ふと顔を上げる。
士郎が出かけて暫くしてから降り出した雨は激しさを増しこそすれ、止む気配などを全く感じさせない。
「んっ」
ずっと魔術書を読んでいたため、少し強張った体を一つ伸びをしてほぐすと、わたしは今まで架けていた眼鏡を外し、本を閉じ(ロックし)てから部屋を出た。
士郎が帰ってくるのは夜遅くだし、桜は今日も慎二の見舞いに行っているから夕飯を作れるのはわたししか居ない。だからそろそろ準備に取りかからなくてはいけない。
明日は士郎と一緒に食料の買い出しに行くから、今日のうちに冷蔵庫の中を空けとかないと。それに、士郎が居ない日に料理するというのは実に貴重なのだ。こっそりとお味噌汁とかの練習できるし。
そりゃ、アイツの作ったお味噌汁は美味しいし、ずっと食べていたいけど、やっぱり言わせたいじゃない、「遠坂、いつの間にこんなに美味く……。俺より美味いじゃないか。これからずっと遠坂の作った味噌汁喰わせてくれ」って。
それよりも何よりも、いつまでも味噌汁の作れない女だなんて思われているのもシャクだし。
そんなことを考えつつ手早く冷蔵庫の中をチェックすると、頭の中で今晩の献立を組み立て、早速わたしは料理に取りかかった。
あかいあくまと正義の味方 学園生活編 〜その18〜
「ごちそうさまぁー!」
「お粗末様でした」
今日も今日とて健啖家ぶりを発揮した藤村先生の声が二人しかいない居間に響く。でも、一人きりで食べるより明るいし、ご飯も美味しい。口ではなんだかんだ言いながら、士郎が藤村先生のことを大事にしているのはこんな日々の積み重ねがあったからなんだと思うと、ちょっと羨ましいような悔しいような……。まるで藤村先生に嫉妬しているみたいね。わたし。でもこんな風に、家族として一緒に居られた士郎のことももうちょっと……、今更何を考えて居るんだか。
「遠坂さん、一段と腕を上げたわねぇ。和食はまだ士郎と比べるとちょっと落ちるけど、桜ちゃん相手ならばいい線行くんじゃない?」
「いい線ってことはまだ勝てないってことですよね?」
「そうねぇ、桜ちゃんは基礎の基礎、それこそ一どころか零から士郎に仕込まれた愛弟子だけれど、遠坂さんの場合あれだけの中華の腕があって、そこから和食を始めたでしょ? だからどうしても味付けに中華風の癖が出ちゃってるんだと思うの」
「出ちゃってますか?」
「うん、なんて言うのかなぁ、さしすせそはきちんと押さえているけれど、そこに加わっているものにちょっと中華っぽい捻りが入っているって言うか……、うーん、なんて言えばいいのかよくわかんないけど」
「捻りですか?」
「うん、わたし、料理がだめだからなんて言えばいいか良くわかんないんだけど……。あ、でもおみそ汁はずいぶん美味しくなったわよ。初めの頃、○の素なんか入れて士郎に怒られていたとは思えないくらい」
「あ、あは。中華だと使うこと多いんですよ。あれなしでその分いろんなもので出汁を取った方が味に深みが出るのは確かなんですけれど、その分食費が……」
「そうよねぇー、鮑だなんだって言ってると士郎が卒倒しちゃうものねぇ」
「わたしだってそうそう滅多に使えません! あんな高いもの!」
「あはは! そうよねぇ。士郎も遠坂さんも筋金入りの庶民派だものねぇ」
「一円を笑う者は一円に泣くんです!」
「う……、なんだかこの辺りにずきんって来た」
胸を押さえるポーズを取りながら食卓に突っ伏す藤村先生。
「その痛み、大事にしてくださいね」
言いながらわたしは食器をまとめ始めた。
「うぅ〜、遠坂さんがいじめるよぉ〜、こうなったら小姑として嫁いびりを……」
お盆の上に食器を積み上げ、お膳をふきあげると、お盆をもって立ち上がりながら言い返す。
「あら、そうなりますと嫁としては小姑に対ししかるべく反撃しなければ行けませんね。俗に嫁姑戦争なんて言う言葉もありますし、ここは一つ徹底的に……」
「あ〜、嘘、ごめん、冗談。本気にしないでぇ〜」
台所に移動したわたしの背中に届く声。わたしはくすっと笑うと、お盆を置き、
「ハイ、それじゃぁよろしくお願いします」
と言いながら藤村先生の前に戻って湯飲みを置き、手早くお茶を入れた。
「うん、士郎をお願いね」
「はい、もちろんです」
にこりと笑みを浮かべて見せつついつものじゃれ合いをいつものように終わらせると、わたしは台所に戻って食器を洗い始めた。
暫くして食器を洗い終える頃、不意に廊下の電話が鳴り始める。
まぁ、電話はいつだって不意に鳴り始めるものなんだけど、そこはそれ、文学的表現というものだ。
「あ、わたしでるぅ〜」
いいながら藤村先生が廊下に出て行く気配。程なくして先生が電話を取ったようだ。
「はい、衛宮です」
「……」
「あ、村上さんですか? 士郎がいつもお世話になっています。え? 士郎がどうかしました?」
「……」
食器の水を切っていた手が止まる。今の会話、何?
