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2008-08-30
■[Text]図書館問題に乗じてホームレス差別を正当化するキチ○イ(追記あり)
最後のほうにちょっと追記。
図書館は俺もよく使っている。場所によっては、ホームレスっぽい人も多いな。
個人的に、公共の場所なんで迷惑かけてなきゃいいんじゃねえのという感じだが。
で、元々のニュース。
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20080830-00000909-san-soci
東京都内の図書館で、女性専用・優先席を設ける動きが広がっている。現在のところ、23区内220館のうち8館で実施。女性専用車両の痴漢対策というよりは、主な理由がホームレス対策だ。「安心して使える」「使いやすくなった」と歓迎する女性の声もあるが、男性からは「不公平だ」との声もある。(安岡一成)
そもそも、ホームレス対策で女性専用席作るのはなんだかなと思うんだよね。全然レイヤーが違う問題なわけで。その理屈でいくんだったら、それこそ、老人専用席、障害者およびケガしてる人の専用席作ったほうがよっぽどいい。それ以前に、わざわざそういう席作らんでも本当に席を必要としてる人が座れるような民度だったら言うことねえと思うんですけどね。
台東区の中央図書館。今年4月からフロアの一角に設けられた「女性専用席」に女性が2人腰掛け、料理雑誌を読んでいた。周りの棚にはファッションや子育てなどの女性向け雑誌が並ぶ。
いつも利用しているという主婦は(58)「ホームレスがいっぱいで利用しづらかったから、女性専用席は悲願だった。おかげで落ち着いて読めるようになった」と話す。
台東・荒川の両区には日雇い労働者やホームレスが多く滞在する通称・山谷(さんや)地区がまたがる。雨天や暑さ寒さが厳しい時は朝から大きな荷物を持ったホームレスが図書館の前で開館待ちをしているという。
荒川区の南千住図書館。昭和63年と都内で最も早く女性専用席を設置、平成10年に移転してからも9席の女性専用席を「女性コーナー」として継続している。
「飲酒したホームレスが大勢くると空調では対応できないほど館内全体が酒臭くなる」と職員。移転前はさらにひどく、「ホームレスが閲覧席を占領して利用したくても近寄れなかった。ケンカ、居眠り、床に座りこむ…。声をかけるとよく殴られた」と振り返る。女性から「怖い」いう苦情が殺到したことから設置したという。
この辺は「ホームレス全体」を排斥するよりも、「ホームレスやそうでない人関係なく他人に迷惑かけるDQNは排除」っていうほうがいいんじゃないかと思う。別にホームレスばかりがDQNってわけじゃねえだろうし。
要するに、ホームレスだろうがそうでなかろうが、公共の場所における良識わきまえてて、他人に迷惑かけない奴を入れて、他人に迷惑かける輩は排除するってのでいいんじゃねえかと。じゃあ、誰が排除するかといったら、その辺のコストはやっぱり自治体でなんとかするしかないのかなと。あまりひどいとこだったら私服警官の常駐というのもいいかもしれない。
ただ、自治体の予算を考えると、私服警官常駐させるわけにはいかないからなあ。苦肉の策で「女性専用席」作ったというのは頷ける。
こうした取り組みについて、コラムニストの勝谷誠彦さんは、「看板を立ててトラブルから逃げようとする図書館員の事なかれ主義だ。税金を払わないホームレスを図書館に入れること自体おかしいし、女性だけの席をつくるのは公平でもない」と辛口だ。
まあ、勝谷誠彦って、それこそ安全圏から辛口な発言しかできねえヘタレだからな。じゃあ、テメエが図書館員だったら排除できるんですか?ぶん殴られるのを覚悟でDQN排除できるのかって話だ。さらにいえば、図書館員が言うこときかないDQNぶん殴ったら、それはそれで問題になるという現実があるわけで。その辺、公務員って市民相手には手枷足枷はめられてる感じだからな。図書館員叩いて解決できる問題かよボケが。
そりゃ、図書館員に排除する権限あればまだしも、DQN排除してDQNに訴えられたら図書館員が負けちまうし、なんらかの懲戒処分が待ってるという現実があるんですがね。
女性学研究家、田嶋陽子さんも「女性の言うことを聞くことが男女差別解消になると誤解した行政の典型だ。そもそも、体臭のことをいうこと自体が差別で、行政がその片棒を担いではならない。もっと工夫すべきだ」と疑問を呈する。
利用者の女性には評価が高かった。それだけ、厳しい状況なのだろうが、専用席の設置は根本的な解決策にはならない。どうするべきか、アイデアを募る必要があると実感した。
で、これに対して代案出してる人がいるが、炎上してる。
図書館がホームレス排除に苦心しているとかいう件についての私からの提案
http://d.hatena.ne.jp/Romance/20080830#p1
つーか、こりゃ炎上するわ。
この「図書館を利用するホームレス」の問題については、ホームレスを追い出すべきじゃないと思うけどやっぱり悪臭がなあ、みたいな率直な感想も含めいろいろとアイデアが出たりしつつ、なんか難しい問題みたいに語られてますが、「どのように優しく排除するか」という視点に立ってる限り全て問題外です。そもそも、こんなものは問題でもなんでもない。公共施設なんだから当然、ホームレスも利用していいのです。
公共施設利用するのにホームレスもそうでない人も関係なく使用できるべきだと思うんですけどね。ただ、「あくまでも場のルールを守った上で」という条件が付くだけで。それは誰でも関係なく適用されてる話。
つーかさ、「ホームレスだから」排除するんじゃなく、「ホームレスでもそうでない人でも関係なく公共施設の使用ルール守れない奴はお引取り願う。」それだけのことじゃねえんですかね。
まあ、これとは別問題として、ホームレスに対するフォローという問題はあるが、それを図書館問題に絡めるとややこしくなっちまうというか。
悪臭が気になる? だったら家に帰ればいいのです。あなたには帰る家があるんでしょう?
