最終意見陳述
岡留安則
<はじめに>
最終弁論に際し被告人として検察官による論告求刑に対し、以下の通り私の意見と反論を申し述べます。
当裁判における被告人としての意見は、これまでの法廷における意見陳述書や被告人質問でも申し述べた通りであり、さらに95年11月に刊行した『噂の真相』別冊『自由な言論』において、全面的に展開した通りなので、裁判所としても判決にあたり是非ご一読され、ジャーナリズム活動の何たるかを理解された上で判決を下されるよう強く希望します(同誌の該当部分を本書面末尾に添付しました)。
したがって、この場においては検察側の論告求刑に対する私の反論を述べるにとどめ、後は神林広恵や弁護団の最終弁論において十分な反論がなされると思いますので、そちらに譲りたいと思います。
<西川りゅうじんとの民事裁判和解の過程について>の反論
まず、論告5頁に「西川氏が是が非でも提訴するとの事ですので、その時は、白黒をはっきりさせるためにも是非刑事告訴を選択されることを当方は希望している」との東京地検特捜部への起訴以前の西川及び代理人弁護士的場徹との抗議のやり取りをあたかも本件における刑事告訴の正当性として検察官は主張しているが、その点について反論したい。
これはあくまでも告訴、起訴以前の内々でのやり取りであり、それまでも数回にわたり的場徹弁護士とは記事に対する抗議を通じて個人的付き合いもあった。そのため、お互いに記事のトラブルでは落としどころを理解している関係と考えていた。しかし、的場弁護士は西川の案件に関しては、内容証明の段階で300万円の慰謝料に加えて即時回収という常識では考えられない要求を何故か突きつけてきた。私の長い編集者生活でも、前例のない異常な要求や、これまでの的場弁護士からは考えられない態度に、不審を持ったのは確かです。結局、的場・西川側の要求を下げるつもりはないという高圧的で話し合い拒否ともいえる挑発的態度にいわゆる「売り言葉に買い言葉」的に乗ってしまった結果の主張に過ぎません。
しかしながら、的場弁護士は講談社という『週刊現代』や『フライデー』といった雑誌を多数発行している大手出版社の顧問弁護士であり、言論・表現に関して刑事権力を介入させることがいかに危険なことか十分に熟知している立場であると認識していました。少なくとも東京地検特捜部で名誉毀損で起訴した例は過去においても皆無だったし、常識的に考えても西川案件が特捜部が是が非でも起訴するに値する案件とは到底思えなかったからです。そうした事情を前提にした上でのやり取りの一環でした。というのも、西川案件以前にも的場弁護士から送付されてきた講談社関係の内容証明の中に、「謝罪なき場合には国家刑罰権の発動を促す」との表現が2、3度あり、その度に「言論機関の顧問弁護士が国家権力の介入を自ら要求するような態度はいかがなものか」という私の意見に対し、「うかつだった」という反省の弁を述べていたいきさつもある関係だったので、話せば分かりあえるとの認識があり、あくまでも私なりのメッセージとして発したものだからです。
ですからこれが私及び『噂の真相』の本音であるはずがないし、的場弁護士にとっても起訴が本意でなかったことは、西川案件が民事で和解となった後、約10回に渡る飲食を共にした場でも、的場弁護士本人が私及び『噂の真相』弁護団メンバーの前で反省の弁として語っていることでも明らかです。言ってみれば、私と西川・的場サイドの感情の行き違いに、当時の宗像紀夫東京地検特捜部長がうまく乗じて、私怨を晴らすべく起訴に利用したというのが正確な経過説明であります。
<西川りゅうじんとの和解についての上申書に対する評価について>