「士郎がそちらに行っていないって? ホントですか?」
「……」
え? どういうこと? 今日は確か……。
「いえ、入院している友達の見舞いに行くって言っていつもより早く出たんですけど……、すいません、ご迷惑おかけして。携帯もって行ってるはずなのですぐ……、え? 携帯に出ない? 判りました。ホントに、ご迷惑をおかけして申し訳ございません」
「……」
ちょ、ちょっと待って、士郎がアルバイトに行ってないってどういうこと? しかもそのことで連絡一つしていないの? あの人助けが何よりも好きで、逆に迷惑をかけることをとことんいやがってるお人好しが? それって……。
そんなことを考えながら士郎の部屋に急ぐ。あのバカが携帯を忘れているんじゃないかって思ったから。
……でも目で見て探しただけじゃ見つからない。……って言っても、この見事なまでに殺風景な部屋の中、探すところなんてほとんど無いのだけれども。
「それじゃ、戻って来次第連絡させますので、ホントに申し訳ございません」
「……」
落ち着け、落ち着け遠坂凛。よく考えてみなさい。あのバカならばもしアルバイトに行けなくなったのならば、携帯が無くても公衆電話なりなんなりで連絡するはず。なのに何一つ連絡していないっていうことは……。
「士郎の身に、何か起きたってこと?」
口に出してみて、目眩を感じた。
そんなはず無い、だって、あいつは聖杯戦争を生き抜いたんだ。あいつとの戦いにも勝って、ギルガメッシュともなんとか互角に戦うという、人の身では出来そうもないことをやってのけたわたしの……。
……でも、それでも士郎はまだ魔術師としては三流以下。いくら究極の一を身につけていると言っても、自分一人では展開できない上に、展開には時間がかかる。だからといって剣を投影して戦ってみたところで、未熟な剣技か物真似の剣術を振るうのが関の山。もしも一流の剣士が一級品の宝具を手にして士郎を倒そうとすれば……。ううん、そこまで行かなくても一流どころの魔術師や魔術師の捕縛を専門とする時計塔捕縛部隊に属する魔術師に襲われたりしても……。
「あ、遠坂さん、こんなところにいた」
悪い方へ悪い方へと転がり落ち始めたわたしの思考を明るい声が断ちきった。
「藤村先生?」
「あは、遠坂さんも士郎が携帯忘れたと思って探しにきたんでしょう。でもね、探すんだったらいい方法があるのよ。こうしてね……」
言いながら手にしたコードレスフォンの子機に付いているダイヤルをプッシュする藤村先生。きっと携帯が見つかったら、「もう、士郎ったら何忘れ物してるのよ! しょうがないわねぇ」なんて言ってわたしに同意を求めてくるつもりなんだろう。
うん、そしたらわたしも一緒になって士郎が間抜けなことをしたと言って笑って……。
「ポチッとな」
おどけた様子で藤村先生がダイヤルボタンを押した。
これで部屋のどこかから士郎の携帯の、なんて言うかやけに勇ましい感じの曲が流れて……、流れてきて……、……来ない。
「おかしいなぁ、聞こえないよぉ、ちゃんと向こうじゃ鳴っているはずなのに」
そう、聞こえない。無意識のうちに強化していたわたしの耳にもあの着メロは聞こえない。ひょっとしたら土蔵の中に置き忘れたのかな? あそこなら聞こえないかもしれない。
「先生、わたしちょっと土蔵の中見てきます。あっちに忘れたのかもしれませんし」
「そうね、あそこならば聞こえないわよね。じゃ、わたしも一緒に行くわ」
藤村先生はそういうと、子機を持ったままわたしと一緒に土蔵へ向かおうとする。
「だったら一旦切った方が良いんじゃないですか? もう留守電に切り替わってると思うんですけど」
「え? あ、ホントだ」
わたしの指摘に慌てて子機を耳に当てると、慌てて電話を切った。
後で振り返って考えると、この時私たちは、あえて携帯を忘れたと言うことに話題を限定することで、その先のことを考えないようにしていたのだと思う。けれどそんなのは長続きするわけもなく。
「やっぱり聞こえないわね」
「……そうですね」
雨避けのため縁側の下に入れておいたサンダルを引き出し、土蔵にやってきた私たちは、ここでも聞こえない着信音に、諦め半分苛立ち半分の会話を交わしていた。私は同時に、焦りから来る奇妙な脱力感を味わっていた。多分、藤村先生も同じだったのだと思う。
そして、雨に打たれながら家の中に戻ったあと、藤村先生がぽつりと呟いた。
「どうしちゃったのかしら。士郎って都合が悪くなったりしたらしたで、きちんと連絡する子なのに」
そう、改めて思うけれど、士郎は几帳面で真面目だからそう言うことは決しておろそかにしない。なにがあっても人に迷惑を掛けるようなことは出来ない性格なんだから、それで一人でなんとかしようとして、結果的に……って言うのはあるにせよ。
と、なると……。
「と、遠坂さん、士郎の身に何かあったのかも……」
そんなこと、ないと言いたい。けど、士郎だから、困っている人がいたら助けずにはいられない奴だから、またなにかに首をつっこんで抜け出せなくなってたりはしないか……。でも個人レベルでのことなら大抵自分でこなせてしまう士郎が抜け出せなくなるような状況って……
「やっぱり魔術がらみ?」
思わず口にしてしまい、慌てて口を閉ざしつつ藤村先生の様子を伺う。
けど、ちょうど先生はどこかに電話を掛けていて、今の言葉は聞かれずにすんだみたい。
ならばこの隙に……。わたしは魔術回路を開き、部屋に置いてあるあの刀との間のパスを繋ぐ。そして、刀を経由して士郎にパスを。直接繋ぐことが出来ないのがもどかしいけれど今はそんなこと言っていられない。次の時までにきちんと士郎に繋ぎ方を教えて……、そうじゃない。今考えるのはそうじゃなくて……繋がった? でも……なにこれ? 士郎のことがあまり感じられない。今までは例え士郎が寝ていてもちゃんと伝わってきてるのに。
「探しに行きます!」
まだ電話中の先生に一声言うと、刀を取りに部屋に向かう。居場所はわからないけれど大体の方位は判る。新都の方。だから刀をもって新都に行けば三角測量で居場所なんてすぐ!