この辺は、ホームレスだろうが、公共施設使う場合は、ある程度の身だしなみはあったほうがいい。てか、それが社会復帰のネックになってる部分はあるだろうし。図書館でホームレス受け入れるために他の利用者が悪臭我慢しろってのは何か違うと思うんですね。その辺について、寄せ場の近くに公共浴場作るというのはどうだろうか。
京都は、諸般の事情から、結構公共浴場は多いが、それをホームレスにも解放するとか。京都だったら、1回200円で入れる。それを、ホームレスにも入浴クーポンを配って、入浴できるようにすりゃいいんかなと。
公共浴場がなければ、公共施設で浴室、シャワー室あるところを利用できるようにするとか。そこら辺ぐらいはあってもいいんじゃないかなと。
経済的に困窮しているために衛生状態を保つのにも苦心している人たちが、寒さや暑さを避けて図書館にやって来る。当然受け入れるべきだ。悪臭の程度がひどければそれだけ、積極的に受け入れるべきです。*3気を遣わせないように配慮してもいいくらいです。不本意ながら不衛生な状態におかれているホームレスがあなたの前に現れ、そのことが悪臭云々を含む「快適性の問題」として意識されるとき、それはただあなたの快不快の問題なのではなく、ホームレスという社会問題に対するあなた自身の態度を問われているのです。ホームレスを生み出した社会の成員でありながら、ホームレスを「公共空間における悪臭」としてしか捉えられないとすれば、それは恐ろしいことです。
いや、これ違うんじゃね?図書館って何しに来るとこなんですかね。シェルターじゃねえんですよ。
そもそも、シェルターが機能してないという問題はあるが、だからといって、他の閲覧者に我慢しろというのはちょっと違うんじゃないんですかね。だってさ、ホームレスだろうがそうでない人だろうが、図書館って本読みにくる場所なわけで、その目的と公共施設でのルールをきちんと守ってたら、区別する必要なんざねえわけでさ。
どちらかというと、衛生状態云々の話って、図書館問題の前段階で行政側が解決すべき問題だろうと思うんですね。要するに、シェルターを増やすか、シェルター増やせないんだったら、既存の施設で風呂だけ開放して路上生活者も入れるようにするとか。そこら辺のインフラ揃っててそれでも悪臭だったら追い出されても文句は言えないと思うんですけどね。インフラ整えるのが先だろ。
じゃあ、インフラが整ってない状態だったらどうすりゃいいかと言ったら、それこそ、悪臭で追い出すというより、他の人とある程度離した場所で入れるしかないよね。でなきゃ、図書館にシャワー室設置して、あまりに悪臭酷い場合は風呂入れてもらうとか。個人的には、図書館にシャワー置いといたほうがその辺の問題も解決されそうな気が。
図書館の目的に沿っていない? だったらホームレスの人に、雑誌の一つくらい膝に乗せておいてくださいとアドバイスすればいいだけだ。
これもちと違うんじゃねえんすか。
てか、つらつら書いたけど、図書館にシャワー室を2,3台設置して悪臭が酷い場合はシャワー浴びさせて、さらに着替えも置いとくだけで解決できそうな気が。着替えは古着をうまく使えば低予算でなんとかなりそうだし。パンツやシャツは紙製の奴があるんでそれ使ってもらえれば。
とはいえ、そもそもの問題って図書館がシェルターになっちまう部分があるんだよな。シェルターが少ないというのもあるけど、やはり、一般人がイメージしやすい公共施設って図書館なんだよね。むしろ、図書館にシェルターの広報、アクセス先を貼っとくとかそういうのがいいのかな。
で、こういう話題になると、いい年こいて差別大好きな頭の弱い人間が調子こくようで。
http://d.hatena.ne.jp/chnpk/20080831/1220163097
この人の主張は要はホームレスにも人権があるに決まってるのに国家がそれを保障しようとしないのはおかしい、ということだと思うが、そもそもホームレスに人権があるとする根拠が疑わしいし、仮にあったとしても国家がそれを保障する言われはない。
えーと、この人、27歳だよな。27歳で妻子持ちでこんなアホだったら奥さんとガキがかわいそうですね。
「生存権」って言葉知ってるか?まさかこの年で日本国憲法知らないってことじゃねえよな。
プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神 (岩波文庫)において、ヴェーバーが解き明かしたことは、資本主義の精神の根底には労働自体を善とするような道徳観があるということだ。ホームレスとはつまり、労働をしないという意志の象徴的存在であって、概念としての非道徳、即ち悪なのである。そう定義づけないと、道徳的に労働に勤しむ人を正当化できない。非常に単純な包摂と排除の関係である。
・・・世間知らずもここまでくると。マックス・ウェーバー持ち出してホームレス叩きかよ。
学問って、差別根性増長するためのツールじゃねえんですけどね。
18、19のガキならともかくさ、27歳でこれじゃ人生終わってるんじゃねえの?
