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すべてを失った祖父、母の背の娘… 不法占領63年の色丹島 元島民語る  (3/4ページ)

2008.8.30 19:43
色丹島・斜古丹の日本人墓地にある得能宏さん一族の墓。側面に得能さんの祖父、源次郎さん、姉の娘、貞子さんの名が刻まれている=8月10日(加納洋人撮影)色丹島・斜古丹の日本人墓地にある得能宏さん一族の墓。側面に得能さんの祖父、源次郎さん、姉の娘、貞子さんの名が刻まれている=8月10日(加納洋人撮影)

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 「日本人は日本に帰す。一週間以内に荷物をまとめろ。ただし、持っていけるのは、手荷物だけだ」

 得能さん一家は昭和22年9月末、ソ連軍から強制送還の命令を受けた。

 10月、ソ連の大型船が迎えに来た。桟橋からはしけで、沖に停泊していた船に向かった。「日本人は、荷物といっしょにモッコと呼ばれる大きな網に入れられ、つり上げられて貨物船の船倉に積まれた」。

 船内は択捉島、国後島で乗せられた日本人で、すでにほぼいっぱいだった。得能さん一家は、母親、姉夫婦とその子供、弟と妹が一緒だった。

 「船には数千人が乗り込んでいた。どこに船が行くのかわからない。『島にまた帰ってこれるのか』。色丹島を離れるとき、そんな思いで、ただ呆然(ぼうぜん)と、島を見つめていたのを覚えている」

 船は日本本土ではなく、ソ連が軍事侵攻した南樺太(現サハリン)に向かった。到着したのは真岡(まおか)(現ホルムスク)。樺太高等女学校に隣接する小学校の収容所に入れられた。

 「女学校に入っている者から順番に日本本土に帰ることができた。それまで順番を待たねばならなかった」

 収容所の生活は厳しいものだった。島を出るとき米などを持ってきたが、やがて炊事するための燃料がなくなった。

 「便所の壁板をはがして炊事用の燃料にするため、トイレが丸見え。若い女性は昼間、トイレをがまんするため、体調を崩す。子供や老人も栄養失調で病気になった。やがて、どんどんと死んでいった」

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色丹島・斜古丹の日本人墓地にある得能宏さん一族の墓。側面に得能さんの祖父、源次郎さん、姉の娘、貞子さんの名が刻まれている=8月10日(加納洋人撮影)
色丹島・斜古丹の日本人墓地にある得能さん一族の墓。ビザなし訪問団の中高校生らが8月10日、墓を訪れた
色丹島・斜古丹の日本人墓地にある得能宏さん一族の墓。側面に得能さんの祖父、源次郎さん、姉の娘、貞子さんの名が刻まれている=8月10日
旧ソ連軍侵攻当時の様子を北海道根室市の自宅で語る色丹島の元島民、得能宏さん
旧ソ連軍侵攻当時の様子を北海道根室市の自宅で語る色丹島の元島民、得能宏さん
旧ソ連軍侵攻当時の様子を当時の島の写真を見ながら、北海道根室市の自宅で語る色丹島の元島民、得能宏さん
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