編集者へ=東京都世田谷区の荒浜英一さんから。

 四月号「梶山さん、日本を潰すつもりですか」を読んで、改めて文春の梶山静六氏の論文を見た。

 日本の金融業界で一番健全だった損害保険業界は、米国の財務省長官との人脈を誇りとする榊原英資元財務官によってメタメタの状態になっているが、梶山論文は梶山氏が考え抜いて書いたというより、彼のブレーンが作ったラッパを梶山氏が吹いたというものだと思う。全然ピントが外れている。

 アジア経済が立ち直って来たというのは為替が有利に働いたからであって、ヨーロッパの経済が好調なのは東南アジア諸国の経済が好調で輸出が出来るということであり、米国経済が好調なのは日本のゼロ金利政策で米国にお金が流れるからである。

 東南アジアや韓国等の経済を支えているのは梶山氏が日本には過剰だという、普通の人が動かせる生産設備が稼働しているからである。政治家の視点はスーパーマンのものではなく、普通の人の視点でなければならない。

 梶山批判は加瀬英明氏、紺谷典子氏、宍戸駿太郎氏、丹羽春喜氏におまかせするとして、「正論」が丹羽教授の「政府紙幣」論を根気よく支援して下さるのは有難い。

 お国は需要と供給とのバランスをスムーズにするために存在するのであって、税金を取るためにあるのではない。

 日本経済の需給のバランスをとるのに、税金の裏付けを必要とする国債を発行して、税収の半分近くが国債費に使われるというのは異常である。

 日本経済正常化に丹羽教授が主張する政府紙幣を発行しても支障ないことはコンマ以下の金利の国債の山を築いても円高となることから言っても証明できる。

 今回四氏の座談で残念だったのは、丹羽教授以外の諸氏が「政府紙幣」にしぼって、梶山論文に対抗していなかったことである。

「正論」が丹羽教授の「政府紙幣」論を引き続き根気よく支援して下さることを願ってやまない。



編集者へ=京都市の岩田茂さん(大学生・23歳)から。

 三月号、佐藤裕様のご意見の中に、

「この間、入間基地の自衛隊機のパイロットが、市街地への墜落を避けるため脱出が遅れて、殉職したが、このパイロットに対する追悼の声は、日本では、起きなかったことを残念に思います」とありました。

 私も、この墜落事故の際の報道を見ながら、同様のことを感じておりました。テレビのニュースでは、墜落時の送電線の切断によって起きた首都圏の停電がいかに大変であったかなど、自衛隊への、型通りの非難めいた意見ばかりが聞かれ、うんざりしておりました。

 その中で、私が見た中ではただ一つだけ、殉職した隊員を悼む発言がありました。何と、それはあの「ニュースステーション」でのことでした。番組の中で、こうした事故の時に呼ばれてくるコメンテーターの方が(お名前は覚えておりません。申し訳ありません)、「長官は、国民の皆様に迷惑をかけたと謝るばかりで、ひとことも、住宅地へ墜落させまいとして殉職したパイロットの、いわば英雄的な行動を称える言葉が聞かれないのはどういうことか。何よりも先に、この二人に対しての追悼と感謝とを述べるのが筋というものではないか」といった内容の発言をしておられました。

 この言葉を聞いたのが「ニュースステーション」だったので、私は非常に驚きました。テレビ朝日にもこうしたことの言える人がいたのか、と。また、この人がこの後干されたりしなければいいが、などといらぬ心配までしてしまいました。

 今回の事故では、パイロットが脱出しようとした時には、すでに助からない高度だったと聞きます。もし、もっと早くに脱出していれば、パイロットは確実に助かっていたでしょうが、もしかすると機は住宅街の真ん中へと墜落し、大惨事となっていたかもしれません。

 埼玉新聞のインターネット版によれば、パイロットの遺したとみられる、「後は頼む」といった内容の走り書きのメモを、付近の住民が発見していたそうです。このメモは、事故後にやって来た自衛官が回収していったということですが、住宅地を救うために死を覚悟したパイロットの心境がにじんでいたとのことです。

 事故の原因は操縦ミスではなく、機体のトラブルであり、パイロットはいわば責任を問われない立場だったにも関わらず、住宅への墜落を避けて殉職した二人のパイロットに、最大限の敬意と追悼の意を表したいと思います。



編集者へ=茨木市の中脇邦彦さん(元地方公務員・78歳)から。

 旧満洲撫順の平頂山事件についてお尋ね致します。

 過去に「正論」誌上で読んだ記憶のみで、それが何年の何月号であり、どなたの記述であったか失念しましたことを、今になって後悔いたしております。

 記載されていた年月、及びどなたの記事であり、欲を言えば、大体の内容を是非とも知りたいものと切歯扼腕いたしております。今頃になって平頂山事件の記事が必要になろうとは夢にも思っておりませんでしたので、残念でなりません。

 その原因は、ある宗派の最近の紀要の中に、

「平頂山殉職記念碑」として碑の写真と、説明文として、短く「一九三二年九月一六日、三〇〇〇人あまりの村人が関東軍によって虐殺されたことを悼み、一九五一年に建立された」と、さらっとコメントされてあり、また、゛雑記?≠フ後記の感想として、「戦争遺跡も何箇所か見学しました。以下少し略……撫順の平頂山殉難同胞遺骨館や戦犯管理所、ハルビンの七三一部隊罪証陳列館などです。日本軍が『満洲』で行ってきたことには、目を背けたくなるようなことが多いように思いました」と締め括ってあります。

 この紀要は毎月の定例の法話の折の一月の教材の補助として一部頂戴したものの中にあったもので、教材内容とは全く関係のない個所での記事でありますが。

 このコメントにつきまして、なにか心に引っかかるものがあり、どうも内容が少し違っているように思いましたので、「平頂山事件」の真相が知りたくなり、もし記事が違っておりましたならば、紀要編集者あてにソフトに、こういう意見もございますよ、と申し上げたいためでございます。

編集者から=お尋ねの件は、平成九年二月号に掲載された田辺敏雄さん(現代史家)の論文です。タイトルは「『平頂山事件』『万人坑』にみる教科書と報道の不誠実」です。

 どういう内容かということですが、本文をコピーしましたのでご覧下さい。

 なお、田辺さんは「追跡 平頂山事件」という題名で単行本を出しています。図書館でお聞きして下さい。



編集者へ=北海道浜頓別町の小野了さん(漁師・27歳)から。

 三月号で元号を尊重することを訴えた、北九州市の工藤俊玄さんへ。

 世間が馬鹿の一つ覚えのように「ミレニアム」を連呼する中、元号の必要性を説く貴方の御意見は新鮮な感じがしました。本来なら当たり前の話なのですが、世間が「サヨク」優位に作られている為、そう感じてしまったのです。

 つまり、それだけ日本の文化と社会が一致していないのです。「過度の外国化」と言ってもいい程深刻な事態ではありますが、貴方のように「時の空気」に流されることなく事の本質を認識されている方々が増えつつあるのがせめてもの救いです。

 文化と社会の不一致を是正する事はこれからの日本の課題です。その為には貴方達十代のように勉強出来る機会があったら……その意味でも貴方達十代が日本の将来を担う人材に成り得るのです。これからも頑張って学んで下さい。



編集者へ=東京都豊島区の古澤孝一さん(会社員・74歳)から。

 三月号、五十嵐重五朗さんの「大戦中活躍した空母、戦艦、巡洋艦」の名前を、という問いの参考にお知らせいたします。現在私が手持ちの写真集「日本の軍艦」(一九七〇年、ベストセラーズ発行、元日本海軍技術少佐福井静夫氏作)によりますと、戦艦一二、空母二九(外に水上機母艦七)、一等巡洋艦一九、二等巡洋艦二二と大変数が多いので、比較的当時の国民に馴染みのあった艦名を列記いたします。

