第61回名古屋をどり
「名古屋をどり」は日本舞踊の祭典です。9月6日から15日。中日劇場
【社会】海自側、次々と異議 落ち着かない様子も イージス艦事故審判2008年9月4日 夕刊 海上自衛隊のイージス艦「あたご」が漁船に衝突し、船長父子の命が奪われた事故からほぼ半年。事故原因を究明する海難審判が4日、横浜地方海難審判庁で始まった。事故後、海自側のずさんな安全管理体制が次々に明らかになったが、審判であたご前艦長の船渡健一等海佐(53)らが事実関係で反論。遺族から「真実だけを話してほしい」との声が上がった。海自の組織責任が審判で裁かれる。 「漁船の位置に関する記述は、意見が異なるところがある」「私の行動も一部、順序が異なる」。海難審判理事所の申し立てを大筋で認めるとみられていた船渡一佐ら指定海難関係人は次々と異議を唱えた。 理事官が審判開始の申立書を読み上げる間、5人は手元の資料に目をやりながらじっと聞き入った。衝突直前の艦内の様子が生々しく語られると、当時、当直士官の長岩友久三等海佐(35)は落ち着かない様子を見せた。 意見陳述で船渡一佐は「艦長として責任を感じている。亡くなった2人には申し訳なく思う」と謝罪を口にしたが、その後、船渡一佐をはじめ、長岩三佐や事故直前に当直士官だった後潟桂太郎三佐(36)らが、はっきりとした口調で申し立ての一部を否定。長岩三佐は「清徳丸の右転により新たな危険が生じ、衝突した」とも述べた。 漁船「清徳丸」が所属していた千葉県の新勝浦市漁協の外記栄太郎組合長(80)は「自分の身はみんなかわいいんじゃないか。国と防衛省はもっとしっかりしてほしい」。市原義次理事(55)も「納得できないことばかり。前艦長も無責任な感じがする」と強い口調で話した。 一方、遺族席では亡くなった清徳丸船長、吉清治夫さんのおい祥章さん(19)が険しい表情でメモを取った。休憩時に「洗いざらい話し、真実を明らかにしてほしい」と語った。
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