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特設メモ 呉市海事歴史科学館 への公開質問状1

佐伯邦昭

総目次

1 呉零戦公開質問状 このページ
その1    呉市職員の虚言癖 所沢を東京都内と偽る 掲載2005/10/04
その2  この粗末な仕事 日の丸への冒涜 掲載2005/10/06
その3  なぜ見せないのか 不親切な展示対応 掲載2007/06/21
その4  なぜ見せないのか  エンジン整備の失敗を隠すため?  掲載2005/10/21
その5  経歴は科学的根拠に基づくものですか? 掲載2005/11/01
その6  投稿  本当に六二型ですか? 掲載2005/11/15
その7  この人に業務委託したのですか? 掲載2005/11/12
その8  業務委託先を小笠原臣也前市長が著書に書いてしまった 掲載2007/08/05
 以下2及び3も是非お読みください。そして感想をお寄せ下さい。メール
2 戦艦大和の歴史捏造問題公開質問状へ  
   はじめに 掲載05/06/26
   その1 呉市長からの回答内容に疑問 掲載05/06/26
   その2  呼びつける 1対1で話をまとめようとする 公開を避けている? 掲載05/06/29
   その3 市長回答とは異なる説 掲載05/07/01
   その4 肩透かし、子どもだましの回答 掲載05/07/09
   その5  艦船学界はこの程度のレベルか 掲載05/07/14
   その6  小論 歴史を捏造する科学者戸高一成氏について 掲載05/07/27
   その7  でたらめな呉海軍工廠地形模型 掲載05/09/25
   その8  続 でたらめな呉海軍工廠地形模型  掲載07/08/09
   その9  科学の名が泣く 大和ミュージアムの展示 或る海事専門家のメールからから 掲載07/10/18
   参 考  
3 その後の動きなど へ  
   その1 呉市役所の体質 その1 掲載05/12/15
   その2 姑息な対応 掲載06/02/20
   その3 隠蔽する議会答弁 掲載06/03/05 
   その4 お笑い一席  掲載07/06/21 
   その5 捏造をひた隠し 職員の良心か? 掲載06/07/03 
   その6 魚雷のウソ  掲載07/06/21 
   その7 報道発表の疑問 新 その3 日本博物館協会の研究誌へ 偽りの上塗りか 掲載08/03/27
   その8  阿川弘之の大和ミュージアム観について(投稿) 掲載07/04/18 
   その9  新たな問題発生と漫画チックなちぐはぐ 呉海軍工廠の潜水艦部は実在した (訂正と感謝)  掲載07/06/23
 

    1 呉零戦公開質問状

呉零戦公開質問状 その1 05/10/04 呉市職員の虚言癖  所沢を東京都内と偽る

 

2003/12/18付け呉市企画部海事科学館推進室からの手紙

 
                                             
平成15年12月18日

佐伯邦昭様
                            呉市企画部 海事 博物館推進室

 (挨拶文省略)
  いつも 科学館の建設につきまして、気にかけていただき誠に有難うございます。ご質問の件でありますが、現在、零戦の機体は東京都内の航空機整備業社におきまして修復中です。平成17年3月までに修復業務を完了する予定になっておりますのでよろしくお願い申し上げます。

修復工場名について

 梨のつぶて状態であった呉市海事博物館推進室が、零戦の修復先をやっと答えてくれました。しかし東京都内の「航空機整備業社」とは面妖な。後々解明しますが、呉市職員の虚言癖はここから始まりました。虚言(きょげん)とはうそつきのことです。

 妙な回答だなと思いながらも、私は東京都というのを信じて日本航空協会、国立文化財研究所、国立科学博物館その他で航空機の復元に当たった経験のある方々に東京都内の航空機整備社というのを調べてもらいました。

 ロバート ミケシュさんの影響で日本にも航空機修復の理論がありますので図書室3の書評参照)、呉零戦の貴重な価値からして、そういう人達に監修してもらっているに違いないと思い、その線からたどれば工場が分るだろうと考えたからです。すなわち、呉海事歴史科学館の公共的性格からして、機体の正しい戸籍調べが行われ、かつ京都と白浜で行われていた修理が徹底的に見直され、最高とはいかないまでも今日のレベルで納得のできる産業文化遺産にしてくれるだろうとの期待を持たせてくれた訳です。

 私の依頼に対して、ラバウル帰りの零戦(国立科学博物館所蔵)を修理した実績のある調布市の工場までわざわざ聞きに行ってくれた人もおりましたが、一様に東京都内にはそれらしい工場はないとの回答が来たのでした。

 予測と期待は100パーセントはずれました。
 かなり後になって、それは埼玉県所沢市の霊園そばの名もない小さな町工場で作業が行われているのを知りました。
 埼玉県所沢市は東京都内ですか? このあたりから呉市職員の私に対する虚言癖が始まっています。だまされた私の方が悪いのでしょうか?

