今年も八月二十二日から三日間、香川県土庄町豊島で第六回「島の学校」が開校された。二〇〇三年の初回から取材している私も案内を受けたが、残念ながら肝移植後の感染症や合併症と闘病中だったため、病床で報道ニュースを通じ、全国からの参加者が産廃問題を学び、住民と交流する様子をうかがい知るしかなかった。
八十歳にならんとする住民会議元議長Sさん、心臓に持病を抱え、酸素吸入ボンベをお供に連れているMさんの姿もあった。高松支社在任当時、何度も豊島に通い、そのたびに教えを請うた方たちだ。
豊島に不法投棄された約六十万トンもの産廃の搬出事業は〇三年四月から始まった。産廃を密封したコンテナを積み込んだ輸送船の第一便を取材した私は、SさんやMさんにコメントを求めた後、こう宣言したことを覚えている。私も異動により、遠からず豊島担当を離れるだろう。でも、産廃の最後の一粒が島から運び出される日には、必ず戻ってきて、皆さんと喜びを分かち合いたい―と。
一六年度末を期限とする産廃処理事業の進ちょく率はまだ約40%。遅れが懸念されている。一九九三年に公害調停を申請した住民五百四十九人の高齢化は著しく、すでに鬼籍に入られた方も少なくない。不法投棄現場はかつて島で最も夕日の美しい砂浜で、潮干狩りの名所だったという。その復活が一日も早く実現することを願わずにいられない。
私も移植後の試練を乗り越え、「最後の一粒」の約束を果たしたい。その日こそ、生き抜くことの素晴らしさを実感できるに違いない。
(編集局・池本正人)