「はい、今日の講義はこれまで」
「うー」
凛の一言と共に机に突っ伏す士郎。
「……にしても、ホント、士郎って才能無いわねぇー。後から始めた英会話の方がよっぽど進んでるじゃない」
「か、会話は人と人の意志を繋げる行為だから、お互い意志を通じようと思っていればどうにかなるもんだ! っていったのは遠坂だろ」
顔だけ持ち上げて、とりあえず反論を試みる士郎だが、凛はそれをあっさりと切り捨てる。
「あら、魔術は自分の内面に自分の意志を伝える行為だから、自分のことさえ把握できていれば、どうにかなるものだとも言ったわよ」
「いや、そんなことを言ってもなぁ……」
「あら? 自分のことも把握できずに、人に自分を伝えられると思ってるの?」
「う……、それは……、そうかもしれないけど……、でもなぁ」
あっさりやり込まれたものの、どうも納得がいかないと、疲れた頭で反論を試みる士郎。しかし、再度机に突っ伏してしまっていたため、凛がしてやったりと言いたげな顔で舌を出している姿を見ることは出来なかった。
士郎はそのまま暫く、机に突っ伏したままうんうん唸り続ける。結局適当な反論が浮かばなかったのか、のろのろと顔を上げると、違う話題を振ってきた。
「ところで遠坂、明日のことだけど」
「明日? 『士郎の』イリヤのひな祭り?」
「た、頼むから、いい加減その言い方止めてくれ」
「あら? じゃぁ聖杯の所有権手放す? わたしが喜んでひきとってあげるわよ?」
「イリヤはものじゃない」
「聖杯だと言い張ってるのは本人よ?」
「おまえ、判っててわざと言ってるだろう?」
「そりゃ、説得を手伝わされた身だもの」
「ああ、あのときはありがとう。俺一人じゃ絶対無理だった」
「説得『する』所か、『され』かけてたものね」
「うう……」
「ま、兎も角、聖杯への最初の願いが『イリヤが元気に人としての人生を送ること』だったのは誉めてあげるわ」
「だってイリヤはずっと辛い目に遭ってたんだぞ。そのまんま人でなくなって聖杯になるなんて、そんなの認められるわけ無いじゃないか」
「そうね……で、結局他は何も願わないの?」
「ああ、聖杯の力が使えるからって、別にに願うような願いはないしな」
「てっきりセイバーを呼び戻すんじゃないかと思ってたんだけどな」
「……考えなかった訳じゃない」
「それで?」
「でも、俺達はあのとき、納得ずくで別れたんだ。なのに、今更聖杯に溜まった力が使えるからって言って呼び戻したら、あのときのあいつの決心を汚すことになるだろ」
「意地っ張り」
「何がだよ」
「衛宮くんの気持ちはどうなの?」
「俺の気持ちなんかどうでも良い。あいつの決心を汚したくないだけだ」
「ほら見なさい。意地っ張り」
「悪いか?」
「ううん、そう言うとこ、衛宮くんらしいと思うわ」
「……そうか」
あかいあくまと正義の味方 番外編 〜雛祭(after the Fate end)〜
あくる三月三日(月)。卒業式を間近に控えた士郎と凛は、学園に登校する必要もないため、競作(共作にあらず)した昼食の時間を除くと、桜が来るまで、今日も魔術の講義で一日を過ごしていた。
やがて日が傾き、いったん家に帰って私服に着替えた桜がやってくると、三人揃って衛宮家を出る。
今日はイリヤのために、藤村家でひな祭りの御祝いをすることになっているのだ。
なぜわざわざ三人で揃っていくのかというと……。まず、凛は今まで、藤村家に行ったことが無いため、見ず知らずの者をむやみに中に入れることがない藤村家に入るには、一応は士郎の案内を必要とするから。また桜は、一度士郎と一緒に行ったことがあるものの、流石に藤村組の者が常に張り番をしている藤村家に、一人で入って行く勇気がないため。そんなわけで、結局、士郎が二人を連れて行くしかなく、こうして桜を待っていたのだ。
「坊ちゃん、イリヤ嬢ちゃんが待ちくたびれて、すっかりつむじを曲げちゃいましたよ」
門を入ってすぐのところで、なにやら雑談をしていた二人のうちの一人が話しかけてくる。