同時に論告50頁において民事訴訟の和解によって西川が刑事告訴の取り下げと被告人両名の処罰を求める意志がない旨の上申書を作成したことを、謝罪広告との交換条件であったと主張し、「これは被告人両名に有利な情状として評価すべきではない」と論告しているが、これは検察官の身勝手な解釈に過ぎない。西川との民事和解が予定されていた1995年6月14日の前日に特捜部が和解を妨害する形で起訴したことで、双方ともに徹底抗戦の形になったのは確かだが、約1年後の96年9月17日に和解となったのは、明らかに西川側の主張に虚偽が含まれ、民事・刑事ともに裁判進行上不利な証拠が提出される可能性を恐れたこともあったためです。そのことは、和解後に私が西川と酒席やパーティの席上で会うたびに「若気の至りで反省しています」という弁をしきりに述べていたことでも明らかです。刑事裁判になっている以上、西川に絶対的自信があれば、和解する必要はまったくないことからも明らかです。
<西川りゅうじんとの民事和解を検察が妨害したこと、その背後にある検察=宗像紀夫元東京地検特捜部長の恣意的起訴について>
さらに和解に関して述べるならば、論告2頁で述べられている公訴権濫用として、西川との民事和解を妨害して、その前日に起訴に踏み切ったことが、「正義に反する」という『噂の真相』主張にはいまだ何ら疑問の余地はないということを訴えておきたい。『噂の真相』がかねてより検察批判を続けてきたことは、既に証拠として提出済みであり、起訴の陣頭指揮をとった宗像紀夫特捜部長が、福島の政商・小針歴二からりんご箱を送られたという事実を書いたことで、宗像が私憤を募らせていたことは、司法記者の間では公知の事実であったことも、『噂の真相』の取材活動から明らかになっており、既に記事としても報じています。まして先に述べた別冊『自由な言論』において「東京地検前特捜部長・宗像紀夫を襲った決定版スキャンダル」と題して取り上げたように、宗像がパチンコ業者とベトナム旅行をしたり、赤坂のコリアンクラブや銀座の高級中華料理店などでの飲食接待、ゴルフ接待を受けたりといったおよそ法の番人に似つかわしくない人格の持ち主だったことも判明しております。こうした宗像のウサン臭い交友関係の糸口となったのが、札付きの元弁理士・佐藤英昭という度重なる前科前歴のある「30年来の友人」と宗像自身も認めている同郷の福島出身で中大真法会出身の人物です。つまり宗像自身がすねに傷を持つ身であり、新聞やテレビにとっては絶対に書けないスキャンダルながら、『噂の真相』だけはいつ寝首をかかれるか分からない、数少ない存在のメディアだったため、先制攻撃を仕掛けたとしか思えません。このような私憤からの起訴だったことは、いまや検察OBや司法記者の間でも公然の事実となっております。
<東京地検特捜部が和解妨害をして起訴をするための、杜撰で慌てた捜査について>
さらにいえば論告49頁に書かれた『噂の真相』部数についてですが、これは名誉毀損の犯罪立証に大きくかかわると思われますが、「5万部や6万部」というのは不正確な記述です。これは私が起訴前の取り調べの段階で、「こんなことで起訴されるはずはない」という認識のもとでアバウトに話したことが唯一の根拠とされているにすぎません。通常ならば、印刷所または取次会社に対して正確な販売部数を確認するための捜査をするはずですが、そのような捜査は一切ありませんでした。名誉を毀損したという犯罪を証明するためには、どれだけの部数が、どの地域にどういった方法で配布したかは、起訴のための不可欠の条件のはずです。
さらに補充するならば、検察側の証拠として神林広恵の戸籍謄本がありますが、これは起訴当日の95年6月14日に取られたという事実、陣頭指揮をした宗像特捜部長が起訴直後の7月1日に大津地検検事正に異動になったことを合わせて考えれば、いかに特捜部の起訴が慌てふためいた、そして宗像の私憤による杜撰なものであったかを物語っていると思います。
もし検察があくまで違うと主張するなら、先に述べた和解の経緯を西川及び的場弁護士に是非とも証言させるべきだし、そして何よりも今回の起訴で自ら陣頭指揮をとった宗像紀夫を法廷に呼んで証言させればはっきりするはずです。しかし検察はそれさえ、一切立証しようとせず、論告においても身勝手な憶測を述べているのは不自然でかつ不可解な態度と言わざるを得ません。
<私が他マスコミから受けた取材記事を検察官が悪意を持って引用したことについて>
