現代コリア

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孫正義氏と民族差別
佐藤勝巳

 

    「文芸春秋」96年11月号の「孫正義 本業なき投資家の暴走」についてを読んで気にかかることがあった。それは筆者立石氏の民族差別の捉え方についてである。

 

    同号133ぺ-ジ下段に孫氏が、民族差別を受けた例として、幼稚園時代日本人の友達に石で頭を打たれたことを契機に出自を隠すようになったと言っている。この事実が、即民族差別だと断定することができるかどうか。


    私の知人の子供は、日本人で小学校一年生の女の子である。大変活発な子で、同級生の男の子の頭髪をハサミで切ったりして、しぼしば母親が学校に呼び出されたりしている。頭髪を切られた子供は日本人である。もし切られた子供が、在日韓国・朝鮮人の子供なら、民族差別になるのだろうか。

 

    孫氏の場合、日本人幼稚園児が民族差別意識を持っていないと成り立たたない話だ。だが、それを証明することは至難なことだと恩う。過去、民族差別間題に関わった私のささやかな体験からすると、彼らが出自を隠す大きな理由は、自分の両親や祖父母などの言動が、日本人の友達のそれと著しく違うことである。

 

    在日の子供たちの父母の言動は、朝鮮半島では珍しくないことであっても、日本あっては異質のものだ。在日の子どもたちは、いやでも自分の両親と日本人のそれと比較することになる。一例を挙げるなら、多くの在日韓国・朝鮮人二世たちは、父親から「暴力」を振るわれた経験をもっている。同世代の日本人の父親は、例外はあるにせよ子供に対してしばしば暴力を振るう人はまずいない。

 

    そのほか色々な違いがあるが在日の子どもたちは、日本の社会では絶対少数者だから、自分の両親などを多数者の日本人に比較し、自分の親たちが劣っていると考えるようになっていくのである。自分の出自を隠す基本的な原因は、以上のようなものだと思う。一方、日本人の方は、日本人の価値観で、在日韓国・朝鮮人を測る。そこから出てくる答えは、当然のこととして否定的なものになる。日本人の中で、特に、在日韓国・朝鮮人を否定的に見ている人たちは、彼らと多く接触した経験のある人たちである。かつて私が、亜紀書房から『在日韓国・朝鮮人に間う』を出版したとき、読者から大変多くの感想文をもらった。特徴は、どの手紙も、具体的な事実が延々と記されていたことである。「いわれなき差別」という言葉があるが、小生の見解では「差別にいわれはある」というものだ。


    したがって134ペ-ジ上段にある「日本で生きていく限り、在日韓国人としての自分を受け入れようとしない社会、周囲の敵(日本人)とも共存していかなければならない」という記述は、いかがなものだろうか。

 

    在日韓国人を受け入れない日本社会が良くないと書いてあるが、日本社会が在日韓国人の何を受け入れないというのだろうか。ここで言われていることが、韓国人を理由に就職などを拒否していることを指しているのなら、誤解と言わなければならない。ここ十年近く、民族差別反対運動をやっている人たちの機関誌を見ていても、そんな事例は一件も報道されていない。

 

    今はそうでもないが、少し前までは、労働力が不足して東南アジアなどから大量の労働者が日本に不法入国していた。彼らは日本語が殆どできない。在日韓国人の二世以下の人たちは、日本で生まれ、日本の学校で勉強し、日本の文化の中で日々暮らしている。本国の韓国人から見れば、日本人と見分けることはできないほど、果てしなく日本人に近い人たちである。そのような人たちの就職を日本の企業が何ゆえに拒否しなければならないのだろう。

 

    在日三世を語るとき「民族差別」去々は、現実にあわないような気がしてならない。なぜなら、最近、在日韓国・朝鮮人の結婚総数の82パーセントは、日本人(男女)と結婚している。在日同士の結婚は、20パーセントを切っている。差別が最も集中的に現れるのは結婚と就職だ。上記の結婚数は、日本社会に民族差別が無くなりつつあることと、当たり前のことながら彼らが日本社会に近づいてきている証明ではないだろうか。在日の三世らが、「周囲の敵と共に共存しなければならない」云々は、現実を反映した記述ではないように思う。