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特集ワイド:前略、どうしたのですか福田康夫首相 国よりプライド選ぶ?

 ◇薄っぺらだった拉致解決の決意 「コハダの味」知らせないまま 「安心実現」も空手形……

 いまもあの味が忘れられません。福田康夫さん、あなたが自民党総裁になる前々夜、とあるホテルの部屋で飲んだ缶ビールの味が。あなたは言いましたね。いささか顔をひきつらせて。「拉致問題が正念場ですから」。大のワイン通が、冷蔵庫の缶ビールをぐっと飲み干す姿に決意を感じました。総裁選さなか、私の手で解決したい、と語気を強めたのが本気であった、と。

 それが、いったい、どうしたというのです! いまさら永田町の理屈など聞きたくもありません。政権投げ出しは、戦後日本外交の真価が問われる、北朝鮮による拉致問題の解決を放り投げたも同然です。外交の福田が泣く。失望しきりです。拉致問題に全身全霊で打ち込む、ビールを飲む姿を信じてきました。日朝協議で拉致の再調査の約束をさせ、秋にも結果を引き出し、あなたの政治決断がいかなるものになるか、じっと目を凝らすつもりでいました。

 せんえつながら、くだんのホテルの一室で、私は対北朝鮮外交について愚考を申し述べました。覚えておられますか? 対話と圧力、それだけではダメだ、理解を加えなければ、と。相手を知らなければならない、と。日本の情報力、インテリジェンス能力を決定的に高めることが不可欠だ、と。あなたは胸ポケットから取り出した手帳にメモしました。ああ、まじめな人だと思いました。期待しました。

     ■

 支持率低迷とはいえ、マスコミ受けばかりを狙う政治家が幅を利かせる永田町にあって、昭和のサラリーマンを絵に描いたようなあなたに親近感すら抱いていました。ポスト福田が取りざたされだしたころ、元首相の森喜朗さんとすし屋で語り合ったことが思い出されます。森さんは大好きなコハダをつまみ、言いました。福田さんとコハダが似ている、との私の意地悪な問いへの答えです。「たしかに子供なんかは頼まんしな。あっさり、淡々としたところが福田さんらしいといえば、らしい。ただ、このうまさがわかるには時間がかかるよね」

 結局、コハダの味を国民に知らせないまま、さっさと退場するのですね。「貧乏くじかもしれんよ」。安倍晋三前首相の突然の辞任で総裁選に出る心境を問われ、ぽろっとこぼれた言葉も、あなた一流のテレと解釈していました。でも、ひょっとして、ひょっとして首相に就任以来、ずっと胸の奥深く、こう感じていたのかもしれません。面倒くさくなったら、いつでも辞めればいいや、と。そして、自身への言い訳は、そもそも政治家なんかになりたくなかったんだしね、でしょうか。

 辞任会見で、会見は人ごとのように見える、と記者に突っ込まれ、気色ばんだのはいかにもでした。「私は自分自身を客観的に見ることができる」。あなたにはあなたなりの計算、美学があるのでしょう。わかる人間にはわかる、そうたかをくくっているのかもしれませんね。ま、寅さんなら、きっと笑い飛ばしたはずです。それを言っちゃおしまいよ! そう、ポスト福田について森さん、こんなこともおっしゃってました。「ネタ不足なんだね。永田町も。オーソドックスなマグロでいい。味があればなおさら」

 ネタ不足--。言いえて妙な感じがしたものです。たとえば、麻生太郎さんをカズノコにたとえた。「歯ごたえあるし、気位も高い。どれだけ党内をつかまえるかだな」。マダムすしこと、小池百合子さんはカリフォルニア巻き。「彼女はマスコミに乗るのがうまくてね」。野田聖子さんについては意味深なことを漏らした。「まだ大臣ひとつしか経験してないだろ」。ただ2代続いての政権投げ出しとなると、さすがすし屋ののれんが問われかねませんね。

     ■

 もちろん、この辞任劇、ねじれ国会で民主党に攻め込まれた自民党を救うウルトラCとの見方は成り立ちます。ただ、あなたは日本国総理大臣です。思い返してください。1998年8月31日のことを。あの日、北朝鮮から発射された弾道ミサイル「テポドン」が日本列島を飛び越え、太平洋に落下しました。日本人は震撼(しんかん)しました。ちょうど10年前です。以来、金正日(キムジョンイル)総書記は政権生き残りのため、死にもの狂いで国際社会に挑んできたのです。それに比べて、この日本政治の弛緩(しかん)は……。

 こう結論を下すほかありませんね。あなたは、この国より、プライドを選んだ、と。そして、あの拉致問題への思いは薄っぺらなものだった、と。胸突き八丁にあって、北朝鮮が日本の足元を見すかしてくるのは間違いありません。解決への道が遠のきました。一刻も早く拉致被害者奪還を、と訴える年老いた家族らの心情をどう理解しているのですか? 拉致問題は人ごとだったのですか? そういえば、ついぞ、あなたから、あなたらしいメッセージを聞いたためしがありませんでした。

     ■

 先日、元首相の小泉純一郎さんにインタビューしたとき、小泉政治はオペラ政治だったのでは、と申し上げました。主役は「郵政民営化」に執念を燃やす壊し屋、小泉純一郎。純愛あり、悲恋あり、裏切りあり、復讐(ふくしゅう)あり。笑っておられました。福田評はこうでした。「淡々として、ものごとを冷静、客観的に見られる人だけどね。総理は自分の考えを国民に伝えなきゃいけない。同じ台本でも演者によってがらっと変わる。いかに発信するか。態度や言い方なんですよ、要は。舞台に出ている感じでやらなきゃ」

 さすがに芯を突いているなと感心しました。さらに小泉さん、イタリアのミラノ市長から招待されていた12月のスカラ座公演をキャンセルした、とまで明かすのです。「行きたいんだけど」と恨めしそうにしながら言うのです。「政局がどうなるかわかんない。解散あったらどうする」。あくまで、いま思い返せばですが、感づいていたふうな発言でした。いつ解散があるにせよ、国民はおいてけぼりか、とあきれもしましたが。

 それにしても、この国はどこへ行くのか? 「美しい国」ははるか昔、「背水の陣」を経て、「安心実現」も空手形……。たしかなのは、ゲリラ豪雨に見舞われる元首相だらけの異様な国になったことだけ。しばらく缶ビールを飲む気がしません。いやな予感のする夏の終わりです。

草々

編集委員 鈴木琢磨

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毎日新聞 2008年9月2日 東京夕刊

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