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すべてを失った祖父、母の背の娘… 不法占領63年の色丹島 元島民語る  (4/4ページ)

2008.8.30 19:43
色丹島・斜古丹の日本人墓地にある得能宏さん一族の墓。側面に得能さんの祖父、源次郎さん、姉の娘、貞子さんの名が刻まれている=8月10日(加納洋人撮影)色丹島・斜古丹の日本人墓地にある得能宏さん一族の墓。側面に得能さんの祖父、源次郎さん、姉の娘、貞子さんの名が刻まれている=8月10日(加納洋人撮影)

 収容所の食べ物は、黒パンと水のようなスープ、そして、塩ニシンを生のまま食べさせられた。風呂にも入れず、洗濯もできない。米粒みたいに大きなシラミが体中にわいた。

 「女学校に移ってからは、2階に上がり、海ばかり眺めていた。日本の船が入ってきては出てゆく。それは、自分らの順番が近づいていることを意味し、とても励みになった」

 船に乗ることができたのは12月。「家族を含め、乗船した皆が、ただ涙をこぼして喜んでいた」。

 船は北海道函館市の函館桟橋に着いた。しかし、喜びもつかの間だった。姉の2歳になる娘が、姉の背中で死んでいたのだ。

 「昔は、船の中で人が亡くなると、海に流して、水葬するしきたりがあった。しかし、姉はどうしても娘を日本に連れて帰りたかったので、娘が船の中で亡くなったのを母親にも言わなかった。函館の桟橋に着いて初めて娘の死を口にした」

 亡くなったのは貞子さん。今は、得能さん一族が平成13年に色丹島に建立した墓に、得能さんの祖父、源次郎さんの霊とともに眠っている。

 「貞子は日本本土に着く前に亡くなった。貞子のふるさとは色丹島。そんな思いで、一族は貞子を色丹島の墓に帰したんです」

 返還運動を続ける得能さんは今年7月、北海道主催の北方領土墓参事業で色丹島を訪れた。そして、源次郎さんと貞子さんの墓前で祈った。

 「島が一日も早く日本に帰ってくるよう力を貸してください」

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色丹島・斜古丹の日本人墓地にある得能宏さん一族の墓。側面に得能さんの祖父、源次郎さん、姉の娘、貞子さんの名が刻まれている=8月10日(加納洋人撮影)
色丹島・斜古丹の日本人墓地にある得能さん一族の墓。ビザなし訪問団の中高校生らが8月10日、墓を訪れた
色丹島・斜古丹の日本人墓地にある得能宏さん一族の墓。側面に得能さんの祖父、源次郎さん、姉の娘、貞子さんの名が刻まれている=8月10日
旧ソ連軍侵攻当時の様子を北海道根室市の自宅で語る色丹島の元島民、得能宏さん
旧ソ連軍侵攻当時の様子を北海道根室市の自宅で語る色丹島の元島民、得能宏さん
旧ソ連軍侵攻当時の様子を当時の島の写真を見ながら、北海道根室市の自宅で語る色丹島の元島民、得能宏さん
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