「あ、ちょ、ちょっと遠坂さん!」
背中越しに呼ぶ声が聞こえるけど今は相手している時間が惜しい。
部屋に駆け込むと、刀を掴み、部屋着から着替えながらポケットに納めた宝石を確認、このところ使うようなことがなかったから常備している数に変化はないけれど、少し考え革製のウェストバッグに一通り予備の石を流し込む。刀を納められるようにと士郎が作ってくれたものに宝石用のポケットを追加した合作品。そして雨避けに薄手のコートを羽織ると部屋を飛び出した。
「遠坂さん、ちょっと待って!」
玄関まで来たところで先生に捕まった。
「士郎を探しに行きます。止めないでください」
「止めはしないわ。でも、どこまで探しに行くつもりなの?」
問われて、改めてパスを確認する。
「新都の方へ、あっちにいるはずです」
「そう、だったらなおさらね。ちょっとここでまってて、お祖父様が車を回してくれるの」
「え?」
「わたしだってすぐに探しに行きたいわ。でも、新都までなんて走っても二・三十分はかかるでしょ? でも車ならほんの数分よ。どっちが早いかなんて言うまでもないでしょ?」
だからもうちょっと待っててと先生が言う。
そうだ。確かにその方が早い。急いでまてとはよく言ったもの。
「判りました。それでどのくらいで来ます?」
魔術師ならば感情の制御はお手の物。なのに何故か気持ちの切り替えが上手くできないわたしが、無理に自分を落ち着かせつつ確認しようとしたそのとき玄関の戸が開けられた。
「姉御、お待たせしやした」
「安さん、早いわね」
「いざって時すぐに出られないと話になりやせんって」
「それもそうね、行きましょ。遠坂さん」
「はい」
口を開くよりも早く靴を履いた私たちは開いたままの玄関から先を争うように飛び出した。
靴の位置が悪かったせいか先生の後を追う形になったわたしが先生と並んで後部座席に収まった時には安さんもシートに収まりベルトを付け終わっていた。
「それで、どっちに行きます?」
「先ずは新都の方にお願い」
間髪を入れずにわたしが応えると、即座に車は動き出した。
いつもの交差点へ行くのかと思ったけれど、すぐに左折し、未遠川の方へと道を下っていく。そう言えばこっちからの方が近道なんだっけ。
わたしの心と裏腹に静かに回るエンジンが車を淀みなく進め、やがて冬木大橋にさしかかる。
ここで改めてパスがどちらに伸びているのかを確認する。近くまで来ていたら向きが大きく変わっているはず。うん? あまり変わってない?
先ほどと同じように弱々しいままのパスの向きはさほど大きくは変わってなかった。さっき計った時は身につけてなかったこともあって誤差が大きいとは思うけれど……、向きがあまり変わっていないと言うことは、つまり此処と家とを結んだ線の延長上にいるって事。ならば少なくともオフィス街の方ではない。駅の方なのだろうか?
考えを巡らせる私を乗せたまま車は橋を渡りきり、ループを下ると駅前パークへと走り続ける。
「どこから探してみますか?」
「そうね、とりあえず病院に行ってくれる? 士郎、間桐君のお見舞いに行ったはずだから」
考えに沈むわたしの様子を気にしつつ先生が安さんに応えている。
「へい、でもかなり早いうちにに病院を出たそうです。出がけに若いもんに電話させて確認しやした」
「うん、まぁそうだろうけれど他に手がかりになりそうなところは……」
土曜の夜の、比較的流れの良い通りをスムースに走る車はもう間もなく駅前に……。
居場所確認のため、改めてパスを通し……。
「戻って! あっちよ! 早く!」
「と、遠坂さん?」
「姐さん?」
パス繋がりをたどるように外を見る。あの方角は……。
「……遠坂さんの言う方に行って」
「へい!」
「中央公園に行って」
「え? 中央公園?」「わかりやした」
虚をつかれたかのような先生の声に安さんの返事が重なる。
そうよ。この方角で士郎が行きそうな場所と言ったら間違いない。あそこだ。
巧みに信号の変わり目を捕らえた車は手早く右折すると路地を縫って公園へ向かう。三ナンバー車で良く通れるものと思えるような道をあっさり走破した車が公園の入り口に止まると同時に、わたしは後ろも見ずにドアを開けて飛び出す。
「ちょ、ちょっと遠坂さん危ないわよ!」
間違いない、士郎はこの中にいる。弱々しい、いつ途切れてもおかしくないパスは公園の中に繋がっている。
走る。走る。
足を強化しようと言う衝動を抑えて、ひたすらに走る。
こんなぬかるんだ公園の中下手に足を強化しようものならば、間違いなく足が地面にめり込み、却って時間がかかる。そう自分に言い聞かせながら、走る。
代わりに目を強化して……居た。あのあかい色。いつも見慣れたあの髪の色が水たまりの上に。
「士郎!」
走る。
足を強化する代わりに、足の裏から魔力を爆発的に噴出させ……セイバーがやっていたことの応用。本番で使うのは初めてで、うまく行ってるかどうか判らないけど、今までより早くなった気がする。
みるみる内に視界に拡がってきた士郎の背中。その手前で止まろうとしたわたしは、勢いを殺しきれずに士郎の背中に倒れ込む。ちょうど良い。そのまま士郎の身体に手を掛け、膝の上に引き上げる。
……でも手に伝わってきた士郎の身体はとても冷たくて、まるで死体のようだった。
「つ……冷たい。士郎……、ちょっとなんでこんなに冷たいのよ……、士郎、目を開けて、士郎!」
「冷たいってどういう事?」
あとから走ってきた先生が士郎の手を掴み、びくっとして手を離した。
「嘘……、ホントに冷たい……」
「みせてくだせぇ」
遅れてきた安さんが士郎の脇にしゃがみ込み、首筋を掴むようにして手を当てる。暫くそうしていたかと思うと、今度は手首を取り脈を計る。同時に左手を口の前、鼻を塞ぎかねないところにかざして様子を見る。
「生きてます」
暫くして言う。
「ホント?」
「かなり弱ってますが、脈も呼吸もあります。坊ちゃんは生きてます」
慌てて胸に耳を押しつける。
強く押し当てて、耳を澄ます。辺り構わず降り続ける雨が邪魔。だから胸に押し当てた左耳を強化する。士郎の心臓の鼓動を聞き逃さないために。
……
……
トクン
……
……
トクン
聞こえる。
士郎の心臓は動いている。動いて士郎を生かしている。士郎は生きている。
「士郎……生きてる!」
安堵のあまりつい声が大きくなる。
「ええ、坊ちゃんは生きてます。ですから早く運びましょう」
「え?」
「生きてますが、ずっと水に浸かってたみたいで、すっかり身体が冷え切ってます。早く連れて帰って暖めないと」
「あ! そ、そうね。早く連れてかないと」
そんな当たり前のことを考えられた無かった自分を叱咤しつつ耳の強化を解き、代わりに全身を強化しつつ士郎を抱えて立ち上がる。途中から安さんが反対側を持ってくれた。
「姉御、先に行ってドアを開けといてください。後部座席に寝かせます」
「あ、うん。判った」
先生は鍵を受け取ると心配そうに士郎のことを見ながらそれでも先に立って車へ戻る。
くっ、なんでこんなに背を伸ばしてんのよ。身長差があるから、どうしても足を引きずっちゃうじゃない!
