毎日よ、お前もか 2005・4・26
以下に述べる事案は、マスコミが入手した日米関係の極秘事項を、横路社会党議員が衆議院の予算委員会で取り上げた事件である。通常では、新聞記者のスクープは自社の記事にするもので、これを国会議員に流す事自体奇妙な「事件」であった。外務省の極秘事項が外部に漏れるということは内部に情報を提供した者がいるに違いないということで、一体誰が漏らしたかが取り沙汰されたが、各新聞社は取材源の守秘を盾に論陣を張った。
しかし、警察の捜査の結果、外務省の機密文書漏洩の疑いで女性事務官(41)と毎日新聞政治部の西山太吉記者(40)が4月4日4夕方、逮捕されたのである。西山記者は、その女性と情交を交わすという卑劣な手段で情報を入手したというので、世間の非難の目はその方に向けられ、毎日新聞の購読数がガタ減りしたという。
この西山事件も起訴状で「女性事務官をホテルに誘って情を通じこれを利用して・・・・」というくだりがあったため、被告両人の情交関係を世間が広く知るところとなり、抗議の電話が殺到したため、「取材源の秘匿の権利」という大儀名文が地に落ちたのである。
ご存知のように、アメリカでは30年経つと、極秘情報であれ全ての情報が公開される仕組みになっている。評論家の江藤淳はワシントンに保存された極東軍事裁判の資料を発掘し、「閉じられた言語空間」という著書を上梓し、当時のGHQのWar-guilt Information Programの実体を明らかにした。
最近アメリカの情報公開法に従い、当時噂されたアメリカが支払うことになっている軍用地の保障費400万ドルを、日本が肩代わりするという「噂の真相」が明らかにされた。ここで取り上げるほどの大問題でもないが、当時、ジャーナリズムの話題をさらった記事の真相を記録にとどめる。
発端は1972年3月27日の衆院予算委で社会党の横路孝弘が取り上げた外務省極秘電信3通のコピーだった。それは前年の5月28日の日付で愛知外相が牛場駐米大使に宛てた、沖縄返還協定をめぐっての愛知・マイヤー駐日大使会談について記されたものと、6月9の日付で福田外相臨時代理とパリの中山駐仏大使の間で交わされた井川外務省条約局長とスナイダー米駐日公使との交渉内容が記されたものだった。
問題とされたのはその極秘電信に、沖縄返還を控えた軍用地の復元補償でアメリカが自発的に払う事となっている400万ドルを日本が肩代わりするといった内容がうかがえたからである。
これを受けて外務省では昭和47年3月27日から内部調査したところ、極秘電報3本のうち往電2本は吉野アメリカ局長、佐藤官房長までのサインがあり、安川審議官、森次官、福田外相のサインがなかったため、安川審議官のサインを受ける直前で安川審議官付であった女性事務官がコピーしたのではないかとの疑いが浮上、女性事務官は3月30日、外務省担当だった毎日記者の西山記者にコピーを渡したと自白、その時期は昭和46年6月10日以降であるとしたため、昭和47年4・4、外務省関係者に付き添われて出頭したのだった。容疑は国家公務員法守秘義務違反である。
外務省内部では女性事務官の関与が明らかになるまで疑心暗鬼に包まれ、高級官僚の仕業ではないかと囁かれていた。それだけに女性事務官の自白は驚きを持って迎えられた。女性事務官は自白にあたって「私は騙された」と泣き崩れたという。女性事務官の上司である安川審議官と西山記者は、実業家である安川の父と西山記者の妻の親戚である外相経験者とが実懇の仲だったため、そうした縁もあって非常に親しかったとされる。そうした事も、女性事務官が西山記者のたっての頼みを断りきれなかった理由ではないかと取りざたされた。女性事務官とは実態は審議官の秘書のような役回りなのである。
