体内の成員を殺してなんかないだろ。
将来言葉をきちんと理解出来なそうな未熟児や障害児は、共同体成員には認めないというダイナミックな定義になるで、共同体のために殺されてもそれは仕方ない。
もちろん非国民も「国民に非ず」だから殺して良し。死刑制度とはそういうことだろ。間引きも非国民もきちんとした目的のために差別して殺してんだから無差別殺人でもないしな。

ここからが大事。それを恣意的とか意図的とか表現するのは適切じゃないんだよ。共同体というのはお前が考えるみたいに実験的に作ってみては失敗したら即破棄できるようなものではないから。マルクス主義は失敗してんの。
共同体も言語も有機体のようにして徐々に歴史的に形成されるものだから、恣意的でも意図的でもなく、それらは国家の強い意志ということなんだよな。
じゃあその国家にどんな意志があるのかは、また認識によって解釈が相対的だから「国民」の「国民」による無限遡及的対話が必要なわけ。


で、結局「無差別殺人」を「善」として成立し得る具体的・現実的な共同体の在り方まだか?
どう考えたって「無差別殺人」の悪性はどの共同体においても変わらん。ちなみに「無差別」ってのは秋葉原通り魔事件みたいなものを指すんであって、その言葉の使い方でおおよそ万人の合意を得られるのは疑うべくもなく、
それはどの共同体においても絶対的に悪だと言ってるわけ。論理学的に真なのに何で反抗するわけ?
お前もしかして「無目的殺人」と言い換えれば納得すんの?ただ「絶対なんてない」を言いたいだけならそろそろ黙れ。
秋葉原通り魔事件という抽象的でもなければ仮想的でもない「無差別・無目的殺人」の存在と、それを認める共同体の一切が存在しないということだけは絶対なんだよ。

破滅主義思想ってのは自らをも滅ぼす。人間がそれを善と捉えることは動物の本質としても人間の純粋理性としても不可能。
それを無理矢理「善」と呼んでも、お前が通り魔にナイフで刺されたらマイナス的としか言いようのない気分が湧いてくる。
お前がいくら御託並べても人間はそういう風にできてんの。口だけ自殺願望者の戯言は聞いてて腹痛てぇんだよ。

あと何度も言うように宅間が誇りを持とうと後悔してなかろうと本人も自分のことを「俺は悪魔や」と言ってんだよ。
俺はお前の意思決定プログラムがどうなってんのか聞きたいね。選択を迫られた時「前に進めない・進まない」ことを後付けで言い訳してるだけだろ。
決定についてお前がどこかで書いてたのは、選挙において投票者の質で一票の重みを変えるというエリート主義的な構想だったよな?
それは反対しないけど、それなら東大スレで俺とお前のどっちが正しいか投票して、負けた方が死ぬ(この場合ネットから消える)って勝負やるか?
俺はお前みたいな低学歴には負けねぇからいつでもやってやるからよ。準備ができたら掛かって来いや。


Re: 凸さんへ ぷりっぷりのおしり - 2008/07/05(Sat) 14:24 No.1309   HomePage

はい。優秀な信者です。

■H氏根幹主張まとめ

1 無差別殺人は共同体の存続を脅かすこと
2 1を許容する団体は存続しない(史上の例外なし)


■反論

>秋葉原通り魔事件はまさに「無差別」だよな。犯人は「誰でもよかった」と言ってる
とある。
この通り魔は氏に無差別認定されているので、この通り魔を是としていながら存続していきそうな共同体が見つかれば、「存続しない」という氏の主張は誤りとなる。
で、これは割りとすぐに見つかる。
例えば、マスコミ関係者の中に、「秋葉原でもっと通り魔事件起きてくれ!普通の殺人よりも無差別殺人が望ましい!儲けた金で焼肉いこ!キャバクラいこ!」とか考えている人達が「共同体」と呼べる程度に存在することは、充分に想像できるだろう。彼らにとって、無差別殺人は存続・発展のためには煽り立ててでも繰り返されるべきことであり、善である。


上記に対して想定される反論を書き連ね、さらに再反論を記しておく。



【想定される反論】
彼らとて「自分達が含まれる無差別殺人」は許容しない

【再反論】
それは無差別殺人ではない。よく考えろ。



【想定される反論】
彼らは共同体成員が含まれなかったから許容しているだけだ。無差別殺人を許容しているわけではなく、「自分達を含まなかった」という差別的な殺人を許容しているだけだ。

【再反論】
つまり、事後的に、「自分達を含まなかった」殺人を差別的殺人だと認識するということか。もし、このような事後判定に基づくならば、すべての殺人は差別的であり、無差別殺人などというものは存在しない。なぜなら、<自分達が含まれた>殺人も差別的であり、<自分達が含まれなった殺人>もまた差別的であるからだ。
すべての殺人がが差別的殺人であるときに、「無差別殺人は絶対悪」などという空論を唱えるのははカスのやることである。


【想定される反論】
共同体成員を含むことが現実的になる程の大量無差別殺人を許容する共同体は存続しない

【再反論】
言い換えると、共同体成員がたくさん死ねば共同体は存続しない。当たり前。また、「無差別殺人を〜」から「大量無差別殺人を〜」に後退している。



他にもいろいろと反論は想定できるが、ひとまず議論拡散を防ぐためにまとめておく。
無差別殺人は共同体の存続に対して悪影響を与えるだけではない。マスコミの例に見たように、構成員殺害のリスク以上に売上増加等で存続を強化する要素があれば、その共同体が無差別殺人を善として煽り立てても存続・発展する場合もある。ともかく、史上そういう共同体が存在しなかったという主張は誤り。リスクの面だけを見て「そんなこと許容したら存続しない!」と唱えることは片手落ちだ。


無題 hidehitox - 2008/07/05(Sat) 18:29 No.1310  

(議論記録10)になるのかねぇ〜(笑)


Re: 凸さんへ とつげき東北 - 2008/07/05(Sat) 18:43 No.1311(管理者)  

絞首刑についてはググりましょう。
私はそんなところで認識相対主義など出していないでしょう。


あなたはいわば「共同体」全体の視点からしか物事を語れていないのですね。
種々雑多な個別の人間存在を見れていない。
(カロヤンガッシュのニオイがします……)

まずは私が大量虐殺者を擁護したか否か、についてのみ話しましょう。

私の発言は「大量殺人等残虐行為への憧れ(ただし現実にはしないが)があり、なおかつ死ぬこと自体がまったく怖くなく、残虐刑が怖いという私のようなまっとうな人間」というものでした。

私はこのとき、大量殺人そのものを指して憧れを持っていたわけではないです。
だからわざわざ「等」をつけた。
私自身は、人殺しても何も楽しくないですからね。

これを見ていきなり、

>「無差別殺人を間接的に擁護してんじゃね?無差別殺人は絶対的な悪だから憧れるの
>は自分にとっても自殺行為なんじゃね?」

はないでしょうが。

ここであなたはもう「大量殺人」どころか、「(秋葉原的な)無差別殺人」のみに完全に限定して話を進めているでしょう(そして後に絶対悪として指定されたのは、私が書いた文字通りの「大量殺人」ではなく、「無差別殺人」のみでした。何だその強引な「とつげきが無差別殺人を擁護した」論は)。
さらに言えば私は過去に宅間元死刑囚について「擁護しない」とも明言しているのに。
「ちょっとした早とちりでした」、で済まない問題なのですかね。

では進みましょう。
ここで、3類型示します。

(1)自分が大量殺人等残虐行為をしたいと思う
(2)大量殺人等残虐行為をしたいと思う他人がいることが(ものによってはその気持ちも)理解できる
(3)他人が大量殺人等残虐行為をすることを許可する

私がもしも(1)だったとしてもそうでなかったとしても、(2)は間違いないです。
輪姦やら陵辱もののビデオが売れるわけだし、今手元にある本で言えば『拷問・処刑・虐殺全書』などというかくも権威性の低い書物。「興味がある」とか、場合によっては「やりたくなる気持ちは理解できる(もちろん自分はやらないけど!)」「いやもうやりてぇ」といったような人々が色々存在するから、こういったものが出てくるわけです。
そして、実際にやる人がいる(いた)からこそ事実として事件が起きるるのですよね。模倣犯(憧れを持ち、かつ実行する者)もいます。
歴史的にも現代犯罪を見ても、いくらでも事例がある。実際起きるのだから、やりたい人は超いるんでしょう。

これぞ自明。これを覆すなら話はしません。

※(2)において、「ものによっては」と付け加えたのは、「レイプ」などなら、自分にもその願望がある(といっても、実際に犯行をするわけではなく、例えば彼女と性交渉を行う際のそういったシチュエーションが好きだ、等の意味で)からですね。

でももちろん実際の(3)の立場には立たないですよ。
自分とかが巻き込まれたら嫌だから。

ここをあなたは間違うんだ。
「共同体」の視点からしか見ないから、「それを社会的に認めたら……」「多くの人がそんな考えを持ったら……」みたいな遠いところからしか語れない。
(2)を理解できるが(3)にならない多くのまっとうな人間の存在を完全に忘れている。

だから3点の間違いがある。

1点。
私がそれらのうち実際に起される犯罪行為を「社会的な意味で」(社会了解として)正当だ、などと認めるわけないが、あなたはそう認めたと誤解した。
いやしかし、もし仮に、「私1人が認めた」としても、多くの人が認めたりもしないでしょうが。私1人が社会的に認めたことによっては、私が大量殺人やレイプ(笑)に巻き込まれる確率が急上昇したりはせんでしょうが(つまり、仮に私がもっとも極端な意味で「認めた」としても、「自分にとっての自殺行為」になどなりはしない)。
さらに仮に、けっこう多くの人が認めても、だからといって日本が無差別殺人の嵐に見舞われ、国が何の対策も打たずに共同体が壊滅したりはせんでしょうが。
共同体内の言葉の意味体系の崩壊だのうんだの言ってますが、個人個人によっても言語構造は細部において異なるだろうし、仮に「完全に意味体系の崩壊した狂人(まぁあなたの言う例えば無差別殺人を善と認める人)」が日本にいたとしても、共同体全体の言葉の意味体系が崩壊したりはせんのです。
どこを見ているんですか。

2点。
もし私が(1)でありしかも大量殺人を今すぐにでも実行したい、と思っていたとしましょう。
その際の「大量殺人」の相手には、きっと自分は含まれません。
つまり、ある行為に憧れ等を持ち、しかも実行に移すことと、ある行為を当人がされたくないことには、明らかに非対称的なのです。
「拷問とかやってみてぇ」と思う人がいても不思議ではありませんが、当人が「自分は拷問なんかされたくねぇ」と思っていてもいささかも矛盾は生じません。
「自己」と「他者」という決定的な差異、差別化があるからです。
でもあなたなら「共同体」という遠くを見ているから「大量殺人等残虐行為」に対して、こういった個体的な意味での「そういう気持ちがある人もいるだろーねー」とか「私も監禁モノとかは好きだからねー」(じゃあどうすれば実際の犯行を止められるんだろねぇー)とか言うと「共同体がっ! 共同体が破壊されるッ! 自殺行為だッ!」とか短絡するんでしょうか。
あなたは「自殺行為」といいましたが、それは犯行を行う個人にとって「自殺行為(同じ行為を相手からされるという意味で)」ではないですよね。つまりそこ、飛躍がありますよね。
国家転覆は共同体にとって脅威ですが、実際に転覆されて政権が変われば「自殺行為」をしていたのはむしろ旧体制を支持していた人々になります(共同体がドラスティックに変容する)よね。

3点。
(1)も(2)も(3)もとにかくダメだ、共同体のためにダメだ、擁護もダメだ、と禁止にし、それに関する言論も一切封殺します。
それによって(1)の人はいなくなりますか?
いなくなりませんよね。


ここまではいいでしょうか?

すげー簡単にまとめると「とつげきが無差別殺人を擁護した」というあなたの認識によってこの会話が成立した。それも多分にあなたの曲解によって。また、私個人が仮に擁護するとしても、日本がどうこうなるといった事態を迎えないことは明らかであるにもかかわらず、あなたは「とつげきが擁護していること」と「共同体成員の多くがそれを擁護すること」又は「社会的了解として当該事項が擁護されること」とを混同して、崩壊だの何だのを語ってしまった。つまり論理展開が非現実的であった。

ここまでで根本的な反対があるのならば、議論はやめです。

で、これらは今までの会話の無限リピートでしかないんですよね。
1−1のクリボーで何度も死んでいる人がいるなぁ、先の面を見たいなぁ、このままじゃ共同体が崩壊するなぁ、的な。
あなたのように2ちゃんねるに1日張り付いて何十もレスする趣味はないので、相当退屈になってまいりました。

そこでここまでを認めるのであれば、せっかくですからあなたの善悪論を聞かせてほしいですね。
「ペドフィリア(小児性愛)は善か悪か。それはどういった公理から出てきて、どのようにそう主張するのか」をかいつまんで教えてくださいな。


Re: 凸さんへ Revin - 2008/07/05(Sat) 19:43 No.1312  

>それなら東大スレで俺とお前のどっちが正しいか投票して、負けた方が死ぬ(この場合ネットから消える)って勝負やるか?

「哲学関係の議論をある場所でしていて決着がつかなかったので、2ちゃんねるの麻雀板でどちらが勝ちかアンケートを取りました。6対2で私が勝ったのに、相手が客観的・外的負けを認めません。これは明らかに不適切ですよね」とでも書いてくれば?(笑) 死ぬ云々は別として、やる価値はあるぞ。


Re: 凸さんへ 六7 - 2008/07/05(Sat) 21:13 No.1313  

はい。優秀とは言い切れない不信者です。
そろそろお腹いっぱいです。
デザートくれ。


Re: 凸さんへ 我打麻将 - 2008/07/05(Sat) 23:48 No.1314   HomePage

デザートとかいうからアイス食べたくなったじゃないですかー


Re: 凸さんへ 300世帯 - 2008/07/06(Sun) 09:08 No.1315  

えぇ基本的には問題ありません。細かい箇所だけ指摘しておきます。

>種々雑多な人間存在を見れてない

そんなことはありませんよ。私は私心よりも公共心を大事にした方がいいと思っているだけです。
電気・水道・交通網・教育・医療…etc.。私はこれら社会の利便性をたっぷりと享受して生きて来ましたから、その分社会に奉仕して恩を返したいと考えているわけですよ。
ただし、そこで私のような人間の「社会奉仕」に「タダ乗り」したがるある種の人間が、もしいるならば、その存在は断固として認めません。認めないというのは、いるのは知っていますが許さないという意味です。
許さないというのは、具体的には私の周りのインテリ(今後各界のトップ層に躍り出る人)達に協力を呼び掛けたり、私自身が選挙民として一票投じたりする、そういった行動を起こす原動力の顕れであり、私の強い意志です。
だって「タダ乗り」は自分勝手過ぎますもんね。そういう人は無人島に行って火をおこすところから始めて社会の大切さを知って欲しいですよ。
まぁ「他者」がいなければ火のおこし方もわからずに野垂れ死にするでしょうが(笑)

>あなたの善悪論を聞かせて欲しいですね

では、あなたの前の書き込みに対する反論という形で簡単に書きます。

>彼の基づく命題は
「人は誰しも殺されることをマイナスと捉える」
「それをマイナスではなくプラスにすることは考えられない」>という、どの1文をとっても歴史的・思考実験的に非現実的なもの

ここには形而上学的知性の欠落が如実に顕れています。自殺願望者がいるからこの命題が棄却されると考えるのは概念や観念というものを緻密に仕分け出来ていない証拠です。
とりわけ自殺願望を持っている人は生きることが辛いとか面倒くさいから死にたいと考えているのでしょう。「辛い」とか「面倒くさい」というのはまさにマイナスの概念ですよね?だから自殺願望者はマイナスを打ち消したいという、極めてネガティブディシジョン的な思考で物事を考えているわけです。
ということは「死」という絶対無(0)よりも「生」という(当人にとっての)マイナス(−)の方が悪しき関心事(嫌な気分)になっているとは言えるものの、それは「死」という無(0)が当人にとって相対的・一時的なプラスに思われているに過ぎない、ということになります。

時には生きることが「辛い」とか「面倒くさい」と考える(つまりマイナスを感じる感性が存在する)極まっとうな人間であれば、「死」という相対的・一時的なプラスに過ぎない気分を、社会的・普遍的プラスである「善」の観念に昇華させることは、本当は、できないはずなのです。

「生きている」と言い切れるということは、自分が「生」の状態「で在る」と信じているわけで、「〜で在る」ことは「〜が有る(+)」ことが前提なので、それを理解し、了解できる者は、「無(0)」という絶対を本質的に、必要条件として「忌み嫌う(−)」ということになります。
マイナス(−)はマイナス(−)を掛ければプラス(+)に転じますが、絶対無は0ですので何を掛けてもプラスにもマイナスにもなりませんからね。

確認しておきたいのは、唯一の「絶対」は「無」だということです。「死」とは実存主義(神の視座を否定)的には絶対無を意味します。先程、物質「が有る」ことを無条件でプラス(+)と記述しましたが、それは動物が水や空気や土が「無い」と生きられないからでしょうね。
何か「が有る」せいだけで生命が生きられなくなることはありません。何かが天敵「で在る」とか、自分が病「で在る」とか、(他の生命や悪性腫瘍などの)物質を観念化して始めて善に対する悪を考えられるのです。
ですから善悪はともに「有ること」に包摂され、「有ること」はそれだけで善悪を超えた善「で在る」という思いが高まってくるのです。(破滅主義者は最後の善を悪とする立場のことでしょう。)
デカルトが神の存在証明を3つのやり方で終えた後、精神の不死証明を行いましたが、それは私の解釈では、精神は言語であり、言語にはそれ自体に永続する意志とそれを論理化する機能が含まれている、ということになります。

まとめて括ってあっさり言えば、善悪を否定すると人間はゴキブリになります。観念を否定する者は恐らく唯物論者でしょうから、物理学的に物質「が有る」だけで、観念論としての「〜で在る」は全て不毛なレッテル、ないしは人間の作った虚構に過ぎないと思っていることになりますからね。
それは(観念を採用する立場からすれば)本質的にゴキブリと同じなのです。ゴキブリは「生」という「有」の観念も「死」という「無」の観念も「力」という「意志」の観念も持たない(無)ですから、自殺すら出来ません。
するとゴキブリ人間は死にたくても死ねないんですね。「地獄なんてない」とほざきながら(私もないと思ってますが)生き地獄を味うわけです。(本当に自殺する人はゴキブリからの脱却を果たしたことになりますが。)
そしてゴキブリ人間は「タダ乗り」するに決まってますから、少なくとも私にとっては悪なわけです。こんなところでよろしいでしょうか。

ちなみにあなたが絞首刑について「調べろ」の一言で済ますのなら、私も形而上学については参考図書を指定して話を終わりにしてもいいですよ。


Re: 凸さんへ クワエテンタランチンコ - 2008/07/06(Sun) 10:44 No.1317  

>とりわけ自殺願望を持っている人は生きることが辛いとか面倒くさいから死にたいと考えているのでしょう。「辛い」とか「面倒くさい」というのはまさにマイナスの概念ですよね?だから自殺願望者はマイナスを打ち消したいという、極めてネガティブディシジョン的な思考で物事を考えているわけです。
>ということは「死」という絶対無(0)よりも「生」という(当人にとっての)マイナス(−)の方が悪しき関心事(嫌な気分)になっているとは言えるものの、それは「死」という無(0)が当人にとって相対的・一時的なプラスに思われているに過ぎない、ということになります。

↑の発言は「人は誰しも殺されることをマイナスと捉える」と相反するものではないんですか?
なにしろ、自殺願望者は相対的に「死」をプラスと捉えてると、自分で言ってるわけですから(「死」と殺されるは違うって言われたら前の議論にループしそうですが)

と言うと

>時には生きることが「辛い」とか「面倒くさい」と考える(つまりマイナスを感じる感性が存在する)極まっとうな人間であれば、「死」という相対的・一時的なプラスに過ぎない気分を、社会的・普遍的プラスである「善」の観念に昇華させることは、本当は、できないはずなのです。

この部分を無視すんなと言われそうなのですが、この発言はどうも地に足がついてないように思えます。相対的・一時的な気分を善や悪の観念に昇華する人間なんてどこにでもいるじゃないですか。(その例は議論の中で次々出てきているので省略します)
命題は「人は誰しも殺されることをマイナスと"捉える"」ですので、本来はそんなことできないはずだなんて言い訳は通用しませんよ。


Re: 凸さんへ 300世帯 - 2008/07/06(Sun) 11:42 No.1318  

はぁ?wwwオメーバカじゃねぇの?www
俺がそこに書いたプラスマイナスは善悪のプラスマイナスだろ?wwww
それはとつげきがマヌケな社会モデルの例示を出した時に最初に出した言葉だよな?wwwwwwww
自分の中の一時のプラス(しかも所詮言葉遊びw)と絶対的なプラスの観念である「善」を混同するようなクソ論法使ってんなよwwww
自我が芽生えてからお前はずっと死にたいと思ってんのけ?wwwwwwあぁん?wwww死ぬかぁ?wwww
欲望と善悪は全然違うだろっつのwwwwwお前が自殺願望者だけで独立して独自の善を構築してから言えやwwwwwww
お前みたいなヘタレがネットで「一緒に自殺しませんか?」とか言い募るんだろうなwwwwあとお前の人間の定義を書いてから反論しようなwwww


ぷりけつwとお前wそうやって言葉を杜撰に使うから、自分の吐いた言葉の汚濁に思考が巻き込まれて、精神が汚物めいた腐臭を放ってんだよwwwwwwwwwwwwwwwwwwww


Re: 凸さんへ とつげき東北 - 2008/07/06(Sun) 11:59 No.1319(管理者)  

>300世帯氏 (9:08の発言)

>そんなことはありませんよ。
>私は私心よりも公共心を大事にした方がいいと思っているだけです。
>電気・水道・交通網・教育・医療…etc.。私はこれら社会の利便性
>をたっぷりと享受して生きて来ましたから、その分社会に奉仕して
>恩を返したいと考えているわけですよ。
>ただし、そこで私のような人間の「社会奉仕」に「タダ乗り」した
>がるある種の人間が、もしいるならば、その存在は断固として認め
>ません。認めないというのは、いるのは知っていますが許さないと
>いう意味です。

ええ、立派だと思いますよ。いやこれは理屈を除けば、普通にそう思います。
(実際に公僕として真面目な社会生活を送っている私もなかなかのものですが!)
一瞬たりとも「立派だ」と感じる部分が、あなたの言う「志向性」ではありましょう。
志向性が意思決定に必要なのは明らかです(ただまあ、以前あなたが言っていた、意思決定モデルを作る際に「善悪」という概念を必ず根本に据えなければ言葉の意味体系が崩壊する、というのには反対しますが――個人にとって言語は構造的ですから、言語のうちの1つのエンティティーが失われてもそれを補完する何かが穴を埋めてくれるはずである、例えば「勇敢」「律儀」の2つの言葉がまったく等価に「立派」という言葉でしか表されなくともさして問題ないのと同様、「善」を「すごい」だの「すばらしい」だの「得だ」だのと言い換えて人々がそのような認識を持つようになっても言葉の意味体系が瓦解したりはしないでしょう――、その話は機会があれば別に)。

ただやはり、あなたの公共性に対する無償の立派さは「あなたの私心」としてしか捉えようがないのですよ。
あなたが「公共的」視点を重視しようとしているのはよくわかる。
私とて、水道や電気が途絶えたならば、まずは行政は何をやっとるんだと怒り狂い、じきに行政が何もしてくれないとわかるにつれて不安に陥り、それでも自分に何もできないとわかるとやがては泣き、喚くでしょう。
そんなところに認識相対主義を持ち込もうとはしない。

ですがしかし、「真に公共的な観点に立つ」という事態が、いささかも現実味を帯びてこないのです。
「公共」としてあなたが<選抜>したものが「国家」でした。
(>一般的な共同体は(距離的には)家族を中心に、親族・友人、
 >地域社会、国家、国際社 >会という風に同心円上に広が
 >る集団形態の総称であり、この中でどう優先順位を置くの
 >かは最終的に認識的な相対性があるものの、認識をすらが
 >言語によって象られているからには、好むと好まざるとに
 >関わらず言語を中心としてまとまる「国家」を重んじるし
 >かない。)

国家? 重んじるしかない?
そんなことはないですよ。
国家が確かにわれわれ現代日本人の「公共的なるもの」の代表格として認識されがちではあるにせよ、国家から見た視点で語ると、必ずその中で別の、しかも国家とは相容れない「公共的なるもの」が排除されます。
例えば東京は日本という国家にとって、一般的に(財政的・文化的・人口及び戦力的側面等をみて)もっとも貢献している都市です。
東京都知事が怒り狂っているとおり、田舎の地方財政は非常に悪化しており、東京(裕福階級)から地方(貧困階級)へのカネの委譲(富の再配分)が強く求められています。
対内的な「公共的側面」から言えば、富の再配分という機能は、それこそ歴史的な流れを追えば必須ということになります。
一方で、対外的な(「国際的」な)公共的観点から言えば、もちろん島根県や秋田県にカネをばら撒いたって、それは何の得にもならない。

しかし人間個々人は、やはり島根県の企業の従業員として働いていたり、東京の中心で優雅な生活を満喫していたり、秋田県(あるいは秋田市だの横手市だの)という「公共」のために何ができるかを真剣に考えていたり、家族を養えなくなって家族(という公共)のために保険金を残して自殺したりしているわけですよ。
そのうち、「公共」なる視点をどこに置く「べき」かを、真に公共的な判断又は善悪でもって断罪することは、やはりどう頑張ってもできはしない(恣意的に行う例は歴史的にもいくらでも存在しますが)。
あなたは国際社会において今後低迷してゆくほかない日本という「国家」のために、田舎で家族という「公共」を守るために自殺する「ゴキブリ」に「公共心がない」と言いますか。そのような人々に対して「国家のことをもっと考えろ! もっと工夫すれば何とかなったはずだ」と理想主義的・楽観主義的に宣言できるのでしょうか。

私が言いたいことは、「公共性」なる概念は、実は公共性とは相反するものとしてしか具体的には指定し得ない、ということです。
「公共のことを考え、周囲の人をむやみに殺さないようにしましょう」ええ、確かに公共的です。真の意味での無差別かつ大量な殺人については、常時、公共的ではないと言えるのかもしれません。
ですが、「国家のことを考えましょう」となると、たちどころに「公共的」な性質の一部または全てが失われます。正確に言えば、国家よりも「自分にとって」優先すべき「公共」に、個々人は生まれながらにして組み入れられているからです。宮崎県をどげんかせんちょいかん。あるいは家族を守らないといけない。それが「個々人にとって」である以上、既に公共性という概念とは相反する概念になるわけです。
その時「国家という公共性」からみれば、「家族という公共」を重んじる人間も、「自己」を重んじる人間も、等しく「公共的でない」者と判断されざるを得ない(偶然、国家の志向と一致した場合にのみ、公共的であると事後的に判断するのは論理的に誤りです。なぜならば家族という公共を重んじて行動する思想を持つ者は、次の意思決定の際には国家という公共性を破るかもしれないから)。

あなたは二項対立・二律背反という言葉を用いました。今言った事柄がまさに「公共的」という概念において必然的に生ずる二項対立・二律背反(特定の「公共」から見た際の、並列の、あるいは内部の「公共」に必然的に生ずる非公共性)に他なりません。
「公共」というものが抽象的でない公共になるためには「特定の公共」を指定しなければならない。あなたがそれを「国家」と指定してみせたように。
ところが当該「公共」を選別し、他の公共を排除する瞬間に、「公共」はいささかも公共ではない何者かに豹変すると言っているわけです。

以上をまとめて「それでも日本がつぶれたらダメなんだから、国家という公共性に賛同しなければならないのだ」と主張するのならば、それは「国家大好き」な人による、ごく私的な、ごく公共的でない主張にしかなり得ません(歴史上あらゆる害悪をもたらしてきた国家主義です)。「(そんなことはわかっているが、日本はつぶれないだろうから)宮崎県にカネをよこせ」と主張するのがある種「正しい」知事のあり方ですよ。
確かに種々の共同体というものはその内部において様々な別枠の共同体をかけもつものであり、「全体として」それらしき統一性を持っていなければ立ち行かないことは事実でしょう。人類という共同体がそうであるように、国家がそうであるように、またその内部でも。しかし見てきたように「全体」は常に抽象的であり、個別の人々が個々の認識する「大事な共同体」やら「自己」のために動き、それゆえにテロが起きたりクーデターが起きたり、ついには共同体内部から共同体を破壊するような行動・思想が現れたりするわけです。

どんな特定の「共同体」にも、「共同体」にあまりなじまない者・集団がいたことでしょう。それをも内包しての「共同体」です。ニートや浮浪者がいる、たまに生ずる大量虐殺者がいる、ヤクザがいる、とつげき東北という「危険思想を持った人」がいる、しかし成り立っているのが今の日本という共同体の現実です。
公共性に反逆してつかまるのは勝手ですし、公共性に基づいて取り締まるのも特定の公共による意志として当然ですが、すべての成員にあなたのような「国への忠誠心」を強いることなどできはしない。大量虐殺の願望を抱きつつも実行しない人を取り締まることなどできはしないし(認識相対主義)、するべきとも思わない(そのような過激な「共同体主義思想」は歴史的に滅びる又は滅びつつある)。
ゴキブリにはゴキブリなりの生き方があるだろうし、ゴキブリを捕まえるように呼びかけることは可能だが、「ゴキブリ的思想を持つと推測される者」をホイホイと罰してゆくという姿勢はまさに「国家」を滅ぼすでしょう。

