August 31, 2008
TVという枠を利用して、コンテンツを作って、対価として募金を受けているわけだから、これって立派な直接収益を得るビジネスだよね。で、現金収入は募金され、TV局はCMによる広告収入は事業を継続するために得ているんでしょう(・・・のかな?)
偽善でもなんでもなくて、単にビジネス。
タレントが歌歌ったり、24時間マラソンしたりして、人々の興味を得て、対価として募金してもらう。直接収益は寄付しつつ、参加者も募金される人も、募金する人も、みんな得をするビジネスモデル。
矢面に立つタレントや募金に参加するコンビニは無償で出演したとしてもPRという無形の利益が得られるわけだから、それもビジネスであり、裏で協力する業者や電気代や武道館を貸す人たちは、職員が募金に協力する云々を除くと基本的に有償で提供していることでしょう。
これを偽善と表現する人たちのどこかに「募金は無償の善意でのみ成り立つべし」という固定観念があるように思える。そういう固定観念の方が問題。
多分に感情的な話が優先しがちであるが、「誰かが無償で動く善意」は素晴らしいのは間違いないが、絶対に、その人たちだって生活していく必要はあるし、「無償の善意でのみ成り立つべし」的な考え方が優先すると、そのために限られた時間を提供するが故に効率の問題や、できることが少ないという問題はついて回る。
この番組は歴史の中で得たTV局の影響力を最大限に利用している。そこに参加する人たちは、コンテンツとして自分達が出演することで、直接お金が回ることの意味をもっと冷静に受け止めているのではないだろうか。
何もしなければ回らないお金が、マラソンで走ったりコンテンツを提供することで、お金が回るというわけ。エドはるみが芸をやったって24時間も人を引きつけるコンテンツとしては持続しない。24時間できることとしてマラソンで走るんじゃないかな?
よくこの手の批判意見を見ると、高級取りのタレントが募金しない、とか、番組にかかるコストを募金に回せ、とか出てくるけど、こういう番組をしなければ、高級取りのタレントを使って、「他人の財布から募金させる」ことはないし、そもそも、この番組の変わりに費やされる番組配信から得られる利益は、適切な形でビジネスに再利用されるだけか株主に配分されるだけだろう。
あ、ポイントが違うか。
この募金活動の目標は、参加する人たちの時間コストを原資に、その何倍もの収益を得ることだと思うので、「TV局やタレントが仮にコストを募金に回すだけでは、同じ金額を寄付することはできないハズ」というのが正しい見方か。(まぁそもそも、売り上げを得る活動がなければコストもないので試算しようもないわけだが。)
そこを冷静に見ていればこそ、「愛は地球を救う」などというキャッチコピーになるのではないかと。偽善というより、もっと冷静なビジネスキャッチだと思った。
1人の金持ちが1億円を寄付するより、1億人が1円募金する方がより効果を見込めるのではないだろうか。何より、たった1人の金持ちの寄付を1億円から2億円に上げさせるより、1人あたりの募金額を2円にさせる方が、TV局には向いている。
普段、TVを見るのが無償なのは、広告という間接手段で広告主の製品の売り上げからTV局にお金が回っているからだ。そういう意味では全然無償ではない。
TV局の利益はTVがコンテンツを流して、僕らがTVを見ることでもたらされるのであって、誰もTVを見なければTV局は潰れる。
つまり、「見せ物」上等。
普段からそういうビジネスをしていて、芸人や俳優が顧客を煽ったり笑わせたり泣かせたりして、お金をもらってるんだから何も特別なことはやってなくて、その活動からの直接収益を寄付に回せる希有な機会の時だけ偽善というのは違和感を感じる(ようになった)
##まぁネットで調べると、そりゃ人が沢山動けば多少なりとも問題はあるだろう。世の中、年金だって使い込まれてたわけだし、何だって起こりうる。そういう枝葉末節を偽善の名のもとで批判するより、そこでお金が動くことの意義を考えたい。それに問題があれば改善していけば良いだけだろうし。
##変わったCMが流れてて、2ちゃんの実況板では盛り上がってるようだが、結構スポンサー確保に苦労してるのだろうか。それともスポンサーも募金前提で、普段出てこないスポンサーが出てきているということなのだろうか。