北京五輪は、数々のドラマを生んで閉幕した。日本の選手では、ソフトボールの金メダルに感動をもらったが、陸上男子四百メートルリレーの銅メダルも印象に残る。トラック種目で男子では初だから、まさに歴史的だ。
リレー選手の中でも特に朝原宣治選手は感慨深いものがあったのでは、と思う。五輪は四度目で、年齢的に北京が最後になるのは分かっていた。日本の短距離選手でメダルなど正直夢のまた夢だった。強豪国のバトンミスという“棚ぼた”だったとしても、不断の努力を重ねてきたからこそ勝利の女神の前髪をつかめたのだろう。
リレーといえば、中学生のころ、郡大会陸上四百メートルリレーに出たことがある。泥縄だが、バトンを渡す練習を何回かした。「オー」だったか、「サー」だったか、次の選手に呼び掛ける言葉(手を後ろに伸ばしてバトンを受ける準備をさせる)を発した後、「ハイ!」と強く言ってバトンをつないだように思う。レースでは、前を走っていた選手の足が私の足に当たり転倒したのには驚いた。動揺し、一瞬走るのをやめた記憶がある。結果は覚えていない。
残念だったのは、柔道男子60キロ級・平岡拓晃選手(近大福山高出)の初戦敗退。米国人選手に柔道をさせてもらえなかった。同高でテレビ応援の準備をした後援会関係者は「柔道の神様が『四年間修行してこい』と言っているのでは。胸を張って帰って来てほしい」とねぎらった。挫折をばねにロンドン目指し心機一転、けいこに励み、神様の味方もつけて栄光をつかんでほしい
(福山支社・鳥越聖寿)