くノ一淫闘帖

綾守 竜樹・作


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                        綾守 竜樹


 序の姦:隠密の受悶


 女の業[ごう]――その残酷さに、彼女は衷心から絶望していた。
 一人前のくノ一たるべく、鍛えぬいてきた肉体・磨きぬいてきた技術・統べぬ
いてきた情心[こころ]。一五年間にわたる、血涙にじむ辛苦の成果。
 しかし。
 それらも……すべてが無駄だった。性別ゆえにもたらされてしまう悦びの前で
は全て、全て塵芥[ごみ]に等しかった。
(あッ、ふああぁッ…く…ああン…く、くち…く、口惜しいのにィッ……)
 感じてしまう――無力感と屈辱感と、そして汲めどもつきぬ快感とを。あられ
もない性の応えを押し止どめようと、くノ一は必死で試みてきた。
 だが、どう足掻いても駄目なのだ。
 股間にある肌の合わせ目を嬲られるたび、腰の裏に獰猛な痺れが弾ける。上体
にある女の証しを弄られるたび、喉の奥に甘美な叫びが爆ぜる。女体の穴という
穴を塞がれるたび、胸の内に淫らな炎が……。
 これらの肉の高まりは、抵抗を許さぬ圧倒的な膂力で、彼女の富り肉[ふりじ
し]を翻弄してきた。さらには、硬く閉ざしていた情心も、容赦なく蕩揺してき
たのである。
(ふあ、ふッ…ああッ…だ、ダメ、ダメえェェッ……ンああッ)
 目尻からは涙を、口端からは涎を、柔肌からは汗を、そして秘園からは恥蜜を。
肉虐の渦中にあるくノ一は、それぞれをはしたないくらいに零し、恥ずかしいま
でに悶え、見も世もなく痴れた。官能にのたうつ裸体は、高まりの体液と糠雨[ぬ
かあめ]とに覆われ、恰も皮膜でも被っているようだった。
 その粘つく痴膜が、剥離するかのごとく滴っていくたび……獣の匂い――とびっ
きりの「牝」のそれ――が立ち上がっていく。切るような嬌声といい、外聞も何
もない喘ぎ声といい、「牝獣」と蔑まれても反駁できそうになかった。今の己は、
まさにただのケダモノ……。
(ふァン…こ、こん…くぅッ…こ、こんなの…ンあァッ…のッてぇェ……ッ)
 惨めだ。
  たまらなく惨めだった。忍軍きっての早駆けと言われたあたしが、こんな目に
遭わされるなんて……。
 しかしながら、彼女がそのような内省に沈んでいられたのも、ごくつかの間の
ことだった。己の痴状を振り返る余裕など、すぐに消し飛ばされてしまったから
である。
 欲望に駆られていた嬲り手は、飽くことも休むことも知らなかったらしい。ヤ
ツは再び、たわわな双乳の、その敏感な先端を舐った。それも女の脆さを知悉し
ているかのごとき、ネップリとした蛞蝓[ナメクジ]の膝行[いざ]りで。
 それだけ。ただそれだけで、いかなる忍苦行のまえにも閂を外さなかった朱唇
が、いとも呆気なく喘ぎを漏らした。やや吊り上がり気味の、かつては鋼の意志
を宿らせていた切れ長の目が、熱い涙を零した――もちろん、悦びのあまり滲ん
でしまったものだ。
 性の喜悦。
 肉の痴楽。
 牝の痺快。
 それは体内に命を宿す生物――女――の奥底を、絶対的に貫いている律令であ
る。性という宿命に課せられた原則が、肉体的には御髪の毛先から足の指先まで、
そして精神的には単なる触感から自我の根幹まで、つまり彼女のあらゆる部位を
犯し、貪り、蕩かしてきた。
(……も、もう…ふあぁン…もう…か、堪忍してぇェェ……)
 快楽浸けの刻限。ふつうなら極楽のはずのそれも、今の彼女にとっては地獄の
責め苦同然だった。
 桜色に染まった女肌の下で、狂ったようにすすり泣きながら、くノ一はついに
屈服した。これ以上、この淫らの地獄に耐えることなど、できなかった。この人
外の魔悦に抗うことなど、できなかった。もう臨界だった。
「くあぅン…ンひッ…し、しゃ…しゃべ……ふあ、あッあッあ…はふァ…喋りま
…ふぅ……は、はぅ…は、白状しまふからぁ……」

 「善がり殺し」に遭わされたくノ一。哀れなる肉人形――彼女の名は、篝[か
がり]。姓は……当然のことながら、分かっていない。というより、元々存在し
なかった、と言うべきだろう。
 しかしながら、彼女が恐るべき忍であったこと、それだけは確かである。なぜ
なら彼女は、甲濃藩[こうのはん]宗家直属のくノ一集団・〈開耶忍軍[さくやにん
ぐん]〉の一員であったのだから。
 そして……そんな彼女は、凄惨と淫乱とを極めた比度の怪異を語るに際し、最
初に呼名される女性であった。

 妖しどもの贄として、である。

 『甲濃の妖宴』。
 それは藩の跡目相続から始まった事件であった。武家社会の面目をかけた些細
な諍いは、やがて双方の思惑を離れ――妖しと淫らの世界へともつれこんでいっ
たのである。
  男たちの哄笑と加虐、
  女たちの痴態と隷従を道連れにして……。



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     【壱】
 
 忍の任務が――特に彼女たちのそれが――楽なものであることは当然、ありえ
ない。下忍の篝に下された今宵の命も、やはりまた、難を極めるものであった。
『筆頭家老・上野主計頭義光[こうずけ・かずさのかみ・よしみつ]の居城に忍べ』
 上野義光といえば、比度の御家騒動の最中、首尾一貫して不穏な動きを見せた
御仁である。さらに最近では面妖な食客たちを集め、何やら新たな謀[はかりご
と]を画策している、との風聞だった。
 いわば「とびきり危険な権勢家」と言える相手である。密偵を得手としている
篝だが、その彼女が悲壮なほどの決意を固めて下命に臨んだのも、むべなるかな、
であった。
 とはいえ……篝は軽い苦笑を浮かべた。
 ここまでは、いささか拍子抜けするくらいに易い潜行だった。彼女は余裕を持っ
て、忍の運足法の一つ・〈締め足〉を進めていた。
 刻限は丑の中刻[午前2時]。糠雨のそぼる天候ということもあり、夜闇は煙で
もかかっているかのように濃く深い。しめやかながらも耐えることのない雨音は、
篝の立てるわずかな足音や体臭を打ち消してくれている。人の識覚ではおそらく、
彼女と闇とを識別することなどできぬ筈。
 くノ一は二の丸の屋根に立ち、城内を悠然と見回した。小ぶりな三の丸・彼女
の現在地[にのまる]、そして本丸。内外の廓[くるわ]にある城門の数は一二個、
外廓の周回は二里半ほどもあろうか。
 土塀に沿って左へ眼を動かすと、搦手口[からめてぐち]がその姿をそびやかし
ていた。そのそばには、建て増しを行っているのだろう、角材が並べられている。
漂っている芳香からして、桧の新材と推せた。
(『修築』との届けだったけれど……)
 篝は皮肉っぽく思った。
 破損している箇所など全くないではないか。執り行われているのが修繕の名を
借りた「強化」であることは、一目瞭然であった。
 主君に虚偽の申請をしてこのような所業に及ぶとは――謀叛と見做されても仕
方のない蛮行である。
 ということは、だ。
 彼女は声を立てずに唸った。
(……義光はいよいよ腹をくくったのかしら)
 上野家は、臣閣中もっとも武財を備えている。その血統も主家に劣るものでは
なく、『下克上』の三文字を実現することも、できなくはなかった。
 だが……今のままでは、ダメだ。いくら居城の防備を固めたとて、このまま合
戦に雪崩れこんだりしたら、勝機は薄いはず。
 当主の義光――ヤツはうつけではない。むしろ博覧強記の切れ者であり、だか
らこそ、野心を抱いてしまった漢[おとこ]なのだ。それくらいの勘定はできるだ
ろうから、
(……つまり、まだ何か手札を持っている、ってことね)
 それを探りだすことが、己の果たすべき任ということか。篝は小さく頷いた。
 となれば、さらに奥へと向かわないと。櫓に詰めている不寝番たちや城内警備
の忍たちをかわして、より潜らないといけないわね……これからの隠形を前に、
彼女はまず、己の着衣を直すことにした。
 闇色の忍服は、既にグッショリと濡れていた。くノ一としての正装は、今や彼
女の素肌に密着し、かすかにではあるが、四肢の動きを阻害している。
 それは同時に、彼女の肢体の見事な曲線を浮き彫りにしてもいた。鎖帷子[く
さりかたびら]と忍服とを押し上げている上下のまるみは、和人というよりは南
蛮人のそれのように豊麗だ。
 殊に特筆すべきは、その胸部のふくらみだった。こんもりと盛り上がった双つ
の肉丘は、完璧に近い椀形を誇っており、見る者を威圧してくるほどである。
 しかもそれは、肥満ゆえの肉太りではなかった。その下に続く彼女の腹と腰に、
無駄な肉は一切ついていない。腰部の曲線は小気味よいまでにくびれ、鋭角的な
までの角度を見せつけている。
 それでいて、臀部まで下りるとふたたび、官能的な膨らみへ戻るのだ。
 肉感に溢れたその美尻から伸びている下肢も、艶やかに弾んでいる。熟れ具合
を検分したくなるような腿に、獣のそれを思わせるしなやかな足首。とりわけ足
首は、脚絆[きゃはん]のうえからでも推せるほど引き締まっていた。
 野暮ったい忍服越しでさえも分かるくらいの、殆ど圧倒的な女体である。その
凄艶さは、間違いなく武器足りえることだろう。加えて、彼女は怜悧な美貌の持
ち主でもある……。
 篝のこういった点を鑑みると、武術や体術を鍛練するよりも、己の「女」を錬
磨したほうが、くノ一としてはよりいっそう、重宝される筈である。実際〈開耶
忍軍〉には、房事を専らとする部門――〈朱雀衆〉と言った――も存在している
のだから。
 だが。
 彼女はしかし、〈青龍衆〉――武芸を本職とする部門――の門戸を叩いた。そ
れは第一に、彼女が早駆けの名手だったからである。殊に、山野や森林のなかで
駆けるのを得意とし、いわゆる『木遁[もくとん]の術』ともなれば、同年代の誰
にも引けを取らなかった。
 そしてもう一つ。性的魅力に富んでいるという天賦を彼女に捨てさせた、その
理由とは――
「性悦に体する弱さ」
 だった。己の媚肉が生み出す、女としての反応。これに対する忍耐力を、篝は
なかなかつけられなかったのである。
 何度仕込まれても、駄目だった。睦み合いに入ると、彼女は結局、生娘のよう
に翻弄され、己を喪い、快楽を送り出す側に操られてしまうのである――相手を
己の木偶とすべきくノ一なのに、逆に木偶とされてしまうのだ。 
『……篝は、「肉を超えられぬ」ようじゃな』
 忍軍の頭領から言われた一言――侮蔑とも憐憫とも取れるその言葉は、くノ一
の将来を的確に暗示していた。 
 
 篝は、〈忍び熊手〉の鉤爪を投げた。器用に手元を手繰り、庇へ引っかける。
この作業中も、彼女はまったく音を立てなかった。
 まるで巨大な蜘蛛のように、くノ一はするすると綱を昇る。続いて、静寂を壊
すことなく瓦の上に降り立ち、新たな土塀目指して締め足を運んだ。無駄のない
一連の動作。それはある種の美しさすら感じさせるほどに、見事な潜入であった。
 義光が大殿籠もっているであろう本丸まで、もはや目睫、というところになっ
て、篝は急に立ち止まった。その場にしゃがみこみ、乱れた御髪――腰まである
それは武器の一つでもある――を直したりなどしてみる。
(妙、だわ……)
 研ぎ済まされた彼女の識覚に、「何か」が引っ掛かったのだ。鼻孔の奥をくす
ぐるキナ臭い感じ。不穏とか危険とかいうのとは、まるっきり別の何かだ。
 妖しい感触が、肌の表面をなで回してくる――たとえて言うのなら怪談を聞い
ているときのそれ、だろうか。近づいてはならぬところに歩み寄ろうとしている
ような、そんな逡巡を催させる何か……。
 身体が前進を警戒している。その事実に篝は慄然としたが、しかし己の責務を
思い起こし、そのためらいを強引にねじ伏せた。
 細心の注意を払いつつ、土塀に上がる。
 最深部・本丸との御対面。その途端、篝は急な吐感に襲われた。激しい不安感
が、腹の内側から込み上げてくる。腋下にどっと汗が吹き出し、わずかながら目
眩を覚えた。
 単なる疲労や緊張感から、己がこんなふうになってしまうとは思えない。身体
と心情の異変を宥めつつ、くノ一は周回を観察した。
 等間隔で植えられている柳。丁寧に刈り込まれている躑躅[つつじ]。夜目にも
塵一つないことが分かる外廊。何の変哲もないものばかりである。何が、一体何
が、己をこんなにも狂わせるのだろう……。
 知覚を限界まで研ぎ澄ませつつ、篝はゆっくりと移動した。死角になっている
部分も確かめるべく、五歩めを踏み締めようとしたとき、彼女はついに「異変」
を捉えた。
 捉えると同時に、その意味するところの重大さに気づいて、美貌を蒼ざめさせ
る。くノ一の明眸に映ったのは、怖畏すべき不敬の痕跡だった。
(何ということを……義光は乱心したの!)

 そこにあったのは、建築の残骸であった。
  彼女たちの氏神である『天児屋根命[アメノコヤネノミコト]』の御社。敬すべ
き聖殿が、無残ままでに破壊されていたのである!

