夏の甲子園大会が今年で節目の90回を迎える。それぞれの時代の忘れられない試合の主役となった選手たち。三沢(青森)の剛腕、太田幸司投手もそんな一人だ。
元祖“甲子園のアイドル”が誕生。1969(昭和44)年の第51回大会決勝は松山商(愛媛)と三沢(青森)が延長十八回を戦い、0−0で引き分け再試合。松山商が再試合を制したが、高度成長期の終盤に差しかかっていた世間の注目は甘いマスクの太田投手に集まった。
「結果なんて頭をかすめなかった。あんな精神状態で投げられたのは最初で最後でしょう。向こうには田舎の訳の分からないチームに負けられない重圧があったと思う。あのころは1人で投げるのが当たり前で連投に慣れていた。ただ、翌日は肩が上がらなかった」
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