「え? 安さん、それホント?」
「こんな事で嘘付いてどうするんです?」
などと話している内に、もう一人の方は奥の方へと行く。
「……だな」
「じゃ、頑張ってください」
「ああ、そうするよ」
溜息をつきつつ藤村家のドアを開ける士郎。
「遅い!」
そこには、すっかりお冠のイリヤが仁王立ちで士郎を待っていた。
「ごめんなイリヤ。遅くなった」
「……遅い」
「ええと、今度大戸屋のたいやき奢るから」
プイッっと、横を向くイリヤ。
「そ、それじゃぁ、フルールのベリーベリーベリーでどうだ?」
「うーん、士郎と二人っきりで行くなら、特別に許してあげる」
「判った、ごめんな、イリヤ」
「士郎、アンタ、甘過ぎ!」
「そうですよ! 先輩、イリヤちゃんに甘すぎませんか?」
「え……、そ、そうか?」
「そうです! 罰として、私にも……えっと、……その」
「さ、シロウ、こっちだよ、早く早く!」
桜が、もじもじとしながらなにか言おうとしている間に、イリヤの腕がシロウを捕まえ、奥へと誘う。
「ちょ、ちょっと待てイリヤ! 俺、まだ靴履いて……」
「そんなのさっさと脱いで、早く来て!」
「あ、こら、待ちなさい! 何してるの桜! あんたも早く!」
「は、はい、遠坂先輩!」
「すいません、お二人はこちらに」
と、そこに出ていたのは藤村家で働くお手伝いさんたち。
「「え?」」
とまどう二人を、さあさあこちらと、有無を言わさず別の部屋へと連れて行った。
イリヤに連れられていった士郎は、無理矢理着替えさせられると、「良いからここで待ってるの!」と、主張するイリヤに押し切られ、イリヤの相手をしつつ時間をつぶしていた。
やがて、若い衆がやってくると、「お嬢、準備が出来たそうです」と、囁いて戻っていく。
「よし、じゃ、シロウ、行くよ!」
「お、おい、そんな引っ張るなよ」
などとやりとりしつつ、イリヤに引っ張られて入った部屋には、おひな様の格好をした凛と桜がいた。
「と、遠坂!? 桜!?」
「え? 士郎?」「先輩!?」
ちなみに、士郎はお内裏様の格好をさせられている。
「ふ、二人とも、よく似合ってるぞ。その、凄く綺麗だ」
「ありがと、士郎。でも、士郎も似合ってるわよ」「ありがとうございます。先輩も、立派です」
へぇーっと感心して二人を見る士郎と、顔を少し赤くして見返す二人。だが、イリヤはそんな三人に容赦がない。
「はい、士郎はこっち!」
殆ど体当たりするような勢いで、傍らに用意している台の上に士郎を押し出す。
向きを変えて、手近な方にあった手をひっ掴んで引っ張る。
「っと、桜はこっちに来て座る!」
これまた無理矢理桜を引っ張ると、向かって士郎の右側に座らせ、
「いいわよ!」
と、廊下に声を掛ける。
その声を待ち続けていたのか、廊下から一人の男が入ってきたかと思うと、士郎と桜のポーズを指示し、何枚もの写真を撮る。
一段落したところを見繕い、イリヤが凛を引っ張り出し、桜と交代させる。
そしてまた、何枚も写真を撮りまくり、いつもならば夕食の時間になる頃、漸く三人は解放された。
「「疲れたぁ〜」」
解放されたとたん、その場にへたり込んだ凛と桜。
本物の十二単など着せられているのだから当然である。曲がりなりにも着て歩いたりすることが出来た二人は、つまり、普段からそれだけ体を鍛えているわけだ。
弓道部部長の桜はもとより、最近は士郎の鍛錬に付き合うことが増えた(そして時々「真似事」の中国拳法で士郎を吹き飛ばす)凛も相当なもの。
一方士郎は……士郎も、すっかり疲れたらしく、座り込んでいる。
もっとも、こちらは精神的に消耗した様子だが。
「なぁイリヤ、何でこんな写真なんか取ったんだ?」
ごく当たり前の疑問だ。
「見たかったから」
「見たかった? じゃ、何でわざわざ写真なんか取ったんだ? あの人、それなりの写真家なんだろ?」
「そんなの決まってるじゃない。ちゃんと記念にとっときたいからよ」
「ふーん、じゃ、何でイリヤは入らなかったんだ?」