 戦艦――金剛、比叡、榛名、霧島、扶桑、山城、伊勢、日向、長門、陸奥、大和、武蔵。

 空母――鳳翔、赤城、加賀、龍驤、蒼龍、飛龍、翔鶴、瑞鶴、瑞鳳、祥鳳、龍鳳、隼鳳、大鳳、信濃、雲龍、大鷹、神鷹、海鷹。

 一巡――加古、古鷹、青葉、衣笠、妙高、那智、足柄、羽黒、高雄、愛宕、摩耶、鳥海、最上、美隈、熊野、利根、筑摩。

 二巡――天龍、龍田、球磨、多摩、北上、木曽、長良、五十鈴、名取、由良、鬼怒、阿武隈、川内、神通、那珂、夕張、能代、矢矧、大淀、香取、鹿島、香椎。

 なおこの写真集はすでに絶版とのことですが、現在は同社発行の軍艦集「日本海軍全艦艇史」と写真集「連合艦隊浮上す」の二種があるとのことです。

 付言――五十嵐さんの文中、「日本の歴史の中で先の大戦は最大の汚点であろう」の部分は私には承服できませんです。

編集者から=「一巡」とは一等巡洋艦、「二巡」とは二等巡洋艦のことです。小松市の小木戸正臣さん(塾教師・72歳)ほか三人の方々からも教えていただきました。小木戸さんはこう書いていました。

「我々の時代の中等学校進学では学科試験は無くなっていましたが、かわりに口頭試問があっていろんな社会常識を問われました。空母や戦艦の名前は聞かれる可能性があると思ってノートにメモしていました。巡洋艦までは聞かれないと思ったけれども、ついでに書きとめておきました。結局試験には出ませんでしたが、六十年も経ってから意外な所でお役に立つものですね」



編集者へ=大阪市の宮本信幸さん(元NTT局長・76歳)から。

 毎週火曜午後八時、NHKテレビの「歌謡コンサート」は、歌番組の少ない昨今、歌謡ファンにとっては、待ち遠しい夕べのゴールデンタイムである。一月二十五日の番組に、安田、由紀姉妹コンビによる童謡三曲の放映があった。息のあった御姉妹のコーラスは、まこと切々として胸に迫るものを感じつつ、聞きほれていたが、

 いろりの端に 縄なう父は

 すぎし昔の 憶い出語る

 居並ぶこどもは、ねむさを忘れて

 耳を傾け こぶしを握る

 いろり火はとろとろ 外は吹雪

 冬の歌、この懐かしい文部省唱歌の二節目を聴いた時、ふと、ある言葉に違和感を覚えた。「すぎし昔の憶い出」ではなく、「すぎしいくさの手柄」ではなかったか。二、三の歌集にあたってみたが、「すぎしいくさの手柄を語る」となっている。

 何故、元歌の歌詞を替えて歌うのであろうか。スリルと興奮に満ちた戦場だからこそ、居並ぶこどもは、コブシを握るのであって、すぎし昔の憶い出を語っても、子供はそうするだろうか。戦即悪、戦を語るのは、禁句、戦記物は非教育的という先入観で語り継がれた名歌の、たとえ一部でも歌詞を替えて歌ってよいのであろうか。

 この愛唱歌も、その時代の日本人の心情を、歌ったものであって、明治のお父さんは、従軍が鮮烈な人生体験で、語り継ぐ大事な教訓と考えていたのであろう。

 今見たくとも見られない、父の存在、父への畏敬が、厳としてあった日本の原風景ではなかったか。曲学阿世とまでいわないが、いらざる気遣い、遠慮が、この歌の至純の動機まで冒涜しているのではないだろうか。



編集者へ=富士市の中村眞利さん(会社員・60歳)から。

 小生、十代の終わり頃より読む雑誌は「文芸春秋」、それが三十代の後半より「諸君!」が加わり、四十代半ばから時折「正論」が加わり、毎月、ページを追うのに大童でした。

 年月を経て、ここ一年ほど前より雑誌は「正論」一本に絞りました(蛇足ながら新聞は「産経新聞」に終始している)。

 二十六と二十四の息子に二十二歳の娘がいますが、これがいまどき珍しく、嬉しいことに、三人ともおやじの思想に共鳴してくれています。なんとこの三人も今では、右へならえで「正論」の愛読者です。三人とも家を離れてはいるけれど、折に触れて電話で、自分の意見を述べ親の考え方を求めてきます。先頃の所謂゛西村発言?≠ナは大変でした。

 祝祭日に日の丸を門前に掲げる家が、ほんとに少なくなってしまった。小生の集落はほぼ百軒ほどの家があるが、翩翻とひるがえっているのは哀しいかな我が家だけです。

 今の日本、行く先どうなっていくのか心底心許ない気がします。「国民の歴史」を読んでみて改めて゛大和民族?≠フ文化の独自性、誇り得る゛日本人?≠?見つめ直しました。

 三人の子を小生は誇りに思っています。それはなにか、親の読んでいるものの中から自分を見出だし、゛日本人とはなにか?≠ニ見つめてくれたことです。親から押しつけたわけではないのに、自然の内に親の生き方に賛同してくれる。こんな至福がありましょうか……。

編集者から=親子の対話があるだけでも幸せです。本誌が役立ってなによりです。お子さんによろしくお伝え下さい。



編集者へ=神戸市の後藤友晴さん(53歳)から。

 笹の茎をえらび、その両端のフシを切り取ってしまう。そして、片方の口に杉のタマを詰め込んで、より細い軸棒で杉のタマを奥のほうへと押し込む。軸棒は筒より一センチほど短くしておき、つづいて二つ目のタマを詰め込んで勢いよく突き押せば、先に押し込んでおいたタマがまるで弾丸のように発射されるのだ。これを、私たち子供は杉鉄砲と呼んだ。

 世は悲しいことか、私たちガキ仲間が春の到来を心待ちにして慣れ親しみ、欠かせない遊具のひとつとしていた杉の雄花がまるで日本中の嫌われもの扱いとなっている。

 わざわざ言うまでもなく杉は日本の太古より地生している植物なのである。成長が早く、条件が良ければ寿命はおどろくほど長い。

 さて、杉が嫌われている最大の理由は、その雄花から発散される花粉の弊害だ。だれが名づけたものか花粉症というらしい。

 私は、田舎へ帰ったときには必ずわが家の持ち山に登っている。急斜面で石が多く、今は亡き先代が植えた樹木といえば主に杉と桧しかない。他にはしぜんに生えた櫟が、私が椎茸の原木として間引いたにもかかわらず、今また鬱蒼としている。春さきに山へ入るといえば、もう少なくなった椎茸を採りにゆくためだが、この時期、山に風が吹けばたちまち真っ白な、まるでモヤに包まれたような風景が広がることがある。杉花粉の飛散である。

 私も、私の家族も花粉症には罹っていない。村人の多くも花粉症ではない。であるにもかかわらず日本人の三割ものひとがなぜ花粉症に患わされているのだろうか。

 専門家は、大気汚染との複合にて花粉が災いしている、と説く。それなら私も大気を吸っている。しかし、罹ってはいない。

 あなたは偏食をしていませんか。加工食品に偏重していませんか。汗の出し惜しみをしていませんか。清潔さに凝りすぎてはいませんか。さらに、マスメディアが吐き出す無責任な情報を信じすぎてはいませんか……?

 過敏症という病気は、私が得た感覚ではほとんど親の代から芽が出ているように思われる。親が勝手に取り入れた新しい生活様式が、やがて生まれてくる子供に作用する。良い面もあろう。しかし、何千年と培われてきた農耕の歴史を、たった五十年余りの間に百八十度も転換し、まるで砂漠のような環境にしてしまった。これは自然破壊のことを言っているのではなく、あくまで人間の身体と、その内面のことを言っているのだ。

 私は、狂信的な自然保護者はキライだ。そんな人はシベリアかサハラに暮らせばいいだろう。私が思うに、日本は世界一自然に恵まれた優雅で温厚な国だ。この、今ある大地に親しみ、旧来からの生活様式をいくらかでも取り戻せば過敏症は減る。



編集者へ=東京都中野区の山田仁彦さん(元会社員・69歳)から。

 アルルの女・キョーコさん。「朝ナマを見た朝は」をいつも楽しみにして読んでいます。しかし、二月号の最後の文節で「亀井先生は『(戦後失われた)日本の魂を取り戻す』ことが大事だって言ってた」というところには、ちょっと意見を言いたくなりました。

 私は、政治家の評価は、その言論ではなくてその行動を見なければならないと思っています。亀井さんが運輸大臣のとき、アルバイトスチュワーデスという問題がありました。「安全のためにダメだ」として、強行すれば他の許認可のとき考えなければならないという旧来の行政指導そのもののやりかたで、潰してしまったことがあります。又、東京湾アクアラインの通行料でも、高過ぎるとして、千円の値下げをさせました。最近は、介護保険の徴収を遅らせたりしています。ちょっと見はよいけれど、よく考えてみると根本的な政策がないように思います。

