婦日の寝不足日記

僕の身の回りでは毎日のようにテレビドラマさながらの出来事が起きます。
その全てを記す事はもちろん出来ませんが、どうしても漏れ出してしまう僕の心の声を聞いて下さい。
僕には語りたいことがあまりにもたくさんあるのです。

                                                           
2008年09月04日
女医さんの修行
 重症さんもやっと落ち着いてきて、ここのところの通常業務は比較的楽な状態で続いている。昨日も早めに仕事が終わったので、三男のサッカースクールデイに飛び入り参加し、年にもめげず各種サッカー足技を学んできた。

 まずコーチの見本を見せてもらい、続いて子供たちの真似しながら、プルビハインドステイとかファルカンフェイントとかのサッカー技を試すのだが、見るとやるとは大違いで、形にはなかなかならない。
 自分で出来たつもりでも、脇から見たらきっと無様で滑稽なものなのだろう。
 他のギャラリー親さんから失笑を買っている気もしないでないが、素人オジンにかかわらず挑戦するだけで偉いと誉められたりすると、まだしばらくは練習続けてみようと思ったりする。

 さて話は変わり、9月から僕の産婦人科に、2年目の研修医女医先生が、ローテート研修で産婦人科業務を学びに来ている。
 内科、外科では既に様々な事を学んできたのだろうが、産婦人科の世界では、はっきり言って素人さんだ。
 常に僕の脇にいて各種業務を見学しているのだが、おそらく僕のやってる仕事の意味の半分も理解していないだろう。産婦人科は医療の世界でもやや特別な分野であるので、それも無理ない事だと思う。

 たまに内診やクスコ診や超音波診察をさせても、その姿勢を一目見ただけでこれは素人さんだなと分かる。分娩時の会陰裂傷の縫合も最初の持針器を持った瞬間に、ウーンこれでは上手く行かんぞと直ぐに思える。
 誰でも初心者の時期はあるのだから、きちんと教えてあげねばいけないと思うのだが、医療というのは生身の人間が相手だ。
 患者さんの中には、初心者に診察されていると分かると、あからさまに嫌そうにする人が大勢いる。特に産婦人科業務は女性のナーバスな部分が仕事現場であるから、それもまた無理ない事だろう。

 ついては、女医さんの方が、抵抗少なくスムーズに患者さんの診察ができると思えるのだが、現実はそうと限らない。
 むしろ患者さんは、素人の若い男研修医先生に診察されるより、素人女医さんに診察される方が嫌そうにする場合が多い。これは何故だか良く分からないが、確かにそんな気はしたりする。
 そういえば10数年前の産科業界内でも、研修中の若手女医さんは、助産師さんから冷たくされる事が多いと言われていたものだ(医師不足の今は変わりましたが)。若手女医さんの産婦人科修行は、多分予想以上に棘の道なのだろう。

 さてさて、サッカーの修行はただのサッカーボールが相手だ。どんなに滅茶苦茶な事をしたってサッカーボールは決して文句は言わない。どんな下手くそオジンに蹴られてもボールは怒ったりしない。
 しかし医師の修行相手は生身の身体で、その身体には心がついている。競争激しいサッカー修行も大変だが、医師修行もやはり大変だと思う。プルビハインドステイも難しいが、クスコを膣に上手に入れる事も、同様に素人には難しいのだろう。

 そんなこんなで、医師の研修を思えば、サッカーの練習で恥かくくらいは、全くどおって事は無い。かえって平和で幸せな事だと思えたりしている。
2008年09月03日
複雑化する医療事務
 眠気はあるものの、手術や処置は無く、昨日も早めに帰宅できた。
 子供の送り迎え業務も無かったので、早めに夕食を摂り、とっとこビール飲んで寝てしまった。ちと寝不足気味だったので気持ちよく夢も見れる。

 上質な睡眠に、夢は重要なエッセンスである。夢の途中で起こされる日が続くと、とてもイライラした気分になるものだ。一方起こされること無く、夢から自然に目覚めた場合は、たとえそれが夢の見かけだとしても、気持ちはすっきりする(夢と言うのは普通、途中で覚めるものですが)。

 夢の内容は何でも構わない。むしろ何か強迫されている嫌な夢を見た方が、かえって上質な睡眠感に繋がる気はする。
 なお昨夜、僕の見た夢は、パソコン操作を間違え、パソコン画面から突然災害放送が流れる。こりゃいかんと慌ててネットやテレビに繋げようとするが、デジタル機器の調子が悪く、世間と通信が遮断されていらいら焦る。といったモノだった。
 何だか身に詰まる夢で、夢判断ができる人に聞いたら、多分僕の心の状態が分かるかもしれない。

 この夢が僕の心の状態をどう反映しているかは知らないが、ともかく途中で起こされる事無く、自然に目覚めるまで夢を見れたのが一番嬉しかった。
 その後早く寝た分深夜に目が覚めたので、夜中にWiiFitして、シャワーを浴び、再度ビールを飲んで寝た。その後きちんと朝まで再び眠れたから、多分これでここの所の寝不足感はリセットされるだろう。他人の夢の話を聞いても面白い訳は無いだろうが、ついまた前書きで書いてしまいました。

 さて今日は助産師外来とペーパーワークの水曜日で、ドック、集団検診、生保会社の患者調査面談等、事務系の仕事が主な日だだ。分娩や手術と比べれば、ずっと気楽で楽勝だとも言える。 
 しかし実は、僕が事務仕事で楽できる最大の理由は、できるだけこの手の入力や請求関係業務を、周囲コメディカルや医療事務さんに任せきっているからとも言える。

 もう長い事任せきっているので、僕は今やこの手の事務仕事の中味がほとんど分からなくなってきた。特に医療費請求がDPCというマルメ診療になってからは、更にさっぱり中味が分からない。
 医療事務さんはこの手の事を普段から専門として勉強しているから良いが、病院勤務の多くの医者はもう、自分の仕事の請求業務は理解不能になってきているんじゃなかろうか?

 今日は業務が一段落してから、レセプトチェックという仕事があった。ところがもはや僕自身レセプトが読めないので、完全に形だけのチェックでしかない。
 世の中は複雑だ。自分が直接タッチしていながら、その周囲が理解不能のシステムで動いていると、それもストレスになる。
 昨夜見た夢も、こういう複雑な社会に対する漠然とした不安が現れてきたものなのかなと、思えたりもするのだ。
2008年09月02日
辞めるタイミング
 月曜未明の分娩のため、昨日は何となく眠気が残る一日となった。
 幸い仕事はスムーズに終わったので早めに帰宅し、少しでも楽するように心がける。
 月曜夜は次男三男の公文式の送り迎え、続いて三男のサッカー練習の送り迎え、更に長男の進学塾の送り迎えがあるため、僕も何かと運転手役で出動しないと行けない。
 運転で出動するのはどうという事は無いのだが、一番最後の長男の迎えが終わるまで、ビールを飲めないと言うのが一番辛かったりする。

 さて昨夜も深夜未明の3時頃、分娩室から意味不明?の問い合わせ電話があり、熟睡タイムが妨げられた。ただの問い合わせで出動を要するものではなかったが、この手の電話は微妙に睡眠の質に影響し、ジャブの如くじわりと心身に効いて来る。
 やはり夜中の電話も、どうしても必要なもの以外は、できるだけ控えてもらいたいと思ったりする。
 その後も早朝にも別の分娩があり、早起きと早朝出動は必要となった。まあ朝食を食べる時間はあったからまだマシか。午前中の外来、更に分娩と午後診察があり、今日も何だかんだと慌しく過ぎていった。

 さてさて昨日の夜は福田首相の電撃退陣表明があった。ちょうど長男(及びその友人達)の塾が終わるのを待っている間に、車のテレビを付けたら退陣表明報道が流れてきて、少しびっくりする。
 何でも首相は、あなたと少し違う、客観的判断から退陣を決断したそうだ。タイミングを考えるとこの時期の退陣がベストの選択らしい。

 例によって何が本当の決め手になったのか良く分からない首相の退陣だが、何時か来る総選挙や国会運営の事を考えると、タイミング的に周囲に迷惑をかける事が少ない時期を、最適として選んだのだろう。
 考えてみれば、見た目健康だが福田首相も後期高齢者ではある。先々の見通しを考えて、ぼろぼろになって辞めるよりは潔いベストタイミングでの退陣が賢いと判断したに違いない。まだ安倍首相の退陣タイミングよりはマシな気がする。

 さて誰しも仕事を辞めるタイミングを決めるのは難しい事だ。周囲に迷惑をかけないために早めに退陣を決める方が良い事もあるだろう。僕も何時の日か、気持ちよくベストタイミングで退陣表明したいと思ったりする。
 ただ政治家には山ほど代わりの人がいるのだろうが、産婦人科医には代わりの人はいないのが普通だ。今の産科業界の雰囲気では、多分僕の仕事を辞めるタイミングは、これまた決めるのが難しいだろうと思う。

 さて欧米系の人間の最高の成功と言うのは、ある程度事業に成功し稼いだ後にアーリーリタイアする事だと聞いた事がある。
 リタイアした後でも健康を維持し、旅を楽しみながら悠々自適に過ごせれば言う事は無い。しかしそういう贅沢はごく一握りの人間にしか許されない。実際は健康を害したり、他の仕事に手を出して失敗したりする事が多い気がする。

 産婦人科稼業は夜中の仕事でもあり、通常より長く続けるのが難しい。他の業種の人間より、健康を考え、早めのリタイアを望む人は多いだろう。そのためには後を継ぐ人をそれなりに育てる必要もある。
 福田首相の退陣がハッピーリタイアメントだったかどうかは多分歴史が決める事だが、いずれにせよ辞めるタイミングというのは、人生最大の課題の一つである事は間違いないと改めて思う。
2008年09月01日
シャワー浴びれば流産するの
 昨夜も、草木も眠る丑三つ時に分娩が入り、出動を要した。眠気を維持する眠狂四郎円月縫合で対応し、2度寝には成功する。しかし年のせいか、やはり夜中に起こされたダメージは残り、今日も薄ら眠たい寝不足外来、寝不足検査となった。
 とはいえ、手術は無いし、今日の予約診察の方はたまたま少なかったので、仕事自体は楽に過ぎている。あと誘発中の方がスムーズに分娩となってくれたら言う事は無い。

 さて月曜日の病棟回診において、必ず看護婦さん患者さんから質問される項目というのがある。それは切迫入院中の患者さんからの「シャワー浴びて良いですか?」という質問だ。
 久美愛病院はいちおう土日休みである。だからという訳で無いが、僕は土日の回診は重症さんのみにしている。多くの切迫さんらは土日は回診無しで放置されている訳だ。暑い中シャワーも浴びずただベットで我慢していられるのは、妊娠中のお母さんだからこそできるのだろう。

 というわけで月曜日の回診時には、妊婦さんから3日分の質問が集中してなされる事となる。その際たる質問項目が「シャワー浴びて良いですか?」となる。
 さて結論から言えば、シャワーと流産は関係ない。シャワー浴びて流産するくらいなら、どちらにしても流産する。つまり上の質問は実はナンセンスなもので、僕は今まで一度もシャワー駄目なんて言った事は無い。
 ただせっかく安静目的で入院しているのだから、積極的にシャワーを浴びろとも言わない。あくまでもシャワー禁止と言うのは安静入院の象徴でしかないのだ。