その点に寛容であるかどうかが、私とあなたの違いなのではないですか(一応言っておきますが、私は日本という国家のために公務員として働いていますし、大量殺人どころか賭博麻雀さえしない、ごくまっとうなw国家という共同体の成員です)。
そしてそれは、残念ながら「趣味の違い」としか表現できないのではないですか。それとも真の意味での公共性に基づいて、何らか語るべき点がありますか(例えば私が危険思想を持つと、本当に日本がつぶれるといったような)。


※絞首刑はもう論点ではないでしょうけれど一応閲覧先を。
※ttp://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%B5%9E%E9%A6%96%E5%88%91


Re: 凸さんへ とつげき東北 - 2008/07/06(Sun) 12:30 No.1320(管理者)  

「近代的な共同体」だの「近代的個人主義」だのといった言葉に関して、読者のためも含めて引用しておきます。


近代的個人が確立している西欧にあっては、個人は、その権利と義務の意識によって多数決原理を支え、民主主義なるものを理想形態として持っているのだとその返答は口にする。
(中略)
そもそも、一部の抽象的な哲学者にそそのかされてかなりの人が信じている近代的個人など、どこにもいはしないのだ、また、一部の抽象的な政治学者にそそのかされてかなりの人が信じている意思決定としての多数決原理なども、どこにもありはしない。民主主義とは、一人でも多くの人間の欲望を充足せしめる装置であったためしはないし、また、それを原理として生まれたものでもない。より多数の人間が幸福だと信ずることが重要なのであれば、二宮尊徳の像でもじっと眺めていた方がはるかにてっとりばやいだろう。

(蓮實重彦『反-日本語論』(ちくま書房)P171)

―――――――――――――――

以下、付記します(13:53)。

ようは「国家を重んじるしかない」という主張は、「国家を重んじない人が一定以上増え、実際にそのように行為しはじめたら国家は立ち行かなくなる」という極めて遠い非現実的かつ悲観的な未来のことを語っているわけであって、私が以前から述べている「みんながそんな考えを持ったら」と同じ構造だということです。
つまり、非現実的なのです。
一部の人が、またはけっこうな人がそこそこに重んじていればそれで成り立つのが国家であり、共同体である、という現実について私は語っていて、彼は「一部の人さえ重んじない人がいてはいけない、ゴキブリだ」という風に考えているという差があります。
(たとえば大量殺人を擁護した瞬間に、当該人物を「殴ってよい」、と考えるのが彼の思想です)

それはそれで一つの主張ですが、そのような息苦しい国家がうまくいくとは思えません。
そんなのせいぜい中国と同じようになるだけじゃねーか、言論封鎖的方法(国歌斉唱!)によって個人の志向性を外的にいくら制御しても結局無駄じゃねーか、というのが私の主張です。


Re: 凸さんへ 300世帯 - 2008/07/06(Sun) 14:58 No.1321  

>例えば「勇敢」「律儀」の2つの言葉がまったく等価に「立派」という言葉でしか表されなくなってもさして問題ない

ここなんです問題は。例えば「萌え」は日本人の持つ独特の感性の発露です。昔では「ワビサビ」というものがありましたよね。
これらを英語や中国語のような外国語に、あるいはエスペラント語のような人工言語に置き換えることは出来ません。やるとしても「moe」とするしかないわけですし、それを外国人に体感させるのは難しいんですね。
そして何度も言うように「萌え」は日本人の独特の価値観の発露であるとともに、「萌え」という言葉によって日本人の精神が象られていくんです。
この言葉を保守するのでなければ「萌え」の文化も秋葉原系の風俗も、後世に伝え、繁栄させることはできません。
これがソシュールのリングイスティック・ターンなんです。「鶏が先か卵が先か」と同じで「認識が先か言語が先か」というのは、互いに醸成し合うようなものなのでしょう。
ある民族では「赤」と「薄紅色」をまとめて「red」と呼んでいたとしましょう。そうするとその民族は認識までもが色を差異化する能力を徐々に失っていくのです。しようと思えば出来るのでしょうが、しようとはしなくなりますね。これは活力・意志の減退を招きます。
このウィキにおける「知的」も独特の意味合いを帯びているようですが、このウィキの人々が独自の価値観を打ち立てて共同体を作るとしたら、「知的」という言葉とその(ウィキ的に)正しい遣い方を断固として守り抜くことを、強固なる意志とするのでなければ、永続せし事業体としての本当の「共同体」にはなれないのです。

私があなたの宅間に関する言葉遣いを批判したのもそういうことなんですね。あなたの説明を聞いて真意は理解しましたが、言葉の遣い方が間違っていたと言わざるを得ないんです。
ちなみにそれが誰にも影響を与えないと考えるのはあまりにも無責任です。
あなたが普段から何でもかんでも「うんこ」とか「うんち」とか言っているから、実際にそこのプリケツとタランチンコは言葉をきちんと仕分けする能力を失し、知性が破壊され、精神が腐乱し尽くしているじゃないですか。
「うんこ」も「ケツ」も「チンコ」も小学生が大好きな言葉ですよね。それをきちんと注意できない大人が増えたのは、確かにあなたのように「律儀」の意味をわからなくなった現代日本人の当然の行く末かも知れません。

>そんなのせいぜい中国と同じようになるだけ

それはこっちのセリフですよ。現代中国は社会主義国家ですから一度歴史を破壊したんです。
そして共産党が実質独裁体制のようなものを築いたからああなっているわけですよ。あんなものは永続しませんし、させてもいけません。
対して日本国家は昔から何千何百年と続く歴史があるじゃないですか。
あなたはどこかで「国は昔は故郷(くに)だった。近代になって国家が作られた」と書いてましたが、それはサヨクのプロパガンダです。
内面を見れば今も北海道から沖縄まで様々な内輪の問題があります。でも国家の外面を見れば、日本はずっと昔に「日出づる国」と呼ばれ、弥生人の渡来、仏教の伝来、律令制の導入、密教や禅宗の取り入れ、元こう、朝鮮半島および中国大陸との貿易、鉄砲およびキリスト教の伝来、オランダとの貿易等々、ケンカであれ取引であれ、国際的だったわけですよ。
そうして内輪揉めをまとめながらも国際関係を取り仕切る、そのやり方をネイション・ステートと呼ぶのであって、それは宙に浮いてるわけでも真空にあるのでもなくて、歴史的に醸成された確固たる共同体ですよ。
それをただ息苦しいと言うのは極めて自己に耽溺なのではないでしょうか。


Re: 凸さんへ モグの狂信者 - 2008/07/06(Sun) 15:32 No.1322  

あかんでぇ。あなたが綺麗な言葉とかあるべき姿勢とか語りだしちゃ。
あなたはそれを抜きにして勝負しかけてきていたはずなのに・・・
なんで自分のは棚に上げて、とつのは注意すんのさ。
それで攻めたいから急に丁寧な言葉を遣い始めたんでしょ?
ほかの奴と話すときは相変わらずだけどもさw
にせ59と同じやな。これは六7式のオセロでしょ?みんな好きやなぁ。


Re: 凸さんへ とつげき東北 - 2008/07/06(Sun) 16:10 No.1323(管理者)  

言語学についてのごく基本的な知識は抑えているつもりですし、実際に言葉=概念の発明によって鮮明化され認識可能になるモノ(というか、やはり概念)が存在することに疑いの余地はないでしょう。

しかしながらあなたが最初に私に提示してみせたのは、
>誰彼構わず無差別に人を殺すのは「悪」であるという絶対を前提としなくては
>言葉の意味体系そのものが瓦解すんの
という、驚くべき「発見」でした。

私はもちろんそんなことは信じないですし、例えば17世紀に「語彙の純化」政策によって共通項のあるものはたいてい1つの言葉に置き換えられてしまったがゆえに、語彙が著しく減少した「フランス語」を操る人々が、今日、数々の複雑なあるいは高度な概念を理解し得ずに四苦八苦しているのか、それとも日常生活において細かな機微を感じ取れないのか、といえばそのようなことはまったくないのです。
高校時代からの5年ほど、両親がフランスに滞在していましたが、フランス人はある種の事柄を「clair!」と感じ、日本人にとっては別の事柄をやはり「clair!」と感じているのです。また、日本人にとっては何が「明白、明晰、明るい」のかよくわからない事柄をも「clair!」と感じるわけです。

>ある民族では「赤」と「薄紅色」をまとめて「red」と呼んでいたとしましょう(中略)
>認識までもが色を差異化する能力を徐々に失っていくのです(中略)
>活力・意志の減退を招きます

といったことは、ことフランスにおいて、見渡す限り生じていないかに見えるのです。
いくら麻雀における牌の確率的偏りを「流れ」と捉えようが捉えまいが、さらにはそれを「天運」と「地運」に分化させて把握しようが、麻雀の強さは変化しないことと照応するのではないでしょうか。

「善悪」くらいのデカイ信念体系に関する語彙が一斉に削除されるともなればそれなりの変化はありましょうが、それは「社会全体での共通了解」としての善悪が、途方もなく崩れ去った後に起きる出来事であって、私個人やあなた個人が個別に善悪を相対化し、常に物事を例えば「損得」で把握するようになったからといって、世界やら共同体の言葉の意味体系はやはり変化いたしません。むろん私どもに「どんだけ善人やねん」といったツッコミが可能な限りにおいて、私どもの語彙は未だ一つとして失われてはおりません。


>ちなみにそれが誰にも影響を与えないと考えるのはあまりにも無責任です
>あなたが普段から何でもかんでも「うんこ」とか「うんち」とか言っているから、実
>際にそこのプリケツとタランチンコは言葉をきちんと仕分けする能力を失し、知性が
>破壊され、精神が腐乱し尽くしているじゃないですか。

う〜ん。
あなたは今回の議論において、2ちゃんねるに相当間違った書き込みないし非現実的な書き込み(既にここにおいて認められたものを含む)やら立ち回り(なんと2ちゃんねる麻雀板における多数決によって哲学的議論に何かの決着をつけようとしてみせるとか)をしましたよね。
私の個人ホームページの誤解を与えかねない発言よりも、そちらの方がよほど悪影響が大きいのではないですかね。
私は「共同体全体」の知性、などというものを守りたいと思う派ではないですし、ぷりけつの知性にいささかの疑念も抱いてはいませんが、もしそうした事態を心配されるなら自らを反省してはいかがでしょうか(嫌味ではなくて自己保身としてですよ)。

私は私の発言によってあらゆる場所で誰かが傷ついたり誤解することには自覚的です。同時に、私の発言によって何か新しい発見をする方がいることにも。
出版したり、何年も連載を続けているくらいですからさすがにそれは。
これに関しては、何度もどこででも書いていますのでご参照を(必要なら該当発言を探します)。


さておおよそ終わりでしょうか。

あなたは色々な知識を持っていますから、上記の2ちゃんねる等における振る舞いをことさらに批判したり、今回の議論の発端が何であったのか、随所であなたのどのような主張から何事が起きていたかをあえて攻撃的にまとめたりといった無粋なことはいたしません(今後何か途方もないことを続けるのでない限り)。
もちろんそちらがわざと取りこぼしてくれた私の失言もありましょう。


あなたは共同体の強固な意志ですとか事業体ですとか、そういった部分が好きであり、かつ維持してゆくことへの使命感めいたものを持っている。その場合の共同体とは「国家」的な、相応に強い結束を持つカタイイメージですね。
特に日本を愛しているようだ。共通了解として「善い」ことでしょう。
それで進んでいただければと。
そしてまた時折私の発言にイラっとしたら適当に突っ込みを入れてくれればと。

一方の私は、「家族」のような、いつ解散せられてもさして不思議とは言えないゆるい連携としての共同体をイメージいています。
例えば日本というのは、「日本のために!」必死で働く人の群れによって成り立っているわけではなく、真にその種の意志等を所有しているごく一部と、ある程度周囲に流されつつそれらしき迎合が可能な半分程度、それから日本という国から見れば「足を引っ張っている」としか思えない残り半分(無能公務員を含む。むろん私は含まない!)によって構成されているとイメージしています(比率は適当ですが)。

これが共同体のリアルな姿ではないですかね。
実際、あなたのように「日本イイ! 伝統イイ!」と思っている人は、まぁせいぜい、日本人の半数程度ではないでしょうか(もちろん実際に外国に行ってみてから「日本の良さに初めて気づいたワっ!!」と叫ぶバカどももカウントしてです)。


「日本を愛せ! さもなくばダメだ!」
という主張は、やはり息苦しい。鬱陶しい。
それを批判されても「いやぁ〜」としか言えません。
ただしそこから、
「そんな人ばかりになったら日本はどうなる!」
とか、
「じゃあ出て行け!」
といった主張につなげるとすれば、とんだ茶番ですよね、という話だと思います。
誤解であれば申し訳ないですが、私はあなたの主張からそのようなニオイを感じ取り、上記のとおり反論した形です。



Re: 凸さんへ 300世帯 - 2008/07/06(Sun) 16:41 No.1324  

そうですね。まぁ庶民のほとんどは昔からあなたみたいな考えでしょう。私も普段はそれどころではありませんし。しかしネットという公の場で日本語で書く時は少々気を付けた方がいいということです。
宅間がモテるなんて言ってもちっとも新しい発見なんてありませんしね。人権擁護派の変なオバハンと獄中結婚していても何も不思議ではないです。

あと、家族という共同体を守るために自殺する人を公共心がないというのかって話がありましたが、それと国家という共同体の利害関係は否定命題でないどころか合致しています。
問題は今の医療改革が貧困層に過大な負担をかけているってことですから。なのでむしろ家族が「おじいちゃん、おばあちゃん長生きしてね」と頼んでも、私の考えからすれば、年寄りは国家のために早いとこ自殺すべきでしょうね。
「後期高齢者に死ねというのか」とか抗議してる年寄りがいるらしいですけど、もうじき死ぬはずの年齢層を後期高齢者と呼ぶんですからね。そもそも「小さな政府だ」「自己責任だ」とかいう「平成改革」を主導してきた年齢層はこれからの後期高齢者ですし。
国のため家族のために死ぬイカした老人が増え、それに共感する若者が出てきたなら、日本はもっとまともな国になるかもしれませんね。

いずれにせよあなたの発言がどんな公共に寄与しているかが問題となったわけで、それが一部のコアなファンのためだというのはわかりました。しかしそうならば彼らのためにもあなたはきちんと約束通り60才くらいで自殺してくださいね。
私も自分のためだけに生きるみっともない人間になるくらいなら死にますし。そうした時に初めて私やあなたの言葉にも意味が出てくると思います。


Re: 凸さんへ とつげき東北 - 2008/07/06(Sun) 16:45 No.1325(管理者)  

はい、どうもありがとうございました。


Re: 凸さんへ 六7 - 2008/07/06(Sun) 17:09 No.1326  

最終的には「これはあくまで私の意見ですが…」みたいになってるが…。
美味しいデザート…。

あ、おれのオセロは「いじわるオセロ」だ。
一緒にすんなよ。


Re: 凸さんへ ちゃちゃ - 2008/07/06(Sun) 17:37 No.1327  

丁寧口調の彼はなんだか好きになれそうな気がした(大衆)。
なので60歳といわず今死んでこようと思います。


Re: 凸さんへ 観戦者 - 2008/07/06(Sun) 20:41 No.1328  

いやー今回は300世帯の水準の高さもあって面白かった。
お二方、おつかれさまでした。

感想をつらつらと。

・300世帯の「国家」や「民主主義」に対する心象は私などにとってはナイーブという他ないものだが、常識的な人々に訴えかける力はやっぱり強そうだなぁ。

・ハスミンは大衆の耳に障る真理でも断言するから気持ちいいね。現代の民主主義といえど、そのキモは「確率的な政権交代の発生装置」というところ。オストラシズムの時代から根本は変わってないんだよね。

・愛国心や共同精神が失われたせいで共同体が滅んでしまったような事例って何かあるんだろうか。いかにもありそうで意外と思いつかない。

・他国の侵略を受けた際などに、愛国心の盛り上がりによって国家が危機的状況を脱せられたケースは結構見つかるね。ダメなときはダメにしても。

・共同体の歴史的連続性を絶つような変革を行い、独裁になっても上手くいく例はわりとある(トルコ革命はさすがにすごすぎだが)。というか、不安定な変革時って内乱&干渉戦争でぐちゃぐちゃになりやすいからスピード感のある独裁体制を築かないと苦境を乗り切りにくいんだよね。そして首尾よく苦境を乗り切っても、独裁した奴がダメだと結果もダメになるというシビアさ。このあたり島国とか超有利。

・共同体の歴史的連続性を保つ形での変革は成功率が高い感じ。まぁここはGHQとかアウグストゥスとか、実質的には完全に絶っているのに名目上だけ残したケースをどう捉えるかによるか。

・市場のグローバル化に対抗する形で「愛国心」や「共同精神」が喧伝されるケースは反動的か否かを問わず要注意。大衆が扇動に乗って悲劇的なバカ騒ぎ、あーあやらなきゃよかったのにってことが多すぎ。

・歴史を俯瞰してみるに、やはり「共同精神」系の言論は基本的に眉唾でよさそうだ。アジテート率が高いし、その手のものが役に立つのはケツについた火がもう燃え上がってるような状況のみだしね。


Re: 凸さんへ 我打麻将 - 2008/07/06(Sun) 21:29 No.1329   HomePage

なんで 300世帯 → 300世帯 になったんでしょ。

アイスおいしかったー


無題 投稿者:. 投稿日:2008/06/25(Wed) 22:47 No.1265  
ここは宅間を擁護する馬鹿ばかりのインターネッツですねw
↓でも読んで勉強しろw
ttp://web.soshisha.com/archives/world/2006_1228.php


Re: 無題 とつげき東北 - 2008/06/27(Fri) 17:00 No.1266(管理者)  

リンク先はおもしろいしよくできた文章だけど、殺人が<絶対的な悪>かどうかは人や共同体等の構造による。

<絶対的な悪>というものがどのような権力的要請、個人の欲望等から捏造されていくのかについて触れられていないね。
結局時代的・共同体的風潮(特に損得に基づくもの)により個人に内面化される<絶対的な悪>とやら同士がぶつかりあうからこそ<悪>を悪として排除するという事態が頻繁に生ずるわけだが。

<絶対的な悪>とやらを作ったところで、それは精神的側面をのぞいてはまさに<相対的な悪>としてしか機能しなくなるのは自明であり、むしろ逆に<絶対的な悪>として固定化することが対立激化の引き金になる場合も多い。
アメリカは<絶対的な悪>であるからこそ堂々とテロで攻撃してもよくなったのだし、テロを起こした国家は<絶対的な悪>であるからこそ(国連の決定などを無視してでも)毅然と侵略戦争をしかけてよくなったのだ。
相手方が<絶対的な悪>でさえなければ、そのような破廉恥な行動はできようはずもなかろう。

宅間を擁護する必要も理屈も今の文脈で存在しないので擁護などしないが、上述の構造を理解せぬままに宅間を<絶対的な悪>として捉えて行動する形式から、差別や虐殺や戦争やらの<絶対的な悪>が生まれる。そして「相手側が絶対的な悪だ」と感じている限りにおいて、当該<絶対的な悪>は当人にとって<絶対的な善>にさえ変化する。

それが危ないということを論じているのが当ウィキだ。


Re: 無題 うまい - 2008/06/28(Sat) 14:33 No.1267  

自分や周囲の人たちが弱い立場にあるか将来そうなることを
イメージできる能力は重要だ。それは現実だからだ。

映画・小説・ドラマで弱い立場のエピソードがきちんと描か
れるようになることは望ましい。善悪の問題としてではなく、
現実の姿として、疑似体験する機会を与えてくれるから。

このウィキは、現実を直視する姿勢を前提としているような
ので、冒頭に述べた能力の養成にも役立つはずだ。ただし、
当人の姿勢の問題なので、勘違いしたままで通り過ぎていく
読者や発言者もいる。もちろんそれも自由。


Re: 無題 音頭 - 2008/06/28(Sat) 18:05 No.1268  

2ch「科学する麻雀」スレにて、名言wikiの「納得できない」の項目
ttp://toturev.sakura.ne.jp/totutohoku/index.php?cmd=read&page=%C7%BC%C6%C0%A4%C7%A4%AD%A4%CA%A4%A4&word=%C7%BC%C6%C0%A4%C7%A4%AD%A4%CA%A4%A4
にて凸氏と議論を交わしたH氏と思われる人物が、「俺は凸を数回論破した」と言い、以下のように主張しています。

――――――――――――――――――――――――――――――

すぐに戦争に結び付ける粕って釣りだよね?
宅間の場合は誰のためでもなく無目的に殺人を犯したんだよwww
手記の中で自分を悪魔だとも言ってるしなwwwwww

相対主義とか虚無主義とか150年以上前に流行ったイデオロギー持ち出して
ネットで殺人擁護、リアルで公僕とかマジ腹いてぇwwwwwwwwwwww

「絶対の善悪なんてない」←これさぁリアルで負け組のジジイが
見下されるのを恐れて発する逃げ口上なんだよねwwwwwwwww

無差別の殺人を擁護してどうやって社会を安定させるのか言ってみろよwwwwwwwwwwww
善悪は人間の生み出した価値観なんだから
お前らみたいに麻雀なんかやってる負け組のオッサンが独り言言ったって
昔からある言葉の定義は変えられねーからwwwwwwwww

いいか、ある集団において言葉の意味(定義)を定めればそれは絶対だ。
個人のオレ様解釈は言葉として意味を持たない。
なぜならもともと言葉は社会を作るための道具だからな。
自分ひとりで生まれ育って誰とも関わらなければ
善悪どころか言葉も観念も存在しない。

そして次に、ある集団、集団の定義を聞いて来た粕がいたので言い換えるとこの場合、
「(独自の言葉を持つ)共同体」において、無差別殺人が善とされた歴史はどこにもない。

凸が尊敬しているという、俺の先輩にあたる馬鹿学者・宮台真司の言葉を借りれば
「人殺しが悪いという根拠はない。
あったのは仲間のための殺しを善とする価値観と
仲間を殺すことを悪とする価値観だけ」ということになる。

これを低学歴の凸は「殺人してもええんやな。宅間は悪くない。宅間はモテるし」
という中学生も真っ青の間抜けな解釈をしてしまった。

しかし実際に宮台の言葉を敷衍すれば
「(仲間・共同体の概念も無く)無差別に殺人を犯すことは過去に許された例がない」ということになる。
つまり人類の歴史において「無差別殺人は絶対悪」ということになる。

――――――――――――――――――――――――――――――

「以上を見れば凸は黙らざるを得ない」らしいですが、いかがなものでしょうか。


Re: 無題 ゴーゴー大小便 - 2008/06/29(Sun) 05:48 No.1269  

科学する麻雀スレなんか読んでないが
絶対悪がどうのこうのいうところで突然
「150年以上昔に流行った」とか「社会を安定させる」とか「麻雀やってる負け組み」いう話が出てくるなんて
頭がおかしすぎる。にちゃんねるのレベルなんてそんなものでしょうけどね。


Re: 無題 とつげき東北 - 2008/06/29(Sun) 12:49 No.1270(管理者)  

>音頭氏

スレッドをさらっと見てきましたがすごい量の書き込みですね。
頭のよろしい代表者(もちろん彼本人でもかまいません)が、主張を要約してここに書き込み、当該人物のみと議論することなら可能かと。
麻雀の世界で確率論を唱えても無視されたり不当に扱われるのと同様、バカが大勢いる場所でまともな議論などできるはずがありません。それに私は2ちゃんねるに書き込みを行えない立場にいます(「何か」があった際にある種の対応が困難になるからです)。


ところでそもそも、私が
>ネットで殺人擁護
をしているといった旨についてですが、具体的にどの発言を指しているのでしょうか?
むろん文脈によってはそのように発言していることはあるかもしれませんが、少なくともここに引用された範囲での彼の認識は誤りです。

>無差別の殺人を擁護してどうやって社会を安定させるのか言ってみろよwwwwwwwwwwww

も含めてですが、私は「制度としての名言」において、宅間氏をして「制度の正しさを信じず、かつ秩序を守ることもできない」Dタイプに分類し、「世の中にはDタイプなど存在しはしないのだ」という社会的共通了解(マスコミの論調を含む)こそが、実はDタイプを精神的に追い詰めている(社会的承認の機会を奪っている)のだ、と論じています。
獄中の宅間氏には「同じDタイプの人々」から共感とファンレターが山のように届いたわけであって、その種の事実に反して「Dタイプの存在など信じられない」と視界から消す(いわば性善説を信じる)ことを愚行としています。

同時に、
>彼(※宅間氏を指す)をかばったり擁護したりするつもりは全くない
と付け加えてもおります。

で、「殺人擁護」とかというのはどこから出てきているのでしょうか?




先に述べた社会的共通了解とは、言ってみれば「他人はこういう風なことを信じているはずだ」といった了解が相互にあるいは共同体の内部で共有し得るようなコミュニケーション基盤です。
「他人に迷惑をかけてはならない」と「みんなが(相手も)思っているはずだ」といったようなものです。
仮にそれが成立し、事実皆がそう振舞う限り、関係は安定するでしょう。

ところが、そうした共同体内部での社会的共通了解を持たない者、すなわち共通了解とは嘘のもの又は制度的なものでしかない、別にそれほど気にするほどのものでもない、と気づく者が恐らく増えています。
インターネットの登場、学校裏サイトの登場、凶悪な悪人が増えているといったような論調のマスコミの言説、マスコミや先生の言説に紛れ込む「嘘」に関する情報の開示、共通了解をあえて覆すコミュニティの誕生……等々、近年は共通了解という基盤がいとも容易に揺らぐ機会が増大しております。

その中から生まれるであろう「Dタイプ」を救うのに必要なことは、旧来の道徳教育(つまり上のサイトで述べられている<絶対的な悪>の存在を彼らに信じさせ、その内容をも暗記させること)などではなくて、むしろ共通了解などしょせん共通了解でしかないのだ、と真摯に教え、その中でどのように振舞うべきかのタネ明かしを教示してやることだ、といった旨で記述しています。

というわけで、彼の「とつげき=無差別殺人擁護」論は根本的に間違いです。

以下で端的に彼の曲解がわかります。

>凸が尊敬しているという、俺の先輩にあたる馬鹿学者・宮台真司の言葉を借りれ
>ば「人殺しが悪いという根拠はない。
>あったのは仲間のための殺しを善とする価値観と仲間を殺すことを悪とする価値
>観だけ」ということになる。

(当たり前ですね)

>これを低学歴の凸は「殺人してもええんやな。宅間は悪くない。宅間はモテるし」
>という中学生も真っ青の間抜けな解釈をしてしまった。

(まったく違いますね。悪意あるいは無能に起因して、相手の主張を曲解し「悪い」ものに仕立て上げ、当該「悪い」ものを攻撃することによって「勝ち」を捏造する大衆議論テクです)


細かい部分で、

>人類の歴史において「無差別殺人は絶対悪」ということになる

ですが、上に引用されたサイトの意味での<絶対的な悪>の定義でしたら、間違いですよね。
彼の言う「絶対悪」というものの定義は一体何なのでしょうか?

