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☆★☆★2008年09月05日付 |
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時の流れに逆らうというのは難しい。エコ問題もそうで、「それは○○に反する」と葵の紋章が入った印籠を見せつけられると、へへーっと平伏する以外にない。しかし時を経ていささか風向きが変わってきたようだ▼たとえばペットボトルのリサイクルがその典型か。これまでは本体とキャップに分別して資源ゴミとして出すのが主流だった。これを自治体が回収し、リサイクル業者に渡す。業者は粉砕し熱を加えて再生原料とする。こうして繊維にしたり、容器などにするのだが、ではこれが環境にやさしいかというと、加工するために燃料が必要となる▼つまり省資源が一方で二酸化炭素を増やすのだから、回収という手間も加わるリサイクルよりは燃やした方が得策という説が二、三年前からあった。しかしそれは「異端」でこそあれ時流に即したものではなかったから、誰もが疑わずに分別に応じていた▼しかし実際にリサイクルに回るのはごく一部であり、その回収のために税金が投入されるよりは生ゴミと混ぜて燃やした方がむしろエコとなるということが理解されるようになった。その結果、分別をやめ、燃えるゴミとして出すようにした自治体が増えている▼武田邦彦著「偽善エコロジー」にはそうした「どちらが得か」の実例が満載されている。科学知識の乏しいわれわれ素人は専門家の意見に従うしかないが、その意見が時に間違っていることもあるということは十分に認識しなければなるまい。 |
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☆★☆★2008年09月04日付 |
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どこまで薄くなるのか?いや当方の頭髪のことではない。テレビやパソコンのディスプレー装置のことである。「薄型テレビ」が登場したのはブラウン管に代わる液晶画面が開発されたからだが、ついこの間までは厚さ十センチはあった▼それでも薄く、軽くなったのは画期的だった。もしブラウン管で現在主流の大型テレビを作るとしたら、とても一人では持ち上げられまい。日本人が発明した液晶がそれを軽くし、さらに極限まで薄くする改良が進んでいる。ソニーが近々発売するそれはなんと厚さ九・九ミリ。液晶生産で抜かれた韓国をこれで抜き返す▼小さくする、薄くするのは日本が得意とする分野で、極小部品を作るマイクロ化技術は世界でも独壇場となっている。それも名もないような町工場が世界のシェアを占めている例が少なくない。この裾野の広さが日本のものづくりを支えているのである▼中学生のころ、模型のモーターはコイルを自分で巻いたものだった。しかし非力だった。もっと強力でしかも小さなモーターをとそこに特化した「マブチモーター」がいま世界シェアの半分を押さえるに至ったのも、駆動にはモーターが必要だからではなく極限に挑戦したからだ▼こうしたマイクロ化技術はさらに進歩発展し、いずれカテーテルを使わずに手術するといった機器も登場しよう。医師がラジコンのコントローラーを持って患者の体内にロボットを走らせているといった図が現実になるだろう。日本加油! |
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☆★☆★2008年09月03日付 |
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このチームは優秀なバッターこそ多いが、投手陣にはエースどころか中継ぎすら不在。今回も先発の安倍が序盤で降板し福田が継投を託されたはいいが、その福田までが猛打を浴びて戦意を喪失、監督の采配を待たずに自分でマウンドを降りる始末▼「自民・白鵬・玉子焼き」といわれたほど子どもたちに人気のあった「自民ライオンズ」だがいまや往時の陰もないほど人気凋落、二位の「民主タイガース」に首位を明け渡すのは時間の問題▼だからこそ、スピードこそないがコーナーをうまく突いて無難にこなす福田の踏ん張りが期待されたのだが、「下手な鉄砲も数打ちゃ当たる」式にばんばん振ってくる相手の勢いに気圧されてすっかり手元が狂ったのか、投げる球のいずれもが甘いコースに入り、得点の山を築かれた▼観客席からは「無責任」「続投しろ」といったヤジやブーイングが飛び、球場全体騒然とする中、福田はうなだれて肩を落としたまま観客の視界から消えていった。「敗戦投手結果を語らず」しかし無念だったろう。安倍に対して浴びせられた「無責任」コールをまさか自分も浴びるようになるとは▼まだ場内アナウンスはないが、福田の次には麻生が登板するであろうことは確実。なにせチームにはもう麻生以外にリリーフの持ち駒はないのだ。ここで彼が好投し試合をひっくり返すか、それとも刀折れ矢尽きて監督選手共に試合を投げ出すか、首位をめぐる攻防はいよいよ混沌としてきた。 |
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☆★☆★2008年09月02日付 |