 残骸の周囲には犬の供儀が捧げられ、その犬の血が使われているのであろう、
血文字が残されていた。腐肉と血との生臭い匂い。
 血文字は、この雨のなかでも流れていないところを鑑みると、「書いただけ」
というものではなさそうである。さらに丑寅の方角に当たる場所には、折れた破
魔矢が投げ捨てられ、犬糞が文鎮のように載せられていた――禍き祈祷が行われ
たことは、一目瞭然であった。
 篝はただ慄然として、双眸を見開いた。
 ……元々、甲濃は祖先崇拝の強い国である。どの城でも必ず祖廟を備え、氏神
の社を整え、祭りを絶やさぬようにしている。特に、後者に対するお務めを欠か
さぬことは、甲濃に生きる者としての不文律であった。
 なのに……その玉条を愚弄し、高天原の祭祀長とも言える男神の祭壇を涜すと
は。なんという愚挙だろう!
 自失から冷めると、篝は小さく呻いた。主計頭である義光――「勘定」という、
理法をもっとも必要とする座を取り仕切ってきた御人――が、このような神異に、
現世の理法ならざる呪いに頼ったというのか? 
 彼女たち忍も確かに、神祈や呪法を用いる。しかし彼女たちの狙いは、「呪い
そのもの」よりも「それによって生じる人心への影響」を勘案したものである。
神霊や魑魅の実在を信じて、というわけでは、決してない。
(……あたしが知る限り、義光も霊異など信じていなかったわ……一体、どうし
たというの?)
 不意に、篝の脳裏に閃いたものがあった。存在は知られているが、その正体ま
ではつかまれていない、義光の食客たち。ヤツらと「義光の豹変」との間には、
何らかの因果があるのではないか……。



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     【弐】

 それは突然のことだった。
「ほう……牝鼠とはな」
 完全な不意打ち。篝の背後から、渋くかすれた男声――当然、敵ものに違いな
い――が、聞こえてきたのである。しかも声の感じからすれば、ごく近くまで詰
め寄られていた。
 篝は驚愕し、そして狼狽した――後ろを奪られた。しかも、全く気づけなかっ
たのだ。
 考え事に気をとられ、周囲への警戒を怠っていたわけでは決してない。彼女た
ちは四囲に識覚の網を回らしておくよう、徹底した訓練を受けているのだから。
 その網を抜けられ、近づかれ、ましてや背後を取られてしまうことなど、ある
はずがなかった。少なくとも、人を相手にそんな失態を演じたことはなかった。
 ――しかしその、「有り得ざること」が起こっているのだ。
 篝は、光陰の速さで平常心を取り戻した。戻すと同時に、全身の発条[ばね]を
使って横に飛ぶ。そのまま、脱兎のごとく駆け出した。
 彼女は忍である。敵を討つ必要など全くないのだ。それに武士でもないから、
逃走を恥じるような矜持も持っていなかった。
 とにかく逃げのびる。どんな目に遭っても味方のもとへと戻り、己の知り得た
情報を伝える。これこそがくノ一の優先任務なのである。
 篝は駆けた。駆け抜けた。まさに飛鳥のごとく、彼女は屋根の上を走った。下
肢が回転するたび、上下のふくらみが大きく揺れ、逃走者が女であることを訴え
てくる。
 しかし、それ以外の所作と疾駆の速さとは、女であることを感じさせぬものだっ
た。更にまた、足場の悪い高所を駆けていることも感じさせぬ、まさに至芸と言
える遁走であった。
 やがて、くノ一は足を止めずに、一枚の屋根瓦を奪った。掌よりやや大きいく
らいのそれを、右手の建物に向かって放り投げる。ガシャンという破砕音。
  篝は叫んだ。
『曲者じゃ! 出会え、出会えッ』
 その叫びも、女を感じさせぬものだった。渋くかすれた男のそれ――さきほど
くノ一の背後から聞こえた声――そっくりだったのだ。一度耳にした声音を模写
すること。それは、開耶忍たちが必ず身につけさせられる体術の一つであった。
 偽の掛け声に応じ、本丸の雨戸と障子とが、弾かれたように開け放たれる。手
に長物を持った武士たちと、火打ち石を携えた小姓たちとが、弾けるようにして
建物へ向かい始めた。短烱[たんけい]や提灯が灯り、掛け声や怒声が溢れ、人い
きれや体臭が零れだす。
 頃合いを見計らって、篝は「左」へ跳んだ。義経の八叟跳びもかくやという跳
躍。闇色――月経という「女業の塊」で染めている――の忍装束をひるがえし、
野イタチの素早さで遁走する。
 混乱が大騒動へと変わったころ、彼女は既に外掘を渡り切り、城外へ脱出して
いた。

 篝は竹林へ分け入った。薮のなかの下草に紛れ、暫く息を殺す。尾行の有無を
確かめるため、だった。
  己の遁術には勿論、自信を持っている。しかし、用心に「過ぎる」という目盛
りはなかった。仮に尾行けられていた場合は、この竹林で今度こそ、今度こそ完
全にまく――このような場所でこそ、己の『木遁の術』は最も活かされるのだか
ら……。
 くノ一はじっと蹲り、五感を限界まで澄ませていた。せせらぎめいた笹の音と、
清々しい若竹の香。耳鼻に訴えてくるそれら以外には、何も感じられない。
 それでもなお数刻を待ってから、篝はようやく警戒を緩めた。立ち上がって背
筋を伸ばし、深呼吸を繰り返す。
 くノ一はホッと吐息をついた……どうやら、振り切ったようだ。
  最後に、一際大きな深呼吸をする――後は帰還するのみ。同胞たちと示し合わ
せておいた、領境の合流地点まで急ぐのみ、だ。短気な先輩と呑気な同輩――城
以外の場所に忍び込んだ、あの凸凹姉妹は……果たして、大丈夫だったのだろう
か?  

「……いやはや、なかなかの手練よの」

 衝撃、そして狼狽。
 背後からの男声は、またしても青天の霹靂だった。それもさきほど耳にした―
―そして己が真似をした――渋くかすれた声なのである。
 篝は、心の臓が飛び出してしまいそうな戦慄を覚えていた。再度、背後を奪ら
れた。しかも、まるで気づけずに、だ。
 再び逃げるべく、下肢に力を集める。その瞬間、くノ一は背中に鈍撃を受けた。
体当たりを受けたのだと、瞬時に悟る。
 押さえ込まれてしまう、篝はそう覚悟した。覚悟するや否や、抵抗を放棄する。
無駄に暴れるより次の機会を狙う――彼女には、「直ぐには殺されない」という
見込みがあった。
 なぜなら、忍はただの駒だからだ。重要なのは駒の生死でなく、「指し手」の
正体とその存念と、なのである。
 従って、忍は生け捕りにされる――尋問があることを考えると、殺されたほう
が良いのかもしれないけれども――のが、殆どだった。まして篝は「女」であり、
敵は「男」である。
 うつ伏せに倒される途中、篝は忙しく計った。即斬しなかったのは、おそらく
……あたしとの睦み合いを望んでいるからだろう。それはおぞましいことだけれ
ど、
(……逃げ出す好機を貰った、と思おう)
 そう決する間にも、彼女は右手を捕まれ、背後へとねじり上げられていた。気
取られぬように、まだ自由にできる左手を懐へねじ込み、忍ばせたものをばら蒔
く。
「動くな、牝鼠」
 「さもなければ殺す」とは、言われずとも伝わってくることである。篝はピタ
リと行動を止めた。
「それでよい……牝鼠、おぬし、宗家の間者であろう? 宗家は優秀なくノ一を
飼っていると、そう聞き及んでおったが」
 沈黙で応じつつ、篝は奇妙な疑いを抱いた。
(……これは人の声なのかしら?)
 馬鹿げた疑問だが……しかし男の声には、人らしい調べが全くないのである。
嘆じたり、驚いたりしているような文言を口にしているが、どれも作為的なので
あった。
 本丸に忍び込もうとしたときの、あの怪異感。妖しい違和感がザワザワと、く
ノ一の胸のなかを這い回り始めていた……。
「いやはや、ここまでやるとはのう。大したものじゃて」
 男はぶつぶつ言いながら、篝の忍服と鎖帷子とを切り裂いた。まるで和紙でも
破くように、頑丈な防具を切れっ端へと化していく。その手つきから、この男が
化け物じみた腕力の持ち主であることが推せた。
 あっと言う間に女肌が露出させられる。外気と雨滴とを直に感じ、くノ一はそっ
と瞼を閉じた。
(……犯されるんだ、あたし……)
 そのおかげでまだ生きていられる、という面もあるのだが、しかしやはり、打
ちのめされるものもあった。
 篝の胸を女としての哀しさが過る――己の肉を弄ばれる、あの恥ずかしさ。誇
りを虐げられる、あの悔しさ。それでいてこれらの裏にとぐろを巻いている、濃
やかな恍惚と甘やかな被虐。
 耳朶を噛まれるのだろうか?
 それとも首筋を舐られる?
 双乳を揉みしだかれる?
 臀部を叩かれる?
 秘所を貫かれる?
 ああ……くノ一はかすかに首を振った。訓練しているとはいえ、実際に凌辱の
憂き目に遭うのは初めての経験だ。
 あたしは耐えきれるのだろうか? 胎内を揺すぶってくる妖しい力を、女であ
ることの軛を振り払えるのだろうか? 特に……篝はチラッと、女体のある部位
に目をやった。
 その視線の先にあったのは、大きさといい形といい、まさに男の獣欲を吸収す
る、そのために造られたかのごとき柔らかな肉丘――彼女の乳房だった。篝にとっ
てその双果は、女の愉楽を放出してくる器官でもあったのだ。

 くノ一の脳裏に、閨技修練の思い出が浮かんだ――
  涙が涸れるまでよがり狂わされたあの体験。
  極楽にして地獄のような特訓で彼女の艶肉に残されたのは、淫悦に対する耐性
ではなく、己の感部の発見だった。
 胸のふくらみ。
  瑞々しい彼女の柔果は、なかでも一際の敏感さを誇った部位だった。房事の師
匠たちから、ねちっこく責められ、厭きるほどに嬲られたのだが、そのたびに必
ず、女体の芯を溶かす魔楽を紡ぎ出してくれたのである。
 乳肉を揉みほぐされる。これだけで、篝は眉根を寄せずにはいらなかった。先
端の鴇芽を弄われる。これだけで、吐息を漏らさずにはいられなかった。
 加えて、舐られるのには更に輪をかけて脆かった。肉峰を舌に滑りおりられる
だけで、喘がずにはおれない。登頂部をほお張られようものなら、その腰が勝手
に跳ね上がり出してしまう……。