 アルバイトスチュワーデスより、コックピットの安全がいかに大切か、長嶋機長の犠牲がなければわからなかったのでしょうか。その前に羽田空港の検査の抜け道には思い及ばなかったのでしょうか。アクアラインの通行料の値下げで後年にどれだけ赤字の負担を増やすのか、返済がどれ程大変かお分かりになっていたのでしょうか。千円の値下げより道路の公社・公団による運営がこのままでよいのかもっと真剣に考えて欲しかった。介護保険の徴収延期にしても、財源の煙草の増税ができないのなら、延期しないで予定通り徴収するという決断であれば、一つの見識として筋が通っていると思いますが。

「守旧派は嫌いだけど、亀井先生なら一票入れてもいいな」には、ちょっと待って。

「傷口に優しい膏薬(口約)すぐはがれ」といって見栄えのよいもの、耳触りのよいものには、冷静な判断が必要なのではないでしょうか。

「キョーコの『朝ナマ』を見た朝は」は面白い視点から率直な表現で大変楽しみにして読んでいます。キョーコのファンであることは変わりません。是非、続けて下さい。



編集者へ=東京都足立区の泉幸男さん(総合商社勤務・40歳)から。

 仕事で韓国電力の人たちとおつき合いがある。さすがに五十代の人たちは漢字も読めるのだが、「同僚の皆さんの名前は漢字で書くとどう書きますか」と聞くと、もうお手上げである。「日頃、同僚の名前を漢字で書くことなんてないからねえ」

 韓国の学校教育では、中学校で九〇〇字、高校で九〇〇字、あわせて一八〇〇字の「基礎漢字」を習うことになっている。これ以外に「人名用漢字」が一一六二字ある。合計二九六二字なり。

 日本の場合、小学校で習う「教育漢字」が一〇〇六字、これを含む「常用漢字」が一九四五字。これ以外に「人名用漢字」が二八四字ある。合計二二二九字なり。

 日本人の場合、二五〇〇字ていどは読めねば恥となる。しかし韓国の場合、本来読まれうるべき漢字は多数潜在しているのであるが、日常生活で触れる機会がない。

「新聞の見出しだけでも努めて漢字を多用して、振り仮名ならぬ振りハングルを振ってはどうか」「テレビのニュースの字幕は、どうせアナウンサーが音読するのだから、思いきり漢字を使ってはどうか」

 そう韓国電力の旧人類たちに話すと、いちいちうなずいてくれる。日常生活のなかに漢字に触れる機会がもっとないと、韓国で漢字は復活できないだろう。

 霞が関の国会図書館へ行くと、大正時代の『東亜日報』の縮刷版がアジア資料室の開架の棚にあってすぐ読める。読めば決して御用新聞ではなく、日本の対中政策への批判あり、独立運動関連記事ありで、びっくりさせられる。ただし文章は漢字がてんこ盛りである。

 日本統治時代の朝鮮のナマの資料を、今日の韓国人にも読んでみてほしい。その能力を身につけてほしい。

 日本人の私が読める朝鮮語を、あなたが読めないとは情けない――とソウルの若い人たちに言えば、少しは発奮してもらえるだろうか。



編集者へ=宮崎県三股町の菊谷喜代子さん(68歳)から。

 暮れ以来、お会いしてなかった友人(先輩)のところへ寄り道した。

「ごめん下さい」と裏口に立つと、奥さんが現れて、「あら、あんたラッパが好きでしょ。今話していたとこなの、好きな奥さんがいるのよ」と。

 実は明治二十六年生まれの亡父(四十二歳で事故死)が都城二十三連隊でラッパ手であった、と聞いていた。出征した兄三人(長兄戦死)や、戦時色濃くなり、国民が食糧難にあえぐ頃でも゛一億火の玉″となっていったこと共を思い出しながら。

 海軍と陸軍とはそれぞれに違うことを知ったのは二年前、軍楽隊のレコードをお借りして帰り、当時を思い出しながら飽きもせず聞かして頂いてからだった。゛凱旋″という頼もしい兵隊さんたちの勇壮な姿で前後が連唱して六甲の家の前を通ったのはまだ支那事変といわれるころだったかなと思い出す。

 大正八年生まれのその人は、私が上がって座るとすぐダビングをして下さった。現在八十歳の当人が、七十三歳の時に吹かれたもので、力強く確かな吹奏でもって残り少ない人生をこうして残しておこう、との意志で、往時、二十五名のラッパ手を教育した思い出と共に、帰れなかった戦友の鎮魂を込めて残していらっしゃることに感動しながら耳を傾けた。全国にまだいらっしゃるなら、そうした意味で合同吹奏が出来たら、とも思った。

 子供心にことばをつけて覚えた私の脳裏にラッパ一つで行動した規律正しい兵隊さんたちを思い起こすよすがとなったことはまた新たなる思いがする。

 時代はいかに変わろうとも、二百数十万の護国の英霊は「靖国に帰る」と言って国のため家族のため出征し、今、その上に立っている幸せを教え伝えねばならない。すべての施策はそこから生まれてくるものであって欲しい。日の丸、君が代の法案が成立しながら、国旗も掲げず君が代も斉唱しない国の良き施策はどの程度のものか、と心配でならない。



編集者へ=備前市の西川晃男さん(72歳)から。

 いささか旧聞に属して恐縮ですが、本誌の広告に掲載されていた中村粲先生と同行する南京戦跡等の視察に、昨年十月参加して見聞を大いに広めました。それでその見聞録の一部を旧軍人の情報紙に投稿したところ掲載されました。

 ところが多くの方の反響を読んで「いわゆる南京大虐殺」に対する関心の深さを思い知りました。その中で支那戦線に従軍された埼玉県の八十四歳の方の、光華門で袋のネズミにした日本軍に対する残虐な戦闘の様子の絵などを同封された手紙には、戦争の実態を知っているつもりの私も、やはり平和ボケ人間の一部であったかと襟を正される思いをしました。

 その後、電話で「詳しいことは絵入りの記録にして山口県豊浦町の豊浦民俗文化資料館や敦賀市の博物館に置いてあるから見てくれ」とのお話を頂きました。しかし近いと言っても本州の最西端の地ですので、まだ見せてもらっていませんが、私も歴史民俗資料館の調査員をしているので思いました。

 この手の資料は、常設展示されることなく恐らく段ボール箱に詰められて倉庫に保管されていることでしょう。そして館長の意思次第で、このような二度と再生することができない貴重な資料が、呆気なく廃棄の運命に曝されているのではなかろうか?と。

 そこでお願いなのですが、そんな貴重な戦争に関する手記や資料が散逸したり廃棄されたりすることのないように、取りあえずリストアップして保全することを、産経新聞社の方から直接にあるいは最適な部署に呼びかけてもらうことはできないものでしょうか。

 ある国に洗脳された人や、その国に媚を売るために偽造された手記ばかりがはびこる中で、実戦体験者の万斛の思いの篭もった手記を、無駄にしないで有効に使わせてもらうために……。

編集者から=戦争体験者の貴重な手記や資料が、数多く埋もれているのはたしかです。

 それらを収集し、保管する公的機関が必要です。多様な資料をできるだけ多く残し、客観的な判断は後世の史家にゆだねたいものです。

 さしあたっては、それぞれが身近に残された資料を点検する作業を行うべきでしょう。



編集者へ=横浜市の小池賢子さん(主婦・59歳)から。

 三月号、摂津市の村野井なをみさんの文を拝見して思わず笑ってしまいました。まるで私自身を見てるようでしたから。

「古代からの伝言」の切り抜きは、主人を始め主婦仲間とまわし読みして楽しんでいます。

「産経抄」「週の初めに」「正論」「斜断機」「坂の上の雲」「異見自在」等々読みたいものがいっぱいです。それに今は「国民の歴史」「サピオ」「ゴー宣」と忙しいです。知的刺激を受けることはすばらしいことと思います。

 私には息子が三人居ります。二人は結婚して独立いたしました。その機会をとらえて、私はお嫁さんたちに三つのお願いをしてみました。

 お互いにいい人生にする為のヒントになればと思いまして。

一、新聞を購読するなら産経新聞にするように。特に「産経抄」は忙しくとも出来るだけ読んで下さい。

二、長幼の序を大切に。

三、きれいな日本語を使いましょう。

 最後の三つ目は、私自身なかなか難しいのですが、ある本で子、孫の代になってやっと美しい日本語が使えるようになるというくらい時間のかかるものと知りましたので、あえて入れてみました。

