この2年間ありがとう、オーマイニュース
2008-08-23 01:19:55
テーマ:ブログ
韓国で「盧武鉉政権を作り出した」と大きな話題となったオーマイニュースが日本に上陸した2006年、ネット界では、オーマイニュースが何かを変えるのでは? と期待されていたし、硬直化した日本に変革をもたらすと一部で信じられていた。だが、オーマイニュースはその期待に応えることなく「ニュース」の看板を8月31日をもって降ろし、商品レビューに力を入れるサイト「Oh!mylife」への変貌を果たすこととなった。
この2年、アメーバニュース編集長ことオレはオーマイニュースを「気になる存在」として注目し、事あるごとに勝手にライバル視をしていたが(彼らからは無視され続けたけど)、一応一つの区切りがついたので、この2年間を振り返ってみる。このブログに掲載した理由は、公共性が一応あるアメーバニュースに掲載するだけの理由がなく、オレの個人的な思いでしかないから。
で、一つ断っておきたいのが、このブログのコメント欄にオレが答えることもなければ、この続報をこのブログで書くことはない、ということ。あくまでも言いっぱなしジャーマンスープレックスである。ネットの「双方向性原理主義」はオレは嫌いだ。答えたい人だけが答えればいいし、答えたくない人は答えないでもいい。答える義務など一切ない。ただし、当事者であるオーマイニュースがもしもオレに何かを言いたいのであれば、それには答える。彼らはオレの連絡先を知っているので、それには裏で対応する。市民記者で何か言いたい人がいたら、平野さんか朴さんに聞いてくれ。彼らはオレの連絡先知ってるから。
【ネット万能論者の気持ち悪さ】
本題に戻る。オーマイニュースが2年前、あそこまで期待されていた理由の一つは「ネット万能論」にある。当時、「ブログの発達を筆頭とする『WEB2.0時代』『CGM時代』の到来(今や死語)により、誰でも自由に発言でき、良いものは良い、と正当に評価されるフラットな時代がやってきた」との論が語られていた。
要は、既得権益を持ったマスコミが独占的に情報の発信源となるのではなく、これまで機会が与えられてはいなかったものの、本当に面白いこと・素晴らしいことを伝えられる人がWEB2.0のフェアなフィールドで活動することにより既存マスコミを駆逐し、より良い社会をもたらすと信じられていた、ということだ。
オーマイニュースは「準備ブログ」段階から炎上するなど、話題を呼んでいたが、8月28日、著名ジャーナリストである鳥越俊太郎氏を編集長として招き、テレビの取材まで受けてアクセスが殺到。あまりの重さにオレはまったくサイトを見ることができなかった。それだけ多くの人がオーマイニュースに期待したのだった。アメーバニュースのスタッフ間でも「オーマイすげー!」「羨ましい」などのメールが駆け巡り、オレは相当な衝撃を受けていたし、嫉妬した。
アメーバニュースは彼らに先立つ8月1日にサイトオープンしていたが、「1日30万PV」という当初の目標をまったく達成できず(マジで惨憺たる状況だった。目標の10%以下しか達成していなかった)、フリーランスの外注編集長であるオレは「こりゃ、タイに逃亡するか…」と本気でオレの友であり、共に準備をしていた魔酢苦怒・Kに相談するくらいだった。運営会社であるサイバーエージェントの藤田社長は「外部から編集長を招き、おもしろくなりそう」などとブログでも書いてくれていただけに、オレは本気で逃亡を考えていた。