 さてさて産婦人科病棟と言うのの特徴に入退院が多いというのがある。一人一人の入院期間が短いのだ。
 しかも病室は大部屋から各レベル個室まで揃っているので、入院患者さんは次々と部屋替えされる。つまり月曜の回診時には、金曜回診した時と比べ、患者さんの部屋割り状況が全く異なっているのが普通だ。
 そのうえプライバシー保護の関係で、病室前に患者さんの名前は掲示されて無いから、僕はいつも月曜回診時に、患者さん間違えを起こす事となる。そんなわけで今まで僕は、月曜日に患者さんの名前を間違えた事が100回くらいある。

 切迫入院さんの場合、それでも問題にならずいつも大丈夫だ。つまり多分妊婦さんの安静入院と言うもの自体が、これまた象徴的なものに過ぎないのかもしれない(例外ももちろんありますが)。
 ただ入院させておくと何かあった場合でも対応しやすいし、救急からの妊婦診察の依頼呼び出しが入るのを減らすという意味もある。救急外来を利用する患者さんは何度も繰りかえして救急を利用する傾向がある。
 さくっと一回で入院させておいた方が手間なく事が運ぶのだ。短期間の安静入院はDPC時代の病院経営に有利というのもある。

 そんなこんなで切迫入院の大部分は、病院と患者さんの利害関係を基盤とし、あくまでも象徴的に存在している面がかなり多い。それは月曜回診時にいつも思ってしまう事でもあったりする。
2008年08月31日
思い出はインターネットの中に
 代務の先生のいない週末。天気は徐々に回復傾向にあるが、待機業務がある以上何処にも行けない悲しい週末だ。
 昨日土曜午後こそ、お留守番を開業医先生にお願いし、岐阜までお出かけしたにはしたが、学会絡みで、しかも高速道路を走行中に次々と仕事連絡が入ってきた。
 夜の雨の高速運転だから慎重に運転したいところだが、救急診察の依頼電話もあるしなかなか落ち着きは無い。
 
 今日日曜日も午前中は急患さん診察、重症さん回診が続き、更に分娩もあった。なぜかサッカー会場の設営業務もある。
 休日とはいえ、これまたまったく落ち着きは無い。それでも午後から天気が回復すると共に仕事も少し落ち着いてきた。折角だから暗くなるまでMTBであちこち走り回ろうかと迷う。

 とはいえ病棟は安定していないから、やはり病院から離れる訳には行かない。外に出ると紫外線が強烈に降り注ぎ、動き回る気力を削がれた。
 もう僕の肌も若く無い。あまり紫外線を浴びると今度は皮膚のシミが気になったりする。折角の貴重な日曜の晴れ間が惜しい気もするが、今日も室内で各種雑用に励むのが一番無難だろう。

 というわけで今日は午後の空いた時間を、この「婦日の山と仕事報告」のHP整理整頓に費やした。
 表紙から山行へのリンク先が増えているのに気づいてくれただろうか。プロバイダのレンタルサーバというのを使い、HPのUPもしやすくしたつもりだ。

 HPの整理をしながら、ことのほか充実していた昨スキーシーズンの思い出にも浸ったりする。
 過ぎ去りし思い出を振り返りながら、最高のパートナーとなってくれた岐阜のMisao先生に改めて感謝の気持ちが湧いてきた。今更ながら有難うございました。これからもあちこち行きましょう。

 そして昔の思い出は何処か遠くのサーバコンピュータの中に貯めておき、自分は新たな行く先の夢を更に考え続けようと思う。夏の間のしばらくを何処にも行けないくらい大丈夫だ。未来の夢を思うと僕は間違いなく幸せ者だと思う。
2008年08月30日
シャッター通りも無理ありません
 代務の先生がいない寂しい週末だ。あちこちでゲリラ雷雨が起こり、山の天気も落ちつかない。運動不足が気になるが仕方ない。今週末は、「何も出来ない雨の日は下に向かって根を伸ばせ」(出典、シドニー金の高橋尚子)だと思って過ごそう。

 さて土曜の朝も救急外来からの呼び出し電話で一日が始まった。要注意の重症患者さんも入院しているし、何時もの様になかなか落ちつかない週末だ。しかしそれでも昼には業務が一段落付いた。新たな陣発入院も無い。外は大雨で野外活動には向いていないが、少しはお出かけできるチャンスとなった。 
 そこですかさず、病院お留守番を開業医先生にお願いし、配偶者と共に車で岐阜へお出かけとする。

 配偶者の目的はショッピングモールでお買い物であり、僕の目的はいちおう?夜に開かれる学会参加である。各務ヶ原のイオンでスポーツ用品店と本屋を見て、その後僕は岐阜会館にある学会会場に向かった。当然の如く?別行動の配偶者は、僕が学会に言ってる間ずっとショッピングを楽しめる。

 さて、ガソリン高時代の雨の日に遠出する人は少なく、その代わり?各務ヶ原イオンは大入り満員で駐車スペースを探すにも大変なくらい混雑していた。
 一方ショッピングモールから学会会場に向かう途中の岐阜の駅前通りは、土曜の夜というのに閑散とした?シャッター通りだ。
 賑やかな郊外型店舗から、昔ながら?の商店街を車で通り、その人波の差に今更ながら少し驚く。

 この数年で、岐阜の郊外には幾つもの大型ショッピングモールが次々と出来た。そのどれもがそれなりに流行っているという。
 これでは駅前通りが廃るのは当たり前だ。良く岐阜の市議会では駅前の活性化が議題になるらしいが、こんなに郊外型店舗があれば、活性化なんてそりゃ無理だと思う。

 こういう状況はおそらく病院でも同じだ。これからの病院は郊外に大きな駐車場と共に作らなければならない。それが時代の変化なのだろう。
 駅前活性化にお金を使うくらいなら、車の運転できないお年寄りにタクシーチケットでも配った方が、これからはよっぽど景気対策になり、世の中のためになる気はしたりする。

土曜夜の岐阜駅前はシャッター通りでした。(高山駅前の方がまだマシか)


一方イオンは賑やかで、大型駐車場も車でいっぱい。(こういう場所は高山には無いですから)
2008年08月29日
手術はやはり危険なものです
 昨夜は帰宅こそ遅くなり、病院有志のフットサル練習には参加できなかった。とはいえ夜中に呼び出される事は無く、きちんと朝まで眠る事は出来る。これは今日の午後の手術患者さんにとって、とても幸運な事だ。誰だって寝不足の医者に手術を受けたくは無い。今日は午後からタフな手術がある予定だ。術中術後の全身管理にも注意を要するし、一人で診るには難しい症例と言って構わないだろう。 
 手術は当初の想定どおり癒着も酷く、出血も増えて困難なものとなった。それでも外科の先生にも手伝っていただき、それなりに対処できホッとする。今日も帰宅は大分遅くなりそうだが、明日は雨の休診日だ。もう少しがんばろう。

 さて今日の手術は腫瘍の間を上手く切開剥離して行かなければならず、緊張の場面が連続して続いた。
 典型的な手術と異なり、見えない血管を下手に傷つけると止血困難な大出血もまねかねない。それ程の大出血に至らなかったのは、計算づくとはいえ幸運もあった。
 そういえば昨日の開業医さんの所の手術でもやや筋層裂傷が大きく、子宮動脈が完全に露出して強出血に至る恐れがあった。

 こういう危険な手術は、マンパワーや設備の整った場所で行えば、それなりに安全の確保も出来る。ところが僕の仕事現場は悉くマンパワー不足、もしくは設備不足なので、都市部大病院の手術と比べて、同じ手術でも安全度は低いと判断しなければならない。
 その分術者のプレッシャーも大きいし、それなりの難しい判断を要求される場面もある。産婦人科医は基本的にマンパワーや設備不足の中、否応無く手術しなければならない事が多いのだが、全く厳しい世界だと思う。

 手術局面のミクロの操作においても、大病院で出来る手技が、マンパワーや設備不足の場所では、安全のためには出来なくなる事もある。
 今時は手術による失血死となれば、世間は直ぐに医療ミスと考える。安全を取れば、それだけ危険な操作は出来なくなり、手術の完遂度は減るとなる。

 そして遂には安全のために、手術しない外科医とか、分娩を扱わない産科医とかが出てくる。
 人により体力や能力には差があるのだから、安全策で逃げる事ばかり考えるのが悪いと一概には言えない。しかしそれがマクロ的に起こるとそれを医療の萎縮と言う。そしてこういう現象は今、日本のあちこちで起きている。

 昔大学山岳部で、山の遭難を無くす方法というのが議論され、その結論は「山に行かない事だ」になった事がある。医療の世界でも手術死を無くす最高の方法は「手術をしない事だ」という事になる。
 分娩だって同じで、死産や母体死亡が絶対許されないとなると産科医は分娩業務が出来なくなる。妊婦さんもと死産が絶対嫌なら妊娠を最初からするなという事になる。ついでは誰も何処でも分娩ができなくなり、人類は滅ぶ。
 
 これはもちろん極端な例だ。誰がどのようにリスクを取るのが一番良いのか。結果の責任は誰が取るのか。いろいろ難しい問題もあり簡単ではないが、とにかく今の日本人は失敗に不寛容過ぎるんじゃないかと思う時は時々ある。
2008年08月28日
それでも僕は行く
 昨日は昼間に分娩が固まってくれたお陰か、夜のお産は無しで済んだ。すかさずクアアルプに行きフィットネスバイクを漕ぎ、温泉に浸かる。夜中もきちんと眠れて良かった。
 今日の外来はぼちぼち混んだが、まだマシな方だ。午後の処置を無難にこなし、回診を早めに済ませれば、明日に備えて今日は少しゆっくりできるかと思っていた。ところがそうはやはり問屋は卸さず、突然午後に開業医さんの緊急手術手伝い依頼の電話が入る。

 小雨に濡れながら自転車を漕ぎ、仕事の合間に急いで開業医さんの所に向かった。蒸し暑い手術室で、開業医さんは雨で無く、したたる汗でベトベトになりながら、せっせと手術に励んでいた。
 手術は何とか無事に終わり、開業医さんの所から病院に戻る時には雨が止んでいた。帰りには雨に濡れずに済んでほっとする。

 さて話は変わり、僕は来春、一時的に臨床を離れる事を考えている。その理由を特にここで隠す必要は無いのだが、まだ各種準備段階でもあり、積極的に説明する必要も無い。この時点で日記に書くのは辞めておこう。
 僕が臨床を離れる期間、久美愛病院での産婦人科業務は臨時代務の先生に何とか上手く任せる予定だ。
 その準備にために、来春飛騨地区で自分の周囲と産婦人科業務が回るよう精緻?に渡る準備が必要となっている。具合的には来春3月から5月の3ヶ月間、久美愛病院での分娩を通常の半分以下に抑える事とした。

 通常の半分以下といっても、月の分娩数は15件近くになる。
 これでも世間の産婦人科医一人当たりの平均分娩数よりかなり多い。僕が休む事で代務の先生も大変だし、しわ寄せを受け入れなければならない飛騨地区の産科医も大変だろうと思う。

