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すべてを失った祖父、母の背の娘… 不法占領63年の色丹島 元島民語る (2/4ページ)
「拳銃(けんじゅう)を持ったマント姿の将校と兵隊の6、7人が軍用犬を連れて入ってきた。怖くて、子供らは、ただ下を向いているばかりだった」
上陸したソ連兵は400−600人とされる。村役場や郵便局、捕鯨場(鯨の処理工場)などを次々と占拠。島にいた日本兵は武装解除のうえ、拘束された。数日後、島の特別警備隊長だった得能さんの父親も連行され、以来、数年間、行方が分からなくなった。
「やがてソ連兵は民家を没収し始めた。追い出された日本人は、知人の家や馬小屋、物置で暮らさねばならなくなった」
斜古丹湾の突端にあった得能さんの家も翌年春、没収された。「完全な略奪。家族は湾の中ほどにある小さな小屋に移らざるを得なくなった」。
島を脱出する島民も相次いだ。残った島民は、没収された捕鯨場の保守点検やまき割りなど、さまざまな「下働き」をさせられた。
7月には、得能さんの祖父、源次郎さんが亡くなった。富山県から明治25年ころ色丹島に渡り、苦労の末にタラやカレイなどの漁場を開拓した。
「祖父は、一代で築いた漁業基地などすべてを、ソ連軍に取られて失意の中で他界した。野原に木を積んで祖父を火葬にした光景を今も覚えている」
祖先の墓地が没収されたため、得能さん一族は平成13年8月、自由訪問で島を訪れた際、源次郎さんの墓を新たに建立した。墓の側面には「得能源次郎 79歳 昭和21年7月17日」と刻んだ。
「苦労に苦労を重ね、すべてを失った祖父の無念さを思うと辛い…」。一生かかって色丹島に土台を築いたものの、家を奪われ、最期を粗末な小屋で迎えなければならなかった祖父。その悔しさに得能さんは思いをはせる。