【オーマイニュース、凄過ぎ! オレ、もうダメ!】
さて、オープン翌日もオーマイニュースはなかなか繋がらず、オレは完全なる敗北感に打ちひしがれていた。その時はもはやオレの頭もおかしくなっており、オーマイニュースに対抗するためにやるべきは「サイバーエージェントにサーバーを落としてもらい、一見アメーバニュースにアクセスが殺到しているかのように見せる」ということを考えた。
魔酢苦怒・Kとは「こりゃいいアイディアだ!」などと真剣に語り合っていた。だが、そんなアホなことができるわけがない。冷静になってそこで考えたのは「だったらオーマイニュースのコバンザメとなり、そのおこぼれのPVをもらう」という戦略である。
いや、「戦略」というほどのことでもない。単に弱小サイトが注目を集めるためにプロレス的なアングルを仕掛けるということでしかない。圧倒的PVを誇るオーマイニュースの前ならば、これは可能だ。虎が猫を襲うのは恥ずかしい行為だが、猫が虎に噛み付いても、負けることは当たり前だし、負けても恥ずかしくない。だから、彼らに噛み付くことにした。そこでオレはアメーバニュース上でオーマイニュースのオピニオン会員廃止時期に彼らに対する批判意見を書きまくり、オーマイニュースの市民記者を名指しで批判した。ただし、これは完璧にプロレスにおけるアングルである。彼らのことが嫌いなワケがない。勝手に盟友であるとさえ思っている。
※アングル
その直前からオレはオーマイニュースの記事を逐一見るようにした。オープン後、オーマイニュースは続々と記事を出してきたが、それを見たオレの感想は「与しやすし」だった。「今現在、話題性はあるものの、このレベルだったらネットでどちらが支持されるか、という意味ではオレ達はいずれ勝てる」というものだ。
【にわか評論家の跳梁跋扈】
何しろネットで必ずしもウケるとは思えぬ韓国関連のネタが多過ぎたし「お前が言うか!」的な劣化版新聞社説的な記事が多かったから。ネットユーザーは、別に素人の「感想」「ニュース評」なんか見たくない。それなのに、場を与えられた「にわか評論家」「にわかジャーナリスト」「あなたもジャーナリスト(笑)」の人々がオーマイニュースを活動の場とし、「許しがたいことである」「○○はおかしいと思う」「○○すべきである」「すべては格差社会を生み出した小泉政権のせいである」などと声高に主張し始めたのだ。
これらの記事を見たオレは「もっとやれ、もっとやれ、もっとエラソーになれ!」と思っていた。そうすれば、ネット世論が彼らに呆れ、さらに「与しやすく」なるからだ。「ネットでは誰が言うかよりも、何を言うかが重要」という説がある。だが、これは必ずしも正しくない。オーマイニュースに投稿している人が「すべては小泉政権のせいだ」と言うのと、オーマイニュースに原稿を書く余裕さえない生活保護を受けているような人が「すべては小泉政権のせいだ」と言うのではまるで違う。タモリが「すべては小泉政権のせいだ」と言うのともレベルは違う。
やっぱり「オーマイニュースに投稿するくらい自己顕示欲が高く、余裕もあるお前が何を言うか!」という感想になるのはごく自然の流れではないか?