 

2003/12/25付け呉市企画部海事博物館推進室からの手紙

 
                                      平成15年12月25日

佐伯邦昭様
                            呉市企画部 海事博物館推進室

 呉市海事歴史科学館(大和ミュージアム)の建設につきまして、いつも気にかけていただき誠にありがとうございます。
 さて、質問がありました零式艦上戦闘機修復業務につきましては、専門家の監修を得ながら行っております。監修者名につきましては、個人情報となりますので公表することはできません。ご了承下さい。


監修者名について

 この手紙には、監修者名は個人情報だから教えられない、と書いてあります。私は搭乗員に監修してもらっているというのはうすうす聞いていたのですが、その方の希望で名前を伏せているのだろうと解していました。

 ところが、大和ミュージアムがオープンしてみると零戦63型の前に「吾妻常雄」という名前が示され「今回の機体修復は、吾妻氏ご本人の協力を得て行われました」と個人情報が堂々と書いてあるではありませんか。

 個人情報の扱いを都合のいいように変えてしまう呉市の虚言癖がここにも現れています。佐伯ごときに吾妻氏の名前など教えられるかという意識なのかも知れません。
 


佐伯を脅したつもりか?

 つごうの悪いことを隠してはいけないので、上記の2003/12/25付け手紙に付けくわえられていた文章も公開しておきます。

上記の手紙のなお書き

 
 なお、貴ホームページ上に掲載されております当推進室収蔵庫保管中の零式艦上戦闘機写真は、当方の掲載許可を得たものではありません。掲載はご遠慮願います。
 以上よろしくお願いいたします。

  私が、和歌山零パークのページに零戦が呉に引き取られたことを示す小さな写真を1枚だけ載せていたのを見つけられての脅しでした。インターネット航空雑誌ヒコーキ雲をよく観察してくれているようです。

 ヒコーキ雲は商業目的じゃあるまいし、その程度のことに目くじらをたてるのなら、もともと収蔵庫に引き入れて写真撮影を黙認した職員にも責任が及ぶじゃないかと反論し、メールを出しましたら、もう応答はありませんでした。多分、大人気ないと思われたのでしょうが、しかし、争えばこちらの負けなので写真は取り消しました。

 この手紙は、たったこれだけのことをA4用紙に書いて、なんと350円も出して速達便で送りつけてきました。速達にした理由は? 文書後段の写真の件で心理的な圧力をかけたと解されますね。

  私は、或る海上自衛隊退職者の案内人がぼやいていた言葉を忘れません。

 「職員はえらいさんや知人が来るといくらでも収蔵庫へ案内するのに、我々には見せたらいけないと言う。勝手なもんだ!」

 その辺の規律はきちっとしていたのでしょうかね。いずれにしても、350円も速達料金を払って、このような虚言を送りつける都市は、そうザラにはありません。呉市の納税者は公金支出に鷹揚(おうよう)なものだとつくづく思います。

 これは公開質問状です。呉市さん、意見がありますか?



呉零戦公開質問状 その2 05/10/06 この粗末な仕事 日の丸への冒涜


  小さい問題のようですが、大和の模型が素晴らしいと万人が誉めているそばで、零戦がなぜこんなに粗末に扱われるのか悲しいので、どうしても言わせて貰います。

 この写真は左主翼上面の日の丸のクローズアップです。明らかに外縁を修整しています。肉眼でも分ります。2

  

 もともとの直径が間違っていたか、位置がずれていたかでしょう。

 修整は素人くさい筆遣いで、色も違います。今どき模型の無料展示会でもこんな塗装で出したら物笑いになりませんか?(大和ミュージアムはお金を取って見せています)

 問題点
 
第一に、呉市は何を考証していたのかという基本的な欠陥
 第二に、業者に対する仕様書の欠陥、中間指導の欠陥
 第三に、納品後誰かに指摘されるまで、日の丸の位置と寸法を確認しない検査の欠陥
 第四に、このような幼稚な修整を平気で見せている科学館感覚の欠陥

 こんなお粗末な日の丸を画かれた零戦がかわいそうです。嵐山零時代の方がはるかに鑑賞に耐えられるものでした。

 これは公開質問状です。呉市さん、意見がありますか?



