真岡郵便局事件 〜第二章〜
※この記事は2回シリーズです。お手数ですが、先に「〜第一章〜」からお読み頂ければ幸いです。
前回、「真岡郵便局事件」を以前から知っていたと書いたが、そもそもは戦史に詳しい某人物に、あるサイト上で教えてもらったからだった。この時は、彼女らがソ連軍侵攻の中で最後まで職務に当たり、郵便局をソ連兵に包囲されて自決した、という風に聞いていた。この人物は右派的な人で、どうも事件を美談に仕立てていたらしい。自決は事実だが、その本当の理由は「お国のために命を捨てた」のではなく、「ソ連兵に陵辱されないよう、純潔を守るため」だった。微妙なところかもしれないが、私は両者は全然違うと思う。
ソ連軍の猛攻で郵便局が孤立していたのは事実らしい。実際、局長らは自宅から郵便局へ向かおうとして果たせなかったし、非番だった交換手らも応援に行こうとして辿り着けず、途中で死亡した例が複数あった。しかし、別棟にいた他の課の職員らは、「今から自決する」という連絡を受けて、救出のため電話交換台に駆けつけ、3名を引き留めている。そして、この自決しなかった3名のほか、電話交換手以外の郵便局職員は、女性も含めてほぼ全員が生還しているという(ドラマでは、少なくとも男性職員2名が射殺されたことになっているが、これは脚色)。真岡以外の郵便局では、(状況が違うとはいえ)同じような事件は起きていない。この自決は、本当に必要な死だったのかという疑問は、当然沸いてくる。
自決のための青酸カリは、予め局長から配られていたもので、その指示はもっと上から来ていた。この郵便局の電話交換手は、最盛期には60人余もいたそうだが、ソ連軍の接近に際して、誰かが最後まで残留して業務を続けてほしいという指示も、やはり上から届いたものだった。それに応じた2班24人(別の資料によれば、このメンバーからも疎開者が出て、最終的には20人に減った模様)のうち、この日が当番だった12人が事件の当事者になったわけである。ギリギリまでの残留も、「いざとなったら自決せよ」というのも、当初から上層部の指示にあったものだ。表面的には自ら応じた形に見えるが、あの特攻も志願制というのは表向きで、実際は有無を言わさぬ空気があったように、この乙女たちも自ら進んでの残留・自決だったのかという強い疑問が残る。家族の反対などで已む無く疎開(引揚げ)組に加わった者もいたというが、どちらかというとキャリアの長いベテランに疎開組が多く、若年者ほど残留したらしい(少なくとも7名が10代だった)。
もちろん当時の日本人は、長年の教育の成果で、こういう時に潔く志願し、あるいは自決することを美学として刷り込まれていた。現代の日本人だって、非常時になったら、こういう行動を取る人はいるだろう。上司の指示が強制的な意味合いを持っていなくても、応じた人は少なくなかったとは思うし、それは特攻でも言えることだ。若い人ほど疎開しなかったところにも、若さ特有の熱血が背景にあったと考えることができる。でも、それを今日的な価値観で「自主的に申し出た」と言い切るのは、絶対に間違いだと私は信じる。本音では逃げたかった人も(特に年少者には)いただろうに、言い出せない空気があったはずなのだ。当初は全員が残留を希望したものの、家族と相談して残留の可否を決めるよう上司に諭されているとか、一度は残留組に選ばれながら直前になって疎開を申し出た者に、あっさり許可が出ているとか、「自主性」を補強するかのような多々証言はあるけれど、そのことが「言い出しにくい空気」の存在を否定するわけではない。その空気は社会全体を覆うものであって、家族にもプレッシャーはあったと思うからだ。また、直前に疎開が許された例についても、上層部にとっては必要最低限の要員が確保できているという読みがあり、1人や2人減っても大丈夫だっただけだろう。
