北京五輪が開幕した。今回ほど「開催する都市・国」のありようが世界に注目された大会は過去にない。従来「オリンピックのあり方」を論じてきた各紙社説も、今回は「中国論」に傾斜した。
毎日は、7年前の開催決定時に民主化問題や少数民族対策などで懸念する声があったのに「本番までに改善する」という中国側の説明に国際オリンピック委員会が乗った経緯を挙げ、「五輪スポンサー企業には世界の人口の5分の1を占める13億人の巨大マーケットが魅力的に映ったのだろう」と経済的思惑が作用したことを指摘。「中国がこの時の『宿題』を忠実に実行していれば、その後の混乱の多くは回避できたはずだ」と、結局懸案事項が後回しにされたまま開催になったことを批判した。
「国威発揚」をかけた世界周回の聖火リレーは、チベット問題の抗議運動と交錯し各地で混乱した。四川大地震で大被害を出し、テロ事件も起きて不穏な空気がみなぎった。環境汚染、貧富格差の深刻化など、「地上最大の祭典」の華やかさとは裏腹の重い現実をのぞかせた。日中間では毒入りギョーザ問題もある。だが、中国は体裁を整えることにきゅうきゅうとしているかのように見える。
「五輪開催都市とホスト国には素顔を全世界にさらけ出す覚悟と度量が求められる。少数民族対策などで、とかく閉鎖的と批判されてきた中国が今回の五輪開催を契機に『開かれた大国』に変わることができるだろうか。その一点に世界は注目している」と毎日は開放を求め、胡錦濤国家主席が掲げる「和諧(調和)世界の実現」が今試されていると主張する。
朝日は「ときに爆発的なエネルギーを放つ」中国のナショナリズムに着目し「最近では99年に反米、05年に反日、今年は反仏の大規模デモを各地で引き起こした。共産党支配をも揺るがしかねない力を秘めていると言っていいだろう」とその力をみる。そして「このエネルギーをどう束ねていくか。これこそが今後、中国が直面する最も重大な課題なのではないか。さらなる発展の原動力になれば幸いだが、暴走しだすと社会は不安定になり、日本を含めて近隣国や国際社会も安心していられなくなる」と不安を示す。
読売は「報道の自由を守れ」と訴えて中国の国際メディアに対する姿勢を批判した。「メディア・センターでは、反中国的とされる一部ホームページにはアクセスできない。国際行事でさえ、報道の自由は完全には保障されていない」。新疆(しんきょう)の武装警官へのテロ攻撃事件取材では邦人記者が警官に暴行されて負傷、一時拘束される異常事態も発生した。
産経は「尋常でない警備シフト」を挙げ、「今回の北京ほどオリンピックが巨大化しすぎ、人間の『自由』の発露という本来の五輪精神とはほど遠い姿をさらけだした例はない」と断じ、読売同様ネット規制などを批判。胡主席が外国メディアとの会見で「五輪を政治的に利用しても、諸問題は解決しない」と述べたことにも「不自然に管理された五輪こそ政治利用ではないのか」と切り返す。
自国開催にかけた中国の並外れた執念も五輪史上異例のことだ。
この高揚感は、戦後復興から高度経済成長に移り、「自信」を獲得した時期に開催した東京五輪でも多くの日本人が共有した。日本も含め列強の侵略や収奪に長く苦しんだ中国にとって「夢の五輪開催」の実現は民族自立の証し、再確認ともいえることなのだろう。
だが、既に中国は経済大国だ。
「『世界の工場』『世界の市場』として台頭してきた。だからこそ、福田康夫首相、ブッシュ米大統領、プーチン・ロシア首相、サルコジ仏大統領ら八十人を超す首脳が開会式に出席したのだろう」と評する日経は、胡主席が首脳らを次々に出迎える光景を「中国に皇帝がいた時代の『朝貢外交』をも想起させる」とたとえる。
東京は「五輪開催は人権や自由など普遍的な価値観を中国が共有することにつながるのではないか」としながら、「この夢は残念ながら幻想かもしれない」と落胆をにじませる。意見表明や集会などにいまだ十全な自由がなく、「抑圧された民意はときに騒乱や暴動などの極端な形で噴き出し」排外の様相も帯びることを挙げる。
ちなみに過去の五輪の毎日社説見出しを一部引いてみる。
64年東京「オリンピック精神に帰れ」。選手に「プロ化」の傾向が見られ、アマチュアリズムを守れと主張した。最近の3大会では、96年アトランタ「今や“テレビンピック”--忍び寄る商業主義の弊害」▽00年シドニー「理想のあり方を考えよう」▽04年アテネ「問題山積も感動のプレーを」。肥大化の中でビッグマネーが暗躍してスポンサーの影響力が増し、競技場ではドーピング問題に悩む。そうしたことがテーマだった。【専門編集委員・玉木研二】
毎日新聞 2008年8月10日 東京朝刊
8月24日 | 終戦記念日 対米関係で主張二分 |
8月10日 | 北京五輪開幕 各紙「中国論」に傾斜 |