心の中で毒づきながらも一刻も早く士郎を連れ帰るために足を速める。
早く連れて帰ってなんとかしないと。
車の中では先生が既にエンジンを掛け、暖房を目一杯にかけて待っていた。
士郎を後部座席に寝かせ、頭を膝の上に載せると、先生と入れ替わって運転台に座った安さんに合図して車を出させた。
家につくと、安さんが士郎を背負って部屋へ運ぶ。……そっか、こうした方が早かったんだ。
そんなことを考えながら押入から布団を引っ張り出して敷く。先生は家にはいると同時にどこかに消え、やがて洗面器にお湯を張り、タオルを浸して戻ってきた。
更にタンスを開けて士郎の寝間着と下着を取り出す。
「遠坂さん、とりあえずシャワーを浴びて着替えてきなさい。雨に濡れたままじゃ風邪引くわよ」
「そんなことより今は……」
「良いから言うとおりにしなさい。どのみち士郎がすぐ目を開けるわけ無いでしょ。あなたがシャワーを浴びている間に安さんに言って士郎の身体を拭かせておくから」
先生の言うことは判る、けど、今の士郎の側を離れたくない。
「早くしなさい! 病人一人を二人で見るのと、病人二人を一人に見させるのとどっちが良いの!」
「あっ!」
言われれば確かに、もしこれで私も倒れたりしたら……。
「早くしなさい。遠坂さんが出たらわたしも入るから」
「判りました」
すっかり熱くなっていた頭をなんとか鎮めると、わたしは自分の部屋に戻って着替えをとり、手早くシャワーを浴びて再び士郎の部屋に戻った。
わたしが戻るのを確認すると、安さんは「オヤジに報告しなけりゃなりませんので」と言って戻って行った。
「じゃ、わたしもシャワー浴びてくる」
着替え着替え〜と言いながら先生は立ち上がる。
「でも、遠坂さん、凄いねぇ〜」
「え? なにがです?」
「だって遠坂さん、あって言う間に士郎の居場所見つけたじゃない。おねぇちゃんには全然判らなかったのに」
明るく笑っているのにちょっと寂しそうな顔をしながら先生は続ける。
「ええ、士郎とわたしは……」
なんて言おう、藤村先生(一般人)に魔術(パス)の事を明かすことは出来ない。けれど、そうなると説明のしようが……。
「二人はつながってるのね」
「え?」
なにか、知ってるのかしら?
「わたしなんか、十年も士郎のお姉ちゃんやってきてても判らなかったのに、遠坂さんはすぐに判った。きっとあなた達はどこか深い深いところでつながってるのね」
……繋がっていると言えばそうだけど。
「それじゃ遠坂さん、わたしお風呂入ってくるから士郎のこと、お願いね」
そう言った時の藤村先生の顔は、一見明るいように見えて、それでいて何というべきかよく判らないけど、こんな表情を見たのは初めてだったけれど、多分、わが子が自分から離れていくことに気が付いた時の母親の顔というのがこういう顔なんだと思う、そんな顔をしていた。
「あ……」
返す言葉を探している内に、先生……いえ、お義姉(ねえ)さんはお風呂場に向かっていった。
静かに、時が流れる。
汗の一滴すら流れない士郎の額に、手を触れる。
冷たい。
思わず、胸に耳を当てる。
……やがて聞こえる心臓の鼓動。
生きてる。
士郎は生きてる。
けど……。
冷たい。
あまりもの冷たさに、不安になる。
暖める方法は……。
そう、冷えているのならば暖めればいい。
ストーブとかが有ればいいのだけれども、考えてみればこの家でそう言ったものを見た記憶がない。もちろんエアコンが取り付けてあるわけでもない。
この家は夏涼しく冬は暖かいのだと言っていたのは士郎。
だから滅多に暖房器具とかを出すことはないのだろう。
無いのならば代わりのもので代用するしかない。
そして、今この部屋で他に熱源になるものと言えば……
そっと、自分の胸元に手を当て、決意を固めようとしたそのとき、
「お待たせ!」
ひゃう!
いきなり襖が開いて先生が顔を出した。
突然のことに驚いたわたしのことを無視したのかの如く先生は言葉を続ける。
「ん、士郎の言ってた通り、遠坂さんって不意打ちによわいのね」
「……足音忍ばせてやってきて、いきなり入ってこられたら誰でも驚くと思いますが?」
あまりものタイミングに、騒ぎそうになった心臓の鼓動を鎮めながらとっさに言い返す。
「あはは、ごめんね。で、士郎の様子は……ってこんなすぐに変わらないわよね」
あっけらかんと言った後、士郎の額に手を当てると、確認するように言う。
「はい、相変わらずです」
「そうね……」
部屋に沈黙が落ちる。
聞こえてくるのは相も変わらず降り続ける雨の音のみ。
「士郎、なにがあったのかしらね?」
暫くして、静けさに耐えかねたのか藤村先生がぽつりと呟く。
「……判りません」
でも、今のわたしには応えようがない。判らないことは判らない。知ることが出来るのならばすぐにでも知りたいけれど……。
「そうね、肝心の士郎がこれじゃ、判るわけないわよね」
「はい」
そしてまた暫く沈黙。
「それじゃわたし、隣の部屋で寝ているから、なんかあったら読んでね」
「はい?」
「どうせ遠坂さんは士郎が起きるまでずっと此処にいるつもりなんでしょ? わたしもそうしていたいけれど、やっぱり何かあった時のために交替できるようにしておくべきだと思うの。だからわたしは先に休ませてもらうわ。そして、遠坂さんが危なそうだと思ったら、そのとき無理矢理にでも休んでもらう。いいわね」
え?