 篝は身震いとともに決意していた。己の弱点を絶対に知られてはならない。さ
もなければ、男によって「女」ではなく「牝」へと貶められてしまうだろう。己
を律することなど全くできない、ただの肉傀儡へと変えられてしまうだろう。
「どれ、正面から拝ませて貰おうかの」
 くノ一の背中にかかっていた荷重が、フッと消えた。蹴られるようにして、う
つ伏せから仰向けへと回転させられる。腹の上に馬乗られると、正面に残ってい
た帯・忍服・サラシを、軽々と剥ぎ奪られた。
 数刻後、篝は生まれたばかりの姿を晒していた。
  その柔肌を覆っているのは、手首や足首に残った衣装片と腰巻きのみ。先刻ま
で闇色の布に包まれていた肌は、褐色に日焼けしているものの、荒仕事をしてい
るとは思えぬほどの肌理[きめ]を誇っていた。
「案の定、佳い肌と肉を持っておる……ふふ、凄まじい乳をしとるのう」
 男の下卑た淫笑がこだましてくる。
  羞恥を感じないとは言わないが、くノ一である篝は、己の裸体も道具の一つ、
と割り切ることができた。今もそう思えば良い。恥辱を覚えている暇などはない
のだ……。
 代わりに、相手をよく観察しておかねばならない。敵がどんな者であるかによっ
て、彼女の取るべき方策も変わってくるのだから。
 くノ一は、己を見下ろしている敵をジッと見つめた。己の背後を二度も奪い、
そして今、あたしを犯そうとしているヤツ。多分、かなりの忍のハズ。
(――なんなの、コイツは……)
 篝は内心、ぎょっとしていた。
  男は幽鬼のような、蒼に近いほど真っ白な肌をしていたのである。手も足も首
も短く、まるで亀めいた体格だ。その容貌はというと、薄汚い蓬髪・剃刀で切り
つけたみたいな細目・小さな鼻、そして顔の半分もありそうな大口。
  生まれてくるときに何らかの力で押し潰されてしまった――そう主張したげな
醜顔であった。
「女鼠、儂の益荒男[ますらお]ぶりに見惚れるのは分かるが、その前にやって貰
わねばならぬことがある」
 口にしておきながら、その諧謔が気に入らなかったようだ。男は「フン」と鼻
を鳴らした。異常なくらい生臭い吐息。土左衛門が発している腐臭のよう。
「儂の知りたいことは、二つだ。おぬしの飼い主の存念と、おぬしらくノ一の内
情……知っておる限りを吐いて貰おうか」
「……断る」
「ま、そうであろうな。そのほうが、儂にとっても娯しみが増す……では、芸の
無い言い草だが、女体に尋くとしようかの」
 くる! 篝は眦を引き締めた。これからの数刻は、己の内なる獣――甘い疼き
や切ない悦び――との対峙だ。
 妙に丸い手と、牛の腸を思わせるボコボコとした指とが、彼女の御髪を撫で、
そして耳殻へと伸びてきた。
(……!…コイツ、本当に生きているの?)
 何と冷たいのだろう。思わず上げそうになった驚きの声を、彼女は胸郭の裡で
押さえ込んだ。
 まるで凍死した屍の指だった。氷柱のようなそれらが耳朶をくすぐり、首筋を
伝い、鎖骨の稜線を滑ってくる。触れるか触れないかの、微妙な愛撫。
(……くうッ……う、嘘でしょッ……)
 篝が押し止どめようとする声は、恐しいほどすぐに、驚きから別の意味を孕ん
だ声へと変わっていった。いかざるおえなかった――摩られた皮膚から奇しき熱
さが、その下の柔肉から甘い痒さが、それぞれ燻り始めてきたのである。
 くノ一の背筋を狼狽が走り抜けた……こんなことぐらいで、疼かされてしまう
なんて!
 開耶忍軍の色兵――性力と閨技とを限界まで極めた者――に嬲られたときでも、
こんなにすぐ色づいたりなどしなかった。一体、この男は何者のなのだ? 
 彼女の戸惑いを斟酌してくれるわけもなく、男の指は乳肌へと下りてきた。女
の応えを計っているみたいな、ゆっくりとした動き。
(ふぅくッ……な、なんで、こんなに……)
 たわわなふくらみが、ジンワリと痺れていく。跳ね上がりそうになった眉を、
彼女は辛うじて抑えた。鼓動が早まり、呼気が熱と湿り気とを帯び始める。
 篝は危機感を覚え始めていた……胸の尖端を弄くられたら、どうなるんだろ
う? もしかしたら、蕩けていることを強く訴えているかのごとく、乳房の桜桃
が勃ちあがってしまうかもしれない。
 だが嬲りの指は、色違いの部分に触ることはなかった。敏感な乳頭を無視し、
下肢のほうに向かってゆっくりと滑りおちていく。臍の窪みを占領し、筋肉が浮
いている脇腹を撫で、腰骨を確認し――そしてフイッと、女肌から離れた。
 男は嗜虐に満ちた顔付きのまま、その手を背後へと回した。亀のような身体が
壁になっているせいで、篝の目には当然、手がどこへ行こうとしているのかは分
からない。
 次はどこに来る? 彼女は九割九分の不安と――女ゆえの一分の期待と――を
抱きつつ、次の責めに備えた。ヤツの欲望の矛先はどこへ? やはり、あたしの
大切な部分を辱めにくるのかしら……。
 的中を祝うべきなのだろうか? ヤツの人差し指と中指とは、案の定、股間の
裂け目を撫でてきた。上から下へ、下から上へ。峡谷に沿った、腰巻きごしの愛
弄。
「……ッ……」
 そのたびに、くノ一の腰は引っ張られているがごとく、浮き上がりかける。篝
は奥歯に力をこめ、己の婬らさを抑え続けた。
 しばらく緩やかな肉弄が続けられた後、不意に――ここまで来たら不意も突然
も無いだろうが、それでもやはり、女にとっては「いきなり」である――、腰巻
きの裾から、男の指が潜りこんできた。二本の嬲器が不躾な侵入者となって、秘
腔の内側を蹂躙し始めたのである。
「……くあンッ」
 くノ一は遂に、声を漏らしてしまった。与えられる快楽の、その質の転換――
静から動へ――に、対応しきれなかったのである。
「…う、うふッ…くッ…くふぁッ…ふ、ふぅ」
 恥声を押し殺そうとするものの、しかし一度開いてしまった口は、すぐに閉じ
られない。ましてや、かさにかかった指に、執拗に責められているのだ。秘襞を
めくられ、陰唇をこねられ、蜜壁を抉られ……。
 荒々しいその蠢きが濃密な疼きとなって、彼女の股間を痺れさせる。下肢が己
の意志とは関係なく震え、爪先が右に左に跳ね上がった。
(……ううッ……は、早く手を打たないと)
 快美に蕩かされてしまう!
 敵の愛撫の威力は、篝の想像以上のものだった。指のひとうねりごとに、肉の
裡で快さがわめきだす。あっと言う間に女肌が紅潮し、汗がふき出してきていた。
「くくく、まだ吐いたりしてくれるなよ……おぬしの美肉を、タップリと責め苛
みたいからの」
 勝ち誇ったように笑いつつ、男は顔を近づけてくる。どこかに接吻するつもり
なのだろう。
 くノ一は崩れ始めつつあった自律心を叱咤した――反撃の好機だ。
 さらに一層、彼女は乱れて見せることにした。半ばは本気でだが、もう半ばは
演技で、である。
「おやおや……閨の術は教わってないようだの。この程度の指責めで痴れてしま
うとは、他愛もない」 
 ほざいているがいい……喘ぎつつ、篝は心の内で呟いた。その奢りが、今に泣
きへと変わる。獣欲に駆られてあたしをすぐに始末しなかったこと、それを悔や
むがいい。
「んあぅッ!」
 ひときわ大きな淫声を上げると、くノ一は首を左右に振った。それまでの動き
と違い、今度のは「攻撃の意志」を含んだ所作だった。
 グイッと首を回す。つられて、彼女の御髪も浮き上がった。柔らかな(はずの)
髪が、男の顔に触れた刹那、
  ピッと裂音が響いた。
 征服者だったはずの男が驚きの声を上げる。彼の頬や瞼に、幾筋もの裂傷がつ
けられていたのだ。
 接触した篝の毛髪。女の命とも言うべき黒線は、実は暗器だった――そのうち
の数本が、研いだ鉄線を結び付けたものだったのである。
 男の注意が傷のほうに奪われてしまったのを、彼女は見逃さなかった。古武術
の崩しを使って、男を撥ねのける。四肢の融通を回復して立ち上がると、篝は大
きく跳びすさった。
「むうッ……小癪な真似を」
 彼女の不自然な跳躍に不審を感じるよりも早く、男は女に向かって突進してい
た。支配者から転落させられたという「恥」に似た意識が、彼に冷静さを失わせ
たのだろう。
 しかし突撃の途中、彼は膝をガクリと落とし、驚きに濡れた呻きを漏らした。
「んぐッ……お、おのれェッ……!」
 男の足甲から、鋭い鉄針が顔を出している。草鞋と彼の右足と縫ったそれは、
くノ一が散らしておいた撒き菱だった。組み伏せられる間際に撒いた罠が、見事
に功を奏したのである。
 撒き菱には、鳥兜[トリカブト]から抽出した猛毒が塗ってある。耐毒の習練を
つんでいたとしても、所詮は人。いずれは苦しみだし、惨めな末期を迎えるはず
……くノ一の両頬には、押さえ切れない勝利感が浮かんでいた。
 ――まだ気づいていなかったので。



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     【参】

 裸に剥かれている女と手負いの男とは、数刻の間、身じろぎもせず向かい合っ
ていた。裸女――篝は既に、己の勝利と相手の死を確信している。後は、それを
目に焼き付けるだけのこと。
「……くくく。いや、参ったのう」
 どういうことだ? くノ一は男に訝しげな視線を向けた。なぜ笑ったりでき
る?
「大したものよ。『儂が人なら』、ポックリ逝っておるところだな」
 くくく。男はおかしなことを口走りつつ、頭を上げた。薄汚れたその顔には、
苦痛の色など全く浮かんでいない。
 彼は不意に目を剥いた。剃刀で切りつけたような糸目を、カッと見開く。その
瞼裏に隠れていたのは、紅い紅い瞳だった。血を思わせる深紅の瞳。
 その目を向けられた瞬間、篝の心に妖しい怪異感が湧き上がってきた――あの
違和感だ。本丸に侵入したときに囚われた、あの感じ。
「……おぬし、本丸であれを見たのだろう?」
 『あれ』とは多分、氏神に対して加えられていた加持祈祷を指しているのだろ
うが――違和感と不安感とが、篝のなかで急速に膨らんでいく。何だ? 何なの
だ? 第一、どうして丈夫にしているのだ?
「あれをただの祈祷と思うたか?……近づいたとき、おぬしの身体は変調を来し
たはずだ。ただの呪祈が、何故にそんな効を持つ?」
 男の声が変わっていく。渋くかすれた声から、甲高く粘つくそれへ。まるで骨
組みが溶けていくかのごとき移ろいだった。
「理法の権化みたいな義光が何故、祈祷などという理不尽を執ったのか?この儂
が何故、おぬしの背を容易く奪えたのか?」
 ガクン、と男の顎が落ちた。口腔が信じられないほど大きく開かれ、そこから
大量の唾液が噴き出してくる。凄まじいほど濃厚な腐肉の匂いが、辺りに立ち込
めた。
「儂の皮膚が、何故蒼白いのか? 身体が、何故冷たいのか? 毒にも関わらず
生きていられるのか? それらの答えはの……】 
 男は立ち上がり、そのまま歩み始めた。今度は撒き菱を踏んでも、全く反応を
示さない。

【……儂が、人ではないからよ】

 ビュルルッ。言うが早いか、男の口から吐き出されてきたものがあった。内臓
をぶちまけみたいな音と匂いを引っ提げ、彼の大口から奔流のごとく出てきたの
は、
【驚いたかの?……これが儂の舌よ】
 舌? 舌だって? くノ一は息を飲んだ。
 それは、舌と呼ぶにはあまりに長すぎ、太すぎ、そして禍々しすぎた。成長し
きった松の枝を彷彿させる、まさに凶器のごとき肉具だった。
【かなり遅れてしまったが、ここで名乗らせて貰おうかの……儂は〈蛇舌〉のオ
ロチ。おぬしらから見れば妖怪にでもなるのかな】
 う、嘘でしょうッ? 篝は、喉奥で小さな悲鳴を上げた。
 神霊魑魅は妄想の存在。そんなのいるわけがない、いるはずがない……だが実
際、オロチは目前に立っている。その大蛇のような舌は、彼女へと向かって来て
いるのだ。
 蛇舌は、竦んだままの篝の手首に巻き付き、万歳しているみたいな格好に拘束
してきた。
【儂らは『あれ』で召喚[よ]ばれた……ま、術理のことをおぬしに言っても、理
解できまいがな。実のところ、義光もよく分かっておらんかったしの】
 それで実行したのだから、大胆と言うか無謀と言うか。オロチは嘲笑を閃かせ
た。
【義光のうつけは、儂らを式神か何かだと勘違いしとったが……儂らはただの物
の怪よ。黄泉より此岸へと還ったからには、煩悩の華を咲かせるのみ。儂のそれ
は色事だがの】
 言って淫笑を浮かべ、くノ一を引き寄せる。下手人を引っ立てる同心の気分だっ
たのだろうか。オロチは篝の背後に回って、
【さて、今度こそ吐いて貰おうかの】
 芝居っ気たっぷりに言った。
「……お、お断りだわ」
 未知に対する恐怖から何とか立ち直り、くノ一はそれだけを口にした。彼女は
何とか、割り切ることにしたのである――たとえ相手が人だろうと妖怪だろうと、
己のなすべきことに変わりはない、ない筈だ、と。
【そうか。ま、儂は強いたりせぬよ。おぬしの方から喋らせてくれ、と言ってく
るだろうからの】
 不吉な預言と共に、オロチがその舌を近づけてくる。篝はいやが上にも、その
醜悪な肉の塊を目にすることになった。
(……なッ! こ、これが舌なの?)
 腐肉めいた異臭に鼻をゆがませつつ、くノ一は何度めかの驚愕に見舞われてい
た。
 彼女の視界を占領したのは、大蛇のごとき肉筒とその異様な表皮だった。後者
は特に下手物で、味蕾を思わせる細かな突起が、一面にビッシリと生えている。
その味蕾もどきたちはそれぞれ、別の生き物のように蠢いているらしく、ピチピ
チと奇音を発していた――まさに物の怪のそれ、としか言いようがない。
【儂の〈蛇舌〉に嬲られて堕ちなかった女は、今までただの一人もおらん……く
くく、おぬしもすぐだ。すぐに痴れ狂うだろうよ】
「下衆[ゲス]が……」
【下衆か……いずれ、その下衆の前に跪き、「舐って欲しい」と請い願うように
なる。この蛇舌を求め、己の全てを売り渡すようになる】
 勝利者の傲慢をにじませて宣告しつつ、オロチはついに己の責具を動かした。
ヌラヌラとした肉筒が、篝の耳を襲ってきたのである。
 途端にくノ一の口から恥声が漏れた。あまりにも呆気ない、女であることの自
白だった。
「ふあッ」
 こんな愛撫が、こんな快感があるのか!……その凄まじさに、くノ一は戦慄し
ていた。なんと濃密な、なんと強烈な、そして女にとってはなんと凶悪な刺激な
のだろう!
 ヌメらかななかにもザラつきのある、粘っこい舌の魔楽。
 突起の蠢きがもたらしてくる、斬りつけてくるみたいな震えの痺快。
 この二つの淫悦が、「女を蕩かす」という目的めがけ、恐怖を抱きたくなるほ
どの緻密さで混淆されているのだ。
「うくッ…うッ、ひッ…ひ、ひあッ…ひンッ」
 耳殻と耳朶とを舐り回されただけ。
  なのに……篝はもう、双眸を潤ませ始めていた。無論、意志に則した行為では
ない。
【おやおや、先程の威勢はどうしたのだ? くくく……牝とは哀れよな。嬲られ
れば必ず火照り、痴れ、そして溺れるのだからの】
 侮蔑しているような台詞とともに、蛇舌が頸動脈をなぞってくる。ゆっくりと。
チロチロと。ねっとりと。血潮のなかに、婬らの毒を注いでくるように。
「くふぅッ……か、勝手を言うなッ」
 気丈に返しつつも、くノ一は小鼻を膨らませ、荒い吐息をついていた。眉間に
皺がより、両眉のなす角も鋭さを増している。 
【勝手? くくく、いつまでそんなことを言っていられるかの】
 蛇舌は首筋から鎖骨の窪みを通り、そして豊胸へと侵略してくる。
 ――胸!
 篝の背筋を恐怖に近いものが滑り落ちた。耐えなければ。くノ一は己に強く言
い聞かせた。強く強く、固く固く言い聞かせた。
 だが……女体は残酷だった。その乳肌を掃くように舐めずられた刹那、
「……ふあぁンッ!」
 無念にも、くノ一は切るような嬌声を上げていた。彼女の決意と覚悟、それら
を嘲るほどの峻烈な快感が、己の肉塊から迸ってきたのである。
【くくく……予想はしておったが、やはり乳がお好みだったようだの。安心せい、
たっぷりと苛んでやる】
 休む間もなく、次の責めが加えられてくる。舌はその長さを活かし、右乳と左
乳とを別々に搾りあげてきた。
(ああッ……な、舐められながら、し、縛られるなんてェッ)
 くノ一は、こらえ切れぬように両肩を揺らす――舌の感触・突起の振動・搾り
の圧迫、全てがたまらない。抗う術のない波浪。女体の芯を蕩かす魔の浪。
 あっと言う間に乳房が張り、その尖端が固く痼った。女肌が色づき、下肢が震
える。篝の拒絶は、呆気なく舐め溶かされようとしていた。
 しかし――「舌で縄縛する」というこの淫虐も、ただの準備だった。すぐにま
た新たな、淫湿極まる愛撫が始められたのである。
  ぎゅっ・ぐにゅっ・むにゅっ。
 耐え難い疼きを感じている、張りつめたその双乳を、くノ一は揉みこむように
搾られ、ねじられ、揺すぶられた。
「ふあ…や…ふうぁ…や、やめッ」
 舌に縛られ(ぎゅっ)、舌に揉まれ(むにゅっ)、舌に搾られる(ぐにゅっ)、
という未知の責め。触る場所・力の加減・蠢きの緩急を、融通無碍に変化させて
くる魔の舌技に、篝の柔肉は思うさま変形させられた。
 激痛が走るほどに揉みしだかれたかと思えば、ほんのり痒くなる程度に擦られ
る。その千変する弄いに対応する術は、ありそうもない。
 大胆と繊細、巧妙と直裁の間を自在に揺れ動く弄虐を受け、膨張していたふく
らみはいっそう隆起し、より敏感になっていく。快感によって敏感にさせられ、
敏感にさせられたことによってより快感を覚えてしまうという、肉悦の無限地獄
――女だけが陥ってしまう恥辱の循環路――へ、くノ一は追い舐られた。
「ふあッ…や、やめッ…あふぁ、ふぁ…やめ」
 「止めろ」が言えない。口を開けば、まず蒸気のように熱く湿った吐息が飛び
出、次に透き通り出したヨガリ声が続いた。膝がカクカクと笑い出し、四肢の指
先からも力が抜けていく。ただ立っているのにも、苦行のような気力を必要とし
た。
【儂らがもたらす喜悦は人の幾百倍といえ、なんとも他愛のないことよな。胸だ
けで果てそうになってしまうとは、度し難い淫乱よ】
 ああ……腰を卑猥にくねらせつつ、篝は項垂れた。「違う、違う」と叫んでも、
この反応の前では虚しい遠吠えにしかならないだろう。彼女が頼りとしてきたそ
の肉体は、今や彼女の意志から離れ、別の原理に忠勤しているのだから。
 くノ一の顔に怯えと諦めの相が浮かぶ。それを合図にしていたかのごとく、突
然、弄嬲が変更された。
 胸全体の乱虐から右乳の匍匐登山へ。いきり立っている頂上を目指し、舌先が
ゆっくりと這ってくる。軟らかな器官が、まるで円を描くように移動しつつ、乳
肌全てを舐めあげてくるのだ。
 それまでの怒涛めいた悦楽から、凪に広がる波紋みたいな快楽への転換。たわ
わな肉の内奥で、甘い痺れがそろそろと脈打ち始める。
 とはいえ、先程までの、制御の効かぬうねりよりは、ずっと処しやすい……そ
う考えていた篝は、すぐに思い違いに気づかされた。
 己を振り返ったりする余裕があること。これにより返って、己の被虐感と恥辱
感とを、強く抱かせられる。己の痴態と相手の肉嬲とを、激しく想わされる。つ
まり心を染め上げられてしまうのだ。
 ああッ…わ、腋の下あたりを這ってる…ふあッ…血管に沿って動いてるッ……
肉体の反応と同様に、意識のそれも止められない。
 加えられている弄虐に対する認識・それに対する感想・次に加えられる嬲りの
予測、そしてそれに対する……
(……だ、ダメッ。ダメよッ)
 篝は内心で、己を激しく叱咤した。
 いつのまにか、ヤツに存念を誘導されている。肉悦のみを想うようにされ、そ
れによってますます、その官能を昂らされているのだ。知らず知らずに鳥肌が立
ち、股間が湿り気を帯び始めていた。