 とはいえ周囲に様々な歪みや無理が生じるのはもう分かりきっている事だ。多少の無理を克服しない限り、僕は自分の夢にいつまでも挑戦する事はできない。僕自身も普段から無理して仕事し続けていた訳だし、ここは迷う事無く来春仕事を休むつもりでいる。

 そういうわけで僕は今、来春の分娩予約を断る作業を、毎日の様に行っている。
 妊婦さんらは分娩を断られる事で皆困った顔をしている。他院で分娩を断られて、僕のところにやってくる方も少なくないのだ。
 何とかして僕のところで分娩したいとやってくる妊婦さんを断る作業は辛い。断腸の思いといえば言いすぎかもしれないが、それに近いものもあるだろう。なんとか妊婦さんがどこにも産むところが無いという状況は、作らない様にしないといけない。

 別に僕が飛騨地区での分娩の責任を負っている訳ではない。しかしそれでも僕にも産科医としてのプライドやこだわりがある。どんな大人にも次世代への責任と言うのが多少はあるだろう。
 これを別名Noblesse Obligeと言うのかもしれないし、社会人としての自覚と言うのかもしれない。僕はただでさえ人数少ない地方の産科医だから、こういう言葉がさくっと自分に当てはまる(気がする)。

 次世代への責任というと大げさな気もする。しかし分娩先が無いという理由で妊娠を取りやめる方が出てくるのは避けないといけない。そういう状況を作らない様にするのは、産科医として最低の責任じゃなかろうか。
 そんなこんなで僕は今、自分の夢と社会的責任の間を、けっこう微妙に揺れ動いている。

国分寺通りで見つけた俳句。少しドキッとしたけれど、作者は東京の方の様でまだホッとした
2008年08月27日
難しい血液型の世界
 暑さも少し和らぎ、子供たちの夏休みも終わったが、僕は何時もどおりの忙しい日々が続いている。そういえば先日子供たちの夏休みの宿題である一言日記をまとめて読んだのだが、その内容は毎日サッカーと公文式塾のことばかりであった。
 他に何か書くものが無いかと思うが、確かに僕の家は家族のイベントと言うのがほとんど無い家だ。

 特に今年は子供達を夏に何処にも連れて行く事が出来なかった。毎年恒例の海水浴も一度も出来てない。サッカーと塾ばかりで過ぎてしまった子供たちの夏休みを思い、何だか申し訳ない気持ちになったりする。

 かくいう僕も仕事ばかりではいかんと思うのだが、そうも言ってられず今朝も明け方分娩で出動を要した。突然起こされたため熟睡感は損なわれ、今日もうすら眠たい。
 昼には分娩が2件、集中ドック検診もあれば入院患者さんも多い。どこまでこんな暮らしが続くのかと思いながら、ひたすら各種業務に励んだ。

 さてここの所の分娩の方に中に、とある珍しい血液型の型がみえた。父母の血液型はA型とO型なのに、本人の血液型はB型だという。ブラックジャックを熟読したり、山口百恵の「赤い疑惑」を見た事がある人なら、こんな事はあるわけ無いとすぐ思うに違いない。ところが事実はその通りで、その謎はどうも珍しい補体の有無と、昔の血液型検査の不備にあるらしい(推測も一部入る)。
 また別の入院患者さんの中に輸血を要する方がいて、その方はやや希な不規則抗体を持っていて適合血液の少ない方だった。何だかんだと適合血液を見つける事は出来たが、少し輸血しづらいのには変わらない。血液型の世界はABOのみでは無い。色々と複雑なのだ。

 産婦人科業務は昔から「Bloody Business」と言われている。確かに他科の医者より血液を扱う事は多い。分娩時には毎日多量の血液を見るし、自分が血液を浴びる事も珍しく無い。血が怖い何て言っている人は、産婦人科医には向かない。油を嫌いな人が天ぷら屋で仕事するようなものだ。

 ところが10年前と比べ、今日本ではだんだん分娩時に輸血しづらくなってきている気はする。その理由の一つには分娩時多量出血から起きたC型肝炎集団訴訟で、国が敗訴し譲歩した事ともちろん関係しているだろう。世間では献血の量も毎年どんどん減っているという話も聞いた。
 なお飛騨地区には血液センターが遠くにしか無いので、時に血液が手に入らない事がある。Rhマイナスを始めとする珍しい血液型はまず手に入らないと思っておく必要がある。だから本当は珍しい血液型の方は、飛騨で分娩しない方が良いとなる。
 厚生省官僚の考えでは、こういう場合は自己血貯血を使えという事になるのだが、珍しい血液という理由のみで、分娩時にいちいち自己血を貯めておくのはどういうものか? しかも分娩の方が里帰りなら、自己血を貯める時間的余裕も無い。

 血液の世界は学問的にも社会的にも色々難しい事が多すぎる。大野病院の母体死亡事件だって、その場に無尽蔵に血液やスタッフがあれば、何とかなったかもしれない。しかし産科医一人しかいない病院で、血液が無尽蔵なんて事は決してありえないのだ。とにかくあまり細かい事を考えると、この仕事はとても出来ないい。もう血液についてはなるようにしかならないと半ば開き直り、今日も分娩業務に励むしかないのだろう。
2008年08月26日
身命を賭して戦い守る
 代務の先生が仕事してくれる週末は良かったが、その後月曜からは手術と分娩、外来が重なり、忙しい時間がひたすら続いている。夜に寝ている時間を除いて、何だかんだと業務に追われている感じだ。
 忙しい時こそ、ぐっすり眠って休養を取りたい所だが、今朝も明け方に分娩が入り出動を要した。ちょうど何かを捜し求めている夢をみている途中で起こされたため、少しイライラ感が残る。朝の医局会の関係で2度寝する時間も取れず、睡眠時間も削られた。

 今日の外来も例によって混む。久しぶりの混雑寝不足外来となった。看護師さんや他科の医師の中には、僕の事を記憶力や体力抜群の人間と勘違いし、次々と意味不明な質問や仕事を要請してくる方も見えるが、僕は普通の人間なので、もちろんそれら全てに応える事はできない。
 ただ期待に応えようと努力する生来の性格もあるから、ついつい仕事し続けてしまう。しかしこういう所は自分で自分の首を絞めている気がしないでも無い。

 さてさて昨日の夜帰宅後にテレビを付けたら、たまたま63年前の8月15日のポツダム宣言受諾後に、千島樺太で起きたソ日戦争のドキュメンタリードラマが放送されていた。敗戦直後の樺太真岡郵便局で起きた実際の事件が題材だ。
 敗戦後にも日本軍は、辺境の地で各種戦争をある程度組織的に続けていたのは、割と知られていない事実だ。
 特にその中でも千島や樺太で南進してくるソ連軍に対して行った日本軍の抵抗は、その後の歴史に大きな影響を与える事となった。

 当時僕の母方の家族は北海道の網走郡津別町に住んでいて、父方の家族は中国の満州に住んでいた。過去に僕は終戦がもう少し遅れていたら、北海道はソ連領となっていたと聞いた事がある。
 アメリカが原爆投下を急いだのは、ソ連の南進を防ぐためだし、その後におきた日本人捕虜シベリア抑留は、北海道占領を失敗したスターリンの代替政策だったと言う。

 歴史にもしもは禁物だと言うが、北方における日本の敗戦後戦闘が無かったら、マジに母方の家族が住んでいた場所はソ連領となっていた可能性が高い。そうなると父と母が出会う事は無かった訳で、僕はこの世に産まれてなかったとなる。
 何がどうしてこうなるのかは全く与り知らぬ不可知の世界の出来事なのだが、とにかく僕は当時の捨て身で祖国を守った方々に感謝しないといけない。

 これらの戦闘に加わった多くの人は、既に負けが決まった祖国のために身命を賭して戦い散っていった。それを思うと心が熱くなる。
 普段僕はこの日記を通じて、仕事の大変さを愚痴っているのだが、昔の日本人の生き様を思い浮かべると、僕の大変さなんて全く比べ物にならないちっぽけなモノだ。
 他者と祖国を守るために、最後の誇りと共に戦い死んでいった方々を思うと、寝不足外来が多少続くくらいはどうという事は無いのは間違いない。
2008年08月25日
子供も親もがんばりきれるか
 昨日から小学サッカーの県大会予選が始まった。東小サッカーチームでは毎年ここで飛騨地区予選を勝ち抜き、県大会で上位を目指す事を目標にクラブ活動を行っている。今年飛騨地区全ての小学校から県大会に進めるのは4校あるらしい。
 どの小学校にも、強い学年、弱い学年があって何処が県大会に進めるかは毎年蓋を開けてみないと分からないが、総じて6年生の多いチームは強いし、スター選手が多いチームが強いとなる。

 11人全員背の高い6年生を揃える事が出来ると、かなりの確率で県大会まで上がれるが、必ずしもそう上手くも行かないところがサッカーの面白い所だろう。
 今年の東小サッカーチームは5、6年生が半々くらいで、スター選手も少なく背も低い子が多い。ここ数年の東小サッカーチームの中では、決して強いイメージでは無い。
 とはいえ例年最後の一ヶ月で急速に強くなる東小サッカーチームだから、今年も何処まで行くか楽しみに子供たちの活躍を見守ろう。
 
 さて今年の東小チームには6年生に次男、5年生に三男が入っている。共にバックだから得点に絡む事は少ない。とはいえスタメンに2人子供がいるので、例年より親の楽しみは多い感じだ。2人の活躍はともかく、昨日の一次予選はとりあえず無難に突破していた。
 組み合わせでは2週間後の2次予選で強敵に当たる。ここを突破できるか否かが県大会出場の鍵を握るが、どうなるだろう。

 とにかくはサッカーは勝ってる時が面白い。昨夜も勝利に喜び、町内会主催の盆踊りで、楽しくビールを飲みすぎてしまった。
 その陰で、惜しいところで中体連の県大会出場を逃し、仕方なく勉強をしている感じの長男はふて腐れ気味だったりする。長男には終わってしまったサッカーよりも、高校受験を睨んだ勉強の方が大事だ。
 ここで幾ら子供を応援しても、将来子供達がサッカーで食べていく事は無いだろう。サッカーよりも勉強の方が将来の飯の種にはなるとは思う。

 子供達も親もそれぞれ各様の課題を抱えている。将来子供達がどういう人生を歩むかは分からないが、それぞれの課題でそれぞれがんばりきれる力を持って欲しいとは思う。

試合中の一瞬の子供たちの表情を捉えるのが、僕の楽しみでもあり




2008年08月24日
清美ジャンクションは立体迷路
 折角の代務の先生のいる週末だが、天気は良くない。夏だから雨風にさえ耐えれば登山道の行動はできるだろうが、登山に不適な週末になりそうだ。

 一月前に新居に引っ越して以来、休みはあるにはあるのだが、各種用事が多く何処にも行けない週末が続いている。配偶者によると都合が付かない理由は、風水上好ましくない方角に引っ越したからであるらしいが、もちろん僕はそんな事は信じない。
 とにかく少しでも都合をつけては何処かで運動はしよう。

