予兆は夕飯の準備をしている時に既にあった。しかし、そのことに気が付いているものは一人だけだった。
まだ、その時点では。
あかいあくまと正義の味方 番外編 〜節分
(after the Fate end)〜
予兆というのは間違いだろう。なぜなら、そこには意図的な演出を行った者が居たのだから。
だが、その演出者本人以外は、何も気が付かず、もちろん演出者も、他にそのことを話す気など無かったので、せいぜい夕食前に
「イリヤちゃん、今日はずいぶん嬉しそうね。何があったの?」
と、大河に問いかけられることがあった程度。寧ろこの日の夕食は、いつもに比べ、珍しいほどに静かなものだった。
理由は簡単、今日は二月三日、節分の日であり、この日の夕食は、(寿司業界の思惑にあっさりと乗せられた)大河の希望により、恵方巻き--普通より細めに撒いた太巻き--と若干のおかず、味噌汁という組み合わせであったためである。
ぶっちゃけ、一番賑やかな大河が、太巻きを食べるのに夢中で、事前に用意されていた三本プラス、万が一にと用意した二本を平らげ終えるまで、喋る余裕がなかったから静かだったのだ。なお、この食事風景に、もっとも小食なイリヤが、後ほど、「見てて胸焼けしちゃったわよ」と、愚痴をこぼし、虎いじめに一層の労力を割くようになったのは余談である。
とまれ、珍しく静かな夕食後、洗い物も済ませ、まったりと食休みをしていた所、イリヤが士郎に聞いてきた。
「ねぇシロウ、節分って豆まきってのやるんでしょ? 早くやろうよ!」
「へぇ、イリヤ、豆まきのことも知ってたんだ」
「うん! 商店街でお米屋のおじさんが教えてくれたよ! ほら、ちゃんと豆も買ってきたんだよぉー!」
じゃーん! と、口で効果音を上げながら、机の下から豆の入った升(節分セット)を取り出すイリヤ。全部で四つ升がある。
「そっか、じゃ、やろっか」
「わーい! 鬼退治、鬼退治ー!」
言いながら嬉しそうに升を配るイリヤ。しかし……。
「あら? わたしの分は?」
四つしかない升は凛以外の四人に配られた。そして、凛の疑問に応えるように、
「えい! おにわぁーそとぉー!」
イリヤの元気な声と共に、豆(密かに強化されている)が凛に向かって投げつけられた!
「ちょ、ちょっと何するのよ!」
突然のことに混乱する凛と、同じく驚く士郎、桜、大河の三人。
「えー! だって、節分って、鬼(devil)を追い払う行事なんでしょ? だったら、凛はあかいあくま(Red devil)なんだから追い払わなくっちゃいけないじゃない」
その瞬間、反射的に逃げ出そうとした士郎は、いつの間にかイリヤに腕を捕まれていた。
「ねぇー! そうでしょ!? シロウ! リンはあかいあくまなんだから追い出さなくっちゃ駄目だよねぇー!」
「な! ななな……」
「ちょっと、なんでそこで士郎が出てくるのよ!」
「だって、士郎が言ってたんだよ。リンはあかいあくまだって!」
「し、しろいあくまだ……、しろいあくまがいる……」
放心状態で呟く士郎。
「衛宮クン? どういう事かしら? それと、そのしろいあくまってイリヤのことでいいのよね?」
にっこりと、綺麗な笑顔を浮かべつつ、士郎の首根っこをひっ掴むあかいあくまと、ゼンマイの切れかけた機械人形のように首をガクガクと縦に振る士郎。
桜と大河がどうしたものかとおろおろとしているが、そんなことに頓着せず、士郎の首を締め上げるように持ち上げていく凛。いつの間にか自分の身体を強化しているようだ。
「つまり、わたしを赤鬼、イリヤを青鬼に見立てて、ここ(衛宮家)から追い出そうって事かしら?」
「ちょっとリン! なんでわたしが青鬼なのよ!」
「あら、しらないのイリヤ? 日本で青鬼って言ったら、肌が青く見えるほど色白の鬼(White devil)のことをさすのよ。そして、イリヤのことを白い悪魔だって、たった今士郎が言ったばかり、つまり、イリヤが青鬼って事ね」
「えー! そんなはず無いよぉー! イリヤはシロウのものなんだから、シロウがイリヤを追い出すわけないじゃなーい!」
「へ!?」
瞬間、居間の温度が氷点下に下がる。
「士郎、今の言葉、どういう事かしら?」「先輩! どういう事なんです!?」「士郎! いつのまに!!」
士郎は、凛につり上げられたままの状態で、更に女性陣に詰め寄られる。
「シロウはキリツグと違って、イリヤを捨てたりしないよね? 信じてるから」
「へぇー、衛宮クンって、そう言う趣味だったの?」「先輩……何故私には何もしてくれないのに……」「わーん! 士郎がロリペドな犯罪者になっちゃったよぉー!」