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  【肆】

 宗領と上野領の境には、樹齢五〇年にも達する古松がある。
 天穹[てんきゅう]に向かって、その針葉を突き刺さんとしているかの如き大樹。
かつて落雷に合い、己が幹を真っ二つに裂かれた老木は、その奇っ怪な形状から、
旅の待ち合わせとして著名な標[しるべ]であった。
 双つに裂かれたそれぞれの幹――苔むしたその半身たちに、二人の女が腰掛け
ている。まだ朝ぼらけに近い刻限であるというのに、だ。
 二人とも、艶やかな壷装束[つぼしょうぞく]を着ていた。東の幹に座る女は、
単[ひとえ]の上に掛帯[かけおび]を着、更に垂衣[たれぎぬ]をつけた市女笠[い
ちめがさ]を被っている。西に座る女はというと、単[ひとえ]に市女笠を被って
いるだけ。
 その落差から察するに、前者がそれなりの身分の子女で、後者はその侍女――
そう推せるだろう。二人の背景を読み解くとすれば――昨夜、情夫[おとこ]と逢
瀬を果たした貴嬪が、明るくならぬうちに家へ戻ろうとしている……まあ、こん
な絵解きになるだろうか。
 それは無論、
 真っ赤な擬装であった。
 確かに、彼女たちは帰途にある。その行く先も、ここ甲濃では並ぶ者のない名
家――甲濃藩宗家だ。ここまでは、艶姿から読み取られる「絵解き」通りである。
 しかし、彼女たちは徒手[としゅ]では無かった。貴嬪たちはその手に――正し
くは頭蓋のなかに――、持ち帰るべき屡報[るほう]を抱えていた。上野領の政情・
商情・民情――上野方にしてみれば絶対に漏らしたくない、極秘の数々だ。
 そんな危険物を持ち出そうとしているのである。一刻も早く、出立したいとこ
ろなのだが、
(もうッ、篝のヤツったら……遅すぎるわよッ)
 出来なかった。篝という名の仲間が、まだ戻っていなかったのである。
 侍女役を演じている娘は、苛々しつつぼやいた。丸みを帯びたその頤を、せわ
しなく摩る。顎の高さで切りそろえた黒橡[くろつるばみ]の直髪が、白み始めた
朝陽を受けて鈍く光った。
 色々と落ち着きのない挙動を見せていながらも、彼女は同時に、まるで何かを
警戒しているかの如く、鳶色の双眸を走らせている。その、素人らしからぬ「察
気」ぶりから推せるように、娘は勿論、良家の侍女などではなかった。

 彼女も、〈開耶忍軍〉の一員だったのである。

 その名を、繭[まゆ]。齢はまだ一六だが、忍歴は既に四年を数えていた。そろ
そろ一人前扱いされるか否か、という下忍である。
 小柄でほっそりとした身体。あどけない、卵型の顔貌[かんばせ]。外見だけを
見ていると、「清楚で可憐」という形容がよく似合う娘である。もしも彼女が困っ
ているところに出くわしたら……それを見た男は思わず、ほとんど発作的に、彼
女へ救いの手を差し伸べてしまうことだろう。繭はそんな、「受け身の魅力」を
発散している娘であった。
 しかし。
 言うまでもなく、それは外面だけのことだった。「受け身」を「発散する」と
いう、その矛盾ぶりから推察できるように――彼女の実態は、忍軍の中でも一・
二を争う手裏剣の使い手で、「人を的にして投げる」のを何よりも好んでいると
いう、やや怖い性質[たち]の娘であった。
(篝のヤツめ……帰ってきたら、手裏剣百発の刑だかんね)
 実際にやったら相手を殺しかねないことを、くノ一は心のなかで呟いた。彼女
と篝とは、そういう冗談が通じる――笑えない諧謔ばかりなのだが――、朋輩
[ほうばい]と言ってよい間柄だ。
 と、隣の旅装姿が大きな吐息をついた。それを耳にした侍従姿の顔が、見る見
るうちに蒼ざめる。
(……怒ってるぅ……麗奈[れいな]さまが怒ってるよぉ……)
 繭はそっと、隣を盗み見た。
 苛々と貧乏揺すりを始めた壷装束――彼女は名を麗奈といい、〈青龍衆〉の頭
領を務める中忍であった。姐御肌な、実に気っ風のよい頭領なのだが……短気で、
喧嘩っ早くて、さらに癇癪[かんしゃく]持ちでもある。
「……遅ぇな」
 ぼそりと一言。
 繭が、我が事のように竦[すく]み上がった。
「そ、そうですね……」
 ああ、もうッ。早く帰ってきなさいよッ……待ち人の到着がこれほど遅れてい
るというのに、繭はまだ、篝の身を案じてはいなかった。
 信頼しているから、である――朋友の遁術、特にその「木遁術」の巧みさを、
彼女は良く知っていた。あの「イタチ娘」を捕まえられるのは、〈開耶〉のなか
でも麗奈さま、もしくは〈四端衆[しずいしゅう]〉の方々ぐらいだろう……。
 不意に、その麗奈が立ち上がった。男なみの長身が笠をむしり取り、掛帯を引
きはがす。
「ヤな感じがすんな……」
 まるっきり男の口調。
 だが、垂衣の陰から現れたのは――荒っぽい言動とは全くそぐわない、優美極
まる麗貌であった。山吹色[やまぶきいろ]の長髪と雪色の肌をした、御伽話の天
女のような美顔。
 麗奈は、異国人との混血だったのである。
 高く通った鼻筋・深い彫り・長い睫、そして蒼い瞳。和人とはまるで違う、う
るさいくらいに凹凸豊かな造形である。もちろん、豊かなのは顔の造りだけでは
ない。
 毛唐の血を引く娘は、しばらく考え込むと単も脱ぎ捨てた。その下から出てき
たのは、闇色の忍服だ。彼女たちもまた、上野領に忍んでいたのである。
「……こっちから、出るか」
 言って、繭を振り返る。その際に、女体の凹凸がブルンと揺れた。
 繭は頭領に向かって頷きつつ、しかし何とはなしに、相手のその、見事過ぎる
盛り上がりに目をやっていた……アレって邪魔にならないのかしら?
 彼女の朋輩である篝も、大変豊かな肉置[ししお]きをしている。けれど篝のそ
れは、あくまでも「南蛮人のよう」なのであって、麗奈のように「南蛮人そのも
の」程ではなかった。
 麗奈さまの胸って、どう見積もっても、一尺[約30センチ]くらいは突き出てる
わよねえ。忍服を作るさいに大騒動が起きた、って話を聞いたけど……まあ、そ
りゃそうよねえ……。
 自分の平らな女体をどことなく僻[ひが]んでいるような、他愛もない呟き――
こんな思惟を抱いている辺りからも推せるように、繭はまだ、事態の深刻さを認
識していなかったのである。
「……おい、いくぞ、繭」
 いっけない。下忍は弾かれたように擬装を脱ぎ、支度を整えた。
 「女らしすぎる」身体付きをしているのに、「女らしからぬ」言葉遣いをする
頭領の、その足下に跪[ひざまず]く。
「麗奈が下す……」
「……繭が拝する」
 二人が始めたのは、〈開耶忍〉たちの間で必ず交わされる儀式であった。既に
習慣化しており、その由来を知る者など誰もいない行為だが、「命令の上下関係」
と「命令の内容」とを、下命・拝命者の間できっちり確認しあうという、極めて
合理的なものであった。
「壱、上野居城まで忍ぶ」
「謹んで復唱する……上野居城まで忍ぶ」
「弐、二人忍[ふたりしのび]とす。刻限は辰[午前7時頃]までとす」
 二人忍とは、要するに集団行動の意味である。繭がまた復唱した。
「……以上である。いざや、『八尋殿[やひろどの]を開かん』」
「八尋殿を開かん」
 八尋殿――これは、彼女らの忍軍名と関連してくる単語であった。彼女らがそ
の名を取った女神・〈木花開耶媛命[このはなさくやひめのみこと]〉の神話に因
[ちな]んだものなのだ。
 儀礼が済むと、二人のくノ一は顔を見合わせた。須臾[しゅゆ]の後、恐るべき
女たちは擬装を残して、消え去っていた。



