「しろうおそいな〜」
凛はふと、洗濯物をたたむ手を止めるとつぶやいた。
「今日は新都でアルバイトって言ってたから……9時ぐらいか」
もっと早く帰ってきて欲しい。
「藤村先生からもきちんと食費を取れば、もっとバイトの時間減らせるのに、あのばか、家族から金を取れるかなんて言って、私が納めようとした食費まで突っ返すんだもの」
はぁ、とため息をつくながらぼやく。
今度、そんなに私と一緒にいる時間を短くしたいの? ってすねてやろうかしら?
あいつきっと、そんなことはないって顔を真っ赤にしながら否定するから、そこで、食費を受け取らせれば……よし、今度この線で攻めてやろう。
くすっ、おこずかいがへるぅーって泣き叫ぶトラの姿まで見えて来ちゃった。
考え事をしながらも手は動いていたようで、洗濯物は全て畳み終わり、後はそれぞれのタンスやクローゼットに収めるだけになっていた。
ちなみに、凛は衛宮家にすっかり住み着き、遠坂邸に行くのは、そこでしかできない魔術の講義をしたり、必要な資料を取りに行ったり、季節の変わり目に服の入れ替えをしたり、たまに換気を兼ねて掃除をしに行く(もちろん士郎と二人っきりで)程度である。
郵便物等の転送処理も済ませており、これで入籍してしまえば、もう完全な新婚夫婦である。
服をしまいながらそのことに思い至った凛は、頬を染めながら、
「新婚夫婦……かぁ」
などと思わず口にしてしまい、自分の声を聞いてさらに赤くなっていた。
あかいあくまと正義の味方 学園生活編
〜その1〜
「若奥様としては、やっぱり旦那様をおいしい料理で迎えてあげなくっちゃね」
思考が暴走状態に入ったことを自覚しながらも、それを止める気になれず、士郎の帰宅時間に合うように料理を作り始める凛。
平和でのどかな夕方の風景である。
そして、そろそろ料理ができあがりそうな頃合いとなり、食卓に食器を並べ終えた頃。
「ただいまぁ〜」
計ったようなタイミングで士郎が帰ってきた。
繰り返すが、凛は思考が暴走状態である。
それも自覚しながらもあえて止めない……、どころか夕飯の支度をしながらますます暴走させていたほどである。
よって、凛はエプロン姿のままぱたぱたと玄関まで出て行くと……、
「おかえりなさい、あ・な・た。お食事? お風呂? それともわ・た・し?」
と、ニッコリ微笑みながら言ったのであった。
「えっ」
絶句する士郎。
当然であろう、バイトを終え、早く帰って一緒に食事をすることを考えていた愛する少女が、帰宅するや否やこのような破壊力のある言葉で迎えてくれるのである。
思考は渦を巻き、PIYOKOのえぷろんすがたがかわいいなぁーなどとあらぬ事を考えつつも、ただただ頭に血が上っていくのを自覚するのみである。
あ、やばっ。
凛も士郎が目の前で一瞬にして顔を赤くする様を見て、自分がどれだけ恥ずかしい台詞を口にしたのかに気付き、一気に顔が赤くなった。
結局、顔を真っ赤にしたままのお見合いは
「士郎〜、おなかすいたよぉ〜」
と言う吠え声とともにトラがやってくるまで続いたとか。
後日談
まぁ、なんにせよ、待ち人が帰ってくるのはうれしいもので、二人の間だけ、互いに先に帰っていた者が、後から帰ってきた者を玄関まで迎えに行くのが当たり前になった頃。
(そのことで、桜や大河が拗ねて騒いだ - しかしなんの効果もなかった - のは、また別の話である。)
その日も例によって、生徒会の用事につきあった士郎は、なんだかんだで、最後までつきあった前生徒会長 - つまり一成 - と一緒に校門を出たところで、偶然美綴に捕まり、そのままなし崩しに三人で帰宅の途についていた。
なぜかそのまま衛宮家に着き、士郎がぼんやりと「そういや、なんで二人とも家に来たんだろ?」と思いながらもいつもの調子で家に入る。