 そこで土曜の朝は何とか早起きして、とりあえず白山大倉道に向かった。高速を利用してまだ暗いうちに白山林道入り口に付く。しかし雨は本降りだ。高山では曇り空だったのにどうやら山の中の天気は荒れているぞ。しばらく迷ったが風雨の中登山をしても楽しくは無い。運動不足は気になるが、ここは潔く登山はあきらめ高山に引きかえした。その分空いた昼の時間は家族サービスに当てる事とする。
 
 珍しく昼には家族全員で、清美の宮春に豆腐を食べに出かけた。清美までは高速無料区間を利用して直ぐに到着する。清美ICを降りると、僕が10年前に引っ越してきた時と比べ、まるっきり雰囲気が変わった清美村夏厩地区に着いた。
 10年前の夏厩は古い豆腐屋が一件あったくらいで、ひたすら素朴な田舎だったが、今や高速の立体交差が彼方此方に出来て、さながら未来の空中迷路都市の如くになっている。

 これは地域住民にとっては、便利になって嬉しい変化かもしれない。しかし僕はやはり複雑な気分だ。多分夏厩という地名から推測するに、ここは昔夏のみの集落があり、夏季限定の牛馬放牧地帯だったのだろう。しかし今はその地名の面影は全く無い。ただの複雑な立体交差点だ。

 ちなみにこの立体交差は、高山を往復する高速通行者にとって、非常に間違いやすい作りとなっている、名古屋や富山から真っ直ぐ走ると、高山への道には入らないのだ。
 そしてそのジャンクションがちと分かりずらい。これは富山と高山という漢字が似ているのも影響しているだろう。動体視力が今一の人間には、高速通行中に富と高の地を瞬間的に識別するのは難しい。ジャンクションとICが直ぐ傍にあるものプレッシャーだ。

 現に僕の身の回りでも、このジャンクションで道を誤ったという人は多い。かくいう僕もその一人だし、今代務に来てくれている先生も金曜午後に高山に向かう前に、道を誤って白川郷まで行ってしまったらしい。白川から手術に遅れそうだと言う電話連絡を受け取った時、僕は直ぐに清美で道を誤ったなと気づいた。

 確かに高速が伸びて、高山から都市部の移動はとても便利になった。
 10年前は大変だったが、今では冬でも簡単に名古屋や岐阜を日帰り往復できる。しかし便利と引き変えに失ったものもある。山と雪を求めて高山に引っ越してきた僕だが、温暖化で雪が減れば元も子もない。
 夏の放牧集落から高速の立体迷路い変わった夏厩地区はまるでこの10年間の変化の象徴みたいな場所に思えたりする。

昔の放牧住民がこれを見たら、多分びっくり仰天するでしょう


宮春の豆腐の味は、10年前と同じく美味しかった
2008年08月23日
足が速ければ脱走に成功する。という訳では無いでしょうが
 昨日の手術後にもやや気がかりな分娩が一件残っていた。しかし今週末は代務の先生が来てくれている有難い週末だ。気がかりな仕事を気持ち良く代務の先生にお任せして、僕は病棟回診と残ったペーパーワークを済ませ、さくっと帰宅を決めた。
 昨夜の楽しみは何と言っても北京オリンピック400mリレー決勝である。リレーは陸上競技の中でも花形種目の一つだ。その決勝に好順位で進出したとなれば、これは楽しみでならない。

 今やカリブ海出身の黒人ばかりとなったトラック競技の世界で、日本はどういう訳かリレーだけは世界に伍して戦えている。確かシドニーで6位、アテネでは4位だったはずだ。これはもちろん日本不動?のリレー最終走者朝原の活躍とカリスマ性によるものが大きいに違いない。
 110mハードルアテネ金メダリストの劉翔が棄権したとなれば、リレー決勝における日本代表は、東洋人全体の代表としてトラックを走るも同様だ。

 そして期待に応えて彼らは走り、見事銅メダルを獲得した。これは足が比較的遅いとされている黄色人種にとって奇跡のメダルだろう。 
 何と言っても100年にわたるオリンピックの歴史の中で、日本男子は過去にトラック競技でメダルを獲得した事が一度も無いという。これは他のアジアの国々でも同様に違いない。

 さてさて昨日の朝原は、東洋人であるというだけでなく他にも色々な意味で、象徴的な存在だった。
 まず36歳という年齢。彼の走りはアンチエイジングの手本でもある。
 更に低迷していた日本男子の面目躍如の意味もある。そういえば彼の配偶者はシンクロナイズドスィミングで銅メダルを取っている。僕は半年前に古川で開かれた朝原夫妻の講演を聞きに言ったが、その際に彼は「妻が銅ですから、それに負けたくないという気持ちもあります」と話していた。
 
 おそらく価値的には、シンクロの銅より、陸上リレーで決勝に残る方が価値は高いと僕は思う。そこで配偶者と同じ銅メダルを獲得したのだから、これは男子としても夫としても面目躍如であるだろう。
 僕は陸上をした事は無いが、昨日のリレーの銅は、僕にとって北京オリンピックでも最も印象に残る瞬間になった。

 さてさて日本男子の走りも印象に残ったが、もう一つジャマイカの圧倒的強さも印象に残る決勝だった。ボルトなんで何でこんなに早く走れるのかと不思議に思う。
 なんでもジャマイカは400年前には奴隷貿易の中継基地で、奴隷船から脱走した人間が作った国だと聞いた事がある。無事脱走に成功した奴隷の子孫だから足が速いという訳だ。

 この話の真偽の程はしらないが、実は僕の祖父も敗戦直後に満州からシベリアに連行される途中、シベリア抑留から脱走成功した人間である。
 強引なこじ付けだろうが、となると僕の家系も少しは足が速い家系になるかもしれない。そういえば三男の集登はどうも足が速そうだ。
 一緒にテレビの前で決勝を見た三男には、一つ目指せオリンピックで、何時の日か晴れの大舞台に立たないかなんて、無理な親ばか希望を抱いてしまったりする。
2008年08月22日
日本男子と日本女子
 昨夜も促進にかかわらず分娩が残り、帰宅はやや遅めとなった。そして今朝も分娩室からの呼び出し電話で一日が始まる。
 とはいえ睡眠時間自体はさほど削られてないから寝不足感は無い。オリンピックの熱戦もある程度テレビ観戦できた。

 今朝も呼び出し電話にかかわらず、朝食をきちんと食べて、その後に分娩室出動とした。
 今日は午後から手術が2件ある。朝食をきちんと食べずに仕事を始めて、途中でガス欠をおこしてもいかん。外来の混みかた次第では昼食抜きで手術室に直行となる事もあるのだ。

 さて話は変わり、お隣中国からは連日オリンピックの熱戦がテレビで伝えられている。特に昨夜は注目の女子サッカー3位決定戦と女子ソフトの決勝戦があった。
 サッカーこそ残念な結果に終わったが、あきらかな対格差がある相手との戦いで、日本女子撫子チームはとても良くがんばったと思う。対格差のハンディは運動量でカバーするしかない。運動量の差が後半に出てくるのはもう仕方が無い気がする。一方ソフトボールはサッカーほど体格差が影響しないらしく、ついに念願の金メダルをゲットした。

 となると次は星野ジャパンの結果が気になる所だ。女子ががんばった以上、男子も結果を出さないと、格好が付かない。というわけで今日は外来終了後、手術に入るまでのほんの僅かな時間に、すかさず医局に行き、韓国戦のテレビ観戦をした。
 2−1でリードし、藤川が好投しているのを確認したところで、ほとんど勝利を確信する。
 後は必勝投手リレーに持ち込めば星野ジャパンの勝ちパターンだ。手術時刻の午後2時が来たので、名残押しくも医局から手術室に入った。手術はタフだったが、もちろんソツなくこなす。

 さてさて手術室から外来に戻り、ネットを確認したら、星野ジャパン惜敗という見出しがいきなり出てきた。「なんだ負けたのか」とがっかりする。
 サッカーでも女子は準決勝進出したのに、男子は全敗だった。野球でも女子が優勝して、男子が無冠ではちと情けなく思う。
 今回の北京オリンピックでは女子の活躍目覚しいが、男子は今一つの結果が多い。平泳ぎの北島の様な国宝も存在するが、どうも男子は北島だけの様な気もしないでない。

 はっきり言えば、これからの日本は女の時代だ。産婦人科医も今や女医さんがいないと仕事が成り立たない。
 今週末来てくれている代務の先生も女医さんで、もうすぐ目でたいご結婚だそうだ(個人情報の漏洩すみません、問題あればすぐ削除します)。所帯を持った後は、ぜひ旦那さんに主夫となっていただき、新婦は日本の未来のため家庭に入らず、外で仕事するよう強く要請?したりする。

 オリンピックの結果はすなわち、日本女性の優秀さを証明している様だ。
 女子が外に出て働いた方が世の中の為になる。出産は女にしかできないが、育児は男にもできる。つまりは育児休暇は男が取るべきで、家庭を守るのは男であるべきかもしれない。
 これから夜に日本期待の400m男子リレーがある。これには朝原や末続が出る。ここは一つぜひがんばってもらいたい。これで惨敗したら、これから先家事、炊事、掃除、洗濯は男の仕事とすべきだ。なぜかそんなことを、とても説得力持って感じていたりする。
2008年08月21日
産科医の緊張と安堵
 昨日はちょうどこの日記を書いている最中に、病棟の患者さんの状況急変し、急遽緊急手術が入った。お陰で昨日の日記は何だか腰折れで途中書きかけの内容となる。緊急手術の原因はVBAC(説明は省略)希望の方の心変わりと、原因不明熱である。
 本来なら通常勤務時間内に、予定帝王切開とすべき患者さんであったが、本人が手術を断固拒否するのならば、手術を強制する事は僕にはできない。

 予定帝王切開というのには、痛みとか出血とか言った切迫した自覚症状が無い。VBAC希望の方が陣痛発来や破水をきっかけに急遽心変わりする事は、とても良くある事だ。昨日の方はその心変わりの時刻が、僕の自由時間の日記タイム内だったので、ある意味スムーズに手術に入れた。これは多分患者さんにとって幸運な事に違いない。

 さて一般的に医師の指示や指導を守らない患者さんの事を、医療用語でコンプライアンス不良の患者さんと言う。そういう患者さんは内科でも外科でも山ほどいる。
 ただ僕は昔から、自業自得という言葉を信じて臨床を行っている。言う事を聞かない患者さんがいてもそれほど怒ったりはしない。その代わり大人ならば自分の所作の責任は自分で取るべきだろう。
 時に糖尿病やアル中の患者さんなどに、コンプライアンス不良な患者さんが多いとは良く知られてる事だ。多分内科医にとっては、それはもう折り込み済みなのだろう。

 詳述は避けるが、僕の産科にも数年前に患者さんのコンプライアンス不良が原因で新生児死亡を招いた例があった。
 その後家族が怒って「訴えるぞ」と病棟で医師や看護士等に詰め寄ってきたが、こういうのは残念ながら所謂モンスターペイシェントであるとしか言いようが無い。
 産科医療はその結果が生死に関わるシリアスなものが多い。それは身に沁みて僕は知っている。
 しかしこの場合、現実を甘く見ているのは医師の方ではなくて、残念ながら患者さんの方だ。医師が何を言っても本人が言う事を聞かなければどうにもならない。

