2008/08/16(土) 22:44:25 [メディア/意見書]
映画「闇の子供たち」宣伝に思う
映画インタビュー:「闇の子供たち」阪本順治監督に聞く
「日本人にはね返ってくる映画にしたかった」
タイにおける幼児の人身売買の様子を克明につづった、梁石日(ヤン・ソギル)さんの同名小説の映画化「闇の子供たち」が8月2日から東京・渋谷シネマライズを皮切りに全国で順次公開される。メガホンをとったのは「顔」や「KT」「亡国のイージス」などで知られる阪本順治監督。「幼児の人身売買」という重いテーマとどう向き合い、脚本を書き、映像化していったのか。阪本監督に話を聞いた。毎日新聞 8月1日付記事より参照のため抜粋引用/写真は日本ユニセフの協賛ページ。参照のため引用
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現実と「映画に描かれる現実」の違い
映画「闇の子供たち」(2008年8月2日公開)に関する情報を、読者から教えていただいた、感謝する。同映画については、すでにご存知の読者は多いことと思う。同映画は、タイで発生しているという、臓器移植を目的とした、あるいは、幼児売買春を目的とした、子供たちの人身売買を描いた作品とされている。同映画の原作である小説「闇の子供たち」の作者は、在日コリアンの梁石日(ヤン・ソギル)氏。同映画については、長年にわたり、子どもの「商業的性的搾取」の撲滅を訴えている(財)日本ユニセフ協会が協賛し、同映画の公開に際しては、毎日新聞も紙面を割いてアピールに協力している。在日コリアンと日本ユニセフ、毎日新聞は、一見、不思議な取り合わせに映るが、しかし、実は、同じ根を共有していることが、この構図から窺えるのである。
毎日新聞の同記事(8月1日付)には、同映画の阪本順治監督のインタビュー記事が掲載され、このようなくだりがある。云く、「阪本順治監督:小説だから描写できること、というものがあるわけですが、それを映像として省くのか、それともあえて挑戦するのか。そうしたことを考えながら読み進める中で、幼児の人身売買は現実にあり、日本人も加害者としてそれに関与している。ならばその醜さをはっきりと見せるべきだと考えるようになりました」と。この「小説だから」、と阪本監督が述べておられる言資が実に興味深い。
すなわち、フィクションの意味合いが濃厚だ。同作品(映画)は、基本的には、梁石日氏の筆による「小説」を映画化したものである。その前提の上で、阪本氏は、どう見せるか映画を作るか、とその構成を考えた様子が窺(うかが)える。そうして映画作りの想定を進める中で、現地(タイ)での、幼児の人身売買は実際に起こっていることであるから、原作(小説)の中に描かれている「日本人も加害者としてそれに関与している」ことも、「その醜さをはっきりと見せるべきだと考えるようになりました」と述べている。
いわば、原作(小説)の特徴を引き出し、それを強調する。その強調のために、「その時に、虐待の様子は逃げないで描いたほうがいい、原作の描写をできるだけ映像に起こすべきだと決心がつきました」と述懐しておられるである。この点が、日本ユニセフの協賛ページに記されている、云く、「どうか、みなさまも、映画『闇の子供たち』が描く現実に目を背けることなく、この映画をきっかけに、子どもたちを守るために何をしなければならないのかを、私たちと一緒に考えてください」との文言の本質だ。
ゆえに、実際の「現実」が必ずしも=(イコール)「映画『闇の子供たち』が描く現実」(日本ユニセフ)とはならないのである。尊い支援活動とは、実際の「現実」を対象とすべき性質にあるのであって、それとは、=(イコール)ではない、「映画『闇の子供たち』が描く現実」は、確かに参考になるのかも知れないが、しかし、その対象にはないはずだ。
毎日新聞記事(一部)(8月1日)
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「臓器移植」の虚実
「小説」をもとにしたフィクションが混合された映画は、現実のドキュメンタリーとは異なる。肝心な事項が「不実」、すなわち「現実」とは異なっている場合には、むしろ、「映画」の命取りになりかねない。その「事項」の1つについて、現役の医師が否定しているインタビュー記事(「日経ビジネスオンライン」(8月11日付)がある。その中で、「映画では、子供の心臓移植とともに、臓器売買の問題を描いていますが、現実にはない、これは映画のフィクション部分というのは、どこなんでしょうか」と医師に質問している。
この問いに対し、医師は云く、「まずはタイで、日本人が心臓移植を受けた例はないということですよね」と指摘している。また云く、「親だから、子供をなんとしても助けたいという思いはあっても、みんな我慢して死んでいっている。人を殺してまで、生きたい、生かしたいという親はいません」と。さらに、「もう一つ、心臓移植はリスクが高すぎて、儲けということでは成立しないかもしれない」と。それが現実では理由を挙げている。また、「心臓移植をしようと思ったら、心臓を止めている間に人工心肺の器械を動かしていないといけないし、手術するためにはたくさんの人がいる」と。「心臓移植」手術本来の難しさを指摘し、事項の非現実性を指摘している。
さらに云く、「タイの外科医といえばエリートの人たちです。その人たちがいくらなんでも、そんな危ないことに手を貸すとは思えない。映画では、なんらかの事情があってということにしているけれど、そこは医療の現場にいる者の目からすると、映画のフィクションといえるでしょう」と述べている。その他の「映画の現実」の中での場面と、実際の現実との違い。医師のメンタリティについても語られているので、参考にできる記事でないか。
日経ビジネスオンライン記事(8月11日)
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胚胎する「日本毀損」を見抜こう!
