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| だって、竹島と、鬱陵島は、お互いに見える距離にあるという歴史書での記載があるが、実際に、山に登って、肉眼で見える日は、年に4日程度。平地からは、ほとんど見えない。 売店の人にも確認した人がいるが、裸眼では、ほとんど見える日がないそうだ。 望遠鏡を使えば見えるそうだが。そんな島を、お互いに見える島と書くだろうか? 対馬と釜山でも、晴れた日には、時々対岸が見えると表現されるのに、、、ちなみに対馬と釜山の距離は、鬱陵島と竹島の約半分の49kmの距離です。 常識的にも、こじつけがましい、韓国の解釈。 |
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| 朝鮮半島の江原道から見える島として鬱陵島の表記であったのを、鬱陵島から見える島として獨島を持ち出したのでは、だから辻褄が合わなくなる。 |
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| いずれにせよ、韓国は、独島資料館に、小細工して、ねつ造した地図を掲載していた実績もある。 本当の事なら、小細工する必要がないのに、そういうねつ造をする事事態、自分たちの主張に 自信がない証拠だ。 |
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| <丶`Д´>ノ辻褄なんて倭語はウリナラの伝統に無いnida。 |
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| そうでしたね。恨国には、辻褄・矛盾と言う言葉が無かったんだよね |
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| 朝鮮には、「矛盾」という概念が無いのかもw |
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| スレ違いですみませんが、どなたかYoutubeの動画を張る方法を教えてください。 宜しくお願いいたします。 |
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| 画像の右に「Embed 」っつーのがあるからその中のURL部分 【例示: http://www.youtube.com/v/oJ-ZCTudYms&hl=en1 】をマルチメディアリンクの「他のウェブサイトのイメージ、動画、音楽、フラッシュなどのファイルをリンクできます。」って方(下)に貼り付けて確認ボタン押せばOK と昔教わりました。 |
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| このページだったかな。>http://www.enjoykorea.jp/tbbs/read.php?board_id=ttalk&nid=711974 |
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| aberu| 様 tiger07_sub 様 有難うございます |
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sqz|09-01 17:10 |
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| 一枚目「鬱陵島の地図」で、点にしか見えないような小さな島と、竹島(独島)との大きさがだいたい同じですからね、竹島(独島)のことを書いたというのなら、なんで他の小さな島のことは書いてないのか、あまりにも不自然ですよ。 |
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| 輿地圖に色々な小さな島も描かれているそうです。しかし、鬱良島周辺の島であって、今で言う「獨島」に関係するようなものは一切無さそうですね。 |
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sqz|09-01 17:40 |
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| その古地図のどれか一つを「獨島」だとしたら、本来の島が消えてなくなったことになり、他の島との配置などから、不自然さがでてしまうだけですよね。 |
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| 日本には、1727年以降、誰がみても、竹島だと判断できる、詳細な地図が何十枚も存在する。が、韓国には、誰がみても説明なしに、これが竹島だと判断できる地図は 一枚もない。全部、これ、鬱陵島とその周りの島じゃないの?という地図ばかりで、説明がかなり苦しい。 誰が見ても、説明を聞いても、そうかなぁ?と思うような地図しかないのが現状なのです。 では、韓国に、その時代、正確な地図は全然なかったのか?いや、他の地域に関しては、かなり詳細な地図がある。 つまり技術がなかったといういいわけは、苦しい。だから、独島資料館でも、思わず、地図をねつ造したのでしょう。 |
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| <丶`Д´>ノ・・・「うるさいnida」、「日帝が証拠を焚書したnida」 |
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| 実は、戦後、韓国が蔚珍の待風所にあった古文書を奇怪にも焼却処分してしまったと蔚珍の住民が証言しているそうです。http://dokdo-or-takeshima.blogspot.com/2007/10/inspectors-map-of-ulleungdo-shows.html |
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| だいたい、今の竹島を見たら「家が15軒、83名」などあの昔にどのようにしたら住めるというのだ。 そんなことが出ている文献を「根拠」にしている事自体話にならない。 |
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| 実は1900年代の大韓帝国で良く読まれていた皇城新聞において、ナショナリズム高揚の為に「間島」と「竹島」がシンボルとして利用されていた形跡がありまして。案外それが原因じゃないかと… |
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| その時点で安龍福を「竹島を日本の魔の手から守り切った英雄」として紹介する記事が掲載されてるのですが、まだその内容さえ未確認と言う有様です。 |
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| (o´з`)y-~~ 日本の調査船が暴風雨避難で鬱稜島に寄ったとき「竹島が日本領になった」との発言を竹島=鬱稜島と勘違いからでは? |
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| それでも現段階では「竹島がもし別の名前だったら、李承晩の指定した実在しない島が一つでなく二つになってた」なんて可能性を捨てるのが惜しくてね。 |
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| 「竹島」がシンボルとして利用されていた形跡が載っているもの、宜しければ何月何日か教えてください。 1900年代は皇城新聞も日本側も、于山島=倭の”Matsushima(Dagelet)”=鬱陵島というのが共通認識のように書かれていると思えるのですが・・・ |
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| ちなみに「皇城新聞」の愛読者って「清く正しい両班階層」だから「絶海の孤島」の孤島の話なんて多分斜め読みしかされてない… |
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| 「宜しければ何月何日か教えてください」…その後本になって1907年頃出版されてるみたいです。李瞬臣とかを扱った「英雄シリーズ」の一環らしいのですが、まずそのリストから抜けてる事が多い有様。 |
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| 1920年頃か30年頃か忘れましたが、この頃確かに安龍福の紹介の本が出ているのですが、鬱陵島〔竹嶋/磯竹島)を守った云々の特集や本は出版されているのですが、LiancourtRocksを守った云々といった本があるのなら教えてください。 |
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| 時期的に見て掲載誌は『大韓毎日申報』だった可能性もあり。いずれにしろ著者は張志淵か申采浩辺りでしょう。 |
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| 時系列が少し曖昧なのですが、張志淵は大韓新地誌を1907年に発行している一方で、年代不詳ですが、 于山島は鬱陵島だとも書いているんです。是が何時なのかわかれば。http://db.history.go.kr/url.jsp?ID=NIKH.DB-sa_004_0090_0010_0040 ちなみに1900年以降、大韓帝國は地図も地誌も殆ど日本に依存している状態になっていますね。 |
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| あくまで推測なんですが「皇城新聞」自体は「りゃんこ島を日本から奪え」なんてプロパガンダはしてない気がするのですね。そしておそらくその時点では「竹島」の名前を韓国人の記憶に留めるのに失敗したとしか思えなくて… |
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| 「鬱陵島〔竹嶋/磯竹島)を守った云々の特集や本」…安龍福の話は概ね朝鮮半島では18世紀の『星湖塞説』が起源で、それを「乙支文徳や李舜臣伝や崔都統に匹敵する朝鮮英雄として近代に蘇らせようとしたのが張志淵や申采浩といった辺りから地道に調べていくしかなくて。 |
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