そもそも、大体のホームレスはなんらかの形で労働についてるんですけどね。缶拾ってたりとか、工事現場にいたりとか、拾った雑誌売ったりとかさ。そうしないと食うに困るわけで。ホームレスに生活保護が支給されるってわけじゃねえけどな。
テメエの頭の悪さを正当化するためにマックス・ウェーバー使われたら、マックス・ウェーバーも草葉の陰で泣いてるわけだし。
そしてこのことは、フーコーが狂気の歴史―古典主義時代におけるにおいて描いた図式ともまったく等しい。ホームレスは現代の狂気であって、彼らが非難されるのは単に臭いからというだけでなく、道徳的規範に外れているからなのだ。これは社会が道徳的規範を維持するうえで必要なことだ。これが、ホームレスを排除して初めて世の中が成り立っていると言った意味だ。
人権なんていうものがどこから出てきたかというと、これもフーコーが著書知への意志 (性の歴史)で明らかにしている。即ち、人権とは近代国家が権力を維持するために生み出した概念である。フーコーは近代国家の特徴は、それが生を与える権力であることだとする。これは要は羊飼いと羊の関係と一緒で、羊飼いは羊に生を与えるが、それは羊を思ってのことではなく、単に羊飼いというシステムを維持するためのものだ、ということである。そしてこの生に対する渇望こそが、しばしば人種という概念と結びつき、民族浄化の思想へと発展し、大量の殺戮を生み出すことになるというのが近代国家の矛盾である。
そういや、フーコーって、やたらアレな人がよく持ち出すよな。トニオとかさ。
そもそも、ホームレスがテメエと違う人間ってどこをどう持ち出したら言えるんでしょうね。証券会社クビになって、奥さんに間男こしらえて預貯金持ち出されてガキと一緒に消えたら、たちまちホームレスに落ちるのは時間の問題なわけで。ホームレスからなんで民族浄化の話になるんだろうね。そんなに民族浄化が好きならテメエが日本から出てったらどうなんだ。
国家がホームレスを承認するということは、単に経済学的にフリーライドの問題を生むだけにとどまらず、ホームレスの排除によって成り立っている社会秩序を崩壊せしめ、その社会の構成員の生を奪う側面を持つ。しかし、権力を維持する前提として、基本的人権の存在を唱えざるを得ないのだ。
てか、マジでテメエ気持ち悪いよ。ホームレスだって、モノ買うときは消費税払ってるし、労働だってしてる。要するに、ホームレスも社会の構成員なんだよね。自分が頭いいつもりで書いてるだろうけど、さっぱりわからんのよね。
ということで、単に憲法に書いてあるからという理由でホームレスの人権を主張するのは、国家の構造的矛盾を指摘する意味合いは多少あるとしても*1、本質的な議論としては空気が読めてないただの屁理屈のように感じる。
いや、ウェーバーやフーコー持ち出してホームレス叩きやるテメエのほうがよっぽど屁理屈なんだけどな。
ホームレスも日本国民なわけよ。で、日本国民の権利は憲法で守られてるわけ。憲法って、要するにその国における最低限のルール。その最低限のルールには、ホームレスだろうが何だろうが日本国憲法で人権が保障されてるわけですわ。それぐらい知らないんか?
で、それが構造的矛盾云々言ってるんだったら、とっとと日本国憲法が通用しないところに移住して、そのままくたばったほうがいいんじゃねえか?マジで胸糞悪いわ。
<追記>
id:y_arim だがちょっと待ってほしい。「他人に迷惑をかけるやつは排除」が無批判に当然とされていることこそが疑われるべきではないだろうか。それをこそ「不快感至上主義」と言うのではあるまいか。
この辺って、排除の基準は必要かと思うんですね。あまり好きな言葉じゃないんですが、公共の場所の場合、少なくとも他人に危害を与える奴に対しては、それなりのペナルティが必要というか、その辺曖昧だと、正義というもんがなくなっちまうんかなと。
例えば、このケースでいえば、飲酒してたりシャブ打ってたり、長椅子占領して眠ってたり(一人用の椅子ならまだしも)、注意したら殴りかかったり、喧嘩するような奴は鉄板で排除でいいんじゃないかと。不快感云々関係なく。公共の施設として維持すべき最低のルールを守れない奴に利用する権利与えるのって、何か違うんじゃないかと。そこら辺って、公共のルール以前の問題のような気が。この辺って、「他人に迷惑」というより「他人に危害」というレベルの話なんで。そこら辺を不快感で片付けられるのも何か違うんじゃねえかと。
ホームレスにも公共施設利用する権利は当然あるし、同様にホームレスで無い人も同じように使う権利はあるわけで。その権利を他人に危害という形で壊そうとしてる人は、排除すべきだと思うんですね。他人に危害を加えることに理があるってのは聞いたことねえし。少なくともこの日本ではね。それって、ホームレスだろうがそうでない人だろうが関係ねえと思いますね。
じゃあ、「他人に危害」じゃなくて「他人に迷惑」レベルだったらどうなんだという話だけど、その辺って、迷惑に感じる閾値は人によって違うんで、やはり公共機関で作ったルールに則すのが現実的かなと。個人的にはそのルールは緩めにするのがいいかなと。
悪臭については、シェルター増やすなり、公共シャワーみたいなもの作って、入れるようにすることで解決できたらいいと思うんですね。誰もが好き好んで悪臭放ってるわけでないだろうし。身体については、冬はどうかわからんけど、夏は水くんで洗ってる人は結構いるな。四条大橋の橋の下にいたおっちゃんおばちゃんはよく身体洗ってたな。
ただ、服はそうそう換えるわけにもいかないから、服に汗が染み付いてる。多分悪臭の原因ってそれじゃないかと。洗濯すりゃいいじゃんとかいう話もあるけど、ただでさえ服の予備がない状態で洗ったら丸裸になっちまうし、コインランドリー使うにしても洗濯と乾燥、そして洗剤代だけで最低300円以上は行っちまうからな。川で洗うわけにもいかないし。よく発展途上国に古着送るというボランティアがあるが、その送り先に、日本のホームレスの援助団体も入れておくといいかなと。で、援助団体からホームレスに配るって感じのほうがいいかもしれない。
てか、そこまでいくと、図書館問題の枠超えちまうんで、図書館、行政、ホームレスを軸にして、どうすりゃいいか考えてみた。
・女性専用席というよりも、やるんだったらハンディキャッパー向けの専用席としたほうがいいと思う。
