韓国の歴史とはただ強い者に媚へつらい、弱いものを圧殺するというそれだけの歴史である。
大陸の宗主国の力が弱まれば新興の宗主国にくっついて旧宗主国をたたく。
これが韓国の「真実の歴史」である。
元寇のときは元にくっついて壱岐、対馬の善男善女を虐殺しぬき、
日本が宗主国となると旧宗主国である満州人を苛め抜き、日本が敗戦すると日本を見下し、
恐喝、強盗まがいのことを平然として、アメリカにくっついて
武器もたぬベトナムの女子供をなぶり殺する。
これが韓国の歴史である。
こんな歴史しかないくせに「五千年の偉大なる歴史」とは笑止千万!
卑怯者とは韓国人のためにある言葉である。
韓国人は、自分さえよければよいと思っている。具体的な計画もないし、
地道な努力もしないのに、あるとき空のてっぺんから幸運か落ちてきて、
自分だけが一度、大金持ちになればよいと願っている。
「醜い韓国人」朴泰赫
われわれがまず明らかにしなければならないことは、この(日本からの)
解放が盗人のように不意に訪れたということだ。
解放後の腹立たしいこと、醜いざま は一つや二つではないが、
その中でもほんとうに腹立たしいのは、この解放を盗もうとするやつらが多いことだ。
彼らは、自分達だけはこのことを早くから わかっていたと宣伝する。
それは彼らが盗人のようにやってきた解放を、さも自分が送り込んだようにして
盗もうとするためである。
それは嘘だ。
もし彼らが あらかじめわかっていたなら、それほど先見の明があったなら、
どうして八月十四日まで(日本に)へりくだって服従していたのか。
そのときひと言でも予告して民衆を慰め、勇気をひきしめさせていたなら、
今になってことさら宣伝しなくても民衆は指導者としてお迎えしただろう。
そういうことはやめて素直になろう。君も僕もみな知らなかったのだ。
みんな眠っていたのだ。
神社参拝をしろと言われれば腰が折れんばかりに拝み、姓を改めろといわれると競い合って改め、
時局公演といえばありったけの才能を傾け語り、米英を罵倒し、
転向しろといわれば実にアッサリ転向し、
よく見られようと聖書も直し 教会も売り、信用が得られるとなると四つん這いになり、
犬の鳴き声もしてみせた。
この国の志士、思想家、宗教家、教育者知識人、文人に、また海外流浪何十年と格好は よいが、
その実、互いに博士派、先生派、なになに派、なになに団と、
ハワイやサンフランシスコではアメリカ人の召使をしながら、
勢力争いをし、重慶・南京では とうもろごし粥をもらって食いながら
地位争いをしていた人たちが、なにをあらかじめわかっていたというのか。
思想はなんの思想で、政治はなんの政治運動をしたというのか。
この国が解放されるとあらかじめわかっていた人など一人もいないのだ。
「意味から見た韓国史」 咸錫憲
一般の風俗をみても苦難の烙印がさまざまな形で押されている。
まず、わが国民 のように趣味を持たずに暮らしてきた民族はいない。
一般庶民の家では庭を手入れすることがほとんどなく、花を植えることもしない。
日本の農夫はいくつかの植木蜂 をもちクーリー(中国の労働者)も
ひばりを飼っているというのに、わが国の人たちは何もない。
国ごとに国花があって国の象徴があるのに、われわれにはそれもない。
ムクゲをかかげるのも近来のことだが、それさえも政治とのかかわりからで
趣味によるものではない。
誰もムクゲに意味をもたせる者はいない。わが国民は生の楽しみを知らない。
生を味わい、人生をかみしめる余裕を持たない。
常に追い立てられている 人々、常にしかめっ面の人々だ。
咸錫憲 「苦難の韓国民衆史」
独力で「漢河の奇跡」を成し遂げたのであれば威張るがよい!
日本との国交再開と同時に、日本の中小企業が馬山とソウル九老洞の輸出工業団地に
どっと移入し、工場を建設し生産活動を始め、雇用が増大すると共に、
各種輸出商品の生産技術や生産管理技術を見習うことができた。
今は漁船の乗り手がいなくなり、衰退してしまったが、
一時は韓国の遠洋漁船九百余隻が世界五大洋に出漁していたものであった。
これができたのは、日本の商社が中古漁船を延払いで提供してくれたからである。
六十年代、韓国の企業が技術者の訓練を要求すれば日本の企業は喜んで訓練させてくれたものだった。
米国の技術よりも、日本の技術のほうが韓国人には習いやすかった。
日本の協力 がなかったならば韓国の経済成長はもっと遅くなっていたであろう。
金潤根将軍 「5.16と海兵隊」より