「ただいま〜」
当然、いつものごとくぱたぱたと玄関まで走ってくる音がすると、
「おかえり、士郎」
と、満面の笑みをたたえた凛が、士郎を迎えに出てきて、さらには士郎の胸の中にポスッと飛び込んできた。
「え!?」「な!?」
と、脇であがる驚きの声。
しかし、士郎はいつものことと凛を抱きしめ
「ああ、ただいま、遠坂」
とうれしそうな笑みを浮かべつつ声を返す。
「「お、おまえらいつもそんなことやってるのかぁ〜!!」」
と、期せずしてハモる二人の声。
「ん? ああ、そうだよ」
”いつものこと”になっているので、なぜ二人に怒鳴られているのかが理解できない士郎。
……順応良すぎるぞ。
「え? 綾子? それに柳洞君も? なんで二人がここにいるわけ?」
凛も士郎の胸の中から顔の向きだけ変えて二人を認めると、頭の上にはてなマークを浮かべながら士郎に聞いてきた。
こちらも”いつものこと”なので、怒鳴り声はあっさりスルーしている。
「あ、いや、そういやなんで二人ともここまで来たんだ?」
と、問いかける士郎。
「あ、いや、なんとなくついてきたんだが……」
と、こたえる美綴と、
「お…………、おのれ、この女狐め! 衛宮の家でそのような恰好で出迎えなどして何をたくらんでおる!?」
と、なぜか激昂して凛にくってかかる一成。
「エプロンひとつ着けただけで随分な物言いね、柳洞君」
と、まずは、一成に反撃する凛だが、とっさに猫を被ろうとしたところで、士郎の胸の中で幸せそうな顔をしながらでは迫力のハの字もない。
そんな猫を被り損ねた遠坂を見た美綴は、あまりの驚きに真っ白になった頭でこ、これがあの遠坂か?
いや、まさか、違う、これはきっと対衛宮用の猫を被ってるに違いない! ここは一つ突っついて、被ってる猫を剥いでやろう。
と、わけのわからぬ決心するや早速の攻撃を開始した。
「おい、衛宮! やるじゃないか、いつの間にここまであの遠坂をたらし込めたんだこれはもうアレだろ! 私達がいなけりゃ『ご飯とお風呂どちらにしますか? それとも〜』とかやってただろ! 後朝起きたらエプロン一枚で料理してたりとか! っぷ、あははははは」
さぁ、どうだ、ここまで言われれば、裏のない衛宮の反応に引きずられて遠坂も……。
「な、ななな何言ってんだ! んなわけあるかぁ!」
言いつつも、思い当たるところがあるだけに顔が真っ赤になる士郎。
そんな士郎の内心など知らぬまま、そうそう、この反応だ、さぁどう出る遠坂? と、遠坂の反応を見ようとする美綴。
と、凛も先日のことを思い出したのか、顔が真っ赤になっていた。
え? 真っ赤に?
「ま、まさかおまえら、ホントにやってるのか?」
「え、衛宮、おまえ、そこまで……」
「や、やってない! そんなことやってない!! いわれたことは……」
「バカッ!」
うっかり口を滑らせそうになる士郎を慌てて止めた凛だが、時、既に遅し。
目の前で絶句している二人を前にすっかり照れかえった凛は、
「なによぅ……、いいじゃない、わたしがわたしのしろうといっしょになにしてても。うらやましかったらあやこもかれしをつくってみなさいよぅ」
と、言いつつ、士郎の胸に指でのの字を書いてみたりなんかする。
「と、とおさか……」
そんな胸の中でしょげかえりつつ照れてる凛の姿に、思わず腕の力が入る士郎。
目の前の二人に毒気を抜かれたのか、美綴ははぁっとため息をつくと、
「はいはい、ごちそうさま。二人で勝手にやってろ。さ、帰るぞ柳洞」
そう言って、一成の腕をつかんでずるずると引っ張りながら帰っていった。
ちなみに、二人は美綴が戸を閉める音で我に返ったようだけれども、その日の夕飯は結構遅くなったらしい。