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すべてを失った祖父、母の背の娘… 不法占領63年の色丹島 元島民語る (4/4ページ)
収容所の食べ物は、黒パンと水のようなスープ、そして、塩ニシンを生のまま食べさせられた。風呂にも入れず、洗濯もできない。米粒みたいに大きなシラミが体中にわいた。
「女学校に移ってからは、2階に上がり、海ばかり眺めていた。日本の船が入ってきては出てゆく。それは、自分らの順番が近づいていることを意味し、とても励みになった」
船に乗ることができたのは12月。「家族を含め、乗船した皆が、ただ涙をこぼして喜んでいた」。
船は北海道函館市の函館桟橋に着いた。しかし、喜びもつかの間だった。姉の2歳になる娘が、姉の背中で死んでいたのだ。
「昔は、船の中で人が亡くなると、海に流して、水葬するしきたりがあった。しかし、姉はどうしても娘を日本に連れて帰りたかったので、娘が船の中で亡くなったのを母親にも言わなかった。函館の桟橋に着いて初めて娘の死を口にした」
亡くなったのは貞子さん。今は、得能さん一族が平成13年に色丹島に建立した墓に、得能さんの祖父、源次郎さんの霊とともに眠っている。
「貞子は日本本土に着く前に亡くなった。貞子のふるさとは色丹島。そんな思いで、一族は貞子を色丹島の墓に帰したんです」
返還運動を続ける得能さんは今年7月、北海道主催の北方領土墓参事業で色丹島を訪れた。そして、源次郎さんと貞子さんの墓前で祈った。
「島が一日も早く日本に帰ってくるよう力を貸してください」