・ホームレスについては、悪臭きつくなく、他人に危害加えないんだったら入れるしかないと思う。
・他人に危害加えたり、迷惑をかける人については排除する必要は確かにある。その辺は警察と連携するしかないのかな。ホットラインはあったほうがいいかも。
・迷惑の基準については難しいけど、大声で酒盛りしてるとかそういうケースだったらホームレスだろうがそうでなかろうが排除する仕組みが必要かな。
・シェルター等の援助施設の告知はあったほうがいい。一般人が一番頭に浮かび易い公共施設って図書館だろうし。
で、行政サイドでやるべきこと。
・宿泊型のシェルターだけでなく、通い、一時滞在型のシェルターも作ったほうがいいかも。
通い、一時滞在型の場合、休憩所は相部屋にして、その代わり入浴施設、洗濯場を充実させる。で、新たに箱物作るのもお金の無駄なんで、潰れたり店じまいしてる銭湯を行政側で借りるようにすれば、箱物作るよりコストかからないかなと。大家ー銭湯、店子-行政、維持管理ー行政という感じにするとそんなに揉めないかな。
そこで、ボランティア団体から送られてきた古着を受け取って着替えるようにすりゃ、悪臭が酷いという人も少なくなりそうな。
・ホームレスが生活保護を受給できない現状はどうみてもおかしいんで何とかする。
本来、必要とすべき人が受給できないのはおかしい。住所がネックだったら、住所をシェルター、もしくは一時滞在型のシェルターにして受け取るという方法はできないだろうか。
これはネットカフェ難民対策で出てる話だけど、これって、ホームレスにもある程度適用できるんじゃないかと。ただ、大都市部に限定されるという欠点はあるが、釜が崎のハロワでも仕事紹介するってわけじゃないからなあ。実際は口入れ屋が仕事斡旋してるのが多いし、口入れ屋の中にはかなり悪質なとこも多い。ヤクザのシノギにもなっちまってるからな。その辺の健全化は必要だろ。
・薬物依存、アルコール依存が酷い人については、DARC等の自助機関に連れてく、というか、生活保護の受給条件にそれを入れておく。
その辺は治安上の問題もあるし、あくまでも社会復帰を前提とする場合、その辺のケアは必要かな。
・生活保護の財源は、地方自治体でなく、国で全部持ったほうがいい。
単純に、大都市圏の場合、受給者数も多いんで、自治体予算に負担がかかるというのはある。北九州市の場合、その反動で全く機能してない状況になったんで。自治体の負担減らすという点と、さらにいえば、特別会計の規模を縮小して一般会計に繰り込むようにするだけでだいぶ違う。空港整備特別会計なんざ道路特定財源なみに歳入あるわけで。国には他にも特定財源は一杯ある。
それを適えることは可能だ。いわゆる「族議員」に投票しなきゃ黙っても落ちる。比例代表で受かりそうだったら民主なり共産に入れればいいだろう。
で、ホームレスがやるべきことは・・・って書くとまた叩かれそうだが、上記のサポートが仮に全て通ったとして、どうすりゃいいかという視点で書く。インフラ揃えるか本人の意志かは鶏か卵かってとこあるんで。
・可能な限り身ぎれいに
不潔きわまりなくなると、それだけで自分の行動圏を狭めてしまう。健康管理上もよくないし。
・もし酒や薬に依存してる場合は、まず自分で断ち切る意志を持つ
どうにもならないときは、自助機関に相談するのも手。DARCにしても、ホームレスは断らないと思う。依存から抜け出す意志があれば。そればっかりはお上が環境整えても、最終的には本人の意志がないとどうしようもない。
そんぐらいかな。
てか、ホームレスって、対岸の火事じゃねえ話だと思うんですよ。サラリーマンでも、給与踏み倒されて会社潰れて、その後転職活動がままならなくて、スネかじらせてくれる親がいなかったらそれこそホームレスになりかねないわけで。で、ホームレス叩きしてる奴って、そういう状態になったら自分が言ってることが全部跳ね返るわけでさ。その辺の想像力ってねえのかなと思うんですね。パラサイト野郎や、テメエで金稼いだことない学生だったらまだしも、いい大人がそういう認識って、正直アホじゃねえかと思うんですわ。
とはいっても、ホームレスだからって全てが免罪符になるわけじゃねえし。他人に危害加えたりしたらそれこそ罰は受けるべきだろうと。迷惑については、人によって解釈が異なるから難しいけど、神経質な奴一人がギャンギャンわめきたてるんだったら、そいつが我慢すべきだと思うけど、そこにいる奴の半分以上が迷惑だと思う状況であれば、行動考えたほうがいいと思うしね。本来はその辺明文化しなくても気付くのがいいんだろうけど。
シンガポールみたいに何でもかんでも規則でがんじがらめってのも息苦しいし。
2008-08-29
■[Text]「自分の売り物」を作るという意味では会社勤めの経験はあったほうがいいかも
http://d.hatena.ne.jp/elegantlycruel/20080829/1219986023
京大生没落エリートがはたらいたこともないくせに会社勤めとフリーランスを考えてみたで、という話
http://d.hatena.ne.jp/elegantlycruel/20080830/1220073618
いちおう就職しようかなーと予定してるんだけどさー*3、わしゃ会社というもの全般について、どうにも適性が見えないわけである。わしは株式会社という組織自体にかなりの不信感を抱いていて、従業員の社会的生命をなんら保証してくれないのをウチの親父ほか数名をリアルな実例として目撃してしまっているので、ますます不信が募るばかりなのである*4。わし自身、いちおう天下に名だたる「大企業」様*5でおバイトさせていただいたことがあった。あの、あーゆうとこではたらいてるやつらは何故にあんなに裏表が激しいんだぜ? *6 こんなドロドロの政治世界、surviveできねえって思った。大企業というのはあれですね、スネ夫タイプの家来が足軽スタートからのし上がっていける社会なんだと思うんだ。新卒入社の場合、スタートがスネ夫じゃないと無理なんだよな*7。
いや、日本の企業って「大企業」ばかりじゃねえだろ。この手の話で何故、「中小企業」という選択肢が出てこないのかがすげえ不思議なんですが。もしかして「京大出た俺様が中小企業になんて・・・」と思ってるんだったらそれこそなんなんだという感じというか。中小企業には、中小企業のよさはあるんだよね。