呉零戦 公開質問状 その3 
05/10/13 なぜ見せないのか  不親切な展示対応

 呉零戦の観覧上の問題点をいくつかあげておきます。

@ これ見よがしのタラップ3

 機体左側に大きなタラップが常時置いてあります。それは整備作業用であって、希望者が上がって操縦席などを見ることはできません。
 入館者の何パーセントがコックピット内を詳しく見たいかはさておいて、偉いさんが望めば使わせてあげるのだろうと皮肉っぽく語っていた人がいましたが、そう受取られても仕方がない置き方です。
 
誤解を生まないように、せめてタラップを隠す工夫をしたら如何なものでしょう。

 

 


A 2階デッキから計器板などは見えない

 呉零戦の計器板は、Nさんが可能な限りの考証を行い、大変な犠牲を払って実物に近いものを作って装着したことを多くのマニアが知っています。

 だから、つぶさに拝見したいのは人情というものです。マツモデルデザインさんが納入した照準器も同様です。

 2階デッキから、見えないことはないですよ。邪魔になる窓枠の風防ガラスを通して。しかし、温室の花を遠くから間接的に見せるようなもので、欲求不満が昂じて不愉快になります。

 せめて開館時間中は風防を開けておき、双眼鏡でも備え付けるサービスはいかがなものでしょう。もしくは、もう1セット作って貰って下へ展示してはいかがでしょう。 それとも、鹿児島県の海上自衛隊鹿屋航空基地史料館へ行けば、タラップがあって操縦席をのぞきこむことができますから、零戦のコックピットを見たい奴はあっちへ行けですかね。

 どっちが呉でどっちが鹿屋でしょうか わかりますね!

    官僚的展示の典型の館            お客第一を考える館
 

 なお、以上は観覧者としての立場から佐伯の考えであって、Nさんは、相当程度のものが復元できただけで感謝、見せる見せないは問題ではない、またマツモデルザインさんも館の勝手だと 、それぞれ言われているそうですから念のため付け加えておきます。


B 手で触って壊れる戦闘機か

 入館者の中には信じられない行動をする人間もいますから、要所に立札を置いて注意を喚起するのは当然で、呉零戦のそばにも立札がふたつ立ててあります。

 この注意書きをゆっくりと読んでみてください。「デリケートな構造」とか「壊れやすい資料」とは如何なものでしょう。間違いではないにしても、最強を誇った戦闘機がガラス細工みたいなものですか?
 強度試験をした技師が笑っているでしょう。大切な産業文化遺産だからとか腐食していて危険だからとか、もっと適切な表現があるじゃないですか。

 それと、布張りと書いていますが、修復工場ではビニールを貼ったと仄聞します。一般に壁クロスなどというので、クロスを訳せば布でしょうが、ポリ塩化ビニ-ルを素材とするものを羽布と混同するような表現はごまかしじゃありませんか。

 
 これは公開質問状です。呉市さん、意見がありますか?


新 2007/06/21 立札の更新

 06/18現在で、このように更新されていました。ヒコーキ雲への挨拶はありません。ヒコーキ雲に言われたとおりに書くのは腹立たしいからでしょうか、まだ、問題を残しています。


某掲示板へ本名もメールアドレスも隠して投書された方々に一言

 何があろうと、必読日替わりメモ特設コーナーはこれからも更新していきますが、私の投稿が原因で某掲示板にひどく迷惑をかけてしまったので、あそこへ本名もメールアドレスも隠して投書された方々に一言申し上げておきます。まず、私のところに来ているメールの一部を紹介します。いずれも実名で頂いております。

 ○ 〜操縦席の前まで真っ黒に塗って呉市へ搬入したのは、金を十分に貰えなかった業者の嫌がらせで、わざとやったものだ〜

 ○ 〜職員から、名前を宣伝してやるからタダで納めろといわれた〜

 ○ 〜日の丸の位置等、塗装の間違いが随所にありました。〜はじめから厳密に考証して塗装すれば、こんなことにならなかったわけで、どうもいろいろ詰めの甘さの多い 科学館です〜

 ○ 〜今迄の呉の対応を見ていると、今回ボランティアで係わった多くのマニアに責任が転嫁されかねない雲行き〜

 大和模型問題にしろ呉零戦問題にしろ、私の筆致が厳しいのは承知の上です。しかし、私が呉市に出した質問に誠実に答えてくれていたら、こうはなりませんでした。 このようなメール情報が真実かどうか確かめる手段も呉市からの答えしかないわけですから。

 某掲示板で、私の質問に本筋で答えてくれたのは4人しかなく、あとは脇道で私の零戦や吾妻氏への基本的認識の甘さを衝いたものでした。それは容認しなければなりませんが、中に呉海事歴史科学館サイドからの反撃もしくは嫌がらせのニュアンスとせざるを得ない内容のものがありました。

 それらは既に管理者の良識で削除されましたので、言及すべきではないかもしれませんが、こちらには上のような投稿もきているということを敢えてあなた方に示しておきます。願わくは、堂々と名乗って直接メールをしてほしいものです。私は本名とアドレスを公開しているのですから。



呉零戦公開質問状 その4 
05/10/21 なぜ見せないのか  エンジン整備の失敗を隠すため? 