 息子、お嫁さんたち、孫たちの二十年、三十年後を期待しつつ新婚旅行から帰ってお互いに新鮮な時に一方的に「姑の主張」の宣言をしてみました。

編集者から=お名前通りの賢いお母さんで、お子さんたちもシアワセですね。「きれいな日本語を使いましょう」と注意してくれる身内の人がいるなんて、とてもマレなことです。

「新聞を購読するなら産経新聞」というのは、産経新聞社の一社員として感激です。

 本社では二百万部の安定部数を確保するため、皆様に産経新聞の購読をお願いしています。

 実は編集者もいま懸命に知り合いにお願いしているところです。いまは産経新聞の評価がぐんとあがっていて、快く購読してくれる人がふえて、とても喜んでいます。

 読者の皆様のなかに産経新聞を読みたいと思っている方々がいらっしゃったら、ぜひ、編集部にごれんらく下さい。感謝感激、必ずお礼のお手紙を差しあげます。

 その際、朝刊と夕刊のセットか、それとも統合版か。六か月か一年か、いつから配達してほしいかをお知らせ下さい。なお、地域によっては配達できない場合もあります。そのときはご相談します。

 多数の申し込みを心からお待ちしています。

 ご希望の方は〒一〇〇―八〇七七東京都千代田区大手町一―七―二産経新聞社雑誌「正論」編集部へ。



編集者へ=京都市の大喜多俊一さん(元教員・68歳)から。

 三月号、加地伸行氏のオピニオン「道徳再建は礼部小学校の設置から」を読んだ。心にすっと入っていかないところが何か所かある。編集者だけでなく、多くの読者にお聞きしたいところである。

 第一は、道徳の頽廃の状況を、普遍的な道徳と限定的特殊的な道徳の違いの分析におき、その混淆するところに人々が頽廃を叫んでいるとする点である。しかもそこには広く理解されやすい例示が皆無に近いのである。それではせっかくの分析が意味をなさないのではないかということである。

 二点目は、学校では実行できぬ道徳を教えているとする断定である。その説明の中に全く聞き慣れない「別愛」という言葉が使われている。「博愛」に対する観念とされているようであるが、言葉の突飛さに加えて、別愛は理解され実行されやすいとされる。それが説かれないのは日本の教育の欧米文化模倣の近代主義に誤りがあるとされる。「博愛」に対する日本のバランス感覚は昔から「道義」だと教えてきたのではなかったか。

 第三には、でき上がったシステムの改善は不可能として、公立学校の二本立て案の提案である。そんなことは全く現実的でないばかりか、そこでも「礼部小学校」というなじまない言葉が出てくる。なじませればよいといえばそれまでであるが、二本立てはでき上がったシステムの手入れよりもむずかしいと私は考える。

 そんなことよりも、道徳教育の源は人、つまり教師論であるだろうし、もっと言えば教師の思想・信条・宗教論である。文部省の学習指導要領で、私立の学校では「宗教」をもって「道徳」に代えることができる、とあるが、これには懸念はないのかどうか。戦後の教育を混乱させたのは教員の偏向した「思想」にあずかるところが大きかったといわれる現実を見てみれば、教師論は大切であるといいながらも、まさに両刃の剣で、こわいことではある。

 ではどうすればよいのか。ここにこそ、広く理解されやすい、東北アジアではなくて日本の、普遍的道徳の多くの例示が必要なのである。それを柱に教師の研鑽による指導力の向上こそが道徳教育再生への道であると私は考えるのである。



編集者へ=北海道佐呂間町の梅木允夫さん(元教員・67歳)から。

 昭和二十一年。今から半世紀有余年前の初夏の或る日の昼下がり…。

 北海道中央部に在る田舎町の駅前広場の一角にジープを止めて、数名の若々しい小粋な米兵達が小休止しながら陽気に振る舞っていた。

 すると、やがて、何処からともなく幼い子供達がぞろぞろと集まって来て、米兵達の前に群がり、彼等は一斉に両手を米兵達に差し出して物乞いを始めたのである。

 当時の子供達は、米兵達の側に行けば、何やらハイカラな美味しい物にありつけることを聞き知っていたからである。食に飢え果てていた当時の子供達のこととて、物乞いの眼差しは悲壮感に満ちて真剣だった。

 と、米兵達は、何と、あろうことか、食パンもどきを千切っては地べたに放り投げ始めたのである。然し子供達は些かもためらうこともなく地べたを這いずり回ってはパンの欠片を我が物にせんとて乱気だった。まさに、飢えた子鳩達の凄惨な争奪の戦いだった。

 私は言い様もない哀しさを覚えながら、その光景を見ていたのだが、突如として、私の心頭にいきなり狂おしいばかりの怒りが炸裂したのである。何故なら、米兵の一人が、何を思い立ったのか、すかさず、子供達の悲壮な姿態をカメラに収め始めたからだった。私は思わず「一体、貴様等は、それでも一等国の兵隊か!」と心の内で叫びながら敗戦国の惨めさを痛恨の思いで味わっていたのである。



編集者へ=茅ケ崎市の古市裕さん(元会社役員・68歳)から。

 現在、日本の財政赤字は膨らむばかりで、なんら具体的方策が出てこない。この解決策として私は、まず公定歩合を上げるべきであると提言する。

一、現在の超低金利政策は間違っている。なぜなら、この政策により日本からお金が逃げ出して、景気を悪くしているからである。マネタリズムを軽視すべきではない。

 アメリカが財政大赤字から、大黒字に劇的に変わったのは、ルービン前財務長官の政策が、功を奏した為であり、彼の政策はマネタリズムを主体としたものであった。日本もこれを見習うべきである。

二、公定歩合一%上げた場合、国民金融資産一二〇〇兆円の増加利息は一二兆円である。更に乗数効果を控え目に見て一・五と考えると、国民所得の増加は一八兆円になる。そしてこれは内需である。現在国債を当てにした財政政策以外で内需を増やす方策があるか? 皆無である。何故公定歩合を上げて内需を増やさないのか? 仮に二%の公定歩合のアップを行うと、三六兆円の内需の増加になる。これは非常に大きい。

 現在株価は上がっているが、中身を見ると、ハイテクと通信関係のみであり、日本の従来の製造業は落ち込んだ侭である。これを正常に戻す為には、やはり一般的な内需を増やす方策が必要である。

三、公定歩合二%上げた場合の国の収支バランスを考えると、国債残高三〇〇兆円の場合国債の金利増は六兆円である。他方金利には二〇%の税金が掛かる。この分の国の収入が三六兆円の二〇%で七・二兆円で、差し引き一・二兆円のプラス。更に日銀貸し出しの金利が二%上がるから、これは国庫納付金として増収になる(残念ながら私の手元に数字がないので正確な金額が計算できないが相当の金額になる)。したがって国の財政は好転する。しかし国債残高が四〇〇兆円になると、黒字は大幅に減少する。五〇〇兆円は論外である。

四、公定歩合を上げた場合誰が金利増を負担するか? それは大企業であろう。だが内需が大幅に増えることでこれは簡単に吸収できる筈である。中小企業は今でも高い金利を払っている。

五、私は公定歩合を大幅にあげろとか、急激に上げろとか言う積もりはない。徐々に様子を見ながら、二%までは上げるべきだと思う。それでも二・五%というのは低い筈である。これでアメリカの景気がダメージを受けるとは思えない。



編集者へ=尾道市の岡崎明さん(元会社員・75歳)から。

 三月号に石原都知事との対談記事が載り、鳥浜トメさんのことが話題に出たが、小生は昨年十一月、知覧の特攻平和会館を訪れた。

 館内には特攻隊員たち一〇三五柱の遺影や遺書・絶筆が展示され、祖国を想う心や、親兄弟また家族を思う心がひしひしと胸を打つ。私の郷土から参加された方の写真もある。知覧へ赴く途中、港の上空を旋回し、別れを惜しまれたが、写真の前で当時を偲んだ。

 中でも子犬を抱いて微笑みかけている少年特攻兵五人の写真には心が痛む。年齢十七歳から十九歳、今で言えば高校生の年齢に過ぎぬ。

 その中の一人(写真向かって右前)は千田伍長で、書き残した遺書に「戦死後の法名に、純の一字を忘れぬように願う」とあった。

 死出の出撃に旅立つべく、飛行機に乗り移る前、千田伍長は整備の下士官に、ニッコリと笑って挙手の敬礼をした。敬礼を返す下士官の手はふるえていたとか。なんという純真さ、健気さ、まさに崇高如神の姿と言えよう。