 さてさて昨日の場合では、もちろんそんなシリアスな結果には至らず、無事手術も問題なく終了した。新生児も良く泣いてくれてホッとする。
 そういえば昨日テレビでは、大野病院事件で無罪を得た産科医が「ホッとしました、早く臨床に戻りたいです」というコメントを出していた。僕も彼が無罪になってホッとした(上告されない事が前提ですが)。

 分娩と言うのは予測不能の事があまりに多い。だから産科医は常に緊張と安堵の間を行ったり来たりしている。僕はもしかしたら、この緊張と安堵の変化が好きで、山スキーや産科業務を続けているのかもしれない。とはいえ刑事に逮捕されるかもしれないという緊張感はやはり御免だ。普段の臨床で散々緊張して、更に刑務所にいれられる緊張感まで持たないといけない仕事なんて、すすんでやろうと思う人はさすがにいない。

 コンプライアンス不良患者さんとか、誤った検察の判断とか、そういった与り知らぬ他者の気持ちで、不必要で不毛な緊張感に包まれ責任を負わされる。それでは堪らない。これは僕の仕事の範囲内ではないのだとここに断言しておこうと思う。
2008年08月20日
オートマチックには行きません
 何だかんだと仕事は忙しいが、深夜業務はここのところ無しで済んでいる。色々と心配な患者さんは多いのだが、今は「嵐の前の静けさ」という所だろう。今日はペーパーワークと検診業務の水曜日だ。急患さん方の受診は相変わらず多いが、今すぐどうという事は無いと思う。

 さて今日は福島地裁で大野県立病院での母体死亡における、一審判決が下りた。結果は産婦人科医には当然の無罪だ。とはいえこれは検挙したら有罪とする確立99.9%を誇る?検察庁にとっては、意外な判決なのかもしれない。
 日本の刑事裁判と言うのは、被告が有罪となる確立が99.9%だと言われている。
 つまり刑事告訴されたら、それはもうほとんど有罪判決と同義であるというのが、日本の司法の姿だ。言い変えれば今回の様に警察に逮捕されて手錠をかけられたら、もうそれはすなわち自動的に有罪決定というのが今の日本だ。

 そういう状況下、福島の産科医はこの0,1%の狭き門を突破し、無罪を得た。それは多くの産科医師や医療関係者にとっては当たり前の判決である。
 そしてこれを逆に考えれば、0,1%の無罪判決を受ける事になった産科医に、手錠をはめテレビの前で連行する事を決めた責任者は、とんでもない判断力の欠損した人間だった。そう世の中や裁判所が判断してくれた事だとも言える。

 ここで検察批判の話をするのはどうかと思うが、やはりどう考えてもテレビ前で手錠を嵌め逮捕することを決めた担当者の責任は重い。お陰で産科医療の需給は逼迫し、分娩を取り止めた出産適齢女性の人数は1万人近くいると思う。あの逮捕が無ければ、生まれていたはずの赤ん坊の人数は、全国で数千人はいると僕は睨んでいる。
 これで検察が上告を決めたら、それは検察の信用を地に落とし、世の中が更に悪くなる事に繋がる。これから先はもう今日は書かないが、今後の流れも見て、自分の考えを時々の別の機会に書いていこうと思う。

 さてさて話はがらりと変わり、昨日僕はこの産科医逮捕事件に絡み、テレビ東京の夕方ニュースに出た。こういうネタでテレビに出ることを嬉しいなんてちょっとも思わないが、子供たちにテレビに出る僕の姿を見せ、偉大?な父親の仕事振りを示し、尊敬を勝ち取る絶好のチャンスだと言えなくもない。
 ところがこの夕方5時という時刻には、家に家族は誰もいない。そこで僕は買ったばかりの地デジテレビに、昨日の出勤前に録画予約を入れておいた。更にバックアップに自室の地デジPCにも録画予約も入れておく。

 しかし昨日帰宅後チェックしたら、あろうことかテレビにもPCにも画像は録画されてなかった。どうやらその原因は、テレビではハードディスクが何時の間にか一杯になっていた事で、PCではメイン電源が入っていなかった事にあるらしい(多分)。
 どうしても録画しておく必要があった訳ではないのだが、子供たちに親の仕事の感想を聞く貴重なチャンスを失ったのが残念に思えたりする。

 スイッチ一つで録画できると思い込んでもいかんし、逮捕≒有罪と思い込んでもいかん。自動式というのは当てにはならない。ちょっと強引なこじつけだが、最後まで何事もあきらめず詰めを誤らない様にしないといかんと改めて思う。
2008年08月19日
自分の事は分かりません
 上手い事分娩が昼間に固まってくれたお陰で、昨夜もきちんと眠る事が出来た。今日は一日中外来の火曜日で、ひたすらの仕事が続いたが、今のところ想定範囲内の忙しさで済んでいる。
 外来終了と夜の会議の合間には、隙を見つけて医局に行き、同僚医師らと共に、僕の出てくるニュース番組(午後5時からの速報!)も視聴できた。
 2日がかりで密着?取材をされた割には、僕の出てきた放送時間は1分にも満たない。思いを込めて話したインタビューの部分も、100分の1に縮めて流されていた。

 まあ下手に僕の話した検察批判の部分を強調し流されて、後々に禍根?を残しても困る訳だから、当たり障りのない無難な放送だった事は良かったと思う。
 他科の医師からは、「これではカッコ良すぎる、まるでまともな医者みたいだ」と放送中に突っ込まれたりもした。しかし一方自分では、何だか妙に自分がネクラな医者に見えて、何だか少し恥ずかしく思えたりする。

 僕は山と仕事の両方で、今まで何回もテレビに出た事がある。その度に自分が自分に持つイメージと、放送で流される自分の実像?の差にやや驚いてきた。
 今日も階段を登る自分の後姿がテレビに流れるのを見て、「僕ってこんなに太っていたんだなあ、変なよたよた歩きだなあ」と思い、少しがっくりしたりする。

 自分の事は自分では分からないものだ。肝心の放送の趣旨はおいといて、なんかそんな的外れな感想を持ち、その後も残りの仕事に励んでいる。
2008年08月18日
このOddsはあんまりだ
 昨日は僕が岐阜に行っている間、分娩は無く急患さん入院が一件のみで済んでいた。まあ落ち着いた日曜日だったと言えるだろう。今朝はまた分娩室からの連絡電話で起こされたが、睡眠は削られなかったので問題はない。今日は朝から分娩が3件と検査、外来、急患が続き慌しく忙しい。とはいえ月曜日からばてる訳にはいかない。今日もがんばって仕事するのみだ。

 さて今日は昨日の話の続きで、産科医療補償制度でどうしても気になる事について書こうと思う。
 関係ない人には全くどうでも良いかもしれないが、これから誰かの父母になる予定の方には、1件の分娩に付き3万円ずつお金が動く話だから、全く関係ないとは言えない。
 しかもその構造を詳しく知ると、結局は健康保険金が使われるのだから、ある意味全国民に関係している話とも言えるのだ。

 さて僕が昨日の説明会でどうしても腑に落ちなかったのは、その掛け金と補償金の割合、つまりこの制度のOddsについてだ。これから全国民は一分娩に付き30000円を、民間の損害保険会社(東京海上日動が幹事会社らしいですが)に掛け金として、ほぼ強制的に支払う事となる。その支払い補償額は重度脳性まひ一件に付き3000万円だ。
 理屈では、1000分娩に1件の割合で脳性まひが起こると考えると、一見適正なOddsの様な気はする。

 しかし僕の感覚では、1000に1の割合では今の日本において、重度脳性マヒは起こらない。
 周産期医療は日進月歩の世界だ。僕のところでも今迄産まれた3000件強の分娩で、この制度に当てはまる重度脳性マヒは今の所目に見えては一件も無い(多分)。
 これは運が良いだけかもしれないし、優秀は小児科医のお陰かもしれないが、とにかく1000分娩に1の脳性マヒ発症はちと多い。しかも出生体重2000g以上とか、33週以降とか、補償される脳性マヒには様々な条件がついている。こいつはいったいどういう訳だろう。これでは胴元の保険会社がぼろ儲けする可能性があるぞ。

 数字を考えればこれは恐ろしい話だ。1年で100万件の分娩が日本であると仮定すると、この制度で動く金は300億円だ。僕はこのOddsでは、胴元の保険会社に年100億近い黒字が出ると思う。この黒字が何らかの形で還元されないのならば、保険会社は儲け過ぎとなる。
 どうしよう家を建てる金があったら、東京海上日動の株を買うべきだった。今からでも遅くはないか?、僕は今まで株を買った事はないし、株について全くの素人だか、有り金全部下ろして東京海上の株を買おうか。真剣に迷う。
 なおこの制度を設計した準備委員会の方々の中に、保険会社の株を買っていた方がいたら、それはインサイダー取引だ。それほど僕はこのOddsに問題ありだと思う。

 尚この制度は5年以内に見直される見込みだ。だが保険会社の決算は多分1〜2年で分かる。僕は株について詳しくないし、各種リスクはある気はするが、海上日動の株を買って儲かるOddsは、この産科医療補償制度に3万払うOddsより、きっと遥かに良いだろう。損保会社の株を買う事を、僕は勧めたりなんてもちろんしませんが、皆さんどう思われますか???
 
 さてさて、ちなみにこの制度導入に当たり、国は健保よりの出産一時金増額を決めた。つまり皆の健保からのお金で損保会社が潤う体制になる。これはやはりどうしても好きになれない。
 こんなシステムは近い内に見直されるべきだ。具体的には補償対象を全ての脳性マヒ児にするようもっと広げるべきだろう。制度は残すべきだが、Oddは変えるべきだ。損保会社が濡れ手に粟で儲かる仕組みは許したくない。
 今日僕がこの日記に書いた事の正当性は、おそらく数年後に分かる。このあんまりのOddsが将来の無過失補償制度の未来に大きな影を落す事にならなければ良いがと、今僕はマジに思っている。
2008年08月17日
産婦人科の暑い夏
 昨日日曜日は、ほとんど唐突に、産婦人科医会から召集連絡が入り、岐阜県医師会まで産科医療補償制度説明会というのを聞きに岐阜まで出張する事となった。病院のお留守番は急遽、強い味方の開業医先生にお願いする。
 その代わりに昨日は開業医先生の分も産科医療補償制度について、しっかり聞いて来なければならない。

 さて産科医療補償制度と言うのは、どういうものかというと、簡単に言えば脳性麻痺で生まれた子供に対し、無条件に20年で3000万円を補償するという制度である。この3000万円は産科医の過失の有無にかかわらず補償されるのが原則となっている。
 その最大の目的は、産科医療における訴訟を減らし、産科医のストレス軽減から、産科医療崩壊を防ぐというものだ。
 説明していただいた日本産婦人科医会理事さんのスキームによると、これのより脳性まひの新生児が生まれることで生じる、産科医のその後の訴訟ストレスは格段に軽減されるとうい事になっている。