呉零戦のエンジンに関る問題点を質問します

@ 肝心の部分を何故逆光の位置に向けるのか4

 機体の左手前に展示されている栄31発動機も重要文化財級の産業遺産です。

 サンディエゴにある零戦62型のエンジンについては詳しく知りませんが、こちらは琵琶湖から引揚げた時に、減速ギアケース表面に書かれた文字によって「栄三一型」型であることが確認されていますので、間違いなく日本でただ1基しか残っていないエンジンです。

 嵐山の修復時に渡辺武氏が撮影したカラー写真に赤のと、サカエの浮き彫りを白エナメルでえどったと思われる文字が明瞭に見えています。

 その時は、恐らくそのままの状態でカウリングが取り付けられたため、約25年間さわられることなくオリジナルで維持されてきたはずです。呉市に運ばれて、海事博物館準備室で見たときには、減速ギアケースの表面は粉を吹いたような状態でもサカエも全く見えませんでした。A参照  

  それを、どういう意図かの丸い部分を残してケース全体が新品同様になり、薄緑色(青竹色?)に塗装されて展示されました。

 説明板に「エナメルで甲の文字が確認できることから〜」とあります。

 見物人は、どこに書いてあるのか目を凝らして探します。しかし、の文字が逆光側に向けてあるため、よほど注意しないと肉眼では見えません。

 ロープ際から凝視していたら、やっと右の小写真のようなものがみえ、望遠にして腕を一杯に伸ばしてフラッシュ撮影して、パソコンに取り込んでみて、なるほどこれなのかと、わかる仕組みです。

 

 この不親切な置き方は、まさか戦艦大和模型の逆光展示向きのような屁理屈と同じではないだろうと思います。

 単なる配慮不足としておきたいのですが、少々うがった見方をすると、わざと逆光に置いたのか? と思えなくもありません。

 


A 非学術的保存処理の典型

写真 A B 
 海事科学館準備室倉庫にあった時のものです。

 違うカメラで撮っているので色は異なりますが、粉を吹いたような汚れた状態であるのがわかります。もサカエの浮き彫りも全く見えませんでした。

 20数年間の自然な汚れや白浜での潮風による金属表面の劣化によるものと推定されます。 ただし、減速ギアケースは頑丈な造りですから、腐食でもろくなるようなことはないでしょう。

 

A
B
 

写真 C D
 呉市が修復させた現在の姿です。

 なにやら奇妙な感じを受けるのは、私だけでしょうか。

 丸にの字のところだけを残して、きれいに磨いてべったりと塗装されてしまいました。

 はなはだ非学術的保存といわなければなりません。

 表面を注意深く洗浄して、腐食をふせぐ透明塗料を塗っておけばいいものを、痕跡を隠すみたいに厚化粧させ、の部分だけ証拠として残しましたとは、全くお笑いです。

 マツダE&Tから受取った時に、これでは不自然すぎるというので、なるべく見てもらわないように逆光の位置にという親心か? 

 

   
C
D

  この一事を見ても、発動機のその他の部分がどのようにいじられてしまったか、およその想像がつきます。日本に1台しかない栄三一型は、こうして価値を下げていっているのですね。

 なお、嵐山で修復が行われていた頃は、栄三一型甲についてはよく分っていなかったようですが、その後防衛研究所図書室から、栄三一型から気化器、噴水ポンプ及び機体にメタノール噴射装置を具備しないものを、栄三一型甲と呼称する旨の構造並びに取扱要領が発見されました。これにより、機体そのもののが六三型か六二型か五ニ型丙かの論争が始まったもののようです。

 63か62かは別にして、この取扱要領によりますと、メタノール噴射装置を具備して生産された栄三一型の減速室(カバー)には栄三一型と書いた扇形の銘板が取り付けてあり、を書き入れる場合は、その右に約25m/mの大きさで赤エナメルで書けとあります。

 零戦マニアの皆さん その指示と、現物はかなり異なっておりますね。間近で詳細に検討してみたい衝動に駆られませんか? もう無理ですけどね。


 これは公開質問状です。呉市さん、意見がありますか?


