
松本 哉 -まつもとはじめ-(25)
法政大学二部法学部政治学科 六年生
法政の貧乏くささを守る会・全貧連の発起人
96年度野宿同好会会長
現在、全貧連委員長
法大被曝者の会
授業には全く出ていないが、登録していないゼミには出ている。
プロフィール
- 94年4月 法政大学二部法学部政治学科に入学し、二部新聞会と野宿同好会に入会する。新聞会で学内問題に興味を引かれる一方で、野宿同好会などで貧乏旅行をしまくる。
- 94年5月 本栖湖の貸しボート場からラインを超えて脱走するが(金を払いたくない為)、暴風雨になり遭難。四時間後奇跡的に救出される。
- 94年8月 中国旅行に行き、「貧乏くさい状態」の面白さに感動する
- 95年12月 野宿同好会会長に就任する。天安門広場現地集合現地解散合宿、百時間耐久ママチャリレース等、無謀な企画を連発し、他の会員を大混乱に陥れる。
- 96年8月 中国旅行中強盗に遭い殺されそうになる。更に旅行中3000メートル級の山にTシャツに下駄という出で立ちで登り、足は血まみれになるし、風はひくしで、踏んだり蹴ったりの目に遭う。
- 96年9月 法政の貧乏くささを守る会結成、翌年7月には全貧連結成
- 96年11月 学祭中、近くの企業の巨大な日の丸を引きずり降ろし、大問題になる。
- 97年1〜2月 冬の北海道を原付で旅行する。−30℃にもなり、しかも自炊&野宿なので死にそうになる。
- 97年4月 学食粉砕集会をゲリラ的に決行し、200名結集。この頃から、本格的に大学を「貧乏くさくする」運動を展開。当局にケンカを売っていく。
- 97年8月 シベリア、モンゴルを旅行。モンゴルでは草原やゴビ砂漠の遊牧民を泊まり歩くが、食糧難に苦しむ。
- 97年12月 東北一周1500キロママチャリレースに参加。10日で走り三位。
- 98年〜 仕送り止まる
- 98年1〜2月 懲りずにまた原付で北海道へ→また死にそうになる
- 98年〜 “貧乏”の人数が爆発的に増え、当局も震え上がり、弾圧が強化される。が、なぜか全て個人に攻撃が来るようになる。
- 98年12月末 百時間耐久無賃徒歩レースに参加し、230キロほど歩き、三位。
- 99年初頭 本格的な財政難が到来。まともに働くか活動を押さえるかのどちらか、と言う厳しい選択に悩むが、アパートを引き払うという荒業により、どちらも回避する。
- 99年9・30 函館の非核平和集会にバイクで向かっている途中、東海村臨界事故にモロに遭遇。→法大被曝者の会結成
- 99年11月 法大当局から不当処分をくらう。
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