 その趣旨は有難い事で、産科医としては多分歓迎すべき制度なのだろう。
 厚生省、産婦人科医、法律家、病院評価機構の方々らが集って、急速に進む産科医療崩壊に対し、短い準備期間で作り上げたものとしては、努力の跡が良く滲み出ていて評価は出来る。
 とはいえその中味は、趣旨こそ良くても、気に食わない内容がやや多く、僕としては満足いくものではなかった。どこかどう気に食わないかは、書くと長くなるのでまた次にしよう。とにもかくにも優秀な彼ら官僚スタッフの努力を無にしない為に、僕も協力しないといけないとは思う。
 
 さてこの産科医療補償制度というのは、ちょっと前までは無過失補償制度と言われていた。無過失補償というのは、産科のみならず医療全般でどうしても起こりうるアクシデント的?な事に対し、医師が無過失でも公的に補償しようと言う制度である。
 現行の制度では、何らかの医学的に不幸な事になった方には、裁判で医師の過失を問わない限り、患者さんが金銭的に救われる道筋がほとんど無い。それではあまりに患者さんにも医師にも不幸で社会のマイナスに繋がる。

 なかでも脳性まひの子の子育ては、お金もかかれば時間もかかる。それは大変な苦しみだ。
 この苦労を補償するお金は、裁判経由で医師賠償によるものしかないというのでは、あまりに救われないと言うのは最もだろう。裁判以外に他に救われる道が無ければ、どうしても裁判を起こさざる終えなくなり、その結果、医師にとっても、患者さんにとっても、また社会にとっても大変な負担に繋がる。
 やはりこの無過失補償と言うのは、どうしてもあった方が良いと思う。不幸な患者さんへの補償が、医師賠償責任保険からしか出ないといのは、理屈上おかしすぎる。というのは医師の過失の有無にかかわらず、医療と言うのには何らかの結果リスクが必ず内含しているからだ。

 さてさてこの産科医療補償制度といのは、この無過失補償制度というシステムの日本における先駆けとなるらしい。
 だからこそ何とか成功させたいという思いが、関係者からは感じられた。今年の夏中に全ての産科医療機関に参加させて、事務的な準備を数ヶ月で終えて、来年正月から開始するという。
 今はその大詰めで、昨日の説明会は最後に今更中味は帰られないけれど、「今の内に言いたい事を言っといてくれ」という雰囲気ありありの説明会だった。僕もその機会に、言葉下手ながらいろいろと質問させていただいた。皆それぞれの立場で、産科医療崩壊を防ぐ事に必死なのだ。

 今夏はこの20日に大野病院産科医事件の判決がある。この結果によっては産科医療はおそらく激震に見舞われるだろう。数少ない産科医が更に減れば、皆共倒れなのだ。
 今年はお隣中国のオリンピックで連日暑い戦いが繰り広げられているのだが、産科医周辺でもそれに勝るとも劣らない?熱い戦いが繰り広げられている。そんな感じがひしひしと感じられる夏となった。 
2008年08月16日
中国と日本
 代務の先生もいない寂しい週末だ。しかも外は猛烈に暑い。土曜日は分娩こそなかったが、各種問い合わせ電話や急患さんの診察、及び引越し連絡の宛名書き等々に追われ、何となく過ぎていった。産科待機しながらの中途半端なお盆休みだと思えば、それでOKだ。
 親の影響だか、テレビの影響だか、未来の地球が気になるのか分からないが、親よりCO2削減に熱心な子供たちは、クーラーもガンガンには効かせてくれない。
 中途半端にしか効かせない28度?設定のクーラーの部屋で、オリンピック観戦などしながら過ごす。子供達は普段炎天下でサッカー試合をしているので、暑さには強い。一方僕は少々夏ばて気味だ。

 オリンピックではサッカーでも卓球でも柔道でもバレーでもバトミントンでも、中国との戦いがやたら多い気がする。結果は勝ったり負けたり様々だ。土曜はすっかり日中スポーツ大会を見ている様な感じだった。やはり同じ東洋人同士で得意な種目や好みの種目と言うのも似ているのだろう。

 一方テレビでは国会議員の靖国参拝のニュースが流れ、敗戦63年目の太平洋戦争ドキュメンタリー番組が次々と放送されていた。ドキュメンタリーはほとんど全て南洋のフィリピンやニューギニアにおける戦いの事ばかりだ。これはもちろん中国オリンピックに配慮しての事だろう。中日15年戦争のドキュメンタリーをオリンピックの裏に流す訳には行かない。
 それにしても南方での戦いの悲惨さはこれまた言語に絶するもので、オリンピックの裏番組で見るには、とても重いものであった。

 さて僕が始めて中国に行ったのは、今から20年以上前の22歳の時だ。当時中国は開放改革政策を始めたばかりの頃で、外国人が中国国内を旅行する事自体珍しい事だった。
 一方中国国民の間では民主化に対する期待や気運があり、どこか自由な雰囲気も漂っていた。その後天安門事件を経て中国はどんどん変わって行ったのだろうが、僕はその間隙を縫い、長い大学夏休みをギリギリまで使い、辺境をうろうろしたものだ。今ではとても懐かしい思い出である。

 さてさてテレビ映像を見る限り、北京の町並みは当時と隔世の感だ。立ち並ぶ北京の高層ビルを見ると、「これがあの北京なんてほんまかいな」という思いになる(CGだったりしてね)。
 いずれにせよこういう中国の飛躍的進歩も、平和のなせる業だろう。
 70年前の中日戦と比べて、今のオリンピックの戦いの方が遥かに平和で素晴らしい。応援の品の良し悪しとかが多少話題になっている様だが、不毛の殺し合いをするよりはずっとマシな事である事は間違いない。
2008年08月15日
お互い楽な仕事は無いですね
 僕の仕事振りを東京から取材に来て、待機していたTVディレクターさんは、真夜中の時間に分娩があることを強く望んでいた訳だが、昨夜は夜中の分娩無しで済んだ。僕にとっては有難い事に、今日も僕は寝不足感無しで仕事が出来る。

 とはいえ幸い、今朝出勤直後に何とか一件分娩が入り、ちょうど何だかんだと慌しい所をTVディレクターさんは取材できたご様子だ。
 わざわざ東京から2日がかりで取材に来て、一件も分娩が無いなんて気の毒だと思っていたが、そうとはならずまずは良かった。 ただ一方病院が最も暇?な、お盆の最中に取材に来る方が、ちとタイミング悪すぎと思えたりもする。

 さてそんなこんなで時間的にも余裕もあるため、昨日は僕のインタビューに時間も大分取られた。
 寝不足無く身体は元気なので、ここぞとばかり思いのたけをインタビューで話す。大野病院事件判決の直前というのに、ちとえげつない検察批評もしたが、それを言えるだけの資格は多分僕にあると思う。僕も人生削ってこの仕事をしているのだ。
 僕がこの手の事をしっかり発言しなければ、誰が他に発言してくれるのだろう、という思いもある(これで僕も何かで逮捕されたり、裁判を受ける身になればそんな事は言えなくなるだろうけどね・・・)。

 とはいえ多分放送では僕のインタビュー発言は、そのほとんどがカットされるだろう。その事はCBCの取材でも経験済みだし、それがマスメディアというものだと諦めてもいる。
 彼らもプロとして仕事をしている以上、絵になる映像も取らなければならないし、それなりの番組を作らなければならない。僕のインタビューだけで5分も10分も公共の電波で放送される訳はない。
・・なお放送は8月19日午後4時56分からテレビ東京系列のニュース番組で流されるそうです・・

 さてさて彼ら取材に高山まで取材に来た方たちは、テレビ東京の社員の方々ばかりだと僕は思っていた。
 ところが良く聞いたら、ディレクターさんはテレビ東京の派遣社員で、カメラマンさんらは富山の放送製作会社の方だという。ニュース番組もその多くは派遣社員さんと、外注でできているのだらしい。天下のNHKでも特集ニュースのほとんどは外部製作なのだそうだ。そんなものかと妙に感心したりする。
 
 昨夜もちと飲みながら、ディレクターさんと少し話をしたが、マスコミ関係者も医療関係者も、もちろん各種その他業界の方も、世の中甘い仕事は無いものだ。
 僕なんて我侭言って、大きな態度して、ちやほやされて?普段仕事している訳だが、実際は、尊大な世間知らずの甘ちゃんに過ぎないかもしれない。
 そう思うと、偉そうにインタビューに受け答えしていた自分が、恥ずかしく思える気持ちも確かにある。

どこまで僕の話が流されるか、期待はしないようにしよう
2008年08月14日
ご期待に沿えず楽な一日
 昨日から分娩も無く落ち着いた日が続いている。色々と心配な事もあるにはあるが、目前の自分の仕事ではないので気にしないようにしよう。常に目前の業務にベストを尽くす事が、今の僕には一番重要だ。
 さて話は変わり、昨日夜からテレビ東京の「速報ッ」という夕方ニュース番組のディレクターさんが、僕のところに密着?取材に来ている。
 来週20日に控えた大野病院産婦人科事件の判決に向けて、大野病院の産科医と同様な状況で働いている忙しい医者として、僕の大変な一日を取材したいのだそうだ。

 確かに僕は人並み以上に忙しい。その上責任重大なプレッシャーもある。こういう状況を好意的に報道してくれるのならば、それを拒否する事は無い。報道により少しでも産婦人科の労働条件改善に繋がれば言う事は無い。わざわざ日本の首都東京から取材に来る訳だし、ここはそれなりに僕も取材協力すべきだろう。

 ところがこの8月14,15日はお盆で、例年病院が最も暇で楽な時期だ。
 テレビ局側としては僕が猛烈に忙しく働いている所を取材したいご様子だが、今の所僕の業務はかなり楽で、その思惑は大いに外れている。またテレビ局のクルーの方も、患者さんらのプライバシー保護の問題で、その絵の設定に苦労している。
 これは昨年のCBCテレビの取材の時と同様だ。また僕も役者さんではないので、ディレクターさんの思い通りに行動するかと言うと、そうもいかない。

 とにもかくにも、このままでは彼らは、僕の最も楽な一日を取材する事となりそうだ。
 仕方が無い事であるが、それほど忙しくない僕の姿を見せ(程度問題ですが)、申し訳なく思うと共に、勿体無く思ったりする。

 こういう日にこそ、分娩や急患さんが重なり、ぐっと忙しくなれば良いのにと思ったりする。しかし今の所その期待は大いに裏切られている。普段死ぬほど忙しいと訴えていながら、それほど忙しくない姿を取材されると、これでは逆に「看板に偽りあり」と指摘されそうだ。

 普段、僕は呼び出しや深夜業務を出来るだけ減らす事に心血注いで努力している。そうしないと身体が持たないからだ。
 しかしテレビ局が来ている時は、逆に「夜に呼び出し電話でもあれば良いですねー」なんてディレクターさんと話していた。
 せっかくのテレビ取材を裏切るようで残念だが、これも仕方が無い。余裕があるのを勿体無いと思い残念がるのも、あまりにご都合主義すぎると言うものだろう。 