 私は写真の前で語りかけずにはいられなかった。

「あなた達の純な心を見捨てて顧みなかったこの国の教育は、命を粗末にしたり、モラルなき若者達を数多く育ててしまいました。国民の一人として、あなたに合わす顔がありません」

 戦後これら少年達を軍国主義の手先と誹謗し、あるいは進路を誤った愚か者と軽んじたのは誰であったか。多くの国民やマスコミそして政治家ではなかったか。

 この見捨てられていた少年達は知覧の一女性、鳥浜トメという方の一家が、慰霊し続け、それが今日の特攻平和観音堂や特攻平和会館の発足につながっていった。

 観音堂の前に、トメさんが最初に奉献された石灯篭が立つ。既に物故され、石灯篭も古びているが、この方の奉仕に対し、心からの感謝の言葉を捧げた。



編集者へ=大曲市の清水耕一さん(77歳)から。

 三月号、石原慎太郎氏のインタビューを二度読んだ。八十近くの年になると折角読んだのに、記憶しているのはポツンポツンで殆ど忘れている。

 しかし、なんといっても石原さんは、硬質のインテリジェンスの人だ。それに触れる外界の、情報のソースが、独特の光沢を帯びて、本人にとびこんでくるのではあるまいか。さらにまた彼の文学才で味付けされ、わたしどもに供与されるのだ。

 そんな感想をもった。インタビューではそれを引き出す、能力がまた必要で、安心して、対談の相方に披露することができなくてはなるまい。日々の新聞では全く触れていない例のガイドラインが明白に中台関係そのものの所産であること。米大統領候補とは各州知事出身で、資金の相談に日本へやってきていること。レーガンからクリントンまで。具体的にはどういうからくりの資金なのか知りたいが、この意味におけるクリントンが日本に冷遇されたとか、大統領になってから対日関係にどう反映したか、われわれの知らない奥の奥を石原氏はご存じなのだろう。

 その他自民党や外の人物月旦も面白いが、現憲法を改定させないための条項排除による、憲法全否定のまるごと新憲法案など、新聞でみることのできない提言である。

 そのための格好の舞台づくりは本誌に打ってつけであろう。期して待ちたい。



編集者へ=仙台市の谷川啓喜さん(83歳)から。

 二月号、「NHKウオッチング」において、島倉千代子さんのヒット曲「東京だよおっ母さん」の、靖国神社の出てくる二番がNHKではいつもカットされるのはおかしいということで書いてありますが、必ずしもそうではないことを発見しましたのでお知らせします。

 小生、歌謡曲が好きなのでテレビ・ラジオの目ぼしい放送はつとめて録画・録音し、後でゆっくり鑑賞しております。最近、昨年春(四月後半〜五月ころ)録画したNHKの「BS日本のうた」のビデオを視聴したところ、島倉さんが堂々とスリーコーラス歌っているではありませんか。これはどういうことか。「BS日本のうた」はフルコーラス歌うので人気があるのでカットできなかったのではないでしょうか。

 それにしても島倉さんがこれを忘れて加藤芳郎さんと対談しているのもおかしいと思いませんか。とは言え、靖国神社がNHKで歌われたことは喜ばしいことと言うべきでしょう。



編集者へ=旭川市の白浜直人さん(大学生・20歳)から。

 世界のゲームシェア八〇%を占める、「ゲーム大国・日本」が新たな挑戦を始めることをご存じでしょうか?

 三月に発売された「プレイステーション2」は、世界中の人間が使うプラットフォームになるでしょう。しかも、日本(主にソニー)のイニシアチブで。これはある意味、「革命」なんですよ。

 いや、こんな話題が「正論」向きではないことは分かっています。しかし、私はあえて「正論」で予言しておきます。五年後に納得するでしょうから。

「プレイステーション2の発売で、日本はインターネット・娯楽メディアの世界で、支配権を得るだろう。その結果、アメリカ・ヨーロッパなど、先進国の子供たちは日本に興味を持ち、日本語を学びたいと考え、日本人の感性を受け入れる。それどころか、日本人を尊敬し、日本に行ってみたいと考え、日本人と結婚したいと思うだろう」

 何の冗談かと思うだろうが、私は本気だ。二〇〇〇年は日本の転機となる年だろう。その理由を次から述べていく。

 一九九九年は記念すべき年であった。日本経済は無能な中央政府に率いられ、相変わらずダメポンであったが、娯楽メディアで大きな変化があった。映画ポケットモンスターの米国での大ヒットである。

 何がすごいかといえば、黄色ネズミ(ピカチュウ)が黒ネズミ(ミッキーマウス)に勝ってしまったことだ。しかも、アメリカ人の子供のあいだで。ついでに日本製のゲームカード集めから、日本語熱が派生している、という。

「ポケモン、ゲットダゼ」

「イケ、ピカチュウ」

など、「決め」の言葉を日本語で喋る、アメリカ人の子供たち。本当に驚きです。

 あるゲーム雑誌の編集部では、アメリカのポケモンイベントに出かけたところ、アメリカ人の大の大人が、日本人に、

「ギブ・ミー・ポケモン」

 と言っている場面を聞いて、腰を抜かしたそうな。ちなみに、その話の紹介の最後には、

「じいちゃん。日本は勝ったよ。アメリカに勝った。〓君が代〜は〜」

 というギャグで終わっていました。

 つまり、「娯楽メディアのコンテンツ」という分野では、日本は世界に敵なし、という状態なのです。その陰には「オタク」では無い健全な娯楽メディアのユーザーが居たから、なのですが。「正論」の十代の読者は、マンガも読むし、ゲームもやるでしょう。言ってみれば、彼らの感性が世界で通じるモノになってしまったんですよ。しかも、ポケモン以外でも、世界に通じるマンガ・ゲーム等の作品は日本に腐るほどある。日米欧のインテリが見ても、うなり、感動するであろう作品が腐るほどある。いや、むしろ外国人は日本の作品をパクっている事が多々あります。去年流行った「マトリックス」という映画があるでしょう。あれは、日本のアニメ「攻殻機動隊」のマネですよ。だって、監督自身が「参考にした」と、広言してますから。

 しかし、いくら日本のコンテンツが優秀でも問題は山積みです。「言葉の壁」と「流通ルート」。ポケットモンスターの場合は、タイムワーナーと組むことで解決しました。しかし、もっと直接的な方法で世界中のユーザーと向かいあいたい。そうだ、インターネットを出来るようにしよう。日本のコンテンツと、世界中の映画を比べられるように「DVD機能」も付けよう。パソコンに負けないよう、USBポートも付けよう。

 これらの要望に全て応えられるマシン、それが「プレイステーション2」なのです。CPUは日本独自で開発し、しかも値段はパソコンの三分の一以下。世界中で発売し、累計一千万台の普及を見込んでいるというのです。文句のつけようもないでしょう。

 もう分かりましたね。先日、テレビを見ていたら、イギリス人の少女がこう言っていました。日本人のインタビュアーに。

「今年のプレゼントは、プレイステーション2が欲しい」

 後は、この「一人勝ち」をいかに維持していけるかにかかっているでしょう。

 どうやら、二十一世紀は「中国の時代」ではなく、「日本文化の時代」になることは確実ですね。「正論」の十代の読者諸君。楽しみに待っているといいぞ。未来は君たちのものだ。

編集者から=こちらがビックリするくらい若い読者がふえています。先日は静岡県島田市のある高校の二年生のクラスから本誌の年間購読の申し込みがありました。高校の教室に本誌が置かれるとは予想もしませんでした。

 ですから白浜さん、プレイステーション2の話題は「正論」向きではない、とはいえないのです。まあ、目指したいのは世代を超えたオピニオン誌です。決して総合月刊誌になろうとは思っていません。お友だちに本誌を貸してあげて下さい。



編集者へ=東村山市の谷口淑夫さん(80歳)から。

「正論」一九九〇年から九七年の一月号から十二月号まで、全七年間分をどなたかに差し上げたいと思っております。

 保存状態は良く、書き込みなどもありません。送料は着払いでお願いします。

編集者から=たぶん、希望者が多いと思います。抽せんで選ぶことになるでしょう。申し込みは四月十五日までとします。

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 ☆編集者へ=つくば市の新井佐和子さん(元サハリン再会支援会代表・69歳)から。