宅間氏はテロ的な殺人を行った。「ちっとも反省していない」。
ところが、そんな彼にシンパシーを感じた人が大勢いた。
彼らは少なくとも「自分(たち)を追い込んでいる、エリートの牛耳る社会(という幻想的なもの)」に対するテロ的行為を<絶対的な悪>とは信じていない、実在する人々です。
「現代の日本」という抽象的な「共同体」の中にあって現実として生じたこの一連の事態を前にしては、空間的な意味での「共同体」の有無など無意味です。
<絶対的な悪>なる概念をわざわざ作り、教育をすることによって「彼ら」を救うことができる、と信じるのはあまりにもバカげています。
実際にどれだけ悪を叩こうとも、それが一般に正しい行為だと信じられていようとも、サカキバラやら秋葉原事件の模倣犯的なものが次々と生じているではないですか。


魔女狩りが行われた際、<絶対的な悪>としての「魔女は悪い」という概念を武器として、恣意的に人が魔女に指定されました。気に入った娘やむかつく女性などを魔女とし、司祭たちは教会に彼女らを連れ込んで姦淫(むろん当時宗教的に禁じられていた行為です)・乱暴・暴行を働き、拷問し惨殺しました。
<絶対的な悪>を作ることによってむしろ自分の中にあったはずの<絶対的な悪>を見逃す口実を作る、ということが可能になってしまったのです。

ですから私は基本的に上記サイトのように<絶対的な悪>とやらをわざわざ捏造するという主張(上記サイトにおいてはそれはもともと存在するものとされていますが)にはまったく反対します。
それは時代からの逆行です。
<絶対的な悪>を信じない人々が増加した現代においては、そうした人々に対して<相対的な悪>しかないんだ、という自覚を教えることがぜひとも必要です。



今回は特別サービスです。
最後に念を押しておきますが、必要であれば、引用だの何だので意見を求めるのではなく、「話の通じる代表者」が、自ら主体となって当掲示板で議論を行ってください。
莫大な垂れ流しへのリンクを張って「これについてどう思います?」は自重願います。


Re: 無題 音頭 - 2008/06/30(Mon) 09:06 No.1271  

特別サービス、ありがとうございました。議論の進行に関して、H氏本人はこの掲示板が凸氏の管理下にあることをもって「フェアじゃない」ことを理由に2chでしか議論しないそうですので、凸氏の事情と合わせて直接対決は不可能のようですね。代弁者も現れませんでした。内容が込み入っていて私にはよく理解できないので「主体」になれそうもありません。ですので以下の内容はもうスルーして下さっても結構ですが、一応書くだけ書いてみます。

「殺人擁護」のソースは恐らく複数の人が彼に尋ねているのですが、どうも具体的な返答は得られていないようです(流れが速すぎて全レスの確認まではできていません)。また、彼の言う「絶対的な悪」の定義は明示されていませんが、以下の3つの文章から読み取れます。

↓―――――――――――――――――――――――――――――

認識っていうのは確かにもともと主観だから相対的だなw
でもそれで話を終えるなら個人は黙って暮らせばいいww
全て相対的に決まるのなら互いの仮説の優劣を定めようがないからなww
でも協力して社会を作った方が自分にとっても得だから
やがて人類は言葉を操るようになり、認識を互いに確認し合うようになったわけwww
そして何が「良い」ことで何が「悪い」ことかを模索、
つまり他者と会話をして「善」を志向し始めたわけだw
これが哲学は対話だと言われる理由なwww
だから善悪は言葉の中でも最も根元的であると同時に公共的な概念であり、
そうである以上仮定としても「絶対」を置く必要があるわけなんだよwwwwww

いいか?w誰彼構わず無差別に人を殺すのは「悪」である
という絶対を前提としなくては言葉の意味体系そのものが瓦解すんのwwwwwwwww
「これ以上ない悪」でもいいし「究極の悪」でもいいわけだwwwwww
つーかお前もしや「絶対的な悪」だったら認めるのか?w

「(仲間・共同体の概念も無く)無差別に殺人を犯すことは過去に許された例がない」ということになる。
つまり人類の歴史において「無差別殺人は絶対悪」ということになる。

↑―――――――――――――――――――――――――――――

つまり「善悪」という言葉は社会で使用されるため、社会の外部における「悪」の概念は無効であり、「悪」を語れる次元は「社会」のみである、というのが彼の「善悪論」かと。そして「社会」の全ての歴史において例外無く無差別殺人が悪とされていることと合わせて「宅間守は絶対悪」と主張している模様です。上のリンクにおける<絶対的な悪>とは違うようですね。また、凸氏の上記レスに対しては以下の主張をしています。

↓―――――――――――――――――――――――――――――

差し当たり凸が新しく書いた文章に対する突っ込みは3つかwwwwwwwww

まず「>Dタイプに属する人間が存在しないと信じてる」人間なんてほとんどいないだろwwwwwwwww
制度を信じず秩序も守らん奴がいるのは誰でも知っとるわいwwwwwwwww
かなり世間ずれしとるなアホ公務員めwwwwww
そして今の日本にはそういう奴に「>社会的承認の機会」を十分与えとるだろwwwwwwwww
思想の自由、信仰の自由はもちろんのこと、
凸みたいなクズにも政治結社を作る自由すら与えられとるわけだからなwwwwwww

次に「>共同体内部における共通了解」とやらに
無差別殺人を是とする思想は論理的に包摂され得ないということwwwwww
共同体の存在と無差別殺人は否定命題だろがwwwwwww

最後に宅間にシンパシーを抱く人間が実在することは
悪が悪に共感しているだけに過ぎないということwww
宅間は法廷に「WHITE DEVIL(白い悪魔)」の文字が入ったTシャツを着てきたからなwwwwww
宅間ファンは「悪」を「悪」と認めた上で共感しているんだろうが
凸は「悪」を「悪と言い切れない」と言い切るところに自家撞着があるわけだwwwwww

↑――――――――――――――――――――――――――――


Re: 無題 我打麻将 - 2008/06/30(Mon) 15:38 No.1272   HomePage

問題.
数列 {1, 2, 2, 3, 1, 3, 6, 1, 9, 6, 1, 9, 9, 9, 6, 9, 7, 6, 7, 3, 6, 6, ...}
の規則を求めよ.


Re: 無題 とつげき東北 - 2008/06/30(Mon) 19:39 No.1273(管理者)  

>音頭氏

では、書きます。

>認識っていうのは確かにもともと主観だから相対的だなw
(中略)
>これが哲学は対話だと言われる理由なwww

まあいいでしょう。
次が問題です。

>だから善悪は言葉の中でも最も根元的であると同時に公共的な概念であり、
>そうである以上仮定としても「絶対」を置く必要があるわけなんだよwwwwww

別にそうではないですね。
人を、次の4パターンに分類してみましょう。
(1)絶対的な悪の存在を信じている
(2)絶対的な悪の存在は信じないが、「公共的」なもののために「絶対的な悪」という幻想(社会的共通了解)が常に必要となると考えている
(3)絶対的な悪の存在は信じないが、「公共的」なもののために「絶対的な悪」という幻想(同)が状況によって必要となる(逆に不要となる場合もある)と考えている
(4)絶対的な悪の存在を信じず、「公共的」なものはどうでもよいから「絶対的な悪」という幻想(同)もまったく必要ないと考えている

当然私は(3)の立場です。
特に「公共的」という言葉が意味するものが抽象的な場合にそうです。

彼自身はおそらく(2)であり、彼が想定している私の像は(4)、しかも当該「悪」をまるで実行でもしてしまいそうな虚構の私です。

その誤認は、彼の、
>これを低学歴の凸は「殺人してもええんやな。宅間は悪くない。宅間はモテるし」
>という中学生も真っ青の間抜けな解釈をしてしまった
とか、
>凸は「悪」を「悪と言い切れない」と言い切るところに自家撞着があるわけだwwwwww
といった狂った発言に露呈しています。

また、彼が(2)であることは、
>誰彼構わず無差別に人を殺すのは「悪」であるという絶対を前提と
>しなくては言葉の意味体系そのものが瓦解すんのwwwwwwwww
という発言からわかります。

私は(3)ですから、例えばこの掲示板の下のスレッドにおいて、絶対的な悪を必ずしも前提とせずに語っておりますが、
>言葉の意味体系が瓦解
するなどという事態はいささかも生じておりません。
宅間氏を「絶対悪」と前提とすることなしに、宅間氏のような凶悪犯罪を抑制する方法の例として残虐刑を取り上げております。
(ちなみに……日本の刑務所システムにおいて、死刑囚は懲役囚とまったく異なり、きわめて安楽な毎日を送ることが可能です。テレビも見れますし、役務もありません)
このように、善悪に関する対話は健全に成立しており、彼の予言は見事にハズレているわけです。
彼はこの現象をどのように説明するのでしょうか。

彼の間違いは、
・(1)や(2)でなければ(善悪の議論における)言葉の意味体系が瓦解する
・(3)のような存在は、きっと犯罪とかするに違いない、プゲラwww
といった抽象的な信念ないし理想主義的な願望に潜んでいます。
何よりも、(3)でなければ語りえぬ事柄が実際に数多く存在することを無視しています。


>「(仲間・共同体の概念も無く)無差別に殺人を犯すことは過去に許された例がない」ということになる。
>つまり人類の歴史において「無差別殺人は絶対悪」ということになる。

だから何でしょうか。
宅間氏がもしも「エリートの牛耳る腐った社会へのテロ」としてあの犯行を行ったとすれば、そうでなくとも、そうであると解釈した人々にとっては、宅間氏は「絶対悪」ではなくなってしまう可能性があります。無差別ではないのですから。国家中枢を狙ったオウムのテロも同じだったでしょう。

絶対悪を前提とした瞬間に、そうでない人との理性的対話の可能性は論理的に消え去ります。
それでも良いのですか。
また、そんなあやふやなものを「絶対悪! 絶対悪!」と主張してやまないことに何の意味があるのでしょう。

政策決定の場、テレビニュースなどの典型的な意味における「公共的」な空間では「宅間は絶対悪だ!」という前提を置く必要が当然あるでしょうが、そういった多数決的な、大衆向けのどうでもよい戯言と無関係に分析を行う場にあっては、彼を「絶対悪」と呼ぶかどうかなど瑣末なことだと言っているのです。

「やつらは絶対悪だ」と叫ぶこと自体が政治的・人間関係的パフォーマンス以外としてほとんど機能せず、それどころかアメリカのイラク侵略戦争時のプロパガンダのように、(1)であるような者たちが自らの国が今犯そうとしている「絶対悪」を正当化するために機能してしまうことを指摘しているのです。

こうした「絶対悪の正当化」という反作用的側面について、彼の弁明はありますか?


後半部分ですが、上述の理由により、悉皆(1)(2)タイプを作るなどということにはまったく現実味がないし、悪用される恐れも強いというのが私の主張であり、じじつ、共同体内で流布してきた「絶対悪」の概念の広まりに反して、無差別殺人やら侵略戦争の正当化が現在進行形で起きているではありませんか。
この事態を把握するために必要なことは(3)の理性的な立場に立つことであって、「無差別殺人は絶対悪だからwwwwとつげきプゲラwwwwwwww」的に反応されても、「ヘェ」としか返せません。
私が「では、宅間は絶対悪として話しましょう」としたら、この議論の何が変わりますか?


以上が意見として対立しているであろう部分です。
本人による有意義な書き込みがなければ原則として打ち切ります。
以下余談です。


ところで、彼は
>哲学は対話
といいました。

では彼は対話をしようとしているでしょうか。

彼は私を過去に「論破した」と主張しており、当該ログは改ざんも削除もされずに本ウィキに残されています。
にもかかわらず、彼はこの掲示板に何か書くと「改ざんされる可能性があるからうんぬん」「IPを抜かれて『君は昔おれに賛同していたくせに』と話をはぐらかされたらうんぬん」(アホですか?)などと言って、ここに書き込もうとはしません。
※私が自分に都合よく書き換えるとしたら、真っ先にその「論破されたログ」を消すのが合理的であると気づかないのでしょうか?

彼は『科学する麻雀』スレにおいて、6月27日にはなんと27レスもスレ違いはなはだしい書き込みを繰り返したほど私に意見があるというのに(トリップのみで判断)、不思議なほど対話をしようとしないのです。正確には、ここに書き込もうとしないのです。

「言葉の意味体系の瓦解」とやらへの杞憂のあまり、被害妄想にでも陥っているのでしょうか。
それとも、何か特別な、特有の事情があるのでしょうか。

例えば、彼が今滞在しているはずのニューヨークから本掲示板に書き込みをすると、不可思議なことに「xxxx.mie.ocn.jp」などと表示されるといった事実でもあるのでしょうか?

※別にその部分の真偽はどちらでもかまいませんが。


Re: 無題 音頭 - 2008/06/30(Mon) 20:34 No.1274  

レスありがとうございます。私自身は議論の詳細部分まで明確に理解している訳ではありませんが、H氏からの反応があったので転載します。しかしこうやって第三者が転載するくらいなら彼自身が書き込んだ方が良いと思うのですが、それをH氏がしないのは、改竄云々ではなくやはりIPに関する何がしかの事情があるのでしょうね。

――――――――――――――――――――――――――――――

じゃあお前は社会の共通了解とやらにおいて、
無差別殺人が悪にならない場合を挙げられるのかと。

あと会話が成立してんのは俺が譲歩してやってるからだろ。
認識のすべてを相対化した人間と話をする意味などない。

逆に言えば向こうも言葉の意味を信じてるから発話できてるんだろ。違うか?

――――――――――――――――――――――――――――――

ちょっと有意義な書き込みではないかもしれませんね・・・。


Re: 無題 音頭 - 2008/06/30(Mon) 20:36 No.1275  

追加です。

――――――――――――――――――――――――――――――

あと凸が宅間みたいな犯行を減らすのに残虐刑が有効とか言ってるが
残虐刑を科してよい理由はなんだ。悪だからだろ。
あと俺が凸が犯罪を犯すと思っているっていうイメージ論法は辞めろ。
お前に人を殺す度胸などない。

――――――――――――――――――――――――――――――


Re: 無題 音頭 - 2008/07/01(Tue) 00:35 No.1278  

更に追加です。

――――――――――――――――――――――――――――――

>宅間を絶対悪としたところで凶悪事件は減ってない

お前も自然と悪って言葉使ってんじゃねぇかよ。
そこで宅間は相対悪に過ぎないということによる社会的メリットの方がもっと少ないわな。
日本はむしろ道徳教育が足りんのだろ。
神なんていない、あの世なんてない、無差別に人殺ししても地獄に行かない・・・
凸が何を勘違いしてるか知らんがそんなことは小学生でもわかっとるわ。

あと俺に昔論破されたのに改ざんしてないんだから名言ウィキはフェアだ
っていう主張はどういう大衆論法だ?
一見類似しているが全く違う案件を持ち出して
その差異(自分の落ち度)を消滅させようっていうクソ論法だわな。
アナロジカル・ディレイトとでも称して新しい項目作っとけや。
前回お前が論破された時は毎時間毎時間誰かに注目されてたから改ざんする隙がなかっただけだろ。
今回は12時47分に書き込んだ後14時過ぎに文章を付け加えただろが。
そうやってお前が適宜文章を訂正していて、俺がそれを出来ない以上はフェアとは言わん。

もっと常識的に考えられんか?
今まで無差別殺人をして善とされた奴がどこにいんだ?ん?
どう考えても絶対悪だろうが。

宅間がエリート小学生のガキを殺したということで
無差別殺人じゃないとするならそれはまぁわかるが
それなら宅間はさておき「無差別殺人」に関しては絶対悪と認めざるを得ないだろうが。

凸の提示した(2)と(3)の違いの話だが
共同体においては常に絶対悪の概念が必要というのが俺で
凸は相対的な悪が必要な場合と必要じゃない場合があるっていうことだよな?

だったらお前は既に論破されてるから。
どんな社会でも秩序が必要で、秩序を守らん奴を悪と呼ぶんだから
悪が必要じゃない場合などない。
社会を超えて社会について議論してるこの瞬間にすら
お互いがお互いの日本語の意味を理解していると信じるという秩序があるわけだ。

ここを否定して全て相対化するなら1+1=2とは言い切れないというレベルのクソ論法に堕ちる。死ね2浪のくせに。

――――――――――――――――――――――――――――――


Re: 無題 とつげき東北 - 2008/07/01(Tue) 03:02 No.1279(管理者)  

今見てきました。
まさにゴミの遠吠え状態なので、もういいんじゃないですか。
うんちめいた部分は無視して、いくつかだけ。

>間引きはガキを対象にしてるから無差別殺人とは言わん

宅間もガキを対象にしてました。
無差別ではないのですね。
以上。

>宅間はさておき「無差別殺人」に関しては絶対悪と認めざるを得ないだろうが

宅 間 は さ て お き !?
今までずっとこだわっていた宅間の例示は何だったんですか??
私を攻撃していたのは、最初から「宅間=無差別殺人犯」の擁護という観点に基づいていたかに記憶していますが。
こともあろうにその宅間を「無差別殺人ではない」と認定するとするなら、その場合の「無差別」という概念こそ、私の言う「抽象的」な概念に他なりません。
宅間が「無差別ではない」ならば、「自分の周囲で幸せそうに見えた(と当人が感じた)人を殺す」でも「無差別とは言い切れない」レベルではないですか。
ここにおいて、もはや彼の「無差別である/無差別ではない」という分類は、具体的にはほぼ何も示していないのです。
そして、そうなることがあらかじめ容易に想像でき、そうなるに違いないからこそ「絶対悪」とは結局「相対悪」的なものにならざるを得ないのだ、と私は一貫して述べてきました。
残念です。

>もっと常識的に考えられんか?
>今まで無差別殺人をして善とされた奴がどこにいんだ?ん?
>どう考えても絶対悪だろうが。

思考放棄して「常識」に戻りましたね。
哲学=対話はどうしたんですかね。
常識の話をしていたのですか?
常識を言いましょうか。私はとてもよく常識を知っています。
「犯罪は悪です。宅間が無差別殺人犯ではないなど、常識外れです。」
以上。


あとはまあ、福地さんがどうとか、2浪がどうとか、掲示板の権限がどうとか、そんな話になっていますね。
超どうでもいい。


何よりも、彼は私の提示した議論の根幹部分に一切答えられていない。

・絶対を措置することによってどんな新しい分析ができるのかという問いに対する回答
・絶対を仮定しないことによってこそ初めて議論(対話=誘惑)の余地が生まれる範囲が存在するという事実に関する反論
・絶対的悪を設定することによる反作用に関する説明

どれもできていない。
やろうともしていない。
そこが重要だとも気づいていない(か、目をそらしている)。


彼は、「ニューヨークにいて」、「2浪ではなく」、「2ちゃんねるで堂々とw議論した」という点で私に勝ったもようです。
幸い、彼のシンパ又は彼自身の手によって「2ちゃんでのとつ擁護はとつの自演」ということにもなっていますね。
大団円、よかったじゃないですか。
しかしね、せめて彼はここに何か書き込めればよかった。
勇気くらいは認められたでしょうし、IPアドレスから「うお、本当にニューヨークにいるんだな」という水準の正当性くらいは取れたんです。
つまり、骨を砕かれて肉を少し削ぐくらいのみみちい反撃はできたはずなんです。

まあいいですよ、彼の「3連勝」で。
教条主義者の典型的な末路です。

さすがにもう閉幕でよろしいでしょう。
以後関与しません。
続きがあるとすれば、それこそ「優秀な凸信者」に引き継ぎます。

おつかれさまでした>音頭氏


Re: 無題 音頭 - 2008/07/01(Tue) 08:30 No.1280  

レスありがとうございました。
正直なところ最後の方はもう転載しなくて良いかな、と思うくらい低水準でしたので、閉幕でOKです。
実際のところはこれで凸氏の「2連勝に限りなく近い1勝1分」ってところでしょうねw
おつかれさまでした。


Re: 無題 音頭 - 2008/07/01(Tue) 08:58 No.1281  

↓―――――――――――――――――――――――――――――
えーっと凸によると、俺の3連勝らしいね。勝ちは決まったけど一応反論してるみたいだから最後までコピペお願いします。>音頭氏
↑―――――――――――――――――――――――――――――

とのことですのでもう凸氏が答える必要もないかと思われますが一応最後に転載しておきます。

↓―――――――――――――――――――――――――――――
俺は「宅間=無差別殺人犯」と判断してるから「宅間=絶対悪」だと思ってるぞ。
でも「宅間氏は勝ち組を殺したから負け組から共感を得た」と言って、
負け組からすれば、さも宅間が「善」であるかのように議論を進めたのは凸の方だろ。
それに俺が「宅間はさておき」と言ったのは、当初凸自身が「無差別殺人」に対して、「憧れ」や「まっとう」という言葉を用いていたから。
そして「無差別殺人」が具体的なものを示さない抽象論だというのは誤り。
秋葉原通り魔事件はまさに「無差別」だよな。犯人は「誰でもよかった」と言ってるし。
まぁ宅間に関しても結果はガキになっただけで本当は誰でもよかったんだろうから実質無差別だと俺は判断してる(議論の余地はあるが)。

次に凸の質問に対する回答な。
>・絶対を措置することでどんな新しい分析ができるのか

そうじゃなくて俺は当然の前提を覆すなと言ってるんだろ。
新しい分析をしたければ「無差別殺人は悪」という自明の理を前提に、そのイラク戦争についてでも自分でよく考えてみろよ。
俺の意見はこう。アメリカはイラクに大量破壊兵器があると仮定(イラクを差別)して先制武力攻撃を始めた。
しかし実際にそんなものはなかった。だから結果的にそれは(差別の仕方が誤っていたという意味で)無差別殺人であった。
だからアメリカは悪である(後にブッシュも非を認めている)。こういうのがまともな議論だろ。
加えて言えば日本は自衛隊派遣をすべきではなかったということになるわな。
お前さんみたいに「アメリカもイラクも相対的悪に過ぎん。どっちもどっち(´□`)」
とか言ってるようじゃ「新しい分析」どころか、むか〜しむかしからいるバカの思考停止状態と同じだろ。
まぁ日本の政治家もお前さんみたいに思考停止してたから「隣に恐い中国がいるし、当座の国益を考えてアメリカについておくかぁ」ってな具合に
アメリカの悪に加担するという汚名を残してしまったわけだよな。

>・絶対を仮定しないことによって生まれる議論の余地について

じゃあ無差別殺人を悪としたら消える議論が一つでもあんのか?
「善悪なんて全部主観」←これこそが議論の余地を全て抹消するんだろが。

>・絶対悪の正当化による反作用

これも凸はイラク戦争の話を例に出してるが、自分以外の宗教を認めない宗教原理主義は俺も反対だ。
しかしキリスト教であれイスラム教であれ、ビンズー教であれ儒教であれ、無差別殺人はみんな悪としている。
「絶対」という言葉にアレルギー反応を起こしてるだけだろ凸は。

これで質問にはきちんと答えたが、凸も俺の質問に答えてないよな?
・無差別殺人を是とする者達が構成する具体的、現実的な共同体は存在し得るか
・宅間ファンは宅間が「悪」だからこそファンになったのではないか
・価値は全て相対的だと教育することによって負け組の言い訳(俺は絶対的には負けてない)が横行したり、若者が無気力になったりすることはないか
・俺とこうして議論をするということ自体が、自分が相手の言葉を正しく認識し、相手が自分の言葉を正しく認識したのだと、絶対的に信じていることになりはしないか(意思が通じ合うという意味ではない)
・「絶対的な悪」という幻想が共同体内に必要にならない場合がある、とはどんな場合か


これだけの冷静な反論と、決して感情的でない批判をしても、もう凸は議論に関与しないらしい。
優秀な凸信者さんとやらがいるならば、理由を書いて、発言に責任を持った上で、勝手にどちらかに軍配をあげてくれや。
↑―――――――――――――――――――――――――――――


Re: 無題 とつげき東北 - 2008/07/01(Tue) 19:29 No.1282(管理者)  

愚問の数々には答えません。
かわりにまとめ的に語らせていただきます。


すべては彼のこのあたりの着想から始まったのではなかったですか。

>当初凸自身が「無差別殺人」に対して、「憧れ」や「まっとう」という言葉を用いていた

これが彼の倫理観だか何だかにひっかかったのでしょう。

無差別殺人への願望を持つ人間が存在するのは自明です。
そして、残虐刑が怖く、死刑なら怖くないという感覚を持つ人間が存在するのも当たり前です(それが私の言った「まっとう」ということです)。
ところが彼はそこでいきなり「とつげきは宅間擁護」と騒ぎ始めたのです。

少しだけ頭を使って考えてみましょう。
世の中の多くの若い男性はしばしば、街中を歩いている美しい女性を見て「エッチしたい」と思います。
ことによると、レイプしてでもそうしたいと(あくまで満たされるべくもない願望として)思う場面もあるでしょう。
ごくまっとう、ごく正常です。
ただし、彼らがそれを実行に移すかといえば話は別です。
この種の私の想定を受けて「とつげきはレイプ擁護者」と早とちりした彼が「全て悪い」。

この大衆に典型的な早とちり術に関しては、本ウィキ内の
 →みんながそんな考えを持ったら
あたりで詳細に論じられています。

――――――――――

で、彼。
虚偽、誇張、悪意ある曲解を全面的に盛り込んだ、勘違い・スレ違い・気違いと三拍子揃ったゴミ書き込みを星の数ほど投下しておいて、ようやく真面目に(?)発言してきたというのに、まだ問題点を整理しきれていないのです。


一つのアナロジーを示しましょう。
例えば共同体にとって「良い」制度、「全体の利益」になるような制度の設計を考えるとします。
「全体の利益」は、例えば個人の利益の総和ですとかあるいは善性など、とにかく「何か適切な」パラメータで与えられます。
例えば「殺人犯」にはマイナス20点とかです。
コンピュータで色々なシミュレーションを行い、「全体の利益」が比較的高くなるであろうパラメータがある程度把握できたとしてください。
その中において、例えば宅間氏の行為はマイナス10000点になりました。
次に、「さらによい共同体に改善する」ために、こうした、マイナス10000点の行為を起こさせないような社会システム(このアナロジーではプログラム的な意味になります)を作るため、どう制度を変更すべきか検討することとなりました。
ここで突然、ある人が叫びます。
「定数 ZETTAIAKU というものを作り、ZETTAIAKU=−10000にしよう!」
周囲の研究者はきょとんとしています。
プログラム上で、宅間氏の行為に-10000点を与えようとも、ZETTAIAKU=-10000としてZETTAIAKU点を与えようとも、何一つ結果は変わりませんし、よりよい共同体を作るために立ち上げられたこのプロジェクトには、変数の呼称など何のかかわりもないからです。
もし変数名によって結果が変わるなら、それは単にプログラムのバグでしかありません。
これを聞いて、オッカムという名前の研究者が言いました。
「ヒゲ剃ってこようっと……(Entities should not be multiplied beyond necessity)」
プログラマは、言われたとおりにZETTAIAKU=-10000とする代わりに、遊び心で、WAROSU=-10000として計算を行いました。
結果は同じでした。

ただし、「絶対悪」と呼ぶことによって、人々を扇動したり、政治的プロパガンダに利用できることはわかりました。
何ら絶対的な悪とは無関係であっても、そう呼ぶことで人々の感情に訴えかけることができるからです。
倫理学など教義学の講義などにも最適です。
コンピュータによって精密に計算された、宅間に与えられる「べき」評価は、本当は「ZETTAIAKU」ではなく「ワロス」だったのですが、誰も気づきませんでした。

「つまり呼称やらレッテルなど分析にとってはどーでもいい。死ね。相対的に死ね。」

以上が私が今まで述べてきたことです。


―――――――――――――――


>俺は当然の前提を覆すなと言ってるんだろ。
>新しい分析をしたければ「無差別殺人は悪」という自明の理を前提に、そのイラク
>戦争についてでも自分でよく考えてみろよ

私はかつて述べた(1)の人々、ZETTAIAKU的に信じられる形式の「善悪」の言葉に踊らされて愚行を働く人々の典型行動、思考様式等を、当ウィキで種々分析してまいりました。
タバコは健康に悪いとか、その他さまざまな項目で「新しい分析」が行われ、論争等も行われ、それは時に笑いを提供し、場合によっては人々の知的好奇心を刺激してまいりました。
イラク戦争について事細かに語る趣味はありませんけれども、私自身が、自明でもなんでもない「理」から出発して、さまざまな仮説を立てて対話や分析を行っているのは確かです。

それに対して彼は、絶対悪という言葉を必ず前提として使わなければならないような教義学を構築しようとしているもようです。
>日本は自衛隊派遣をすべきではなかった
といったような結論を導くための。
そのような結論にはあらゆる反論があり、賛成もあり、それこそ教義同士だけに留まらず感情同士の泥沼戦にさえなるというのに、ロールズセンセイ的な「絶対悪論」でも完成させるのでしょうか。
成功すると良いですね。

「哲学は対話」とかかっこいいことを言ったくせに、超バカにしているはずの相手との対話を拒み、2ちゃんねるに鋭い分析の代わりに莫大な量の子供じみた悪口を書き込み、IPを見られることを神経症的に恐れ、プゲプゲ言っている段階では難しそうですが。



>>・絶対を仮定しないことによって生まれる議論の余地について
>じゃあ無差別殺人を悪としたら消える議論が一つでもあんのか?

「Xである」という仮定を設けて、
>当然の前提を覆すな
としてXを大前提にまで昇格させれば、Xではないという立場からの理性的考察は不可能になります。簡単ですね。
「天動説」という「当然の前提」を覆すことが認められずに、ジョルダノ・ブルーノは火あぶりにされたのでしたね。アインシュタインは量子力学的解釈に最後まで反対し続けました。物理学でさえそうです。いわんや倫理学・社会学をや。
まあそんな歴史的な仰々しい話ではなくて、何より、彼はそのXさえもうまく作れなかったのです。
宅間が彼の中では絶対悪ということは最初から変わっていませんが、前回私の発言を受けて、
>議論の余地がある
こととされたのでした。
どこが絶対だ。
宅間でそれなら、もう絶対的な悪など、ドラクエのラスボスくらいだろ。

私は何も「私は実は存在しないかもしれない」みたいな不可知論でごまかし続けたりしているわけではありません。
上記のようなくその役にもたたない、後退し続ける「絶対」を茶化しているだけです。


>秋葉原通り魔事件はまさに「無差別」だよな。犯人は「誰でもよかった」と言ってるし。
>キリスト教であれイスラム教であれ、ビンズー教であれ儒教であれ、無差別殺人はみ
>んな悪としている

「無差別殺人を絶対悪としよう」と私が認めて話を進めるとして、無差別かどうかの判断は、例えば本人の言い分とかで決まるという理解でokですか?
私が提示しているのは、「絶対悪」とは具体的にどういうものを意味するのかの合意形成をどうはかるのか、ある行為が絶対悪だったか否かを外的にどう判別するのか、さらに、仮にそれらができたとして、どう共同体を良くするための思考が進むのか(上のアナロジーで述べたとおり!)、という根本的な疑念です。

>「善悪なんて全部主観」←これこそが議論の余地を全て抹消するんだろが。

相手の主張する前提に立った上で、その説がいかなる場面で崩壊するかを示すのは私のよくやる方法ですよ。
ほら先回も、彼が言った「無差別殺人は絶対悪」をひとまず仮定したうえで、宅間やオウムが必ずしも無差別に明確に分類しかねる例を出して、「無差別殺人という絶対悪」なる概念の定義にまつわる非現実性、抽象性をあぶり出したところです。
私は対話の際、その場その場で一時的に結ばれる、各種の共通了解を踏襲しながら議論するよう努めてきたつもりです。相手の提示するオセロの勝負を受けるのです。しかし、勝負がはじまってから「オセロ盤をひっくり返す」のは、いつも相手側でしたよ。
「実際タバコは規制されていってるだろwwww」「じゃあレイプでも何でもすれば?」みたいに。
加えて私は、ネイマンーピアソン系古典的統計学だとかコンピュータ演算などという、絶対的真理とは程遠い学問・技術を道具にして、実際に麻雀の一側面を分析したりしていますよね。「全部主観」などという言葉で逃げるスカスカ相対主義者ではないですよね。

「掲示板を改ざんする、何を主張しても主観で逃げる、悪のとつげき像」を捏造して2ちゃんねるで喧伝し、こちらに書き込むことさえできずに、私のことを「議論の余地を全て抹消する」と把握するなど、滑稽の極み、二重の極みですね。



Re: 無題 ゴーゴー大小便 - 2008/07/01(Tue) 20:44 No.1284  

二重の極みですねって・・・
最後が明治時代舞台の漫画の必殺技かよ!