願わくば、そうゆうのに振り回されずにフリーとして生きていきたい。フリーランス最高。フリーターちゃうで。「フリー○○」とかいう肩書きを名乗って仕事を請け負うなんとかかんとか、になりたい。わしゃね、自分で各方面に営業かけて、自分で予定マネジメントして、自分で納品しにいって、自分で売掛金を回収するとこまで全部マネージャなしで自分ひとりでできるような人間になりたい。株式会社の従業員にならずに自分の足で立って生きていく、というのはつまるところそういうことだ*8。わしとしては、世の中に向けてどでかいことをやらかしたい、などという大それた野望もないので、起業して社長になりたいとか*9そうゆうことをする気がまったく起きない。自分ひとりsustainableな生活が細々と継続できるような、その程度の規模でよろしい。結婚とかする気ねえし。ガキも要らん。
一応フリーでやってる俺から言わせると、フリーで飯食うってことは、同じ業界で正社員ができる資質を備えてもまだまだ生き残るのにはしんどいという感じなんですね。営業にしても、飛び込みで営業して仕事取れるほど甘くはない。仕事頼むにしても、「こいつに仕事任せてきちんとした結果出すかどうか」で仕事頼むわけですね。そういうとき に法人という形とってるところと勝負するのって、相当アドバンテージがないとまずは仕事来ないよ。
正社員と違うってとこは、営業も、予定管理も、納品も売掛金回収も全部、「失敗は許されない」ってことです。フリーの場合は。営業で失敗したら金が入る以前の問題だし、予定管理も、それこそアポに遅刻したら次はないぐらいの緊張感がなけりゃ本当に次がなくなっちまうし、納品チェックや売掛金回収なんかは、それこそ失敗一発でそこから仕事貰えなくなる。会社勤めだったら、営業で客先怒らせてもフォローする上司はいるだろうし、他のところもそうか。要するに「フォローする奴が誰もいない」というのが会社勤めと違うところかな。さらにいえば、仕事なくなっても失業保険ってものはないわけでね。
個人的に、フリーになったら、それこそ一発の失敗が命取りになることはあるんで、自分にそこまでの覚悟がないんだったら会社勤めでノウハウつけてから独立してもいいんじゃねえかと思う。正社員なら誰かがなんとかしてくれるミスも、フリーだったら全て自分に被ってくるんで。
要するに、会社勤めよりフリーのほうがいいかというと、必ずしもそうでもないからなあ。
書き出してみると、なんかわしがフリーランスに抱いているイメージはまだまだ貧しいなあ。フリーではたらいてる人ってほんの数人しかいないんだよね周囲に。ざっと書き出して直感的に思ったんだけど、あんま変わんないね会社勤めもフリーも。「分業かそうじゃないか」っていう違いだけで、それ以外は、人間関係に悩んで、資金繰りに悩んで、休みがとれないことに悩んで、やりたくないこともやらなきゃいけないことに悩んで、っていう陳腐でありがちな会社勤めの悩みというのは、フリーに転向したところでそんなに変わらない。だからはてブでよく見られた「まずはそこそこ身分が保障されている会社勤めで実績積んでからフリーに行ったほうがいいよ」というアドバイスは至極まっとうだと思う。
でも態度というか、attitudeってあきらかに違うよやっぱ。会社勤めとフリーとでは。わし自身「まったりスローが理想」とか言うときながら、わしはやっぱり心のどこかで「なんかでかいことやらかしたい!」という青臭い野望を留保してるんではないかなあ。そういう若者特有の可能性に酔いしれてるの。酔いしれてるだけで実行には移さないんだけど。「いつかビッグになれる」という可能性というか選択肢というか、そういうものをホールドしておきたいという貧乏性。自分探し症候群に陥っている若者たちのほとんどは、貧乏性なのだと思う。そうして使えもしないビール瓶のふたやらガキの頃に遊んだトレーディングカードやらが山積みになって、なんの役にも立たんとわやになる、と。
一応、フリーで何とか食ってる奴として、俺の経験上で書いて見る。合うかどうか知らないんで、あくまでも参考程度に。
個人的には、新卒の場合は、会社勤めして、自分が独立してやれそうだったらフリーになる方法をオススメする。 理由はこんなとこ。
・会社勤めだったら、給料もらいながらスキル覚えるとこあるけど、フリーだったら全て自腹。
これって結構大きいよ。
特に新卒の場合は、金銭的体力があまりないんで、給料もらいながらスキル積んだほうがいい。
で、ここで身につくスキルってのは、業務上のスキルだけじゃなくて、営業や経理等のスキルもつけようと思えば付けられる。あとは社会生活やってく上で必要なヒューマンスキルとかね。新卒ぐらいだったら失敗してもある程度許されるという部分があるからな。その中には失敗しなきゃ身につかないものもある。仕事で営業とか付かなくても、営業の知識や仕事の取りかたは、営業やってる奴に聞けば教えてくれるし。営業系の部署につけば自分で身につくだろう。あとは、やりたいことが意外とできる場合もある。
社員だったら「やりたい仕事」があったら、余裕があれば経験なくてもそういう部署につけてもらって腕を磨くということもできるけど、フリーの場合「やりたい仕事」があってもそれにありつくには経験と実績が問われる局面って結構多いよ。経験と実績を低コストでつけるには社員でやっとくのがいい。独立はいつだってできる。
・自分の仕事の対価の価値を把握できるようになる。
IT業界の場合そうだけど、SEやPLクラスになると、工数や予算管理もしなきゃならなくなる。そこまでやると、「今俺がやってる仕事はいくらぐらいの価値があるか」というのが把握しやすくなる。
それ把握できてないと、仕事貰うときに安く叩かれやすくなる。
・人脈作りがしやすくなる。とっかかりの人脈作りには最適。
独立するにも、仕事のあてはあったほうがいい。人脈作りには色々あるが、やはり仕事で絡んで、信頼を勝ち取った人脈のほうが仕事は取りやすくなるだろう。その仕事に絡むための場所として会社勤めというのは結構低リスクでいいんじゃないかな。給料もらいながら人脈作れるんだぜ。会社勤めの経験なしにそれやろうとすると結構大変。
要するに、その人の仕事の能力の保障してくれる人が誰もいないってわけで。あとは、独立しても、前の勤務先は仕事を請ける先として使えるんで、ラインは途切れないほうがいいかな。
