
直江兼続が結納の使者に贈ったとされる「勝兜」=金沢市の藩老本多蔵品館
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来年のNHK大河ドラマ「天地人」の主人公で上杉家に仕えた名臣、直江兼続(なおえ
かねつぐ)(一五六○―一六一九)ゆかりの兜(かぶと)が加賀八家の一つ本多家に保管
されていることが三日までに分かった。本多家の初代、政重(一五八○―一六四七)が兼
続に請われて婿入りした際に、結納の使者に返礼として贈ったものとみられ、十九日から
金沢市の藩老本多蔵品館で初公開される。
金沢市内にある本多家に保管されている史料をひもとき、十五代当主の本多政光氏、本
多俊彦高岡法科大専任講師、長谷川孝徳北陸大教授が確認した。
兜は、冠のような形をした変わり兜の一種で、漆や金箔(きんぱく)で装飾されている
。出羽(山形)の最上義光(もがみよしあき)との戦いで実際に使われ、兼続に献上され
た縁起物の「勝兜(かちかぶと)」と伝わっている。一六○四(慶長九)年に兼続の娘婿
として政重を迎える際に、徳川家の側近だった政重の父、本多正信が直江方に結納の使者
を派遣しており、勝兜に添えられた記述から、兼続がその返礼として使者に贈ったものと
推定される。
同年に主君の上杉景勝と兼続がそれぞれ政重にあて、「(上杉家の本拠地)米沢にいつ
でも来てほしい」という内容を記した書状も確認された。
政重の直江家への婿入りは、関ケ原の戦で覇権を確立した徳川家との結び付きを強めた
かった外様大名上杉家の狙いがあるとみられる。長谷川教授は「家宝である勝兜を使者に
贈ったことからも、幕府と上杉家のパイプ役としての役割を期待し、兼続が政重を心待ち
にしていたことがうかがえる」と話した。
今回見つかった史料からは、主君を次々と替えた典型的な「渡り侍」である政重が、転
々とする中で次第に独自の家臣団を形成していったことも確認された。
当時、主君を替える際には家来を残して行くのが通例とされていたが、一六八三(天和
三)年に作成された大坂の陣(一六一四―一五)の功名帳「大坂御褒美之面々并御普代之
面々」には、関ケ原の戦後に安芸(広島)の大名福島正則に仕えた時や、米沢に行く前に
加賀で召し抱えた家臣、米沢時代に兼続の命で政重付となった者も記載されていた。
政重は一六一二(慶長十七)年に直江家から前田家に帰参する際、完全に直江家と縁を
切って出奔(しゅっぽん)したとみられていたが、直江方の家臣を引き連れていることか
ら直江家に筋を通し、前田家の受け入れ態勢もある程度整っていたとも推定できる。
長谷川教授によると、政重が家臣にそれぞれ適当な禄(給料)を与え、家臣の統制をし
っかり取っていたことから、強固な主従関係が形成されたと考えられるという。
これらの史料も勝兜と合わせて藩老本多蔵品館で開かれる特別展「直江兼続と本多家」
で初公開される。十月五日には長谷川教授と本多専任講師による講演も予定されている。
直江兼続 安土桃山時代の武将で、上杉景勝に仕えた。豊臣秀吉がほれ込み、徳川家康
が恐れた「義」の人と伝わっている。「愛」の字を前立にあしらった兜をかぶっていたこ
とでも知られる。