※オーマイニュース市民記者にも、仕事のない人や苦しい生活をしている人がいるのは分かっています。2年間、つぶさに見ていますので。
その後オレが感心したのは、編集部の学習能力のなさと、過去の紙媒体経験によるプライドの高さである。オレにはジャーナリストとしてのプライドは一切ない。というか、自分は「IT業界の一労働者」としか思っていない。元々広告代理店社員だし、その後は無職を経て、よく分からないまま雑誌のライターになり、編集者になった。なんだか理由は分からないが、サイバーエージェントのメルマガの仕事を手伝い、その妙な流れのまま、同社からいくつか仕事をもらい、なぜかアメーバニュースの編集長にならないか? と聞かれ、「エッ? オレでいいんスか?」みたいな感じで受けた。
常に周囲に流されながら目の前に与えられた仕事をプライドもクソもなく日々の生活のためにやり続けていたが故に、アメーバニュースの仕事も同じスタンスでやった。だからこそ、2006年8月3日、アメーバニューススタッフ内では「亀田事件」といまだに伝説となっている事件の時も迅速に対応し、すぐに方針転換をした。
「亀田事件」とは、雑誌の感覚で「とにかく流行っているものを叩け」という路線でランダエタ選手との試合で大クレームを浴びた亀田興毅選手に関する記事を出しまくった結果発生したコメント欄炎上事件である。あの日は「亀田製菓の柿ピーの柿の種とピーナツの比率を調べた」という記事も含め、6本ほど亀田選手関連の記事を出した。それがオレの「流行っているものをとにかく出しまくれ! 徹底的になっ!」という雑誌編集者の感覚としては正しかったからだ。だが、ネットユーザーからは「いい加減にしろ!」「そこまで叩くな!」「もう飽きた」というコメントが殺到したのである。そこでオレは「雑誌とネットは違う」と分かり、アメーバニュースのスタッフ全員に「やってはいけないこと」のリストをメールで送り、共有した。
この時のオレは「読者はオレ達の面白さが分かっていない」や「ジャーナリズムのプロとしての矜持を忘れることなく、自ら書いた記事に自信を持て」などと一切思わなかった。あくまでも「ユーザーが怒っている。どうしようか」という対応でしかないのだ。
そして、このことは、今のアメーバニュースには糧となっており、全ライターが認識していることだ。
【ネットには予算がないのでアール】
だが、オーマイニュースの場合は、初期の編集関係者は鳥越氏をはじめ、日経新聞出身の平野氏ら錚々たる面々が揃っていた。そんな立派な方々は「ネットイナゴ」「下々の何かわめいている連中」の言うことなど聞く気はなかったのではないか? オピニオン会員消滅の時のあのやり取りからはそう解釈できる。だが、はっきり言って、ネットの場合ネームバリューは不要である。
その理由は単純で、「ネットに予算はないから、余計なカネはかけられない」ということと「自己顕示欲の高いヤツはネットでは嫌われる」ということだけである。ネームバリューのある人を雇う余裕などそもそもないのである。あとは「とにかく原稿を増やしてくれ」ということ。ある程度の質が担保されていれば、あとは「量」があることによってPVは増える。だから、オレはライターを雇う際、「とにかくアンタのことは信用しているから、アンタが面白いと思うものを次々と書いてくれ」ということと、「自我を出すな。匿名で行け」ということだけを伝えた。
鳥越氏は「実名で責任ある参加を」と言った。だが、「お前が何を言うか」になるワケで、これ程ネットで嫌われることはない。その上に「無名人が実名を出すことによるメリットはない」ことも明らかだった。世間的に知られていない人が実名を出しても「お前、あそこでこんなバカなこと言ってたな」となるリスクが増えるだけで、そこで名前を出したからと言って会社の上司から「よし、ボーナス2倍!」なんてことにはなり得ない。
で、ちょっと話はまたもずれるが、オレはその後プロの実力をまざまざと見せ付けられることとなる(一応オーマイニュースとは関連したことだからな!)。
