控訴断念の意味かみしめて/大野病院事件
逮捕、起訴された医師を無罪とした一審判決を検察が受け入れ、控訴しないと決めた。
福島県立大野病院産婦人科で手術中に患者を死なせたとして、業務上過失致死と医師法違反の罪に問われた加藤克彦医師(40)の無罪が確定する。
全く別の実行行為者が現れたといった話ではない。有罪立証に全力を挙げた検察が、地裁段階での無罪の結論に異を唱えないで従うのは異例のことだ。
もともと逮捕、起訴に無理があった、不当だった。弁護団のみならず医療関係者はそう反発してきた。
では、遺族の悲しみ、憤りに、どこで、どんなふうにして応えたらいいか。裁判以外にはその手だてはないものか。
逮捕後の議論は、医療事故の原因を究明する国の第三者機関(医療安全調査委員会)を設立する構想を生んだ。厚生労働省は9月からの臨時国会での法案提出を目指している。
検察の控訴断念の判断には、この「医療事故調」創設の機運が影響したはずだ。その意味合いをしっかり受け止め、事件が広げた社会的な論議の成果として、結実させたい。
「この手術では標準的な措置が取られた。検察側が主張する方法は、ほとんどの医師が従う一般的な基準とは言えない」。8月20日の福島地裁の無罪判決は、こんな論法だった。
判決を覆すためには、新たな鑑定人に依頼したり、類似の手術事例を示したりしなければならない。地検は「裁判所が要求する手術の一般性の立証は困難」と控訴期限(今月3日)を前に早々と断念を表明した。
逮捕、起訴の過程で県警と地検は手術の妥当性、刑事責任追及の適否をどの程度、吟味したのか。医療界の批判は、加えて「医師の裁量の問題に素人が口出しするのか」という情緒的な反発に今も彩られている。
一方で重く受け止めたいのは、遺族の気持ちである。「知らされていなかったことで、公判で分かったことも多かった」。刑事事件になって初めて究明が進んだ側面がある事実を記憶にとどめる必要がある。
医療事故調は医師や法律家で構成される。厚労省の試案では悪質な事例については警察に通知することになっているが、医療界には「刑事介入を排除すべきだ」という反対論が根強い。
「なぜ、わたしが手錠をかけられるのか。ベストを尽くしたのに」「なぜ、わたしの愛する者を死なせたのか。信じていたのに」
医師と患者の対極の心情を柱にして望ましい制度の設計図を考えれば、医療事故調の実現が不可欠だ。そして、検察の控訴断念が、刑事介入の全面排除に道を開いたものでは決してないことも明らかなようにみえる。