今日、私は仕事納め。
明日はケイに手伝ってもらって店の大掃除。
うちの大掃除はケイが大晦日から泊まりの仕事なので、その間にすることに。
昨日、ふと今までのことを振り返ってみようと思って自分の過去のブログを読んだ。
裁判に関してのことを読むと、その時々の感情や憤りが蘇り怒りが沸いてくる。
進展しない裁判に、何度投げ出してしまいたい!と、思ったことか?
ケイは同居している時にも傷つけられ、裁判の中でも被告の言葉に何度も涙し精神的に傷つけられた。
付き合い始めた頃、ケイはモラハラ被害者そのものだった。
被告に対して恐れを抱き、怯えていた。
しかし、裁判も辞さないと決心してからのケイはどんどん変わって行った。
傷つけられる度にケイは強くなっていったと思う。
被告のお陰で、私とケイの絆はより一層強まった。
被告に対して、弁護士を通して冷静に話せば話し合いができると思っていた私の考えは甘かった。
当初、私はケイがちゃんと話をしないからダメなんだ、と、思っていたのだ。
だが、情緒的な箇所に欠陥があるのか?その回路が何らかの出来事で破壊されたのかは分からないが、常識的なことは被告には一切通用しなかった。
これが、モラハラなのだろう。
モラハラ加害者には、情緒障害があるとしか思えない。
故に人に対する思いやりや優しさを一切持てないのだ。
被告の母親がモラだったと分かる節が結構ある。
だからといって、何故、被告がそうなるのか?私には分からないし理解できない。
私の母親はモラではないが、尊敬できるような母親ではなかった。
なので、私は母を反面教師にして娘を育てた。
絶対に母のような子育てはしたくないと思ったのだ。
親がモラなら、モラと言う言葉を知らなくても子供は親のようになりたくないと思うはずなのに、同じことをしてしまうのは何故なのか?
その辺のところが本当に分からない。
婚姻直後に被告親子の異常さに気付き、長年耐えはしたが逃げ出したケイは良かったと思う。
よく逃げ出したと。
あのまま被告の下にいて一生を終えてたら、ケイの人生はとても哀れで悲しいものになっていただろう。
「逃げ出したケイは偉かったでしょ?」とは、未だにケイが言う言葉だ。
その横には目を細めて微笑んでいる私が居る。。