・単純に、仕事の実績が作りやすくなる。
会社勤めしてたら、仕事させられるからな。嫌でも実績はできるだろう。フリーの場合は、実績がモノを言う。
例えば、俺の場合、プログラミングで使う言語は大体は使える。独学で覚えたからな。その後業務で覚えたりしたりして。工程も上流工程から実装、運用保守まで一通りやっている。
ただ、あくまでもフリーで仕事取るときに重要なのって、実績のある分野なんだよね。俺だったら金融系、人事系、販売管理系、医療系、公共系が実績あって、それなりに売りになる。
じゃあ、俺が組み込み系やりたいと言っても、組み込み系の実績がほとんどなければ、仕事は取れないだろうし。つまりはそういうこと。あくまでも、実績があるところが仕事取りやすくなる。それをとっかかりにして裾野広げるしかないよね。最初は。
・予定管理、時間管理の概念がつきやすい
まあ、この辺は自己管理がきちんとしてたらつくっちゃ付くんだけど、会社勤めの場合は、嫌でも定時に出勤して定時に帰らなきゃならないわけで。それに、営業系の仕事も開発系の仕事もそうだけど、いずれも時間管理が重要な仕事ばっかりなんですよ。例えば、給与計算担当してる奴が、給料日の数日前までに給与計算が終わってなければ、給料は遅配するわけで。営業マンがアポに遅刻するような奴ばっかりの会社は、いずれ仕事とれなくなるだろう。その辺の重要性って、身体で覚えないと身に付かないところは確かにある。
で、学生の頃と、社会人になる頃って、個人でやらなきゃならないことは社会人になってからすげえ増えるんですね。そこら辺のタスクもきちんとやりつつ、ノーミスで予定管理、時間管理するってのは結構難しいよ。やってみるとわかるけど。「他の仕事が立て込んでて云々」という言い訳は成立しないだろうし。そこら辺に自信がなければ、会社勤めで身につけてから独立したほうがリスクは少ない。
・自分が独立してやっていける性質かどうかが体感でわかる。
要するに、勤めてみないとそういうのってわかんないんですよね。多分、正社員として会社勤めすれば、今抱いてる会社勤めのイメージとは大きく変わってくるんじゃねえんだろうかと。会社組織の中にいるから、自分がその組織にあってるか合ってないかが体感しやすいってのはあるかな。あとは、仕事の責任ってのは、独立すると格段に重くなるわけですわ。
会社勤めだったら、顧客に損害与えても、社員が全額払うというのはよほどのDQN企業じゃなきゃないけど、個人の責任で会社と受注結んだら、その結果についての責任は全て自分で負わなきゃならないしね。その辺って、責任のある仕事をやるかやらないかで考え方は変わってくると思いますね。
あとは、まだまだ日本は新卒有利だからなあ。相当自信なければ、会社勤めで腕磨いてから独立するってのもいいと思う。大学生で起業してる人もいるにはいるだろうけど、その時点で社会人として、会社相手に仕事取れるぐらいのスキルがあるからできるってのはあるし。自分がそういう器かどうかわかんない場合は会社勤めしたほうが無難だとは思いますね。
じゃあ、フリーになって何が変わったかというのを俺の経験で書くと・・・
・仕事の収入はかなり上がった
手取りレベルで大体、正社員でやってるときの倍以上にはなってますね。俺の場合。
その結果、両親の金の無心も洒落にならねえレベルにまでなってるが・・・
・金遣いが結構シビアになった
フリーになってから買った大きな買い物って、単車ぐらいだ。車両本体価格で45万ぐらいの奴を現金一括で買った。それ以外は、結構金遣いはシビアになったな。貯金に回すようになったというか。
特に変わったのが食事。基本的に自炊+業務スーパーで買い物がデフォになった。外に飲みに行く店も結構厳選して行くようになったかな。
基本的に仕事がなかったら無職なんで、貯金することを勧める。で、借金は厳禁。
フリーの場合、まだまだ与信上厳しいところもあることはあるんで。借金はしねえ方がいい。借金するってことは、自分の未来を前借りしてるようなもんなんで。
あとは、確定申告する必要があるから、領収書とかとっとかなきゃならんしね。嫌でも金にこまかくなるよ。
・時間管理は厳格になった
まあ、遅刻とかしたら仕事に差し支えるんで。特に常駐型案件の場合は。
ついこないだまでそう。肉体労働で食いつないだりしてたけどね。最初の1月は貯金でやってたけど、それ以降は、貯金はまだしも、何もしてないと何か肉体持て余していらんこと考えるようになるんでね。相方と同棲してて、相方の収入も少ないんで働く必要は確かにあった。
そういう覚悟は持っておいたほうがいい。その経験のおかげで、自分はこの仕事が好きなんだなと再確認できた。
・孤独とはお友達になる
まあ、結局自分をなんとかするのは自分しかねえとマジで思うようになる。フリーになるってことは、そういうことなんじゃねえのかなと。で、マジで自分しかよりどころないから、自分を肯定するしかなくなる。自分と同様に他人も肯定したらどうなるかというと・・・
・人との繋がりを重要視するようになる
基本的に、人との繋がりが仕事生むってのはあるからな。ただ、繋がりは厳選するようになるな。負の繋がりは切っちまったほうがいい。
・休みに対する考え方が変わった
フリーになってからだな。休みの間の生活を充実させようかと思ったの。
で、休みって確かにいいもんだけど、「休みって金が発生しないよな」と思っちまったりもしましたね。
・仕事を念頭に置く考え方になってしまう
この辺は俺の場合特にそうなんだけど、休みと仕事だと、仕事を優先しちまうようになるね。休みはいつでも取れるけど、仕事はきちんとやらなきゃ飯食えなくなるという発想になるんで。
・「何がやりたいか」というより「何ができるか、やりたいことをやるにはどうしたらできるようになるか」を考えるようになる。
会社勤めのほうが、やりたいことを探し易いってのはあるかも。フリーの場合は、「何ができるか」で仕事取る傾向はやはりあるというか、確実に食うことが前提になってくるしね。
まあ、こんなとこ。
じゃあ、「ゆくゆくはフリー」となってる奴はどうやったらいいか。自分の経験をもとに列挙してみる。
・まず、「フリーになって何をしたいのか」を明確化する。
要するに、自分を棚に出して売るという感じだからな。自分が何売ったらいいかわかんないんじゃ独立以前の問題。そうでないと、魚屋の看板出してる奴が果物しか店先に置かないような笑える話になっちまう。