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     【伍】

(……くううぅぅッ)
 篝は、軋み音がするほど強く、奥歯を噛みしめていた。額には汗がにじみ、眉
間には深い皺が生まれている。小刻みに震える睫と頬。
【……どうした? ホレホレ、もうすぐだぞ】
 オロチが、嘲けりを込めて笑ってくる。
 視線が手裏剣になればいいのに……そう願いつつ、くノ一は化け物を睨んだ。
全身、特に胸筋を緊張させ、息を詰めて堪える女。篝は今、ひとつの分岐点を迎
えていた。
 「忍」として耐えるのか? それとも、「女」として堕ちるのか?――そんな
分水嶺に立たされていたのである。
「……う、く……くぅ……うぅ……」
 ニタニタ嗤[わら]っている妖怪から視線を外し、くノ一は再度、己の柔肌を這
いずりまわっている災禍を見やった。
 オロチ曰くの〈蛇舌〉。字句通りに「魔」の肉具は、これまで続けてきた「登
乳」を終え、柔丘の頂きに達しようとしていた。ピチピチと奇音を発しつつ、な
だらかな肉峰の、その色違い部分の手前で、ゆるゆる円を描いている。
(……ここ……ここで、堪え…堪えないと……)
 次に襲ってくるであろう一舐め。淫らの攻め。これに応えるわけには、
「……ううッ……ッ……くうッ……ッ……」
 いかない。篝は奥歯を噛みしめ、息を殺す。
 ここまで、あまりにも呆気なく蕩かされてきた。双眸を潤ませ、息を荒げ、悩
ましげな女の表情を見せてきた。敵の言う通りに、まさに舐め蕩かされてきてし
まった。だから彼女は、
(これ以上、崩されるものかッ……)
 そう決意していたのである。
 しかし……その決意には何の裏付けもないことも――言ってよければ、ただの
空元気であることも――、くノ一の「女の部分」は既に、悟らされてもいた。
 実際のところ、篝の双乳はムッチリと張り詰めているし、鴇色の芽もビンと直
立している。つまり、彼女も肉感していたのである……妖舌がもたらしてくる悦
びに、己が堕ち始めていることを。
【ほうれ、後少し……顔の相とは違い、乳の芽は素直よな。天晴れなくらい膨れ
上がっておる……くくく……儂に愛でて貰いたがっておるようじゃの】
 舌先が乳輪ギリギリを舐め回してくる。ちろり、チロリ……「いくぞ」と口で
言い、蠢きで脅しながらも、だが、オロチは登頂してこなかった。まるで何かを
待っているかのように。
 ちろり、チロリ。
(くぅぅッ…ば、化け物めぇッ……)
 今にも下されるであろう愛撫。その甘美な刺激に備え、篝はずっと、呼吸を殺
し、乳首を緊張させ続けていた。
 ちろり、チロリ、ちろちろ、チロチロ……。
「……くッ…ッ…ふッ…ッ…ふうッ…ふううぅ……」
 とはいえ、永遠に息を止めたり、筋肉を緊張させ続けたりは出来ない。長い長
い足踏みの前に、篝はついに、「ほッ」と息を吐いた。乳首周辺の筋肉も、それ
に連動して弛緩する。
 吐息と弛緩――その一瞬こそ、オロチが待っていたものだったらしい。くノ一
の緊張が途切れたとみるや、〈蛇舌〉は素早く、鴇色の部分へ進撃した。舌を押
し付けて乳輪全体を覆ってから、ゆっくりと、ネップリと舐め上げる。
 ぷちゅッ…ぬろん……
「…………!」
 粘膜性を持つ乳芽には、敏感な経絡群が集中している。その全てが無防備な状
態のまま、〈蛇舌〉の淫撫を受けたのだ。許容量以上の刺激を感じ取り、そこは
一瞬、激しく緊縮した。
「……は、はあああッ」
 その締まりが緩んでいくにつれ、〈蛇舌〉のもたらした複雑かつ膨大な刺激が、
「悦び」として解読されていく。頂きが感じた悦びは、痛みにも似た疼きと共に、
乳肉の隅々まで染み渡った。巨いなるふくらみが、蜜のような甘みで充たされて
いく。
「ああッ…あ、あッ…あ、あ、あッ…あああああッ」
 たった一舐め。しかし、散々待たされた後のそれは、信じられないくらい強烈
だった。
 篝は、頭をガクガクと揺らした。乳首もビクビクと――乳苺は完全に覚醒させ
られ、痛々しいまでに勃起させられていた。そこから、断続的に迸ってくる痺れ。
肉に染み込み、さらに骨まで潜り込んでくる甘い震え。
「ああッ、あッ、あッ……あああああッ」
 絡繰[からく]り人形じみた動作で、くノ一の女体が微動する。膝が何度か崩れ、
彼女は今にも、座り込んでしまいそうになっていた。ふと気が付くと、目尻から
涙を溢れさせている……。
【……何とまあ、脆いことよな】
 反論しようとして出来ず、くノ一はただ、首を振った。言論ではなく、挙措に
よる反論――口を開いたら、熱っぽい吐息や粘つく涎が、はしたなくも飛び出し
てきそうだったのである。
【乳を嬲られただけでこの有り様とは……おぬし、枕事の修練はしてこなんだの
か?】
 嘲りに続いて、もう一舐め。
 ヌロン。
「ふあンッ」
 弾かれたように、篝の背が反り返った。たっぷりとした髪が、派手な音を立て
て揺れる――駆け抜けていくから、だった。己の意志ではどうにも抑えきれない
愉悦が、美体を疾走していく。肌が震え、肉がわななき、体芯が燻り出す……。
【ほれ】
 間髪を入れず、〈蛇舌〉がまたも、肉芽を弄ってきた。
「はあああンッ!」
 一際透き通った声を上げると、篝はもはや、己の力では立てなくなっていた。
下肢に、正確には膝に、力を入れられないのだ――責めを受けているのは上半身
なのに、どうしたわけか、下半身から蕩けていく。ストンと崩折れた。
【他愛もないの。鍛えたとはいえ、所詮は女か】
 まだ蠕動している獲物を、オロチはいきなり、蹴りつける。
「あぐッ」
 快楽から苦痛へ。その急転換に混乱させられたくノ一は、仰向けに倒れた。受
け身も何も取らずに、である――さきほどまで超人的な「遁術」を見せていた、
そんな凄腕の忍と今の彼女、この二人が同一人物だとは……いったい、誰が信じ
られるだろう?
 オロチは再度、獲物の上に馬乗りになった。頬の傷を指でなぞって、
【ふん、二度めはないぞ……今度は、完膚無きまで犯し抜く。魂の底までよがり
狂わせてくれる】
 迫力ある笑いを閃かせる。そして、篝の眼前に両手をかざした。
【……色々と、囀[さえず]って貰わねばならぬしの】
 と、その指先が変形しはじめる。ミチ・ミチッという奇音と共に、爪が剥がれ
ていったのである。
(う、嘘ッ……!)
 篝は、声なき絶叫を上げていた。なんと、爪と指との間から――何かが、何か
がヌルリと貌を出してきたのだ。グチュ・ぐちゃという吐瀉音。それと共に這い
出てきたのは……腐肉色した蛇だった。あの〈蛇舌〉を小さくしたような、そん
な蛇体たち。
 続いて、それまで爪に見えていたものが大きく膨らんでいく。その縁に硬質の
モノがせり出して来たのを確認したとき、くノ一はついに、「爪もどき」の正体
を悟った。
 案の定、指の部分にも歯が生えそろい、粘質の唾液を滴らせ始める……オロチ
は、指の先に「口」を出現させたのであった。
【くくく……言ったであろ、おまえの全てを舐め蕩かしてくれる、とな。我が
〈蛇指[じゃし]〉の弄いに痴れ、蕩け、溺れるが良い】
 新たに登場した責めの肉具たち。持ち主の嗜虐に満ちた嗤いに続き、〈蛇指〉
たちがくノ一の艶体へ殺到する。
「……くうッ」
 小指から伸びてきた〈蛇指〉が、左右それぞれの乳房を根元から縛り上げた。
薬指のそれらが乳峰を舐め回し、中指のが尖端を弄り回す。人差し指のは首筋か
ら耳朶までを撫で回し、親指のは脇腹から臍までを摩り回った。
「ふあッ…あ、あ、あ…あッ、あッ、あッ……」
 再び訪れた嬲りの嵐――それに耐える余力は、もう残っていなかった。篝は糸
の切れた傀儡[くぐつ]の如くのたうち回り、そしてあっけなく、
「……ンあああッ!」
 昇天させられていた。背筋を反らし、腰を浮かせ、手足の指先を硬直させる。
その態勢でしばらく固まってから、くノ一はぐったりと脱力した。
 頬を伝う涙に、荒い吐息。頤を流れる涎に、全身の微痙攣。篝の反応は、彼女
が到達させられた境地の、その「高さ」を、あさましいほどに訴えていた。
(……だ、だめ、ダメッ……こ、このまま…じゃ…本当に…舐め…舐め狂わ…狂
わされる……)
 しかし、今の彼女に抗う術があるのだろうか? 囚われのくノ一に許されてい
るのは――ただ蕩けることのみ。
 耳孔に唾液がたまってしまうほど、耳殻を舐り回される。首筋に浮かんだ玉の
汗、その一つ一つを舐め取られる。女の証しである双丘を、あらゆる方向から
「舐め揉み」される……。
「ふあッ…ふはあああッ…ふ、ふあッ、は、はふあ……」
 殊に耐え難かったのは……臍への愛撫であった。臍の窪みを、掃くように弄わ
れる。その都度[つど]、腰の裏に獰猛な痺れが溜まっていった。耳や胸から紡ぎ
出されてくるものとは異種の、もどかしい心地よさ。
 そして、篝を何よりもよがらせたのは、
(……や、やめてッ…は、弾い…弾いたりしないでェッ……)
 乳首への苛みであった。
 〈蛇指〉たちはまず、乳輪を徹底的に舐り尽くしてから、その「本尊」へと進
んできた。いきり立ち、パンパンに膨れ上がった鴇芽を、下から上へヌロン。ゆっ
くりと、素早く。押し潰すように、また弾くように。
「あ……ああッ…あ、あ、あッ、あッ……」
 共通していたのは、舐めの方向である。下から上へ――全てが「舐め上げ」だっ
たのだ。それが――その厳格なまでの一貫性が、くノ一にはたまらなかった。一
定方向へひたすら押し上げられていく……そんな感じがしてならなかったのであ
る。
 無駄や遊びのない――つまりは、容赦のない責め。ただひたすら、相手を悶え
させ、痴れ狂わせようとしているかの如き淫撫だった。まるで、その行為が儀式
でもあるかのよう。そのように徹底している分だけ、受け手――女には効果的で
あり、強烈であり、そして酷虐だった。
【くくく……また果ててしまいそうじゃの……】
 二度目の陥落が近いことを看取って、オロチが揶揄してくる。
【餞[はなむけ]に、ちょっと変わったことをしてやろうか】
 中指を双乳の頂きへ近づけると、オロチはいきなり、指先の「口」で乳首を銜
えこんだ。丸々とした奇妙な指のなかに、いきり立った鴇色の尖りが吸い込まれ
ていく。
「……ふあああッ!」
 唇の感触・口内の生ぬるさ・歯の固さ、そして舌の愛撫。それらが引き金となっ
て、くノ一は二度目の至頂に追いやられていた――桃色の境地。双肩の震えが、
その激しさを物語る。
(ふ、ふぁ…んふぁ……た、ただ…ふぁ…ただ、乳の先を…す、吸われ…てるだ
け…じゃないッ……) 
 果てた後の倦怠感に流されつつも、篝は己に言い聞かせた……しっかりしなさ
いッ。こ、こんなの、大したことじゃない。もし孩子[がいし]をもうけたら、毎
日のようにして上げることじゃないの! 
【ほう、吸われるのが好みのようじゃの】
 精[き]のやりぶりを看たオロチは、その怪異な中指をさらに、膨張している肉
丘へめりこませた。より強く、より深く乳芽を呑み込もうとしての行動である。
 淫命を受けた〈蛇口〉が、肉柱だけでなく麓まで――肌とは違う色の部分を全
て、すっぽりと含んだ。口中に収めたモノを、盛大な音を立てて吸い、粘液を塗
しつつ舐め、痛みを与えないように甘噛みする。
「ふあああッ…ああ、ああッ…い、いや…いやッふはぁ……」
 「大したことじゃない」などと強がっていられたのは、僅かな刻限だった。彼
女はやはり、「肉を超えられぬ」くノ一だったのだ。口の粘膜と乳首のそれとが
擦れるときの、もどかしい痒み。どこまでもぬめらかな、湿性の圧迫感。ぺたり
と張り付いて離れない、呪縛のような吸引感。
「……ふあ、うふああぁ…ふあああッ!」
 吸われているはずなのに……甘い流動物――魔性の蜜が、「吹き込まれ」てく
る。その毒蜜で、双乳を充たされてしまいそうだ。たおやかな果実はさらにふく
らみ、色づき、熟れていく、いや、熟れさせられていく。
【くくく……コイツは続けてやるとするかの。では、秘園荒らしと参ろうか】
 中指からのものを除いた八匹を、オロチはスルスルと移動させた。
 脇腹や腹筋の上を這いずりつつ、〈蛇指〉たちが目指したのは――操の座する
部位だった。脂の乗り具合と肉の引き締まり具合、相反する両者が絶妙の平衡を
保っている太腿。舐りの蛇たちは、まずそこに殺到した。
 ただし一匹だけ、滑らかな女肌ではなく、ごわごわした恥森に潜りこんだヤツ
がいた。縮れた草むらで、その「ひねくれ者」は転げ回っているかのように暴れ
て見せる。三角形の護毛をしっとりと濡れさせると、そのうちの数本を蛇体に巻
きつかせ、引っ張った。
(……ふあッ…あ、い、痛ッ…ああッ、あ、あッ…あひ、ひぃ、痛い……)
 ブチッ。絡められた毛が毟り取られる。そのたびに、瞬間的な激痛が駆け上がっ
てきた。
 「痛い」と思うし、また「痛い」と叫びたいのだが……爾後[じご]にすぐ、乳
頭から別の情――快楽――も押し寄せてくるのだ。苦悦の入り混じり。それは対
処しようのない、女殺しの翻弄だった。
「あ、ひィッ…ひああンッ…あふ、あッふ…ふひッ……ひ、ひあああッ……」
 ビクンビクンと、艶腰が震える。くノ一は両足をすり合わせ、口端から涎の筋
を垂れながし、嗚咽にも似た喘ぎを漏らし続けた……。
【そう暴れるな、舐りにくいではないか……全く、堪え性の無い牝よのう】
 〈蛇指〉たちはゆっくりと、内腿をはい回る。女の丘と草むらを征した化け物
たちは、今度は膝行[いざ]るようにして、女の壷へと近づいていった。
【さて、女陰[ほと]を戴くとするかの……子壷の奥まで、徹底的に舐り回してく
れる……】
 執念を秘めた声。どうやら、オロチのなかでは「目的(秘密を尋き出す)」と
「手段(くノ一を犯す)」とが、転倒してしまったらしい……篝は、そう看取っ
た。
 彼女は今のところ、ヤツから尋問や問い掛けをなされていない。篝はその不可
解さを、「オロチの執心」という形で了解したのだが、
【……仕上げは、〈九孔封[きゅうこうふう]〉で狂わせてくれよう】
 それは、救い難いほどの「読み外し」だった。オロチが強いたりしなかったの
は――ヤツが獣欲の虜になったからでは無かった。単に、そんなことをする必要
が無いから、なのである。それはつまり……。
 森閑としている竹林に、凄絶な笑いが木霊した。