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「来い、来い」といってもなかなか来てくれないのだから、いっそのこと逆手に取って「来るな、来るな」といったらかえって興味をそそられてやってくるのではなかろうか―と新観光論を述べたら「まさか」と笑われた▼見るなといわれるとかえって見たくなる。さわるなといわれればさわりたくなる。「これは内緒よ」というとそれがたちどころに広がる。この反作用を観光に用いれば、どんなところかと関心をかきたてられるのではないかと考えたのである▼ゴミだけを落として金は落とさない観光客は願い下げだが、当地の観光は実際そんなところがある。単なる通過点であったり、立ち寄ったとしてもちょこっと見て終わり。金を落とすといってもトイレ休憩か昼食程度。これでは観光立地も無理である▼福井県の名勝「東尋坊」を訪れた時にはその名前が知られた割にはスケールも小さく、碁石海岸の方がはるかに勝っていると感じた。しかし訪れる観光客の数の方は問題になるまい。みやげ店や食事どころの呼び込みの激しさ、商売っ気は相当なもので、越前加賀海岸国定公園のくせに国立公園の上を行っていた▼だが、客引きもいない、呼び込みもない、記念写真屋もいない―とないないずくしの観光地が一つぐらいあってもいい。そこで「日本最後の汚れなき観光地だから汚されたくない。来られては迷惑。どうか来ないでいただきたい」と本音半分でいってみるのもいいのではないか。どうせ来ないのだから開き直ってみるのだ。 |
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☆★☆★2008年08月31日付 |
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自民党から政権奪取「間近」?の民主党から突然三人の参院議員が飛び出し、無所属の同じ参院議員二人と組んで新党「改革クラブ」を結成したのは青天の霹靂だったが、飛び出した三人のうちの一人が翻意して元のさやへ収まったというのは、さしずめ「晴天の辟易」だろうか▼こちらと思えばまたあちら。京の五条の橋の上で弁慶を翻弄した義経は、壇ノ浦でも八艘跳びの妙技を見せたが、その義経でさえ離党、新党結成、離党、復党というめまぐるしい動きまでは真似できまい。先の参院選で「姫の虎退治」を演じ一躍有名になった姫井由美子議員の「身軽さ」がそれだ▼こうも心の赴くままに行動できるフットワークの軽さは羨ましい。義理も人情も行きがかりも世間の目も一切気にせず生きられたらどんなに気楽だろうと、常日頃思っていても、そのはね返りと恥知らずと呼ばれることを恐れて誰もが常識的に動く▼しかし、姫はわずか一日の間にS極とN極の間を行ったり来たりした。この「磁性」の融通無碍さ。民主党の幹部らに説得されて逆戻りし、「軽率だった」と反省してみせるのは人間のやることだから、失策もあるだろうと大目に見たい▼が、政治家としては失格の烙印を押されたに等しい。理念や信念が一日で変化するということは常識的にあり得ない。しかも政治家においてはなおさらである。仮に新党に残っても再選はあり得ず、復党しても同様の結果が待っている。退治すべきは虎より前に自分の無節操さだった。 |
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☆★☆★2008年08月30日付 |
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二十八日夜から二十九日未明にかけて関東や東海地方で大雨が降り、一時間当たりの雨量で観測史上最多を各地で記録、二十四時間降水量でも愛知県岡崎市では三百ミリを超してこれも観測史上最多となった▼前線が停滞し積乱雲を多発させたためというのが、気象庁の発表だが、一時間に百ミリ以上降ったという岡崎市の様子をテレビで見ると、街の中が川になっていた。こんな豪雨に遭ったら物を運び出すいとまもない。あっという間に床上浸水、逃げるにも逃げられずそのまま家に取り残される▼こうして救援のゴムボートで「脱出」する光景を見て、津波は来なくとも津波並みの被害を陸地でも味わうことになるのだから、この世に安全な場所などないと心得た。この雨は本日にかけて北日本を「訪問」するという予報も出ているが、招かざる客にはご遠慮いただきたいものである。先の二度にわたる地震だけで沢山▼それにしても異常な気象が続いている。年によってはさっぱり雨が降らず水ガメが空になることもあるが、去年、今年は豪雨と落雷と竜巻の「陰性三兄弟」が暴れ回っている。これを地球温暖化だけのせいにはできまい▼人間は天災のおそろしさを知っている積もりだが、実は知らない。「ここだけは、じぶんだけは」被災を免れると考えている。海があれば津波、川があれば氾濫をおそれるが、平地でも川になり、山津波というものもある。絶対というものがないのが「安心」と「安全」だ。 |
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☆★☆★2008年08月29日付 |
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北京五輪は中国が金メダルを量産、大会も開閉会式をはじめスケールの大きさを示して「大中華」の偉容を地球上くまなく伝えた。これによって中国が自信をつけ、誇りを抱いて自他共に認める礼節の国となることを期待したい▼しかし宴の後は一種の虚脱状態になるものである。宴が盛大であればあるほどその反動も大きい。大盤振る舞いをしている時は忘れていても、翌日にいざかかった費用などを計算する段になると、マユが曇ってくるというのが大方の味わう明暗の「落差」である▼いまの中国はまさに五輪会計の後始末で頭を悩ませているころだろう。大会中はさほどの混乱もなく大成功を収めたが、本番に備えて水も漏らさぬ警備と監視に全神経を集中させてきたその緊張が解けると、それを待っていたかのように国内に抱えた「諸問題」が噴出してくる▼外国のメディアは、表舞台の裏で払った犠牲が反転して表面化してくることを予測している。国民の不満を抑え込み、実力以上のイベントを打ったそのツケが回ってくることは明らかだからである。同国がどんなに経済力を増し、国力をつけようと、国民の貧富の差、地域格差はあまりにも大き過ぎるのだ▼経済躍進の恩恵にあずからない人々の憤懣、いらだちを力で抑えているだけでは未来がない。しかしそれは分かっていても打つ手はない。こうして現体制には徐々に自壊作用が働いていくことになろう。そんなきしみが聞こえてきている。 |
