ドイツの社会学者、マックス・ウェーバーの「職業としての政治」は現代の政治家と政治を学ぶ者に大きな影響を与えた講演である。そんな歴史的名講演でウェーバーは清朝末期の大官、李鴻章の回顧録を引用しながら中国の官僚政治にふれている▲だが実はこの李鴻章回顧録なるものはペテン師がでっち上げた偽書だったのだ。どうも碩学も極東の事情にはそれほど詳しくなく、偽書の紋切り型の東洋認識を見破れなかったようだ。むろんこの講演が重要なのはそんな細かな点にはない▲説かれているのは、宗教的・道徳的な心情だけではさばき切れない政治の結果責任の重さだ。そして政治の営みの本質を突いて述べている。「政治は、情熱と判断力を駆使し、堅い板に力をこめてじわっじわっと穴をくり貫いていく作業である」▲その政治は「一寸先は闇」の世界でもある。誰しも仰天した福田康夫首相の突然の辞任表明だった。それは安倍晋三前首相に次ぐ2代続いての「政権放り出し」、そういわれても仕方ない戦後政治のかつてない異常事態でもあった▲たぶん首相を問い詰めても、先日の小欄でふれたその座右の銘「行蔵は我に存す」--出処進退は自分のものとの言葉が返ってくるだけだろう。辞任が政治家として最善の決断と信じたのかもしれない。だが、それを受け止める国民の政治への不信と不安に思いは及ばなかったのか▲「どんな事態に直面しても『それにもかかわらず!』と言い切る自信のある人間、そういう人間が政治への天職を持つ」というのも「職業としての政治」の言葉だ。首相の辞任表明にあぜんとする今、その名言を思い出すのもむなしい。
毎日新聞 2008年9月2日 1時44分
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