「遠坂さんも士郎みたいに強情なところがあるから、強情が張れる間は遠坂さんの好きなようにしなさい。けれど、もうだめだと判断したら、無理矢理にでも休んでもらうってこと。もちろんそのときでも士郎の目が覚めたらすぐに呼ぶわ。判った?」
ああ、判った。この人も士郎のことは心配だけど、でもそれだけじゃいけないことを判っている。今ここに座っていてもなにもできないことを判っている。だから今なすべき事と出来ることを考えて行動しようとしている。
ずっとわたしもやってきたはずなのに、何故か今は出来ないことをきちんと。
こうしてこの人は、ずっと士郎の姉をやってきていたんだ。
「判りました。お義姉さん」
そんな思いからか、ごく自然にわたしの口が動いていた。
驚いたみたいだ。一瞬、目をまん丸になるくらい大きく見開いた。
「うん、やんちゃな弟の面倒、よろしくね!」
でも次の瞬間、明るくにっこりと笑って、改めてわたしに士郎のことを託してくれた。
うん、お義姉さんにも託されたんだ。ならばわたしはわたしにできることをする。
決心が付けばあとは行動有るのみ。
わたしは服を脱ぐと、士郎の寝間着も脱がせたうえでその横にはいると、布団を被り、そして士郎の冷え切った身体に少しでもわたしの体温を伝えようと強く抱きしめた。
冷たい。
士郎の脇の下に両腕を通しぎゅっと抱きしめると、改めて士郎の身体が冷え切っていることを思い知らされる。
布団に入ったのは安さんに体を拭いてもらってからになるけど、それでももうそれなりに時間が経っているはず。けれど布団の中はちっとも暖かくなっていない。
士郎の身体が冷えすぎていて布団を掛けただけじゃ暖まらなかったのだろう。
そう思うともっと早くこうして暖めるべきだったのかと少し後悔の念が湧く。けど、思いつかなかったのに比べればずっとマシ。
士郎の身体の冷たさに身体が震えだしてくるけれど、それも士郎を暖めるためだと思えばどうって事はない。今はただ、こうして士郎を暖めるだけ。
ただそれだけを念じて士郎を抱きしめ続ける。
……どれだけ時が経ったのだろう?
気が付くと、士郎の口からなにかうわごとのようなものが漏れている。
それに、士郎の身体が震え始めている。さっきまでに比べると、身体が暖かくなってきているようにも思える。
回復してきている!
そう思って、改めて両腕に力を込め、士郎を抱きしめ直す。
更に時間が経つと、あきらかに士郎の身体がぬくもりを取り戻してきた。それにあわせて士郎の身体の震えが収まり、もう大丈夫だと思えるようになってきた。
士郎の頬も赤みが差してきて、先ほどまでの蝋人形のような白さが無くなってきている。
これならもう大丈夫……そう思い少し腕の力を緩めつつ、それでもなお安心しきれずに士郎を抱きしめつつ顔色を見続けている。
そんな時、不意に強くうめいたかと思うと、士郎の目がぼんやりと開かれた。
「う……、あ……? とお……さか?」
「士郎! 目が覚めたのね!」
士郎が目を覚ました! ただそれだけのことなのに、どうしようもなく嬉しくてつい声が弾む。
士郎の身体に回したままの両腕に力が篭もる。
「バカ! 心配したんだから! 士郎のバカ!」
べ、べつに泣いてなんか居ないわよ。ちょっと疲れた目から……。
ええい、強がってる場合なんかじゃない! そうよ、また士郎に泣かされたわよ! みんなわたしをこんなに心配させた士郎が悪いんだから!
「と、遠坂……」
士郎は状況が読めずにとまどっているみたい。でもそんなこと構ってなんかいられない。こんなにわたしを心配させた以上、なにがあったのか洗いざらい喋ってもらうんだから!
「さぁ、話なさい! なにがあったのか、なんであんなところで倒れていたのか、今すぐ全て話なさい!」
強く迫る。すると目をぱちくりさせながらもなにがあったのか思い出そうとしているみたい。
「士郎? ねぇ、なにがあったの?」
「う……、あ……」
思い出すのを待ちきれずに早く話すように迫る。なのにこのバカ、口をぱちくりさせるだけでなかなか話そうとしない。
見ていると、一応なにが起こったのかは思い出してきているみたいだ。けど、なに? なんだか話したくないようなそぶりをしている。
「士郎、わたしはなにがあったのか聞いているのよ?」
まさか、一人で背負い込んでどうにかしようと思っているのか?
あきらかに話したくなさそうなそぶりをしている。
わたしに話せないって言うの? 自分一人では処理しきれなかったからあんなところで倒れてたんでしょう? なのに、それでも一人で抱え込むつもり?
「士郎!」
自分でもあきらかに声が尖り、士郎のことをきつくにらみつけていることが判る。でもだめ、ほっておけるわけがないんだから、なにがあっても喋ってもらう。
「話して、くれるわよね?」
「あ……、それは……」
わたしの視線に負けたのか、話そうとするそぶりが少し見えて……それでも話してくれない。
ん? まった。
「士郎?」
なにか変、さっきから士郎が口を開こうとするたびに、なにかの魔力が働いている。
「ちょっと見せなさい!」
聖杯戦争前から天才と呼ばれているのは伊達じゃない。この魔力、何らかの束縛が士郎に働いているとしか思えない。このわたし(遠坂)の弟子である士郎にこの土地(遠坂の管理地)でちょっかい出そうなんてどこのどいつよ。そんな奴、見過ごしておけるとでも思っているの!
