恐怖!キヨナリズムの実態はこれだ! 現総長、清成忠男だが、これがまたとんでもない極悪人だ。こいつのおかげで、だいぶ法政が悪くなってきているので、ここでは奴の路線の極悪ぶりを暴いておきたい! まずもって上智・青学化反対! 最近の大学は、どこもこぎれいになってきているが、法政もその路線を突き進んでいる。どころか、尖兵になっているぐらいだ。実にうっとうしい!しかも、そのブルジョア化路線の方向性が「社会の要請」だの「人材育成」と、一々こうるさいものに貫かれている。だからこそ、そういう意味での“こぎれい化”は蹴散らさねばならん。まあ、法政の具体的なこぎれい化路線については、別でも書いているのでここでは省略!とりあえず、ここでは我々の上智・青学化反対の姿勢を表明しておいて、その前提のもとに清成体制にケチをつけていきたい! 金の亡者=キヨナリは大学をベンチャー企業と勘違いするな! 本来、大学が真理探究の場であるべき、というのは疑う余地はない。だが、しかし!今のキヨナリ率いる連中は、企業に役立つためのカリキュラム改革を行ったり、企業経営の論理で大学運営を行ったりしており、とてもじゃないが受け入れ難い。 例えば、二部改廃。従来のような「働きながら大学で学問ができる」という場から、単なる企業人再教育の場へと変質しようとしている。要するに、社会人にとってはハクつけの場、企業にとっては「企業の委託教育機関」、になってしまうのだ。ましてやその「改革」の理由も、「高い学費を取る事ができ、財政難を乗り切ることができる」からだそうだ。こんなの大学じゃねえ!思いっきり外部に屈してるじゃねえか!!他にも、大企業の要請そのまんまの新学部設置や、受験生や企業に媚びまくった「市ヶ谷再開発」構想、など、とても大学のやる事とは思えない。 更にすごい事に、清成本人もこれを開き直っているのだ。『私学経営』(名前がすでに反動的だ!)という雑誌の2000年1月号で、清成が語っているのは、「学生は集まるのだから、高い学費は取れる」「中流以上はかなりの金融資産を持っているので、高い学費を払える」などである。ここからも大学を企業経営という面からしか見てないのが分かる。全く、とんでもない野郎だ! また、百歩譲ってそういう路線がありだとしても、それ以外の状態や考え方のいわば「異物」を排除するのはとんでもないことだ。で、まさにそれが、昨今たくらまれている大学こぎれい化の実態なのだ。当局は、校舎にビラを貼る、トラメガを使う、キャンパスで学生が酒を飲み鍋を囲む、といった事を無駄な行為、あるいは邪魔な行為としやがる。また、純粋に学問を深めようとする授業より、企業の即戦力になる人材を養成する授業の方が優先されていくというありさまだ。どんどん就職予備校へと純化されていくという、目も当てられない事になっている。 もはや、法大はベンチャー・キヨナリズムに乗っ取られそうなのだ!とんでもねえぞ!おい! 混沌の中からの自主文化創造を! そもそも、訳の分からん物が混在している混沌とした状態からでないと、文化も真理も生まれて来る訳がないし、面白くも何ともない。今、当局がやっているのは特定の価値観や真理を勝手にデッチ上げ、それを教えていこうという、実に非生産的な事であり、そんなもん大学でもなんでもない。とりあえず、いろんな奴がいて、いろんな事をやっているような空間でなきゃあ、つまらない。 しかし、だからといってわざわざ変な事をやってみたり、無理にいろんな事をやって混沌とした空間を強引に作ろうとしてもしょうがない。要は、客観的な立場に立って大学なり社会を変えようとしても、そんなの無理だという事だ。つまり!やりたい事をやる。大暴れする。これが重要なのだ!我々としては、誰が何と言おうと鍋を囲みまくる!コタツを出しまくる!当局をおちょくりまくる!という闘いが、キヨナリ路線の、ブルジョア化、画一化に対抗できるのだ。キヨナリを混沌の中に叩き込み、我々の自主的な文化の創出を克ち取ろう! |
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