「え? じゃぁ、シロウは私がおひな様の方が良かったんだ!」
「何のことだ? イリヤはいつもこういうことやる時自分も一緒に入ってやってるだろ? なのに今日は違うからどうしたのかと思ったんだよ」
はぁっと溜息をつきつつ、シロウはやっぱりシロウねとこぼすと、いたずらっぽい笑顔を浮かべて、
「シロウ、まんよーしゅーの時代じゃないんだから、妹(あね)をおひな様には出来ないんだよ」
と、言い放った。
「へ?」
「で、お内裏様の士郎からみた、二人のおひな様の感想は?」
「え? 感想?」
「そ、感想。女の子の服装とか姿とかを見たら、きちんと誉めて感想を言うのは男の子の義務よ」
「そうなのか?」
「少なくとも、身近にいたり一緒に居たりする女の子が、いつもとどこか変えたりした時には、ちゃんとそのことに気が付いて、誉めて、感想を言わなきゃいけないの! キリツグはいつもママやイリヤのことをそうやってきちんと見て、誉めててくれてたよ」
「そうなのか」
「そう、それで?」
「え、ええと……、まず桜だけど……」
どきっとした様子で身を竦ませ、おずおずと士郎の様子を桜は伺う。
「え、ええと、ピンク色……て言うか、桜色だよな。その着物は桜によく似合ってて可愛いんだけど、なんだか、時々妙に艶っぽいって言うか……、その、やけに色っぽく見えて、その、なんだか……困った」
「そうだねー、シロウ、何度もサクラを見て赤くなってたもんねぇー」
「イ、イリヤ!」
真っ赤になって思わず叫んだ士郎だが、嬉しそうな、恥ずかしそうな、そんな風に自分を見ている桜に気が付き、顔を赤くしたまま、なにやらブツブツ言いつつうつむいてしまった。
なにやら、セイバーの名を呼んでいるらしい。
「ホントのことじゃない。で、リンはどうだった?」
「え、と、遠坂か……」
言われてちらと視線をやったその先には、むくれた様子で「そうよ、わたしよ、悪い? いいからさっさと言いなさいよ!」と、言いたげな姿がある。
しかし士郎は、その姿を見ると、ますます顔が赤くなり、このままでは血が頭に上りすぎて倒れてもおかしくないような様子で、なにやらブツブツ呟いている。
イリヤが近寄ってみると、「いや、違うぞセイバー、俺の一番はセイバーなんだから……。いや、確かにあいつのことは憧れてるけど、でもセイバーが一番なんだぞ……」などと、一人言い訳をしているらしい。
「で、リンはどうだったの?」
あえて士郎の意識を引き戻すべく、イリヤはシロウの耳元で怒鳴った。
「え、あ、遠坂? ああ、遠坂か。えっと、その、真っ赤な着物がいかにも遠坂って言うか、凄くイメージ通りでよく似合ってるんだけど、その、何でか遠坂が凄く子供っぽいっていうか、儚いように見えて、な、なんて言うか……守ってあげたいって言うか、その……」
「胸の中に抱えて、そのまま抱きしめていたいとか?」
「……!」
イリヤの一言に、最後のとどめを刺された士郎は、回りすぎた血でこれ以上ないほど赤くなったままフリーズ。一方の凛も士郎の思わぬ感想に同じく真っ赤になって固まっている。
……まぁ野暮な説明をするならば、いくらそれなりに鍛えているとは言え、やはりデスクワーク中心の凛は桜に比べ、持久力に劣るところがあり、短時間ならば十二単の重みに耐えられても、立ったり座ったり歩き回ったりといったことを続けていると、どうしてもスタミナが切れてしまう。桜が十二単の重みに、顔を少し赤くし、少々汗をかく程度で済んだ(これが色っぽく見えた理由)のに対し、凛はいつ倒れてもおかしくないほど。故にそんな凛を見た士郎は凛がか弱く感じられて仕方がなかったと言うオチ。
しかし、そんなところまで気が回らない士郎にとって、桜からの、普段も時々感じさせられ、そのたびに耐えることで耐性を作ってきていた色気よりも、普段、ろくに感じることもない凛に対する保護欲が、急速に湧き上がってきたことの効果が遙かに大きかったというわけだ。
そんなことに気が付きそうなのは、この中ではイリヤただ一人。
実際に気が付いているかどうかは……さて?