「うっ! あっ!?」
心臓にナイフを突き立て魔術回路を起動し、士郎の視線をわたしの目に固定させて視線を経由したパスを通し士郎の中を"視"る。
むろん刀経由のパスも開き、更に額を押し当てて肉体接触によるパスも構築する。
あのとき繋いだパスも開き、先ずは士郎の中にわたしの魔力を浸透させる。
士郎の中に感じる異なる魔力に影響を与えないように少しずつゆっくりと、士郎の中をわたしで満たしていく。
慎重にゆっくりと、けれど確実に、急いで。
満たして行く……。
満ちて行く……。
満ちた。
満たした。
満たしたら次。
わたしで一杯になった士郎の中を慎重に探る。
探すのは先ほど感じた違和感、つまり誰かの魔力。
そしてその魔力によって編まれた術式、掛けられた魔術。
何らかの罠があった場合に備え、ゆっくりと慎重に……。
これね、見つけた。
これは……。
禁忌、束縛。
口封じ。
自虐、悔恨。
罪悪感。
これは口封じの魔術。
どうやらなにかこれを掛けた術者にとって都合の悪いものを士郎が見るか聞くかしたので、外部に漏らされないように術を掛けたのだろう。
ご丁寧にこのことで罪悪感を煽るような圧力まで掛けている。よくもこんな……。
怒りにまかせ、一気にこの術を解除しようとして……止めた。
術を解くこと自体は簡単だ。この程度の術式なんてわたしにとってみれば大したものではない。解くのも簡単。
けれど、これを解いたらどうなるか。
人を呪わば穴二つ。
魔術は等価交換により成り立つ。
人の心に作用するような術を掛ければどうなるか。
例えば仮にわたしが士郎に魅了の術を掛ければどうなるか。
答は簡単。
等価交換の原則に従い、わたしもまた多かれ少なかれ士郎に魅了される。
それ自体はまぁ問題ないし、寧ろお互いにかけっこしたいくらい。
……って今はそう言う話をしている時じゃない。
兎に角、人の心に働きかけるような術を使った場合、同じような効果が術者に対しても現れる。
そして、その術を第三者に解除された場合、それまでかかっていた分の術が術者本人に"還る"事になる。
つまり術者に対してかかっている分が倍の効果を持つわけだ。
別にそれ自体はどうでも良い、この場合士郎に術を掛けた奴がロクに口を開くことも出来なくなるだけ。
でもそれじゃぁ何故こんな事をしたのかを追求することが出来なくなる。
べ、べつにそんなことになったらこのお人好しがなんとかしたがるだろうなんて事考えた訳じゃないわよ。わたし、そこまで甘くする必要ないんだから。
ないんだったらない!
兎に角、この術はバックファイアーを押さえるためにも術者本人に解かせることにして、とりあえずわたしには事の子細を話すことが出来るように術の束縛をゆるめる。
「どう? これで話せるでしょ?」
やったことは簡単。嬉しいことに士郎自身がわたしには秘密を持ちたくないって思ってくれているから、その思いに沿うような形で術に"綻び"を作るだけのこと。
士郎の望みに従う形の術だからわたしに戻る反作用も少ない。……どうせ乙女の秘密以外は何も隠す必要ないけど。
何にせよこの程度のことでミスなんてするはず無い。けれど、念のために士郎に確認してみる。
「ああ、ちゃんと話せそうだ」
ん、成功。でも、なんでこんな魔術に引っかかったのよ……。このばか。
「良かった。でもね士郎、アンタいい加減普通の魔術師並みの魔術抵抗ぐらい身につけなさい」
とりあえず、一言釘だけは刺す。
「え? 俺何か掛けられていたのか?」
「そうよ、口封じの術を掛けられていたの。私に話すそうとすると、話しちゃいけないって衝動が湧き上がってたんでしょ?」
「あ、ああ、その通りだ」
「おまけに、このことで余計なことを考えようとすると罪悪感やら何やらが募ってくるようにもなってるの」
「え? そうなのか?」
溜息が出る。全然気付いてなかったんだ。
「アンタ、相変わらずのへっぽこねぇ」
判っていたこととは言え、思わずしみじみと言ってしまう。
「ごめん」
まぁこれで自分の至らないところを認めて素直に謝るところがこいつの良いところであるわけだけど……。
「ハァ、そのことについてはあとでまた話しましょう。それよりも、なにがあったの?」
「ああ。長くなるけど事の発端から話すよ。そもそもはあの十年前の大火災、あのあと俺が入院していた時期から始まるんだ」
改めて聞き直すと、今度は口ごもったりすることもなく話し始めた。
話を聞いている内に、わたしは頭に血が上るのを停めることが出来なくなってきた。
士郎のお養父様(おとうさま)が魔法使いだなんて名乗ったことはどうでも良い。いや、神秘は秘匿しなければならないという立場からは、当時の目で見て魔術回路を持っている可能性が低かった士郎に、しかも他の人の目もあるところでそんなことを言ったことは許せるものではないのだけれども、今までに聞いていた性格からすれば何となく納得してしまう。そしてそのときまでの士郎と他の子供達との話なんかはいかにも士郎らしいというか、もうそのころから士郎は士郎だったのだと思うと、それはそれで嬉しいのだけれども前途の多難さを……そう言う話じゃない。
わたしが腹を立てているのは、他の子達が綺礼に引き取られてからのことだ。
当然の事ながらわたしもそのことを知らなかったし、当然の事ながらあのエセ神父がそのことを教会に伝えるわけもなく、聖杯戦争監督役を引き継いだ立場を利用してその子達の存在を抹消したことも十分に予想できるので、役所(おもて)の方から彼らのことで何かがなされることもなかっただろう。そうして法的にも社会的にもその存在を殺された子達は肉体的にも緩慢に殺され続けていた。
魔術師としてのわたしならば「それがどうした」と斬り捨てることも出来ただろう。けれど、僅か半年に満たぬとは言え、こうして士郎と一緒にすごして来たわたしはそう言う考え方が容認できなくなってしまっている。感染性正義の味方症候群? そうかもしれない、要はわたしが甘くなっただけ。なのにこのことをちっとも残念だとは思わない、寧ろ誇らしいくらいだ。これが士郎から感染した(うつった)と言うのならば重傷だとは思うけれど、それを言ったら目の前にいるこのバカは重篤患者だ。自分の症状なんか気にしている場合ではないことなど先刻承知。
だからアイツがやっていたことを許せないと思うのはごく普通のことだし、それは構わない。
けれど私が怒っているのはそんなことじゃない。
どうして。
どうしてこのバカは「自分も一緒に居れば(自分が犠牲になることで)みんなを助けられたかもしれない」なんて事を言うのか。挙げ句の果てに「だから俺もみんなと一緒に居るべきだった、一人だけ切嗣(おやじ)に助けられてのうのうとしていてはいけなかったんだ」なんて事を言い出すのか!