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     【陸】

 ……野薊[のあざみ]を飛び越え、岩肌に着地する。そこで大きく跳躍して、楢
[なら]の太枝に飛び移った。
  枝が揺れて、青葉が擦れる。ザアッという、小雨の如き音。葉についていた朝
露が、東雲[しののめ]の寂光を跳ね返しながら落ちていった。
 ちょっとキレイかも……繭はそう思いつつ、枝上を伝った。枝と幹の境目に土
踏まずを乗せる。もっとも安定し、かつ動きやすい足の置き方。それから四囲を
見回して、己の身体を預けられそうな枝を探す。
 発見と同時に跳んでいた。行動から判断、判断から行動。間に、迷いや躊躇は
一切ない。即断即決にして即決即行。それが忍の進み方である。
 楢の古木から椈[ぶな]の若木へ。跳躍の途中、蜘蛛の巣に引っ掛かった。粘つ
く糸の塊が頬をかすめる。煩わしげにそれを払うと――手の先に、黒と黄の斑模
様。二寸ほどもある女郎蜘蛛がぶら下がっていた。
(……うっわ……なによ、もうッ……)
 蜘蛛や毛虫を嫌うような、そんな娘らしい感性など、彼女たちは持ち合わせて
いなかった。たとえ草鞋[わらじ]ほどの蜘蛛が出てきたところで、怖いとも何と
も感じない(大きいので驚きはする)が、しかし、
(……邪魔なのよ、このばかクモ!)
 とは思う。くノ一は苦無[くない]を振り上げ、八本足を切り捨て
(…………?)
 手ごたえがなかった。切った感触がない。
 彼女たちは、たとえ藁を切っただけだとしても、「斬後感」を感じとることが
できる。なのに、今は全くそれがなかった。外したか? 訝しく思いつつ周りを
見やる。見やったが……蜘蛛を発見することはできなかった。
(おかしいわね……)
 繭は唇を噛んだ。ヘンだ。絶対におかしい。
 己は先ほど、蜘蛛を「狙って」切った。そう、確かに「狙った」。狙ったとい
うことは、実際に「見つけた」ということ――そいつが「居た」ということだ。
百歩譲って、仮に己が切り損じたのだとしても(そんなヘマはしないが)、では、
ヤツはどこに消えた? 辺りに見つからないというのは……一体、どういうこと
なのだ?
「……繭。何、惚けてやがんだ」
 統率者の不機嫌な声。繭は慌てて、声のした方へ向かった。
 彼女を呼び付けた中忍は、古杉の樹上に立っている。女にしては太い両腕を組
みつつ、くノ一は遥か眼下を睨んでいた。
 その大柄な脊背[せきはい]を目がけ、繭はムササビのように木々を跳び渡る。
人型の風と化しながら、下忍は頭領の側に近寄った。
「どうなさいました?」
 到着するや否や、まず尋ねる。麗奈――〈青龍衆〉の頭領――が、その前進を
自発的に止めるというのは、かなり珍しいことだった。こう言っては何だが……
彼女は、将棋の香車みたいな性質をしている人なのである。
「……感じねえか?」
 低い、押し殺した声。ぶっきらぼうなのはいつもと同じだが、今のそれには嫌
悪感が滲んでいた。それも、不倶戴天[ふぐたいてん]の相手を前にしているかの
如き、強烈極まるもの。
「何か……あるのですか?」
 そう応じながら、繭も五感を研ぎ澄ませた。
 このような場合にくノ一たちが重視するのは、耳と鼻――聴覚と嗅覚である。
視覚は手軽だが、環境に操作されやすい。味覚と触覚は確実だが、なかなか作動
させにくい。確度と利便、この両者に秀でているのは、音と匂いなのである。
 山林を風鳴りが抜き抜ける。濡れた土の、湿った匂い。遠くから聞こえてくる
のは、四足獣の跫[あしおと]だ。それに混じって漂ってくるのは……これは……
血匂、か。それも人血らしい……そして、え?……この酸い匂いは……これは…
…女の愛蜜では……。
「気づいたな?……どうやら、あそこだ」
 麗奈が示したのは、磐石[いわくら]の真下だった。一度掘り返され、埋められ
た後がある。
「……野盗どもが……狼藉を働いたのでしょうか?」
 犯した女を殺して捨てる――悲しいことだが、よくあることでもある。
「阿呆! 野盗が手籠めにしたナオ[女]を、埋めたりなんぞするかッ」
 苦々しげに吐き捨てた。天女の如き麗貌が歪んでいる。
「……麗奈、さま?」
「くそッ、何てこった」
 山吹色の髪を、頭領は苛立たしげに掻き毟った。
「あたしは、このテのもんは大っ嫌いなんだよッ……こういうのは、美雪の得手
じゃねえか」
 呟きながら、飛び降りる。かなりの高さなのに、彼女は着地音を立てなかった。
そのまま、「怪しい」と言った場所に近づいていく。
 繭も慌てて、その後を追った。
(麗奈さまは先程、『美雪の得手』だと言った……)
 美雪というのは、〈開耶忍軍〉のもう一派――〈朱雀衆〉の頭領・美雪さまの
ことを指しているのだろう。彼女は、房事と祭事とを専らにするくノ一だ。
「何なのです? どうしたのですか、麗奈さま?」
「……あの『陰険娘』にな、散々聞かされたんだよ」
 応じながら、麗奈は苦無で土を掘り返し始めた。
「義光は最近、『巫蠱術[ふこじゅつ]』ってヤツに凝っていたらしい。〈朱雀〉
の雀どもが集めた確報によれば……あの野郎はここ数年、唐国の古書を買い漁っ
てたそうだ。それに、ヘンな客どもを招いてもいたらしい」
 堀り進めるうちに、穴から奇しき匂いが漂ってくる。発酵しすぎた味噌みたい
な異臭。
「ふ、『巫蠱術』とは……何なのですか?」
 繭は、唾を嚥下しつつ尋ねた。何のことなのか良く分からないが……それが極
めて危険なものらしいことは、彼女にも理解できた。聞いただけで、なんだか、
下っ腹が涼しく感じられてきたのだから。
「あん? んなこと、あたしに分かるワケねえだろ…………まあ、聞き齧りを言
うと……なんだっけ?……えーと……そう、呪詛の一種だ。あの『化け物娘』が
言うには……」
 「化け物娘」とは無論、美雪のことを指しているのだろう。「陰険娘」とか
「化け物娘」とか、麗奈は先程から、美雪のことを悪し様に呼んでいるが――実
はこの二人、豪[えら]く仲が良いのだ。むしろ、良すぎるくらい。友情を通り越
していると、そう評せそうなほどに。
「……まず、『蠱』を作るんだそうだ。瓶のなかに、蜘蛛やら蜈蚣[むかで]やら、
蛇やら蚕やらをぶち込んで、土のなかに埋める。瓶のなかでそいつらに共食いさ
せるのが狙いらしい。
 そして、七日後に取り出す。出したときに生き残っていたヤツが……」
 ガリッ。苦無の先が何かに当たった。繭も手伝って、埋まっていたモノを取り
出す。土中から出て来たのは、黒ずんた瓶だった。
「……蠱に成りうるヤツなんだそうだ。その後……祈祷だか何だかを施してから、
そいつを放つ。相手の家に直接持ち込んだり、蠱に文字[もんじ]を刻んで覚えさ
せたりするらしい。そうすっと、蠱が相手に憑き、殃[わざわい]を呼び込むよう
になる……」
 瓶はどういうわけか、ほんのりと温かかった。その陶表には、墨で文様が描か
れている。蓋には、雁皮[がんぴ]と思しい一枚の古書。描かれていたのは、五芒
の星だ。
「……せ、晴明五芒[せいめいごぼう]ですか?」
「んな可愛いもんだったら、いいんだけどな……」
 麗奈は臆することなく、古書を破いた。
「……あの『へちゃむくれ娘』の話だとな、この巫蠱術には、色々と枝葉がある
んだそうだ……その一つに、『蠱哭法[ここくほう]』ってのがあるんだと。これ
は……」
 しばし考え込む。
「……これは……何だっけな?……えーと、そうだ。要は、より強い蠱を造るた
めの術だ。で……この術を施すときには、女の愛蜜が利用されるらしい」
 そういうことか。ここまで来て、繭はようやく、麗奈の対応に胸落ちした。
「この瓶が……それに当たると?」
「断じれねえが……たぶん、な。その邪法だと、殺し合いのなかで生き残ったヤ
ツに、女の月経と愛蜜とを与えて、さらにもう一週ほど土中に放置する……」
 語りながら、木蓋に苦無を突き刺す。グイッと捩った。
「すると……どうなるんですか?」
「詳[つまび]らかなことまでは、覚えてねえよ。己で『童顔娘』に尋きな……要
するに、強えヤツが出来んだろうよ……むろん欠点もあるらしいが」
「欠点?……何なのですか?」
 蓋と瓶との間に、かすかながら隙間が生じた。そこから腐臭が立ちのぼってく
る。鼻孔を爛れさすような匂い。鼻粘膜を突き刺してくるのに、喉の方に流れる
と粘つく。
「あ? ああ、確か……女の液で育てられたヤツは、融通が効かねえらしい。たっ
た一種類の呪にしか、使えないそうだ……」
 言いながら、麗奈は蓋を開けた。
 ヒュンッ――その途端、瓶から何かが飛び出してくる!
 常人ならば、それを視界に収めることすらできなかったであろう。鏑矢の如き
速さで、それは麗奈の朱唇めがけて突進してきたのである。
 だが、〈青龍衆〉の頭領は動じなかった。敵と同じ、いやそれ以上の俊敏さで
苦無を一閃させる。琴の弦が切れたような音と共に、不埒者は地へ落ちた。
 地面で断末魔の蠢きを見せていたのは――両断された蛇だった。変色し、変形
しているが……おそらく、ヤマカガシであろう。
「……〈蛇蠱[じゃこ]〉、だったか」
 忌ま忌ましげな呟き。繭はそれを耳にしながら、蛇だったものに手を伸ばした。
もう、ほとんど動けない筈だろうから……。
「触るなッ!」
 くノ一が手を引っ込めたのと、蛇が彼女の繊手に噛みつこうとしたのは、ほぼ
同時だった。あと数瞬遅れていたら、危なかっただろう。
「阿呆、言っただろうがッ。唯の蛇じゃねえんだッ」
 言いながら、麗奈は苦無を〈蛇蠱〉に突き刺した。刺し続けた。
「……この蛇どもは、与えて貰った餌――愛液を求めて、女をずっと呪い続ける
んだよ……噛みついた女を淫乱にし、取り憑いた男を己の木偶にする。そうやっ
て、己が渇望を癒そうと……つまり、女の蜜を啜ろうとするんだ」
 繭は顔を蒼ざめさせながら、中忍の語りを聞いていた。
(へ、蛇が…人の愛蜜を……欲するようになるなんて……)
 悪夢だ……畜生道そのものではないか!
「急ぐぞ、繭……あたしは、あの『カマトト娘』と違って、呪いなんぞ信じちゃ
いねえが……」
 麗奈が立ち上がる。大きく弾む双つの乳球たち。
「……こんな邪法に手を出す輩がいるってこと……それ自体が、要注意だ。
 神だの呪いだのと、視えもしねえコトを言い出すような、そんな馬鹿は……ま
ず大抵、此岸[しがん]を見ようとしねえ。道理を解そうとしねえ……早え話、ロ
クなことをしねえ」
 頷いて、繭も立ち上がった……なんてことだろう。義光のヤツは、いったい何
をやらかそうとしているんだろう? 
 篝ッ、ああ篝ッ。繭は両手を握り締めた。心配・不安・動揺――忍たるものが
決して抱いてはいけない感情に、彼女は囚われ始めていた。胸郭内に冷や汗を流
しながら、疾り、跳び、駆ける。早く、一刻も早く。
 だから、繭は気づけなかった。気づいていなかった。麗奈による巫蠱の説明の、
その一説――