Re: 無題 お手数かけます - 2008/07/03(Thu) 07:58 No.1287  

まだやってるんだけど彼は最後に反論しなかったほうが負けだと思ってるらしく
もしコピペしてくれて凸が反論しなければ麻雀の新理論に関するネタをなんか振るよ。
とか言ってるし、コピペするまでスレ違いをやめるつもりがないようなので、コピペさせてもらう。
ちなみにコピペできない理由は
昔和訳をやったときに凸にすげえと言われ
そういう間柄なので、凸を直接攻撃するのは気がひけるから
らしいです。ではコピペします。


Re: 無題 お手数かけます - 2008/07/03(Thu) 07:58 No.1288  

>愚問の数々には答えません

答えないのでは無くて答えられないだけですね。私にはあなたの愚問に答えさせておいて、直後にこの発言ではみっともないですね。

>少しだけ頭を使って考えてみましょう〜レイプしてでもそうしたいと思う場面〜ごくまっとう、ごく正常です。

それは「頭」じゃなくて「オチンチン」を、「考えたこと」じゃなくて「感じたこと」ですね。
そしてそう感じること自体は生理学的には「まっとう」で「正常」の可能性が残るものの、それを公の場で発言することは、それ以外の何的にも「まっとう」とは言い切れないですね。
ちなみにレイプ犯を指して「まっとう」という発言をすれば、人はそれを擁護と呼びます。
「擁護」とは庇うこと、庇うとは他人から非難を受けないように守ることです。
一方「まっとう」とは「まともなさま」、「まともなさま」とは道理が通っていて他人から非難を受けない状態のことです。
つまりレイプ犯が「(本来)他人から非難を受けない状態だ」と考えているのがあなたなので、もしレイプ犯が他人から非難を受けていれば、あなたの発言は非難に対するアンチテーゼとなり、
その一連の言動は(例えば法廷ならば情状酌量を狙う弁護団側の意見陳述という形で)レイプ犯を守り庇うことになります。
裁判員制度の導入や光市母子殺害事件の判決が世論に反映されたことを考えれば、
たとえ小さくとも公の場であなたのような発言をすれば現実的・具体的に擁護としての力を持つことになるのです。


Re: 無題 その2 - 2008/07/03(Thu) 07:59 No.1289  

>一つのアナロジーを示しましょう。

その例は何の反論にもなっていないどころか隙だらけですね。あなたが宅間のような犯罪者にマイナス10000点を付けたのは何故ですか?
人は誰しも殺されることをマイナスと捉えるからですね。それをマイナスではなくプラスにすることも考えられますか?無理ですよね。
どんな社会設計を考えるにしても、共同体内の人間を殺す(殺される)ことをプラスと設定し、人々にそれを志向させることは出来ません。
もしそれをやれば共同体はたちどころに自らを殲滅します。これが無差別殺人と共同体が否定命題だと言った理由です。
ですから>呼称やらレッテルなどどうでも良い というのは完全なる誤りで、マイナス(絶対悪)の観念はレッテルでも呼称でもなく、社会にとって必ず必要な最低条件なわけです。
ちなみにこれは論理学的に真です。では当然のことを言って何になるか。あなたが当然のことを当然と知らなかったので教えているわけですね。
これも知らないようなので教えておくと、「ZETTAIAKU」を「WAROSU」と記述することはできても「絶対悪」を「笑う(≒善)」とすることは出来ません。
人工知能がゲームのAIくらいしか創れないのは人間の「認識」や「価値」や「意志」のシステムがわからないからです。前世紀における記号論の頓挫もそういう理由でした。
さらに加えれば決定的にあなたが勘違いしていると思われる点は、精神が言語を認識しているのではなく、認識をする精神をすらが言語によって象られているのだということです。
ソシュールの言語論的転回と呼ばれていますが、要するに「絶対悪と呼ぼうがワロスと呼ぼうが各自受け取る時に自己にとって適切なコードに変換するだけやろ」と考えるのは誤りです。


Re: 無題 その3 - 2008/07/03(Thu) 07:59 No.1290  

>「絶対悪論」〜成功すると良いですね〜難しそうですが。

予言されたので予言し返しておきます。相対主義を貫くと「>自衛隊派遣反対〜>そのような意見には賛成もあれば反対もあり〜>イラク戦争について事細かに語る趣味はございません」
このように自分の意見を言えない人間になってしまい、最終的には大衆世論に流されるか、無関心を決め込んで思考停止状態に陥ることになります。
思考を停止させたままネット麻雀でもしていれば問題は収まるでしょうか。そうは行きません。世界を見渡せばイラク戦争だけでなく、中国のチベット侵攻もあればロシアのチェチェン侵攻もあるわけです。
日本とて国際環境の中で存在している以上は他人事ではないので、あなたのような冷笑主義者にはやがて笑えない事態が待っているでしょう。


Re: 無題 その4 - 2008/07/03(Thu) 08:00 No.1291  

>「Xである」という仮定を設けて、「当然の前提を覆すな」としてそれを大前提にまで昇格させれば、Xではないという立場からの理性的考察は不可能になります

ですからこの場合、「X(無差別殺人は絶対悪)ではない」とする立場からどんな有益(無益だとしても現実的)な結論が導き出せるのですか?カントがなぜ統覚(物それ自体)という概念を生み出さねばならなかったのか勉強してください。

>「天動説」という「当然の前提」を覆すことが認められずに〜物理学でさえそうです。いわんや倫理学・社会学をや。

これはマジレスっぽいのにマジ誤謬で恥ずかしいですよ。(自然)科学的命題は反証可能性があることが宗教的命題との唯一の違いであるとポパーは言いました。(自然)科学にはいわゆる理論の価値負荷性というものがあるからです。
それに対して倫理学や政治思想などの哲学は形而上学を含むのです。形而上学とは物理学が力に関する公式を導くとしたら、そもそもの「力とは何か」を問う学問です。
ですからあなたは「善悪」や「絶対」に関する観念論を前にしてあまりにも的外れな反論をしたと言わざるを得ません。
恐らくは認識(真理)相対主義と価値(善悪)相対主義とを混同していることからくる初歩的な誤謬でしょう。

>宅間が彼の中では絶対悪ということは最初から変わっていませんが〜私の発言を受けて「議論の余地がある」こととされたのでした。どこが絶対だ。

この発言がその初歩的な誤謬からきたものです。宅間が無差別殺人犯かどうかという「認識」に関してはどこまで言っても相対的です。
しかし「宅間が無差別殺人犯だとすればそれは絶対悪である」という善悪論を我々は議論していたのではないんですか?


Re: 無題 その5 - 2008/07/03(Thu) 08:00 No.1292  

>私は何も「私は実在しないかも知れない」みたいな不可知論でごまかし続けているわけではありません

いくらそうして言葉で否定してもあなたは実際それをやっています。「1+1=2とは言い切れない」と同じ構造の議論をしています。それは次の発言から看取されます。
>無差別かどうかの判断は〜合意形成をどうはかるのか >ある行為が絶対悪だったか否かを外的にどう判断するのか

もう説明は不要ですね。そうです認識(真理)相対主義です。この反論は無差別殺人の是非を問う以外でも、どんな議論においても使えてしまうんですね。
逆に言えば今言うことではないのです。いわゆる「主観に過ぎない」の大衆論法でしたかね。しかしあなたはこれを言葉の上では否定し続けます。

>私は〜絶対的真理とは程遠い学問・技術を道具にして麻雀の一側面を分析したりしていますよね

そうですね。ですから「麻雀の真理を記述した」と悦に入る一方で「真理などない」と虚無に浸るあなたの、そのアンビバレンスな思考形態を私は茶化しているのです。
平日は公僕に徹し、休日は殺人擁護に精を出す、そんなプゲラな行動様式と言ってもいいかも知れませんね。


Re: 無題 お手数かけます - 2008/07/03(Thu) 08:02 No.1293  

以上です。凸氏も疲れるでしょうが
よろしくお願いしますね。反論しなかったら
麻雀の新理論をくれるらしいので、できれば無視してもらいたいんですがw


Re: 無題 とつげき東北 - 2008/07/03(Thu) 18:58 No.1294(管理者)  

ええと、書きますよ。

論点として取り上げるのは、
●とつげきは宅間を擁護したか
●悪を作ることと、ある種の行動を起こさせないシステム構築のいずれが重要か
●共同体成員が殺されることは本当に常に悪とされてきたか
●安定を維持すべき共同体とはいったい何を具体的に表しているのか
●彼の主張のどこが非現実的か
の5本立てです。
「来週のサザエさん」がこの5本だったらかなり楽しみですね。
とはいっても今まで述べてきたことの繰り返しにしか過ぎません。
これまで咀嚼しきれなかった方々はご参照ください。


●とつげきは宅間を擁護したか

私の発言は以下のとおりでした。

>世の中の多くの若い男性はしばしば、街中を歩いている美しい女性を見て「エッチしたい」と思います。(1)
>ことによると、レイプしてでもそうしたいと(あくまで満たされるべくもない願望として)思う場面もあるでしょう。(2)
>ごくまっとう、ごく正常です。(3)
>ただし、彼らがそれを実行に移すかといえば話は別です。(4)
>この種の私の想定を受けて「とつげきはレイプ擁護者」と早とちりした彼が「全て悪い」。

(1)と(2)が人間の欲望として、「自然な」感覚として存在する、というのはまさに自明のこと(3)です。
しかし、だからといって即レイプするような人々は、現代日本においては社会的制裁を受けますし、社会了解としての善悪判断からすれば悪と呼ばれるでしょう。それゆえ(4)のように、実行に移さない人が大半なわけです。自明です。
ここまで単に自明なことを書いてきたわけであって、私は(1)(2)が自明だからレイプしてもしょうがないのだ(5)、などとは、いささかも述べておりません。
しかし彼は、あたかも私が(5)の主張をしたかのように早とちりし、
>それを公の場で発言することは、それ以外の何的にも「まっとう」とは言い切れないですね。
と感じ、
>あなたのような発言をすれば現実的・具体的に擁護としての力を持つことになるのです
と主張しはじめたわけです。
倫理観による知性の乱れです。
(1)(2)は自明、(3)も自明、ではどうやったら(4)で言うような「共同体としての安定」を担保できるか、どうすればレイプが横行しないのかを考える「べき」なのであって、(1)(2)(3)(4)のごく自明な現象から目を逸らし、「擁護するな!」といって発言そのものを封殺するなどというのは、知的な人間のやることではありません。
大量殺人についても同様です。
私はずっと以前に、「(宅間を)擁護しない」とも明言しております。


●悪を作ることと、ある種の行動を起こさせないシステム構築のいずれが重要か

ところで、死刑が確定してから執行されるまでは約7〜8年かかるのが現状です。
死刑確定者は受刑者と違い、とにかく安楽な生活をさせてもらえます。
受刑者がもっとも苦痛に感じる「作業」がそもそもないですし、1日3食食べさせてもらえる。回数制限はあるにせよテレビや最新のDVDも見れ、生け花や絵画などの勉強もでき、菓子や果物も充実します。
私がどちらかに選べるなら、「懲役5年」より「死刑」の方がよほどいい。これが「残虐刑」だったらいやですが。
となると、「どうせ1人殺して長期懲役刑に服するくらいなら、いっそ5人ほど殺した方が得だわな」とか考える人も当然出てくるでしょう。
だから私は残虐刑という例を出してみたのです。
「悪だ!」と呼ばれても平気な人、むしろ世俗的善悪に踊らされて自分をヒステリックに悪呼ばわりする連中をあざ笑う人物は実在しますが、そういった人に対して「悪だ!」と唱えるための教義を作って意味あるのですか?
ドラゴンにニフラムは効きません。
ドラゴンにダメージを与えられそうなシステムを構築する方がいいと思います。
(前回出したアナロジーで言い尽くしたことです)


●共同体成員が殺されることは本当に常に悪とされてきたか

>あなたが宅間のような犯罪者にマイナス10000点を付けたのは何故ですか?
>人は誰しも殺されることをマイナスと捉えるからですね。
>それをマイナスではなくプラスにすることも考えられますか?無理ですよね。
>どんな社会設計を考えるにしても、共同体内の人間を殺す(殺される)ことをプラスと
>設定し、人々にそれを志向させることは出来ません。
>模試ソレをやれば共同体はたちどころに自らを殲滅します。これが無差別殺人と共同
>体が否定命題だと言った理由です。

古代ギリシア時代の都市国家スパルタでは、新生児のうち虚弱と判断された者は殺されましたし、ヘイロタイ(いわゆるスパルタという共同体の成員である奴隷)から盗みを働き、殺害することも推奨されていました。「最強の都市国家スパルタという共同体」を構築するためです。
>人は誰しも殺されることをマイナスと捉えるから
といって、その制度はなくなりませんでしたし、
>共同体はたちどころに自らを殲滅します。
といった事態に陥るどころか、スパルタは超強い都市国家だったわけですね。
同じように、ガキが「この社会のゴミ、ホームレスが!」といってホームレスを焼き殺したりしていますが、これはひょっとして彼に言わせれば「共同体にとってのプラス」なのでしょうか。

大戦中の日本でも憲兵が「非国民」を「作り出して」は、暴行したり殺したりしていましたよね。
>どんな社会設計を考えるにしても、共同体内の人間を殺す(殺される)ことをプラスと
>設定し、人々にそれを志向させることは出来ません。
とは限らず、殺されることがプラスと思う人だって個別にはけっこういるし(自殺サイトの存在)、今述べたとおり共同体成員のうち「共同体にとって邪魔」なやつを殺してもいいと考える人(&実行する人)が存在します(共同体マンセーな人がよくやる手口です)。
宅間に至っては、殺したことを「誇りに思い」、死刑にしてくれてありがとうとさえ述べています。殺す/殺されることをむしろプラスと捉えていたかに見える。
この時点で間違いでしょ。

さらに譲歩して、もしも共同体成員の誰かが殺されることが仮に「常にマイナス」であったとしても、殺人に憧れたりすることや擁護することと、それを実行することはひとまず異なるわけで、共同体のシステムがうまく機能してさえいれば、殺人を少なくすることができる余地が充分にあるはずです。
実際に2007年の殺人事件被害者数は、「(とつげきのような人が殺人擁護をしており、)精神が言語を認識しているのではなく、認識をする精神をすらが言語によって象られている」(※ママ。括弧部分は筆者補足)ことと無関係に、戦後史上最低だったわけですね。
現実を見ましょうよ、まず。


●安定を維持すべき共同体とはいったい何を具体的に表しているのか

では、現実を振り返ったところで、もう少し未来を見ましょうか。
深刻に食糧難だの人口増加だの資源不足だのが問題になったとき、
「過剰な人口増加のため、国として人口を減らす必要がある。生産性のなき者はやむなく処刑又は国外追放とする」「外国国籍の者は国外追放とする」
みたいな「共同体としてのプラス」を設定することが可能です。
戦時等、緊急事態においてそうした「プラス」が人々に積極的に支持されることはよくあります。それは絶対悪ですか。それとももしかして善ですか。戦時に人々の中に鬱屈する各種ストレスのはけ口やら恐怖支配のための力学として機能してしまった(そしてそれはその瞬間において、まさに共同体の持続のために少なからず機能した)のではなかったですか。
昔だけではありません。チベット、ルワンダ……現代でも拷問や大量虐殺は普通に起きている事態です。
第三諸国での人体実験、拷問や戦争の外部委託等は、文化的先進国(特に米国ですよ)において率先して行われるものです。恐らくは何らかの「共同体にとって正当な」理由付けとともに。

現在、米国は南米からの入国・滞在者の審査を超厳しくしつつあります。
理由の一つは「国外追放」をちらつかせて、激安労働力として彼らを使ってボロボロにすれば「国(という共同体)のために得だから」です。
サブプライムローンもそうです。市場原理グローバリズム的な意味での金策(もちろん米国という共同体のためです)に走るローン会社が、どうやれば金を搾取できるかを考えた末、低所得者に「地価の無限の上昇」と「マイホームの夢」を信じさせればいいと考えたからです(やりすぎて焦げ付きましたが、これを結果論的に悪だったと断罪しても遅すぎでしょう)。
米国では、年収約200万円未満(ぐらいだったかと)の世帯には、無料で食料引き換え券が支給されますよね。「誰もが貧困にあえぎたくないはず」だからです。貧困層は栄養価の高い食料ではなく、対費用的に熱量の多いマクドナルドやら何やらを買いますから、貧困な肥満児、肥満成人が大量発生して社会問題になっています。

で、米国に詳しいはずの彼に質問したいのですが、こうした一連の事態が発生するとき、その何か守るべき「共同体」とは具体的に誰(どのような社会的階級層)だったのですか?
米国民全体によって成立しているそれでないことは確かです。
上記の各種の出来事は「米国という共同体」のためになりましたか?
第三諸国はどうなりますか?
ちなみにこの質問は、アイビーリーグ構成校で生物化学の研究をしていて、最近日本に戻り一流大理系学部で研究室のボスとなった友人にもしましたが、彼いわく「おれには難しいことはわからん」とのことでした。

フランスではかの有名な労働法典が解体され細分化されましたよね。
「フランスという共同体」の今後100年の安定的維持にとって良いことですか?
あとになって失敗が明るみに出てから、ようやっと、
>日本は自衛隊派遣をすべきではなかったということになる
といった水準のベタな事後評論をするのはやめていただきたい。虚学でしょう。

ここで、問題として私が10回くらい指摘したことが再び浮かび上がるわけです。

極めて抽象的な「共同体」ないし「共同体の利益」とやらが時の為政者等によって滑稽なほど恣意的にその場その場で捏造され、それにとって<善>となるような行為を取り決め、社会了解としての善にまで格上げし、<悪>をバッサバッサと排除していく政治的現実、第三項とも弱者とも呼び得る存在が交互に作られていき、排除されゆく差別的現実をどう捉えるか。
「共同体のため」の一語をもって、それを善とみなすべきかどうなのか。
肥満になるのは自己責任、リスクヘッジができなかったのは自己責任。
市場のグローバリズムに対抗するためには労働者の権利を「少々」奪うことはやむなし。
それらは、「不正な国内滞在者を追放し、安全な国アメリカを!」「誰もが貧困に困ることがない国アメリカを!」「国際競争力の強いフランスを!」みたいな「共同体の善」として流布されます。
「共同体の維持にとってプラス」の何かを考えるとき、「共同体」から恣意的に排除される者が、実は共同体成員の中からも外からも数多くあふれ出すのです。基本的には、数は多ければ多いほど良い。しかしですよ、そこで述べられる共同体ってのは、いったい何ですか。もはやそうした抽象的な「共同体」同士の闘争ではなくて、階級闘争に、見えにくい戦争状態(≒テロ!)に発展しつつあるのが現状なのではないですか。
それを不可知論だ、認識論的相対主義だと呼ぼうが呼ぶまいが、「共同体」という謎に包まれた朧な観念にまつわる抽象性、選別と排除が断固として実行される際の身体性・現実性はいささかも変化することはありません。
「本気で」やるとすれば、本当に体系化して世に問うしかないでしょうね。


●彼の主張のどこが非現実的か

科学的言説はその体系内部では本来価値判断として機能し得ない中で、科学的言説をも含む社会システムという神がかりの視座から見下ろした世界体系をもって、政治だの倫理だのを混ぜいれて価値判断可能な体系として「現実的なもの」に見かけ上格上げしてみせたところで、上述したような、真にわれわれにとって現実的になり得る諸問題にどのように向き合うのか、謎のままです。
彼はなんだかよくわからない「共同体」の中で、なんだかよくわからない「無差別」な殺人を悪として、なんだかよくわからない倫理学を作ろうとしているらしい。
秋葉原の事件が「無差別かどうか」をどう外的に判断する「べき」かを指定する前段階で。

なぜ彼が彼の倫理学を体系化できずにいるか。
私程度の現実的感覚を持った、犯罪をしない、国家公務員として真面目に働いているまっとうな(笑)共同体成員を(言論封鎖的方法や、<悪>とみなして強制排除する方法を除いて)納得させられるほどの「仮定」を提示できないからです。その代わりに、私のような人間を「悪」と仮定して、さらには都合よくそのことを「前提」にまで高くしてしまわないと、教義学たる倫理学が成り立たないからです。

社会了解としての善悪やら倫理は、人々をだましだまし動かすために多くの場合必要になるのでしょうが(あわせて、そういったものに踊らされない人間に語りかけるための言説も「絶対に」必要ですが)、今のところの彼の言い分(彼の言う公理、公準から導かれるうんぬん)は、彼のみが「無知のヴェール」を被っているレベルのものです。

私は彼に「あなたの勝ち」をもうとっくに宣告しているので、自己の倫理学(政治学?)の構築に精を出していただければと思います。


Re: 無題 我打麻将 - 2008/07/03(Thu) 23:09 No.1295   HomePage

1294だけ読んだらなんかわかりやすかった


Re: 無題 Revin - 2008/07/03(Thu) 23:55 No.1296  

2ch覗きにいったら投票とか言う流れになっててワロタ
自分に10票入ったら出て行くとか、すごい構造だな。ここでは「負け」を「勝ち」とします。みたいな話じゃねーか。その甲斐あって負けてるしなとつが(笑)。

>人は誰しも殺されることをマイナスと捉えるからですね。
>それをマイナスではなくプラスにすることも考えられますか?無理ですよね。
>どんな社会設計を考えるにしても、共同体内の人間を殺す(殺される)ことをプラスと
>設定し、人々にそれを志向させることは出来ません。

こんな妄言吐くやつを冗談でも支持すんなよ!
茶番に乗って凸に投票しようと思ったが、プロバ規制に引っ掛かったわ。乙^^


Re: 無題 300世帯 - 2008/07/04(Fri) 07:29 No.1297  

>私は彼に「あなたの勝ち」をもうとっくに宣告しているので、自己の倫理学(政治学?)の構築に精を出していただければと思います。

わざとだろうが、宣告(←なんか偉そう)じゃなくて宣言(←普通)だなwww敗者のくせに宣告なんて出来る立場か?wwwん?wwwwwwwwwwww自他共に認める敗北宣言だろうがwwwwwwwwwwwあっそうそう、2ちゃんで投票やったらお前ね、「外的」に負けだってwwwwwwwwwwwwそこのレビンって粕みたいに言い訳してるお前の信者もいるけど、お前自身も言い訳する?wwwどうする?wwwwそれならそれでその議論をとことんしてやるからまぁ好きにしろやwwwwwwwww

>論点として取り上げるのは、
>●とつげきは宅間を擁護したか
>●悪を作ることと、ある種の行動を起こさせないシステム構築のいずれが重要か
>●共同体成員が殺されることは本当に常に悪とされてきたか
>●安定を維持すべき共同体とはいったい何を具体的に表しているのか
>●彼の主張のどこが非現実的か

論点の取り上げ方が間違ってんですけどwwwそれはそこのWMっていうアスペルガー症候群のジジイが >1294だけ読んだらなんかわかりやすかった って言ってるから自明だよなwwwアスペルガーにとってわかりやすいものは、健常者にとってはおかしいってことだからなwwwwwプゲラwwwwww   

まずお前のレイプの例示きめぇんだよゴキブリがwwそもそも「>大量殺人等残虐行為への憧れ(ただし現実にはしないが)があり、なおかつ死ぬこと自体がまったく怖くなく、残虐刑が怖いという私のようなまっとうな人間はここにいないのかね」っていうお前の書き込みから全部始まったんだろ?wwwwwwwwwなんでレイプに話すり替えてんの?wそれなら共感得られるとでも思ったんか?wwwwwwwwww無差別殺人の憧れを持つことが、どう「まっとう」でどう「自明」なんだっつのwwwwwww俺にはねぇし、普通はねぇからwwなんなら投票とるか?wwwwつーかゲーム脳って本当にあるんじゃねぇの?wwwwドラクエがどうとか言ってるしよwww
で、レイプの話に付き合ってやるとしても、人間の決定論(誰がそう思うか)として語るんじゃなくて、確率論(いつ誰がどんな状況でそう思うか)として語らないと駄目だよなwwwwwwシコった直後にセックスしたいと思わねぇべ?wwん?wwww彼女がいるのにそれを裏切ろうとするのもお前の元彼女みたいに(以下省略)それを「自明」とかよく言えたもんだなwww人間の善悪は物理学における光のように、「波」や「明滅」といった特徴があるのはわかる?wwwwお前の方が「べき論」の前段階で躓いてんだよボケwwwwww

で結局中盤から後半の書き込みは「どう犯罪を減らすか」っていう政策論に終始してるけど、そんな話俺はしてねぇよな?wwwww悪とは何かっていう形而上学的な話から急に後退したよなお前wwwwww

で、スパルタがどうとか憲兵がどうとか、それ宮台の受け売りだろwあいつは政治学会でも社会学会でもバカの代名詞になってるような鼻つまみもんだからwwwwお前より偏差値が高い(俺レベルの)奴のほとんどがあいつをクソだと思ってんのwwwwwwwwwだからエリート民主主義的に宮台もお前もクソなんだよwww東大スレで投票取るか?ん??wwwwww

あと何回言っても理解できねぇみたいだけどよ、悪と呼ぶか善と呼ぶかは悪を作るか善を作るかという話じゃないだろwwwww表象面で言えば人間が抑制すべきだと感じるものが悪だろがwwwwそれが何から何まで相対的なんて、まさに「言葉遊び」の類で「現実」が見えてないよお前はwwwwwww
死ぬことが怖くないって言ってるけど、死ぬ直前の苦しみはどうだ?wwww絞首刑でも刺されて死ぬのでも断末魔が必ずあるだろうよwwwwwお前みたいな痛みに弱いヘタレがそれを受け入れられるなんて口だけwwwwwwwww
やっぱりお前は「悪」だけじゃなくて「苦しみ」も「残酷」も「痛み」も「悲しみ」も全部、認識相対主義的に「わからない」と言ってるに過ぎないんだよwwwそれは政策論の前の観念論として間違ってんのwwwwwまぁそれはもう自覚してるみたいだけどなwwwwww
お前の提示した政策論に関してもアメリカの解釈にしても共同体の歴史も何もかも、ほとんどお前の意見に賛成できないけど、今回はその反論はしないでやるよwwwwww俺はそこまで議論を広げて(後退させて)ないからなwwwwwもう絶対的に黙ってろ口だけ野郎がwwwwwwwwwwお前は客観的に負けてんのwwwwwwwwwwww


Re: 無題 とつげき東北 - 2008/07/04(Fri) 08:25 No.1298(管理者)  

おいおい。

>人は誰しも殺されることをマイナスと捉えるからですね。
>それをマイナスではなくプラスにすることも考えられますか?無理ですよね。
>どんな社会設計を考えるにしても、共同体内の人間を殺す(殺される)ことをプラスと
>設定し、人々にそれを志向させることは出来ません。

こんな誤った前提を置いて、そこから「共同体の維持を困難とするもの=絶対悪」みたいに決めて展開しようとしてるからグッチャグチャになっているんでしょうが。
Revinもすぐに気づいて書いてるでしょう。
歴史的にみて「共同体内」の成員を殺すことを悪としなかった例などいくらでもありますよ。
その内部/外部も頻繁かつ恣意的に変化するから、「悪とは」の定義として利用するのがまったく不適切だと言っているのです。
何現代道徳みたいなレベルのものを引っ張ってきて「これが絶対悪ぅ」とかやっているのですか。


>悪とは何かっていう形而上学的な話から急に後退したよなお前

歴史上に実在する事例があることが明白であるにもかかわらず、
「これは歴史的に、どんな共同体にもあり得ない。ゆえに形而上において絶対悪である」
と嘘で固めて「マイ教義」を展開された日には、「じゃあそれが絶対悪だと認めるとして、どうやって特定の行為を絶対悪であるとし、どのようにそれを防ぐのか」という部分を聞くしかないじゃないですか。

早々に敗北宣言を出したのはあなたが教条主義者だからですよ。


――――――――――――

>大量殺人等残虐行為
わざわざ「等」と書いているのは、本能の壊れた動物としてのヒトは種々のおぞましい欲動を持ち得るからですよ。
例えば「輪姦したい!」とかだったらレイプと同レベルで、かつ存在が自明な残虐行為でしょう(戦時においてほぼ「無差別的に」実行される事柄であり、エロビデオ等でもよくあるシチュエーション)。

>人間の決定論(誰がそう思うか)として語るんじゃなくて、確率論
>(いつ誰がどんな状況でそう思うか)として語らないと駄目だよなwwwwww

え?