さらに論告12頁において、私がかつて『噂の真相』や他のマスメディアの取材を受けた際に答えた記事を都合よく引用して「権力者や権威者及び文筆活動などにより自己表現している人たちの私生活を暴露して大衆ののぞき趣味を満足させようと言う興味本位のスキャンダル雑誌であり、その発刊姿勢自体からも公益目的が認められない」と断じています。
しかし、私は他のマスメディアから最低月5,6本の取材を受ける立場にもあり、記事になったものは概算で『噂の真相』創刊して以来1200本以上あるはずで、メディアの読者対象や分野によって、それなりに伝え方を変えてコメントしております。中には記事をまとめることも取材した記者におまかせというケースもあり、本や雑誌が出来上がって初めて自分のコメントを確認する場合も多々あります。論告で使うならば、私のジャーナリズム観やスタンスについては『噂の真相』誌上や約10冊にのぼる私の著作を引用して、正確に心掛けてほしいものです。こういう、意図的な引用は、不公正かつ名誉毀損にすら抵触する悪意ある恣意的なやり方と言わざるを得ません。取材を受けた経験のある人なら分かることですが、自分がしゃべったことが正確に活字化されなかったりニュアンスが違ったりするケースはしばしば見受けられることで、そのコメントが抗議や反論の対象にならない限り、出たものはしょうがないと判断することは、私自身もよく体験しているということを申し述べておきます。
<『噂の真相』の公的目的、公益性について>
『噂の真相』の読者なら十分承知のことですが、『噂の真相』が取り上げるテーマは、最初から公的目的、公共性のある人物、事件に限っております。
例えば一般市民、いわゆるプライバシーが保護されるべき私人に関しては、例え犯罪の容疑や疑惑があったとしても、一切取り上げない方針をとっております。取り上げるとすれば、その市民がいかにメディアによる報道被害や人権・プライバシー無視の無法な取材に晒されているかを、マスメディア批判として取り上げているだけです。つまり公的目的にならない人物や事件に関しては、最初から取り上げないという編集方針をきちんと守っております。
他の週刊誌、ワイドショーなど、一般市民の犯罪疑惑や時に被害者のプライバシーを俎上に載せる報道姿勢に比べ、はるかに人権やプライバシーに配慮した節度ある報道を22年間に渡り続けてきました。そうでなければ独立系少資本の雑誌がこれだけ長期間にわたり数多くの読者に支持されるはずもありません。
論告48頁においても「単に読者受けするような興味本位の暴露記事を掲載する売上至上主義の編集方針」とありますが、これも検察官の独断と偏見に基づく間違った見方でしかありません。『噂の真相』が興味本位の暴露記事を掲載しているという検察官の主張は的外れであり、『噂の真相』は大手マスメディアでは書けないマスコミタブーに対して、国民や読者の知る権利の代行者としてパワーエリートやオピニオンリーダーにまつわる情報公開を社会的使命として心掛けているにすぎません。森喜朗前総理大臣の売春検挙歴にしても、則定衛元東京高検検事長のスキャンダルにしても、公人に対する告発や問題提起であり、いずれも「編集者が選ぶ雑誌ジャーナリズム賞」のスクープ賞を受賞したことでも、社会的評価が与えられているものと考えております。ましてや売上至上主義など、創刊以来考えたこともありません。私の持論はマスコミタブーを廃して読者の知る権利にキチンと答えていけば部数はついて来るものと考えており、この裁判の起訴以降も部数は順調に伸びて、起訴当時から比べればいまや倍増しております。検察官の言う通りの雑誌であれば既に社会的に存在すら抹殺されているはずです。少なくとも『噂の真相』には他の雑誌のようなマスコミタブーとなるような政府広報や一流企業の広告は一切掲載しておりませんし、断っているのが事実であります。売上至上主義ならば、他の雑誌メディア、例えば『文藝春秋』のように、一号当たり3億円という広告収入を当てにした経営に転換するはずですが、未だに広告収入は総売上の1割以下に過ぎません。大新聞が総売上の約7割を広告収入に依存していることをを思えば、『噂の真相』が売上至上主義とは無縁な雑誌だというのが客観的な見方のはずです。こうした事実を検察は一切、捜査や証明すらしていないにもかかわらず、『噂の真相』に対して侮辱や決め付けをするのは、検察官の悪弊であり、それこそ名誉毀損以外の何ものもありません。憤りすら感じています。