そして、いくらレイプが悲惨なことであっても、純潔を守るために自決までするべきなのかと思う。死んでしまっては元も子もないのであって、純潔よりも命の方が大事ではないのだろうか。その優先順位を当人たちにも勘違いさせた、この時代の体制が、事件の本当の犯人だ。つまり自発的な死ではなく、間違った指導の犠牲になったのだと思うのである。残留志願と同じく、いよいよ自決となった瞬間も、本当に状況を総合的に判断して決行したのではなく、その場の空気に支配されたのではなかったのか。それは決して美談ではなく、“惨事”でしかない。
こうして事実を知った今、この事件を美しいエピソードに昇華させた某人物に対して、私は少々腹立たしい。と同時に、犠牲になった9人にも、生き残って恐らくは自責の念にさいなまれながら人生を過ごしたであろう3人にも、同じく非番で生還した他の交換手にも、胸の潰れる想いがする。もっとやり切れないのは、樺太・千島の占領が終わったソ連軍は、まだ残っていた日本人に、ソ連側職員との共同で引き続き公的な業務を任せ、この真岡郵便局の電話交換業務も平穏に継続されたことだ。それは、日本人の完全な引揚げが終わるまで行われた。被弾して死ななければだが、この自決した交換手たちもそのまま仕事を続けていたかもしれないわけである。結果論だが、この事件の後にソ連兵に投降した郵便局職員に対して、陵辱は行われなかったという(ドラマの主人公は投降前に逃走しているので、これとは別)。
なお、このドラマでは、8月15日以降もソ連軍が進撃をやめない理由として、「国際法では、戦闘中の占領なら相手側の資産を接収できるが、相手が降伏した後の平和進駐なら、接収できない。つまり、日本人の資産を略奪するには、あくまで戦闘によって進軍するのでなければ都合が悪い」ためと説明している。本当かどうかはともかく、なるほどそういう見方もできるのか、とひとつ勉強になった。ソ連兵があちこちで略奪をしていたというのは、満州で少年時代を過ごした、私の高校時代の先生の一人が、実際に体験している。ドラマで自決の理由となり、主人公も経験することになるレイプは、やはり多くの証言がある。米兵も一部では酷かったかもしれないが、予想外に人道的な扱いが多かったという逸話が目立つ。ソ連兵が特にこういう行為に走っていたのは、本国で豊かな生活を送っていなかったせいかもしれない。交換手に残留を求めた時点で、ソ連軍が平和的に進駐してこないことも、レイプの恐れがあることも、上層部は全て織り込み済みで、だからこその青酸カリだったのだ。
最後に追記しておくと、この9人もまた、靖国神社に祀られている。
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コメント(5)
事実関係について「間違いがあれば、指摘して頂けるとありがたい」とのことですので
指摘させて頂きます。
「逓信女子特攻隊」
→この名称は史実にはありません。
「自決しなかった3名」
→正確には、服毒しなかったのが2名。青酸カリを飲むも一命をとりとめたのが1名です。後者の証言を、元交換手の方が「文芸春秋」昭和42年9月号に書いておられます。
「電話交換手以外の郵便局職員は、女性も含めてほぼ全員が生還」「ドラマでは、少なくとも男性職員2名が射殺されたことになっているが、これは脚色」
→死因は違いますが、少なくとも男性職員が2名殺されているのは史実どおりです。殉職者名簿には、避難した防空壕に手榴弾を投げ込まれ死亡した電信係2名の名があります。 ちなみに、局へ向かう途中射殺された電信受付の女性等を含めると、真岡局全体での死者は19名です。
「2班24人」
→史実では最終残留組は20名です。当日の業務にあたっていたのが11名。そのうち8名が自決し、駆け付けた後に自決した交換手が1名いたため、9人自決、3人生還となったわけです。
2008/9/3(水) 午前 1:04 [ 一筆 ]
「自決のための青酸カリは、予め局長から配られていたもので、その指示はもっと上から来ていた」