・とにかく、どこかの会社に潜りこむ
業界によっても違うんだけど、あまり大きくない会社で、独自の商品、技術持ってるとこで、それが自分に合ってるというところがいいんじゃないかな。ライターやりたい場合、サブカル系に強いところもあれば、ガジェット系に強いところもあるわけで。そこら辺の会社選び間違えるとえらいことになる。
ある程度力つけて、その会社で得るものがなければ、さらに密度の濃いところに転職するのもいいだろう。
・勤務態度はきちんとする
「独立するからいいじゃん」っていう意見もあるけど、そもそも、就業規則で枷嵌められてる状況で勤務態度がメチャクチャな奴が、独立してから勤務態度がきちんとできるかといったら、これ寝言?って感じなんですね。
勤務態度きちんとするのって、フリーの場合特に厳しく求められますね。漫画家だって、新人の頃は原稿落とすと仕事がなくなるわけで。藤子不二雄さんの話はあまりにも有名だよね。「まんが道」にも書いてあったけど、新人の頃に自分のキャパ超えた仕事量抱え込んで原稿落としてしまって、しばらく干された時期があるということ書いてたけど。特に時間関係、お客さんとの約束、最低限の社会性はきちんと付けとくべき。正社員だったら窓際というのがあるけど、フリーだったらその時点で仕事なくなるわけで。
・10年泥じゃねえけど、独立考えたいんだったら、人の倍は仕事にリソース割り振ったほうがいい。
新卒だったらその辺まったりとできるけど、俺みたいに中途で入った奴は、まずやれることって、新卒でこの業界に入った同年代の奴に追いついて、抜かすことが先なわけですね。俺、この業界入ったのは26歳なんで、20歳で入った奴からは6年、22歳で入った奴には4年遅れてるわけ。追いつくには、それこそ、人が3年かかって身につける経験・スキルを1年ぐらいで身に付けなきゃ、生きていけないわけですね。なので俺は人使いの荒いとこに入って、プロジェクト掛け持ちで月300時間オーバーとか普通にやってたんですね。暇なときは技術書読み漁って。そうしなきゃ追いつかない。そこまでしろという気はないが、独立考えてるんだったら、独立考えたらすぐに、人の倍は仕事やスキル習得にリソース裂かないと、独立は難しいと思う。
・独立前に、どこかで管理職もしくはそれに準じる経験をつけとくといい
単純に人脈がつくのと、人を管理することでいろんなスキルつくんだよね。仕事の取りかた、企画の立て方、人の使い方とか。いずれもフリーでやってくには重要な要素。あとは、平と比べると視点が変わる。フリーでやってくには、ある程度管理職的視点も必要かな。「やりたい仕事」だけじゃなく「次につながる仕事か」という観点で仕事しないと続かなくなる。俺はとりあえず課長補佐まで行って辞めた。
小さいとこだと、比較的昇進が早い。できれば新陳代謝が激しいとこだと特にそう。
・独立のタイミングは、多少の貯金と、会社抜きで仕事取れそうなところをふたつ以上見つけてから
フリーになると、正社員と違って入金は遅い。支払いサイトが60日近くとかザラだし。その間のつなぎとしての貯金は必要。あとは、仕事のルートは2つ以上あったほうがいい。てか2つあっても安心できない。担当者の異動とかで関係が変わっちまうってのは結構ある。最初の頃はエージェントも使っておくといいかもな。
あとは、独立する際、前の会社辞めることになるけど、前の会社にポジティブな置き土産おいてから辞めるといいと思う。妙な妨害とかなくなるし、前の会社がらみの仕事取るケースが多いからな。
・独立してからは、社員時代に担当してた取引先とはナアナアでいかなくなるよ。
その辺、会社の権威って結構でかいんだなと痛感する。てか、ナアナアで行くと、都合が悪くなったときに泥沼に陥り易い。まあ、その辺も、普通に仕事してるんだったらいいけど。特に大企業からフリーになった場合はそこら辺のギャップに陥り易い。「大企業様」から「出入り業者」になっちまうから。
まあ、こんなところかな。
2008-08-28
■[Text]公開質問状が来たんで答えます
id:satomiesさんから公開質問が・・・質問の観点が鋭いな。
[雑記]教えてオニイサン
http://d.hatena.ne.jp/satomies/20080828/p1
てか、id:satomiesさんのほうが俺よりも多分つーか鉄板で年う(fntaorj;shwiojfniharfgbviqyoaehfukayh・・・
特別支援関連のエントリは読んでて、当事者ゆえの地に足がついた視点、考え方をリスペクトしてるんで、答えるとします。
この「オニーサン」、転機転機で自分で改革立ててるのよね、周囲の力を自分の中に取り入れながら。家庭が機能してるわけじゃない。
俺の場合は、転機となるのって、自分がどん詰まりに陥ったときが多いかな。もう後がないんじゃないかというときになって気付いたり考えたりすることが多いですね。で、山越えて視野が広がってまたどん詰まりに陥って考えて、あたり見渡しての繰り返しかな。
まあ、頭の中でシミュレーション立てて想像できるほど頭良くないんで、経験と、自分で取り入れた知識をもとに想像するって感じかな。
学校で得た勉強よりも、自分の体験で得た知識、経験をベースに裾野広げて考えてるってのは大きいかと思う。
その辺って、親とか信用できなかったから自分でなんとかするしかないという感じかな。今でもあまり他人に依存しない傾向はあるし。で、質問に答える。
* 暴力というものが、犯罪の線に行くかどうか、悪質の線に行くかどうかの境ってなあに?
俺の場合は、基本的に肉体的な暴力は最悪の手段だと考えてます。そのために言葉ってものがあるわけだろうし。犯罪の線でいえば、相手が訴えたらその時点で犯罪になっちまうという覚悟ですね。なので、暴力を行使する場合、とはいっても10代の頃と比べると最近は殆ど暴力を使わないのですが。
悪質さでいえば、相手が反抗できない状況に追い込んで暴力振るうのは悪質だと思いますね。肉体的にも精神的にも。要するに、児童虐待とかDVとかモラハラは悪質極まりないと思いますね。
基本的に、悪質かどうかという基準で動いてるかな、俺。
* 「強いものに対しての反抗的攻撃」と「弱いものに対しての鬱憤はらし的攻撃」。後者の発生のポイントをどう考える? それと「発生させないための条件」ってのはどんなことだと思う?
