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【断 久坂部羊】死とは闘わなければならないのか
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先日、オーストラリア人の知人から、妻が亡くなったというメールが届いた。彼女の最後のようすを、知人はこう書いていた。
「妻は死との闘いを、最後の最後まであきらめなかった」
私はそれを読んで、妙な違和感を覚えた。原文の「fought her battle」という言い方が、いかにも好戦的だったからだ。いわゆる安らかな死というイメージからは、あまりにかけ離れている。
医師になりたてのころは、私も死を最大の敵だと思い、それと闘うことに全力を注いできた。しかし、がんの末期医療や老人医療に携わるようになってから、少しずつ考えが変わってきた。
死はもちろん、できるなら避けたい。しかし、どうしても避けられないときは、やみくもに忌避するよりも、従容として受け入れる心構えをしたほうが、いい場合があると気づいたからだ。
この考えは、まだ受け入れられにくいかもしれない。医師にあるまじき敗北主義、義務放棄とそしられるかもしれない。しかし、過剰な延命治療のせいで、器械とチューブだらけになり、意識もなく、生きたまま身体が腐っていくような末期がん患者や、心身両面の痛みと苦しみにあえぎながら、死ぬに死ねない高齢者の現場に何度も立ち会っていると、死を拒絶し続けることばかりがよいとは、とうてい思えなくなる。
いくらいやだと言っても、死は訪れる。太陽が沈むがごとく。それなら、日没を阻止しようともがくより、静かに夕暮れに身を任すのも、生き物の知恵ではないか。
(医師・作家)