許せない。
そんな馬鹿なことを考えるなんて絶対に許せない。
だからわたしはこのバカな考えを徹底的にぶちこわしてやることにした。
「ねぇ衛宮くん、あなた、本当に自分も一緒に綺礼に引き取られているべきだったなんて思っているの?」
ゆっくりと火蓋を切る。
「? ああ、言ったろ。そうすればみんな助かってたはずだって。だから……」
「ムリね」
この勘違いした論拠をすっぱりと斬り捨てる。
「え? なんでさ。俺の魔力回路が全部開けばそれだけで……」
まずそこが勘違い。
「ギルガメッシュはその魔力回路から生成される魔力とあわせてあのときの倍以上の魔力をつかえるようになってたわね」
だからそこから正していく。
「え?」
「いい、確かに士郎の魔術回路が全て開けばギルガメッシュに魂を喰われていた分の代替えにはなるわ。しかもあの教会は冬木の街の四大霊脈のうちの一つの上にあるから、そんな状態でも周囲に充満するマナを取り入れてオドにすることを身体の方で勝手に身につけていた可能性はあるわね。その意味では確かに他の子達の魂を損なうことなく士郎一人でみんなを支えることが出来たかもしれない」
「それなら……」
「けれど」
士郎が何か言い掛けるけれど、より力を込めた言葉を続けることで遮る。
「でもそれは普段の話。あの金ピカが聖杯戦争に参戦し、宝具を使い始めたらどうなってたと思うの?」
「え?」
「みんなが死に始めたのがそのころからだって言うのならば一緒よ。確かに士郎が居ることで魂の損耗が押さえられて死ぬ可能性は減るわ。けれど、それだけ魔力に余裕があるのならばあんな風に宝具をとばすだけで終わらせるわけ無いでしょ。必要に応じて宝具の真名を解放するぐらいのことはやってたはずよ」
「……」
何か思い当たることがあるのか、士郎は口をつぐんで考え込んでいる。
「真名解放でどれだけの魔力が消費されるかは判らない。けれど、よっぽど効率の良い宝具を使うのでない限り、確実にたくさんの魔力が消費される。ましてやもしそれがセイバーの宝具クラスで有ればその負荷で何人かの魂は間違いなく食い尽くされるわ」
「……」
「挙げ句の果てに宝具の撃ち合いなんて事になったら?」
「……」
「問題はそれだけじゃないわ」
「?」
「アイツの存在は間違いなくジョーカーだった。よっぽどのことがなければアイツが勝ち残っても何ら不思議がないくらいにね」
「えっと……?」
「つまり、聖杯戦争がアイツの勝ちで終わる可能性は充分にあったのよ。そしてその場合、アイツの餌にされていた子達はみんなそのまま餌にされ続ける。士郎も一緒にね」
「!」
その顔、やっぱり、そこまで考えていなかったのね。
「そしたら誰も助けられることなく死んでいく。助け出された三人と士郎、あわせて四人現実よりも死者が増えるだけ」
「で、でも遠坂がアイツ(アーチャー)と一緒にギルガメッシュと戦えば……」
「良くて互角、多分先にわたしの魔力がつきて負けてたでしょうね」
「まさか!」
「単純に保有魔力量を比べただけでも判るわ。士郎の回路数はわたしの約三分の二、それに一人だけいた回路持ちの分の魔力と士郎を含めた全員の魂の分を合わせればわたしの倍やそこらでは済まない量の魔力を向こうは持っている。そして持っている武器を出すだけで済むアイツに対抗するのに、アーチャーの投影ではいずれ投影が追いつかなくなることは充分に目に見えているわ。となれば、遅かれ早かれアーチャーはアレ(固有結界)を発動しなければならないけれど、アレの発動はわたしの魔力を一気に消費することになる。しかも発動中は世界の修正を受け続けるからその間の魔力消費も跳ね上がるわ。もちろんわたしは宝石から魔力を補充することが出来るから一方的に不利になるとは思わないけど、それでも物量戦になれば相対的に魔力消費が大きい方が不利なことは免れないわね」
「……」
「そしてアーチャーが倒されてしまえば、他のサーヴァントではアイツの物量に対抗できない以上、アイツの勝ちは確定よ。そして士郎達はあの地下室で魂を喰われ続けて死んでおしまい」
「それ……じゃぁ……」
「そう、もし士郎が自分を犠牲にしてでも一緒に居ればなんて言うのは、士郎の独りよがりな自己満足。歪んだ聖杯を作ろうとしていたアイツが勝ち残り聖杯を手にした後のことを考えれば、犠牲者はもっともっと増え続けることになる。つまり、士郎が自分を犠牲にしていた場合、もっとたくさんの人が不幸になっていたことは間違いないわ。ま、そのときには聖杯戦争に負けたわたしはとっくに殺されてるはずだからわたしにとってはどうでも良いことだけど」
「そ……」
「判った? 士郎。あなたの自己犠牲の精神は立派だけど、それが意味を持つかどうかは別の問題よ」
「そう……だな」
「それに、今更そんなこと考えてどうするの? まさか過去に戻ってやり直したいとでも思ってるの?」
「え?」
「過去に戻って、あの大火災の時点からやり直して、全てを無かったことにしたいとでも思ってるの?」
虚をつかれたような士郎の顔。それはわたしの言葉を聞いた瞬間、戻りかけていた血の気がたちまちの内に消え、まるで死者であるかのような土気色に変わった顔。
「そんな事は、望めない。やりなおしなんか、できない。死者は蘇らない。起きた事は戻せない。そんなおかしな望みなんて、持てない」
そして、次の瞬間、全身を--わたしごと--震わせつつ、血を吐くような言葉がその口から絞り出された。
「ならばなんで自分が一緒にいたらなんてこと思ったの?」