「素人に文章は書けない」ということだ。いや、書けないわけではない。文章というものは、野球の才能もなく、サッカーの才能もなく、容姿も大したことなく、面白いことも言えず、ベンチャーに打って出るほどの度胸もなく、かといって政治をやるだけのコネもガッツもない人々にとって最後の「オレ、才能ある」「有名になる可能性はここにあるっ!」の拠り所である。だからこそ、文章で生計を立てたいと思う人は世の中にゴマンといるわけで、その層からオーマイニュースは支持を得ることとなった。
「んなわけねぇ!」と言うかもしれないが、生活のために文章を書いているオレにとってはたかだか300円の原稿料で文章を書くことなど「有名になりたい」「文章で食っていくためのきっかけを作りたい」というモチベーション以外には考えられない。それなりに仕事のあるライターだったら、300円の原稿料は15字で稼げる。
【私は文章がウマいんです! ちゃんが続々来襲】
で、オレは当時アメーバブログでブログを書いていたのだが、そこにアメブロユーザーからの「アメーバニュースで原稿を書かせてくれ。私はハッキリ言って文章に自信がある。面白いことを書ける」というメールがかなり来ていた。
書いていただくのは有難いことなので、「何を書きたいか、ぜひ企画を出してください」と言うと、一人を除く全員が、その後連絡を絶つのである。「私が書きたいことをそのまま載せてね! 誰からも指示されたくないの!」ということだったのだろう。その一方で、オレが一回でも会ったプロのライター達は「媒体特性はこんな感じで、原稿料はこんな感じです」とだけ言ったらそれにかなり合致した原稿をビシッと送ってきてくれた。
結局、オーマイニュースは、前出「野球も芸能も社長もできないけど、文章だったら自分は才能あるかも?(笑)」と思う自己顕示欲とプライドだけがやたらと高い人々の集合場となったのだ。
※こんな念押しをするのはイヤだが、全員がそうと言っているわけではない。オレは熱狂的オーマイニュースファンなので、そうでない市民記者も多数知っている。
で、オレのところに一度だけ原稿を送ってくれた人がいたのだが、「意味が分からない」「公共性がない」「独りよがり」といったレスを送ると「あなたには私の良さが分からない、キッ!」と怒られてしまった。オレは「だったらいいです」と返事をし、それからの方針として「自分の会ったことのない人とは仕事をしない」ことを決めた。
素人は文章を書けない、ということではなく、「自己顕示欲が強く、自信のあり過ぎる人は、一緒に仕事がし辛い」ということなのだ。毎日大量の原稿を入稿しているが、すべてはオレ好みの原稿であるべきなのだ。
なぜならオレが編集長だから。そこに異議申し立てをしてこられたら一度は「このようにして欲しい」という要求はするが、そこで更に何かを言ってくるようだったら「うっせー! だったらお前なんていらん!」とオレは逆ギレする。
だが、オーマイニュース編集部発の記事を読んでみると、編集部から手を加えられることを良しとしない市民記者がいたり、「自分の意に沿わないのでやめます!」と宣言する記者が出るようになったことも明らかになった。
編集部の能力を疑問視する節は多分にあるが、それは彼らに対して厳し過ぎるだろう。なぜならば、原稿料300円という完璧にクズのような金額で原稿を書いており、「自分が自由に表現できる場だと思っていたのに…」と思っている市民記者が口うるさい修正依頼に唯々諾々と応じると考えるのは難しい。元々自己顕示欲があり、オーマイニュースを利用しようとしていた人も少なからずいたわけだから、そこで「オーマイニュースなんて利用価値ナシ」と思うのは自然な流れだ。市民記者が辞めるのもムリはない。
※オレは特定の誰かを挙げているわけではないからな。そんな市民記者だけではないのは充分過ぎるほど分かっているが、一般論として、たかだか300円のようなクズ原稿料で原稿を書くモチベーションのある人間は多かれ少なかれ、自己顕示欲とプライドの高い人々だと思う。あ~、この「※」の注意書き、めんどくさいぜ。
【編集者は編集方針持て、エッ!】
とはいっても、「カネは出すけど、オレの言う通りにしろ、エッ!」という姿勢が本来編集者には必要なのである。となれば、300円というギャラは到底成り立たぬ額なのである。たとえば、カップラーメンが7円で売っていたらそれは何かおかしいと思わないか? ハッキリ言って「原稿料1本300円」というのは、「カップラーメン7円」「グレープフルーツ4円」みたいな無茶苦茶な金額である。