 四月号、豊中市の辻孝次さんへ。

 一月二十五日のNHKニュースの報道についての御質問に対し、僣越ながら参考意見を述べさせていただきます。

 私は、この報道は聞いておりませんが、これは、サハリンにいる韓国人の一部が、韓国に集団永住帰国するというニュースのなかでの解説とおもわれます。

 ところで、ご質問の、(一)日本軍の朝鮮半島の占領、(二)ハバロフスクへの強制労働のための移住、という首を傾げるような報道を、公共放送が疑問を持たずに行うようになってしまった背景には、つぎのようなことがあると考えております。

 それは、一部の日本の知識人たちが、ある政治目的のために在サハリン韓国人の歴史を捏造してしまったことが原因です。

 その人たちは、「四万三千人のサハリン残留韓国・朝鮮人は戦争中日本国によって強制連行されて行った人々で、戦後日本人だけを引き揚げさせて朝鮮人は置き去りにしてきた」と主張し、その責任として日本政府から多額(数十億円)の補償金を拠出させています。今回、その補償金で韓国に建てた居住施設に、永住帰国するサハリン残留韓国人一世夫婦約千人が三月までに入居することになりました。

 しかし、日本時代の樺太(サハリン)にいた韓国人(いまの韓国を故郷とする人)は、前記一部の知識人が言っているような人たちではなく、大部分が、戦前戦中を通じて好景気の樺太へ、競って出稼ぎに行った労働者とその家族です。なかには戦争末期に徴用というかたちで強制労働に就かされた人もいますが、それは百人にも満たない数です。

 終戦時の総数は四万三千人でなく推定一万五、六千人ですが、ソ連軍に占領されてから彼らは日本人と区別され、帰国は一切許されませんでした。と同時に大陸部からロシア系の朝鮮人や、現北朝鮮からの労働者を移入させたので、サハリンの朝鮮族の人口は、二年後には四万三千人にふくれあがりました。

 それとは別に、ロシアの大陸部には五十万ほどの朝鮮族がいますが、その人々の大部分は一九三〇年代にスターリンによって沿海地方から中央アジア地方に強制移住、強制労働させられてきた人たちの子孫です。

 ところで、日本政府が全面的に援助しているサハリン韓国人帰国支援事業ですが、その対象となる人は、終戦時樺太にいた韓国人のみでなく、前記のように戦後移入してきてそのまま居ついた人や、サハリン以外の地にいた人でも一九四五年以前に生まれた人なら皆含まれているようです。永住帰国とは別に十年前からこれも日本政府が毎年一億円以上の予算をつけて行われている韓国への一時帰国(里帰り)事業には、明らかにロシア大陸に一九三〇年代に強制移住させられた人が含まれていたことを、私は数年前、韓国の新聞記事で確認しています。

 そこで、ご質問の(二)について考えられることは、現在、大陸に居住している朝鮮族のために置かれているとみられる「ハバロフスク離散家族会」というのがありますが、そこで扱った帰国者のなかに、ソ連による沿海地方から大陸への「強制移住者」が含まれていたことから、このような誤報がなされたのではないかということです。

 (一)についていえば、以上のようにサハリン在住韓国・朝鮮人の由来が意図的に歪められたり、また他でも韓国には謝罪と補償を繰り返していることから、朝鮮半島は条約によって日本と併合されたという基本的な認識がだんだん薄れてきているからなのでしょう。NHKに限らず、あらゆる報道機関で、この「サハリン韓国人問題」を正しく理解し報道しているところは、いまのところ産経新聞以外にありません。

 長い間彼らが帰れなかった理由は、冷戦時代の国際情勢によるもので、日本国にはなんら責任はありません。とはいえ、戦中戦前から樺太にいた韓国人でいま身寄りもなく、故郷に帰りたいという人がいるならば、人道的な見地から援助の手をさしのべるのにやぶさかではありませんが、実際は、その他の人たちにも無制限に日本の国費で援助しているというのが現実で、そのためいろいろな弊害が出ています。

 以上「サハリン韓国人問題」の間違った解釈は、困ったことに「広辞苑」などの辞典や教科書にも書かれて、既に定着しています。

 詳しくは拙著「サハリンの韓国人はなぜ帰れなかったのか」(草思社)をご参照頂ければ幸いです。

 ☆編集者から=新井さん、お久し振りです。じつは新井さんのコメントを心待ちしていました。ありがとうございました。

  

 ☆編集者へ=茅ケ崎市の布川元さん(農業・76歳)から。

「正論」の誌名について議論されている。私は昭和二十年代から一貫して産経新聞を愛読し、正論欄を切り抜いて保存して来た。

 二十六年前、書店で、偶然雑誌「正論」を見つけ以後引き続き購読し、全巻保管している。いずれ余裕が出来たらまた読みかえすつもりでいる。

 私がこれ程「正論」に傾倒するのはその内容だけでなく、その名称に引かれる面もあるようだ。

 更にその前に正の字に引かれる、というのが本当なのかも知れない。それは正しいという意味の他に、五画で端正であるが故に、票数や回数を集計する時に用いられるのは周知の通り。正方形で背骨がピンと通っていて、正しく正面を正視している、正に正座の姿であり、人間基本の姿勢のように思える。これが「正論」の力の根元なのではないか。

 正しいと信じるからこそ自信もって発表出来るし、反対意見もあって当然と思える。反対を唱える人にとっては、やはり自分の正論なのだから、これを認めるのもまた当然であろう。反論を認めないという態度では、やがては人から相手にされなくなってしまう。

 反対意見に対しては、互いに容認し勉強し合うという気持ちになれば、気恥ずかしいことはなくなるはずだと思う。

 発刊の際の「これしかない」の結論は正しい判断であったと思う。「正論」の誌名は千代に八千代に変わることのないよう、押しつけならぬお願いをしたいものである。

  

 ☆編集者へ=福生市の富塚隆一さん(会社員・38歳)から。

「正論」は「正論」なのか、「対論」なのか。一部で議論が盛り上がっているようです。

 巨大組織から多額の広告料を貰い、その団体にとって都合の悪い記事は書けないジャーナリズムもあると聞く中「正論」は間違いなく「正論」であると私は信じて疑いません。

 ただし、「正論」が「正論」であろうする姿勢を失った時、私も私の周りの人たちも、読者であることをやめるのに何のためらいもないでしょう。

 さて、浅沼郁男様におかれましては、私の素朴な疑問に対し、明快かつ御丁寧な回答を賜り、有難く、深く感謝申し上げます。三月号でご紹介いただいた、在外邦人の引き揚げ関連書籍の数々、自分と同じ年齢の方が、これだけの知識を持たれ、これだけの書籍を読破されているのを目の当たりにして、あらためて自らの日頃の不勉強を恥ずかしく思いました。

 私は今まで難しい書物を読むのに慣れていなかったのですが、「国民の歴史」を読破して大分自信がつきましたので、ご紹介いただいた中から、一冊でも二冊でも、入手できるものから読んでいきたいと思います。

 ありがとうございました。

 ☆編集者から=「正論」が「正論」であろうとする姿勢、これがやさしいようで難しいですね。現在、本誌の売れ行きは好調で、渡部昇一先生の「゛平等主義?≠ェ日本を衰亡させる」が掲載された二月号は実売率が九二%でした。冬の季節が続く雑誌界にあって、現時点でみるかぎり本誌は明らかに「勝ち組」に属しています。皆さんのおかげであり、ほんとうに感謝しています。

 しかし、明日はわが身。皆さんが次号の本誌を買ってくれるかどうかわからない。「正論」が「正論」であろうとしないとき、そういう状況に追い込まれるのでしょうか。とはいえ、(小さい声でいいますが)読者に迎合してムリに「……であろうとする姿勢」をとりたくない。

 これからもわが道をたんたんと歩みつづけるつもりです。

 

 ☆編集者へ=山形市の佐藤真範さん(山形大生・20歳)から。

 二月号、妹尾益雄氏の投稿中、「不要」の中に、「保田與重郎は二十世紀に読み継がれるか」が入っている。僕としては、この論文は面白かった。もっとも、確かに難しかったから、読んだ後中身があまり頭に残らなかったんだけど。

 自分の気に入った論文が「不要」の中に入っているという意味で、僕としても妹尾氏の投稿に異論がないわけではない。けれども、どういう記事がいらなくて、その代わりにこういうものを望むというのも一つの意見である。三月号でわざわざ四通も反論を掲載した編集部の意図が、よくわからない。大森和明氏の投稿などは、削った方がよかったんじゃないだろうか。