<『噂の真相』の訴訟、抗議についての姿勢、訴訟の数への解釈について>
最後に論告51頁において検察官は、『噂の真相』の刑事告訴や民事訴訟の数をことさら強調して「再犯の可能性が極めて大きい」とこれまた決め付けておりますが、ジャーナリズムにおいては自由な表現活動を行う限り、訴訟沙汰は時に避けようもない事態であることは否定しません。しかし、記事に間違いや不適切な表現があった場合、速やかに記事を書かれた当事者と話し合いを持ち、最善の方法で訂正や謝罪、時に反論の頁を用意することはメディアにとって当然の社会的責務であります。私にとっても『噂の真相』にとっても、それは当然との認識であり、検察官に「名誉毀損による法的訴えをそれほど気にしていない」などといわれる筋合いはまったくありません。民事にしても刑事にしても国民の血税が使われている以上、司直の手を煩わせることなく、当事者同士の話し合いで円満に解決することは、それこそ私企業のあり方としても国益に適う行為でもあります。
訴訟件数が多いとの検察官の認識にも誤認があります。他のメディアの訴訟沙汰を調査した上での発言なのか、大いなる疑問があります。『噂の真相』の訴訟は、大手資本の発行する週刊誌に比べればはるかに少ないと考えております。しかも、当然とはいえ、刑事告訴が受理され、起訴となり裁判になったのは、この22年間でこの和久・西川裁判一件のみで、あとは、話し合いでの解決か、不起訴で全て解決しております。
民事裁判においても、第一審で判決が確定したのは漫画家・高橋留美子氏の1件だけで、あとは全て話し合いや、裁判所和解で解決しています。検察側の論告文でも触れられている作家・曽野綾子氏との民事訴訟も高裁段階で裁判所和解となり、損害賠償金なし、謝罪文のみで解決しました。その謝罪文も「貴下が日本財団を私物化しているとの誤解を生じしめるような記事を掲載し、貴下の名誉を毀損したことを謝罪します」という簡単なものでした。私に言わせれば、裁判をやるまでもなく、話し合いで決着のつく案件だったとしか思えません。
ついでに申し述べれば、森喜朗前首相との控訴審においては、『噂の真相』が独自に森首相の指紋を入手して、既に法廷での鑑定を申し立てており、いずれ森喜朗の「売春検挙歴」が証明されるものと確信しています。論告当時に係争中だった堺屋太一元経済企画庁長官の刑事告訴は話し合いで解決しており、亀井静香元政調会長との民事訴訟は、実質的に亀井側の無条件的取り下げで裁判は終了しています。亀井氏とは2度めの民事訴訟でしたが、前回の裁判も亀井氏側の裁判途中での取り下げで、終了しています。名誉毀損訴訟においては往々にして、メンツ告訴によって当面の危機を乗り切るという手法が特に政治家や有名人、文化人の場合にはあるということだけは、老婆心ながら申し述べておきます。
<裁判所に希望すること>
なお、『噂の真相』は当裁判において、仮に有罪判決が確定すれば、司法への強い抗議の意思を込めて『噂の真相』を休刊し、スタッフも解散する方針であります。私にとってこの6年間の裁判は精神的にも経済的にも多大な労苦を強いられただけでなく、これで有罪となれば、ジャーナリズム活動における信念と今後への希望が一切持てなくなってしまうからであります。
裁判官には憲法で保障された言論表現の自由の歴史的意義、ジャーナリズム活動の社会的機能を十分に認識の上、くれぐれも言論メディアに対する危険な規制や萎縮効果をもたらすことがないように、東京地検特捜部史上初の雑誌メディアに対する、この名誉毀損裁判に公正かつ画期的な判決がなされるように強く切望します。少なくとも社会的強者である和久・西川の下で虐げられてきたスタッフや関係者にとって『噂の真相』の記事は唯一の救いともいえるジャーナリズム活動であったということを強く訴えて、私の最終弁論とします。