| 異聞 七つ夜   戦いは終わった。女の身体は木の枝に掛けられ、まるで血抜きでもしているかのように血を流し続けている。
 懐から、一降りのナイフが滑り降り、地に当たる。その衝撃によるものか、刃が飛び出し月を映し出す。
 そこに、新たにやってきた男の顔が映る。
 「漸く終わったか。不意をついたにもかかわらず、こちらの手勢の大半がやられるとはな。
 さすがは音に聞こえし七夜の一族……」
 ふと、足下に目をやる。
 刀身に月を映すそれに興味を引かれたか、それを手に取る。
 柄には「七つ夜」の文字。
 「七つ夜? ちょうど良い、こいつらを滅ぼした徴として貰っていこう」
 男は、ナイフの刃を仕舞うと、己が懐に収め、再び森の中へと消えていった。
 
 異聞 七つ夜
 
 
   ここで時代はさかのぼる。時は明治期
 黒船来航から続く激動の時代の中を、我関せずとばかりに昔ながらの暮らしを続ける里があった。
 七夜の里
 人としての純血を保ち、ひたすらに魔を狩るための技術を磨き続ける七夜一族の里である。
 この里の鍛冶場を、一人の青年が尋ねてきた。
 「こ、これは御当主様。今日はまたいきなりどうしました?」
 「うん、近々出なければならなくなるようなので、そのための刀を何本か打ってもらおうと思ってね」
 「今までの物では不都合が?」
 「聞いているだろう? 廃刀令を。あのおかげで武士のフリをして普通に刀を下げて歩くことが出来なくなったろ。で、目立ちにくい物が必要になってね」
 「なるほど、と、なると、長い物でもせいぜい脇差し、出来れば懐に収まるような物が必要ですね」
 「そうだ、とりあえず試しに、何本か誂えてもらえるかい」
 「承知しました。早速今日から取りかかります」
 「頼んだよ」
 
   もとより、彼らは常なる道を歩む者ではない。純粋なる人の中に希に生まれる超能力者、それは希であるが故に人なる身が世の歪み−−魔と交わり魔を孕みし人にして人から外れたモノ−−と戦う際の天秤を、わずかなりとも人の側へと傾けんとして利用される存在であった。
 その彼らが、単なる使い捨ての道具から抜けださんとして集まり、生まれた一族。
 それが七夜の一族である。
 されど、その生まれ故に彼ら一族のものは、魔に堕したかつて人で在りしものとの戦い続けるより他に、そのあり方を選ぶことが出来なかった。
 否
 一度かくなる道を歩み始めた以上、他の道を選ぶことが許されぬ存在とされたのが正しかろう。
 それはいくら人の世が移り変わろうと変わらぬ事。
 なぜなら彼らは人の世より外れ、人から外れしものを討つが定めの一族ゆえ。
 よって、彼らはここに、退魔の勤めを受け続けることにより、存続し続けている。
 
   新たなる退魔の任が下された。彼らにとっては特筆すべき事のない、いつもの任である。
 強いてあげるとするならば、此度の任、代替わりしたばかりの新たなる当主が、時の流れにあわせんがため新たに作らせた獲物を手にして出るという点か。
 されどそれは彼らにとっては些事に過ぎず、此度の任もさほど特筆すべきこともなく終了した。
 「いるかい?」
 「御当主様! あ、あの、先日の……」
 「うん、アレが思ったより使いやすかったんで、一言礼を言おうと思ってね」
 「わ、わざわざそのために!? かたじけのうございます」
 「いやいや、後、少し手を入れたいところが……」
 鍛冶士の作った刀は使い手に絶妙にあっていた。
 そして、手になじむ道具があれば、他よりもそれを使いたがるのが人という者。
 故に、その刀−−いや、時代に合わせてナイフと呼ぼう。そのナイフは青年が好んで使う道具となった。
 上より下る任を終わらせる都度、新たに気が付いた改良を盛り込み、より手に馴染むように握りを直し、微妙なバランスを取り直し……
 いつしかそのナイフは青年にとって無くてはならぬ相棒となっていた。
 
   やがて青年は妻を娶り、子を為す。一族の次代を担い、やがては長として青年の跡を継がねばならぬ子である。
 万が一のことがあっても良いように、一人と言わず、二人目、三人目と子を作った。
 やがて子供達は成長し、一族のものとしての技と術を受け継ぐための鍛錬を受けるようになる。
 既に青年と言うよりも壮年と言うべき年に達した男は、片手に馴染んだナイフを持ち、子供達の鍛錬を行う。
 時折下る任を果たしに姿を消しては、再び里に戻り子供らの鍛錬を行う。
 更に歳月が流れ、子供達が任を果たせるようなった時、男は長としての座を子供達の一人に譲り、一線を退くこととした。
 