2005/10/23 呉零戦公開質問状について

 呉零戦公開質問状につきましては、興味をもって見ているというメールはいただきますが、お前の考えはおかしいといった反論のようなものがひとつも来ないので、やや肩透かしの感じを抱いていましたが、やっと、某氏から「批判を行うならば基礎的な部分を固めておかないと根本的な部分で信用を失いかねないよ」というご忠告を頂きました。 そこで、私の立場を説明しておきます。

 ご批判はそのとおりだと思います。私のレベルでの情報収集と勉強能力には限界があり、その方面の達人からみると腹立たしい面があるし、すでに信用を失っている点があるかもしれません。

 それを承知の上で、疑問点は質す、主張すべきは言う、という建前はインターネット航空雑誌ヒコーキ雲の発刊以来一貫してとり続けています。そして、いい意味でのご批判やご指導やご提言を頂いて、私の知識も積み重ねてくることができました。

 戸高氏の歴史捏造問題にしろ、呉零戦問題にしろ、だからこそ呉市役所が正面からまじめに対応してくれる必要があるのです。お前の見方考え方が違うというのなら、その見解を堂々と発表すればいいじゃありませんか。

 インターネット情報が既成観念を変えつつあることは万人の認めるところです。その意味から見れば、はばかりながらインターネット航空雑誌ヒコーキ雲もその一員として良くも悪くも世間に影響を与えています。 だからこそ、また、佐伯がいい加減なことを書きやがってと思うなら、早期にそれを是正させておくことが極めて重要なことであると皆さん思いませんか。

 呉市がそれを知らないはずはないでしょうし、知っていて無視するのは、非常に都合の悪い事情があるからだと私は見ています。それを市民国民の前にいつまでも覆い隠せるものでしょうか。

  佐伯個人が信用を失うのは微々たる問題です。その犠牲において真実が明らかになっていくならインターネット航空雑誌ヒコーキ雲の存在理由がより鮮明になると思っている次第です。

 自惚れもいい加減にしろと言いたい人は、どうぞ呉零戦公開質問状への答えを出してください。全文掲載の上、私の間違っているところがあれば素直に訂正謝罪しますので。

 



呉零戦公開質問状 その5 
05/11/01  経歴は科学的根拠に基づくものですか?

 

呉零戦の戸籍に関る問題点を質問します。5


呉零戦前の説明板

 この説明板の「昭和53(1978)1月に引揚げられたものです。」という部分は疑いのない事実です。その根拠を説明する必要はないでしょう。

 また、「明治基地第210海軍航空隊の所属機でした。」という部分も、尾翼に残っていた文字からの追跡研究により確定しています。

 問題は、「吾妻常雄海軍中尉が操縦飛行中〜不時着水し、」の部分です。そうかもしれないというニュアンスではなく、断定の書き方です。

 呉市は、どのような調査によって吾妻常雄海軍中尉の搭乗機と断定されたのでしょうか。科学館を名乗っている以上は、このような説明板も十分な根拠をもって作成されているものと思います。それを明らかにしていただきたいのです。

 ここまで書くと、お前は吾妻さんを誹謗(ひぼう)するのか、吾妻さんのような人格者を疑うのは失礼だ、けしからん奴だという抗議が殺到することでしょう。既に某掲示板でさんざん叩かれました。

 私は、吾妻搭乗機じゃないと言っているのではありません。また、吾妻常雄さん個人について書いているのでもありません。

 吾妻機であったか、そうでないか断定する資料を見たことがないし、少数ですが私と同じ疑問を持つ方もいるので、呉市が吾妻機と断定して書いている科学的な根拠を問いかけているのです。

 旧日本軍機に詳しい方の説明では、搭乗員というものは自分が乗った飛行機の細部はほとんど覚えていないそうです。次は某掲示板の書き込みの一部を引用させていただきました。

○ 60年も前の機体細部・形式の事を詳細に知っている搭乗員の方は少ないと思います。

○ 乗員が自分の搭乗する機体の型式を細かく覚えていることは稀で、二一型と三二型のような場合を除けば、飛行隊長クラスであっても自隊の装備機が何型であったかを記憶されていない方もおられます。

○ 吾妻氏のログブックや事故報告書又は行動調書等から事故当時の氏の搭乗機が210-118号機だと断定されていれば疑問を持つ必要は無かったのですが‥‥

 また、或る人は一般論として次のように言っています。

○ 「いつ何処で誰が何をしたか」という基本的な事実について「関係者」の回想は決定的な証拠とはなり得ません。それらは残存する公文書等で裏打ちされて初めて事実として客観性を持つものです。歴史学的な手法とはそうしたものです。

