2008/08/28
■努力が報われる社会を 
これよんで。直接関係ないけど。
http://d.hatena.ne.jp/nakakzs/20080826/1219755140
「努力しても報われない」酷い世の中だとか、「努力が報われる社会」を目指すとかいうのはわりとよく聞く口当たりのいい言葉なんだけども、おれはなんだか違和感があるんだよなあ。だってもうなんだか世の中は高度な努力合戦が行き過ぎているような気がするんだよ。
なんつーの、みんなが努力しすぎてる結果、多少努力しても実を結ばなくなってると思うんだよねえ。仮に努力の量に比例して結果が実を結ぶ世の中だとしても、「自分が努力をしたかどうかではなく他人よりも多く努力したかどうか」で実を結ぶだけなんだよね。それが努力合戦。
そして実はその自分の努力がなければ今よりももっと悪くなってるのであって、実際には多大な努力のおかげで現状維持ができてる(あるいは多少悪くなっただけで済んでる)のかもしれないわけですよ。つか、実際そうなってるんじゃないかと思うんだよねえ。
しかも他人がどれだけ努力してるかなんて分からなくて、他人の努力は見えないから自分の努力だけを過大評価しちゃってる傾向にあるかもしれないしさ。さらにいやらしいのは「努力がたりない」とかいわれちゃうわけでさ。
高度な努力合戦つったのは、単に基礎努力量を競うだけでなく、努力量にレバレッジをかける努力や努力が結実するための努力を競う段階で争ってるかもしれないなーと思ったから。しかもその高度な努力は、先天的な能力や後天的(家庭環境とかね)な能力、あるいは資金力や資金調達力がものをいったりするかもしれないからやっかいだなーと。
ちょっと違う世界を考えてみて、他人との努力量の比較ではなく、努力量に応じて全員の収入がちゃんと増えるとしましょうよ。そしたらみんなの収入がどんどん増えていくわけさ。みんなの収入が増えるってことは物価が上がるって結果が導かれるんじゃないかと。そしたら結局チャラになっちゃうよね。
といいつつも、チャラになるっていうのは本当はウソで、働いてる人の収入がみんな上がって、その分物価が上がると困る人が偏るんだよね。年金生活者や過去の資産で食ってる人(しかも資産価値が上がらない人)ね。年金は物価スライドするかな。そしたら困るのは年金運用のところかしら。
まあそれでも総量が増えない中「努力が報われる社会を目指す」とすると、(他人からみて)努力していなくても報われてる人を引き吊り下ろすだけのルサンチマン全開みたいな話になるわけで。ま、実際そうなってるよね。そういう人を引き吊り下ろしたら、そのほかの人の配分が増えてその分報われてるのかしら。ね?
ああいうのは真否がどうとかより周りで喧嘩する人を見て楽しむものだと思います!イラッ☆