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すべてを失った祖父、母の背の娘… 不法占領63年の色丹島 元島民語る  (2/4ページ)

2008.8.30 19:43
色丹島・斜古丹の日本人墓地にある得能宏さん一族の墓。側面に得能さんの祖父、源次郎さん、姉の娘、貞子さんの名が刻まれている=8月10日(加納洋人撮影)色丹島・斜古丹の日本人墓地にある得能宏さん一族の墓。側面に得能さんの祖父、源次郎さん、姉の娘、貞子さんの名が刻まれている=8月10日(加納洋人撮影)

 「拳銃(けんじゅう)を持ったマント姿の将校と兵隊の6、7人が軍用犬を連れて入ってきた。怖くて、子供らは、ただ下を向いているばかりだった」

 上陸したソ連兵は400−600人とされる。村役場や郵便局、捕鯨場(鯨の処理工場)などを次々と占拠。島にいた日本兵は武装解除のうえ、拘束された。数日後、島の特別警備隊長だった得能さんの父親も連行され、以来、数年間、行方が分からなくなった。

 「やがてソ連兵は民家を没収し始めた。追い出された日本人は、知人の家や馬小屋、物置で暮らさねばならなくなった」

 斜古丹湾の突端にあった得能さんの家も翌年春、没収された。「完全な略奪。家族は湾の中ほどにある小さな小屋に移らざるを得なくなった」。

 島を脱出する島民も相次いだ。残った島民は、没収された捕鯨場の保守点検やまき割りなど、さまざまな「下働き」をさせられた。

 7月には、得能さんの祖父、源次郎さんが亡くなった。富山県から明治25年ころ色丹島に渡り、苦労の末にタラやカレイなどの漁場を開拓した。

 「祖父は、一代で築いた漁業基地などすべてを、ソ連軍に取られて失意の中で他界した。野原に木を積んで祖父を火葬にした光景を今も覚えている」

 祖先の墓地が没収されたため、得能さん一族は平成13年8月、自由訪問で島を訪れた際、源次郎さんの墓を新たに建立した。墓の側面には「得能源次郎 79歳 昭和21年7月17日」と刻んだ。

 「苦労に苦労を重ね、すべてを失った祖父の無念さを思うと辛い…」。一生かかって色丹島に土台を築いたものの、家を奪われ、最期を粗末な小屋で迎えなければならなかった祖父。その悔しさに得能さんは思いをはせる。

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色丹島・斜古丹の日本人墓地にある得能宏さん一族の墓。側面に得能さんの祖父、源次郎さん、姉の娘、貞子さんの名が刻まれている=8月10日(加納洋人撮影)
色丹島・斜古丹の日本人墓地にある得能さん一族の墓。ビザなし訪問団の中高校生らが8月10日、墓を訪れた
色丹島・斜古丹の日本人墓地にある得能宏さん一族の墓。側面に得能さんの祖父、源次郎さん、姉の娘、貞子さんの名が刻まれている=8月10日
旧ソ連軍侵攻当時の様子を北海道根室市の自宅で語る色丹島の元島民、得能宏さん
旧ソ連軍侵攻当時の様子を北海道根室市の自宅で語る色丹島の元島民、得能宏さん
旧ソ連軍侵攻当時の様子を当時の島の写真を見ながら、北海道根室市の自宅で語る色丹島の元島民、得能宏さん
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