とりあえず、ガックリと肩を落としてうなだれている桜の姿が、いとあはれ、と表現すべきか。
「さ、それじゃご飯にしよ! 今日はひな祭りだからって、ごちそう作ってもらったんだよ! タイガに食べ散らかされる前に食べよ!」
イリヤの元気な声に、一同、それぞれが逝っていた場所から復帰。
「そのかっこじゃご飯食べにくいでしょ? 早く着替えてきてね!」
との声に、一同立ち上がり、先に通され、着替えていた部屋へ向かおうとする。
が、しかし、しつこいようだが、桜に比べれば持久力に劣るところのある凛に、十二単の重みはもう限界であった。
故に、
ぐらりっ、と、凛の身体が倒れかかる。
「遠坂!」
とっさに士郎が駆け寄り、その身体を支える。
「あ、ごめん、ちょっと疲れただけだから」
「大丈夫か? 無理しないで休んだ方が良いぞ?」
「あら? この後、わたしを仲間はずれにするつもり?」
「な、わけあるか! 大体今日はひな祭りだぞ! 除け者にされるならそれは俺の方だ!」
「冗談よ。着替えて、一休みすれば大丈夫だから」
「そうか? まぁ遠坂がそう言うのなら……、桜、どの部屋で着替えてたんだ?」
「はい、この隣の部屋です」
と、そちらを指し示しながらの応えに、
「そっか」
と、うなずくと、士郎は凛を抱き上げ、その部屋へ連れて行く。
「ちょ、大丈夫よ! おろして!」
思わぬ扱いに暴れる凛と、羨ましそうに眺める桜。
「まともに歩けなかった癖になに言ってんだ。……でも、やっぱり背がある分セイバーよりは」
「セイバーよりは?」
とたんに胸元からわき起こる殺意の塊。
ちなみに桜は、「セイバーさんと比べられるなんて……私じゃなくて良かった」などと、言いつつ、ほっと息をついている。
「エ……、ア……、イヤ、ナンデモアリマセン」
「そう、もし変なこと考えてたら、ただじゃすまさないからそのつもりでいてね」
「ハイ、カシコマリマシタ。トオサカサン」
「判ったらとっとと部屋に連れて行く」
「ハイ!」
真っ青になり、冷や汗をだらだらと流しながらも、士郎は隣室に凛を運ぶと、そっと横たえた。
「なぁ、ほんとに大丈夫なのか?」
「ええ、大丈夫よ。それより衛宮くん、あなた、いつまでこの部屋にいるつもりかしら?」
「へっ?」
「これから着替えるんだからとっとと出て行きなさい!」
「す、すまん!」
凛と桜のジト目を受け、士郎は慌てて部屋から飛び出した。
着替えを終えた士郎が部屋に戻ると、そこでは藤村家のお手伝いさん達がセラやリズと一緒に料理を並べている最中だった。
「あ、手伝いますよ」
「駄目です。坊ちゃんは今日はお客さまなんですから、大人しく座っててください」
「そうよ、今日はシロウは私の客なの。客に働かせるなんて、わたしの顔に泥を塗るようなことしたら許さないわよ!」
「しかしなぁ、何もしないで座ってると落ち着かなくって……」
「駄目と言ったら駄目! 第一、私やリンと一緒に倫敦に行く以上、こういうことは当たり前のようにあるんだからね!」
「へっ?」
「アインツベルンはもちろん、遠坂の家も一応の名家なんだから、あっちに行ったらパーティに呼ばれたりすることぐらい当たり前なの。そんなとき、シロウはエスコート役として一緒に行かなきゃならないのよ」
「ホントか?」
「いっとくけど、家は一応なんてものじゃない、押しも押されぬ名家よ。それ以外はまぁ、イリヤの言った通りね」
「あら、たかだか二百年の遠坂がアインツベルンの千年に敵うとでも?」
「千年だろうと二千年だろうと、すっかり引きこもってるアインツベルンが、着々と実績を積み重ねている遠坂より上だとでも?」
「あ、あの、二人ともその辺で……」
「「そうね、元々はそう言う話じゃないし」」
言って、二人揃って士郎に向き直る。
「そう言うわけだから、テーブルマナーもきちんと心得ること。いつまでも逃げて回ってれば時間切れになって大丈夫だなんて思わないことね。時間切れになったら、わたしやイリヤが恥をかくんだから」
士郎の鼻先に指を突きつけながら、「人に迷惑を掛けるのは正義の味方といえないわよ」と、凛は続ける。
そんなこんなのやりとりの内に食事の準備は完了。
その後、足音高く部屋に駆け込んできた大河を迎えて、この面々としては非常に珍しい、藤村家での夕食が始まった。
ちなみに、雷画は
「イリヤ、雷画爺さんは?」
「どうしても外せない用事があるから今日は帰りが遅くなるんだって」
……なのだそうな。
「ところでイリヤ、ひな人形は飾らなかったのか?」
「飾ってあるよ」
「え? どこに?」
「そっちの部屋、見たい?」
「ん、そうだなぁ……」「見たい」「えっと、出来れば……」
「遠坂? 桜?」
「なによ。うちじゃひな祭りなんてしたことないんだから見たくなるのは当然でしょ」
「わ、私も……」
「良いわ、見せてあげる」
言うやいなや、隣室(凛と桜の着替えに使ったのとは反対側)の襖を開く。
そこには、見事な七段飾りのひな人形が……?