>宮台の受け売りだろw

宮台先生はそんなこと言ってたのですか?
まあ普通に考えれば気づきますよね。
よほどマヌケなら別ですが。
受け売りであろうがなかろうが、事実、あなたは間違った前提から出発してでかい虚像を打ち立てているのですよね。

>死ぬ直前の苦しみはどうだ?wwww
>絞首刑でも刺されて死ぬのでも断末魔が必ずあるだろうよwwwww

絞首刑についてなら、法医学書やら、日本の刑務所に関する書籍でも読んでみましょう。


Re: 無題  - 2008/07/04(Fri) 17:55 No.1299  

正規表現「w+」→「。」
要するにいつものバカだな

>私は彼に「あなたの勝ち」をもうとっくに宣告しているので、自己の倫理学(政治学?)の構築に精を出していただければと思います。

わざとだろうが、宣告(←なんか偉そう)じゃなくて宣言(←普通)だな。敗者のくせに宣告なんて出来る立場か?。ん?。自他共に認める敗北宣言だろうが。あっそうそう、2ちゃんで投票やったらお前ね、「外的」に負けだって。そこのレビンって粕みたいに言い訳してるお前の信者もいるけど、お前自身も言い訳する?。どうする?。それならそれでその議論をとことんしてやるからまぁ好きにしろや。

>論点として取り上げるのは、
>●とつげきは宅間を擁護したか
>●悪を作ることと、ある種の行動を起こさせないシステム構築のいずれが重要か
>●共同体成員が殺されることは本当に常に悪とされてきたか
>●安定を維持すべき共同体とはいったい何を具体的に表しているのか
>●彼の主張のどこが非現実的か

論点の取り上げ方が間違ってんですけど。それはそこのWMっていうアスペルガー症候群のジジイが >1294だけ読んだらなんかわかりやすかった って言ってるから自明だよな。アスペルガーにとってわかりやすいものは、健常者にとってはおかしいってことだからな。プゲラ。   

まずお前のレイプの例示きめぇんだよゴキブリが。そもそも「>大量殺人等残虐行為への憧れ(ただし現実にはしないが)があり、なおかつ死ぬこと自体がまったく怖くなく、残虐刑が怖いという私のようなまっとうな人間はここにいないのかね」っていうお前の書き込みから全部始まったんだろ?。なんでレイプに話すり替えてんの?。それなら共感得られるとでも思ったんか?。無差別殺人の憧れを持つことが、どう「まっとう」でどう「自明」なんだっつの。俺にはねぇし、普通はねぇから。なんなら投票とるか?。つーかゲーム脳って本当にあるんじゃねぇの?。ドラクエがどうとか言ってるしよ。
で、レイプの話に付き合ってやるとしても、人間の決定論(誰がそう思うか)として語るんじゃなくて、確率論(いつ誰がどんな状況でそう思うか)として語らないと駄目だよな。シコった直後にセックスしたいと思わねぇべ?。ん?。彼女がいるのにそれを裏切ろうとするのもお前の元彼女みたいに(以下省略)それを「自明」とかよく言えたもんだな。人間の善悪は物理学における光のように、「波」や「明滅」といった特徴があるのはわかる?。お前の方が「べき論」の前段階で躓いてんだよボケ。

で結局中盤から後半の書き込みは「どう犯罪を減らすか」っていう政策論に終始してるけど、そんな話俺はしてねぇよな?。悪とは何かっていう形而上学的な話から急に後退したよなお前。

で、スパルタがどうとか憲兵がどうとか、それ宮台の受け売りだろ。あいつは政治学会でも社会学会でもバカの代名詞になってるような鼻つまみもんだから。お前より偏差値が高い(俺レベルの)奴のほとんどがあいつをクソだと思ってんの。だからエリート民主主義的に宮台もお前もクソなんだよ。東大スレで投票取るか?ん??。

あと何回言っても理解できねぇみたいだけどよ、悪と呼ぶか善と呼ぶかは悪を作るか善を作るかという話じゃないだろ。表象面で言えば人間が抑制すべきだと感じるものが悪だろが。それが何から何まで相対的なんて、まさに「言葉遊び」の類で「現実」が見えてないよお前は。
死ぬことが怖くないって言ってるけど、死ぬ直前の苦しみはどうだ?。絞首刑でも刺されて死ぬのでも断末魔が必ずあるだろうよ。お前みたいな痛みに弱いヘタレがそれを受け入れられるなんて口だけ。
やっぱりお前は「悪」だけじゃなくて「苦しみ」も「残酷」も「痛み」も「悲しみ」も全部、認識相対主義的に「わからない」と言ってるに過ぎないんだよ。それは政策論の前の観念論として間違ってんの。まぁそれはもう自覚してるみたいだけどな。
お前の提示した政策論に関してもアメリカの解釈にしても共同体の歴史も何もかも、ほとんどお前の意見に賛成できないけど、今回はその反論はしないでやるよ。俺はそこまで議論を広げて(後退させて)ないからな。もう絶対的に黙ってろ口だけ野郎が。お前は客観的に負けてんの。


Re: 無題 我打麻将 - 2008/07/04(Fri) 23:40 No.1300   HomePage

> 300世帯
あなたにアスペルガー認定された私、実は名無しであなたに投票させていただきましたが、そこから、あなたの議論が健常者にとっておかしいと推論するのは正しいでしょうか。


Re: 無題 とつげき東北 - 2008/07/04(Fri) 23:51 No.1301(管理者)  

というか、こんだけ書いてやらないと自分のどの部分が間違っているかに気づかないってのは、本当にどうなんだろう。
悪の定義を「共同体の個々の成員が嫌がること」に求めた時点で完全に終わる、とわからないもんか普通。
Revinなどは一瞬で見抜くのにな。


エンターテイメント的に考... 投稿者:音速 投稿日:2008/06/30(Mon) 23:53 No.1276  
とつげき東北とかRevinとかの書き込みが長文ってのは、なんとかなんないの?
読む気が起きないんだけど。
毎回400字以内で頼む。


Re: エンターテイメント的... とつげき東北 - 2008/07/01(Tue) 00:26 No.1277(管理者)  

ぜひ読まないでくれ。


Re: エンターテイメント的... 我打麻将 - 2008/07/01(Tue) 20:05 No.1283   HomePage

最初に要約がついてると嬉しいです><


Re: エンターテイメント的... Revin - 2008/07/01(Tue) 21:27 No.1285  

「いい加減そろそろレビンも長文書いたら?」と言われる覚悟ならあった。


Re: エンターテイメント的... 炎筆 - 2008/07/02(Wed) 07:59 No.1286  

ギリギリ399文字で書いても同じこと言われそう。


無題 投稿者: 投稿日:2008/06/19(Thu) 13:24 No.1259  
道徳と宗教はよく似ていると思うのですが、道徳は「神」などの超越的な前提すら置かずに「教え」に入るところが癪にさわります。
日本には宗教=怪しいもの、といった文化がありますが、道徳は受け入れられる。
何かを説明するためには、前提が必要だからこそ「神」が生まれたのに、何の前提も置かず主張をはじめる現代人は、相対化を進めたように見せておいてむしろ退化している気がします。


Re: 無題 ゴーゴー大小便 - 2008/06/19(Thu) 17:06 No.1260  

神なり教祖なりあるいはもっと別の何かだって根本的には前提が無いじゃん。
神が前提って言われても、じゃあ神が正しいという証拠は何も無い。神は最高なので、正しいっていうなら神は正しいから正しいと、トートロジカルで面白みも無い。


Re: 無題 うまい - 2008/06/19(Thu) 22:48 No.1261  

面白ければ聞く、つまらなけれぱ無視。
で問題なし。道徳も宗教も同じでは?


Re: 無題 亡国 - 2008/06/20(Fri) 01:26 No.1262  

>>?

>道徳と宗教はよく似ていると思うのですが、

まあ、ほぼ同義と言っても差し支えありませんね。
ただ、優良宗教団体は「道徳最先端」の情報収集に余念がありません。優良宗教団体のマネージメント力は一流企業顔負けです。
老舗宗教も安穏としてると危ない。

>道徳は「神」などの超越的な前提すら置かずに

「こころ」です。

>癪にさわります。

そうですかね?無料でほぼ毎日観劇できる実に良質の演劇だと思います。

>日本には宗教=怪しいもの、といった文化がありますが

いかにもの新興宗教はともかく、老舗宗教へのお布施など「水道代、電気代」程度の健全なものでしょう。

>道徳は受け入れられる。

受け入れたほうがなにかと都合のいい人が圧倒的に多いからですね。

>何かを説明するためには、前提が必要だからこそ「神」が生まれたのに

賢者の退屈を埋めるために誕生したと思ってます。

>何の前提も置かず主張をはじめる現代人は、相対化を進めたように見せておいてむしろ退化している気がします。

う〜む。腹ペコのライオンの眼前に突如現れたインパラの姿ですよこれは。私は今満腹なので放置しますが。


Re: 無題  - 2008/06/20(Fri) 03:22 No.1263  

神を万能の前提として認めているわけではありません。ただ、そう考えるしかなかった昔の人の思考は理解できるのですよ。
物事を考えるには順序がある。少なくとも、神を前提におけば論理的な手続きを踏んでいるでしょう。
ところが現代人は、そういった手続きを無視して、いきなり
「殺人は悪いことだね」
「うん、常識だよね」
持論を展開するのです。
こころ、というのは、何となくそんな気がする、ということですね。


Re: 無題 虚弱パンダ(ロン2ユーザー) - 2008/06/25(Wed) 14:23 No.1264  

メディアなどでありきたりのお説教に余念がない人達の中でも、
道徳そのものや道徳の内容の存立根拠に関する自然主義的で功利主義的な説明を超えて
道徳のそれ自体での超越的価値を信じている人は実は稀だと思いますよ。(神についても宗教の世俗化という問題があるから事情は似ているかもしれない)

例えば現代人の多くは「必要悪」という考え方を認めているように見えますが、これは道徳至上主義の立場からは到底認められないでしょう。(これと対照的なのが例えば「嘘論文」におけるカントの議論)

人間たちは、道徳ファナティシズムと無道徳の両極の間で、時と場合に応じ小器用に立場を使い分けていく。道徳に対する態度をめぐるスペクトラムの中で、テレビで道徳説教を垂れている人達はより前者寄り、こういう所にこんなスレを立てて遊んでいる人達はより後者寄りということは言えるがそこには程度の差しかないでしょうね。そして、おじさんになった私は、それらすべてを皮肉ではなく肯定的に受け入れることが出来ます。

そんな凡人達の悲喜こもごもの中で、道徳的観点(を含めた外在的な価値の次元)を全く取り入れていないように見える犯罪者、ある意味純真無垢な犯罪者がごく稀に出現することがあるのは興味深いことです。
(宅間とかああいうのじゃないですよ。今パッと思い浮かんだのは宮沢賢治の「毒もみの好きな所長さん」とか)




硫化水素ガス自殺 投稿者:とつげき東北信者 投稿日:2008/04/30(Wed) 21:44 No.1200  
自殺するときに「有毒ガス発生中」なんて張り紙をする人は自殺する才能がイマイチ欠けてる気がする。

こんな張り紙をしてる人は、自殺する人の中でもなんとか自殺をしないですむように仕向けられた人たちなのではないかな?


Re: 硫化水素ガス自殺 有毒ガス発生中 - 2008/05/01(Thu) 03:33 No.1201  

書かないで自殺すると、知らないうちに近所が硫化水素を吸い込んで被害を与えるからかね。
よく知らんが、硫化水素は大量に吸い込んだ瞬間
意識がぶっとんで比較的苦しまず死ぬといわれてるな。
自殺が流行るのは良いことだ。自殺のやり方も結構詳細に書かれているページが増えた。


Re: 硫化水素ガス自殺 Revin - 2008/05/01(Thu) 14:59 No.1203  

貼り紙はむしろおもろいけどな。
何が「発生中」やねん、お前がやったんやろ、なに自然に起きたことを教えてあげてる風にしとんねん!
ただその人が笑い(行為に付随する違和感)を意図的にやったかどうかは謎。
愉快な人がいざ死へ向かう時にセンスの痕跡を残すかどうかも気分次第。

社会的立場および考え方によっては、人々の間に自殺が流行るよりかは適度に苦しんで生きていてくれた方が得な人も居るかもしれないね。


Re: 硫化水素ガス自殺 入浴剤が - 2008/05/03(Sat) 00:11 No.1205  

規制されそうだ。
トイレ用の酸性洗剤と、硫黄入りの入浴剤。
硫黄入りの入浴剤のほうが販売中止になるかもしれない。
死にたいやつは今のうちに蓄えておこう。


Re: 硫化水素ガス自殺 とつげき東北 - 2008/05/03(Sat) 01:01 No.1206(管理者)  

死んだ後のことをやたら気にする人ってのがいるが、その理屈の所在はともかくとして、そういう人は恐らく自殺に向いてないね。
大学の頃、自殺願望のある友達は数名いたが、そのうち一部は「(死んだ姿的に)きれいに死にたい」とか抜かしてたな。
本当に自殺した友達は、死に方はどうだったんだろうか……たぶん首吊りだと思うが、これは美しくはない死に方だ。


Re: 硫化水素ガス自殺 亡国 - 2008/05/04(Sun) 23:26 No.1218  

「死ぬ気になったらなんでもできる」

できるか、アホ。
心中一家の幸福の芽を摘んでどうする。


Re: 硫化水素ガス自殺 とつげき東北 - 2008/05/05(Mon) 04:23 No.1219(管理者)  

なんでもできるなら死ぬ気にならずに済む境遇に簡単にいけそうだわな。


Re: 硫化水素ガス自殺 どうせ死ぬなら - 2008/05/12(Mon) 12:58 No.1239  

「自殺するなら他人に迷惑かけずに死ね」
って言ってるやつに多大な迷惑をかけて死にたいなあ

「有毒ガス発生中」なんて書いてひっそりと死なずに
人通りの多い駅で有毒ガス発生させて何十人も被害を与えて死ぬほうがはるかに美しい死に方だね。


Re: 硫化水素ガス自殺  - 2008/05/12(Mon) 17:19 No.1240  


死に方に美しいやらなんやら持ち込んだ時点で自殺に向いてない。
それは生き方の話だ。


Re: 硫化水素ガス自殺 亡国 - 2008/06/15(Sun) 16:44 No.1258  

私は父親の自殺幇助という貴重な体験の持ち主だ。
興味のあるやつはレスしてやるぞ。


無題 投稿者:七分儀 投稿日:2008/06/11(Wed) 02:19 No.1245  
先日、秋葉原通り魔事件が発生し、7人が死亡、10数人が
怪我をしました。
大勢の、いわゆる大衆的意見というんですか?それでいうと、
「殺人はよくない。大勢を無差別に襲うことは許されない。
犯人の心境や殺しに至った経緯など全く考慮されない」
ということなんでしょうが、確かにそう思える側面もあるん
ですけど、犯人の言い分は「お前らに何がわかる。
友達も彼女もできず、高校卒業からずっと負け組人生を
歩んできた。勝ち組は全員死ね。俺はお前らを許せない」
ということらしいのですが、もし私が犯人の言動を支持したと
したら、一斉に非難を浴び、糾弾されると思うのですけど、
大衆の思考だと「犯罪はよくない。人を殺してはいけない」
ということなんですが、なぜいけないのかを証明できなければ
本当にいけないのかどうかがわからなくないですかね?
犯人の身勝手な犯行ということで片付けられる風潮に
あると思うんですけど、犯人にしてみたら「勝ち組に
嫉妬して、いらだったから殺した」ということで、筋が
通っているような気がするのです(犯人を支持しているわけではないです) 犯人支持側、そしてその他大勢の大衆、
どちらも主観をぶつけあっているだけのような気がして、
何が正しくて何が悪いのか。わからなくなってしまいます。

私も凡庸な人間の一人でして、このようなところについて思うところをとつげき東北さんにできれば長文で語ってもらえると
それを酒のつまみにしてじっくり読みたいと思うのですが
いかがお考えでしょうか?


Re: 無題 ゴーゴー大小便 - 2008/06/11(Wed) 05:43 No.1246  

「俺は不幸だった」を連呼するやつは醜い。とつげき東北にとってこれだけのことだろうよ。


Re: 無題 . - 2008/06/11(Wed) 08:20 No.1247  

甘ったれのバカが起こした実に馬鹿馬鹿しい事件。
今回注目すべきは事件そのものではなく、
マスメディアが「ロリコンオタク」を強調していることだろう。
幼女誘拐殺人ならともかく、
単なる無差別殺人でなぜ幼女趣味を殊更に喧伝するのか。
実に面白いw


Re: 無題 六7 - 2008/06/11(Wed) 13:01 No.1248  

犯人の過去を紐解いて原因を究明し、このような事件がもう起こらない社会を作っていくことが大切

ってテレビで言ってたよw
いいなぁ。
適当な事言って金もらえるなんて。
素直にうらやましい。


Re: 無題 ゴーゴー大小便 - 2008/06/11(Wed) 14:33 No.1249  

>今回注目すべきは事件そのものではなく、
>マスメディアが「ロリコンオタク」を強調している

>適当なこと言って金もらえる

別に今回だけじゃなく、大衆が注目するような若者の犯罪ではいつものことじゃん。なにをいまさら。


Re: 無題 hidehitox - 2008/06/11(Wed) 15:03 No.1250  

愚〜昧、愚昧、ナニしてハねる〜♪

「彼女がいること」を絶対の幸福とした価値観を変え、別のところに生きがいなり楽しみなりを見つけたらよかったのに。

固定観念に縛られた一愚昧による犯行。

いつの時代もこんな人間はいたでしょう。自己が肥大化した現代では比較的多いのかもしれませんが。社会側がどうしようとこういうのをゼロにするのはできないと思います。


Re: 無題 六7 - 2008/06/11(Wed) 17:22 No.1251  

>別に今回だけじゃなく、大衆が注目するような若者の犯罪ではいつものことじゃん。なにをいまさら。

そう。いつものことをいつものように笑う。


Re: 無題 五寸釘 - 2008/06/11(Wed) 20:24 No.1252  

黒とつ(とつHPトップの「嫌し系」から行ける)の
「神話から現実へ」「『道徳ゲーム』の終焉」あたりを読むべし。


Re: 無題 ゴーゴー大小便 - 2008/06/12(Thu) 04:28 No.1253  

なんとなく読んでみた。
最近の小中学校で行われている「道徳テスト」
たとえば
人類は皆仲良くするように努力すべきだ
は最高点で、
俺に関係のない国民同士が戦争して死のうがどうでもいい
は0点
一部の人々は不快感があるようだけど、とつげき東北にとってこれは良いことだろうね


Re: 無題 六7 - 2008/06/12(Thu) 08:29 No.1254  

オマエが読むんかいw(ツッコミ)


Re: 無題 ゴーゴー大小便 - 2008/06/12(Thu) 09:58 No.1255  

だいたい、「道徳ゲームの終焉」って書いてあるのに
近頃の小学校で、「道徳テスト」をやって、
「道徳偏差値30の子供」が問題児として扱われている現状。
とつげき東北はこの事態を予測していたのか?w


Re: 無題 七文儀 - 2008/06/13(Fri) 09:53 No.1256  

道徳ゲームの終焉、読んで見ました。
とてもわかりやすく書いてあって、理解でき、最初に
書いた疑問点は昇華されたような・・気がします。
ようするに、殺すことが正しいのか悪いのかは、信仰性によるもので、人によってこの法律が受け入れられたり受け入れられなかったりすると。そして、法律は時の権力者によってつくられるので、権力に従うことこそが良識人であるというふうに思われる
ということ・・・ああ、「道徳ゲームの終焉」がかなり長かったので結局なにがなんやら。
やはりここはとつげき東北さんにまとめてもらいたい・・


Re: 無題 七文儀 - 2008/06/15(Sun) 10:35 No.1257  

追記

加藤容疑者を肯定するとしたらどういう文章になるだろう


氷結のキウイ味って不味い... 投稿者:チェリ (大学生 投稿日:2008/06/04(Wed) 22:50 No.1244  
仮定の話ですが、やや期待をこめて

このWikiを分化させて生産性のある(?)情報収集ページを作ることも可能かと思います。
情報収集系のHP 例えば映画評価、ゲーム評価、漫画評価、女性向けなものだとヘアケアアイテム、コスメなどは名言的な評価や宣伝文句的な評価がほぼすべてなのが現状です。情報収集系のHPから名言的なものを取り除いた場合どのような状況になるか個人的にすごく興味があります。モンスターハンターでどの武器が強いか評価するのにも(考えるのにも)2chなどのレベルが低い場では「そんなの状況による」という結論に落ち着くだけです。(そりゃそうなんでしょうが・・・(;´Д`) )
情報収集系HPの上位バージョンを作ることは可能でしょうか?
できたら面白いんじゃないか(少なくても新しい試みであるという点で)なと期待しています。

できないでしょうけど


無題 投稿者:我打麻将 投稿日:2008/05/31(Sat) 08:32 No.1242   HomePage
タバコ1箱の適正価格はいくらですか?


Re: 無題 とつげき東北 - 2008/05/31(Sat) 16:26 No.1243(管理者)  

喫煙者は被差別者なので実際の「国際的な」適正価格よりは安くなるだろうけども、今の日本は安いよね。

コカの葉はアメリカの利権のために無駄に生産・使用禁止にされ、むろんコカの葉を利用する商品を売っているアメリカの大手コカ・コーラ社は例外となっているのだが、こちらの場合は適正価格が逆に低くなっているね。

つまりまあ適正価格っていうのは、試算の根拠とかがあまりにもあやふやすぎて、割と権力者が適当に決めるべき性格のものなんじゃないかなぁ。単に「権力者の言うことが絶対」というつまらん結論じゃなくて、各国の通貨間の為替相場だとか南側諸国の事情だとか世論とか色々な事柄によって変化するものであり、そのうちどれをどの程度重視すれば今のタバコの適正価格が決められるのかなど誰も真面目に考えていないというのが現状なんじゃないの、というお話。


 投稿者:とつげき東北 投稿日:2008/05/05(Mon) 23:10 No.1221(管理者)  
http://www.nicovideo.jp/watch/sm3198603
これで感動できないやつは人間として死ね。


マリオ マリオ - 2008/05/07(Wed) 00:08 No.1223  

やっぱりとつげき東北ってマリオが好きなのな。
小学生のとき初めてマリオをやって感動したとか?


Re: う しょっかー - 2008/05/08(Thu) 23:18 No.1233  

すばらしい。
生きててよかった。


Re: う だてまえ - 2008/05/10(Sat) 18:48 No.1234  

こんなんで感動してるお前らが死ね。
人間は地球人なんだから世界のことにもっと関心を払え。


Re: う 名前 - 2008/05/10(Sat) 20:18 No.1235  

だとすると宇宙人は大変だな。宇宙人じゃなくてよかった。


Re: う とつげき東北 - 2008/05/11(Sun) 16:56 No.1237(管理者)  

>だてまえ氏

この動画の掲載は、世界の中で生じている、ミクロな出来事の一つです。
人間は地球人なんだから、全員この動画を見なければいけませんよ。


Re: う だてまえ - 2008/05/11(Sun) 17:00 No.1238  

切実さってなんなんでしょうね。


Re: う しょっかー - 2008/05/12(Mon) 20:26 No.1241  

ドラキーにイオナズンを唱えることです


Unknown 投稿者:matar_hy 投稿日:2008/05/11(Sun) 14:02 No.1236   HomePage
<a href= ></a>


感謝再び 投稿者:六7 投稿日:2008/05/01(Thu) 11:02 No.1202  
蒸し返すようだけど、「感謝」について。
とつは下の方でこう言ってる↓

>感謝など誰にも一切すべきじゃない、と言い切れるような生き方の方が好きです。

直感的にだけど、この気持ちはすごくよくわかるんだよね。
そりゃあ、このウィキ的には「心から」感謝するなんてナンセンスの一言だろう。
でもでも、それだけじゃない気がするんですよ。
キルアが言ってたようなこと(イチイチありがとう言ってたらカッコワルイだろ?みたいな感じだったかな)を、発言したりとか、思うこと自体がなんかもうカッコワルイんですよ。

なんか話おかしくなってきた。
もう自分が何を言いたかったのかすらわからん。
もうこのまま投稿する。
誰かお願い。


Re: 感謝再び うまい - 2008/05/01(Thu) 21:31 No.1204  

興奮すべきじゃなくても興奮することがある。
感謝すべきじゃなくても感謝することがある。
すべきかすべきじゃないかなんて意味ないんじゃ?


Re: 感謝再び とつげき東北 - 2008/05/03(Sat) 01:04 No.1207(管理者)  

>キルアが言ってたようなこと(イチイチありがとう言ってたらカッコワルイだろ?みたいな感じだったかな)を、発言したりとか、思うこと自体がなんかもうカッコワルイんですよ。

そりゃまあ、タネあかしを堂々と言いまわっていたらかっこわるいけど。

人が感謝を強要しようとするとき(感謝「すべき」などと言うとき)、しばしば名言的なんでね(対象が曖昧な概念だったり神だったり)。そういった強要への抵抗、さらにはそれにより苛立つテラ偏差値低シスなやつへの挑発といったところかな。


Re: 感謝再び 六7 - 2008/05/03(Sat) 21:46 No.1208  

とりあえずわけのわからない投稿だったことを謝ります。
ごめんなさい。

>うま
すべきかすべきじゃないかに意味はあるんじゃない?

>とつ
感謝に限らず、人に心情的な何かを強要するのは激しく名言的だよね?
「君はあいつに酷いことをされたんだ。だから君はあいつを憎むべきだ。」とか。
それにも関わらず「感謝」ってものの名言臭に敏感になってしまうのは、やっぱり出現頻度の問題なんだろうか。
「感謝」そのものは名言的じゃないけど、名言的に使われることが多い言葉だから、「感謝」って言葉がもう臭くて仕方ないのかな。


Re: 感謝再び うまい - 2008/05/04(Sun) 09:03 No.1209  

「Aすべき」と言うときに前提されている「Bのためには」と
という評価尺度が話し手と聞き手で共有できていれば意味あり。
評価尺度に無自覚に「Aすべき」と発言したり思考したりする
のは愚か。共有できない相手に話しかけるのも無意味か愚か。
 Aの例: 感謝表明、労働、投資・・・
 Bの例: 懐柔、ビールが旨い、資産活用・・・

「感謝」という言葉は、「感謝を表明すること」という意味で
使われることもあるが、もともと「興奮」などと同様、コント
ロールできない振る舞い(湧き上がってくるもの)を意味する
のではないか? その種の言葉で、すべきとかすべきじゃない
とか言っても何が言いたいんだか・・。


Re: 感謝再び 六7 - 2008/05/04(Sun) 11:49 No.1210  

>うま
>「Aすべき」と言うときに前提されている「Bのためには」という評価尺度が話し手と聞き手で共有できていれば意味あり。
共有できてなくても話し手が意識できていれば問題ないのでは?
>共有できない相手に話しかけるのも無意味か愚か。
そうかなあ。
そもそも、共有できてるかできてないのかが確認とれないし。


Re: 感謝再び うまい - 2008/05/04(Sun) 15:22 No.1211  

>共有できてなくても話し手が意識できていれば問題ないのでは?

その場合、話し手の発話の目的は何でしょうか?

>そもそも、共有できてるかできてないのかが確認とれないし。

共有できている(可能性がある)と思っていれば意味あり。
話が通じ合っている同士の場合「Aすべき」で十分だし、心配
なら「BのためにはAすべき」と言えばよい。
相手の反応が期待どおり(賛同、反論等の内容から共有できて
いると推測できる)の場合、その発話は成功している。
期待どおりでない場合、さらに続けるか打ち切るかの選択肢が
残っている。続けるなら、前提となる評価尺度を共有すること
から始めるのがよい。


Re: 感謝再び うまい - 2008/05/04(Sun) 15:30 No.1212  

共有できる可能性があると思っていれば意味あり。(共有
できていなかったとしても共有するための行動が可能。)
共有できないと思う相手に話しかけるのは無意味か愚か。


Re: 感謝再び 六7 - 2008/05/04(Sun) 17:42 No.1213  

えと、うまいさんは「〜すべき」という発言を、話し手の聞き手に対する要請と考えてるみたいだけど、そこらへんが違うみたい。
話し手の目的は、上に挙げたとつの発言みたいに、意思表明とか色々あるんじゃない?


Re: 感謝再び うまい - 2008/05/04(Sun) 19:22 No.1214  

「〜すべき」という意思表明??
誰の誰に対する意思表明だっけ?


Re: 感謝再び 六7 - 2008/05/04(Sun) 19:35 No.1215  

??
かみあってないですね。


Re: 感謝再び 六7 - 2008/05/04(Sun) 19:39 No.1216  

目的は聞き手に対する要請だけではないってことを言いたかったんだけど、変なこと言ってる?


Re: 感謝再び うまい - 2008/05/04(Sun) 21:07 No.1217  

では、目的を

 A 「聞き手」に対する「要請」

以外のケースに絞って考えてみますか?

 B 「聞き手」に対する「要請以外の働きかけ」
 C 「聞き手以外」に対する「要請」
 D 「聞き手以外」に対する「要請以外の働きかけ」

B〜Dのどの目的ですか?

ちなみに、私が言っているのは、A〜Dのいずれのケース
においても、

 「感謝すべき」というのは無意味 ・・・※1
 「感謝すべきでない」というのも無意味 ・・・※2

ということです。
注意が必要なのは、「感謝していることを表現すること」
と「湧き上がってくる気持ちとして感謝すること」とは違
う点。前者を「感謝表明」、後者を「衝動的感謝」と呼ぶ
ことにします。※1、※2は後者の意味で言っています。

最初の発言では、「興奮すべきかすべきでないか」と同様、
「衝動的感謝すべきかすべきでないか」は意味ないんじゃ?
次の発言では、「懐柔のために感謝表明すべき」は「懐柔
のために」という評価尺度を聞き手と共有できていれば
意味あり、と言いました。

話はかみ合ってないですが、意見が対立しているわけでも
なさそう。続けますか?