 もちろん、「これはいらない」という意見に反論するのもまた自由である。ただ、他の三通はいいとしても、大森氏の投稿は、読んでいて不快にさせられる文章だ。妹尾氏を指して「彼の」「彼が」「彼は」と書かれているが、その前で「妹尾氏」と書いた以上、「氏の」「氏が」「氏は」としなければ失礼なのではないのか。これ以外にも、わざわざ侮辱的な表現を選んで書いているとしか思えない個所ばかりが目につく。

 妹尾氏の投稿からどう推察したら、「経済学のイロハすら知識としてお持ちでない方」となるのかわからないが、難しいから「不要」として例示した四つのうち、たった一つを引き合いに出されて、知的劣等のレッテルをはられては、妹尾氏もいい迷惑だろう。

「難しい」論文や専門的な論文の代わりに簡単な論文を希望したからといって、それは必ずしもその人が知的に劣ることを意味しない。「難しい」と書いてあったからといって、どうして即「理解できない」の意味になるのか。それに、「難しい」というのには、妹尾氏のご謙遜もあったのかも知れない。このくらいのことを「推察」できないもんかと思ったが、自分の知的優位を得意げにひけらかしたがる人間の知力なんて、あてにならないもんだ。

 そのすぐ後には、「こんな方でも地方公務員が昔は勤まったのかしらと疑問がわいてきました」などという、とんでもない発言まであった。さすが、知的に優れた方の言われることは、普通の人とは違いますな。

 

 ☆編集者へ=川西市の妹尾益雄さん(74歳)から。

 二月号に初めて投稿した私の「難しい論文は要らない」が、多くの皆さんの顰蹙を受け、コテンパンにやられた。

 白状するが、私は編集者氏も言う如く、本誌を買っても「おそらく全ページの半分ぐらいしか読まないでしょう」の一員です。

 大曲市の清水耕一氏からは丹羽教授の論説・論争の経緯を詳しく教えられ、目から鱗が落ちました。

 横浜市の大森和明氏の言われるよう、私には経済学の初歩的知識もない。戦後このかた土木作業員として生きてきただけで、丹羽教授がどんな偉い人か、保田與重郎氏がどんな人かも知らなかった。

 徳島の山田妃宇美さんや、他の皆さんからご指摘のように私には「著者の意図を読みとる能力がなく」直感するがままに投書したもので、唯々恥入る次第です。

 愛読者の皆さんの、真摯なお気持ちを冒涜したようでまことに申しわけないと深くおわびします。

 それなら「正論」など購読を止めたらよいだろうと思われるだろうが、どっこいそうはいかない。

 秋田市の渋井康子さんが言われるように、私も「正論」によって「多くのことを教えられて」いることを喜んでいる一人です。これからも購読は続けます。大勢の読者の中には、一人ぐらいはこんなトンチンカンもいることも承知して戴きたい。

 宇都宮市の生井勉さんほか皆さんからのご丁重なご忠告には、深甚の感謝を申し上げます。

 ☆編集者から=恥入る必要は全くありません。思ったままを伝える、それでよいのです。ただ、ひとりよがりになっている場合もあるでしょう。ご自分の文章が皆さんの批判をうけるなんて、めったにないチャンスです。

 

 ☆編集者へ=大宮市の三宅輝彦さん(86歳)から。

 二月号で伊藤氏、三月号で高田氏より野辺准尉、高木軍曹(両氏はそれぞれ二階級昇進されておられます)が北九州地区のB29迎撃戦で体当たりにより一挙に二機撃墜された偉功に関する記事を拝見し、往時を懐かしく想起しました。

 小生は、当時下関市小月飛行場の一隅にあって、西日本の防空を担当していた第十二飛行師団司令部に勤務しておりました。

 昭和十九年八月二十日午後五時頃、B29来襲の報に接し、師団は総力を挙げて迎撃態勢にはいりました。これまでは同年六月以降中国・成都基地より三次に亘ってB29の来襲がありましたが、いずれも夜間の盲爆で、昼間戦闘は今回が初めてでした。

 司令部の戦闘指揮所は極度の緊張の中に、激しく命令報告等の伝達が飛び交っておりましたが、突如無線手が「『体当たり・体当たり』と言っています」と叫びました。「誰が言っているんだ」「野辺・高木機です」。一瞬所内粛然たる気に打たれ、恰も眦を決して突進する両士の雄姿を目の当たり見るような感が致しました。この快挙は、指揮官機・地上目撃者よりも確認されております。

 今回の来撃はB29八十機を以て北九州倉幡地区の工場地帯を高々度爆撃したもので、これに対し我が方は両士の敢闘に刺激され、各員の奮闘目覚ましく、九州地区の迎撃では最高の二三機を撃墜しております。

 聞くところによると、野辺准尉は本戦闘の数日前同僚に対して「B29の編隊長機を狙ってその前方から体当たりすれば、その衝撃による破片が後続機に当たり一挙に二機撃墜出来る」と語っていた由。正に冷静に計算された優れた戦法であり、身を捨ててこれを敢行した精神力には唯々敬服の他ありません。

 また我軍本格的特攻開始に先立つこと数か月の時点で、本土空襲に対する第一号の体当たり攻撃を行ったことは全軍特攻の魁と言うべく、その功は絶大といわねばなりません。

 機の落下した地点には両士の慰霊碑が建てられ、命日には御遺族・戦友・地元の方々等によって慰霊の行事が行われている由。両士の霊の永久に安らかならんことをお祈り致します。

 付記

 小生は本戦闘後旬日を経ずして転勤しましたので気に掛かりながらもその後のことは確認できませんでしたが、本件は幸い「財団法人特攻隊 戦没者慰霊平和祈念協会」発行の会報「特攻」誌上で小月会(飛行第四戦隊関係)等により詳述されていることを知り、この偉勲は後世に伝えられるものと思われ安堵しております。

 

 ☆編集者へ=高槻市の米山和子さん(会社員・35歳)から。

 毎月、楽しみに拝読しています。「正論」を読むようになったきっかけは、所沢高校の卒業式のことで揉めていた頃です。何かがおかしい、腹立たしいと感じていた折、本屋さんで貴誌をみかけ「題」にひかれ迷わず購入し、溜飲の下がる思いで、あっという間に読んでしまいました。そして「これが私の求めていた雑誌だ!」と直感し、それから毎月愛読しています。

 何人かの方が言われているように、中高生や十代の若い方がしっかりした考えを述べていらっしゃることに驚きかつ感動しました。

 私は「日の丸」「君が代」については、それまで何も考えていませんでした。と言うのも、私が物心ついた時から床の間に、まだ赤ちゃんでいらっしゃった浩宮様をお囲みになられている(当時の)天皇陛下・皇后陛下・皇太子殿下・美智子妃殿下のお写真が額に入れて飾ってあったからです(今でもあります)。

 私の祖父母や両親が、私たち兄弟に特に何を言う訳でもなかったのですが、敬うことが日本人として当たり前だというか、お写真だけで自然にそう感じていました(左翼の人はこれを洗脳と言うんでしょうね)。

「正論」を読んで初めて、日教組がどんなことをしているのかきちんと理解出来ました。

 そして、教えて頂きたいのですが中曽根元総理以降、何故日本の総理大臣が靖国神社に参拝しないのですか?(他に誰かいたら教えて下さい)。中国・韓国・北朝鮮に戦犯(負けたから)や過去のこと云々という理由で参拝しないのでしょうか。

 私は戦争を賛美する者では決してありませんが、相手国にわざわざ神社を作り参拝させろと言っているのではなく、ただ日本の為に亡くなられた私たちのご先祖様をお参りするのに、どうしておどおどするのですか?

 やはり、戦争に負けるということは参拝も出来なくなるということでしょうか。しかし、これが主権国家と呼べるのでしょうか……しかし、北朝鮮に拉致された方々の件もあるので、到底、主権国家とは言えないですね。

 日本は中国・韓国・北朝鮮の属国なのでしょうか! どうしてドイツのようにしたたかになれないのか?