 そうでしょうね。琵琶湖へ不時着水のご本人の記憶が一致するというだけでは状況証拠に過ぎないし、物語にはなり得ても、学問として成立するのかどうか疑問です。搭乗員は細部まで覚えていないのが普通だということになればなおさらです。

 断っておきますが、零戦マニアが信じているのをどうのと言うつもりはありません。

 公の施設が、疑問の残ることを、あたかも正しいもののごとく入場者に説明しているとしたら、人々を愚弄(ぐろう)するのも甚だしいと言いたいのです。

 90%正しくても10%の疑問が残れば、それを明らかにしておくのが 科学館としての良識、常識ではないでしょうか。

 しかし、呉市は吾妻常雄氏を監修者とし、「今回の機体修復は、吾妻氏ご本人の協力を得て行われました」と堂々と書いております。聞くところでは、吾妻氏の協力というのは見学程度という人もいます。細部を覚えていない人が何を協力や!という訳です。

 また「協力を得て行われました」という三人称のような言い方も気になります。呉市には修復の責任がないみたいです。

 吾妻氏がどう思っておられるかは知りませんが、客寄せパンダもしくは権威付けのために呉市に名前を利用されたのでなければいいですがね。

 これは公開質問状です。呉市さん、意見がありますか?



 この点に関する興味深い質問と回答が零戦の会の掲示板に載りましたので参考までに要約して紹介しておきます。

零戦の会の掲示板に出た質問と回答の要約

 
2005/11/13(日)12:56 某氏
 この掲示板【3438】で「吾妻さんの零戦」と書かれてあるとおり、同館に展示されてある機体は、本会副会長である吾妻常雄氏が操縦中にエンジントラブルのため琵琶湖へ不時着水した機体とされているが、ネット上において同機が吾妻機であると100%断言できない、呉海事歴史科学館が断定したように表記しているのは如何なものか、という意見が出ている。これについて会はどう思っているのか。呉海事歴史科学館が復元展示に当たって吾妻氏の協力を得たというのは、飛行記録などの資料があったのか?吾妻氏の機体と断定した経緯について存知の方がいればご教授頂きたい。

2005/11/13(日)14:22 - 副会長
 そのネット(インターネット航空雑誌ヒコーキ雲のこと)については当会は預かり知らない。また、当会有志が戸高館長のご案内で大和ミュージアムを見学したことはあるが、呉市と当会との間には、まったく接点がない。色々あるはずの資料の中から、呉市がどの部分まで見ているのかも知らないし、呉市がどのように断定したかなど、知る由もない。呉市が「吾妻常雄氏の協力を得た」と表現するのは呉市のいわば勝手であり、呉市がどの資料に基づいてこう表記しているのかは、当会ではわからない。

  後世の歴史家が喜んで取り上げたくなるようなまことに興味深いやりととりです。大和ミュージアム開館直後でしたか、吾妻副会長一行が訪れていることがこの掲示板にあります。

 吾妻氏は零戦前の説明板に自分の名前を見てどう思われたのでしょうか。呉市と零戦の会の接点がないのに、副会長が専門家として監修したとはどういうことでしょう。会とは関係なく吾妻個人が積極的に監修したと言われるのなら、そのようにお答えになればいいでしょう。副会長なのですから。



呉零戦公開質問状 その6 
05/11/15 投稿  本当に六二型ですか?

投稿 本当に六二型ですか? masa

  和歌山県白浜零パークで展示されていた零戦が、63型だと言われ続けられきたものが呉海事歴史科学館では学術調査にて62型だと断定されています。6

呉零戦の説明板

 しかし、取扱説明書には、水噴射装置を装備していない52型丙でも「胴体内に内袋式防弾タンク新設し不時放出弁を設ける。」とあります。

 これは防弾タンクを装備した場合、外翼と内翼の燃料タンク容量が150リットル程減少してしまうので、胴体内に140リットルタンクを増設しようとしたためだと思われ、通説である「63型では胴体タンクが水メタノール液タンクに充てられたため、後部胴体内部に、新たに140リットル入りの燃料タンクを装備するようにした。」は、どうも間違っているように思われます。

 つまり63型が廃案になり、62型の後部胴体の140リットルタンクを装備されたのではなく、52型丙の後期に採用されたと考えられます。

 機体によっては埋め込み式の爆弾架が装備されているのに胴体タンクが装備されてい機体もありますが、空襲による部品不足が影響したためでしょう。

 はっきり言って、52型丙と62型の区別はデータステンシルでしか確認する術が無く、呉零戦を資料から62型と断定するの非常に難しいと思います。私も、科学館としての学術調査の内容を公開してもらうようお願いします。

 これは公開質問状です。呉市さん、意見がありますか?