「ねぇイリヤ、何でおひな様が二人いるの?」
「それに、何でお内裏様が赤毛なんですか?」
「もっと近寄ってみれば判るわよ」
言われて、三人は顔を見合わせ、そして人形の近くに行く。
「このお内裏様って……」
「先輩……」
「こんな所にイリヤが居る!」
近くまで行くと、お内裏様の背中にまとわりつくようにしているイリヤそっくりの人形が居ることにも気が付く。
更に、その両隣に座っているおひな様は……。
「このおひな様って……」
「……私たちですか?」
二人いるおひな様は、先ほどの二人のように真っ赤な十二単に身を包んだ凛と、桜色の十二単に身を包んだ桜とにそっくりなおひな様だった。
士郎お内裏様を中心に向かって左側に凛おひな様、右側に桜おひな様だ。
「ほらほら、士郎、おひな様に選ぶのはどっち? 二人共なんて言う破廉恥な真似、おねぇちゃんは許さないからね」
それまで珍しく大人しかった藤ねぇが、ここぞとばかりに士郎をからかう。
が、しかし。
「大丈夫、キリツグはママの他に愛人作ってたから、士郎も愛人の一人や二人ぐらい作らないと、キリツグの跡を継いだとは言えないよ」
「「「えええ!」」」
「ちょ、ちょっと待てイリヤ、それ、ホントか?」
「うん、キリツグって、ママと結婚した癖にしっかり他にも愛人囲ってたんだよ。ママと離婚した後、その人達とも別れたけれど、仕事上のパートナーでもあった人だけは、今でも倫敦のキリツグのフラットに住んでるわ」
「「「「ええっ!」」」」
「士郎が倫敦行くことはアインツベルンから伝えてあるわ。会うの、楽しみにしてるって」
「なっ!」
士郎の後ろでは、藤ねぇが「切嗣さんに愛人が……、奥さんだけじゃなく愛人が……、何人も愛人が……」と、呟いている。相当なショックだったらしいが、士郎にそちらに注意を向ける余裕などない。
「いっとくけどシロウ、キリツグの跡を継ぐなら子供もちゃんと作らなきゃ駄目だよ。キリツグは私を作ったし、士郎を育てたんだから、シロウも子供を二人は作って育てなくっちゃキリツグの跡を継いだとは認めないんだからね」
「そんなこと、考えたこともなかった。それに俺はセイバー……」
「今はもう居ない人のこというのは禁止! 士郎は今生きてるんだから、生きてる人のことを考えなさい!」
「え!? いや、そんなこと急に言われても……」
「今すぐ相手捕まえて一緒になれなんて言わない、けど、考えるようにしなさい」
「う……いや、しかし……」
「さもないと凄いことするから」
「……凄いことってなんだ?」
「知りたい?」
うふふっと、嬉しそうにイリヤが笑う。
「いや、いい、知らない方が良さそうだ」
背筋に冷たい汗が流れるのを自覚しつつ、士郎は思わず後ずさる。
「誰がシロウの『おひな様』になるのか、楽しみにしてるからね」
いいながら、席に戻ったイリヤは、くるりと振り向くと更に一言。
「それから、シロウの子供、一人は衛宮の後継ぎとしても、アインツベルンにも一人貰うから、二人ってのは最低線よ。『おひな様』の家の後継ぎを考えると、三人は作って育てないと駄目なんじゃないかな」
「なっ!?」
その後、ぷっつり切れた藤ねぇが「これは白酒よ」と主張する日本酒を飲み始め、更にはイリヤ以外の三人にも無理矢理飲ませたため、宴は自然と散会……と言うか、イリヤ以外の全員が酔いつぶれて終了した。
翌朝、二日酔いの痛みに頭をしかめつつ目を覚ました士郎は、まず、首っ玉にかじり付いた状態で寝ているイリヤに気が付いた。
「しょうがないな、イリヤは……」
呟きつつ、イリヤを離そうとして、両腕が動かないことに気が付く。
「え!?」
驚いて顔を巡らそうとすると、右側に、青みがかった黒髪が見える。
視線を、下へとずらすと、そこには士郎の肩に頭をもたせかけ、無防備かつ幸せそうな寝顔の桜が。
思わず見とれる士郎。