重ねて申し述べて恐縮だが、シーンに挿入される「映画の現実」の事項が、現実と異なるのであれば、「この映画はフィクションです」、あるいは、「フィクションが含まれます」との注意書きが必要ではないか。
上記に引用する、毎日新聞記事のの監督インタビューの中にはこうある。云く、「映画のラストも原作とは違います」と。原作(小説)とも内容が異なっている。その点についての問いに対して、監督はこう述べているくだりがある。云く、「阪本監督:たとえば、よその国のマフィアが関わっている、かわいそうな話という落としどころだったら、日本人の監督が何をもってそれをやりたかったのか、と突きつけられた時に僕自身が答えられない」と。さらに云く、「だから、日本人を(子供たちを)救出する側ではなく加害者として描くことで、われわれ日本人に“はね返ってくる”映画にしたかった。そうでないと、自分にはこの映画は撮れないと思ったんです」と。
原作にも増して、「日本人を加害者として描く」。その性質にある「映画」であることが判る。喩えは悪いが、プロセスが重なるほどに、「現実」とはかけ離れて行くのである。それが「映画」である、と謂うならば、ことさらに、「フィクション」の注意、断り書きが必要である。しかし、毎日新聞の当該記事にも、また、日本ユニセフの協賛ページにも、その旨は明記されていない。
何の「現実」から「目を背けるな」と云うのであろうか。
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【筆者記】
事実を知る、また知らせることを「啓蒙」と謂う。これに対して、不実を信じる。不実を信じ込ませることを「洗脳」という。以って、上記の三者(原作者,日本ユニセフ,毎日新聞)による“労作”は後者に該当する。言葉は悪いが、世間に対して「イメージ作り」をしているに等しい。何の「イメージ」かといえば、「日本人は悪い」「日本人は加害者」である、との「イメージ」であり、それのイメージを共有するかのように、宣伝に紙面を割き、あるいはアピールしているに等しい。ここでも、また「毎日新聞」が登場する。良識は、「不実」英邁に見抜く「眼」をさらに養って行きたいものだ。短稿にて。
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小ブログの主旨
はじめて読者になられた方もおられることと思う。感謝する。月中でもあり、ここで、小ブログの主旨、原点について今一度記したい。多くのみなさまがご存知の通り、筆者の専門は政治分野ではない。理工系統で複数の専攻と学位を経た身である。その習性のためか、政治については、国内の政情や外交の現状を「正」「誤」で。また、その事由を「真」「偽」の論旨を以って判別している。ファジーな出力(結果)、玉虫色の結論はあまり好まない。
その論旨(筋道)の上から「これはおかしい」、「こうするべきだ」と「是」「非」で論じるべきではないか、と。そのスタンスでエントリーを申し述べる。その論旨は国思う活動の基本にもしている。ゆえに、書きたい記事を書き、それを自身の「声」で書いている。
実際に、血縁には政治学者や政治家はいた。知事、国会議員らもいた。だが、さて、筆者自身はどうかといえば、素粒子やブラックホールについては、少しだけ一般の人よりは詳しい程度で、まして、政治に関しては「ド」が付くほど素人である。勿論、いかなる団体にも属していない。
そのような筆者が、なぜ、政治ブログを更新させていただいているのか。最大の理由は、活動の動機に集約して述べれば、国思う庶民の視線で政治を語り、一人でもより多くの人に政治へ関心を深めていただきたい。その視線を共有できれば有難い。庶民の最大の武器である選挙権を放棄することなく、政治へ積極的に参加していただきたい、と。小さなブログと活動ではあるけれども、そのための、何らかのきっかけになることができれば嬉しい、と。その思いによるものだ。
政治は決して遠い世界のものではない。専門の識者諸賢による聖域論議に終わってはならないはずだ。また、特定の団体のものではさらさら無い。直前に迫った高齢社会をどう迎えるのか。我々の世代がその域に達した時に日本はどう在るべきなのか。内政、外交はどうあるべきなのか。この日本の将来は専門諸賢が決めることではなく、国民が決めることなのである。国民から遊離した政策は日本を空転に導く。ひ孫の世代まで多大な負債を負わせているこの現実からくみ取れる教訓は多い。
それがまたブログを始めた動機である。日本の未来を築くのは国民だ。小ブログと諸般の国思う活動は、小さな芽を出した微々たる存在に過ぎないが、総じては、日本国民が日本の正気を取り戻す。どこかで、そのきっかけと成り得れば有り難い、と。そう願い続けている。国思う活動の連携と情報共有の場を広げる。周知し合う。そのどこかで、お役立ていただければ、と思う次第である。
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読者のみなさまにはお忙しい中、ご訪問をいただき感謝しています。ここに、新たに記事をアップさせていただけたことを有難く思います。 拙い記事に対し、有志のみなさまより、内容を的確にフォローいただくコメント、身を案じてくださるコメントに感謝します。一日一日を大切に、みなさまと共に考え、真実を共有できればと願っています。事実を指摘する批判は「悪口」ではなく、真実を掘り出し、その共有のために不可欠です。また、真実の共有はすべての第一歩です。正論は真実から生まれ、良識の声は必ず力になる。辛抱強く支えてくださるみなさまに心より感謝します。ささやかな国思う活動ですが、発展のために、どうか末永き応援を宜しくお願いします。
日本は毅然とあれ!
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2007/05/18 00:00 設置 (PCカウント)
Author:博士の独り言
いかなる組織、団体とも無縁の日本人発行のメルマガ、およびブログです。初期のように、氏名とプロフィール、写真を掲載すべきと考えていますが、迫る身の危険回避の意味からも自重すべし、との筆者をよく知る友人らの制止により、現在は「博士の独り言」として活動しています。活動自体も全く無収入です。