2005/11/18

 呉零戦の件で、いろいろとご批判が飛び交っているようですが、その中に佐伯は呉に出向いて話し合うべきではないかというものもあるそうです。

 これも、もう何度も書いていますが、大和のドック入りについて虚偽の歴史を市長にメールさせたことについて2 戦艦大和の歴史捏造問題公開質問状へ参照)、市長や担当部長に抗議しましたら、館の方から「館へ来ていただきたい」というメールがあり、呼びつけるとは何事かと返事をしたら「広島のお宅のほうへお伺いします」というメールが来た経緯があります。

 困った時に1対1で腹を割って話し「どうかご内聞にしてください」と頼み込むのは、日本社会の常套手段です。呉市のメールにもその匂いを感じたので来宅は断り、経緯をすべてインターネット航空雑誌ヒコーキ雲に公開しているので、どうぞこの席で発言してくださいと再三お願いしました。しかし、7月以降ぷっつりとメールが途絶えました。

 私は歴史捏造問題について、まず呉市の方からきちんと対応すべきであると思います。きちんとというのは、一職員が腹を割ってご内聞にではなく市長名で堂々と答えることです。そうされない限り零戦問題についてもこちらから出向いて話し合うつもりはございません。私を批判する貴方、この程度のことは理解してもらえますね。

 なお、呉零戦についての資料を大和ミュージアムが発行するとかの情報もちらっと耳にしました。それはたいへん結構なことで、いわゆる学術調査なるものの内容が満足できるものであることを心から期待しております。



呉零戦公開質問状 その7 
05/11/12  この人に業務委託したのですか?


 この人に業務委託したのですか?

 呉市がひた隠しにしている呉零戦の修復業者は、元航空自衛隊の優秀な整備士であった人が関わったらしいという噂を耳にしていましたが、トラック諸島に残る彩雲のレストアに関する雑誌新聞記事から伊藤祐彦氏の名前が浮かび上がりました。7

  伊藤祐彦氏は、元航空自衛隊員で東京日本橋の航空機部品輸入会社の社長だそうです。読売新聞記事には 「彩雲の修復は、大和ミュージアム(広島県呉市)に展示中の零戦を修復した経験のある伊藤さんが行う」 とあります。

 またThe Daily Yomiuri は、次のように書いています。
 He was involved in the restoration of a Zero fighter that is currently on display at the Yamato Museum in Kure, Hiroshima Prefecture.

 辞書を引くと、 be involved inの主語が人間である場合は、〜に没頭する、熱中するの意味になります。呉零戦の修復に熱中した彼ならトラック彩雲のレストアも成し遂げるだろうという文意につながるし、逆に言えば、呉零戦の修復に主体的に当たった人もしくはそのうちの一人と推定できます。

  同じ読売でも日英で多少のニュアンスの違いがあり、翻訳者の癖が出ただけのことかもしれませんし、私の考えすぎかもしれません。しかし、どうやら呉市は伊藤祐彦氏の航空機部品輸入会社又は伊藤氏個人若しくは別名の法人と契約した可能性が大きいように思われます。

 レストア-元航空自衛隊員-呉零戦修復に没頭という関連から三題噺みたいなこじつけ推理をしなければならない自分が悲しくなってきます。呉市が胸襟を開いて誰々に幾らで業務委託したと答えてくれさえすれば、つまらぬ詮索をしないで済むものを。

 ご承知のように、岡山県知事は、岡南空港ビルのエアロコマンダーの撤去業者名と費用を教えてくれました。呉市は未だに公開しません。市役所内すら秘密扱いなのかもしれません。だから、修復金(巷では8千万円とも言われている)の行く末がどうとか、納入業者がわざと塗装を間違えてピンはね(4千万円とも言われている)の仕返しをしたといったような奇妙な噂が飛び交う わけです。

  呉零戦の修復で、我々に分っていることは、エンジンの説明板に(修復協力:マツダE&T)と括弧書きで書いてある以外は、ネット上で、Nさんが62型の計器板を可能な限りの考証で製作し取り付けたこと、マツデザインルームさんが照準器を精密に復元して納入されたことくらいです。

 肝心の機体本体の修復者名と修復経緯が呉市側から全く公開されず、我々は伝聞や新聞雑誌からしか判断しようがないという現実です。ですから、ひょっとして不十分な考証で仕事が行われたのではないかという、公共 科学館にあるまじき所業であったのではないかと疑いを深めたわけです。