東京からの取材でしたが、僕には楽チンの一日でした
2008年08月13日
学会とか医会とか医師会とか
 昨日も忙しかったが仕事はまあまあの時刻に終わった。ちょうど三男のサッカー練習のスクールデイに当たり、親さんも交えてサッカー練習が出来る日である。
 僕のようなサッカー素人オジサンには、小学5年生の選抜チームと混じって練習するのが、レベル的にもちょうど良い(多分)。
 というわけで昨晩も急いで夕食を食べて、小学校に向かおうとしたが、身体が疲れきっていて寝不足は無いのに元気が出ない。週末の飲みすぎが今になって影響しているのだろうか。仕事が忙しすぎるからだろうか。多分その両方だろう。

 腰痛や肩こり、尻痛も酷い。昨夜はそんなこんなで子供と一緒にサッカーするのは断念した。
 そういえばここの所、僕は、右側ばかり、背側の肩から尻にかけて筋肉痛が酷い。仕事中もいつも痛いので集中力も保てないし、すぐにイライラした気分になる。
 その事を配偶者に訴えたら、これは新しいマットレスのせいじゃないかと、すかさず指摘された。
 僕は3週間前の引越しに当たり、子供の机を買うついでに通販で、低反発快適すやすやマットと言うのも同時に注文した。これを使えば睡眠がより快適になるという謳い文句についつい気持ちが惹かれたからだ。

 届いたマットは確かに柔らかくていかにも気持ち良さそうである。
 こりゃいいわと引越し当日夜から、この低反発マットを使って寝だした。ところがそれがいけなかったのだろう。ふわふわマットは確かに気持ちはよいが、逆に身体が一箇所に落ち着かないという欠点がある。

 寝ている間に、固定されない身体に背中の自律神経が反応し、知らず知らずの内に筋肉に刺激が入っていたに違いない。その持続的筋緊張から背部痛を生じたのだろう。確かにそれは当たっているに違いない。 
 柔らかすぎるマットはかえって筋肉痛を生むのだ。そのことにはたと気づいた僕は慌てて深夜にマットを外した。
 折角の新品マットはお蔵入りだ。そんなこんなで元の硬い古びた敷布団に昨夜から戻った訳だが、確かにその方が少し背部痛にはマシな気がする。

 さて今日は朝からペーパーワークの水曜日。出勤後から4件の急患さん受診が続き、何時もながらに慌しい。幸い世間はお盆休みという事で、集団検診や人間ドックは休みだったから、その分救われた。貯まった様々な雑用もこの機会にできるだけ片付ける。各種連絡事項も今日は比較的多かった。

 さてまたここで話はガラリと変わり、僕のところにはほとんど毎日、日本医師会、岐阜県医師会、高山市医師会、日本産婦人科学会、東海産婦人科学会、岐阜県産婦人科学会、日本産婦人科医会、岐阜県産婦人科医会等の医師団体から、各種業務連絡?の手紙が届く。これらの学会、医会の違いをここで説明する字数は無い。

 特に産婦人科関係は今周囲の注目を浴びやすい状態になっているので。それに絡み連絡事項もどんどん増えている(学術的なモノはどんどん減っていますが)。これらの連絡事項の中にはもちろん非常に重要なものも含まれているし、連絡文章の行間から担当理事評議員の苦労努力もにじみ出ているものもある。

 とはいえ僕は人生はできるだけシンプルにしたい人なので、余分?な学会にはできるだけ加入しない様心がけている(それをズルイと考える方もいますが・・)。
 たくさん学会に入ると肩書きが増え喜ぶ医師も中にいるけれど(勉強のために入る医師が主です。これは念のため)、僕はこの手の肩書きはできるだけ少ない方が良いと考えちゃう人間だ。

 しかし上に書いた8つの学会や医会、医師会は、高山で産婦人科の看板を掲げると、ほとんど強制的に入らなければならない。自分らの権利を守るためや勉強のための会とはいえ、少し複雑な気はする。ちなみにそのうち先の3つの会費は病院が払っているが、後の5つの会費は僕がポケットマネーで払っている。その金額もここには書かないが馬鹿にはならない金額だ。

 とにかくもちょっとこの辺の所属団体の事もシンプルになればいいなあと思う。その方が厚生省も医師相手に仕事し易いだろう。
 医師の世界も複雑で一筋縄では決していかない。学会と医会、医師会を分ける事には議論もある。さてここから先に書きたいネタが山ほどあるのだが、今日の日記は前書きだけでもう一杯だ。
2008年08月12日
やっぱり分からん不動産の世界
 昨夜の最後の分娩は、とある理由で胎児仮死(今は胎児呼吸循環回復不全と言うらしいですが)での娩出となった。
 僕のところでは多くの他の産科病院と同様、全ての分娩で医師がつきっきりになる事は不可能である。
 分娩経過中から娩出直前に至るまで、その管理は事実上全て助産師さんに任してある。待機の医師は助産師さんに呼ばれて始めて出動する。これはどこの産科病院でも概ね同様だし、そういう風にしないと世の中の分娩業務と言うのは回っていかない。

 昨日は娩出直前に過強陣痛となり、胎児の苦しい状態の時間が、長くなり過ぎたと考えられる。この辺もしもう一人産科医師がいて、時々分娩を見てくれていたら、吸引をかけることで胎児仮死を避けれたかもしれない。
 しかしそういう事は後から言うのは易いが、実際の現場で上手く行くとは限らない。現場での判断は常に幾つもの選択肢の中からの選択であり、その選択がベストであるか否かはその場では分からないのだ。
 後からこうすれば良かったと反省するのは大事だが、その判断にも運不運があるという事は、絶対の真実である。

 さて僕の病院では医師の少ない分、その足りないマンパワーを助産師さん充実により補っている。
 しかし危機管理という点では医師の少ない事がハンディとなる事は多い。昨日はそういう事例であったのだが、そういう事はしょっちゅう起こりうるのだから、僕の気は全く休まらない。

 昨日はそんなこんなで帰宅は大分遅くなった。遅い夕食を食べ、貯まった郵送物を開封して、各種連絡を済ませ、WiiFitとストレッチをちょっとやって、風呂に入ったらもう真夜中だ。
 これで深夜に呼ばれたら僕の睡眠時間は無くなるという訳だが、幸い深夜業務は無しで済んだ。今朝の医局会にはやや遅刻して出席する。今日は一日ひたすら外来の火曜日だが、今のところは何とか無事に済んでいる。

 さてさていきなり話はがらりと変わり、先日僕は自宅の家屋、土地の登記を済ませた。
 以前にも似たような登録事項があり、何故かは知らんが、今回の新築で登記をしたのは3回目である。何故か登記簿(多分)も3通あるが、中味を見てももちろん何が何だか分からない。
 3つの登記事務所を通じて行われている諸費用も馬鹿にならない金額になった。
 トータルでは最初にかかると言われた、新築にまつわる諸経費の中に納まる金額だから、問題は無いのだが、その不動産システムの複雑さと不透明さ、意味不明さが僕は嫌だ。中になにか間違いあってもこれではさっぱり分からない。

 僕は家建物自体は高い買い物だと思わない。むしろ安い気がする。土地は高い気がするがそれはおいといて、仲介手数料、各種証紙代、印紙代、検査申請手数料、各種登記手数料、等々の諸費用は少しおかしいと思う。
 大事な事なのかもしれないが、本当は今時もっとこの手のものは節減できるんじゃないか。

 これからの少子化社会、原料高時代において、世間の生活水準を維持するには、世の中に無理ムラ無駄を無くすしかない(画期的イノベーションでもあれば別)。
 僕は目に見えて分かるモノもしくは感じるモノにのみ価値を感じる人間なのかもしれないが、とにかくこの手の訳分からない登録手数料関係は、僕の大嫌いなものである。
 この辺で、僕以外の家を建てられた多くの同世代の方々は、いったいどう思ってるのだろう。こんな事をやっていると新たに不動産を買う人は、ますます減る一方だと思うのは僕だけなのだろうか。
2008年08月11日
数も多いし、危険も多い
 せっかくの貴重な代務医先生のいる週末だったが、結局何だかんだと色々あって山に行く事は無かった。その代わり代務の先生のみえる事を良い事に、毎晩お出かけしては、時には昼から、時には夜から飲んでばかりで過ごした。

 今は夏山シーズンの真っ盛りだが、この暑さではたとえ北アルプスの高峰に登っても、涼を求めての山行にはほとんどならない。真夏のこの時期は、僕の登山ではオフシーズンに当たる。
 涼しく過ごしたいのならクーラーの効いた部屋の中でじっとしている事が一番正解だ。運動不足は気になるが、美味しいものも随分と食べれた。こういう週末の過ごし方もたまには悪くないと思う。

 さて、とはいえ病院ではこの土日にも想定外の分娩があり、代務の先生もそれなりに大変だったご様子だった。
 今日月曜日も午前中は外来業務に追われ、昼からは手術が2件あり、更に手術後も午後の予約診が待っている。
 昼過ぎまでは、心優しい代務の先生の力を借り、それなりに元気にこなしたが、代務の先生が名古屋に帰ってしまうと、宿題を残して夏休みがあっと言う間に終わってしまった小学生のように、寂しい気持ちになったりする。

 夜に入り、やっと出来た病棟回診も、疲れ果ててのくたくた回診となった。ところがその回診の最中に、分娩室から緊急コールが入る。どうやらとある早産の陣痛が過強になっていたらしい。小児科の先生の出動も要し、児は日赤へ搬送となった。
 朝から晩まで働き尽くめで、最後にこれは無いよと思う。その後の膣壁裂傷縫合にも特別な注意を要した。

 まったくこの仕事は特別な仕事だと思う。注意をしていても次々と想定外の出来事が起きる。その数も多い。しかもそれ以外の通常ルーチン業務もまた多い。

 地震や火事、雷災害のようなたまに起こる事に対して備える仕事と言うのは、多分普段平常時ははそれほど忙しくないのだろうと思う。その代わりにいざという時に、特別な獅子奮迅の活躍を期待される。
 しかし僕の仕事の場合は普段も散々忙しいのに、その上にいざと言う事がしょっちゅう起こり、その度に全力の努力を要求される。これでは確かに身が続かない。

 もう産婦人科医になるのに医師の資格なんて要らなくていいと思う。大工さんや各種職人の様に、やる気があれば直ぐに徒弟制度のトレーニングに入り、それなりの修行と淘汰期間を経ればすぐにプロになれる。
 そういう風にでもしないと、このままでは近いうちに、この仕事はいずれ需要はあってもやる人がいなくなるよと、本当に思えたりもするのだ。

日曜の昼には、豪華海産物と生ビール片手に、子供達とバーベキュー


宴会は夜まで続く。これもなかなかハードだったり(写真に異議ありの方はメール下さい。直ぐに削除します)
 
2008年08月09日
高山の夏を楽しみましょう
 今朝早くにも分娩があったらしいが、代務の先生のお陰で僕は出動を要さずに済んだ。金曜の仕事は夜中まで続くハードなものだったので、土曜の午前中はしっかる休養に当てる事とする。寝坊が出来て嬉しかった。

 土曜の午後から中途半端な時間が出来たので、各種偵察や食事、夏の観光で楽しく過ごした。高山は基本的に観光地なので、暑くてもそれなりに遊べる所はある。
 そんな写真を数枚アップしておきます。