→稚内にある慰霊碑にも、当初は軍の命令だったと書かれていましたが、これは事実無根で現在は文面が改められています。青酸カリがどういう経緯で交換手の手に渡ったかは、ある交換手が恋人にもらったものを分けた、女子事務職員が工事局から持ち出したという風に元交換手らの証言はばらばらです。 ただ、入手先がどこであれ、誰かがあらかじめ自決のためにと皆に配布したということはありません。 青酸カリを持っていない交換手もいたからです。自決者の中にも青酸を持っていなかった方がいて、モルヒネで自決しています。先述の元交換手の手記では自決前に古い人から薬をわけてもらったという生還者の証言もあります。
2008/9/3(水) 午前 1:06 [ 一筆 ]
「ギリギリまでの残留も、「いざとなったら自決せよ」というのも、当初から上層部の指示にあったものだ」
→自決の指示はなかったことは既に書きましたが、残留も指示されたものではありません。8月16日の朝礼で初めて残留者が募られた際、その場で全員が志願したにも関わらず わざわざ家族ともう一度考えてくるようにと再考を促し、最終的に20名まで志願者を絞っています。 これでは志願という名目の強制だったという推測すら成り立ちません。 ちなみに、ドラマの参考文献の一つである「永訣の朝」は、残留は強制だったはずだという推測のもとに書かれていますが、それを否定する証言や事実ばかり集まり結果的に著者が肩透かしを食らう形になっています。
ここからは事実関係の問題以外にも言及します。
「今日的な価値観で「自主的に申し出た」と言い切るのは、絶対に間違いだと私は信じる」
→自主的に申し出たはずがないというのこそ、今日的な価値観だと思いますけどね。今だったら命を危険に晒してでも自分は職務を遂行するという人は少ないでしょうが、当時はものの考え方の全く違う時代(それが良い悪いというのではなく)ですから。
2008/9/3(水) 午前 1:07 [ 一筆 ]
Wikipediaにある、強制説が根幹から崩れる実例を拒絶して「言い出しにくい空気」があったはずなのだとされていますが、具体的事実に対して推測で対抗しても説得力ないですよ。ちなみに、Wikipediaに書かれている強制説への反証はほんの一部で、他にも元交換手の証言等による反証はいくらでもありますよ。
「上層部にとっては必要最低限の要員が確保できているという読みがあり、1人や2人減っても大丈夫だっただけだろう」
→言わんとすることがよくわかりませんが、結局強制じゃなかったことを認めることになっていると思いますが。
「純潔よりも命の方が大事ではないのだろうか」
→それこそ貴方が否定したはずの今日的な価値観だと思いますが。しかも、それを絶対視して「優先順位を当人たちにも勘違いさせた」などと書いておられますね。あと、日本と全く異なる死生観を持つドイツでも、ベルリン陥落時のソ連兵による強姦で膨大な自殺者が出ていますよ。1945年4月だけでも3881人。
「この事件を美しいエピソードに昇華させた某人物に対して、私は少々腹立たしい」
→誰のことですか?
2008/9/3(水) 午前 1:07 [ 一筆 ]
「被弾して死ななければだが、この自決した交換手たちもそのまま仕事を続けていたかもしれないわけである」
→そもそも歴史にIfは無いわけですが、郵便局は一番の攻撃目標である警察署の隣、しかも周りの建物が取り壊されて剥き出しの状態での銃砲撃、防空壕に避難した職員すら殺されているという状況ではそういう仮説すら立てるのは苦しいというものです。
「ソ連兵が特にこういう行為に走っていたのは、本国で豊かな生活を送っていなかったせいかもしれない」
→そういう問題以前に、ソ連軍は強姦を罰する風潮自体ないどころか頂点に立つスターリンが強姦を容認していますし。
後半は批判が多くなりましたが、この事例は昨今「実は真相はこうだった」とまことしやかに嘘やミスリードをやる人がしばしば見られるので、うっかりそれにはまってしまう気持もわかります。なお、より長くなるので出典提示を省いた項が多いですが、ご要望があれば示します。
2008/9/3(水) 午前 1:08 [ 一筆 ]