Re: 感謝再び 六7 - 2008/05/05(Mon) 21:01 No.1220  

続ける続ける。

>最初の発言では、「興奮すべきかすべきでないか」と同様、
>「衝動的感謝すべきかすべきでないか」は意味ないんじゃ?
例えば、興奮すべきでない局面はあるよね?
「あの場面では興奮すべきじゃないよ。」っていうのは無意味?


Re: 感謝再び うまい - 2008/05/05(Mon) 23:54 No.1222  

>例えば、興奮すべきでない局面はあるよね?
>「あの場面では興奮すべきじゃないよ。」っていうのは無意味?

評価尺度を聞き手と共有できていれば意味あり、と思います。

「興奮していることを表現するあるいは抑えきれないこと」を
「興奮表現」、「湧き上がってくる生理として興奮すること」
を「本能的興奮」と呼ぶことにします。
このとき、

 「本能的興奮すべき」というのは無意味
 「本能的興奮すべきでない」というのも無意味

だが、

 初対面の異性の前ではクールに振舞う方が有利

という評価尺度を共有している聞き手に対して

 見合いの席では興奮表現すべきじゃないね

と言うことは十分意味を持ちます。(興奮表現がクールさを損
なうと見るかどうかで意見が分かれれば議論になる。)

最初に戻ると、

 感謝など誰にも一切すべきじゃない

は、そもそもどういう意味なのでしょうか?
それがわからなかった事情もあって、

 興奮すべきじゃなくても興奮することがある。
 感謝すべきじゃなくても感謝することがある。
 すべきかすべきじゃないかなんて意味ないんじゃ?

と言ったのですが、間接的過ぎたので、次の質問に変えます。

 「誰にも一切すべきじゃない感謝」の「感謝」は、次のどの
 意味に一番近いですか?
 (ア)感謝していることを、自分以外の人に示す。
   ア−1 誰か(人間)に感謝
   ア−2 人間以外に感謝
   ア−3 ただ「ありがたい」と感謝
 (イ)感謝しているが、それを自分以外の人に示さない。
   イ−1 誰か(人間)に感謝
   イ−2 人間以外に感謝
   イ−3 ただ「ありがたい」と感謝

どの意味かを絞ってもらった方が考えやすいので。

もうひとつ、意味が特定できないのは、

 〜と言い切れるような生き方の方が好き

の「言い切れる」という言葉です。

 (ウ)自分に対して言い切れる。
 (エ)他人に対して言い切れる。

どちらの意味でしょうか?(両方でしょうか?)

# 凸さんでないと答えられないかもしれませんが、六7さん
# の予想(仮定)で議論をすることもできると思います。


Re: 感謝再び 六7 - 2008/05/07(Wed) 04:14 No.1224  

>評価尺度を聞き手と共有できていれば意味あり、と思います。
共有できていないと意味なしとする根拠は?
「逃げろ!」と言うのは、「オオカミが来るから」という理由を説明しなければ無意味?
評価尺度を共有できていなくても、意味がある場合はいくらでも挙げられるでしょ。
そりゃあホントに逃げてほしいのなら理由を説明したほうがいいだろうけど、説明する理由が真実である必要なんて全くないし、これは有意味or無意味とは無関係な話。
そもそも真の意味で共有など出来ようハズがない。
まあこれは感謝とは関係ない話だけど。

>感謝など誰にも一切すべきじゃない
>は、そもそもどういう意味なのでしょうか?
ここで言ってるのは「感謝」とは、感謝の意を誰かに示す行為のことを指しているんではなく、感謝という感情のことを言っているんだと思う。
そんな感情など必要ない、と。
むしろ足枷にしかならない、と。
※実際には違うけどね。言い切れないんだから。
 言い切ってしまう弊害もたくさんある。
 でも言い切りたいのはカッコイイから。

>どちらの意味でしょうか?(両方でしょうか?)
自分に対して何かを言い切るってよくわからない。
質問に答えるなら(エ)他人に対して言い切れる かな。


Re: 感謝再び 六7 - 2008/05/07(Wed) 04:22 No.1225  

ああ。
質問にきちんと答えてなかった。

>「誰にも一切すべきじゃない感謝」の「感謝」は、次のどの意味に一番近いですか?
正直この質問の意味がよくわからないんだけど(だから記号で選べない…)、「感謝」の対象が何かと、それを表現するのかしないのかってことかな。
対象は全て。
表現するしないじゃなく、感情の問題。

質問の答えになってるかな。


Re: 感謝再び うまい - 2008/05/07(Wed) 07:53 No.1226  

>質問の答えになってるかな。

なっている。シンプルで助かります。
(イ)ではなく(ア)ですね。

感謝するということは、

 (ア)感謝していることを、自分以外の人(聞き手)に示す。

ということですね。

で、もう1つ確認させて下さい。

その(感謝表明の)目的は

 A 「聞き手」に対する「要請」
 B 「聞き手」に対する「要請以外の働きかけ」
 C 「聞き手以外」に対する「要請」
 D 「聞き手以外」に対する「要請以外の働きかけ」

のうちどれですか。1つでも複数でも可。ゼロでも可。

>でも言い切りたいのはカッコイイから。

この発言からは、BとDっぽいですね。
なるほど、六7さんの感覚と私が違うのはこの辺りのようです。
私は

 感謝など誰にも一切すべきじゃない、と言うのはカッコワルイ

と思うから言いません。
感謝していることを見せる必要はないけど、感謝していないこと
を見せる必要も、同様にないでしょう。
つまり、元の凸さんの発言は、「感謝」が

 (イ)感謝しているが、それを自分以外の人に示さない。

の意味なら共感できる部分(全体ではない)があります。

以下は、質問への返事です。

>「逃げろ!」と言うのは、「オオカミが来るから」という理由を説明しなければ無意味?
>評価尺度を共有できていなくても、意味がある場合はいくらでも挙げられるでしょ。

この場合、通常、評価尺度を共有できると思います。

 安全のためには、逃げるべき。・・・(1)

つまり、聞き手も「安全」という評価尺度を共有できるていると
いう前提で、単に「逃げろ(逃げるべき)」というのは意味があ
ります。
しかし、聞き手が

 オレはオオカミに喰われても構わないんだ。
 このマリオを続けさせてくれ。

という人だったら、

 マリオのためには、逃げるべき。・・・(2)

かどうかを考え、「逃げるべきではない」と判断するかもしれな
いですね。この場合、先に、前提となる評価尺度を共有するため
のコミュニケーションがないと、話が噛み合いません。


Re: 感謝再び 六7 - 2008/05/07(Wed) 15:00 No.1227  

>感謝するということは、
>(ア)感謝していることを、自分以外の人(聞き手)に示す。
>ということですね。
んー、違う。
表明することではなく、感情を持つこと。
そして、「その感情(感謝)を持つべきでない」と言い切ってしまえば、表明することは結果的に無くなる。

とりあえず他の話はほっといて、ここの確認だけにしておきます。


Re: 感謝再び うまい - 2008/05/07(Wed) 20:25 No.1228  

>表明することではなく、感情を持つこと。
>そして、「その感情(感謝)を持つべきでない」と言い切ってしまえば、表明することは結果的に無くなる。

了解。
# 確かに「表現するしないじゃなく感情の問題」と書い
# てあったのを、見間違ってました。すみません。

すると、「感謝など誰にも一切すべきじゃない」とは

 いかなる場合でも感謝という感情が湧いてこないように
 常日頃から訓練すべき

という意味になりますか。
そうだとすると、私はそんな訓練はしたくないので共感で
きないですね。
また、こんなことを言い切ってもカッコイイとは思えない
です。
ただし、言わずにこのような訓練をしている人を発見した
ら、カッコイイと思うでしょう、たぶん。


Re: 感謝再び 六7 - 2008/05/07(Wed) 22:31 No.1229  

>そうだとすると、私はそんな訓練はしたくないので共感で
きないですね。
おれもしたくない(笑)
でも例えば、そんな訓練などせずとも、そんな感情を抱くことなく、なおかつなんの支障もなく生きている人間を想像してみると、かっこよくない?
で、そんな人間に、「感謝することはないの?」って聞いたら、「感謝など誰にも一切すべきじゃない」って言い切ると思うんだ。
そんなとこだと思う。

うまさんが言うように、
>また、こんなことを言い切ってもカッコイイとは思えない
です。
これは確かにそう思う。
とつもこう言ってるしね。
>そりゃまあ、タネあかしを堂々と言いまわっていたらかっこわるいけど。


Re: 感謝再び 六7 - 2008/05/07(Wed) 22:34 No.1230  

また誤解を生みそうな書き方してた。申し訳ない。

言い切ること自体がカッコイイのではなく、言い切れる人間がカッコイイってことね。


Re: 感謝再び うまい - 2008/05/08(Thu) 07:15 No.1231  

>で、そんな人間に、「感謝することはないの?」って聞いたら、「感謝など誰にも一切すべきじゃない」って言い切ると思うんだ。

「ない」と答えるか、何も答えないか、じゃないかな。
他人(聞き手)に対して「すべきじゃない」と言うのはカッコワルっぽい。

>言い切ること自体がカッコイイのではなく、言い切れる人間がカッコイイってことね。

いや、言わない人間の方がカッコイイと思う。
人から聞かれて言うのもそうだし、自問自答であっても(言わなくても)同じ。

「そんな訓練などせずとも、そんな感情を抱くことなく、なおかつなんの支障もなく生きている人間」なら、そんな問いは立てないし、「すべき」とも言わないと思います。


Re: 感謝再び うまい - 2008/05/08(Thu) 07:36 No.1232  

過去の記事を検索してみました。

(Re: ところで、 とつげき東北 - 2008/03/24(Mon) 00:33 No.1141(管理者))
>ようは「感謝」という言葉があまりに陳腐であり、かつしばしば盲目的に用いられるために、使いたくない、という美学なだけかもしれませんが。

これはよくわかります。
しかし、それなら例えば次のように言った方が、誤解されにくいと思います。
(六7さんが引用した一文しか見ていなかったので、私は誤解した。)

 感謝などという言葉を知らない生き方の方が好きです。

この「好きです」なら共感できます。
「感謝すべきでない」と言われると、私の美学に抵触する!


なんかすごいゾ! 投稿者:鬼太郎 投稿日:2008/03/29(Sat) 01:46 No.1154   HomePage
茨城・土浦の8人殺傷:「複数殺せば死刑に」 金川容疑者「犠牲増える」予告

 茨城県土浦市のJR荒川沖駅周辺の8人殺傷事件で、無職の三浦芳一さん(72)殺害容疑で逮捕された同市中村東3、無職、金川(かながわ)真大(まさひろ)容疑者(24)が「(死にたかったが)自殺はしたくなかった。複数の人を殺せば死刑になると思った」と供述していることが分かった。県警は事件当時の金川容疑者の心理状態や動機解明につながる供述とみて、さらに調べを進めている。

 また、金川容疑者が母親の携帯電話に送った、複数の殺傷を予告するメールが「おれが犯人だ。犠牲者が増えるよ」という内容だったことも判明した。

 このメールが送信されたのは21日午前。19日に近くの無職の三浦さんが殺害される事件があり、行方が分からなくなった金川容疑者の所在などを確認するために母親が送ったメールに返信されてきたという。

 金川容疑者は供述などから、当初は19日朝、妹や小学校を襲う計画だったが断念し、面識のなかった三浦さんの自宅前を通り掛かって殺害したことが分かっている。





すげー勝ち組ですよね、この犯人。ニュースを読んですげー敗北感を覚えます。


Re: なんかすごいゾ! 鬼太郎 - 2008/03/29(Sat) 01:54 No.1155   HomePage

岡山駅突き落としの少年、ナイフと財布のみ所持…逮捕覚悟か

 岡山市のJR岡山駅で、岡山県職員假谷(かりや)国明さん(38)が突き落とされ死亡した事件で、27日に殺人容疑で送検された大阪府大東市の少年(18)が持っていたショルダーバッグには、果物ナイフ(刃渡り12センチ)と財布だけしか入っていなかったことが、わかった。
Click here to find out more!

 携帯電話も自宅に残したままで、少年は「人を殺せば刑務所に行ける」と供述。県警は、事件を起こして逮捕されることを覚悟し、家出したとみている。

 調べでは、少年は逮捕された際、普段、使っている黒色のショルダーバッグを肩にかけていた。中の財布には3560円あっただけで、自宅の台所から持ち出したナイフは、使い古したものだった。父親が「財布を忘れても携帯だけは忘れない」と言うほど大切にしている携帯電話も自宅に残し、軽装で家を出ていた。

 これまでの調べに対し、少年は「人を刺そうとナイフを持って家を出た」「刑務所に行ける」などと供述。假谷さんをホームで突き落とした後、駆けつけた警察官に抵抗する様子もなかったという。




これもすごいっす。流行るっす。


Re: なんかすごいゾ! ・・・・・ - 2008/03/29(Sat) 20:51 No.1156  

犯行には美学がないが、死に方には美学があるんだなw
これから自殺より死刑がブームになるかもな。


Re: なんかすごいゾ! 阿蘇山 - 2008/04/13(Sun) 15:20 No.1159  

こういう輩はとっとと駆除するに限るが本人がそれを望んでいると言うのが痛い。
なんとか思う存分悔しがらせ、苦しめて駆除する方法は無いんだろうか。


Re: なんかすごいゾ! 阿蘇山 - 2008/04/13(Sun) 23:31 No.1160  

正直に言えばこの手の輩が本当に「死にたいが自殺ではなく死刑になりたい」と思って犯行に及んだのかは疑問だが、仮にそうだとすれば連中の為、本人が申請すれば国に死刑にさせて貰うシステムを構築すると言うのはどうだろう。
こうすれば問題は解決だ。
無論、ただ死刑にするだけでは金の無駄なので死刑の方法は新薬実験や人体実験などを使い少しでも有用にせねばならないのは言うまでも無い。


Re: なんかすごいゾ! とつげき東北 - 2008/04/14(Mon) 02:33 No.1161(管理者)  

まったく現実的でないが、安楽死したい人を、それまで収めた税収等に応じて(望むのであれば)ある程度の快楽を与えた後に安楽死させる仕組みがあっていいと思う。

例:定年を迎えて妻にも先立たれやることのないおっちゃんに世界一周慰安旅行等を与えて楽に殺すなど

これにより死にたいダメなやつらや、社会保険料などを食いつぶす高年齢の人々の一部が死んでくれる。
むろん制度化されれば、もっと歳食ったら私もそれに乗る。


Re: なんかすごいゾ! 犯罪予備軍のニート - 2008/04/14(Mon) 13:47 No.1162  

いじめを受けた
だの
ゲーマーだった
だの

イジメを受けて、対人恐怖症かPTSDかあるいは別の精神病になって家に引きこもり。食い物とかは親依存。高校中退とかで、職業訓練なども受けずに20代。家ではパソコンの前で一日中ネットゲームや2ちゃんねる。仕事を探す気も無いが仮に探したとしても雇ってくれる企業は少ない。
ニートの典型的イメージ。存在価値の無いバカ。殺人予備軍。
自殺するなら他人に迷惑をかけず死ね
とか書いてるのを見ると笑ってしまう。

こんな時間にこんな過疎の掲示板に書いてる俺も勿論、殺人予備軍。


Re: なんかすごいゾ! ・・・・・ - 2008/04/14(Mon) 20:56 No.1163  

「〜予備軍」ていう言葉自体がニートっぽいよね。


Re: なんかすごいゾ! 六7 - 2008/04/14(Mon) 21:27 No.1164  

お手軽に安楽死できたらいいのに。
そうなったら、めっちゃくちゃ希望者いそうだよね。
でもきっと、家族の了承とか必要だったりして、めんどくさいんだろうな。
あーめんどくせ。


Re: なんかすごいゾ! 宅間って - 2008/04/17(Thu) 10:27 No.1168  

宅間が死刑になった時の発言。
死刑にしてくれてありがとうと言った後、殺した子供に死んでくれて感謝してるなどと発言。
その後の会話

宅間「おい、くそガキの親!
おまえらのガキの8人分の命はワシ一人を殺して終わりの程度の価値やったんやぞ!
エエ学校に行かせて偉そうにしとったから死んだんや!
ガキどもが死んだ原因はおまえらあるんや!せいぜい一生反省せいよ!
あの世でもおまえらの子供しばき倒したるからな!
あははははは!あははは!こらおもろい!」

この発言を見るたびに胸がせいせいするなー。
まずありえないが、国が安楽死を許可しても、宅間みたいな人は変わらないだろうなー。やっぱ人殺して死刑になると思うw


Re: なんかすごいゾ! とつげき東北 - 2008/04/17(Thu) 20:33 No.1169(管理者)  

宅間はモテモテだったからな。
当たり前だが。
ファンレターがたくさん獄中にきて、獄中結婚までしてしまった。

「死刑に該当するような犯罪をまじで減らしたい」ということだけが目的なら、残虐刑の導入がよかろう。
例えば私、今の日本法であれば、時と場合と立場と条件があえば人を殺すと思う。
ただ「殺人したら1年間の残虐刑」だったらやらない。


Re: なんかすごいゾ! 六7 - 2008/04/17(Thu) 22:01 No.1170  

とつが言ってる「時と場合と立場と条件があえば人を殺すと思う」ってのは、死刑を受け入れる価値がある場合には殺すってこと?
それとも、全力で捕まらないようにするけど捕まったとしても普通の死刑ならまぁいいやってこと?

残虐刑が導入されても「時と場合と立場と条件」の範囲が狭くなるだけで、
>ただ「殺人したら1年間の残虐刑」だったらやらない。
これは嘘でしょ。
殺人した瞬間から残虐刑開始とか変な条件はないよね。


Re: なんかすごいゾ! とつげき東北 - 2008/04/18(Fri) 02:20 No.1171(管理者)  

ああ、つかまる前提で書いてたね。

>国が安楽死を許可しても、宅間みたいな人は変わらないだろうなー

という流れを受けて。

しかし逃げられる可能性が5割であっても、「時と……条件」は、めっちゃ狭くなる。
私は快楽殺人は思想的には共感できる部分が多いが、そして戦争とか起きて、金も何もかも尽きて嫌になったらひょっとして人殺すくらいするかもしれんが、強烈な残虐刑が待っているならまず踏み切れないだろう。


Re: なんかすごいゾ! 私は逆かな - 2008/04/18(Fri) 04:19 No.1172  

残虐刑になったら、踏み切れない人も多いだろうが
私の場合、踏み切れないというよりむしろ死刑になりたいなぁ。こういう人、多いんじゃないかな。


Re: なんかすごいゾ! ・・ - 2008/04/18(Fri) 06:06 No.1173  

死刑は自己理論を創る際の落とし所として重宝するんだろうな。
そもそも死刑にはイエスやその他教祖とかのイメージ(先入観)があるため、
死刑をもって「自己=神」の証明を完結させやすい。
金川の場合、自称神であったということ、そして逮捕されてからも反省の弁を述べていないことから、
前もってそれなりに強固な論理(理論)が組んであったと見られる。
残虐刑だと「先」がある分、理論の「落ち」として使い難い。
犯行だけで何らかの証明が為されるのならば、
たとえ残虐刑でも実行される可能性はあるが…。
宅間の場合は金川と違って犯行内容にも重点が置かれていたため、
(将来エリートとなるはずの尊い子供の命がゴミ屑以下である自分の命と同等であることの証明)
もしかしたら、残虐刑でも実行されていたかもしれない。


Re: なんかすごいゾ! 六7 - 2008/04/18(Fri) 07:20 No.1174  

無差別殺人とか、逮捕=死刑になるような犯罪をする人は、残虐刑があっても変わらないんじゃない?
捕まりそうになったら自殺すればいいんだから。
犯罪そのものが目的でなく、(既存の)死刑を望んでる人はそうもいかないだろうけど。
明確な目的意識がなきゃ犯罪はできないってことになるね。
残虐刑を望む輩も出てくるのかな。


Re: なんかすごいゾ! とつげき東北 - 2008/04/18(Fri) 21:31 No.1175(管理者)  

そんなに精神的に強い犯罪者ばかりではない。神格化しすぎ。

宅間が殺しまくったのは、「世の中」という大きなモノへのうらみつらみがたまっており、死んでもいいやというか楽に死ねたらいいなー(死刑など怖くない=当たり前のこと)ということで、何かついでにできることは……と思い、かねてから自分をこんな立場に追いやった金持ちどもへの苛立ちを発散させたという程度じゃないかね。彼の行動はパフォーマンスであって、意味深なメッセージなどない。彼が東大卒のエリートコースを歩んでいたらあの事件はおきなかった、という程度のものだ。
で、もちろん宅間だって残虐刑は怖かろう。残虐刑ありなら、単に首吊りや飛び降りなどで死んでいた可能性も充分にある。

大量殺人等残虐行為への憧れ(ただし現実にはしないが)があり、なおかつ死ぬこと自体がまったく怖くなく、残虐刑が怖いという私のようなまっとうな人間はここにいないのかね?


Re: なんかすごいゾ! 六7 - 2008/04/18(Fri) 22:58 No.1176  

神格化なんてしてないし。
残虐刑が導入されたら、明確な目的意識のある人(精神的に強い人)しか犯罪はできない。って言ってんじゃん。

>私のようなまっとうな人間はここにいないのかね?
自分のことを話した方がいいの?
>大量殺人等残虐行為への憧れ(ただし現実にはしないが)があり、
おれは人を殺してみたいね。ただ、血とか出るの怖いからそういうのじゃなくキレイに殺したい。
大量殺人ってよくいうけど、一桁の人数を殺すようなのは特に興味無い。1人殺すのとそんなに変わらない気がする。
1000人とか1万人とかできるならそれはアリだな。
もちろん他にやりたいこといっぱいあるから、現状で殺人はありえないけど。
>なおかつ死ぬこと自体がまったく怖くなく、
怖いな。でもまぁ、怖い怖くない以前に死にたくはないね。だから怖いのかな?
>残虐刑が怖い
怖すぎです。


Re: なんかすごいゾ! とつげき東北 - 2008/04/18(Fri) 23:08 No.1177(管理者)  

ああ比較的ぬるい感じでレスしてるため引用や参照先を明示せずすまん。
神格化は主に、
>宅間の場合は金川と違って犯行内容にも重点が置かれていたため
に対しての発言。
まあ六7の
>無差別殺人とか、逮捕=死刑になるような犯罪をする人は、残虐刑が
あっても変わらないんじゃない?
にも若干該当するけどな。


Re: なんかすごいゾ! とつげき東北 - 2008/04/18(Fri) 23:12 No.1178(管理者)  

で、六7の、以下の発言について言ってるわけですよ。


>なおかつ死ぬこと自体がまったく怖くなく、
怖いな。でもまぁ、怖い怖くない以前に死にたくはないね。だから怖いのかな?
>残虐刑が怖い
怖すぎです。


ね。だから、
>>無差別殺人とか、逮捕=死刑になるような犯罪をする人は、残虐刑が
>あっても変わらないんじゃない?
というのは少なくとも私、そして恐らく君にとっては間違いになりそうな予感だ。
実際にそういうことをする局面におれらが行くかではなくて、おれらのような人がそういう局面に行った際の行為としてね。

私の当初からの見解は「死刑より残虐刑を入れた方が(そういう犯罪に対する抑止力は)強いだろ」ってことなので。

<「死刑に該当するような犯罪をまじで減らしたい」ということだけが
<目的なら、残虐刑の導入がよかろう。


Re: なんかすごいゾ! 六7 - 2008/04/19(Sat) 00:00 No.1179  

うん。残虐刑の抑止力が強いことは納得してるよ。
<残虐刑が導入されても「時と場合と立場と条件」の範囲が狭くなるだけで
って言ってるしね。

おれが言ったのは、狭くなるけどゼロにはならない。
だから、
>ただ「殺人したら1年間の残虐刑」だったらやらない。
これは嘘。ってことね。
言い過ぎが気になったよってこと。

でも、
>>>無差別殺人とか、逮捕=死刑になるような犯罪をする人は、残虐刑があっても変わらないんじゃない?
>というのは少なくとも私、そして恐らく君にとっては間違いになりそうな予感だ。
これは納得いかない。
とつは知らないけど、おれは死にたくない。
だから明らかに死刑になるような犯罪をするなら逃げきる前提で計画を立てる。
失敗は死。残虐刑は嫌だから、捕まりそうなら自殺。普通の死刑でもおれは嫌だから自殺するけど。

これはあくまでも死刑確定的な犯罪の話だから、そこらへん弱いのは承知してます。


Re: なんかすごいゾ! とつげき東北 - 2008/04/19(Sat) 01:21 No.1180(管理者)  

別に勝ち負けを決める議論のつもりでないのでそのつもりで。

なんで死にたくない?
それが本当にわからんなぁ。

おれは中学の頃から「生きるの面倒だから明日地球が破滅すればいいのになー苦しくない方法で」とか思ってたよ。
とはいえその段階は、「不可避な方法で死ぬのであれば、しょうがない」という意味である種道徳的だったのかもしれない(死ぬことが何かしら周囲のモノにひっかかっているという意味で)。

大学生の頃などは法医学書を読んだりして楽な死に方をちゃんと身につけ、いつでも家で死ねる状況は作っておいた。

今は基本的に非常に安楽で、楽しく、稼ぎもそこそこよく生きているが、やはり「明日目覚めずに死んでたら楽www」くらいのことは時々思う。かわいい女性とのデートを取り付けた日とかでさえ、時にそう思う。人生の楽しさと死ぬことの楽しさは独立で、後者が常に勝っているようなイメージ。

積極的に死ぬまではいかないが、明らかに生きてるより死ぬ方が得だよなーと。今生きてるのは惰性だね。


Re: なんかすごいゾ! 六7 - 2008/04/19(Sat) 02:12 No.1181  

>別に勝ち負けを決める議論のつもりでないのでそのつもりで。
了解です。おれもそのつもり。

>なんで死にたくない?
生きてる方が楽しそうだから。
少なくとも楽しめるから。
死にたくないというよりも、死ぬつもりがないと言ったほうが的確かな?
何があっても生き抜くような根性(笑)はないです。

>大学生の頃などは法医学書を読んだりして楽な死に方をちゃんと身につけ、いつでも家で死ねる状況は作っておいた。
これは是非知りたい。
調べればすぐわかるようなもの?


Re: なんかすごいゾ! 六7 - 2008/04/19(Sat) 02:34 No.1182  

おれも中学や高校の頃はよく、めんどいから死にたいなーって思ってたな。
特に朝。起きるのがめんどくさすぎだった。
あの頃に楽に死ねる方法知ってたら、今生きてる可能性は五分五分ってとこだろうな。

今はいろんなめんどくささより、楽しさが勝ってるんだと思われ。


Re: なんかすごいゾ! うは - 2008/04/19(Sat) 05:59 No.1183  

残虐刑が怖い
それを上手く利用したのが、宗教なんだろうな。
悪いことをしたあと死んだら、エンマさまに地獄に落とされて
針の山を歩かされたり、熱湯の血の池でゆでられたり、鬼にずっと殴られたり・・・しかも死んでるからもう死ねず、永遠の苦しみをうけることになる。


Re: なんかすごいゾ! ・・ - 2008/04/19(Sat) 08:16 No.1184  

>そんなに精神的に強い犯罪者ばかりではない。神格化しすぎ。
>何かついでにできることは……と思い、かねてから自分をこんな立場に追いやった金持ちどもへの苛立ちを発散させたという程度じゃないかね。

殺す対象を絞っていたという結果に対して、「ついで」ととるか否かはとつげきの勝手だが、「実行する」ためには閾値(「世の中」という大きなモノへのうらみつらみでも殺人衝動でもなんでも良い)を越えなければならない。
この閾値を上げるための要素としてはとつげきが言うように残虐刑等が該当するかもしれないが、閾値を下げるための要素として、激しい感情、それによって形成されるかもしれない世間から離れた論理を想定する必要がある。現在の社会的地位は人によって分かれるだろう。
感情と論理は相互作用する場合もあるため、
(ある感情を生じる考えを習慣的に繰り返す事で、感情が増強される、又は感情による目的の明確化が起こる)
一概には言えないが、これは極度に閾値を下げる。
従って、宅間個人の論理を神格化したわけではなく、金川と異なり、殺人対象を絞る事自体が閾値を下げることに貢献していたのではないか、と推測して「重点〜」という表現を用いた。
ちなみに私はまっとうではないので、自分が納得する理由を作ることができたならば、残虐刑であっても実行出来ます。

>彼の行動はパフォーマンスであって、意味深なメッセージなどない。

芸術家が行った仕事に対して芸術家自身がそれに対する合理性を認識できていなくとも、第三者が結果的に「こういう点でここは合理的にとれる(美しく見える)」という解釈はできる。


Re: なんかすごいゾ! とつげき東北 - 2008/04/21(Mon) 04:24 No.1185(管理者)  

ノフーン。
酔っ払って明日仕事なのにこんな時間まで起きてるから、なんかもっと語ってくれていいよー。

・・氏の意見、・・氏の
>ちなみに私はまっとうではないので、自分が納得する理由を
>作ることができたならば、残虐刑であっても実行出来ます。
によって、(仮にそれが本当なら)信頼度が私の中で一気に向上した。
私にはできない判断だわ。
私は「持続する痛いの」が怖い。
親知らずなんか生えてきたら死のうと思ってた。
実際抜いてみるとたいしたことなかったんだけど。
でも本当に苦痛を与える残虐刑はつらい。
中性ヨーロッパで芸術的に開発された各種残虐刑のうち、万力でひざをつぶすというのがもっとも痛そうだったなぁ。
痛さのあまり気を失うが、痛さのあまりすぐに意識を取り戻す・・・というのの繰り返しだそうだ。
あーこわい。
そんなだったら絶対強姦殺人とかできねー。

・・氏はどのあたりまでならどの程度できる?