「か、可愛い……」
思わず呟いた自分の言葉にハッとなる。
「な、何を言ってるんだ俺。俺にはセイバーが居るし、第一、桜は妹みたいなもんだぞ、いかんいかん!」
と、首を振ったその先には、
凛の寝顔のドアップがあった。
ギシリッ! と、固まる士郎。
顔の真っ正面、ほんの数ミリも動けばキスしてしまうような距離に、その正体がわかった今でも憧れている女の子の顔があるとなれば、例え士郎でも硬直するのが当たり前。
この時士郎は、内心、セイバーに助けを求めていたとかいないとか……
後ずさって距離を取ろうにも、反対側には桜が……いや、それだけではなく、自分の首に凛の両腕が撒かれていることに今更ながら気が付く。
進退窮まり、再び士郎は硬直する。
いずれにせよ、こんな時間が永遠に続くわけが無く、一人酒を飲まずに済んでいたイリヤが士郎の上で身動きを始める。
「ん……おはよう、シロウ……ってシロウ! 朝から何してるのよぉー!」
イリヤの頭のてっぺんから抜けるような甲高い声が響き渡る。
まず起こされたのは桜。
もぞもぞと士郎の肩から顔を上げたかと思うと、
「あ、先輩、おはよう……」
と、そこで硬直する。
続いて、足音高く廊下を走ってくる音。
「何、何なの? 今の大声!?」
大声と共に廊下との間を仕切る障子が開かれる。
冷たい朝の空気と共になだれ込んできた藤ねぇも、そこで固まる。
その後から、落ち着いた様子で歩いてくる足音と、更にその後を追いかけてくる足音。
二番目の足音の主が部屋の入り口で立ち止まる。
「ほう、はーれむだな、坊主」
「おやっさん! 今の声は!? イリヤ嬢ちゃんに何か?」
などと叫びながらやってきた足音も、同じく部屋の入り口で止まる。
「ぼ、坊ちゃん……」
そして、漸く凛が目を覚ましたのか、その瞳を開ける。
しかし、その瞳を真正面から見ている士郎には、まだ目覚めきっていないことが明白。
そんな寝ぼけた状態の凛は、自分を真っ正面から見つめている視線に気が着くと。
「しろう、おはよう」
と、言うと、そのまま目を閉じ、眠りの園へと帰っていく。
念のため繰り返すが、二人の間の距離は極近く、ホンの数ミリ動かすだけで、キスをしてしまう距離だ。
そして、一度目を覚まし、顔を上げて士郎の顔を目に留めた凛が、眠りの園に戻りつつ、顔をおろしたその先には、当然の如く士郎の顔がある。
ちなみに、二人の顔があまりにも接近しているため、周囲からは凛が再び眠りについたことなど判らない。
おまけに、周囲にいる中で凛の寝起きの悪さを知っているのも、イリヤ、桜、藤ねぇの三人だけ。
ついでに、士郎の首の周りには、凛の両腕が巻き付けられたまま。
故に、凛のその様子は、周囲の目には、目覚めと同時に、士郎に対しモーニング・キスをしているとしか見えなかった。
実際、二人の唇は強く合わされている。
……例え、それが重力に引かれただけのものであっても、端から見れば、そう見える。
……故に、静寂。
「シロウの本妻は凛で決定?」
しじまを縫ったイリヤの疑問型のつぶやきに、
「見たか! 聞いたか! 坊ちゃんの結婚が決まったぞ!」「これで子供が生まれれば藤村の後継ぎ確定だ!」「これで組の将来は安泰だ!」「バンザーイ、バンザーイ!」
先走った組員達の歓喜の声が返ってくる。
「お前ら、これ以上野暮なことはするな」
「そうね、さ、サクラ、あっち行くわよ。二人っきりにしてあげましょ」
「え……あ……、先輩が……先輩が……」
「大河、お前も惚けてないでとっとと席をはずさんか!」
「ふえ、士郎、やっぱり遠坂さんとそう言う関係に……」
そんな声と共に、部屋の中から人の気配が減って行く。
この時、士郎の視野には、凛の幸せそうな寝顔に重なって、青筋立ててエクスカリバーを構えたセイバーの顔と、サムズアップして歯を白く光らせた切嗣の顔が並んで浮かんでいた。