基本的に、「相手がこっちに対して言葉で殴り返すことができるかどうか」というのを基準に考えてますね。後者については、相手にも言葉で殴り返すことができるように殴る場所を設けているかどうか。相手にも逃げ道を作っているかというのは意識してます。要するに、相手のコメント欄で「名無しさん」や「なまえ」で一方的に攻撃するようなことはやらないというのは俺の流儀。基本的にDisは自分のエントリで全てやるようにしてるし、コメント欄は常に開いてますね。ただ、あまりにも話にならないコメントは削除してますが。
で、後者についての発生ポイントって、はてなでいえば、はてブが結構大きいと思う。あとは2chあたりか。そんでもってある程度アクセス数が多くて、信者が多いところがネガティブに言及すると、それだけで火が付くってのはある。
発生させないための条件は、結構難しいかな。昔は、間違いがあったら、感情的にならずに謝罪もしくは不適切な箇所を訂正するという方法がいいと思ったけど、それやるとその事実だけでネチネチつつく奴がいるから必ずしも正しいとはいえない。個人的には、自分がやってる焼肉屋の食中毒が発生したときの、たむけんの対応のようにするのがベストだと思うけどね。
それ以上に、他者に言及するときは、言葉を選ぶほうがいいかな。「おまえが言うな」って感じだけど、最近はそういうのもあってあまり言及系のエントリを書かないってのはありますね。
* 「成績はよかった」ってのが出てくるんだけど、もし「成績がよかった」ってのが無かったら、どういう風に差が出てくるの?
俺の場合、成績良かったのは小学校高学年から中学時代、高校は一応進学校だったんですね。うちの学区では2番手ぐらいのとこ。じゃあ、幼稚園〜小学校低学年まではどんなんかといったら、かなり酷かったんですね。
俺、4歳ぐらいまでまともに喋れなかったし。4歳で横浜から山形に引っ越して、幼稚園入ったんだけど、ただでさえ人の入れ替わりが少ない田舎だから、俺、余所者なんだよね。言葉も満足にしゃべれない。おまけに方言話せない。幼稚園のときってそれこそ問題行動のオンパレード。幼稚園も手を焼いて、俺を特別支援系のところに入れようとしたと両親から聞いた。そんでもって、ガキの頃に覚えてるのは、鉄格子がついた病院の風景なんだよね。鉄格子越しに青空を見たというか。あれはなんだったんだろうか。俺にもわからないんだけど。
小学校低学年までは、体育以外は2か1。典型的な落ちこぼれ。高学年の頃に家庭の事情で転校して、そこの先生がすげえ厳しかったというか。毎日漢字の書き取りがノート1冊とか、計算もノート1冊とか、そんな感じ。体罰もガンガンやってたし。ただ、いいことと悪いことの区別は俺にでも理解できる価値基準を持った人だったし、見捨てるってことはしなかったんで、成績は上がった。あとは、ガキの頃は割と孤独だったんで、本だけは読んでたな。だから漢字とかは凄く強かったし。そんで、中学入ったら、テストでいい点とって、いきなり学年上位一桁台。「ああ、俺って成績良かったんだ」って感じで、自信がついた。
成績が良かったというよりも、そこに至るまでの過程で自分に自信付けたって感じですね。
もし、そういうのがなかったら、多分、俺、それこそヤクザの鉄砲玉で今頃命落としてたか、つまらねえ犯罪やらかして塀の中出たり入ったりしてたのかもしれない。でなきゃ薬に手を出してとっくにくたばってるか。
「成績がいい」という状態よりも、そこに至るまでの過程で自信つけたってのは大きいかもしれないですね。さらにいえばその過程で信頼できるというか、見習いたい大人に出会ったことも大きいかなと思いますね。
その先生がいなかったら、多分、俺、自分にバッテン付けまくってるまんまだろうし。
* NC-15のエントリって、時々「支援的な思考」を感じることがあるんだけど。だから「障害系ボランティア経験」ってのが出てきても、あんまり驚かないとこはあるんだけど。その「支援的な思考」ってのが生まれてくる発端ってのはなあに?
そこら辺は、自分の育ち、興味適性というのが凄い大きいですね。
ボランティア経験は、実は俺、結構やってる。献血は50回近く行ってるし、多分、昔のエントリも読んでらっしゃるから知ってるかと思うが、骨髄バンクのドナー登録もして、マッチングまで行ったのだけど、丁度そのときうつ病の治療中で、薬飲んでたんで肝機能で引っかかったんだよね。あれはすげえ残念。障害系ボランティアや介護系ボランティアは、高校時代からやってた。とはいっても、どうみても品行方正なガキとは縁が遠かったんで、やりだしたきっかけって、保護司に連れてかれてやったんだよね。傷害事件起こして1年ほど保護観察受けてたんですが。まあ、部活やりながらだったんでそんなにマメってわけじゃなかったが。そこで、まあ、俺も必要とされてるんだなと。最初はすげえ嫌々だったけど、やっぱりなんていうんかな、俺だって必要にされてるんだって思えるってすげえ幸せっていうんかな。それも、「いい学校行ってる俺」じゃなくて「頭は金に近い茶髪で、どうみてもDQNにしか見えないけど、こいつ等俺を格好だけで見てないじゃん」ってのがすげえ新鮮だった。素の俺でいられたっていうんかな。そりゃ大変なこともあるんですが。そんでもって、大学も医歯薬系に進みたいとも思ったな。俺の成績だと無理だと思いつつも。
そこら辺が原体験かな。多分、今考えると猫の手並みの支援だったんだけど、支援したつもりだけどこっちが救われたというのはあるのかもしれない。
あとは、高校3年の後半から1年ほど、顔面神経麻痺にかかったのも大きいかもしれない。最後の大会棒に振ったのも大きいんだけど、顔の右側が動かなくなってね。すげえ難儀した。それやられると味覚もすっ飛んじまうし。
1年ぐらいで、なんとか元に戻ったけど、完全に元に戻っちゃいないし。そこで思ったのが、障害って、それこそ誰にでも起こりえることなんだなと。自分がそうなった時、偏見の目で見られたり、同情されるのってすげえ辛いなと顔面神経麻痺の経験で自分自身痛感したんですわ。
そこら辺が俺の思考の発端ってなってる部分が強いと思うな。
まあ、こんな感じっすね。