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☆★☆★2008年08月28日付 |
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歳と共に嗜好も変わるのは、体がそう要求しているからだろう。恐れ入りながらわが場合を申し述べさせていただくと、あまり食べたくなかった野菜に目が向くようになった。まさに体が野菜を求めているのだ▼野菜はおろか、果物にすら食指の動かなかった当方の体は完全に酸性化していたはずである。それは病気の元だから、アルカリ化させなさいと言われ続けてきたが、そのためには野菜を食え、いやそれが苦手なもんで―と拒否して近年に至る▼野菜が嫌いというわけではない。積極的に食べたいという気が起きないだけである。果物は元々大好きで、ミカンを一箱平らげて皮膚が黄色くなったことは以前に書いた。リンゴもナシもカキも大好きだった。それが嗜好の変化というのか、食べたいと思わなくなったのは、明らかに酒かたばこのせいである▼アルカリ化を助ける野菜や果物を遠ざけて、酸性化に傾く肉や魚だけを食べていると当然、栄養のバランスが崩れ病気を誘発することになる―はずだが、幸いにそうならなかったのは運が良かったのか、何かでバランスをとっていたのか。しかし、ここに来て変化が出た▼野菜、とりわけ生野菜を敬遠し、サラダなど手もだしたくなかったのが、ちゃんと平らげている。そして自らレタスやらサニーレタスなどを買い求めている。ただし元々がネギ、タマネギ、ニンニク、ニラなどが大好きで、これで不足分を補っていたのかも。歳で運動量が不足すれば高カロリー不要となる。自然の摂理とは不思議なものだ。 |
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☆★☆★2008年08月27日付 |
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地球温暖化の張本人として世界中が目の敵にしている二酸化炭素を「原料」にして合成樹脂にするという実証設備を大阪に建設するというニュースをテレビで見て「えっ」と驚いた▼しかしこんな「世紀の大発明」が一面トップではなく中面に小さく取り上げられていただけなのは腑に落ちない。「地球温暖化これでストップ」などと衝撃的にしろとまではいわないが、一歩前進はまちがいないのだから、それなりの遇し方はあるはずだ▼ともあれ、三井化学が地球環境産業技術研究機構との共同研究成果を生かし、来年二月に稼働を開始、再来年三月をメドに量産技術を確立するこの計画では、工場の排ガスや大気中の二酸化炭素を効率的に分離・濃縮し、これを水素と反応させて合成樹脂・繊維の原料になるメタノールを合成する▼この記事を掲載した日経には、三菱ケミカルがやはり二酸化炭素を原料にする新技術を開拓―と見出しに打った雑誌の広告が載っている。当の雑誌が店頭に並んでいなかったので中身は不明だが、いずれ業界が二酸化炭素退治というトレンドに真っ向から取り組んでいることがわかる▼この技術が確立し、本格化すれば京都議定書で日本が約束した二酸化炭素削減目標を一挙にクリアできないまでも大きく前進はするだろう。環境改善では常に一歩先を行く日本ならではの快挙に対し、北京五輪の金メダルよりよっぽど重い金メダルが与えられていい。 |
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☆★☆★2008年08月26日付 |
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昨日届いた新聞の業界紙によると、新聞業界には相変わらず逆風が吹いていて、中央紙、地方紙とも部数減が続いている。中央紙では前年上期比、朝毎読とも減紙、日経と産経だけがわずかに伸びているがまあ「冬の時代」に入ったことは疑いない▼各メディアの比較から新聞の優位性を挙げれば、記録性、視認性ではダントツといっていい。速報性ではテレビにかなわず、訴求性にも欠けはするが、情報量の豊富さにおいて新聞の牙城は崩れない。視認性は確認性でもある。そして保存性も見逃せまい▼しかし、それでも読者を引きつけておけなくなったのは、やはり原因があるからだろう。無料ならともかく有料だから家計費切り詰めの犠牲になりやすいのは分かるが、しかし面白ければ手放さない。活字離れという「時代相」もあるが、識字率そのものが下がったとも思われない▼やはりメディアが多彩になって選択肢が増えた結果の優勝劣敗が形となって表れたのだろう。新聞とラジオだけしかなかった時代、電波のポケット地帯はあっても、新聞の届かない地域はなかった。明治からの中央集権国家には、中央の動きを知る手段として新聞紙しかなかった▼そんないい時代が続き高度成長に入っても動かず、ついに読売一千万部、朝日八百万部という時代が到来した。人口一億の国で二紙の総数がこれだけあるというのは驚異的だ。だから減ったとはいうが、普通になったというべきかも。しかし他人事ではない。小紙もここで頑張らなければ。 |
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