そこまで馬鹿なことを考えていなかったことに安心しつつ、改めて士郎に聞く。
「……助けたかった。一人でも多く、助けたかった」
「助けたじゃない。三人も。それ以上は無理だったのよ」
「でも、二人はもう……」
「でもまだ生きているんでしょ? だったら何とかなるかもしれないじゃない。まだ生きているんだから」
「そうだな、まだ生きているんだよな」
「そ、判ったらゆっくり休んで身体を治しなさい。治ったらなんとかさせに行かなきゃいけないんだから」
「え? なんとか……させる?」
「当たり前でしょ。教会には遠坂家(うち)が特別に便宜を図ってあげているって言うのに、よりによってわたしの士郎に手を出したんだもの。相応のことをさせるに決まってるでしょ? 例えば、もっとその子達の治療を頑張るとか」
「遠坂、ありがとう」
「べ、別に礼を言われるようなことしてないわよ。それよりも、」
言いつつちょっと背伸びして、士郎の鼻先にキスしてやる。
「とりあえずきちんと寝て、早く良くなるの。いいわね?」
士郎は暫く目を白黒させていたけれど、やがて私の躰を抱き締め直すと、わたしの耳元に口を近づけて、
「ん、判った。でも遠坂って、暖かいな」
と言った。そして目を閉じる気配。
「アンタの身体が冷えすぎてるだけよ」
とだけ返して、抱き返してやり、そのままわたしも瞼を降ろした。
朝。
一晩降り続いた雨も止み、曇りがちとは言えそこそこ明るくなった空に照らされた衛宮家の廊下に、軽い足音が二つ並んで響き、すぐに士郎の部屋の前で止まる。
「遠坂さん、久しぶりに桜ちゃんも朝から来てくれたわ! ねっ、士郎の調子はど……お?」
声と共に士郎の部屋の襖が開かれる。
「どうしたんですかせんせ……い?!」
襖を開けた姿勢のまま硬直した大河の脇の下から、ひょいと室内を覗き込んだ桜も同じく硬直する。
いきなり士郎と凛が布団の中で抱き合ったまま寝ている姿を見てしまったのだから当たり前の反応といえる。
「ふ、二人とも何やってるのぉ〜!!」
「二人ともナニしてるんですかぁ〜!」
期せずして同時に上がる悲鳴のような叫び。あまりもの大音声に寝ていた二人は反射的に両腕に力を込めつつ目を覚まし、身を起こす。
自然な結末として二人の上から布団が流れ落ち、真っ暗な室内に赤裸々な姿が廊下から差し込むほの暗い明かりに浮き彫りにされる。
「あ、藤ねぇ、それに桜。どうしたんだいきなり?」
「ん〜、なにぃ? あ、士郎、おはよう」
寝起きの様を対照的に示しつつ起きる二人。そして、凛は兎も角士郎も自分の姿に気が付いていない。
「士郎ー! アンタ指輪送るまで変なことしないんじゃなかったのぉー!」
二人を指さしつつさらなる絶叫をあげる藤ねぇと、その後ろで目を大きく見開きつつ信じられないと言いたげに右手で口を覆っている桜。ちなみに左手は伸ばされたまま腰のあたりで握り拳を作っている。ちなみに藤ねぇの左手は胸元に引き上げられ、これまた力強い握り拳を作っている。
「えっ? え? あ!?」
相次ぐ絶叫のせいかいつもより目覚めがよいらしい凛が、目を大きく見開きつつも視線をあちこちに走らせつつ事態の把握に努めている。
「遠坂さんも遠坂さんよ! 士郎の看病をしてたんじゃなかったのぉ!」
「え? ええ、はい。看病してましたけど」
状況が飲み込めたのか、冷静に対処する。
「じゃ、じゃぁなんで二人一緒に寝ているのよ!」
そんな冷静な様子を見たところで藤ねぇが落ち着くわけもなく、追求が続く。
「え? 藤村先生は昨晩の士郎の容態、覚えていますよね?」
「身体が冷え切っていたわね。だから急いで体を拭いて布団に寝かせたんじゃない」
「ええ、その通りです。けれど、そのままではいつまで経っても体が温まりそうもない上に、暖房器具になりそうなものも何もなかったのでこうして士郎を暖めることにしたのです」
冷静に受け答えを続けつつも、「こうして」のところで無意識のうちに士郎を抱きしめようとする凛。体重差もあり実際には凛が士郎に身体をこすりつける結果となっているが。
「ならなんで裸になっているんですか!」
そんな様子に切れたのか、今度は桜の絶叫が響き渡る。
「え? はだ……か?」
言われて初めて自分の身体を見下ろす凛。
次の瞬間、士郎を突き飛ばしつつ布団をはぎ取り、自分の身体に巻き付けながら離れる。当然士郎は体を覆うものがなくなった状態で布団の上に転がされる結果となる。
「いってぇ、何も突き飛ばさなくても良いじゃないか」
いいながら改めて布団の上に起きあがる士郎。何度も繰り返すが素っ裸の状態で。詰まるところ朝早くから全身くまなくさらしだしている状態なわけで。
「し、しろうぅ〜! 早くそれ仕舞いなさい!!」
両手で目を覆いながら藤ねぇが悲鳴を上げる。
しかしその傍らで同じ所に視線を固定した桜がぽつりと呟く。
「先輩……おっきい」
「え? 士郎のってやっぱり大きいんだ? ……ってなんで桜はそんなこと知ってるの?」
耳ざとくその言葉を聞きつけた凛がちらりちらりと士郎に視線をやりつつ桜に質問を投げると、とたんに桜は慌て出しつつ答を返す。
「え? ほ、ほら、兄さん、入院して暫く動けなかったじゃないですか、そのときその……溲瓶とか使っていたのでそのとき見て……、ほら、男の人って朝大きくなるって言うじゃないですか? それで……」
「あ、ああ、なるほど。それで今の士郎のと見比べて……」
「そんなのいいから早く士郎は服を着なさーい!!」
とりあえず、衛宮家は今日も賑やかな一日を迎えた模様。