『……瓶のなかに「蜘蛛」やら蜈蚣やら……』

 黒と黄の女郎蜘蛛。彼女の目前から忽然と消えた、不思議な八本足。まるで化
け物のような……。



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     【漆】

「……ふ、ふあ…ふあンッ…ふ…ふあ…ふあァンッ!」
 篝は腰を揺すりつつ、すすり泣きを漏らしていた。双肩を捩り、長髪を揺すり、
両足をすり合わせ――艶体に溜まっていく悦びを吐き出そうと、ささやかな努力
を重ねる。
 だが……注入量と排出量との差はあまりにも大きかった。くノ一は完膚無きま
でに、
(……あああッ…な、なんで…なんで、こ…こんなに……)
 悶えさせられていた。拒絶の意志や嫌悪感、くノ一としての使命感や矜持など、
己を律していたもの全てを、ジワジワと蕩けさせられていた。
【あまり使い込んでおらぬようだの?……勿体無い。女陰は唯一、女のなかで価
値ある器官だというに。くくく……詮方無い。儂が丹念に磨いてやるかの】
 「丹念」。その宣言通り、〈蛇指〉たちの弄いは実に、執拗かつ巧緻を極めて
いた。女壷の造りと秘園の構[く]い、それらを知悉[ちしつ]している者のみが施
せる愛撫。鼠蹊部・陰弁・秘裂、それぞれに蛇がまとわりつき、責任を果たすか
のように犯してくる。
 舐めずる。擦り上げる。引っ掻く。揉み込む――それも粘質の、ネトネトした
感触と共に、だ。陰湿の、気分を悪くさせられそうな刺激。しかし、これに乱暴
なくらいの蠢きが付随すると、
(こ…こん…こ、こんな…こ、こんなにぃ……)
 事態は一変する。軟らかさ・湿っぽさ・粘っこさ。心に寒気をもたらしてくる
数多[あまた]の属性が……肉には、嫌になるくらい結びつくのだ。女肌を通過し、
女肉に潜り込み、体芯に染み込んで、
(……気持ちいいのよォッ!)
 染めてくる。圧してくる。蝕ばんでくる。
 女体を波打たせながら、篝は心のなかで絶叫していた。気持ちいい。泣きたく
なるくらい――実際、泣き喚いているのだが――心地よかった。胸のうちで心臓
が暴走し、頭のなかで痺悦が炸裂している……。
【さてさて……となると、「こちら」も手入れされてないのだろうな。快の濫觴
[らんしょう]だというに】
 〈蛇指〉が一匹、裂け目の上端へと向かった。そこで戦[おのの]いているのは、
ぷっくりと膨れた突起。充血して皮冠からはみ出た、女の尖りである。
 肉具はまず、亀裂からあふれ出ている恥涎を、それに塗りたくった。
「ふあッ」
 くノ一の腰が跳ね上がる。まるで、そこが別の生き物であるかの如く。
【おうおう、威勢の良いことだの】
 嘲りながら、凌辱者が舌を操る。陰核と皮との隙間に潜り込ませてから、その
蛇みたいな形状を用いて、尖りを結わえた。
「うあああンッ!」
 篝の黒髪が、生き物のようにうねった。結わえられる、舌で縛られるという責
め。双乳にも同じ折檻を受けたが――やはり、慣れたりなどできなかった。
 搦められ、括られる。締まりがキツくなるにつれて、歯痛のように湧いてくる
痺れ。それは尖りを痼らせ、腰を蕩かせ、女肉のなかにゆっくりと、痺悦の根を
張り巡らせ始める。くノ一が小刻みに震えていると、
(…………!)
 キュイッ。何の前触れもなく、秘核を捩り潰された。嬌声を上げる寸前に、更
にその逆方向へ捻られて、
 ――プシャアァァッ。篝は、秘裂から潮を噴き出していた。粘り気のある液体
が内股を濡らしていく。その恥実に気づく間もなく、彼女は昇天していた。
【この程度の閨技にも堪えられぬのか……ほんに他愛無いの】
 慨嘆に続いて、姫根嬲りが本格化した。悦楽の源を押し潰し、捻り弾く。その
表層を「丹念」に舐り回す。
「うあ…あ、ああッ…う、うあ…うああ、あああッ…うふあああッ」
 それだけでも耐えられないというのに――秘園への苛みも、乳首への責めも一
緒に襲ってくるのだ。
 精をやらされたと思ったら、すぐにまた、間髪入れずやらされる。その繰り返
し。染められ、毀たれ、蝕まれていく。
(……ふあああッ!………だ、ダメよ…も、もお…もお、こ…こんなの……)
 た、耐えられない! くノ一は終に、諦観した。このまま責められ続けたら、
本当におかしくされてしまう。そうなったら――オロチが尋ねてきたことを、隠
し通さなくてはならぬ秘密を、ヤツに漏らしてしまうかもしれない。
 駄目ッ! それは……それは絶対に、許されなかった。緘黙[かんもく]は、
〈開耶忍〉たちの金科玉条[きんかぎょくじょう]だ。掟を守るためならば……己
の任務を捨てても――即ち、死んでも……。
 自力で逃げることは、出来そうもない。他力――助け――が訪れるまで耐える
ことも、不可能なようだ。ならば……篝は、己の舌を突き出した。
 それまで考えないようにしてきたこと、忍里の様子や友の顔を一瞬だけ、ほん
の一瞬だけ思い浮かべて……。
「……んぐううッ?」
 寸前、だった。くノ一が舌を噛み切ろうとする直前、その口腔に何かが突入し
てきた。
 細長い筒状のモノ。軟らかく、生ぬるく、そして粘ついている。さらに、軟ら
かい割には弾力があった。篝は噛み切ろうと試みたが、無理だった。
 これが何であるかは……考えるまでもない、〈蛇指〉だ。酸っぱい味がするよ
うに思うが、それは多分、汗や恥蜜といった己の体液のせいだろう。
【……そう来ると思っとったが】
 相手を見透かしたような冷笑。
【させぬよ……言った筈じゃ、儂には尋きたいことがある、とな。それを明かし
て貰うまで、死なせたりはせぬ】
 〈蛇指〉たちが、それまで犯していた場所から離れた。統一された意志の下に、
彼らはゆっくりと移動し始める。
【そう、死なせたりはせぬよ。くくく……死よりも惨い目に遭って貰うのだから
の】
(……な、なに…なにを……しよう……っての……よ……) 
【いや、別に惨くなどないか。これ以上ないくらいの「女の幸せ」を享受させて
やろうというのだからな……そう、これ以上ないくらいのヤツを……】
「……ンッ!…ン、ンンーン…ンンッ!」
【そんなに慌てるな。急がずとも、たっぷりと味わわせてやる】
 くノ一の眸に怯えが走った。慌てているからでも、急いでいるからでもない。
惧れているからである……オロチのヤツは、あたしをずっと嬲り続けるつもりな
んだ!
 慄然とさせられた。魂まで凍りつきそうな気分。あたしが喋るようになるまで
……この恥辱を、この舌弄を、この魔戯をずっと……。
【〈九孔封〉――女体の要孔を全て貫くという、房中の秘技だ。くくく、滅多に
受けられるものではないぞ】
 篝は千切れそうなほど首を振って、「拒絶」の意思表示をする。
【耳孔・口孔・乳孔・臍孔・尿孔・膣孔・肛孔、計九つ。これら全てを、儂の
〈蛇舌〉と〈蛇指〉で犯す。その喜悦がどんなものになるか……まあ、されてみ
なければ分かるまいが……】
 嗜虐の意志そのもののような嗤い。
【一つ、教えておいてやろうかの……房中術ではな、喜悦を「流れ」と考える。
肉の裡を流れ、最後に「子宝」として結実するもの、とな】
 オロチは【儂は子孫なんぞに興味はないが】と、咳払いをした。
【流れには、「入口」と「出口」が付き物だ。そうでなければ、「動き」ではな
くなるからな。
 女の場合……前者は至るところにあるが、後者は孔の部分だけだ。それを塞が
れると……流れ――喜悦は行き場を失い、女体に蓄積していく。いや、溜まるだ
けでは無いぞ……】
 にいっ、下卑た笑み。
【……そうだのう……川の合流地点では、他の場所よりも川底がずっと深くなる
ことを想えば……それで理解できるかの? つまり、流れと流れとが交錯すると
きは、「響き合い」が生まれるのよ】
(……い、いや…やめてッ……やめてえェッ!)
 悲痛な叫びは、ただのくぐもった呻きにしかならなかった。
【まずは耳、と……】
 〈蛇指〉が両耳に栓をする。
 口は既に終わっていたから、次に塞がれたのは乳孔だった。乳首の尖端にある
切れ込みへ、細長くなった〈舌〉が潜り込んでいく。
「…………!」
 胸肉を犯される! 勿論、初めての経験であった。激甚な痛みが、炎となって
燃え上がる。双つの丘に溜められていた、悦びの毒蜜が燃料となって、炎は一気
に盛った。
 次に臍。これも当然、初めてだった。常人を相手にしている限り、これらの孔
が利用されることなど、ありはしない。皺をかき分けて、ヌルつく肉筒が入って
くる。腹部、内臓を貫かれる感じ。母の胎内にいた頃――幼き頃を思い出させる
ような痛み。不思議な懐かしさに満ちた疼き。
【お次は尿孔、と……ん? 何だ、動かせぬ……】
 何か異変が起きたらしい。暫く後、オロチは盛大に舌打ちした。
【……誰か「法」を解きおったな!】
 怒鳴り声を上げて、篝をねめ付ける。
【そうか……当地の重要度を鑑みれば、牝鼠一匹だけで偵する筈もない。他にも
まだ、鼠どもが忍んでおったのか……】
 歯軋りの音。
【おぬし、それをおくびにも出さずに……くそッ、意識すらせなんでおったな。
していたなら、儂が読み取れぬ筈がない……くッ!】
 叫ぶなり、尿道と菊座に、別の〈蛇指〉を突っ込んだ。
「……ンンンッ!」
 オロチは続いて、〈蛇舌〉を秘口に当てた。
【もう遊んでおられぬ……〈九孔封〉で犯し抜き、唯の木偶にしてくれる。己の
意志など微塵もない、哀れな肉傀儡に作り変えてくれる!】
 〈蛇〉が動いた――



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     【捌】

 ……遠見する。
 城内には明かりが満ちていた。刻限から推すと、多すぎるくらいである。しか
も、その多くが移動している――人が手に持っているのだろう。この状況から判
ずるに……繭は小首を傾げた。多分、大規模な探索が行われているのだ。
 ということは。
 逆説的に「篝は拉致されていない」ということである。忍びに入った刻限から
いって、いくら何でも城内に残っているとは考えにくいから……城の外には出た
と、そう考えても良い。
 すると――何かがあったのは、城外から待ち合わせ場までの間。「雷松」に至
る道程で、障害もしくは妨害に出くわしてしまったのだろう。
 くノ一は、脳裡に絵図を広げた。城を中心にした、四方一〇里の地形。〈開耶
忍〉たちは、潜む前に必ず、任地の絵図を頭にたたき込まされる。
(えーと、篝の駆け方だったら……)
 やはり、「木遁」していくだろう。追っ手や尾行を確実に捲く駆け方だし、し
かも、あの「イタチ娘」は……草木のなかを進むのが、どうやら好みであるらし
い。
 そうなると、多少遠回りにはなるが、城を出て北東に向かったと、そう考えら
れた。その地に立派な竹林があるからだ。
 さらに、竹林の果ては山へと繋がっていた。この経路を使えば、森林という隠
蓑から出ることなく、「雷松」まで辿りつける。
「……竹んなかに、入るぞ」
 同じ結に至ったのだろう。麗奈が、そう指令してきた。瞼の動きだけで了承の
意を伝えた。
「そこで会えなかったら……」
 微かなためらいの後、
「……戻る、からな」
 つまり、諦めるということ。篝を見捨てるということだ。
 酷薄だが、正しい決断である。また、仮に正しくなかったとしても……下忍で
ある繭に、中忍である麗奈の、その決定を覆す力は無い。
「……御意」
 麗奈の立場からいけば――繭に対して、そんなことを告げる必要すら無いのだ。
「帰る」と断じる、それだけで良いのである。
(麗奈さまったら、このヘンが甘いのよね……)
 繭は、そんなことを思った、無理やり思った。それを思うことで……そんな風
に、己の思考をねじ曲げることで、彼女は不安――「もし篝を見捨てるようなこ
とになったら」――を押し殺そうとしていたのである。
「大丈夫……篝の馬鹿は、必ず拾ってく」
 ぽん、と肩を叩かれた。女のそれとは思えない、大きな手。
「麗奈……さま……」

