2008年09月02日(火曜日)

【HR】 「諦める」ことの大事さ

 曇ときどき晴れたり雨が降ったり。湿度が高い。
 朝早くに電気屋さんが来てくれた。クーラの排水管の掃除のため。デッキの下から地下室へ入って、配管を確認してくれた。以前に工事をしてくれた人だから、こういうことがすぐにわかるわけで、初めての人だったら大変だっただろう。ついでに、あちこち悪いところを見てもらい、今度暇なときに修理にきてもらうことにした。助かった。

 機関車の工作は3種類のパーツ待ち、と書いたが、今日は我慢ができなくなって、そのうちの1つを旋盤で自作した。このように自分で作れるわけだけれど、正直言って、買った方が精度も良いし、時間給を考えたら値段的にも買った方がずっと安い。でも、背に腹は替えられないときがあるし、作る楽しみもある。しかし、残り2種類のパーツは、やっぱり待とう。違う工作プロジェクトに目を向ければ良いのに……。
 小説は、短編のタイトルをフィックスした。もう書き始められる。2週間くらいで仕上げる予定。このほかは、細々とした処理を幾つか。翻訳関係の仕事も1時間ほど進めたし。長編執筆の準備も30分ほどできた。印税振込の計算書を見ていたら、電子ブックの販売部数が1桁増えていた。いよいよそういう時代かな、と実感。
 秘書氏が、来年のスケジュールを組んでくれているけれど、今の時点で、もう17冊も来年発行予定の本があることがわかった。「MLA」がなくなる(正確には「MLA13」の1冊は来年)のに、凄いなあ。半年間休暇をもらった2005年でさえ17冊だったから、まあ、そんなものだろうか。理想としては、1カ月に1冊、年12冊くらいが良いと思う。20世紀は、12冊以下だったのだから不可能ではないはずだ。ちなみに、現在の生活を維持する(貯金を減らさない)なら、1年に1作書いて、新刊1冊と文庫化1冊で充分である。

 生き方とか、人生とか、教訓とか、そういう話は苦手だけれど、よく耳にするのは、「ネバーギブアップ」「諦めるな」という励ましである。これは、かなり幅のある意見であって、条件によって判断を間違えないようにしたい。というのも、もしトライしたものが駄目だったとき、「諦めるな」の言葉を信じて、もう一度トライする、何度も同じことをやってみる、という行動に出ても、たいていはまた失敗する。そういうときには、「精一杯やったのだから、しかたがない」みたいな慰めが用意されているようだけれど、スポーツ根性ドラマではないのだから、もう少し頭を冷やして考えてほしい、と思うことがしばしばだ。
 僕が今まで生きてきたなかでは、いかに「諦めるか」ということがとても大事だと思わされたことが数多い。子供たちに教えるならば、この「諦め」の判断である。別の言葉でいえば「引き際」だ。引き際を誤らないことが重要。
 ここで「諦める」のは、「方法」である。そのやり方ではもう駄目だ。同じ方法を繰り返すな、という意味。そうすれば、少なくとも同じ「目標」をまだ諦めずに済む可能性がある。別の道を徹底的に模索すること。そして、それを試したり検討して、そのうえでやはり駄目だと判明したら、それは「不可能」と見極め、いち早く撤退し、目標を修正すべきである。

 「若いうちに挫折を味わうべきだ」という発言も聞かれるけれど、好き好んで挫折を味わう必要はない。失敗覚悟で大きなチャレンジをするよりは、少しずつでも成功を積み重ねた方が良いに決まっている。もし、最終目標を諦めたくなかったら、方法、時期など、ほかのすべてに対して妥協する柔軟性を持つべきだ。ついその場その場の見栄や完璧主義が、この柔軟性を失わせるので、常に自分に注意している必要があるだろう。

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