 「いるか?」「先長殿、今日はまたどういった風の吹き回しで?」
 「何、長年頑張ってくれたこいつに、一つ名前を付けてやろうと思ってな。刻んでくれるな?」
 「……そうですか、考えてみれば、こいつは、これほどの歳月、先長殿と共にあったのですな」
 しみじみと呟く鍛冶士。
 「して、その名は?」
 「うむ、七夜の当主であった我の剣なのだ、『七つ夜』がふさわしかろう」
 「……私が鍛えた剣にそのような名を付けて頂けるとは」
 鍛冶士にとって、自らの鍛えたナイフにこのような銘を選ばれることがどれほどに感慨深いことであったか、それは、しっかりと閉じた両目の端ににじむ水滴が物語っていた。
 
   その後も、男は一線を退いたとは言え、彼の後継者達の後背援護のために、たびたび里を離れていた。むろん、「七つ夜」を懐に携え、時には、彼らを襲う者達と刃を重ねることもあった。
 しかし、時の流れと共にそのような機会も減り、いつしか、男は里に腰を落ち着け、孫達の相手をする好々爺となっていた。
 孫達が成長し、まもなくその中から新たなる長が選ばれようとする頃、男は二番目の孫、おそらくは次の長となるであろう男に「七つ夜」を渡した。
 「爺さん、俺の獲物は……」
 「判っている、いずれお前が妻を娶り、子を為した時、これをその子の守り刀としてはくれんか?
 儂と共に戦ってきたのだ、きっと、おぬしの子をも守ってくれよう」
 「子供……か、作るかどうかわからんが……預かっておこう」
 既に老年の域に入り幾星霜の年月を経た男は、この数日後息を引き取った。
 
 「七つ夜」を受け取った男は、翌年、新たなる長に選ばれた。
 「七つ夜」は男の懐に収められたまま、その刃を煌めかせることなく時を重ね、やがて男の妻となった女に渡された。
 「この子の守り刀にしてくれとの爺さんの遺言だった……」
 傍らに眠る、我が子を見ながら感慨深く言う。
 そう、男は一度たりとも思ったことがなかった。
 己の血を伝える者が生まれる、そのことにより、これほどに自分が変わるなどとは……
 だが、男の目に映る妻の感情の流れには、いささかなりとも意外感がないところを見ると、きっとこれは当たり前のことであったのだろう。
 
   やがて男は、一族と退魔機関との縁を立ち、一族の宿業から離れんとした。甘いと言えよう。
 結局、一族はこのために滅びた。
 ただ一人の、長の後継ぎを残して。
 
   少女が一人、書斎にたたずんでいる。何の感情も浮かばぬその琥珀色の瞳に映るのは、重厚な机を前にして座る男の姿。
 一人書類の決裁を行っている。
 ふと、少女の目が訝しげに細められる。
 書類を一通り片づけた男が、椅子に身を沈めながら何気なく、ナイフを手にしたためである。
 その視線に気が付いたのか、男は楽しげな笑みを浮かべつつ言う。
 「これか? これはな、七夜、つまり志貴の一族を滅ぼした時に手に入れた、まぁ言ってみればトロフィーのような物だ。
 柄に『七つ夜』と文字が入っているところがいかにもな感じがして、こうして持ち帰ったのだよ。きっと、あやつの親の物だったのだろう」
 庭で他の子供達と遊んでいる志貴を見るその顔は、酷薄に歪んでいた。
 「あいつにとっては、唯一の親の形見というわけだ。ま、渡したところでどうという物ではないがな」
 言いつつ、ナイフを机の引き出しへと戻す。
 「これと同じように、志貴が遠野家にとって使いやすい刃になればそれでよし。
 所詮は人の純血種、せいぜい良いように使うだけだ」
 言い終える頃、執事が書斎に入り、お茶の用意が出来た旨を告げた。
 
   幾ばくかの年月が過ぎ、少女は書斎から「七つ夜」を取り出すと、それを本来の持ち主、志貴へと手渡す。そこにいかなる思いが込められているか、志貴は知らぬ。
 ただその刃をあらためるのみ。
 さほど古い物ではなく−−せいぜい人一人の生涯に幾ばくかを加えた程度の歳月しか経ていない
 さほど名の通った物ではなく−−銘が刻まれたのは担い手が一線を退いてから
 さほど優れた物ではなく−−ただ使い勝手がよい故に使われ続けただけ
 されど、彼の一族の名を冠した刃は、求められし担い手の下へと戻された。
 その担い手は、希有なる能力「直死の魔眼」の持ち主。
 新たなる担い手の下、初めて振るわれた刃は真祖の姫君の死の線をなぞり、十七分割した。
 「七つ夜」が志貴の手の中、これよりどれだけの死の線を切り裂くのか、どれだけの死の点を穿つのか、それはまだ誰も知らぬ。
 
 
   魔を切るために作られし刃、それはこのときより、あらゆるモノに死をもたらすための刃として振るわれることとなる。
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