 くノ一たちは、笹薮のなかへ踏み入った。



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     【玖】
 
「……ンンンンンンンンンンンンッ!!」
 汗だらけの女体が、またもや跳ね上がった。汗と蜜とで輝いている裸体は、腰
にオロチを乗せたまま浮き上がり、そして地面に沈みこむ。
「……ンンーッ……ンッ……ッ……ンぐうゥゥゥッ!」
 鎮静の後、同じ跳躍が繰り返された。生白い――今や、淡紅色に染まっている
が――背筋が弓なりに反り、黒髪が蛇のようにうねる。淫慄[わななく]く四肢。
何かを掴もうとして、空しく開閉する掌。
 グチュ・ずちゅ・ブチュ・ぬちゅ。
 そんな反応にはお構いなく、〈蛇〉たちは抽挿を繰り返していた。耳孔を充た
し、朱唇を汚す。乳孔を拡げ、臍孔を穿[ほじく]る。尿孔を擽[くすぐ]り、肛孔
を弄る。そして――
 蜜壷を突き、貫き、征する。
(……ンああああああああああああああああああああああああああああああッ)
 孔という孔を串刺しにされる! 四方八方から雪崩れ込んでくる、人外の魔楽。
吐き出されることのない悦びが、頭蓋・乳丘・臓腑・排泄器、そして胎内で混じ
り合い、影響しあい――爆発する。
(…あう、はあうッ…ふあァうぁうゥあ…し、し…しふぅ…し…し、し……)
 ズチュウウウウッ。
 粘膜を圧し潰す挿入。孔管を引っ掻き回す抽出。その都度、女体の内側で桃色
の業炎が爆ぜる。燃やし尽くし、毀ち尽くし、塵も残らぬように滅し尽くす。
 ぐちゅ・ズチュ・ぶちゅ・ヌチュ。
(……死ぬううぅぅぅぅッ!)
 くノ一は再び、跳ね上がった。絶叫――呻き声にしかならいが――と共に、凄
絶な牝天へ昇り詰める。
【くくく、どうかの? 儂の秘技を娯しんでくれておるかの?】
 奢りに満ちた笑い。
 だが、今の篝には……オロチがどんな声で笑っていようと、それはどうでも良
いことだった。そんなものとは比べようがない程に囂[かまびす]しい響きが、内
側に――彼女の体内に流れているのだから……。
(……くうッ…ひ、ひあ…ひッ…な…な、なかで…ひ、ひあああッ……)
 痴楽の反響。主旋律となっているのは、子宮から押し寄せてくる肉悦だ。女に
しかない空洞でがなり立てられる、抜き差しの充填感。それが骨盤を揺らし、く
ノ一を牝の境地へさらい上げていく。
 しかしながら――その上昇も、乳孔からの快楽によって、せき止められてしま
うのだ。女にしかない隆起のなかでのたうち回る、串刺しの異物感。それが乳肉
を崩し、篝を奈落の底へ突き落とす。
(……ああッ…あ…な、なかで…なかでェェェッ…ああッ…ひ…ひび……)
 かと思うと――その下降もまた、肛孔からの痺慄によって押し戻されてしまう
のである。排出しかしない隘洞のなかで弾け飛ぶ、逆巻きの封入感。それが仙骨
を捩り、女を、通常では在り得ないような「高み」へと突き上げる。
 だが。
 その突き上げもまた、耳孔からの魔悦によって――
(……あひッ…ひ、ひび…く…ああッ…ひ、響い…ひ、響いてるうゥゥッ!)
 その繰り返し、なのだった。
 くノ一は、身も世も無くのたうち回っていた――瞬きから痙攣、涙から尿、嗚
咽から絶叫(といっても呻きだが)、ありとあらゆる痴態を呈して、悶え狂い、
よがり喚いていた。
(……ああッ…た…ああ…た、たす…あ…助けて…助けてェッ……)
 紡ぎ出される快感は、女体から決して吐き出されず、その肉裡に溜まっていく。
しかも溜まるだけでなく、お互いに混ざり合い、響き合い、増幅し合うのだ。
「……ンンーッ!…ッ…ッ…ッ…ンンンッ!…ッ…ッ…ンン、ンンンッ!」
 絶頂が加算されていく――鼠算式に膨れ上がっていく!
(……た、たすけ…イ、い……いく、イクぅぅぅうああァウアああァッ!)
 性の喜悦。
 肉の痴楽。
 牝の痺快。
 それは体内に命を宿す生き物――女――の奥底を、絶対的に貫いている律令で
ある。「性」という宿命に課せられた大原則が、肉体的にはくノ一の御髪の毛先
から足の指先まで、精神的には単なる触感から魂の根幹まで、つまり彼女のあら
ゆる部位を犯し、貪り、蕩かしてきた。
(……もぉ…もおゥゥッ…ふああぁッ…もぉ…か、かん…か…んにん……)
 快楽浸けの刻限。極楽である筈のそれも、今の篝にとっては地獄の、いやそれ
以上の責め苦だった。
(……堪忍してぇぇぇぇぇぇぇぇッ!)
 桜色に染まった女肌の下で、狂ったようにすすり泣きながら、くノ一はついに
屈伏した。これ以上、この婬らの煉獄に耐えることなど、できなかった。この人
外の魔悦に抗うことなど、できなかった。もう臨界だった。
 果て続けること。精をやり続けることの恐ろしさ。それは「擬死」などという、
生易しいものではなかった。こんな淫拷に耐えられるものなど、居る筈もない。
【……そろそろ、素直になってくれたかの?】 
 下卑た笑いを閃かせつつ、オロチは女の口から〈蛇指〉を抜いた。同時に、
〈蛇〉たちの動きを停止させる。
 溢れてくる大量の唾液。あられもない淫叫が続いた後、
「くあぅン…ンひッ…し、しゃ…しゃべ…ふあッ…はふァ…喋りま…ふぅ……」
 篝は、泣きを入れていた。舌足らずに、許しを請うていた。
 こ、こんな…こんな筈じゃ……信じがたい想いが、どこか遠くで、恰も他人事
のように揺らめいている。自白。〈開耶〉最大の禁忌を、あたしは今犯そうとし
ている……しかも自発的に。
「……はふ、ふはぁう…は…は、白状…ふンァ…白状しまふからぁ……」
 執拗に問い掛けられた訳でも、言質を盗まれた訳でもなかった。度重なる舌戦
があった訳でも、緊迫した激闘があった訳でもなかった――ただ、女体を弄ばれ
ただけ。それによって、悦ばされただけ。実際に質問されたのはたった一度――
「素直になったか?」。これだけである。
 けれど。
 耐えられなかった。限界だった。もう、もうダメ……。
【しますから?……ほう、「交換条件」のつもりなのか?】
「……だ…だから…だか…らあああああああああああああああああああああッ」
 ぐちゅ・グチュッ・ぐちゅっ・グチュ。
 オロチが、意地悪くも〈蛇舌〉を突き入れる。悪意そのものの愛撫。蜜壷を捏
ねくり、捻り、抉り回す。
「あああッ…ああッ、あああッ…ああッ……」
 くノ一は無秩序に暴れまわった。涙に唾液、汗に恥液、更に尿まで垂れ流して、
彼女はまた、何十回めかの絶頂に突き上げられていた。
「……言いまふ…言いまふうぅぅぅ……ひ、ひえ…ひ、ひわせて……言わせてく
ださひぃッ!」
 逃れたい、この昇天地獄から逃れたい――その希い以外、篝には何も無かった。
その一心以外、何も残っていなかった。忍としての矜持・〈開耶〉の金科・朋友
の表情・女の謹み。そんなものは、既に彼方へ消えていた。
 もういや……イヤなの……何だって、そう、何だってします……しますから、
だからもう……もう止めて……お願いだからもう止めてッ!……あたしを、あた
しをイかせないで……。
【そうか、では尋くとしようかの……念の為に言っておくが……】
 オロチはフン、と鼻息を飛ばした。
【……もし、話している最中に妙な真似を――例えば、舌を噛み切ろうなどとい
う真似をしたら……儂はもう二度と、おぬしに尋ねたりせぬぞ。儂が厭きるまで
ずっと、肉刑に処してくれるからな】
「……い、いや…いや、いやああああああ……」
【そう怯えずとも良い……妙な真似をしたら、と言っただろうが。おとなしくし
ておれば、そのような惨い、もとい、喜ばしい真似などせぬよ】
「……は、はい…はいぃ……」
 頷く。聞き分けの良い童女のようにして。
「わ、わかり…わかりました……」

 そして、篝は語り始めた。
 宗家の意向・忍軍の現状・くノ一たちの素描。それはオロチの耳だけではなく、
風に乗って周囲にも運ばれ……そして、蜘蛛の巣に引っ掛かった。
 網の中央にいた女郎蜘蛛が、尻から糸を吐き出し始める。糸は風に乗って、ス
ルスルと流れていった……。 

 ……長い語りが、終わろうとしていた。
「こ、これで……あたしが知っていることは……ぜ、ぜんぶ……」
 篝がそう言った瞬間、
【待てッ……おぬし、今何をしようとした?】
 オロチがいきなり、怒鳴り声を上げる。
「……え? べ、別に……何も……」
【いや、今確かに、「舌を噛み切ろうとした」な?】
 急激な話の展開に、くノ一は暫し呆然としていたが……やがて、オロチの真意
をくみ取った。くみ取らざるをえなかった。
「そ、そんなあッ!…あ、あたし、そ、そんなこと……」
 絶叫する。
「……し、してません、して……んぐうッ」
 弁明の機会すら与えられずに、篝はまた、口を封じられた――自死するための、
その唯一の手段を奪われたのである。
【まったく、あれほど言っておいたのに……どうやら、罰を下さねばならぬよう
だの】
 心外そうなため息。さもらしいことこの上なかった。
(……あああッ…ひ、ひどい…は、初めから…そ、そのつもりで……)
 くノ一は悲痛な呻きを漏らした。
【ふうッ、哀しいのう……残念だが前言通り、儂が厭きるまで処するとしようか
の……仲間内だと、儂は根気強いことで通っておる】
 グチュウッ。
(……いやああああああああッ!)
 耳孔・口孔・乳孔・臍孔・尿孔・肛孔、そして子宮――女の要穴を塞ぐ性の魔
技。忍である篝の口すら割らせた、そんな女狂わせの秘術が再度、哀れな犠牲者
に施された。
 肉と肉がぶつかり合い、
(……ああッ…ひ…ひあああッ…ま、また…またあああッ)
 粘液と牝臭が飛び散る。
(……んひ…ッ…ンひぃいッ…ひ、ひく[イク]…ヒクゥッ…うあ、あ、あ……)
 喘ぎに、呻きに、
(……あああッ…く、く…くるぅ…くるのおぉ…あァッ…くるうううッ……)
 絶望的な涕泣。
(……うああッ…ああッ…あッ…あ、あ…あ……あ…………あ………………あ)
 彼女は――蝕まれていく。
 肉傀儡へと変えられていく……。



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   【拾】

 ……竹林を歩くときは、足元に注意する必要がある。地中から顔を出したばか
りの筍があるからだ。
 上から見ただけでは分からないような、そんな新顔たちは――実は「天然の撒
き菱」と言っても良いものだった。不用意に踏んだりすれば、その鋭利な尖端に
足裏を刺されてしまう。
 足元と四囲、その両方に注意を向けつつ、繭と麗奈は探索を続けていた。竹を
かきわけ、薮を押しのけ、上野の居城からはすぐ近くのところまで辿りついてい
た。かなりの危険地帯にまで分け入ったのである。
 これが別の頭領――たとえば、美雪――だったら……と、繭は思った。此処ま
で探しに戻ったりしないだろう。こんなに城の近くまで来てしまったら、木伊乃
[ミイラ]取りが木伊乃になりかねない。
 もう限界まで来ている――いくら麗奈であっても、これ以上は無理だろう。此
処で終わり。だから、だから篝……出てきなさいよ!
 心のなかで叫んだ途端、前を進む中忍の挙動が止まった。
「……こっちだ!」
 麗奈は走り出す。繭も慌てて、その後を追った。
「この匂いは……マズい、相当犯られたな……」
 呟きに従って、下忍も鼻をひくつかせる。
 竹と土の香に混じって流れてきたのは……血・汗・尿、そして女蜜の匂いだっ
た。これだけ揃っていれば……間違いない。篝は嬲られたのだ。ただ……栗花の
香り――精液の匂いが全くしないのは、どういうことだろう? 
 まあ、良い。不思議ではあるが、それよりも大事なのは……篝の安否、だ。駆
けていく途中、麗奈が指合図を送ってきた。
『左手へ回れ』
 匂い源の周囲に人がいないかどうか、それを確認せよ。
『応』
 と返して、跳ぶ――確かに、「篝を囮に使った罠」という可能性もある。忍の
行動において、用心に「過ぎる」という値はないのだ。
 察気をしつつ、くノ一は這うようにして匂い源に近づいた。
 やや開けた場所に到達する。そこに居たのは――豊かな肉付きをした裸女だっ
た。脚絆以外の全てを剥ぎ取られた女。間違いない、
(……篝ッ!)
 すぐにも駆け寄りたかったが、麗奈の命が無い。おそらく、四囲を確認してい
るのだろう。
 待機している間、繭はじっと、朋友の姿を凝視していた――丘のような胸が、
ゆるく上下動している。ということは、まだ生きている! 痕や怪我は見られな
いから、肉体的には何の損傷もないようだが、
(……一体、どうしちゃったのよ?)
 微動だにせず寝そべっているのは、どういう訳だろう? まるで、命の無い人
形のよう。
「……よし、大丈夫だ」
 麗奈が駆け寄る。繭もそれに続いた。中忍は裸女を抱き起こすと、「篝、篝ッ」
と呼びかけた。
「……ん…………ふぁ…………は…………ふン…………あ…………ふ…………」
「……ど、どうしちゃったの? ねえ、篝ッ!」
 繭がその肩を揺する。しかし、何の応答もない。篝はただ、「ん」とか「あ」
とか、言語ですらないような音を「発している」のみ。
 そう……発しているのであって、繭たちに「返している」のでは無かった。そ
の眸には何の輝きもなく、生きているのか死んでいるのか、判別付け難いような
状態だった。
「……くそッ、壊されたな」
 麗奈が舌打ちする。
「仕方ねえ、このまま連れて帰るぞ……帰路は変更だ。まずは娘宿に行くぞ。そ
こでコイツを診て貰うんだ」
 言いながら、裸体を担ぐ。
「……繭、先に進め。道は任せた」
「ぎょ、御意ッ」
 叫ぶように答えると、繭は脱兎の如く走り出した。早く、篝を早く診て貰わな
いと。このままだったら、死んでいるのと大差ない……。
 二つの人影は薮のなかに潜りこみ、そしてすぐに見えなくなった。

 その様子を、女郎蜘蛛がじっと、じっと見詰めていた……。


 ――甲濃の妖宴。
 血ではなく愛蜜、命ではなく心、男ではなく女が標的とされたこの怪異は、此
処から本格的に、その幕を開ける。「宴」の舞台に引きずり上げられてしまった
〈開耶忍軍〉・くノ一たちの未来に待っていたのは――
 人知を超えた魔悦。
 救いのない、果てしなき淫獄。
 隷従と支配、受動と能動、雌と雄の狂界……。

 篝に続いて第二の餌食となったのは――繭という名のくノ一であった。
 彼女は〈蜘蛛手[ちちゅうしゅ]〉の魔嬲を受けることになるのだが……

 ……それは又、別の話である。
                               (終)


====================================
   【后記】

 作品は読者のモノですから、読者の「読み方」を縛るような、そんな後書きな
るモノなんぞ無いほうが良いのですけれど――3つほど。

・まずは、その1。

『本作品はフィクションであり、実在する如何なるものとも関係ありません』

 特に、作品中の「女性観」に関しては、全くのフィクションに過ぎないもので
あることを強調しておきます。無粋とは思いますが、この点は固く、固く固く、
お断りしておきます。
 「肉に心が引きずられる」・「肉を超えられない」などといった、このような
『官能小説的女性観』は、性幻想(特に西洋近代の幻想)に基づいた、全く無根
拠なものです。なかにはそれを取り込んで、上手く活用しておられる女性もいらっ
しゃいますが、しかし、そのような方々を「普遍」と取るのは、男側のエゴイズ
ムに過ぎません。
 ま、平たく言えば……性犯罪なんかしないで下さいね(笑)。

・その2。
 小説は基本的に、お手本が必要なものです。先行文献があったればこそできる
もの。感謝の意を込めまして、ここに、参考にいたしました労作を列挙させて戴
きます。

  早乙女貢 1964=1993, 『忍法無情』 徳間文庫
 笹間良彦 1991, 『蛇物語』 第一書房 
 酒見賢一 『陋巷に在り』 新潮社
  澤田瑞穂 1984, 『中国の呪法』 平河出版社 
  杉原丈一郎 1997, 『女忍者秘蜜淫法帖』 ナポレオン文庫
 月野影也 1997, 『人形遊戯――軋み歯車忍法帳』 コアマガジン 
  福井康順ら編 1983, 『道教』 平河出版社
  山口正之 1965, 『忍者の生活』 雄山閣
  山田風太郎 『忍法帳シリーズ』 講談社ノベルズ 
  
 他にも間接的に、多数の歴史書・官能小説の助けを借りました。
 
・その3。
 本作には色々と、「続き」を振ってありますが……一応、これで終わりとしま
す。話の切れ目がついているということで――取り敢えずの幕は降りたと、そう
いうことにさせて下さい。
 ただし、皆様からの質問にはできるだけ答えたいと、そう思っています……コ
メント等がありましたら、メールを下さいますよう。

 それでは、ここまでお読みになって下さった方、感想を下さった方に感謝しつ
つ、打鍵を終えたいと思います。

                   ・原稿用紙換算:約130枚
                   ・構成:1章11節

   ||===============||
   || 綾守竜樹                    ||
   || tsukasa@mtc.biglobe.ne.jp   ||
   ||===============||



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