「ま、まて! 俺、そんなことしてない!」
「あら? じゃぁ、なんでイリヤが衛宮クンのものなの?」
「お、俺にも判らないんだ!」
「ひっどぉーい! イリヤをものにしてからまだ一年も経ってないのにぃ−! 実家(アインツベルン)のお祖父様も、こればかりは仕方ないって、素直に認めてくれたのにぃー!」
「衛宮クン?」「先輩……」「士郎!」
左腕が輝く凛、影がうごめき出す桜、そして、どこからとも無く竹刀を取り出した大河が、首を絞められ、息も絶え絶えな士郎へ殺気を向ける。
「い、いや……だから、俺、セイバー以外とは……、あのときの……遠坂とのキスしたことしか……」
「え! ちょ、ちょっと士郎!」
いきなり「あのとき」のことを出され、真っ赤になった凛は思わず手を離す。
「遠坂先輩?」「士郎、遠坂さんと、そんな関係に……」「へぇー、シロウって、リンとそう言う関係だったんだぁー」
床に崩れ落ちた士郎を余所に、凛へと矛先を代える残り二人と、興味津々なイリヤ。
「あ、でも駄目よリン。もしリンがシロウと一緒になっても、イリヤはシロウだけのものだからね。他に権利があるのはセイバーだけよ」
「え!? イリヤ、それってどういう……?」
思わぬ言いようにとまどう凛に向かい、ぺろっ、と舌を出すイリヤ。
「え? なんでセイバーちゃんが出てくるの?」
「セイバーさんが……ですか?」
そんなイリヤのわざとらしく謎めかした言い方に大河と桜も首を捻る。
「あれぇー? タイガは兎も角、サクラも判らないんだ? ふーん」
いたずらっぽく、楽しげな笑みを浮かべるイリヤ。その姿はまさしく「小悪魔」。背中に黒い羽が生えているかのような幻覚すら見えてしまう。
「え? えっ? 桜ちゃんも何か知ってるの? えっ? ひょっとしてお姉ちゃんだけ仲間はずれ?」
一人仲間はずれだと言われてショックを受けるタイガ。
「え? ちょ、ちょっとまってイリヤちゃん、一体何の話?」
しかし、桜も話がまったく理解できずにとまどっている。
「うん、だって、サクラの家はマキリだから知ってるはずだけど、フジムラの家は全然関係ないもの。もし知ってたら、色々と困ったことになっちゃうし」
何故か獲物を見る漁師のような目でタイガを見るイリヤ。
「……! なに? なんだか皮を剥ぎ取られて敷物にされそうなやな雰囲気がするよぉー」
我知らず、大河は震えながら後ずさりする。
「ちょ、ちょっとイリヤ!」
とりあえず立ち直りはしたものの、話に入るきっかけを見いだせずにいた凛が、兎にも角にも話の流れを変えようと、慌てて口を挟む。と、
「で、話を元に戻すけど、わたしがシロウのものだって言った時、リンもサクラもタイガも一体どんなこと考えてたのかしら? ひょっとして、レディとして恥ずかしいと思うようなこと、考えてたりしてない?」
部屋の隅にうずくまって、がたがたと震えている大河を無視するように、イリヤは凛と桜に向き直って話を蒸し返してきた。
「こ、こ、このちみっこあくまー!」
「レディとして恥ずかしい」考えを指摘され、真っ赤になって怒る凛だが。
「つまり、イリヤちゃんと先輩の間は何もないけれど、遠坂先輩は先輩とキスするような仲だって事なんですか?」
同じく話を蒸し返してきた桜にきっちりつっこまれる。
「う……あ……う……、そ、それは……その……」
口ごもる凛だが、不意に未だげほげほやっているシロウの首を掴み直すと、
「これもみんなあんたが余計なこというからよ! 責任取りなさいばかぁー!」
「せ、責任って……」
「責任は責任よ! 逃げたりしたら承知しないからそのつもりでいなさい!」
「ま、まさか……先輩、遠坂先輩に責任を取らなきゃいけないようなことも……?」
驚きのあまり目を見開く桜。
「……やっぱり士郎って、切嗣さんの子供なのね。ちゃんと、責任は取りなさいよ! でなかったら、おねぇちゃん許さないからね!」
そして、身の安全が確保されたと思ったか、話の話に戻りつつ、同時に士郎の所行に顔を青くする大河。
そんな混乱を一歩離れてみていたイリヤは、
「まったく、わたし(聖杯)がシロウ(聖杯戦争優勝者)のものだって事ぐらいわかってる癖に、何を今更騒いでるんだか。ホントにリンってうっかりさんなのねぇ〜」
結局殆ど使うことの無かった豆の升を机の上に置くと、夕飯の前から一人だけ上機嫌だったイリヤは、再びいたずらっけに満ちた笑顔を浮かべると、わざとらしく溜息をついた。