飛騨鍾乳洞の戻ってきた金塊、ふれあいの金塊がバラバラに。それを展示する商魂にも脱帽。


川でも遊べます


夜は手筒花火を見たりして
2008年08月08日
いろいろな人生
 木曜の夜も2件の分娩が続き、やや慌しい夜となった。ただそれほど睡眠時間は削られず、残念な結果に終わったオリンピックサッカーもテレビ観戦する事が出来たから、特に問題は無い。
 今日の午後から久しぶりに代務の先生が高山に来てくれる。それが僕にとっての心の支えであり、夏の楽しみでもある。

 さてそういうわけで午後からは、代務の先生と3件の手術があった。どんな手術が説明する事はできないが、いろいろな手術だ。夜には中学サッカーの慰労打ち上げ会もあり、長男のいる東山中が優勝した市大会の話で中学サッカーの親さん監督コーチらと様々な話で盛り上がる事も出来た。代務の先生のお陰で気兼ねなく飲めるのは有難い。
 
 さてそれでも僕はとある理由で深夜に出動を要した。
 今日も代務の先生と話をしたが、産婦人科と言うのは本当に色々な事が起こるドラマチックな科だと思う。分娩もあれば、亡くなる方もいる。不妊化手術を希望される方もいれば、とある理由で泣く泣く不妊化せざるおえなくなる場合もある。
 そんな事が金曜夜だけで次々とあったのだが、まさしく人生色々と感じさせられる一日であった。この金曜午後から深夜にかけて起きた事だけで、一冊の本が書けたり、テレビドラマを2、3本作れるだろうが、それらはここに書けないのは残念だ。
2008年08月07日
愛車も身体もメンテナンスが重要
 昨日は書類業務が主で、午後の集団検診も無かった。書類や病棟業務を猛スピードで片付ける事で何とか時間を作り出し、最近エンジンに不整脈が出てきた愛車を、久しぶりにディーラーまで持って行った。
 僕の愛車オンボロイプサムは、名古屋にいる時に買ってから、かれこれ10数年が経った。走行距離ももうすぐ20万kmだ。この手の乗用車では今時珍しい距離を走っているので、エンジンに多少の不具合が出るのも当然だろう。

 それでもさすが日本の誇る大企業トヨタのディーラーメカニックさんは、たちどころにエンジンの問題点を発見すると、たちまち直してしまった。原因はただ単に使いすぎによるスパークプラグの磨耗だったらしい。ついでにエンジンオイルとフィルター交換。及びオイル潤滑材を足してもらうと、またまたエンジンは買った当初とほとんど同様の調子良さを取り戻した。

 こんなに調子が良いのなら、他に買い変える理由が出てこない限り、もう愛車ご臨終の時が来る日まで、この車に乗り続けようかと思ったりする。帰りに行きつけ?のセルフガススタンドの洗車マシンをくぐり、車の中を少し掃除すると、古い車でも何となく気分良くなったりする。

 思ったより早く車の修理が済んだので、その後は三男のサッカー練習にも少し参加させていただいた。
 車のメンテの次は自分の身体のメンテと言う訳だ。
 年の割りに若い所を見せようと、小学5年生に負けないように基礎練習に励む。ついで家に帰ってからは、子供らに野次を飛ばされつつも、1時間に及びみっちりとWiiFitでヨガやバランスゲームに勤しんだ。もちろんその後は、古びた身体に大事なガソリンであるビールは欠かさない。
 こんな事でいつかある日の高所登山ための基礎体力が付くとは思えないが、これも身体のメンテナンスの一つと思えばOKだろう。

 車も身体も長い事使う内に、あちこちにボロが出てくるのも当然だ。あまり考えたくは無いが、僕の年齢というのは人間本来の生命体としての寿命には、かなり近づいてきている。
 時々心臓に不整脈が出るのも、何だか車と自分のコンディションは似ている気がする。古い車を何時までも捨てれないのは、車と自分を重ねあわせて見ている点があるのは間違いないだろう。

 さてさて今日も仕事は忙しい。外来は比較的早く終わったが、病棟には生まれそうな方数名が残り、亡くなられそうな方もみえる。
 おそらくこの調子では、今夜は深夜にかけて何回か起こされるだろう。明日は手術が3件でおそらく寝不足手術となる見込みだ。やや悲鳴を上げ気味の心身が、無事に耐えてくれるかどうか今から心配だったりする。とにかくは今更どうにもならない。仕事は多少無理してもこなすしかないのだ。

 車は部品を交換すれば調子を取り戻すが、身体は無理してでも使い続けるしかない。少しでも身体を長続きさせるためにも、車同様身体にも、普段からの欠かさないメンテナンスが重要なのだと改めて思う。

愛車の修理の後は


自分の身体もメンテする変なおじさん
 
2008年08月06日
大人も子供も皆それぞれで
 昨日は分娩を2件挟み、何だかんだと気を使う外来が続き、やや気持ちが消耗する一日となった。
 帰宅も遅くなったが、ここはビールを飲むのを、まずはぐっと我慢する。たまには運動でストレスを減らすべきだ。遅めの夕食を急いで食べると、フィットネスバイクを漕ぎに夜9時過ぎからクアアルプに出かける事とした。
 さあ出かけようとすると、配偶者から子供達もついでにクアアルプのプールに連れて行けと指示が出た。普段親らしい事は何も出来ないのだから、それくらいやるのが当然と言う訳だ。

 なお僕の勤める病院にはお盆休みは無い(たとえお盆休みがあっても。代務医がいなければ同じ事ですが・・)。
 マンパワーに余裕のある科の医者は、それでもお互いに都合をつけあって夏休みを取れる訳だが、一人部長の僕には夏休みというのが全く無いのが通年の事だ。
 僕に夏休みが無いと言う事は、すなわち学校夏休み中の子供たちを、泊まりがけの旅行に連れて行く事も出来ないという事だ。だから家では毎年夏のお出かけはせいぜい富山の海水浴場どまりである。つまり家の子供には夏の旅行の思い出というのが全く無いに違いない。

 しかも今年はサッカー大会やら、僕の仕事の都合やらで、富山の海水浴場に子供達を連れて行く日すらできない見込みだ。「それではあまりに可哀想じゃないの」という思いは、あまりにもっともである。
 それじゃあせめて今から、夜11時まで開いているクアアルプに家族で行こうと誘ってみた。
 ところが意外な事に、長男、次男は見たいテレビがあるらしく一緒に行かないと言う。結局僕についてクアアルプまで来てくれたのは三男一人だけだった。こういうのもちと寂しいと思ったりする。

 なおこのクアアルプと言うのは、一度倒産しかかったのを、数年前に公的資金?注入し経営継続が決まった高山の温泉施設だ。
 さすがに一度潰れかかった施設だけあって、夜に行けばとっても空いている。しかも小学生の入場料は僅か200円だ。
 200円で温水プールと温泉に入れるのだから、小学生には滅茶苦茶お得だと思う。この値段設定に、他の銭湯や温泉や市民プールはどう思ってるのだろうか?

 いわゆるこれは公的資金を使ったダンピング値段なのだろうが、それでも客足はあまり延びてない様だ。これでは確かにクアアルプの将来は暗い。しかし僕はまたそういう日陰者みたいな施設が好きで、なぜか回数券を買って割と足繁く通っていたりする。

 さて話は戻り、クアアルプから帰宅し、多少の電話連絡など済まし、さあ一息ついてビールを飲もうという段取りに入る。
 ところがプシュとする寸前にまた分娩室から呼び出し電話が入った。泣く泣くビールは後回しにし、まずは出動し仕事だ。
 その後、深夜就寝中にも、またもう一回別の分娩で呼び出された。楽しみのビールも様々な都合を考慮し、寝る前のロング缶半分だけとなる。ちと悲しいが、たまの休肝日だと思うしかない。
 
 さてさて親も子供も何処かに行きたい夏だ。
 とはいえそれぞれの都合や思惑更には仕事等々があり、家族や職場単位で皆一緒に何処かに出かけるというのが難しい時代でもある。この事は病院の職員旅行や飲み会の参加者が徐々に減っている所からも伺える。

 テレビやネットを通じてコミュニケーションツールが普及した現代では、家族や職場単位の旅行よりも、住まいは遠くても同好同趣味を持ったもの同士の交流が盛んになるのは当然なのだろう。
 これを個の時代への進歩と捉えるか、身勝手な個人主義と捉えるか、それはまたそれなりに悩ましい感じはしたりする。
2008年08月05日
サッカーの世界と登山の世界
 昨夜も就寝前の時刻に分娩一件と急患さん診察一件があり、それぞれ出動を要した。
 共に緊急性の無いものだったが、家族と共にドラマや映画やWiiFitを楽しむ時間は損なわれる。まあもともと家では、そういう時間は無いものと皆思っているから問題は無い(多分)。
 今日も朝からひらすらの外来が続き、合間には分娩が2件。ちと質の良くない疲労感が残った。暑さのせいか元気も無いし、腰痛も辛い。
 こういう時は何らかの運動で汗を流してビールにしたいが、運動する気力も沸いてこないから困ったものだ。運動無しでビールに走るとますますメタボが近くなるし、つまりここのところ夏バテ気味なんだろうとは思う。

 さてこの土日は子供とのサッカー三昧の週末となった。JC杯というのは高山の少年サッカー界で最大の大会らしい。かれこれ30年近く続けて、夏のこの時期に行われている。
 高山でも温暖化が進み、猛烈にこの時期暑いのだが、にもかかわらず親さんのみならず多くの地元サッカー関係者が、手弁当で大会運営に参加している。中には仕事を差し置いて協力参加する方もいて、頭が下がる思いだ。
 端々でサッカー関係者の、サッカーを愛し、後世に伝える思いが感じられる大会だった。こういう下からの積み重ねが、トップのサッカーエリート達のレベル嵩上げにも繋がるのだろう。

 さてさてこういう大規模?な大会を見ると、思わず僕は自分が学生時代関係していた登山の世界の事と比較してしまう。
 登山と言うのはサッカーと比べて驚くほど層が薄い。僕の高校時代でも、サッカーで選手として国体に参加するのは大変な事だったが、登山で参加するのはちょっと体力があれば直ぐに可能だった。
 大体山岳部というのは、野球やサッカーについていけない人が行うものというのが、今も昔も学生部活でのイメージだろう。

 特にその差は、後輩の育成分野で顕著だ。登山の世界では後輩の育成と言うのは、組織的には全く考えられていない。
 その結果が今の登山の高年化に繋がっているのだろう。
 この時期夏山を歩いている人はほとんど中高年だ。30年位前は夏になると、1ヶ月くらい山に入りっぱなしになる若者が大勢いたが、今はそんな人はほとんどいない。

 何でも日本山岳会の平均年齢は現在60歳を軽く越えているのだそうだ。20代の山岳会員は数えるほどだと言う。僕の母校の名古屋大学の山岳部は、とうに部員不足で10年程前に姿を消した。
 要するに登山にはサッカーほどの魅力が無いのだろう。そう言われればそれまでなのだが、なんだか悲しい気もする。
 僕も本当に登山を愛しているのなら、暑さの中でもサッカーをサポートする方々を見習い、たとえ暑くても岩や沢を若人と行う根性を出すべきなのだろうとは、思っているのだけれど・・・。

子供も暑ければ、監督コーチも暑い


中3の長男も線審としてお手伝い
 
  これ以前の日記は削除しました。