Re: なんかすごいゾ! カエソ - 2008/04/21(Mon) 09:11 No.1186  

>>宅間って
その発言はデマだそうですが、本当だとしても論理的におかしくありませんか?
子供8人を殺して自分1人が死刑になったから1人の子供の価値は自分の八分の一の価値しかないと言っていますが、実際は8人殺して自分がやっと死刑になるんだから自分の価値が子供の八分の一しかないって事になっちゃんじゃないですか?


Re: なんかすごいゾ! 光市母子殺人事件 - 2008/04/22(Tue) 12:30 No.1187  

犯人が死刑になったな!良かったな!


Re: なんかすごいゾ! 青山学院大学准教授 - 2008/04/23(Wed) 20:48 No.1191  

なんかすごいことになっててワロタ。
まともなこと言ってる教授が、基地外扱いされて
ブログを炎上させようとかなってる。
民度低すぎだろ・・・


Re: なんかすごいゾ! ・・ - 2008/04/24(Thu) 12:08 No.1193  

>どのあたりまでならどの程度できる?

生きたままのラットの脳やサルの脳を直接見たことがある。
(サルの場合は頭蓋骨を剥ぎ取る作業の補助をさせてもらった)
また、ラットの脳を解剖させてもらったことがある。

実際に残虐刑になった場合は同じような視点で
自分(人間)を眺めざるを得ない。
要するに許容するしかない。
「どうして自分だけが」や「倫理的にこんなことは許されない」
などの論理・感情はそのような局面では何の役にも立たない。
自殺・他殺・脱走の機会など問題解決に必要な状況を見極めるために
必要な視点が「許容」である、という論理に自然と落ち着いてしまった。
仮に、現在の知識で問題解決が不可能であると理解してても狂ったように自然に
「許容」ができる、というのが自己満足できる美しい死に方(生き方)だと思い込んでいる。

人、動物の生死に必要以上の(社会的)意味を持たせたい、
あるいは全て無価値なので何も考えない、というわけではなく、
「生きる(分析する)」という目的と手段の区別を取り払いたい、という願望があるのかもしれない。
結果を見て(芸術として)そっちの方向に洗練されている、と仄かに感じられる程度が理想かな。

犯罪をするにしても残虐刑を受けるにしても根元は変わらない気がする。


Re: なんかすごいゾ! Revin - 2008/04/27(Sun) 02:06 No.1194  

死よりも死への過程に恐怖を感じる俺としては、
瞬間的にフッと死ねるボタンが目の前にあれば何かの拍子に押したいが自殺はしたくない。
凸のように、それに近いものを準備してはいないが準備できるほど相対化が徹底してもいない。面倒さも手伝っている。
残虐刑が行なわれるようになったら、痛いのが嫌なので俺も犯罪行為のリスクを重んじるようになって、より犯罪を犯しにくくなるだろう。

・・氏の投稿を見て思い出し、少し触れたくなったことだけども、近年、まさしく現実と虚構の区別がつかない連中による「フィクションへの弾圧」に対しては、名言ウィキで日夜行なわれているような愚行への冷笑では留まらない具体的な「怒り」を幾許か感じている。
喫煙のように、他の行為で何とか代替が利くものではなく、創作全般に対して行なわれる不当な弾圧については、俺にとって替えが利くわけではないからだ。もちろん喫煙がそれに当たるという人も居るだろう。
例えばいささか反社会的だからといってストーリーをいたずらに変えさせられた小説作家が居るし、オリジナル漫画の発行を差し止められた好きな同人絵描きが居る。
それが直接苛立ちの全てではないが一部ではあって、そんなことするんやったら、もう世の中みんな無茶苦茶になってお前ら全員不自由になったらわハッハンみたいな気持ちになることもあり、具体的にはオリンピック中止とか戦争とかなったら皆さんどんなこと言い出すんでしょうね、というようなダダイズムめいた思いがあったりもする。特に何かを論じたいわけではないが、そういうのあるなあ。


Re: なんかすごいゾ! とつげき東北 - 2008/04/27(Sun) 11:39 No.1196(管理者)  

>・・氏

私は肉体的痛さに弱いので、もし書かれていることが本当ならばあなたはすごいな。
無痛症気味なんじゃねーか? とか疑ってしまうほどだわ。


>れびん

フィクションへの弾圧を含む、「あくなき私的道徳の追求」へのむかつきは同じだね。
売春の禁止とか、淫行条例とか、果ては児童ポルノ保有禁止うんぬんとか。

それから例えば芸能人の表現活動も色々規制されてるね。
沢尻エリカ様もかわいそうだったし、他にも誰だっけか、海で行方不明になってる人を「亡くなった」発言して謝罪させられたタレントいたよね。生放送でもないあの発言が「家族に対して失礼で、表現すべきではない発言」なら、テレビ局が編集でカットすべきだったんだよ。それをせずにわざと放送し、何度も何度もその場面(発言)をテレビ上で全国に流し続け(て家族に対して失礼を繰り返し)、謝罪する場面を演出し、週刊誌の話題にしてまたテレビで取り上げる、みたいな。
人間のくず、きちがいの類だね。

ああそういえば「きちがい」も禁止用語らしいな。ばからしい。筒井康隆氏くらいのレベルになれば平気で紙面で使えるけども、同人誌だとかそういう弱者側で使うのは難しいよね。

表現の規制はまじでうざい。
私もよく言われるね。「公務員がそんなことを言っていいのか」とか「凸さんのそういう表現はよくないと思います」とか。
わざと私は言い返すね。
「うるさいだまれきちがい。教養がなさすぎるからそんな発想になるんだよゴミが」
とか
「公務員である以前に私は知性のある1人の人間だ。君と異なる部分は公務員か否かではなくて、その部分だ」
など。


Re: なんかすごいゾ! とつげき東北 - 2008/04/27(Sun) 11:55 No.1197(管理者)  

>カエソ氏

>その発言はデマだそうですが、本当だとしても論理的におかしくありませんか?
>子供8人を殺して自分1人が死刑になったから1人の子供の価値は自分の
>八分の一の価値しかないと言っていますが、実際は8人殺して自分が
>やっと死刑になるんだから自分の価値が子供の八分の一しかないって
>事になっちゃんじゃないですか?

そこでタクマが「論理」を通す意味はあるの?
子供0.5人説もあるくらいだし(笑)、感情的に昂ぶっているはずの遺族を、もっとも効果的にいらつかせるには最高の表現だったんじゃないか?


Re: なんかすごいゾ! 表現の規制 - 2008/04/27(Sun) 18:46 No.1198  

>公務員がそんなことを言っていいのか
>そういう表現はよくない

今回の青山学院の某とそっくりの批判でワロタ。


Re: なんかすごいゾ!  - 2008/04/29(Tue) 23:56 No.1199  

>カエソ氏
最も遺族が悔しいのは、自分の子供が殺されるが、犯人は死刑にならないパターン。
カエソ氏の論理でいくならば、その場合の犯人の価値はゼロ?(0/1)
「価値」が何なのかは知らんが、この場合の敗者は遺族側だろう。

>8人殺してやっと死刑になる
宅間は死刑になるために罪を犯したわけでもないと思うし、宅間を殺すためには8人の子供の命が必要だった、という意味で宅間の言ってることに間違いはなかろう。


To:有識者の方々 投稿者: 投稿日:2008/04/10(Thu) 01:00 No.1157  
黒とつ、名言愚行Wiki、拝見させていただきました。
快楽主義的な思想、道具主義的な思想、私なりにかいつまんで理解しようとしてきたつもりです。
ですが、わからないことがあります。

・死ぬのが怖くない、長生きはしたくない
これはなぜですか?
快楽主義の解説では、美味いものを食ったときの喜び、セックスしたときの快感を自明なものとして扱っていましたが、動物としての死への恐怖も、また自明ではありませんか?
強度を追い求める人生も虚しくなりませんか?

気が向いたら、お答えください。


Re: To:有識者の方々 ・・ - 2008/04/11(Fri) 21:28 No.1158  

>死ぬのが怖くない、長生きはしたくない

どの項目にあるのかわからなかったけど、
ある種(辛く感じたり、嫌悪感を感じている)の状況では
なるんじゃないのか?

>強度を追い求める人生も虚しくなりませんか?

「美味いものを食ったときの喜び」の場合は人によっては
農家、食通、美食家、料理人をとなり、その喜びを追求するだろう。
農家なら、美味いものを作るために土壌、気候、水質、その他の手法に関して洗練していくだろうし、
美食家なら、舌の鍛錬によって料理に入っている食材とその相性を分析することが可能になるだろう。
料理人も、より外見的に美味しくみえるように、
より美味しく感じさせるように食材同士の組み合わせを考え、
技術的にも洗練させていくだろう。
セックスの場合も自分と相手の快感を追い求めるために
様々な体位が考案され、手技もまた洗練されるだろう。
洗練されるべき進化の方向性があるのだから、
そして、洗練された美しい結果が残るのだから、むしろ自己満足するだろう。

ちなみに、洗練されるべき進化の方向性として、思想を原点に置いた場合、
例えば、「全人類を幸せにする」ための行動は結果として、一部の人間に幸せを、その他大部分の人間に不幸をもたらし、
この方向性で行動が洗練されていく。
このように主観的思想の場合は目的の方向性と、
もたらされる客観的な結果の方向性にズレが生じることが多く(途中で補正することが難しい)、
自動的に後者の方向に行動が洗練されていくようだ。


Re: To:有識者の方々 チェリ (大学生 - 2008/04/14(Mon) 21:45 No.1165   HomePage

>動物としての死への恐怖も、また自明ではありませんか?
そうなんだろうけど、逆らえない程の強制力を持つかと言われれば違うのですます


Re: To:有識者の方々 とつげき東北 - 2008/04/15(Tue) 21:07 No.1166(管理者)  

死への恐怖は、思想や知識によりますが、それほど自明ではないと思いますよ。人間は本能の壊れた動物ですから。


Re: To:有識者の方々 恐怖症 - 2008/04/17(Thu) 09:58 No.1167  

高所恐怖症が有名だが、本当は心配のないはずのこと
(本人もそれは自覚している)をものすごく恐れる人がいるな。
対人恐怖症、虫恐怖症、閉所恐怖症、死恐怖症
もちろん、殆どの人は、目の前に刃物を持った狂人がいれば死を感じ怖いが、そういうことではなく、ひどい状態になるとたとえば風呂に入るときにも突然死ぬのではないか、寝るときも寝てる時に死ぬのではないか、他にも普通の人なら心配しないことを恐れる。そして本人は頭の中ではそんなことはありえないとわかっている、しかし怖い。面白い現象だなー。死恐怖症。俺もなってみたいものだ。


Re: To:有識者の方々 . - 2008/04/22(Tue) 23:17 No.1188  

凸とかカイジの鉄骨渡りに出ても楽勝そうだな。


Re: To:有識者の方々 六7 - 2008/04/22(Tue) 23:25 No.1189  

楽勝でしょ。
とつはなんでもできるよ。
もはや神。
天才。かっこよすぎ。いけめん。


Re: To:有識者の方々 いけめん - 2008/04/23(Wed) 12:50 No.1190  

皮肉っぽ


Re: To:有識者の方々 六7 - 2008/04/24(Thu) 07:03 No.1192  

>凸とかカイジの鉄骨渡りに出ても楽勝そうだな。
どっちかというとこの発言への皮肉です。


Unknown 投稿者:sweeta-ic 投稿日:2008/03/27(Thu) 11:51 No.1153   HomePage
Sorry, but what is kimerikas?

Jane.


ところで、 投稿者:とつげき東比 投稿日:2008/03/22(Sat) 23:29 No.1116  
とつげき東北は死ぬべきだとおもう。


Re: ところで、 トマトマン - 2008/03/22(Sat) 23:32 No.1117  

うんうん、オレもそうおもうなー。


Re: ところで、 DIO - 2008/03/22(Sat) 23:33 No.1118  

ブサイクらしいから許してあげようよ!


Re: ところで、 宇宙 - 2008/03/22(Sat) 23:34 No.1119  

ちっぽけな言い合いしてるお前ら乙。


Re: ところで、 小泉純一郎 - 2008/03/22(Sat) 23:34 No.1120  

とつげき東北をぶっ壊す。


Re: ところで、 2児の母、あくまで女 - 2008/03/22(Sat) 23:48 No.1121  

とつげき東北さんって親に対して「産んでくれてありがとう」的なおもいを持ってるのかしら?


Re: ところで、 とつげき東比 - 2008/03/22(Sat) 23:50 No.1122  

持ってるわけねえだろ。とつげき東北は死ぬべき。


Re: ところで、 とつげき東北 - 2008/03/23(Sun) 00:52 No.1123(管理者)  

うはは。
この過疎板でどんだけ息の合った連中だ(笑)

ジョーク書き込みに対してマジレスで申し訳ないが、親への感謝は特にないですね。不要と考えています。
もしも親に感謝する必要があるなら、日本よりも貧しい各国の種々の人々(私ども日本人が1人生きるだけで1000名分以上の命を奪うことになっていそうな人々)等に感謝し続ける方が先ですかね。あと牛とか豚とか。それをせずに身内の親にのみ感謝するのは、どうにも私の道徳観に反しますねぇ(笑)。
私はかつて、道徳的にかつ論理的にもっとも正しく考えるタイプの人間でしたのでこのようになりました。


Re: ところで、 ブリキ屋 - 2008/03/23(Sun) 16:45 No.1125  

うちは豚とか牛のほうが、両親より派生的な気がする。
牛とかに感謝しようとおもうのは両親のおかげなんじゃないのかなあ。


Re: ところで、 とつげき東北 - 2008/03/23(Sun) 22:04 No.1126(管理者)  

それはまさに「価値観の相違」などというたやすい文句で片付けられてしまうのでは。
例えば世の中には親より神に感謝する人もいるでしょうし、神のみにしか感謝しちゃいかんという教えもあるでしょう。
私はたかだか子供を産み育てるという普通の人間が普通にできることをしたという親に、いちいち感謝しない。
仮に感謝するのであればそれこそそれに見合う見返りを用意してあげてから口にすべきだし(私の家系ですと私が宗教に入ることがもっともふさわしい感謝の表明となるでしょう)、だいたい「感謝」だの「尊敬」だの、そういったものはそうたやすく垂れ流すものではない、というのが私の考えです。


Re: ところで、 ふとん - 2008/03/23(Sun) 22:48 No.1127  

価値観の相違が、論理的順序にまさるの?道徳的かつ論理的にもっとも正しく考える人は。
豚とか牛は、論理的には親より派生的だと思うなあ。


Re: ところで、 とつげき東北 - 2008/03/23(Sun) 23:14 No.1128(管理者)  

ううむ、親がいなければ自分は産まれて(育って)こなかった。
ですがそのことは他のたくさんの見知らぬ人々にも言えることです。

一方で、今現在、親がいなくても生きていける、というよりも宗教に金をつぎ込んでしまうので邪魔な側面さえある。
また、牛や豚がいなければ、私は正直死にたい(笑)
そうであれば「今」、親に感謝する必然性はどこにあるでしょうか。正体不明の懐古主義によってでしょうか。

また、感謝することが親にどのようなメリットを与えるでしょうか。
仮に親にメリットがあるとして、「感謝しているフリ」をすれば充分ではないですか?

論点がわかりかねますが、「親には感謝すべきである」という主張でしょうか。そうであるとするならば、なぜそう考えるかを述べていただければと。


Re: ところで、 ふとん - 2008/03/23(Sun) 23:21 No.1129  

論点は別に「親に感謝すべき」ではないですね。
ぶっちゃけ、いかにやりとりの間であなたをもやもやさせるか、できればイライラさせるかが目的です。
ですから、不条理を感じさせたかもしれないのはちょっとしたしめしめ感がなくもない。あまりにも貧しいかもしれないが、こっちは満足している(笑)。やべえ、とつに勝った。


ところで、「感謝」だの「尊敬」だのっていうのいうのはとつげきさんにとってなにを帰結するものなんですか?


Re: ところで、 とつげき東北 - 2008/03/23(Sun) 23:33 No.1130(管理者)  

図らずもしめしめ感を与えてしまったこと、遺憾です。

「感謝」「尊敬」というのは、表明することによる権力の行使手段ですね。

「私はお父さんに本当に感謝している」と述べることは、家庭での関係を良くするために使えます。
「私は麻雀の○○プロを尊敬している」とHPに書くことは、当該プロとの交流等につながる。

もちろん実際には、内心はけっこう色々な人に感謝したり、尊敬したりしているんですよ。例えば掲示板で高校生のくせに私より鮮やかに数学の問題をホイホイ解く人が出てきたり、仕事上で上手に進める上司がいたり、などなど。
ただし、感動やら尊敬やら……まあそうした言葉を、あまりにも日常的に口にする人が多すぎて、実に軽薄なものとなってしまっている。「一生のお願い」を何度もする子供のように。

その意味で、言葉は大切に使わなければなりません。
とりわけ、それが権力行使にかかわるような場合はです。
「とっておき」を持っておくことは大事だと思ってます。
私が「友達などいらない、いない」などと公言しているのも、ある側面ではそういった部分があるからかもしれません。


Re: ところで、 ふとん - 2008/03/23(Sun) 23:40 No.1131  

徹底的名プラグマティズムと捉えていいのでしょうか。

私は「感謝」とか「尊敬」というのはそれが向けられている対象のみならず、それ自体が自身に恍惚をもたらす一形態として人間味あふれる価値のひとつだという気がしますが。とつげきさんにとってはくだらないですか?
なにかに感謝しているときは、同時に自身に対する充実感も相当なものな気がします。
表明することによる権力の行使手段のみで「感謝」「尊敬」を評価するとつげきさんは「かわいそう」な感じがします。


Re: ところで、 とつげき東北 - 2008/03/23(Sun) 23:44 No.1132(管理者)  

とりあえずレスの速さとなかなかの明晰さに感謝しておきます。

なるほど、「尊敬」については特に恍惚感を感じますね。
実に陳腐な表現ですが、スポーツで一流選手のすばらしいプレイを見たときなどには尊敬やら感動やらハナクソやらが入り混じった気持ちよさを味わえます。

感謝の方は、私にはあまりありませんかね。
職場上で、本来無理スジの案件を通してもらったときなどには充実した感覚になりますが、しがらみを作るのも困るので、比較的その場限りになることが多いですかね。

まあ私も人間だから(みつを、あるいは名言)


Re: ところで、 美乳 - 2008/03/23(Sun) 23:53 No.1133  

とつげき東北さんが、感謝していることというのは、たずねたら教えてもらえますか?

これまでのとつげき東北さんのネット活動におけるサービス精神に期待しつつ、問う。


Re: ところで、 巨乳 - 2008/03/23(Sun) 23:56 No.1134  

あまりないってことは、ちょっとはあるってことだからなあ。
きっとあるとおもうよ!>美乳


Re: ところで、 とつげき東北 - 2008/03/24(Mon) 00:11 No.1135(管理者)  

感謝……実はそれほどないですね。
ああ親は金をけっこう落としてくれるのでその点では感謝しますが、なんというか、「人に感謝」よりも「その行為に感謝」することが多いです。

まあでも一例を挙げるのなら、私のHPでの活動を見てくれて本にしてくれた講談社現代新書の方々などにはやっぱり「感謝」という言葉がなかなか相応しく思いますし、程度の差はあれ色々とありますよ。
でもあまり、口にしたくはありません。「感謝」というのがあまりしっくりこないですしね。


Re: ところで、 ダル - 2008/03/24(Mon) 00:19 No.1136  

突っ込みどころありすぎ。お前はヤリマンか?ってくらい。


>「人に感謝」よりも「その行為に感謝」すること
この言い換えの意義ってなんなの?どんだけ親にコンプレックスあるんだよ。


>まあでも一例を挙げるのなら
親の行為への態度は感謝じゃなかったのかよ!?


>講談社現代新書の方々などにはやっぱり「感謝」という言葉がなかなか相応しく思いますし

もちろん権力的になんだよね?道具主義的なんだよね?講談社の人たちに対して。


>「感謝」というのがあまりしっくりこないですしね。

あんた「感謝」っていう言葉にもっと無垢に取り組んだほうがいいよ。


Re: ところで、 ちょっととつげき東北さんに興味があった女性(超絶美人) - 2008/03/24(Mon) 00:24 No.1137  

あれ?もしかしてとつさんってダサイの?


Re: ところで、 容姿が優れていてとつげき東北さんに興味があった私(女性) - 2008/03/24(Mon) 00:26 No.1138  

とつさんって、知的かと思ったら、マザコンだったのね。なんかガッカリだわ。でもそれがわかってよかったわ(笑)。


Re: ところで、 藤原紀香 - 2008/03/24(Mon) 00:29 No.1139  

ディズニーランドに一人で行って笑いを募るコミュニティで満足してるらしいわよ。
彼はそれでシアワセなんでしょうけど、相対主義を貫く私からいってももっとマシな「真の幸福」はあるのよって言いたくなるわねえ。


Re: ところで、 シアワセってなん・・・なの・・・。かな? - 2008/03/24(Mon) 00:33 No.1140  

ちょっとあんたたち!
シアワセは自分の心がきめるのよ!(みつを)

こんな言い争いは不毛よ!

まあ不毛さを楽しむ姿勢が人生かもしんないけど。


Re: ところで、 とつげき東北 - 2008/03/24(Mon) 00:33 No.1141(管理者)  

ヤリマン認定は国家資格でしょうか?

ようするに「感謝」というものは、一般に人やら神やら大自然やらにするものであると考えられているかに思うわけです。
「人から何かされた→人に感謝する」
「大自然のおかげで生きていられる→自然に感謝する」
このちょっとした短絡、それがやはり私にとって「感謝」という言葉がしっくり来ない理由です。

何かされたことによって得した、大自然かなにかしらないが良い状況にいる、そういう事実が「うれしい」「やった!」のであって、それを「感謝」という言い方にするとピンとこない(人や神や大自然全体の肯定になる)、という意味です。全体ではなくて個別に肯定できる部分があったりなかったりするのが普通です。
とりわけ「産んでくれた」などというのは実に局所的な、取るに足りない出来事だと思っています。

「うれしい」、「やった」、それで充分ではないですか?
そしてそれを継続させるために、相手に「感謝してます」と言うというのはアリですが、大自然に「感謝」などすることは途方もなく変です。
現代新書の件も「まじでありがとーございます!!」の方がピタリ感覚にきますね。

ようは「感謝」という言葉があまりに陳腐であり、かつしばしば盲目的に用いられるために、使いたくない、という美学なだけかもしれませんが。

>あんた「感謝」っていう言葉にもっと無垢に取り組んだほうがいいよ。

けっこうです。
感謝など誰にも一切すべきじゃない、と言い切れるような生き方の方が好きです。


Re: ところで、 とつげき東北 - 2008/03/24(Mon) 00:36 No.1142(管理者)  

さて無償の饒舌はこのあたりにしておきましょう。
色とりどりの書き込み、ありがとうございました(感謝)


Re: ところで、 勤労感謝の日 - 2008/03/24(Mon) 00:53 No.1143  

働けこのやろう。感謝の気持ちがないんじゃねーか。


>感謝など誰にも一切すべきじゃない、と言い切れるような生き方の方が好きです。

「お前ら、こんなオレなのにゴチです」ってことか。

知的って得なのか?


Re: ところで、 お酒大嫌い - 2008/03/24(Mon) 01:02 No.1144  

>あんた「感謝」っていう言葉にもっと無垢に取り組んだほうがいいよ。


この点に関して、議論してもしょうがないっていう感じでまとめたとつげきさんから、昔のエンターテイメント重視の姿勢を失いつつあるのかなって思った。

イライラさせるのが目的って手の内を明かしてるにもかかわらず、寝ることを優先する感じ。もっと完膚なきまでにやってたと思う、昔のとつげきなら。
まあ社会人だからしょうがないんだよね。おつかれでーっす。


Re: ところで、 とつげき東北ファン - 2008/03/24(Mon) 01:13 No.1145  

>ヤリマン認定は国家資格でしょうか?

これチョーウケるっしょwwwwwwwwwwwwwwwwwwww


これだけで勝ってますってwwwwwwwwwwwwwwwwwww

もうこのトピックの返信必要ないくらいですよwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwww


もうとつさんの返し最高っすwwwセンスありすぎwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwww


Re: ところで、 アンチ - 2008/03/24(Mon) 01:15 No.1146  

>ヤリマン認定は国家資格でしょうか?

たしかにこれわwwwwwwwww

負けを認めざるを得ないwwwwwwwwwwwwwwwwwwww


とつさんは確実にリアルでモテモテwwwwwwwwwwwwネットで騒いでるだけの俺たち涙目wwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwww


Re: ところで、 P.K. - 2008/03/24(Mon) 01:24 No.1147  

ここより同等以上に魅力的なものが増えてしまったのでしょうね


Re: ところで、 六7 - 2008/03/24(Mon) 01:44 No.1148  

なんていうか、こう、短編小説みたいで素敵。


Re: ところで、 ・・・・ - 2008/03/24(Mon) 06:49 No.1149  

真性Sを調教するのが楽しいんです。
Sの振りした変態真性ドMには興味ありませんわ。


Re: ところで、 六7 - 2008/03/24(Mon) 21:35 No.1150  

なるほど。
興味ないと言いつつ、「Sの振りした変態真性ドM」などと分析してるのか。


Re: ところで、 ・・・・ - 2008/03/24(Mon) 21:57 No.1151  

分析することに興味ないんじゃなくて
調教することに興味ないんです。


Re: ところで、 六7 - 2008/03/24(Mon) 22:43 No.1152  

そんなこと言わずに調教してみたら?
殺してください。


おもいやりの行程 投稿者:とつげき東比 投稿日:2008/03/22(Sat) 23:21 No.1114  
人になになにをしてあげたい、とおもうとき。

それは「自分がそれをしたい」というエゴが出発点である。
思いやりでもなんでも、基本は自己満足。

ただし、「自分がそれをしたい」を達成するために、「自分だったらどうされたらうれしいか」とか「相手はどんなことをされたらよろこぶだろうか」ということを審査せずに、「自分がどうしたいか」を決定すると、親切ではなくおせっかいになる。
おせっかいにならないためには限界があるとはいえ、自分の楽しいときの気分の原因をよく知ることや、相手の性格を良く知ることが大切。そのうえで為される思いやりは、相手にはおせっかいとは感じさせない。


世の中には「親切コード」があふれているため、大変めんどうなことになっている。


Re: おもいやりの行程 とつげき東比 - 2008/03/22(Sat) 23:26 No.1115  

いま確認したら思いやりの項目があった。
とつげき東北は死ぬべき。


Re: おもいやりの行程 とつげき東北 - 2008/03/23(Sun) 00:56 No.1124(管理者)  

「自分がどうされたらうれしいか」を判断する主体がどれだけ相手に関する正確な情報を所有していて、それを活かせる能力があるかに依存します。
そりゃ人を刺すよりは人に金をあげる方が喜ばれるでしょう、というレベルなら相互理解は簡単ですが、そうでない局面が現れるときに、いわゆる道徳が人間関係を崩壊させるのです。
私の両親は今でも親切心で私や周囲の人間を宗教に誘いまくっています。


道徳的最強女大好き 投稿者:六7(素) 投稿日:2008/02/28(Thu) 00:31 No.1084  
いきなりだけど、みなさんに質問というか、質問。

なんかやたらと純粋というか、世界の平和を心から願っていたり、身の回りの人の悩みを本気で一緒に悩んであげたり、とてもバカなんだけど道徳的には最強!みたいな人っていますよね。もちろん道徳には矛盾がついて回るのでそこで葛藤があったりして、そういう人って大概自分の「人間性」の高さには気付いていない。まあそれが最強である所以なんだけれども。

で、何を聞きたいのかというと、俺はなぜ道徳的最強女に惹かれてしまうのかということです。
男が道徳的最強だと出世を含め仕事で成功しないだろうから魅力が減るのはわかる。俺が女に対して知的さを求めていないってことなんだろうか。
俺が女に知的さを求めていないのならまだいいんだけども、俺自身に道徳的なものに対する憧れみたいなものがあるんではないか。そんなコトを思うのです。それだったら嫌だな、と。

これについてみなさんがどう思うか聞いてみたいと思います。
これに関しては議論になってもならなくてもどっちでもいいんで、攻撃したい人はしてくれてもいいし、好きにしてください。
ただ、反撃は期待しないでね。


Re: 道徳的最強女大好き 六7(素) - 2008/02/28(Thu) 00:56 No.1085  

ここってみんな見てんのかな。
不安になってきた。


Re: 道徳的最強女大好き とつげき東北 - 2008/02/28(Thu) 21:11 No.1086(管理者)  

「人をバカにしてはならない」系の道徳保有者は嫌ですね。
絶対合いません。
おれが他人をバカにしているのを見てケラケラ笑ってくれる子か、「すごぅい」的に見てくれる人(いわゆる天然でして、しばしば高道徳です)がいい。

その意味では道徳と言っても何かこちらに負担になる道徳女は普通にいやですし(特に、ブスほど道徳持ちで愚痴る)、自分と付き合ってる時はすごくやさしくしてくれるような意味での道徳女はいいです。

というわけで特段「純粋命」というのはないですねぇ・・・。
とりあえず見ていることを確認する意味でも簡単レス。


Re: 道徳的最強女大好き 六7(素) - 2008/02/28(Thu) 21:42 No.1087  

ありがとうございます。
「人をバカにしてはならない」系は俺もナシです。

簡単じゃない方のレスが気になる…。


Re: 道徳的最強女大好き Another World - 2008/02/29(Fri) 03:10 No.1088  

>俺はなぜ道徳的最強女に惹かれてしまうのか

とても良く分ります(笑)

妄想するに、道徳的な女性は見ていても別にむかつかず、心癒されることが多々あるため有益無害であると判断し、容姿によっては大好きになれます。

道徳的な男性は見ていてむかつくものの、要求をわりとすんなり受け入れてくれるため有益有害であると判断します。有益と有害のバランスと容姿によっては好きになれます。

しかしまあ問題は、道徳的な女性にとって私が有害であるということでしょうか。何故なんでしょうね。いやいや、でも私を有害であると判断するのは、真の道徳的最強女ではないからであるとも考えられるのではないでしょうか。ていうか、それしかありえない。だって、真の道徳的最強女は私のようにモラルの低い男を見つけたら、あの人は愛することの喜びをまだまだ分っていない可愛そうな人だ。私が導いて幸せにして差し上げなければ。。。と考えなければいけない。絶対に。そうでなければ結局のところその女性は真の道徳的最強女などではなく、偽善というヴェールを纏ったクソ女であり、容姿によっては大好きになれます。


Re: 道徳的最強女大好き とつげき東北 - 2008/03/01(Sat) 04:32 No.1089(管理者)  

>another
容姿のみじゃねーかw

六7は具体的に実際、こうなんというか女性経験は多いのかな?
少ないうちなら、なんとなくわかるけど・・・
結局道徳女はめんどいなぁ、というところに行き着くような気もする。思想的側面ではね。でもそれでもなお「好きな人のためなら・・・」的に振舞ってくれる人がいいのは当然であり、それは人間として最低限相手に要求すべき事柄であっていまさら言うべきことでもないのではないかなと。


Re: 道徳的最強女大好き とつげき東北 - 2008/03/01(Sat) 04:33 No.1090(管理者)  

道徳女だから惚れるってのは、天然だから惚れるってのと、六7氏にとって「似てる」かなぁ?
天然女が好きというならば理解できる。
理解できるが、続かないことが多いですね。


Re: 道徳的最強女大好き 六7(素) - 2008/03/01(Sat) 20:21 No.1091  

>Another World
せっかくコメント頂いてるのに遅くなってごめんなさい。
容姿は問題にしてません(笑)

あなざーさんはどちらかというと、道徳的な人が好きというよりもそうであっても特に問題はないといった感じですね。
僕はマネ性の高いほしのあきよりも、しずかちゃんみたいなほしのあきが好きなんです。


Re: 道徳的最強女大好き 六7(素) - 2008/03/01(Sat) 20:47 No.1092  

>とつ
女性経験はむちゃくちゃってほどではないけど多い方、ですかね。不自由はしてない、と言えばちょうどいいかな。

>道徳女はめんどいなぁ、というところに行き着くような気もする。思想的側面ではね。
はい。その通りですね。絶対めんどくさくなりますし、子供の教育など先のことまで考えると不安はよりいっそうです。

道徳的な女=天然な女かって言われると違うような気がします。
「人間性」が高い女ですね。それは俺だけに向けられるものではなくて、全てに対して向けられます。そんなことはまあ無理な話で、それによって悩んでる姿なんてもうたまんないです。


その言葉が聞きたかった Another World - 2008/03/02(Sun) 01:16 No.1094  

そう。容姿など問題ではありません。
そうであるにもかかわらず容姿を出してきた意図と言えば、私は容姿の良し悪しから精神的なメリット・デメリットを見出しそれに重きを置いているということを表明するためです。何故それを表明したかと言えば、どこまで意識しているかという程度の違いはあれど、人はみな全てを損得勘定で判断しているということが言いたかったというのが一つ。もう一つは損得はそのほとんどが精神的なメリット・デメリットにて判断されるが、それは一人一人大きく異なるということ。

そのように個々で大きく異なるものを、他者がどのようなメリットを見出しているのかなど聞かれても答えられるはずありません。もちろん様々な推測をたてることは可能でしょう。あなたも、ひょっとするとそれらの推測の中から納得できる何かが欲しかっただけかもしれません。

でも、あなたは言いましたね?