4月4日午後5時、女性事務官と西山記者は逮捕される。女性事務官は決裁書類の受け渡し簿を前年に焼却して証拠隠滅を図っていた。2人とも容疑を認め、女性事務官は何度も頼まれて断り切れずにコピーを渡してしまったとしている。毎日新聞では編集局長の署名入りで4月5日、朝刊1面に「国民の『知る権利』どうなる」と大々的な政府批判を展開、昭和46年6月18日の朝刊で西山記者は対米請求権の問題の片鱗を紙面で紹介したという事を楯に、西山記者の行為は正当な取材活動だと強弁した。西山記者がちゃんとした記事にせず、誰が読んでもピンとこないような、ほのめかし記事だけでこの問題を片づけたのがそもそも第一の失敗なのだが、毎日新聞では西山記者はこの事実を明らかにすると沖縄返還交渉に影響が出ると判断して、ちゃんとした記事で報じなかったとしている。ほのめかし記事は誰からも反響がなく空振りに終わったため、対米請求権の問題を何らかの形で公にしたいと焦った西山記者は肝心の極秘電文のコピーを社会党の横路孝弘衆院議員に渡してしまう。これが与党攻撃の材料に使われた事から、何やら毎日の記者が特定の政治意図を持って野党に与党の攻撃材料を違法な手段で手渡したような印象を与党側に与えたのだった。4月6日、佐藤首相は今回の逮捕劇について、新聞でちゃんと記事化しているなら政府としては困るが逮捕にまで至らなかったとして、取材の良識がない、政争の具に使われたのが問題などと語り、本多警視総監も「コピーが毎日新聞にぱっと出たのならともかく、あの出方はちょっと普通でない感じがある」としている。毎日新聞ではこうした不透明な経緯について「遺憾である」としているが、西山記者の逮捕については「言論の自由の侵害」と抗弁している。毎日に限らず他紙もおおむね、西山記者擁護の論調が目立った。
毎日新聞首脳部が顔面蒼白となったのが4月6日。あろうことか西山記者と女性審議官の間のただならぬ関係が発覚するのである。しかし検察側がこの事実を明らかにすることはあるまいとの計算から、毎日新聞は連日の紙面で「知る権利」を大上段に掲げて高論卓説で突っ走る。これが第二の失敗とわかるのが、4月15日。
西山記者と女性事務官の起訴にあたっての起訴状によってであった。起訴状の中に「ひそかに情を通じこれを利用して」とはっきり書かれてしまったのである。毎日新聞では「道義的に遺憾な点があった」と4月15日に夕刊1面で謝罪、病気の夫を持ちながらスキャンダルに巻き込まれる形となった女性事務官にもお詫びしている。
余りに正義を前面に出しすぎたために、この起訴状の影響は毎日新聞をもろに襲った。「人妻に手を出して知る権利か」と毎日新聞には罵倒の電話が読者から殺到し、編集局長は解任、西山記者も休職処分とされた。
佐藤首相の地元の山口県では毎日新聞の部数が急減し、これは全国的な傾向となった。一説には朝日、読売が20万、30万部と部数を伸ばす中で、毎日だけ7万部近く落としたとされる。西山記者の事件については世間はあっという間に忘れたが、毎日新聞はこの部数低落状態のまま石油ショックに突入、「毎日倒産の引き金は西山事件が引いた」と言われるゆえんである。
西山事件では足並みを揃えた新聞各社だが、実際、昭和を通じて、新聞各社の間に社論の大きな違いというのは余りなかった。
朝日が左、産経は右などとされるが、毎日、読売はこの頃は思想的なカラーは鮮明ではなく、日経は経済専門紙であるが、西山事件の前後はまだ産経の半分近くの部数の「株屋の新聞」で一般の知名度も低かった。昭和45年と昭和50年の大手5紙の部数の変化を見てみると、朝日が572万部から664万部と92万部増、読売が543万部から666万部と123万部増、毎日は463万部から449万部と14万部減、産経は190万部から189万部とほとんど変化なし、日経は116万部から157万部と41万部増となっている。