たかが模型に過ぎない大和にくらべて、冷や飯扱いのゼロセン

  このプレートは大和模型のそばにあります。館長戸高一成一流の売名行為だという人もいます。

 それはともかく、模型に過ぎない大和の製造業者に対してはこれだけの敬意を払うのに、実物の航空機であり、かつ大和以上の名を世界に轟かせた名機の傍らにはそのようなものは見当たりません。

 片手落ちではありませんか?業者名を隠す戸高一成館長の真意は奈辺にあるのでしょう。

 聞くところでは、零戦に関して三菱関係者や日本海軍機に詳しい方々が何かと資料を提供しアドバイスもしたそうですが、4階エレベーターホールにある寄付者・協力者一覧にはそれらしいお名前はひとつも載っておりません。 零戦修復に8千万円もかけたのならこのようなプレートがあってもおかしくないではありませんか。
 
冷や飯扱いのゼロセンです。

 一歩下がって、見え透いた寄付者・協力者一覧表に掲示の必要はないとして、またどこに修復を委託しようと、科学的な考証のもとに、予算上可能な限りの原型復旧作業が行われ、その経緯が広く公開されるならよしとしましょうか? 皆さん。

 (なお、以上は伊藤祐彦氏に対する論評ではなく、あくまで呉市役所の体質そのもについての所見であることをお断りしておきます。)

 これは公開質問状です。呉市さん、意見がありますか? 
 この推論が合っているか間違っているか、答えたらいかがですか。決済書類に書かれている委託先の名前をまだ明らかにすることができない事情があるのですか。

 まだ、沈黙を続けますか?

 

 

呉零戦公開質問状 その 8 07/08/05  業務委託先を小笠原臣也前市長が公開


 その7まででお分かりのように零戦修復業務の委託先をいくら質問しても、東京都内の航空機整備業社などとはぐらかし、決して教えてくれなかったものが、何と前市長小笠原臣也氏の著書で明らかになりました。

 芙蓉書房の近刊 『戦艦「大和」の博物館 大和ミュージアム誕生の全貌』に「零戦修復業務は(株)シーフィールドに委託した」と書いています。

 調べてみました。東京の赤坂会計事務所が紹介している企業ホームページの中に、東京都中央区日本橋兜町17丁目1番株式会社シーフィールド商事がありました。社長はその7で名前をあげた元航空自衛隊員の伊藤祐彦氏、展示品に「1939年日・ソ両軍の国境紛争 ノモンハン事件に於て、実際に出撃したロシアの復葉戦闘機を所有 売却又 催しの展示にも賃貸可能 」などと書いてあります。

 (株)シーフィールド商事は呉市役所から8千万円で零戦修復業務を受託したのです。
 
 以下は既に何度か書いている伝聞です。(株)シーフィールド商事は○千万円で所沢の町工場へ下請けさせたらしいということ。そこを見学した人の話しでは、伊藤祐彦氏が常駐しているわけではなく、かなり任された形での作業が行われていたということ。修復作業に問題ありと声を上げかけた人が何者かに脅されたため、以後沈黙したということ。修復費用をまともに貰えない町工場主が、最後にわざと塗装を変えて嫌がらせをしたということ etc。

 もし、下請けへの丸投げに近い形であれば、もちろん法律(契約)違反です。呉市役所は(株)シーフィールド商事に修復作業場や技術者がいるかどうかを確かめずに、あるいは無いことを黙認して契約したとすれば、国民的財産とも言える大切な産業文化遺産に対する冒涜も甚だしいです。仮にそこの親父さんが零戦に愛着を持って修復に当たったとしても、それが考証に値するものであったかどうかの保証はありません。 

 皆さん、呉市役所が委託先をひた隠しにしてきた理由がこれでわかるではありませんか。

 なにしろ、マスコミに対しては、所沢から搬出する7日前になって、光人社丸編集部だけに所沢の所在を知らせ、その他には大和ミュージアムへの到着予定日だけを教えるという徹底した報道管制を敷いていたのですから。

 戸高一成館長は、本当は株式会社シーフィールド商事のことを一般に知られたくはなかったでしょうが、人の好い小笠原前市長が何事も部下がちゃんとやってくれていると信じて執筆してしまったものと思います。


 琵琶湖の湖底から引き揚げられ、嵐山美術館から零パークと民間理解者の手にあった零戦が、ようやく公共博物館の手に渡って、科学的考証で見直され、その過程も公表されて零戦の謎解き、ひいては戦時科学技術の暗闇に光を当ててくれるだろうとの期待は、こうして杜撰(ずさん)な行政の手でねじ曲げられてしまったのです。 

 なお、以上伝聞による部分については、呉市長さんから契約書や下請の会社名など根拠を付して意見を貰えば、速やかに削除または訂正することにやぶさかではございません。

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