>>道徳女はめんどいなぁ、というところに行き着くような気もする。思想的側面ではね。
>はい。その通りですね。絶対めんどくさくなりますし、子供の教育など先のことまで考えると不安はよりいっそうです。

>それは俺だけに向けられるものではなくて、全てに対して向けられます。そんなことはまあ無理な話で、それによって悩んでる姿なんてもうたまんないです。

あなたは道徳的最強女が無理なことで悩んでいる姿から大きなメリットを見出しており、そのメリットはめんどくさくなったり、子供の教育などを考えると不安があるというデメリットを上回っているのです。あなたは6でも7でもありません。Sです。

私はあなたからそれが分る言葉を引き出したかった・・・(嘘


Re: 道徳的最強女大好き とつげき東北 - 2008/03/02(Sun) 02:26 No.1095(管理者)  

なるほど、苦悩してる姿に萌えるというのはわかる。
とてもシンプルなSの感情が、かなり抽象化・精神化されたものとしての「道徳女フェチ」なのかなぁ。

確かにマネ的ほしのあきは死んでいただいてよい――おれも「頭がいい」女は苦手だ。でもおれの場合はなんていうか、頭がよいことによって生ずる無駄なプライドやら、おれの能力・活動等のうち優れた部分を素直に評価できない頑迷さ等が嫌なのであって、決して頭が良いこと自体を忌避しているわけではないようだ。
逆に頭が悪いせいで嫌な感じのルサンチマン持ってる女もいてそれはそれでたいそううざいしな。

ふむ・・・わからなくなったが、おれはどうやら道徳フェチとは無縁だ。


Re: 道徳的最強女大好き 六7(素) - 2008/03/02(Sun) 14:27 No.1096  

>Another World
はい。趣味嗜好の問題で結局人それぞれだね〜なんてところで止まりたくはないですが、それを踏まえた上でも「そんなこと聞かれても俺が知るわけねーだろ(笑)」と言わざるを得ない問いかけであることは重々承知しております。すいません。
あなたの仰る通り、俺がしたのは「情報少ないし無理だろうけど、俺の趣味嗜好はどこからきたのか分析し、考えられる可能性を列挙してみてくれたまえ。また君らの場合においてはどうなのかも答えてくれてもよい。」という無礼極まりないない要求でした。こんなことに付き合ってくれているとつさんとあなざーさんに感謝してます。


俺がSであることが「道徳女フェチ」に繋がっている可能性があるのは見落としていました(分析力、低!)。無防備に納得してしまいそうです。
誰もいない、車が全く走っていない状況で赤信号を無視するかを悩んでいるような女が好きなのは、完全に上から目線であることからしても、Sであるとしか言いようがないですね。


Re: 道徳的最強女大好き とつげき東北 - 2008/03/02(Sun) 18:25 No.1097(管理者)  

恥ずかしがること=エロい ということを考えれば、わからんでもないね。
世界中の女が耳を隠す存在で、性器を丸出しにして歩くのであれば、おそらく性器は何一つエロく見えない。(人間に投影しない限り)「裸で歩いている犬」が何ら「性的」ではないのと同様に。そのかわり18禁耳写真集が出回る(笑)

理屈上は、道徳的な何かによって押さえつけられ、葛藤し、まさに「道徳的羞恥心」にさいなまれている様子は考えようによってはエロいのかもしれん。

へそ出しくらい平気な異性にへそを出させるよりも、「そんなこと絶対無理だってぇ!!」(周囲からの視線が恥ずかしい)とか言ってる子にそうさせる方がいいように(この点はけっこう私にとって大事だ、フェチというほどでもないが)。

「S」「ドS」という言葉をこのように普及したのは松本人志だったが、まさに彼をしてこう発言させている。
「(異性にモテるために女性がすべきことは、性交渉等の際に)『嫌がる』ことですよ」。

六7は、ひょっとすると道徳的に(?)女性にとってとても恥ずかしいと考えられるプレイ(周囲から見られた状態とか、少なくとも見られる状態にするぞと脅すプレイなど)が好きなのかも(笑) そのあたりになるとこっち側の「一般的な」Sに近づくね。


Re: 道徳的最強女大好き 六7(素) - 2008/03/02(Sun) 21:28 No.1098  

なるほど〜。

恥ずかしがること=エロい であり、より激しいエロさを求めるなら、その主体はより強固な道徳に縛られている必要がある。
そして俺はもはやエロさを求めるのに「恥ずかしがること」そのものを必要とせず、対象が強固な道徳に縛られているというだけで「こいつめちゃめちゃ恥ずかしがるんじゃね!?」と条件反射的に気に入ってしまってるという訳か。

かなり納得っぽいです。
てか俺、変態ですね(笑)

この掲示板でこのような話をするのはレベルが低いのでは…と少し申し訳なかったのですが、おもろかたです。
お付き合いいただいてありがとうございました。


Re: 道徳的最強女大好き eye - 2008/03/13(Thu) 00:33 No.1102  

女性じゃなくても見ていて気分がよくなる。
ただ顔がにやけない様にするのに苦労する場面がでてくる。


Re: 道徳的最強女大好き 六7 - 2008/03/13(Thu) 11:45 No.1103  

>eye
あら、こんにちは。
おれは男はだめだな〜。イライラしてしまうことのほうが多い。

ところでさ、このスレとは関係ないんだけど、君に聞きたいことが。
おれってあ?と似てる?


Re: 道徳的最強女大好き とつげき東北 - 2008/03/15(Sat) 01:32 No.1104(管理者)  

>ところでさ、このスレとは関係ないんだけど、君に聞きたいことが。
>おれってあ?と似てる?

何の確認だそれは(笑)
仮に似ていると言われてもいいじゃないか。
「バカには理解できない」領域までつっぱしろう。それが幻想であっても(笑)


Re: 道徳的最強女大好き とつげき東北 - 2008/03/15(Sat) 01:39 No.1105(管理者)  

ちなみにあ?はけっこう洗練されてきてる。
出現当初はほんとにただのバカだったが、今は、少なくともクソ真面目系のパッとしないレスには一定の理解のうえでつっかかれるようになってきた。
もちろん彼に何か複雑な分析をせえい、と言えばそれができるかはわからないが、良くも悪くもキャラを確立して発言できるようになってるよね。
もちろんウィキ的立場からすると「常にアホな存在」と見なさなければいけないんだが、マネ的な人、原田的な人、大衆、という3者がいるとしてそれとは別の一定の位置を持ってるよね。過大評価すべきじゃないけど、変幻自在というか。


Re: 道徳的最強女大好き 六7 - 2008/03/15(Sat) 01:44 No.1106  

似てると言われるのは全然結構なんです。
ただ、どういうところが似ていると思われてるのかなと。
自分自身、似てるような気もして。
Nの強化板のようにと言われたこともあったけど、どちらかというとあ?の強化板かなって真面目に思う。


Re: 道徳的最強女大好き とつげき東北 - 2008/03/15(Sat) 02:00 No.1107(管理者)  

レス早すぎ。死んだほうがいいね。

似ているかな?
最初の登場時に、いわば「あ?」並に無理な感じでおれにつっかかった部分(や、他の人に容赦なくつっかかる部分)と、キャラ変化して他人を認めたりする発言を出す部分(あ?のツンデレ的な部分)、などが似ているのかな?

でも決定的に違うのは、「あ?」は完全に自分の趣味で色々やってるけど、六7氏は割とウィキよりの、悪く言えば馴れ合いの部分に入ってこようとしてる感じかな。「あ?」は基本的にこのウィキにいる人を見下している感じなので。


Re: 道徳的最強女大好き 六7 - 2008/03/15(Sat) 02:10 No.1108  

死なないよ。

天鳳やってて待ち時間に開けてみたら、とつが書き込んでるからソッコー予約解除しただけ。
決して待ち望んでたわけじゃないもんね。

>悪く言えば馴れ合いの部分に入ってこようとしてる感じかな
いやだな〜。これ。大衆くせえ。気にしない気にしない。

あ?はその意味であ?先生だな。


Re: 道徳的最強女大好き  - 2008/03/15(Sat) 05:13 No.1109  

あ?は自身をゴミとして切り捨てている。
あ?は相手もゴミとして切り捨てられる。
要するにあ?は死人。
あ?にゴミ扱いされた者達は生きる為にあ?を殺そうとする。
今まではwikiを使って相手を殺せば、勝ち(終わり)だったからだ。
しかし、何回刺しても何回刺してもあ?は死なない。
彼等は必死であるが故にあ?が最初から死んでいること、
そして、自分があ?の餌場にいること(引きずり込まれたこと)に気が付かない。
あ?の趣味はこの生きる為に必死に足掻く哀れな子羊を手間暇かけてゆっくりと嬲り殺すこと。

六7からはあ?程自分と相手を切捨てできているとは感じない。


Re: 道徳的最強女大好き 六7 - 2008/03/15(Sat) 09:07 No.1110  

そうだね。
あ?については言いすぎのような気がするけど、おれは自分や相手をゴミとして切り捨ててはいない。
あ?はゴミ=相手にしなくていいもの的な扱いをしてるから、おれがここを楽しもうと考えた場合それをするメリットは薄いもんね。


Re: 道徳的最強女大好き  - 2008/03/16(Sun) 21:07 No.1111  

あ?がこのwikiにおいて「非知的」でなければならない理由は
あ?は「必要性があって切り捨てる」わけではないから。
そもそも、このwiki内であ?が餌場を創ることは必要性がないことなのだ。
ところが、その餌場を単独で眺めると、洗練された美しさがある。
つまり、あ?の餌場は理論的にできている。
それは餌場に相手を効率良く引きずり込み、ゆっくりと嬲り殺せるように進化してきたということ。
これは(あくまで餌場内での)必要性があって自分と相手を切り捨ててきた証拠である。
科学・法律・その他の理論が必要性(矛盾が生じたか又は説明できるか否か)に基づいて
自己・他者の理論を修正・破棄することで、進化してきたのと同様に。
しかし、あ?は餌場を壊す必要性を感じつつもそれができない。
あ?を批判しようとする者が、必要性を感じつつもこのwikiを壊せないのと同様に。
あ?は自分自身が大好きであるが故に美しい餌場を壊す事ができない。
そして、その場に止まり続けなければならない自分が大嫌いであるが故に
wikiに止まる人間も大嫌いなのである。
六7の言うように、その意味であ?は自分も相手も切り捨てできていないと言える。


Re: 道徳的最強女大好き eye - 2008/03/17(Mon) 23:04 No.1112  

>六7
おつかれさま

>おれってあ?と似てる?
もう神的な考察に私の意見は包含されてるから
黙ってます(-ε-)


Re: 道徳的最強女大好き 六7 - 2008/03/17(Mon) 23:39 No.1113  

>eye
汚ねーぞ(笑)
カッコよくまとめてくれてたから、おれも黙ってたのに!

駄文レス増やすぞ計画開始。


無題 投稿者:六7 投稿日:2008/03/04(Tue) 01:04 No.1099  
六7質問のコーナー。
まず、なんか(素)がついていることがものすごくこの上なくダサく感じたのでヤメ。消したい過去。

じゃあ質問。
子供の教育について。
みなさんは自分の子供に自分の思想を伝えますか?
伝えるとしたらそれは何歳頃?


Re: 無題 Another World - 2008/03/05(Wed) 01:53 No.1100  

ディープだなぁ。
教えられるほどの思想も持ち合わせていなければ、子供を持つかどうかも分らないので妄想を少しだけ語らせていただけば

死後の世界はないということと、才能やセンスを可能な限り否定するという考えを植えつけたい。
時期は論理的な思考が出来るようになると言われている5,6歳頃が良いのではないでしょうか。
その前に聞かれることもあると思うので、直感的に理解しやすい説明を用意しておいた方が良いかもしれません。


Re: 無題 六7 - 2008/03/05(Wed) 02:24 No.1101  

毎度ありがとうございます。

ふむふむ。5,6歳頃がいいのか。勉強になりました。
一般的な道徳も教えなきゃいけないだろうし、なおかつそれを打破させなければいけない、と考えると難しそうです。
運よくアタマいい子なら問題ないでしょうが。
道徳を全く教えないというのも面白そう。
長男は道徳どっぷりの大衆に育て、次男は正反対の人格に育てる。
どっちが勝つのかみたいな。


ejovnbsa edgwmit 投稿者:wxtdg nghrsl 投稿日:2008/02/13(Wed) 16:42 No.1083   HomePage
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wlptecm xgjil 投稿者:pwjdox cokfwna 投稿日:2008/02/13(Wed) 16:25 No.1082   HomePage
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愛と恋の違い 投稿者:ゾンビB 投稿日:2008/02/03(Sun) 18:49 No.1072  
なんと大衆的な題名・・・。
項目投稿用ページで議論をするのは忍びないのでこちらに移転します。まとめるのめんどいし、量もたいしたことないので以下コピペで。

■愛と恋の違い
 恋愛が大好きで、頭が悪い割に語るのも大好きな大衆は、非常にしばしば恋愛についての珍説を得意満面で語りだす。以下の文章はその一例としての、ある凡庸な京大生の日記の引用である。
「日本語、漢字って奥が深いですなー^^; 
 英語にするとどっちも「LOVE」なのに・・・ 
 恋と愛の違い・・・・ 
 愛は真心、恋は下心・・・とかとも言いますね^^; 
 昨日、某先輩が言ってた恋と愛の違い・・・ 
 一人でできるかできないかだそうです・・・」
 彼が分析的視点については完全に捨象している(と思われる)点を斟酌しても、あまりにも醜い、というか面白い(笑)
 さて、上の彼の日記で挙げられている違いの他にも、「恋は奪うもの、愛は与えるもの」など幾つかの両者の違いが謳われている。そしてこれらは全て恋を貶め、愛を賛美する内容である。(一人でできるか否かについては、引用した日記に明言されていないが間違いなかろう)ここで気になるのは、その理由であり、私はその疑問について一つの仮説を提供したい。
 
 思うに、彼らが恋を冷遇し愛をありがたがるのは、彼らの「成長」という名言的信仰からの帰結ではなかろうか。大衆は、あらゆる経験によって不断に自身が成長し、以前の自分よりも優れた自分に更新されていくことを信じている。故に彼らは当然に恋愛経験においても成長し続けていかなければならない。そしてその成長の説明のために二つの言葉が便利だったのである。
 言うまでもないが、実際には「恋」と「愛」に厳密な先後関係などあるまい。成長したその結果として、ある一方が別の他方になると観念するのは完全なこじつけだろう。しかし、彼らはそれぞれの単語の用法により先後関係を偽造したのである。
 つまり『「初恋」とは言うが「初愛」とは言わない。「本当の愛」とは言うが「本当の恋」とは言わない』という用法上の指摘である。
彼らの成長信仰に当てはめれば、「初恋」時の自分が最も低く、恋愛経験を積んで成長していった結果「本当の愛」を理解するという成長物語の存在を推測することができる。この様な視点から恋と愛の間に先後関係を作り出し、そこから「恋<愛」という構図を生み出したとは見られないだろうか。
 なおこれらの作業は、彼らの意識には顕在化されず、感覚的・潜在的に行われていると思われる。これらの発言の意識的・直接的な動機は、詩的に「良いこと」「珍しいこと」を言って評価されることなどであり、成長の文脈は彼ら自身気付いていない。そのことは、彼らが骨まで名言に浸かりきっていることの一つの発露と見うる。


Re: 愛と恋の違い ゾンビB - 2008/02/03(Sun) 18:51 No.1073  

* >言うまでもないが、実際には「恋」と「愛」に厳密な先後関係などあるまい。

 これがゾンビ男の免罪符か?
「厳密な(単純な)」先後関係など存在しないから分析する必要がない、と言って逃げている。これはゾンビにとって大衆的じゃないのか?

 では、'厳密'な「恋」と「愛」の定義(一般化)をしてみようか。
@恋というのは無自覚的である
A愛というのは自覚的である
前後関係は@→Aとする。
次にこの定義が本当に日常的文脈(マクロな事象)のもと'厳密'か否かを検討する。
(厳密でないことが判明した場合は修正すればいいだけの話。'厳密'は創るもの)

 @について、「恋」(自分の状態)が何なのか、自分が何をするべきか、どうしたら症状が治まるかがわからない無知な状態。
何が何だかわからないから他人に相談し、その結果、凡そ「付き合う(Hを含む)」という目的を刷り込まれる。
例としては、「私恋しているの?」「恋は盲目だから仕方がない」「もしかして、あの子、彼に恋してるんじゃないかしら?」など、
いずれも当事者が無知な状態の際に発言される。

 Aについて、既に述べた様に@からAへ移行する場合の変化は目的の自覚(形成)が挙げられる。
例えば、「好きだから(愛しているから)、付き合いたい」「好きだから(愛しているから)、殺したい」とかetc...
 そして、次の段階として目的達成への戦略論(経験則)の自覚(形成)へ移行する。
この戦略論の精度が悪ければ、つまり、理論に現実観察に基づく経験則ではなく
主観的な規則を取り入れた場合、ほぼ失敗する。
これは「君の事を愛しているんだ」という発言がどれだけ相手の人間観察に基づいて為されるかによって、
全く違う効果が得られる(狂喜or拒否...etc)ことから理解できる。

なお、「君の事を愛しているんだ」という発言は最低限、目的が明確でなければ為されない。そして、もし、この戦略が失敗した際(拒否された時)には †

「自分の観察の稚拙さが原因ではなく、相手との相性が悪かった(相手の好みが悪い)のだ」、とし、目的の変更をする。
ある者は「もっと相性の良い人を探そう」と。
ある者は「相手の好みの悪さを矯正しよう」と。
いずれの場合も、彼等は「付き合う」という目的に対する自分の戦略理論が完璧である、としたまま終焉を迎える。
 その他の発言としては「本当の愛がわかった。愛とは与えるものなのだ」
「愛するより愛されたい」「愛を知らないだって?この餓鬼がッ!」「(当事者の行動を見て)あの人、彼のこと愛しているんだね」等、
いずれも語る者が当事者の目的とその達成のための戦略(的行動)を了解・共有(非共有)した場合に用いられる。

これくらい辻褄合わせしたなら、
「彼等はかつて目的・戦略的に無知であった自分を戒める為に
、そして、現在'完璧な'戦略論を持つ自分を肯定する為に'恋'を貶めるのではないか?」という仮説を提出できる。


Re: 愛と恋の違い ゾンビB - 2008/02/03(Sun) 18:53 No.1074  

オーケイ。つまり、恋と愛の区別について「成長」になぞらえる点は肯定するが、先後関係の存在については俺と立場を異にするのだな。俺は否定派で君は肯定派ということだ。そして先後関係について肯定することでより綿密な仮説を立てることができると。
しかし、君の仮説による恋と愛の区分は恣意的に過ぎるように思える。恋が無自覚的であり、愛の前段階だとするのならば、数十回目の恋愛において恋愛状態になった際に「恋する」という言葉は使われないのだろうか?否。使うはずだ。また初めての恋愛でキスより先何をすればいいか分からない少年少女も「愛してる」くらいの台詞は吐くだろう。
そもそも彼らが恋=無自覚的、愛=自覚的という理解の下で恋や愛について語るのであれば、「恋は下心、愛は真心」という名言はどうなる?恋は下心と、思いっきり目的に対して自覚的ではないか(笑)

君の恋と愛の先後関係についての説明は、「初恋」や「本当の愛」などによって作られた先後関係のイメージにより、また俺が次に挙げる恋と愛の区分の解釈により、妥当する局面は多くあるが、「本質」を捉えたものとはいえない。

そして、俺が先後関係について説明を加えなかったのには、文章の長さ、主題との関連性の低さ、等々のわけがあるが、恋と愛の区分について持論がないわけではないので、次はそれについて説明しよう。

即ち、恋とは現象、状態を指す言葉であり、愛とは心情、気持ちを表す言葉であるということだ。
君の挙げた例などをとって逐一考えてみてほしい。「恋している」は恋愛状態にあることをいっている。「恋は盲目」ならば恋愛状態の盲目性をいっているに過ぎない。「愛している」も同様。好きだという感情を伝え、また愛しているから(好きだから)という感情(欲望)ゆえに何らかの目的をもって発されるのは当然だろう。
そしてまた、この解釈が二つの言葉の「辞書的」意味にも符合している点を付け加えておこう。
以上により、恋が成長した結果、愛になる(恋と愛の先後関係の肯定)という考えは捏造であることが分かるだろう。両者は状態と心情、それぞれ次元の違うものなのである。


Re: 愛と恋の違い ゾンビB - 2008/02/03(Sun) 18:53 No.1075  

>数十回目の恋愛において恋愛状態になった際に「恋する」という言葉は使われないのだろうか?
否。使うはずだ。

一時的にわけがわからない状態になれば使うんじゃないか?

>また初めての恋愛でキスより先何をすればいいか分からない少年少女も
「愛してる」くらいの台詞は吐くだろう。

その場合はキスを目的として戦略的に「愛している」という言葉を使用する。

>、「恋は下心、愛は真心」という名言はどうなる?恋は下心と、
思いっきり目的に対して自覚的ではないか(笑)

第三者が恋愛者を「恋」と「愛」の状態のいずれかとみなす解釈は主観的。
恋愛者の戦略論が理解できなければ、もしくは恋愛者に戦略論がないと同じ(あっても稚拙)と判断したならば、「恋」とみなし、それに共感できれば、「愛」とみなす。
「自分の戦略論=完璧」であるため、
「相手が自己の戦略論の稚拙さ(=下心)に無自覚≒恋(全く戦略に無自覚)」とみなして揶揄する。


Re: 愛と恋の違い ゾンビB - 2008/02/03(Sun) 18:57 No.1076  

見易さを考慮して2色に色分けしてみた。が、相手の名前を書くのを忘れた(笑)濃い青が俺の発言で、緑が・・・である。


Re: 愛と恋の違い ゾンビB - 2008/02/03(Sun) 19:03 No.1077  

>・・・
>一時的にわけがわからない状態になれば使うんじゃないか?
俺に聞いてどうする(笑)答えはノーだ。わけが分かる分からないに関係なく使われる。TVドラマでOLが「私恋してるんだ♪」と同僚に得意げに告白するシーンを目撃したこともある。また「恋したい」という非常にお馴染みの台詞は「(好きになって)わけが分からなくなりたい」という意味で使われているのだろうか?そんなはずがない。普通に考えて「恋愛状態に身を置きたい」という程度の意味だろう。

君は、恋と愛の区別の大衆的立場の中でより細かい(恣意的な)定義付けをし、その枠に収まらないものを無理に詰め込もうと四苦八苦しているに過ぎない。そうやって無理に詰め込んでいくから歪な分類になるのだ。

「恋する」は自動詞として使われるのに対して、「愛する」は他動詞としてしか使われないのは何故か、恋と愛の意味に照らして考えよ。「私は恋している」と「私は愛している」。両者の文意の可読性について考えよ。「恋する女性」と「愛する女性」。それぞれの意味について考えよ。
恋と愛を同次元のものと考え、自覚・戦略によって恋だったものが愛に変わるという考えがそれでも正しいと思うなら、端的に根拠を述べよ。


Re: 愛と恋の違い ・・・ - 2008/02/04(Mon) 03:31 No.1078  

自分の定義とその修正点、その他について纏めておく。
まず、一番最初に一般人が認識する「恋」「愛」の区別を
目的に対して自覚的か否かで分類した。
この自覚的か否かの判断はこれを発言した者の文脈(状況の解釈)で検討した。
しかし、ゾンビ男の指摘(目的に自覚的でも「恋」「愛」の区別が為される場合がある)で定義の修正が必要となった。
つまり、自身の戦略論(経験則)を基準にして「恋」「愛」の区別が為されることもある(区別が一元的ではない)。
そして、
@相手との目的の共有を前提として(目的が自分と同じであるとみなした上で)
自身の戦略論から相手が無知・稚拙・最良(了解できた場合)であるという結論を導く
A過去の自身の戦略論に対する現在の戦略論を基にした第三者視点の判断も同様に行われる、
ということである。
 また、「自分の方が恋愛経験を積んでいる」ことも結論の根拠としてよく述べられる。
これは相手に自分の結論を強要するという目的のもとで
常人に成功してきた(常人に対して精度の高い)戦略論(経験則)の一つである(普遍的類似構造)。
彼等の「恋」→「愛」前後関係の概念はこの戦略論に組み込まれた物の一つと考えられる。

もうゾンビからは理論修正の必要性を感じる批判がないので、
ひとまず終了しとく(ゾンビがこれから必要性を感じさせるような批判をするなら別だから「ひとまず」)。
他の人からも一応批判を受け付けておくよ。


Re: 愛と恋の違い ゾンビB - 2008/02/05(Tue) 11:18 No.1079  

>・・・
すまんが何を言っているのかさっぱりだ(笑)
つまり最初のが恋愛当事者による恋と愛の区別の仕方で、それとは別に第三者的立場から区別することもあると言っているのか?@、Aというのはそれぞれ恋、愛に対応?
新しい書き込みの詳細な解説頼む。


Re: 愛と恋の違い とつげき東北 - 2008/02/06(Wed) 23:48 No.1080(管理者)  

あーこんなやり取りが・・・
とにかく最近は議論好きな新キャラが集まってとりあえず盛り上がってるのでうれしい限り。
あまり考えずに採用決定とかしちゃうので、どんどん書いてくだされ。

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