世界経済のパワーバランスは急速に変化しつつある。原油や資源の高騰、高止まりによって資源国への膨大な所得シフトが生じていると共に、米欧の金融・経済の混迷、そしてなお強い発展のポテンシャルをもつ新興国の勢いによってである。
その象徴の一つが北京オリンピックだったと思われる。開会式や閉会式の鮮烈で重量感のあるパフォーマンスは、次の開催地ロンドンとの対比においても、新興国としての意思やポテンシャルを実感させられた。
このパワーバランスの変化は欧米が主導してきた20世紀以来のパラダイムの限界をも示している。人間を含め、すべてを資本増殖の手段としてフロントを切り開いてきた資本主義の経済は、未曽有の繁栄を人類にもたらした。
しかしその副作用は人間としての連帯の絆(きずな)を切り、人生と仕事を分断して生きがいを見失わせ、それによる疲弊と虚無感は無視できない社会現象にもなってきた。国や会社が栄えれば人々も幸せになれるという希望は影をひそめ、何のための経済、経営の拡大であったかが見えなくなっている。
これを打開するにはやはり人間が人間として成長し、生き生きと生きられることを目的として、すべてを編み直してゆくことが根本ではないか。それが理想論でなく、現実に問題を解決する力もあることを実証することが必要だろう。
21世紀はBRICsの時代と言うが、これらの国々がそうした人間重視の発想や生き方になるのはまだ程遠い。その空白を埋めるのは、やはり日本に託された働きであるように思われる。困難はあってもそのような志をもった経済や経営への道をめざすことが本当の活路になるのではないか。(瞬)