はぁはぁ、ここまで一気に書いて疲れたぜ。で、もう一つの問題を語る。
【ジャーナリズムなんていらない】
けっこう重要だと思うのが、多くの人がジャーナリズムに過分な期待を持ち過ぎていたことだろう。
はっきりいって、ジャーナリズムがそこまで大層な意味もないことは、1979年に椎名誠が「さらば国分寺書店のオババ」で「マスコミの方々がいなくなってもオレの生活は困らない」と語っている通り明らかなのである。世の中に本当に必要なのは、お米を作ってくれる米作農家の方々であり、卵を育ててくれる鶏卵農家の方々、畜産業の方々、ガス会社、電気会社、電話会社、鉄道会社などである。
新聞やテレビをはじめとする大マスコミが「巨悪を暴く」とか色々言ってはいるが、所詮人間、腹が減ったら何もできないし、餓死しそうな時に「今こそ『個性重視』の社会を!」なんて主張をマスコミからされても腹を減らした人からすれば、「お前、個性なんてどうでもいいから、オニギリ持って来い!」と言いたくなるのが正直なところだろう。印刷技術、放送技術の進歩によってジャーナリズムが本格化して以降、世間の犯罪は減ったか? 汚職は減ったか? ジャーナリズムがあろうがなかろうが、相変わらず悪いヤツは悪いことをするのである。むしろ、オレオレ詐欺の新たな手法や硫化水素の作り方などが報道を参考にして続々誕生するなどの弊害もある。
というくらい、マスコミとかジャーナリズムなんてものは、世間にとってどうでもいいものであるにもかかわらず、オーマイニュースに参画した人々は突然「市民記者」の肩書きを手に入れたが故に、何らかの使命感を持ち、小泉政権を批判し、日本の行く末を嘆いていた(元々その手の嗜好を持っていた人が集まったのかもしれないが)。
だが、マスコミなんてものは、緊急の場合、1個のオニギリと1本のミネラルウォーターに敵わぬ存在なのである。崇高なる理念を持つのは重要なことではあるが、あたかも立派な仕事をしている特権階級であるかのように振る舞うのは間違いだ。あくまでも農家や公共関連の仕事をしている方々のお陰で「余剰」として仕事をさせていただいていることを認識した上でマスコミは仕事をすべきだとオレは思う。
オレはアメーバニュースは単なる「暇つぶしの場」としか認識していないし、ユーザーにもその意識で読んでいただき、コメントや引用をしていただきたい。「相変わらずこいつらはバカだなぁ」や「ほんと、くだらねぇな」などと言われながらも、ついつい見られたり、コメントをされることほど嬉しいことはない。
【米と新聞、どっちをお前は取るのか?】
だから、「ジャーナリズム幻想」なんてものは不要だとオレは考えている。朝日新聞は「ジャーナリズム宣言」とかエラソーに大上段に構えたキャンペーンを展開したが、だからなんなんだ、エッ! と言いたい、むしろ、米作農家の方々が「米が日本を支えている宣言」をした方がオレはパチパチと拍手を送りたいね。
だって、朝日新聞がなくても死なないけど、米やパンがなかったらオレ達は死ぬからね。いきなり恐い人がやってきて「米と朝日新聞、どっちを取るか、今すぐ答えろ、エッ!」と言われたらオレは「米が欲しいです!」とすぐに言う。それは毎日新聞だろうが読売新聞だろうが、フジテレビだろうがNHKだろうがすべて一緒で、「米をください!」とオレは言う。そして、「できれば炊飯器もください」と象印やビックカメラの方にお願いするね。
あぁ、もうめんどくせー、オレ、日々文章書く生活しているので、これ以上書くモチベーションはもうない。まだ書くべきことはたくさんあるけど、もうメンドーなので書かない。以下ダイジェストで。
オーマイニュースの問題は他にも以下の通り。「ネットで何が受けるか」をあまりにも考えていない。
・企画を出し過ぎ
・プライドあり過ぎ
・タイトル下手糞過ぎ
・クソマジメ過ぎ
・思想を入れ過ぎ
・ダメな記者を切れな過ぎ
オーマイライフについても、うまくいけばいいとは思っているが、「こんな記事があるんっスけど、タイアップ広告ください! クチコミ作れますぜっ!」という営業がうまくいくのかはよく分からない。
それではさようなら。
魔酢苦怒・亜姪婆