 一つの国家としてはあまりにもナイーブ過ぎます。

 北朝鮮については拉致問題をはじめ、爆弾を落とす国との国交正常化に何故必死になるのでしょうか? 日本に何かメリットがあるのですか? まず拉致問題を最優先しそして解決しない限り、国交の正常化なんてしてはいけないと声を大にして言わせてもらいます。

 上記の?@何故参拝しないのか? 他に理由があるのか ?A何故、国交正常化を急ぐのか?(功績を残したいからか? でも、これは功績とは到底呼べない)この二点について本当の理由または他の理由があるのか、是非どなたか教えて下さい。

 最後に、向井千恵子様にお伝え下さい。

 それは、千恵子さんの告白「『無実だ!』父の叫びが聞こえる」を読ませて頂き、お父様ご自身やご遺族の方がどんなに悔しく辛い日々を送られてきたか。また書くのも憚られるのですが小学六年生の作文で「人間のクズめ! 日本の恥……」という個所には私も大きなショックを受けました。

 そして、教育の恐ろしさを改めて考えさせられました。

 お父様の獄中日記の十二月二十六日の最後の個所で「お胸に帰ります。我子帰ると抱いてやって下さい」の個所まできてその時のお父様の心中を察すると思わず号泣してしまいました。

 私は無力で平凡な人間ですが、昭和四十年生まれの三十五歳の一女性が「無実を信じます。心よりご冥福を祈っております」とお伝え下さい。

 ☆編集部から=「これが私の求めていた雑誌だ!」といわれるのは編集者にとって最高の喜びです。米山さん、ありがとうございます。

 

 ☆編集者へ=宮城県柴田町の山田公彦さん(元耳鼻咽喉科勤務医・80歳)から。

 三月号の「『無実だ!』父の叫びが聞こえる」、次の「本邦初公開゛百人斬り?#サ決文と向井少尉『獄中日記』」を読了して頭が真っ白になり、胸の締めつけられる切迫感に襲われた。

 大東亜戦争時、軍・官・民が一体になり戦意高揚を煽る言動に走り、国民感情を扇動する報道に嵌まり込み、加えて中国の「白髪三千丈」式の誇大表現と相俟って「南京大虐殺事件」に尾鰭がつき、無責任な従軍特派員のペンに乗せられ「百人斬りの武勇伝」として、軍事裁判の俎上に晒された。

 死刑判決を受け、銃殺刑を目前にした遺書で「天地神明ニ誓イ捕虜住民ヲ殺害セルコト全々ナシ…」と言い切った真実の雄叫びと、近隣住民が娘さんに「戦犯の子…」と罵声を浴びせたとの記事を読むにつけ、私が蘭印軍事法廷で戦犯の汚名を受け、同様の屈辱を体験しただけに他人事としてではなく、身に染みて憤りを感じた。

 戦前・戦後を通し日本国民の豹変ぶりに唖然とする。ある人は、戦後すでに半世紀も経ったのだ、「過去を水に流し将来に目を向けては…」と諭してくれる。しかし、忘れようとする努力が何時までも消滅しないのは何故か。犯罪意識の不鮮明なBC級裁判であれば、検事尋問の相手の出方、予期しなかった獄中の苦悩を想い出すとき、「言うは易く忘れ得ぬ」事項として残る。戦犯裁判中は戦闘の継続であり、圧勝の姿を正義面で示すポーズであった。一握りの日本人(当時の朝鮮、台湾人も含む)を生け贄として徹底的に叩きのめした残虐行為の何ものでもない。

 宮城県人の一人として驚天動地、唖然としたのは、義務教育として、本県の歴史教育の内容である。「百人斬り」を史実として取り上げ、子供達に゛人物評価?≠?させ、彼(向井少尉)を「人間のクズ」と言わせた指導には悔悟せねばならない。英霊に暴言を浴びせたご無礼に深甚のお詫びを申し上げると共に、ご遺族の皆々様が遺言の信憑性を飽くまでも信頼し、誇りを持って強く生き抜いて戴きたいものと願う。

 

 ☆編集者へ=東京都中野区の宮崎元さん(68歳)から。

 三月号、「『無実だ!』父の叫びが聞こえる」という向井千恵子さんの訴えを読んで、胸を締めつけられる思いをしたのは、私だけではないであろう。

 迂濶にも、私は鈴木明氏の「南京大虐殺のまぼろし」によって、向井・野田両少尉の冤罪は証明され、公的に名誉の回復がなされないにしても、大方の日本人がそれを信じることによって、遺族の方々の気持ちも慰められ、問題は決着したものと理解していたのである。

 私が向井・野田両氏の冤罪を確信したのは、前記著作と故山本七平氏の「私の中の日本軍」によってである。氏は日本刀が非常に消耗が早く、実際の戦闘では、一回使えばほぼ廃品になってしまうものであることを指摘して、「百人斬り」など不可能であることを明示された。

 更に私の不明を恥じるのだが、先日大手書店の東洋史コーナーに立ち寄って驚いたのは、向井千恵子さんのいわれるとおり、南京大虐殺があったとする本の目白押しである。「このままにしておいてはいけない」と向井さんがいわれるのも無理がない。

 浅海一男記者は、自らのホラ話によって、向井・野田両氏を死に追いやりながら、自らの地位と名声を保持した。

 本多勝一記者は、南京事件当時、自分は幼児であるから、中国に謝罪はしない、天皇を糾弾することが真の謝罪であると著述している。そのことは父祖と自己を切り離していることを意味する。独善的に自分を正義の側、弱者の味方と規定しているから、日本人の戦争犯罪を列挙しても、なんら良心の呵責を感じることがない。毛沢東主義を礼賛し、中国の軍備拡張は当然であり、日本の軍備は軍国主義の現れであると非難して、恬として恥じない反日日本人なのである。

 我々一般日本人は、父祖の誇りは自らの誇り、父祖の恥辱は自らの恥辱と認識しているから、我々にとって、向井・野田両氏の冤罪は他人事ではないのである。

 今回、向井千恵子さんが百人斬り判決文と獄中日記を公開されたことは、冤罪を一層明確にしうる資料を提供されたものとして、深く感謝の念を捧げると共に、拙文がいささかでも心の慰めとなれば幸甚である。

 ☆編集者から=向井千恵子さんの告白への投稿が十八通も届きました。あと二人の方の文章を紹介しましょう。

 

 ☆編集者へ=我孫子市の池永武喜さん(78歳)から。

 三月号、「向井少尉次女の告白」を拝見し無責任国日本の現実を痛感しました。

 一、当時の部隊長は事実を証言すべきです。

 二、当時の戦友、部下は知っている事実を全て証言すべきです。

 三、東京日日新聞は報道記事の責任において浅海記者を取り調べるべきです。

 四、国家的な問題として日本国政府は当時の戦歴を再調査して事実を公表すべきです。

 五、「正論」は書きっぱなしでなく以上の件について監視すべきです。

 以上のことを関係者生存中になぜできなかったのか誠に残念です。

 小生も多くの同級生、同僚をこの大戦で失っています。何故このような民族的な悲劇をもたらしたかその原因を思い悩んでいる毎日です。抽象的な論説では何の説得力もありません。向井千恵子さんの長年の御心労に御同情申し上げます。今後共お父さんの為に頑張って下さい。

 大戦に殉じられた方々の御冥福をお祈りします。

 

 ☆編集者へ=川口市の穴田一彦さん(37歳)から。

 三月号、「向井少尉次女の告白」を読ませていただきました。まず日本刀で百人斬りは不可能です。この作り話をはじめたのは誰だかは知りませんが、たぶん浅海記者か東京日日新聞の作り話なのでしょうが…。時代劇をすべて時代考証が正しいと思っている人物なのでしょう。

 まず日本刀は刃物であるので、切れば切るほど切れ味が落ちます。刃が欠けることも骨に当たれば折れる場合もあります。鉄で出来ているので数キロの重さがあります。きちんと刀の手入れをしなければ錆も出ます。

 また日本刀で物を切るには正しい形、速さ、力の三拍子がそろわなければ、人体では骨の手前で止まってしまうでしょうし、人体の肉の脂で回を重ねるごとに切れ味が確実に落ちます。

 行きに約一〇キロ、戻りに何故か約一五キロ、重い日本刀を振り回し百五十人を斬るなど一人の人間の体力では不可能です。日本人はスーパーマンではありません。

 また民間人としても、時間は中国の当時の治安から考えて夜間に人の出歩きはほとんど、なかったでしょう。ということは日中でしょう。道路も舗装されていたわけではないでしょう。路に死体だらけならまず危険を感じて逃げるでしょう。手に農具等を持っていれば逆に戦うことも出来るでしょう。中国人が逃げることも出来ないとしたら、向井少尉はオリンピック百メートル金メダリストなみか、それ以上のスピードの持ち主になります。重装備ではたして可能でしょうか?

 ☆編集者から=゛百人斬りが物理的に不可能だという電話を二人の方からいただきました。戦争体験者の方からの話を一つだけ紹介しておきます。

「時は十一月から十二月にかけてです。寒い季節であり、相当の厚着をしています。とても日本刀で斬れるものではありません」


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