政治の“いろは”

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政治の“いろは”:「2世のひ弱さ」

自民党役員会に臨む福田康夫首相(右)と麻生太郎幹事長=同党本部で2008年9月2日、須賀川理撮影。左の写真はホテルを出る小池百合子元防衛相=東京都港区で同日、内藤絵美撮影
自民党役員会に臨む福田康夫首相(右)と麻生太郎幹事長=同党本部で2008年9月2日、須賀川理撮影。左の写真はホテルを出る小池百合子元防衛相=東京都港区で同日、内藤絵美撮影

 「2世はひよわだナー」

 福田康夫首相の辞意表明を聞いた中曽根康弘元首相の感想だ。中曽根は福田の父、赳夫とともに自民党のピーク期というべき「三角大福中」時代を形成した唯一の生き残りだ。「我々の世代には2世はいない」が、中曽根の誇りでもある。福田の突然の退陣表明で、民主党の代表選と同時並行的に自民党総裁選は繰り広げられる。1年のうち2度にわたるトップの唐突な辞任は、自民党が人材倒産の危機に瀕していることを、何よりも物語っている。衰退した派閥に代わる人材育成システム作りを怠ってきた報いでもある。

 次期首相候補としては麻生太郎幹事長や小池百合子元防衛庁長官などが取りざたされている。「麻生首相」誕生だと、安倍晋三、福田と3代続けて身内に首相経験者を持つを家系の出だ。しかも、先の2代は途中で政権を放り出している。世襲政治批判が一段と強まろう。

 福田は8月冒頭に内閣改造を行った。安倍から引き継いだ内閣の骨格を「福田色」に切り替えた。この時点では福田は退陣などは念頭になかったはずだ。だとすると、この1カ月間の大きな変化が、辞任の動機付けになったということだろう。

 福田は辞任表明の会見では、しきりに民主党の小沢一郎代表の国会対策を責めていた。

 「小沢代表には国のためにどうしたらよいかということを虚心坦懐、胸襟を開いて話し合いをする機会がもっとあったら良かったと。そういう機会を持ちたかったと言いたい」

 首相就任直後に急浮上し、一旦は小沢と合意した「大連立」は、頓挫した。以来、福田は衆参で多数派が異なる「ねじれ国会」の打開の策を見いだせないでいた。野党の小沢が対立するのは当然だ。それを辞任理由にするのはおかしい。

 太田誠一農水相の事務所費問題は福田がもっとも嫌う金銭的不祥事だ。任免権者の福田の責任は追及されても、太田の更迭ですむ話だろう。

 福田に政治的にも心理的にも大打撃を与えた出来事は、改造効果も効かなかった内閣支持率の低迷と連立与党の公明党の変心ぶりの二つだろう。

 夏の初めから公明党の政府、自民党への対応姿勢は強気に転じた。政府、与党でまとめた「安心実現のための緊急総合対策」での最大の目玉「定額減税」も、公明党が強く実現を求めていたものだ。「補正予算は民主党のマニフェストに十分に対抗できる内容にする」と、公明党幹部は選挙目的であることを隠さない。

 公明党がガンとして譲ろうとしなかったのが,新テロ特措法の再可決だった。今年1月も与党が3分の2以上を占める衆院で再可決し、ようやく成立させた。しかし、期間は1年のため、延長するには今年の通常国会と同じ手段が必要だ。だが、総選挙が近いことを理由に、公明党は再可決に強い難色を示していた。

 加えて、実現の運びとなった段階で問題点が続出した後期高齢者医療制度は見直しを迫られている。年金制度の杜撰さは後を絶たない。

 公明党の立党の原点ともいうべき「平和」「福祉」が脅かされていると、創価学会からは相当な突き上げがあった。以来、公明党からは「自公連立だけが唯一の選択ではない」など強気な発言が目立つようになった。国会召集時期は9月下旬で、会期も短期といった公明党案が流布されるようになった。

 その結果、福田が描いていた8月下旬召集し、新テロ特措法を衆院で再可決させ、成立させる構想は崩れた。福田の退陣表明会見にこんな一節があった。

 「自民、公明両党の政権が順調にいけばそれに越したことはない。しかし、私の先を見通す目の中には決して順調ではない可能性がある。私は自分自身を客観的にみることができる」

 その以前から、福田の変心を悟った太田は福田と何回も直談判。解散時期から政権交代の可能性まで詰めようとしたが、福田は明確な返答は避けたといわれる。

 「小泉改革」によって自民党の支持母体の統率力は一気に弱くなっている。「最大の支持母体は創価学会だ。後は全部小泉さんがつぶした」と、国民新党の亀井静香代表代行は断言する。総選挙が近づくと公明党、創価学会員の存在が気になるのは、ほとんどの自民党議員の心理でもある。

 政権交代説の導火線になったのも公明党の神崎武法前代表の「次期解散は福田さん以外の人によるかも」発言だった。以来、公明党の若手からは「自公連立だけが唯一の選択肢ではない」と、自民党をけん制する発言が続いた。森喜朗元首相の発言も、自民党内の反福田陣営を活気づけた。

 「麻生人気は我が党として大いに活用しなければいけない。『次は麻生さん』という気持ちは党内に多い。私ももちろんそう思っている」と森はテレビ朝日で「ポスト福田」=麻生説を打ち上げた。政界唯一の仕切り屋の森だけに、各方面に波紋を広げた。

 即座に反応したのは、山崎派に在籍しているが、麻生に近い甘利明前経産相だ。「福田内閣の支持率が20%を切った場合には自民党内から体制立て直しの声が出てくる。党内でコンセンサスを得られるのは麻生幹事長だ」と、BS11で政権交代の条件を明示した。同じく麻生に近い中川昭一元政調会長も「何も発言しない首相だ。バブル崩壊で世界経済を不安定にした米国にものをいわず、国内で石油、食糧の高騰にも何もしない。政治の無責任だ」と、福田の無策を厳しく批判した。

 8月冒頭の内閣改造、党役員交代は、支持率アップには寄与しなかった。改造直後の世論調査で41.3%まで急増した読売新聞でも、その後の調査では28.3%に急落。やはり38%に急増した日経新聞でも9ポイントも急落し、29%にとどまっている。毎日、朝日と同じ支持率2割台、不支持率6割台が、通り相場になった。

 それ以上に福田にショックを与えたと思われるのが、「今の国会議員の中で首相には誰がふさわしいか」という読売の8月の調査ではなかろうか。トップは24.7%の麻生で、次いで、小泉、小沢の順で、福田は4番目の3.4%に過ぎなかった。内閣改造は福田人気の浮揚にはつながらず、麻生だけをクローズアップさせた。

 福田は退陣の会見で、意のままにならない政局の要因として「私の場合には内閣支持率の問題もあるかもしれない」と、語った。

 小選挙区制が導入されて以来、総選挙でも党首の人気は無党派層獲得には重大な影響を与えている。福田は自らの限界を悟るようになった。(敬称略)

2008年9月3日

松田 喬和(まつだ・たかかず)
 1945年群馬県生まれ。69年早大文学部卒、毎日新聞入社。福島支局、社会部の後、74年から政治部。サンデー毎日、メディア企画本部、政治部デスク、横浜支局長などを経て、99年10月から論説委員、専門編集員。著書に「中曽根内閣史」(共著・中央公論社)「日本政党史」(共著・第一法規)。月刊「潮」に、政治コラム「永田町鳥瞰虫観」を連載中。TBSの「ブロードキャスター」政治コメンテーター。BS11「インサイドアウト」のコメンテーター(月、木曜日)。

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